「愚弟、ゲームやらんか?」
「ゲーム……?」
愚弟は、年の離れた賢兄を見る。
持っているのは、サイコロと筆記用具。
「ゲーム……?」
とりあえず、野球のことではなさそうだと愚弟は理解した。
ファミコンが世の中に登場する少し前のことである。
まだファミコンは世の中に登場していない。(震え声)
子供たちが、面白く遊ぶために頭をひねり、道具を自分たちで作り出していた……そんな時代。
都会なら少し話が違ってくるのだろうが、田舎ではサービス業は貧弱になる。
テレビで紹介される玩具を売っている店などないのだから。
テレビや雑誌で遊びのヒントを手に入れ、それを自分たちで作るのが普通だった。
『人〇ゲーム』を噂で聞いて、双六を自作するのがクラスに何人もいて、どれが良く出来ているかを競い合うような……それが、あの時代の田舎。
そして、自業自得の部分はあるが、この兄弟、学校という集団からは孤立気味であった。
賢兄は、『みんなの邪魔はしないから、自分の邪魔をしないでね。関わったところでお互い不幸になるだけだし』というタイプの天然チートであり、弟は『遊ぶ?いーよ、走り込み?キャッチボール?バッティング?』という、スポ根文明に汚染された野球馬鹿。
遊び相手なんか、見つかるわけがないんだよなあ。(震え声)
兄弟揃って、教室よりも図書室のほうが居心地がいいというタイプ。
なお、どちらも中学校に上がると、少数ながら友人が出来た模様。
というわけで、この賢兄が持ちかけてきたのがTRPG。
テーブルトークRPG……参加者が役割を演じ、審判役となるマスターの与えたクエストをクリアしていく遊びのことである。
……なお、この時点では賢兄の自作である。(震え声)
1974年に生まれた『D&D』が日本にやってきたのが1985年頃で、ファミコンが登場したのが1983年頃。
まあ、愚弟がファミコンの現物を知人の家で初めて見れたのが、2年後の1985年。
当時の、田舎への文化伝達の速度はこんなものである。(震え声)
さて、この賢兄……上の学校に行くことで世界が広がり、後に世紀末覇王の名で呼ばれる知人と出会い、『D&D(海外版)』に触れた。
もともと、ゲームの概念もファンタジーの概念も貧弱だったくせに、TRPGらしきものを自作するような賢兄の世界がこれで一気に広がった。
ケルト神話やら、クトゥルフ神話やら、ギリシャ神話やらの資料が賢兄の部屋に溢れ出す。
もちろん、娯楽のない田舎の人間だけに、野球馬鹿の弟も一気に染められていく。(白目)
野球馬鹿とオタクのハイブリッドの基礎工事である。
さて、このTRPG。
日本における黎明期に、そして地方の田舎にプレイヤーというか、理解者がそうそういるはずもなく。
なのでこうなる。
賢兄。(ゲームマスター)
ちなみにゲームマスターとは、プレイヤーの行動の難易度を判定したり、それが妥当かどうか、物語の進行を考えながら結末に向かってまとめていく役割を持つ。
もちろん、NPCの役もこなし、情報を与えたりもする。
アメとムチとでも言うべきか……まあ、難しい。
早い話、ゲームでコンピューターが処理する部分を一人で担当するだけでなく、シナリオを考える、監督と脚本家とプログラマーと……みたいな、神様みたいなもの。
愚弟。
戦士と盗賊と魔法使いの1人3役。(震え声)
異論はあるが、TRPGでは、ロールプレイングが肝である。
教養の数値が低いキャラは、文字が読めなかったりするペナルティーがある。
知恵が低いキャラは、『冴えたやり方』を思いつくのが不自然だと指摘されることもある。
キャラクターの背景を考え、そのキャラクターらしい行動を心がけねばならない。
もう一度いう。
愚弟。
戦士と盗賊と魔法使いの1人3役。
そんな単純な話ではないが、脳筋戦士と、頭の良い魔法使いと、世間ずれした盗賊の3役をこなしつつ、与えられたクエストのクリアを目指す。
愚弟が、それに慣れるまで大変だったのは言うまでもない。
ただ、慣れてくると……連携が簡単になる。
もちろん、どのキャラがどのような行動を取るか、どういう言葉を口にしたかを宣言しなければならないのだが。
こうなると、少しTRPGの方向性が狂ってくる。
賢兄は愚弟を。
愚弟は賢兄を。
お互いがお互いを、表情や呼吸音、ちょっとした仕草を観察し続ける。
この情報に、裏はないか?
賢兄の性格的にこれはありうるか?
この愚弟の行動の裏には何がある?
何を狙っている?
怪しい石像は、最初に壊すなどのメタな行動が目立ってくる。(目逸らし)
ならばと、その壊してしまった石像が実は重要だったというシナリオを組まれてしまう。(震え声)
しかし、それでは結末にたどり着けないからと、お互いが、踏み越えてはいけない一線を学習し始める。
愚弟:「あ、そこの曲がり角、なんか嫌な予感するから、盗賊が先行して罠を調べた上で、戦士が剣を振りかぶって待ちかまえておくわ。そして、盗賊と魔法使いが普通に足音を立てて、その曲がり角に近づいていくね」
賢兄:「……ふむ。通常にない行動によって疲労がたまり、休憩を取るまではこれ以後の行動判定にマイナス修正入れるけど、それでいいかな?(笑顔)」
愚弟:「(賢兄の顔を見つめ)……了解。でも、この曲がり角は絶対にそうする(笑顔)」
賢兄:「ほう、そうか……ならば同じように、奇襲をかけようとしていた相手との相殺で、通常戦闘へ移行ね」
……学習、し始める。(震え声)
愚弟:「んーと、サイコロの目は11。」
賢兄:「ほう、高いな……うん、君たちは巧妙に隠された通路を発見した。ただ、入口が狭くて1人ずつしか通れない……危険な感じがするね」
愚弟:「……隠し通路のあるところの天井に視線を向けるよ」
賢兄:「ん?通路の中じゃなく、通路に入る前の天井?」
愚弟:「そうだよ……サイコロ振るぞ、6だが、失敗か?」
賢兄:「おい……まあ、失敗しても、何かがあるのが分かる(笑顔)」
愚弟:「……さっきの戦闘で倒した、ゴブリンの死体を持ってくるわ(笑顔)」
賢兄:「そうか……うん、君たちは罠を回避することができたが、隠し通路の入口も塞がれてしまった。時間をかければ取り除くこともできるが、依頼人のいう期限を守れそうもない」
愚弟:「くっ……裏目ったか。でもまあ、塞がれるってことは、別のルートもあるってことだ。(信頼)」
なお、これらは中学生と小学生のやりとりである。(震え声)
……この兄弟のセッション(プレイ)時間は、わりと長かったのは言うまでもない。(白目)
とまあ、愚弟が中学校に上がって野球部に入るまでこの兄弟は仲良く遊んだそうな。
なお、この後遺症として、兄弟はいわゆる日本人の言うRPGに違和感を覚えるようになったそうな。
そりゃそうだろう。
自由度の高すぎるゲームに遊びなれると、不自由さが辛くなるものだ。
石像に対し、正面から近づくか、横から近づくか、後ろから近づくか、まずロープで固定してから調べようなどと、ゲームで選択肢を与えられることはほとんどない。
ダンジョン攻略にあたって、10フィートの棒をもって、それで通路や壁を探りながら進む自由もない。
むろん、判定に失敗したと思えばいいのだが……罠に引っかかるのは、準備不足で、慎重さが足りないと反射的に考えてしまうのだ。(震え声)
遭遇戦は仕方ないが、戦闘が予測されるのなら、前もってそこに罠をはじめとした仕掛けを張り巡らせるのは当然だと思ってしまうのだ。
自分がプレイヤーでありながら、当然の手段を取れないのはストレスが溜まる。
なので、ゲーム大好きな兄弟であったが、RPGに関してのみ割り切るのに時間がかかった。
これがいわゆる、一部で囁かれたTRPG症候群。(違う)
さてこの兄弟。
TRPGというジャンルにおいてどういう消費者になったかというと……。
『新しいTRPGのシステムが出た?やりたいシナリオがあるなら、自分で作ればいいし、システムも変更すればいいじゃん?結局は、マスターの調整能力次第よ』
つまり、最初期の『D&D』をすべて自分でアレンジして仲間と遊び倒すだけの、供給者サイドに利益を全くもたらさない人間。
賢兄は、良い消費者にはなれなかったのだ。
そして愚弟は。
野球選手としては、相手のくせやらデータ分析が得意なのはいいのだが、周囲から浮きまくって孤立気味。
そして、ゲーマーとしては。
『いやぁ、あの賢兄みたいに上手にさばけんわ。設定とか考えるのは好きだけど、プレイはもう、いいかなって』
やはり、良い消費者にはなれなかった模様。
三つ子の魂百までというが、子供時代に刷り込まれた『自給自足』からは逃れられなかったというべきか。
ちなみに、本屋もないから、目に入る雑誌は、配達される『小学〇年生』のみ。
もう、〇研のおばちゃんとか、いないよね?(遠い目)
というわけで、筆記用具さえあれば遊べたTRPGは、田舎の子供にとっては福音だったのです……福音だったはずなのです。
遊び相手なんか……いるはずないんだよなあ。(震え声)