第■話 改変――始まり
□■ある人物の記憶――閲覧不能・削除済み
暗い空を見上げている。
灰を敷き詰めたような空を。
そろそろ雨が降るのだろう。このままでは雨に打たれてしまう。
雨は
このままならば、俺は死ぬ。無様にこの世界に何も残せずして、ただ躯をさらす。
だが動こうと思わない。動く気力がない。生を諦めたわけではなく、生に頓着する気も失せるほどの絶望が、俺の身体を縛っている。
◇◆◇
俺は此処に生まれた。
ドライフ皇国を統べる皇王が座す皇城のお膝元。皇都ヴァンデルヘイムの
薄汚れ、窓が割れ、建物に罅が入り、そして時折人がのたれ死んでいる。俺はそんな劣悪な環境で生きていた。もっとも不幸を嘆く気はない。周囲には俺と同じような人間がそれなりにいたし、不幸を嘆く暇があったら食べ物を奪い、戦わなければ死んでいたから。
それに俺たちは恵まれていた方だっただろう。表通りに料理店を経営していた女将が、余った食べ物を時折俺たちに融通してくれていたおかげで、俺たちの餓えによる死はそれほど多くは無かった。仲間たちも同じ境遇の同士として、お互いに思いやり、手助けをしあえる関係を築けていたからだ。
だが…………それでも死が無かったわけではない。
寒さによる死。生活の場を守るための死。犯罪が官警に見つかり彼らによってもたらされた死。
そして……モンスターによってもたらされる死。
今回もそうだった。今の俺たちが生き延びる為には、多少なりともモンスターを倒して、その報酬によって食いつなぐ必要が如何してもあった。
もちろん、俺たちが強力なモンスターを相手にできるわけはない。一応、外で戦うメンバーは全員ジョブに就いているが、それでも下級職ひとつを満足にあげてさえいない。そこらによくいるレベルだ。今だ戦闘系のジョブに就くような年じゃない俺たちは、戦闘の邪魔になるために外についていくことはできず、皇都の中で請け負う事ができる簡単な依頼の手伝いぐらいをするぐらいしかなかった。
そんな俺たちが請け負ったのは、地下に住み着く鼠の駆除。モンスターと言う事さえないような、ただの動物を人海戦術ですこしずつ仕留めていき、その討伐数によって報酬が与えられる雑用依頼。冒険者にはこんなものを受ける気がない人が多く、また冒険者に頼む必要さえない以来の為、こうしてスラムに住みつく俺たちにも依頼が回って来ている。
そうして俺は
最初は順調だった。いつもどおりの代り映えのしないネズミ討伐の風景。
討伐クエストを受けるような当時下級職に就いていた仲間たちも参戦して行われたネズミ駆除は、本来なら何事もなく終わるはずだった。
それが変わったのは、ネズミ討伐を始めて一時間程度が過ぎた時の事、突如悲鳴が聞こえ、それを聞いた俺は急いで悲鳴の発生源へと向かい、そしてそのモンスターと出会った。
出会ったのは【ビッグ・マウス】という変哲のないただのモンスター。〈UBM〉どころか上級モンスターでもボスモンスターでさえないただのモンスター。そこらの下級ティアンパーティー程度でも、簡単に倒してしまえる程度のモンスター。
しかし、こいつは今の俺たちでは倒せないほどに強かった。
もし、最初からこんなモンスターがいると分っていたら、戦闘を行えるパーティーが組んで戦っていれば、勝てたかもしれない。だが、7人の戦闘員は、その内の一人が最初の奇襲で死に、残りも各個撃破されてしまったらしい。
勝てないと分ってからは、俺たちはただ逃げた。追ってくる【ビッグ・マウス】から逃れる為に、わき目も振らず全力で。
走りながら、横を走っていた仲間の一人にどうしてこうなったのか問いただした。
彼は最初に【ビッグ・マウス】を発見したと、危ないと大声で喚起した人間だ。なぜ、こうなったのか理由を聞くなら、こいつが一番だろうと思ったからだ。
全力で走りながらで、息も絶え絶えだったので、彼の説明はとぎれとぎれだったが、要約すると以下のようだ。
地下通路のある箇所のネズミ駆除を行っていた際、たまたま隠し通路を発見し、そこを覗いてみたところ、モニターがあってそれを適当に操作していたら、どこかの映像が映し出されたらしい。
その映像にはいろいろなドラゴンやらがいて、ずいぶん壮大だったそうな。寒そうな風景だったらしいけど、その内の一体には虫が張り付いていたので、そこまで厳冬というわけでもないみたいとのこと。
それはともかく、その後、しばらく眺めていたら、突然背後から大きな物音がして、振り向いたら、あの【ビッグ・マウス】が仲間たちを殺して喰らっていたので、急いで逃げ出した。
それが事の顛末とのこと。やはりよく分からないな。
詳しく効きだした後は、ただ走り続けた。
俺たちのすぐ後ろから聞こえる断末魔を無視して、助けを求める声を聞かずに、ただ走り続けた。一人また一人と生が懸かったレースから脱落していくのを見ながら走り続け、気がついた時には地下から抜け出していた。
あの暗く死が蔓延った地下から抜け出すことができて安堵をおぼえる中、俺と同様生き残った数少ない仲間が後ろを指さしながら、声を上げた。
その声によって、俺は安堵による弛緩が抜け落ちて、再び身体に緊張が満ちる。同時に現在の状況を把握する余裕が生まれた。
生き残った人間は俺を含めて9人。そしてその内の一人が指さした先に居たのは当然【ビッグ・マウス】。
ジョブに就いていないレベル0の人間とはいえ、数十人も殺したことで、そのレベルもあがりさらに強大になっていた。レベルが低いとはいえ、戦闘職に就いていた人間も7人殺している。
これで俺も死ぬ。そう思った俺の前に、絶望の淵に立たされた俺たちの前に、一人の男が立ちふさがった。
その男は手に持ったジェムを【ビッグ・マウス】に投げつけると、ジェムは爆炎を上げて燃え上がる。
俺たちにとっては絶望的だった敵が、たった一発のジェムによって死亡する。この時は知らなかったが、どうやらこのジェムは《クリムゾン・スフィア》を込めたものだったらしい。いくら俺の仲間たちを殺しまわったといっても、そのレベルは1か2程度上がって10かそこらになった程度。上級の奥義を喰らって生き延びる事は、さすがにできなかったのだろう。
これで終わり。
これで俺たちは助かった。
だが、これで失ったものもまた多い。
その後は、助けてくれた男がクエストの報告を行い、俺たちは幾ばくかの報酬を受け取り男と別れた。
そして別れることになったのは助けてくれた男とだけではなく、俺たちもだった。
理由は言うまでもなくクエストによる仲間全員の死が原因。
残りの仲間はすでに十人。共同体として生きていくのには、あまりにも少ない。助け合っていくのには数となにより力が足りなかった。
助けてくれた男が去り際に、人材をスカウトしているという話を聞いて、俺以外の人間は、これからも生きていくために離れていった。
俺も助けてくれた男と仲間たちの両方に誘われたが断った。受けたい理由がなかったし………そして、受けてはいけないと心のどこかで思っていたからだ。
それから、しばらく俺は一人で生きた。
俺の仲間たちがすべていなくなり、真っ当ではない人間の多いスラムといえど、それでもコミュニティは多く、助けてほしかったら助けてくれる所もあった。もっともその場合は雑用・下っ端から始める事になるだろうが、それを許容できれば生にしがみつきたければそうすればよかった。
だけど俺はそうせず、あくまで一人で生きた。
そうした理由は絶望からだ。友を失い、これから生をしがみつくこともせず。
そうしてしばらく生き続けて………そして、俺は今ここにいる。
◇◆◇
一人で生きていくと決めてから、ここにいたるまで紆余曲折あったりもしたが、それは端折ろう。
今大事なのは、おれがこのスラムの一角で、誰にも知られずに命を終えようとしているということだから。
ぽつり、と顔に水滴が落ちる。
どうやら降ってきたようだ。
先ほどまでは曇っていたとはいっても、まだ雨が降るようには思えなかったが、過去を思い返しているうちにずいぶんと雨足が近づいてきていたようだ。
これが走馬灯というやつなんだろう。ずいぶんと懐かしいものを思い出してしまった。
一粒の塊は、やがて幾つもの
雨がどんどん強くなってきていた。
このままここにいたら、雨に打たれて体温を奪われ……そして死ぬ。
でも、絶望と倦怠に包まれた俺の身体と心は、俺が物影に隠れることを拒絶する。
もう、そんなことをする必要はないと。もうこのまま死んで、仲間の元へいっていいと。
俺と一緒に助かった他の奴らは、また別の人生を歩んでいる。助けてくれた男の元で、彼と同じジョブに就いて、彼と同じ道を歩んでいるらしい。あの男の指示で再び、スカウトに来た仲間だった男と会った時に、そう軽く話を交わした。
その時、俺も彼と一緒にいこうと、再び誘われたが………やはり断った。そして彼らも俺の事はもう誘わなかった。
生きる理由を失い惰性で生きるようになった人間を、仲間などにしたくは無かったのだろう。もっとも断った理由は、それだけが理由ではなかったけど。
別に彼らの事をどうこう思っているわけではない。
一つの理由として、彼らとともに歩む未来に希望を見出せなかったという物があるし。
一つの理由として、あの助けてくれた男が真っ当なようには見えなかったからだ。
昔から人を見抜く観察眼には優れていた。こういった生まれと生き方をしてきたからだろう。俺には大体の人の善悪と、人の良し悪しと、人のなりというものを軽く観察しただけでわかると言う特技を身に着けていた。
この世界でジョブに就くことで身につけられるスキルとはことなる、天性の自前の物。
俺はこの感覚で幾度もこちらをだまそうとした悪人を察知し、回避することに成功していた。
そんな感覚をもつ俺からみたあの男は、黒だ。悪人……とはまた違うのだろう。善悪を超えた別の理由で動き、目的のためなら手段を選ぶという事をしないタイプの狂人。
俺はあの男をそう看破したから、彼らについていかなかった。あのような手合いについていった先に、絶望よりひどい死が待ち受けているような気がしたからだ。
それが間違っていたか正解していたかは、もうどうでもいい。
死にゆく人間が考えるべきことじゃないだろう。
そうして、雨が俺の体温を奪い。雨が俺の残り僅かな生きる気力を奪い。
死神の指が触れようと言う段になって………
誰もいなかったはずの、裏路地にいきなり現れた。
一万を超えるAGIによって引き起こされる、神速の速さによってここに来た訳ではない。
彼のステータスは今だに、一般人のそれと変わらないが、勘でそして此処に来た時にソニックブームの一つも起きなかったことがそれを裏付ける。
まるで噂に聞く転移魔法のように、忽然と姿を現したその女性。
髪は腰に届くほどに長い純白色の綺麗な髪。
瞳も白っぽく、銀や灰色のような薄いだけど綺麗な色。
背の丈は150程。見た目からしておそらく15才かそこらだろう。
神秘的な美しさを誇り、神がその全霊を持って創造したと言われても頷いてしまうほどに可憐な少女。
死を望んでいたはずなのに、俺はその少女を一目見ただけで顔がほてってしまった。雨で体温を結構奪われていたはずなのに。
その少女は雨に濡れながら、その小さな口を開く。
「状況把握。どうやら成功のようですね。アリスはよくやってくれました、人気のない所への秘匿転移は難しいと聞いていたのですがよくやってくれましたね。出来ればこんな雨の日じゃない方がいいんですが、晴れの日よりこういった天気の方が一目を避ける事ができるのはわかる…………って、失敗しているじゃないですか」
少女はひとりでぶつぶつとそんなことを呟いていたが、どうやら俺の事に気がついたようだ。
その少女は俺に気がついた途端目を見張り、手をかざしながら俺に近づいてくる。
少女の行動に、不穏な物を感じながらも、なにか行動を起こす気にもなれず、その少女の姿を目に焼きつけながら、
「仕方がありません。まだ根回しが済んでいませんが、ここは改竄するべきですね。小規模な力の発現だけなら問題ないでしょう。さて、一応どういった人間か確認してみますか……《記録閲覧》……って、へぇ?」
こちらに害を為そうとしていた、少女の顔が愉悦に満ちる。
そのまま彼女は、ほう、ほう、と頷きながら何かを考え、そして再びこちらを向いた顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「よろこべ少年。君が捨て去ろうとした命、人生、そして理由。この私が有効に使ってあげましょう」
そんなことを言ってきた。
「いや、なかなかに丁度いい物件だよ君は。私としても協力者はなるべく確保しておきたかったのですよ」
「へ、なにを言って………」
彼女の物いいに対して、声を出してしまっていた。死を許容しようとしていた俺がである。
それほどに、彼女の存在は俺にとっての起爆剤だったのだろう。
「いえ、私としてもそこらへんから軽く見積もればいいじゃない、と思うんですが。あの小うるさい■■■はそこらへんに細かいですしね。彼女からは『いじっていいのはうわべだけ、対象は世界に影響のない範囲かつ死に瀕しているもののみ』という、厄介な誓約をかけられてしまいましたしね。そんな好都合な人物、早々現れないと思っていたんですが」
そういってかざしていた手を地面に座っていた俺の肩におき、続ける。
「あなたは世界に記録が残らない類いの人間であり、そしてあと少しで死にそうであり、そして何より私への想いが悪くない。だからあなたを選びましょう。変える人間にくわしく説明する必要はないとは思いますが、それでは不義理ですし、なにより私の有り様として好まない。なので少し落ち着ける所に場所を移しましょう」
手が差し伸べられる。
彼女の言っている意味がひとつもわからないが………どうやら、俺を必要としてくれているということだけは分った。
俺の観察眼からも、俺の存在をほんとに喜んでくれているように見える。
たぶん、それは真っ当な理由ではないのだろう。彼女は俺が生きていることを喜んだのではなく、ただ単に探す手間が省けたことを喜んでいる。
俺を助けてくれた男と同じく、彼女もまた目的のために手段を選ぼうとはしないのだろう。どんな手段でも使う、というよりはどんな手段だろうが面倒なことを避けられる方法を取りたいといった感じだが。
だけど。
だけど、それでも。
俺は彼女に必要とされていると分って、彼女がまた俺によって助かったと分って。
俺はそれに喜びを感じた。
たぶんそれは、彼女だったからだろう。
たぶん、俺は俺でなくなる。それでも彼女のために変わるのならそれでもいいと、そう思ってしまった。
そして、俺は彼女の手を取る。
「ありがとうございます。さて、軽く自己紹介と、これからについて話しましょう」
そう言いながら、彼女は俺の手を引き、立ち上がらせてくれる。思ったより力があるようだ。
「私の名は………そうですね? 真名をいうわけにはいきませんし………アカシャとでも呼んでください。もっとも、そう呼べる期間はそこまで長くはならないと思いますが」
立ち上がらせてくれた彼女は、そのまま手を引きながら俺を屋根のある所へ連れて行く。
「あなたの名は……そう、ジャックと言うのですね。……ああ、私があなたの名をわかったのは、よんだからです。得意なんですよ、こういうこと」
名乗っていないと言うのに、俺の名を呼んだ彼女………アカシャに対して首を傾げると、彼女は首を傾げた理由がわかったようで、ふふふと笑いながら俺に説明をしてくれる。
「さて、あなたにしてもらうのは、私のサポートです。これから私は一人の
全てを理解できているわけではない。
だけど、これからずっと彼女のために生きていかなくてはいけないらしい。……生きていくことができるらしい。
「これから私があなたに見せるのは二つの奇跡。私が世界を変え、あの老害が私を変える。そして最期にあなたを変える」
ジジイというのが誰かは気になる。どうやって変えるのだろうか。
「そこからはあなたの仕事です。私に仕え、私に尽してください。力を与える事は出来ませんが、おそらくそれがあなたの望みでしょう」
アカシャが俺の瞳を覗く。
俺の魂の奥まで読み取るような、深いまなざしにすこし気おくれした。
だけど、やめたりはしない。彼女の言う通り、今の自分を変えつつ、アカシャの役に立てるならそれでいい。
俺は頷く。
彼女の契約を受け入れる。それは悪魔との契約か、神との誓約か、どちらかはわからないが、どっちにも当てはまりそうな気がする。
「さて、私の担当は全部だとして………私がどこに転生しましょうか? それは決めていませんでしたが………そうですね、貧乏だったり地位が低いと大変そうです。皇族に生まれ変わりましょう!」
詳しくはわからないが、皇族になる方が面倒事が多い気がするんだが……
「えっ? そんなとこに転生させるのは無理? 嘘言わないでください。あなたの力なら簡単な物でしょう。えっ? 母体がいない? 第1~第3はすべて対象に出来ないですって………、いいでしょうそこまでいうのなら、面倒ですけどわたしが4番目を造ってやろうじゃないですか!」
なんかすごいことを話しているな。
だれかと遠距離会話しているんだろうが、内容がものすごい。というか、楽をするためにわざわざスケープゴートだかなんだかしらないが用意するのは、それこそ面倒じゃないのか?
「ええ! わかりましたそれでいいです………、と。お待たせしました、あのジジィとの話し合いが終わって、どうにかなりそうです。さて、それじゃあ、こちらもそろそろ実行に移したいと思います。思いのこしたこと、伝えたいことなど何か残っていますか?」
「ない」
二文字で軽く返す。
もう、おれには思いのこしたことも、誰かに伝える相手もいない。
おれがどう変わってしまうかはわからないが、もう始めてくれて構わない。
「………そうですか。わかりました」
アカシャが両手を広げる。
それと同時に彼女から威圧感がひしひしと伝わって来る。普通の人間じゃないとは思っていたが、この威圧は普通じゃない!
そして彼女は、本当の名とともに、力を解放する。
その
「《|我は■■の書架を開き、世界の果てを記録する《■■■■■■■■■》》」
――そして、俺の世界は改竄された。
To be continued