「は、八幡?」
疲労で幻でも見てるんじゃないかと思った。
だが目の前にいるのはどこからどう見ても間違いなく八幡だ。
「え、何でいるの?明日、イベントでしょ?」
「ああ、だから今日早く帰れたから来たんだよ」
「そんな日くらい早く帰って休みなさいよ」
「もしかして迷惑だったか?」
この男は何を言っているんだろうと思いながら、私は距離を詰め、その胸に手を置き、額を当てた。
「そんなわけないじゃない、いちいち言わせないでよ。バカ」
「悪い」
八幡の手が頭に置かれて、その温度が伝わってくる。
寒空の下だからか、いつもより頼りなく感じられる温もり。それでも固くなった心を解きほぐしてくれる優しさがそこにはあった。
「……寂しかった」
「気が合うな。まあ、俺も……寂しかった」
八幡の口から出たとは思えない「寂しかった」という言葉に何故か自然と口元が緩んでしまう。
「今日はやけに素直じゃない」
「そりゃあな。わざわざここまで来て気取る必要もないだろ」
「それもそうね。あの……少し上がってく?」
「いや、ちょっと顔見に来ただけだから、もう帰るわ」
「……そうね、じゃあ……」
「ん?」
八幡は首を傾げている。ったく、この男は……
「せっかく来たんだから抱きしめていいって言ってるのよ。ほら、早くしなさいよ」
「そっか、じゃ遠慮なく」
八幡は苦笑しながら、そっと私を引き寄せてくれた。
その不器用な手つきも、すっかり覚えた温もりも、まるで二人が世界から切り離されたかのような静寂も、すべてが愛しい。
やがて、八幡は体を離し……いきなり唇を重ねてきた。
予想外すぎて体が強張るが、それもすぐに収まり、数秒間そのままでいた。
再び八幡の体が離れると、彼は控えめに手を挙げ、口を開いた。
「……じゃあ、また……」
「ちょっ、待ちなさいよ!びっくりするじゃない!」
「い、いや、まあ……そういう気分だったと言いますか……」
「もう……でも、ありがと。明日はお互い全力出し切るわよ」
「だな。未来の社畜らしくやるか」
この雰囲気に似つかわしくない単語を吐き出した八幡は、「それじゃあ」と背を向け、のろのろと歩き始めた。
そして、角を曲がる前にちらりと振り向いて、小さく手を振った。
こちらも同じように手を振ると、自然と頬が緩む。
その姿が見えなくなっても少しの間、何故か空白の部分を見つめていた。
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「……今日、眠れそうな気がしないんだが」
帰り道、俺はさっきの自分の言動を思い出し、顔が耳まで真っ赤になってるに違いないことを確信した。