放課後……部活に入っていない俺にとっては、ただただ束の間の自由を謳歌するだけの時間。
そんな時間に、俺は何故か秋葉原まで来ていた。
夕方の秋葉原の街は、観光客以外に、下校中の学生も結構いて、かなり賑わっていた。
「どうぞ~♪」
メイドさんからチラシを受け取り、それをそのままポケットに突っ込む……別にメイドさんに会いに来たわけじゃない。割と好きなんだけどね。
わざわざ秋葉原まで来たのは、先日の電話での西木野の悩みが、どうなったか気になったからだ。
普通に考えれば、電話やメールで聞けばいいのだが、小町が朝っぱらから、「真姫さん大丈夫かなぁ?やっぱり本人に直接会わないとわからないかなぁ……チラッ」とかやってて、変なアピールをしてきたのも、こんな行動に出た理由の一つだろう。
可愛い妹が気にしてるなら仕方がない。
……とはいえ、どうしたものか。
女子高まで行くのは絶対に嫌だし、自宅まで行くのもなんか嫌だ。かといって、この場所偶然出会う可能性にかけるのは無謀すぎる。
……あれ、これ案外無理ゲーじゃね?と考えたその時……
「え?」
そこで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……おう」
まさかの遭遇……てかまだ心の準備ができてないんだけど……。
西木野は、信じられないものを見るような目をこちらに向けていた。
「な、何で?」
「い、いや、まあ、その、なんつーか……」
「……もしかしてストーカー?」
「いや違ぇよ……てか、案外元気そうじゃねえか」
俺がそう言うと、西木野はまた驚いた表情を見せた。
「……心配してくれてたの?」
「まあいきなり電話切れたし……」
「あ、あれはあなたが悪いんでしょ!」
「は?何がだよ」
「だって、いきなり…………から」
最後のほうがボソボソとしか聞こえなかった。しかもやたら顔が赤いのは気のせいだろうか。
「あー……わ、悪い、もう一回言ってくれないか?」
「だから、アンタがいきなり、可愛いとか言うからでしょ!バカっ!」
「…………」
どうやらこの前、俺は咄嗟にそのような事を口にしていたらしい。眠かったとはいえ、一生の不覚。
うわぁ、恥ずかしすぎて死にそう。今すぐにでも帰りたい……。
「すまん」
「えっ!?べ、別に謝らなくても……悪口とかじゃないんだから、それに……」
「?」
またぼそぼそ喋る彼女に首を傾げると、今度はいきなりの距離を詰めてきた。
「と、とにかく!せっかく来たんだから、お茶でも飲んでいきなさいよ!」
「……え?」
*******
西木野邸に入ると、高そうな絵画が飾られている玄関や、一歩踏み出すのも躊躇うような高級感のあるカーペットも、前よりは緊張せずにすんだ。
「ちょっと待ってて」
まさかこんな事になるとは……てか、誰もいないのかよ。
……そんな信頼されても困るんだが。いや、単に鈍いだけなのか?
「……はい」
「ど、どうも……」
西木野によって淹れられた紅茶がテーブルに置かれる。上品な香りが鼻腔をくすぐり、普段自分で買っているような物とは質が違うのが、何となくわかった。
彼女もソファーに腰かけ、二人してカップに口をつけると、氷が溶けていくような温かな沈黙が訪れる。
そんな中、まず口を開いたのは彼女からだった。
「昨日の電話の件なんだけど……」
「…………」
「私、スクールアイドルの曲作りだけやってみる事にしたわ」
「……そっか」
「まあ、その……あの人達、朝だけじゃなく放課後頑張って練習してるみたいだし?あそこまで熱心に頼まれたら断りづらいというか……」
「……まあ、いいんじゃねえの?つーか、本当に曲作りできたんだな」
「あ、当たり前でしょ!私を誰だと思ってんのよ!」
西木野の表情は、どこか前向きな輝きが垣間見えた。そして、そのことが彼女の音楽への愛情をわかりやすく表していた。
耳朶を撫でる声も、なんだか心地いい。
「な、何よ……」
「いや、別に」
早くも五線譜からメロディーを探そうとしているような瞳が、やけに眩しかった。
*******
それから、変な先輩とやらのしつこい勧誘について、事細かに話を聞かされていると、いつの間にか一時間ほど経っていた。
そろそろ出ないと、千葉に帰るのが深夜になりそうだ。
「……じゃ、俺はもう帰るわ」
「あ、そうね。……あのっ」
西木野は、手をもじもじさせながら、視線をこちらには向けずに行った。
「……心配してくれてありがと。曲、できたら……いえ、何でもないわ。帰り気をつけて」
「おう……じゃあな」
リビングの扉に手をかけると、ポケットから紙切れが落ちた。あれ?何か入れてたっけ?
「落としたわよ…………へえ?」
西木野は作り物めいた笑顔をこちらに向けてくる。それだけで、何を落としたのか気づいてしまった。
「ふ~ん。そうなんだ……比企谷さん。メイドさんが好きなの?」
「い、いや、それはたまたま路上で……」
何故かわからないが、焦って言い訳してるような口調になってしまう。
落ち着け、俺。疚しいことなど何もないはず……だよね?
西木野は俺から視線を逸らし、もう一度チラシを見てから、またさっきみたいにジロリと俺に冷たい視線を向けた。
「じゃ、楽しんできてね。メイド好きの比企谷さん。私、今から曲作り始めるから」
「……おう」
何とも言えない気持ちで、俺は西木野の家を出るはめになった。
西木野はぶつぶつ言いながらも、結局玄関の外まで出てきてくれた。
*******
メイドだって……これだから男は……。
比企谷さんもああいうのが好きだったのね。別にどうでもいいけど。
……メイドか。
私はテレビで見たイメージをなぞるように、鏡に向かい、頭を下げてみた。
「……お、おかえりなさいませ。御主人様」
「あら、真姫ちゃん。どうしたの?メイド喫茶でバイトでも始めたの?」
う、嘘でしょっ!?
いきなり人がいたことよりも、羞恥心が頭の中を埋め尽くした。
「い、いつ帰ってきたのよ、ママ!?ていうか、勝手に入って来ないでよ!」
「あらあら、可愛かったのに~」
「そういう問題じゃない!」
も、もうっ、これも比企谷さんのせいなんだから!
私は比企谷さんに心の中で毒づきながら、このどうしようもない恥ずかしさを誤魔化した。
……でも、来てくれたのは、ほんのちょっと嬉しかったかも。ほんのちょっとだけど。
「真姫ちゃ~ん。さっきのメイドさん可愛かったから、もう一回やって~」
「や、やるわけないでしょ!」