「おお……」
アンプのスイッチ類の機能をざっと理解してから、程々に音を歪ませ、コードを鳴らすと、これまでとは全然違った響きに自然と声が漏れる。
「楽しそうね」
「……ま、まあ、初めてだしな」
多分、俺がもう少し弾けるなら、まだ楽しくなるのだろう。ピックで弦をこするやつとか、今めっちゃやってみたい。まだ怖いからやらないけど。
練習用のフレーズを弾きながら、テキトーに遊んでいると、西木野はおもむろにピアノを弾き始めた。
やたら軽快なリズムの鳴る方に目を向けると、彼女は楽しそうに口元を緩めていた。
「ねえ、間違ってもいいから、何か合わせてみない?」
「……別にいいけど、本当に大したことは出来ないんだが」
「間違ってもいいって言ったでしょ。思いつくまま弾いてくれたらいいわ」
そう言われると、何だかやってみたい気もする。多分、ほんのちょっとだけ舞い上がっているのだろう。
彼女の指示どおりにコードを弾いてみるが、緊張からか、ただ慣れてないからか。ちょくちょくつっかえ、ざらついた音がアンプから漏れてくる。
人生初のセッションは、思わず顔をしかめるような不協和音が響き、俺と彼女はどちらからともなく苦笑した。
*******
しばらく楽器を弾きまくってから休憩を入れると、西木野がおずおずと尋ねてきた。
「そういえば……部活の方はしっかりやってるの?」
「まあ、やる気はハナからないが、強制参加なんでな」
「二人とも~、紅茶どうぞ~」
西木野母が、やたらいい笑顔で紅茶を運んでくる。なんかもう、この笑顔だけでもうちょっと練習しようとやる気が漲ってきそうだ。
そして、西木野母はそのまま腰を下ろした。
「ありがと、ママ……って、なんで話し込む気満々なの」
「え~、いいじゃな~い。ママも八幡君とお話したいわ」
「…………」
マジか。今日この時ほど自分が会話下手なのを呪った日はないぞ。
「まあ、別にいいけど……」
西木野は、渋々といった感じだが、こちらとしては長時間女子と二人きりなのは、さすがに気まずいのでちょうどよかった。
「ねえねえ、八幡君はどっちが好み?」
とか言い出さないかぎりは、戸惑ったりしない。紛らわしくてすまんな。
「ねえねえ、八幡君はどっちが好み?」
「……は?」
え、何?どうしたの、一体?
西木野母に目を向けると、こちらを見て、にっこり笑っている。どうやら気のせいではないらしい。
……マジか。このタイミングでこんなラブコメじみたイベントが起こるとは……。
ここでテキトーにお茶を濁すのは簡単だが、高い機材を使わせてもらい、さらに紅茶やクッキーまでご馳走になって、そんな真似が許されるのだろうか。
……まあ、さらっと答えれば問題ないだろう。片方は人妻だから、そんな気にしないだろうし。
「……あー、その、西木野はまあ、ぶっきらぼうに見えて割と優しいというか、すごくいい奴だと思いますし、西木野のお母さんは、やっぱりこう……包容力があるというか…」
「はあ!?い、いきなり何言ってんのよ!!」
「あらあら、照れるわね」
「……え?」
何かおかしい。
そう思ったところで、西木野はお盆に置かれたクッキーを指さした。
「チョコチップクッキーとバタークッキー、どっちが好きか聞いてんの!」
「……あー、そ、そうか……」
まさかこのタイミングで新たな黒歴史を作る羽目になるとは思わなかった。
やらかした後の何ともいえない空気の中、西木野母は笑いを堪えきれないといった感じで吹き出した。
「あははっ、やっぱり八幡君は面白いわね!真姫ちゃんが見込んだだけの事はあるわ」
「いや、別に見込んだとか……ま、まあ、別に嫌じゃないからいいけど……」
「そ、そうか……」
「本当は嬉しいのよ。真姫ちゃん素直じゃないから」
「ママっ!?ちょっ、比企谷さんも勘違いしないでよね!そんなんじゃないんだから!」
「…………」
ツンデレっぽく聞こえるが、きっと言葉どおりの意味なんだろう。
そう考えていると、西木野は顔を赤らめたまま、ギリギリ聞こえるくらいの声で、何事か呟きだした。
「でも、その、ありがとう……すごくいい奴って言われたのは、少し嬉しいわ……」
「「…………」」
その様子を俺と西木野母が見つめていると、耐えきれなくなったのか、彼女は勢いよく立ち上がった。
「ああもう!はやく続きやるわよ!ママも、もういいでしょ?」
「はいはい。それじゃあ八幡君、バイバ~イ」
「あ、はい。どうも……」
西木野母は、軽やかに立ち上がり、ふわりと甘い香りだけ残し、その場を去っていった。
黒歴史を増やしてしまったのは遺憾だが、あの笑顔で色々チャラにしておこう。
「……………………バカ」
何やらボソッと声が聞こえた気がするが、多分気のせい……だと思う。
*******
それから、しばらくセッションの練習をして、気がつけばもう帰る予定の時間になっていた。
……案外集中したな。終始雑音しか鳴らしてないけど。
機材を片付け、荷物を持ち、玄関まで行くと、西木野も靴を履いていた。どうやら外まで見送ってくれるらしい。
「それじゃあ……今日はありがとな」
「ええ。次会う時はまともなセッションになるのを期待してるわ」
「いや、さりげなくプレッシャーかけるのやめてくれませんかね……」
「ふふっ、冗談よ。あ、今度μ'sの新しい動画上がるから……その……暇だったら、見てみれば?」
「……そうだな。とりあえず見てみるわ」
どちらも素直じゃない物言いに苦笑してしまう。だが、これがきっと俺と西木野のやり方なのだろう。互いが納得していればそれでいい。
「それじゃ、お邪魔しました」
「ええ。帰り気をつけて」
そして、俺は西木野家を後にした。
帰りの電車の中では彼女が奏でる旋律が、頭の中で響き続け、ついついギターをケースから引っ張りだしたくなった。