□とある病室 ザトー
とんでもない技術で作られたダイブ型ⅤRMMO〈Infinite Dendrogram〉。そのゲームの目玉であるシステム、エンブリオ。自身の可能性の象徴とも称されるそれで、俺が得た物は
――変な右腕でした。
「こんな腕が俺のエンブリオォ!?」
「あら、結構いるわよ。肉体と置き換わっているエンブリオって。義眼とか義手とかね。……でも、あなたみたいに別の生物が融合しているエンブリオは珍しいわねぇ」
そんなに俺のエンブリオが珍しいのか、そう言って彼女は右腕をしげしげと眺めてくる。
……俺としてもビックリなんですけれども。
もう一回俺の右腕を見てみる。何度見ても、そこにあるのはさっきと変わらず鬼の腕だった。
「なんで右腕だけ怪物になってんだよ!?中途半端じゃねぇか!」
俺が想像していたエンブリオは、何だか、剣や竜とか、ファンタジー的なモノだった。
……だが、俺に発現したのは変な生物の腕。
……どうせなら、全身が変わってほしかった。これだと、右腕だけが俺じゃない別のナニカになったようで違和感がある。
あの鬼の手の小学校教師もこんな気持ちがあったのだろうか……
「そんなに嘆かなくてもいいじゃないの……。ほら、もしかしたら強いスキルがあるかもしれないわよ?」
俺の驚きぶりをみて、彼女は心配そうな顔でこっちに言葉を投げかけてきた。
そうだ、まだスキルを確認していなかった。彼女が言ったように、もしかしたら俺みたいな者でも強い能力が生えているかもしれない。
「そうだった。ありがとうございます!それじゃあ、早速――」
「うるさいのだが。ここを何処だと思っているのだね君は?」
――ウィンドウを確認しようとしたら、部屋の扉を開けて白衣を着た男が入ってきた。
見たところ、年齢は四十代後半辺り。
体型はひょろ長く、枯れ木のようだ。
顔には黒々とした目の隈が刻み込まれている。徹夜明けなのだろう。
ウトウトしているのか、彼はふらつきつつ俺に近づいてきた。
「ここは病室だ。うるさいと他の患者に迷惑だろうが」
「え?あ、すいません!完全に忘れていました!」
……忘れていた。俺は虫に腹を刺された後、彼女にこの病室へ運び込まれたのだったっけか。
当然、他の人も別室にいるのだろう。俺はその事を完全に失念していた。
「ごめんなさいギルバートさん。私の不注意だわ」
「……ん、気をつけてくれカース。この病院には手術後で神経質になってる患者が結構いるんだ。大声出されたらたまったもんじゃないよ」
俺の不注意に彼女……カースさんが謝ってしまっている。
……俺の失敗なのに恩人に謝ってもらうのは、嫌だな。
「本当にすいません。俺が悪かったです」
「……ん、わかればいい。もしまたここに来てしまった時は気をつけろ」
男……ギルバートさんはそう答える。眠たいのか、喋っている最中は事あるごとに瞼が下りようとしていた。
「えっと、もしかしてあなたが俺を治してくれたんですか?」
「……んあ、そうだな。……ああ、自己紹介をしていなかった。私は【名医】のギルバートだ。一応、この小さな病院で院長をしている」
自己紹介している間にも、ギルバートさんの頭はこっくりと船を漕いでいた。
「さっきも言ったけれども、この人は腕が良くてね。私も怪我した時はよく利用してるのよ、ここ。」
「……むにゃ、ああそうだな。……君の傷に私の治療が効いたのは驚いたが」
「うふふ。意外と便利なのよ、
「?」
一体何のことを話しているんだろうか。よく分からない。多分、初心者の俺にはよく分からないことなのだろう。
「……む、ところでザトー君。君の傷はもう大丈夫かね」
「あっ、はい。お陰様でもう動けます」
「うん、それは良かった」
俺の答えを聞いてギルバートさんは微かに微笑む。その様子を見て、優しい人なんだなと俺は思った。
「じゃっ、そろそろ退院してくれ。治療を待っている人達は多いのに部屋は少なくてね。こう見えて私は忙しいのだ」
ギルバートさんが俺に退院の催促をしてきた。では、お言葉に従ってすぐに退院しよう。
「わかりました、ギルバートさん。急いで支度します」
「なら、私も帰るわね。元々、すぐにお暇する予定だったし」
そう言って、俺と同時にカースさんも帰り支度を始めた。
……そういえば、カースさんとギルバートさんにまだお礼していないな。
「お二人とも、俺を助けてくれてありがとうございました。このお礼はいつか必ずします」
「あら、だったら期待しておくわ」
「……んじゃ、安眠グッズでも何かおくれ」
「はは、頑張ります」
では、そろそろ帰ろう。
俺は身をよじって、横たわっていたベッドから立つ。その足で扉を抜けて、入口の前まで歩いてきた。
途中の廊下は静かであり寂しく見えたが、窓から差し込む橙色の夕日によって暖かさも幾分か混じっていた。
「……では、気をつけて帰りなさい」
「本当にありがとうございました」
「あなたも元気でね」
「……もうここに来ることが無いように願っておくよ」
そして別れの言葉を告げた後、俺は右へ、カースさんは左へ行き、ギルバートさんは病院へ戻っていった。
◇
「よし、今度こそデンドロを楽しめるぞ……!」
長い道のりだった。
ようやく、普通のことが出来る……!
俺のデンドロ一日目は濃い事件が多すぎた。
ジョン・スミスにワープさせられたり、虫に腹刺されたり、カースさんに助けられたリと、現実で起きなさそうなことがいっぱいだった。
(……ん?そういやカースさん何者だったんだ?)
ふと、疑問が頭に浮かぶ。
あの虫の大群を一瞬で殺しつくしほどの力に、死ぬ寸前だった俺をあの病院まで無事に運び込めた速度。どうみても一般人じゃない。彼女は一体何なのだろう。
よく考えたらジョン・スミスもだ。俺に語りかけるだけで【拘束】が出来たり、ワープゲートのような物まで作れたりと異常すきる。
まるで、プレイヤーではなくてボスエネミーのような……
「……ま、ここはゲームなんだ。そんな人がいてもおかしくないか」
疑問を適当に片づける。
それよりも今は俺の今後の事だ。
エンブリオの確認や、装備、ジョブの取得など、しなければならないことがたくさんあるのだ。
「まず、さっきできなかったエンブリオの確認からするか」
早速、ウィンドウメニューを出して『〈エンブリオ〉』の項目を開く。
そして表示されるモノは先ほど確認したように、俺の右腕と常時融合しているエンブリオ【戦逃鬼 イバラキドウジ】だった。
タイプはガードナーだが、今まで俺が自由に右腕を動かせていたことから察するに、意志は無いらしい。
さらに、記載されているのは名前とタイプ以外にも、【イバラキドウジ】自身のステータスや、俺への各ステータス補正などがあった。
ステータスを確認してみると、……エンブリオ自体のステータスは低い。今の俺の力とほぼ同じぐらいしかない。
補正に関しては、AGIへの補正が高く他は軒並み低い。他と比べてSTRが少し高いぐらいだ。
総評するなら、微妙。
見てくれは強そうなのに、中々どうして弱いじゃないか俺の右腕……。
いや、まだだ。まだスキルがある。ステータスが貧弱なら、代わりにカースさんが言ったような強いスキルがある可能性も……
微かな希望に縋りつくように、『保有スキル』の項目を開く。そこには、
「……なんだこれ?」
ある意味異常なスキルが記載されていた。
目につくのは、《逃走心》と銘打たれたスキル。
効果としてはシンプルである、俺自身のステータス増加。詳細を言えば、最初にしては強すぎる――END、AGIを二倍化するスキルだ。
これだけだったら、俺も手放しに喜べた。……だが、後に続く一文が俺の目を疑わせた。
――ただし、この効果は『逃走』時限定とする。
文面そのままに受け止めるなら、このスキルは逃げる時しか一切役に立たないモノらしい。
どれだけステータスが上がろうとも、戦闘には使えない。多少逃げやすくなるぐらいなのだろう。
つまり、俺のエンブリオは簡単に言うなら……逃げることしかできない鬼だということだ。
「『逃走』の性質を持つエンブリオってことかよ……」
こんなのが、俺のエンブリオ?これが俺の可能性?
……まぁ、そりゃそうだよな。俺なんかに強い能力が生えるもんか。
高いAGI補正も逃げ足が速いだけということだろうか。
納得した。確かにこれは俺の可能性の結晶だ。
「しょうがないか。どう否定してもこの右腕が“俺”なんだもんな」
まぁいいか。……エンブリオの事はもういい。次に何をしようか考えるか。
この近くに何があるんだろう。そう思いながらマップを開いてみる。
「おっ、ショップがここから近いな」
ここから歩いて五分くらいの距離に装備品を売っている店がある。
ジョブ取得の前に予め買っといても良いかもしれない。……木刀は虫に斬られたし、初期装備は血染めになってしまったしなぁ。
……そういえば、現在俺が着ている服って手術服のままだったな。ギルバートさんにいつか返さないと。
そうするためにも着替えなければ。やっぱり最初に装備を整えるか。
(では、行きますか)
◇
店の扉を開けると、目に入るのは色とりどりの武具だった。
鈍色に光る金属鎧や、上質そうな革鎧。鉄塊のごとき戦鎚やステレオタイプな魔法の杖。
ゲームの中でしか見えなかった光景が広がっていた。
そうだよ……俺が求めていたのはこれなんだよ……。
「いらっしゃい」
一人で感動している時に、店主らしき人が話しかけてきた。
顔はひげでもふもふしてるのに、身長はとても小さい。ドワーフだろうか?
「あの、初心者用の装備ってありますか?」
「それなら、こっちだ」
店主に指さされた方向へ向かう。
そこには、簡素な防具やシンプルな片手武器が置かれている。
五千リルをやり繰りして買わなければいけないので、防具一式と安い武器一つにしとくか。
(防具は……これでいいか)
手に取ってみたのは【ライオット】シリーズ。軽装鎧や篭手、ブーツやズボンでセットだ。
値段は予算を多少超えた額だが、まだ許容範囲内。
防具職人謹製の物ではないので、スキルは付いてないがそこは我慢だ。
(……そういえば、イバラキドウジ自身に防具は装備できるのだろうか。
マスターとは別に、武器などを装備できるガードナーがいると聞いたことがある。俺の右腕と融合しているが、一応、これはガードナーなんだ。もしかしたら、アクセサリーとか独自に装備できるかもしれない)
思いつきでイバラキドウジの項目を開いてみる。
探してみて三十秒。装備欄はあることにはあった。……”篭手”としか表記されていなかったけど。
本当に俺の肉体扱いなんだなイバラキドウジ……。『私は腕です』とでも言いたいのだろうか?
まぁ、だめでもともと。気にしないで次にいこう。
武器は何にしよう。ジョブごとに扱える武器は違うのだから、ここは慎重に考えねば。
(どんな職に就こうか?……俺が戦うなんて無理に決まってるだろうから後衛職にするか。だったら、【魔術師】とかかな。《逃走心》で逃げつつ、魔法を放つなんてのも面白そうだなぁ)
適当に方向性も決めたので、木製の魔法の杖を右手で握ってみる。ほんのり暖かくて気持ちがいい。
これでいいか。じゃあ、買った後は早速【魔術師】を取得してみよう。
「すみませーん。この防具と杖くださーい」
「あいよー。じゃあこっちに持ってきてくれ。って、あんちゃん。右腕なんかプルプルしてっけど大丈夫か?」
店主に買う旨を伝えようと思ったら、なぜか心配された。
えと、俺の右腕がプルプルしてるって?……もしかしてなぁ?
何か嫌な予感がしつつも、右腕……イバラキドウジを見てみる。
イバラキドウジは俺の意志とは無関係に動いていた。独立している一個体のように、俺の五指だったものを蠢かせている。
突然の事で動きが止まった俺を尻目にイバラキドウジは猛スピードで、俺が小脇に持っていた魔法の杖を奪った。
「お前、動けて!?」
そして、俺の腕はどこから出ているのか不思議なほど、強烈な力を込めて杖を握って……いや、握りつぶそうとしていた。
「って、止め!?」
止めさせるために左腕で右腕を杖から引きはがそうと試みる。だがしかし、万力のごとき力を出す右腕はビクともしなかった。
(おかしい……!イバラキドウジのステータスは俺と同じだったはずだ。ならなんでこんなにも力の差があるんだよ!?)
俺の努力もむなしく、イバラキドウジは杖をミシリミシリと徐々に潰していく。そして最後には、器用に杖全体を折りたたむように潰していって、ただの木っ端に変えてしまった。
そして、まるで役割を終えたかのようにイバラキドウジは停止し、俺に腕の使用権を明け渡してきた。
……わけがわからない!
「な、何で。何でこうなったんだよ……!?」
「……あんちゃん」
店主の怒りの声が聞こえてくる。
……理由はお察しだった。
「……弁償な。千リル」
「……はい」
どう見ても俺が杖をぶっ壊したようにしか見えない光景だった。店主にどう言い訳しようが無駄だろう。
……店主に悪い事したなぁ。
「弁償分と防具代合わせてこの金額な」
「おっふ……」
防具しか買えてないのに資金の大半が吹っ飛んでしまった。いけない、このままでは素手のまま戦闘しなければならない事になるぞ!?
「あの、すみません」
「……あっ、なんだ?」
「この金額で揃えられる武器ってありませんかね……?」
自分が提示できたのは、少しのリルだけ。図々しいかもしれないが、これでせめて何か使えそうな物が欲しかった。
「たったこれだけでか」
「すみません……」
「……一つだけならある。ちょっと待ってろ」
そう言って、店主はカウンターの奥へと入っていった。このお金だけで買えるって何があるんだろうか。
五分後、店主が戻ってきた。
「ほら、これだ。あんまり人気がないから値下げした物がちょうどあったぞ」
そして店主は、俺にぶっきらぼうに差し出してきた。
手のひらの中には、ある二つの金属プレートが入っていた。
それは、板と四つのリングがくっついたような物で、どこか犬の足を思わせる形状。
……一言でいうなら、メリケンサックだった。
「……これそんなに人気無いんですか?」
「ああ。基本、武器持った方がリーチもあるし、威力もある。新米の時から殴りにいくバカはそうおらんからな」
「なるほど」
確かに相手と超至近距離で殴り合う人なんかそういないか。
まぁ、俺にはメリケンを購入する道しかないから、今度からそれをせざるを得ないんですけどね!
「……買います」
「あいよ。今度は壊さないでくれ」
メリケンを購入し装備してみる。左手は異常なし。……右手も異常はない。今は動かないようだ。
しかし、なんでイバラキドウジは動いたんだ?杖がだめで、メリケンが大丈夫なのも何でなんだろう?
……もしかして、俺が後衛職に逃げることを許さなかったとか?だとしたら、本当に何なんだよ俺のエンブリオは……?
「……まぁいいか」
「ん?何か言ったか」
「いえ、何でも。今日はありがとうございました」
「おう。またの来店、待ってるよ」
そして、俺は店を出た。
次はジョブを決めよう。……と言っても、メリケンを買ってしまったからもう決まったようなものだ。
「【拳士】取るしかないかぁ。はぁ……」
では、ジョブクリスタルへと行こう。
■とある路地裏 【■■■ ■■■】
「よぉ、ジョン・スミスの旦那ぁ」
「やぁ、来たのかい」
時刻はザトーが病院にいる頃に遡る。
王都アルテアにある商業地区の細い隙間。そこに、ある二人の男が立っていた。
一人はジョン・スミス。さっきまでザトーと会話していた男だ。
「ふむ、その名前で私を呼んでいるということは、さっきの会話を聞いていたのかい?」
「えぇ。そりゃあバッチリ。偶然にも旦那の姿が見えたから後をこっそりと尾行していたのさぁ」
「おかしいな。会話の間はちゃんと認識を消していたのだが。」
「一応、旦那対策のアクセサリーは日ごろからつけてましてなぁ」
ジョンではない方の男は端正な顔をニタニタと歪ませながら答える。
「そうだったのか。ふむ、君のその用心深さは評価に値するな」
「ありがたきありがたき。……そういえば旦那ぁ」
「むっ、どうした?」
男は壁にもたれつつ、頭に浮かぶ問題を口にする。
「どうして、あの男に【ジェム】なんて与えてワープまでさせたんだぁ?いつもの旦那なら、トラウマを抉りに抉ってそのまま殺すのにぃ」
男の問いにジョンは少し前のめりになりながら答える。
「そうだな、ザトーの心傷は私にあまりないものだったから、というのが一つの理由だ。
そして、もう一つがね……面白そうだったからだ」
男は首を傾げる。
「面白いって……あのどこにでもいそうな初心者に何を見出したのさ旦那ぁ?」
「深く彼を観察して分かったことがあるんだ。彼の奥底に眠っていたのは、大きな”諦念”と……それよりも大きな、誰かへの”羨望”。まぁ、おおかた
「?」
「そして、ちょっと思いついたんだ」
「何をさぁ?」
その問いにジョンは、お菓子を前にした子供のように調子を跳ね上げて言う。
「―-その両方の感情を掻き立てるような出来事を起こしたら、彼のエンブリオは一体どうなるんだろうかな、ってさ」
「え、それって--
どす黒き好奇心に彩られた考えだった。
常人が聞いたのなら顔をしかめるような答えを聞いて、男は――
「―-最ッ高じゃないかぁ!楽しそうだなぁそれぇ!」
満面の笑みだった。一切の邪気もない純粋な笑顔だった。
「本当に君は素直だね。欲望に正直と言うべきかな?」
「いやぁ、だってさぁ。こんな事めったにないんだぜ。だったら楽しむべきだろぉ!」
「ふふ、それもそうだな」
路地裏に笑いが満ちる。最も、話している内容はとても正気のモノでないが。
「まぁ、これはお楽しみというやつだ。本題は別さ」
ジョンの言葉に男は目を輝かせる。
「おっ、もしかしてさぁ。
「そうさ、やっと
「いいねぇ!遊びも必要だもんなぁ!」
男は興奮からか、クルクルとバレエダンサーのように回る。そして突如、飽きたかのようにピタリと止まった。
「そういや、始める前に最終確認とかあるか旦那ぁ?」
「む?そうだな……。とりあえず意思確認でもしておくか」
そして、ジョンは男に改めて向き合う。
「アンセム。
男……アンセムは楽しそうに答える。
「もちろんさぁ
「わかった。では今より計画を始めよう」
アンセムと■■■。二人は向き合って再度笑いあう。
「―-世界をかき乱すぞ」
「応!」