「賢者タイムって、知ってるかい?」
俺の問いかけに、彼女は素っ気無く答えた。
「……言葉としては、ね」
かすかに、驚く。
賢者タイムという言葉は、スラングだ。
おそらく男性なら、説明されればすぐに理解できる……まあ、下世話な言葉だろう。
女性である彼女が、少なくともそれを聞いたことがある、と。
良くも悪くも、ネットの普及は、人に膨大な情報を与えるということか。
かつての、情報を手に入れる能力ではなく、あふれる情報の取捨選択が重要視される。
そんな時代を、俺たちは生きている。
ああ、それでも……。
「少し、説明させてくれ」
「……どうぞ」
賢者タイム、あるいは賢者モード。
男性が、欲求が満たされた瞬間に、それまでの熱狂的な興奮が冷め、冷静になること。
まあ、性的オーガズムに達したあと、急速に性欲が減退し、冷静になることを主に言う。
しかしここで問題なのは、この賢者タイムがどのような仕組みで、もたらされるかだ。
男性は性的に興奮すると、性器である海綿体に血液が流れ込む。
ここが大事なところだ。
この、海綿体に流れ込む血液は、どこから来るのか?
一呼吸おき、彼女を見る。
そして、再び口を開いた。
男性は、性的興奮時に、脳への血流量が減少するんだ。
つまり、海綿体に流れ込む血液は、脳に流れる血液を減らして、ひねりだしたものなんだ。
人間の頭部の重量は、体重の10%程度。
しかし、脳に送られる血液は、平常時で25%。
これは、人間が思考するにあたって、大量の酸素を消費することに関係する。
思考することによって、脳は大量に酸素を消費し、それ相応の血流を必要とするんだ。
そう。
男性が思慮深く行動するためには大量の酸素が必要で、そのためには血流が必要不可欠なんだ。
悲しいことだが……。
男性は、性的興奮時において、思考能力が減少する。
海綿体に流れ込む血流だけじゃなく、脳以外の全身に血流を奪われる。
獣としての、名残といえるだろう。
身体は運動時を想定した状態に。
繁殖のために、本能に身を委ねさせる……。
そして、性的オーガズムを迎えると、脳への血流が平常に戻る。
賢者という言葉を用いているけど、何のことは無い、ただ単に平常時の思考を取り戻しただけなんだ。
ただ、それまでのギャップの激しさに、敢えて賢者という表現が使われたのだと思う。
ガンッ!
彼女が、サイドテーブルの脚を蹴った。
「……何が言いたいの?」
俺は用意しておいた指輪を取り出し、彼女に向かって差し出した。
「俺と、結婚してください」
永遠の数秒。
「お受けするわ」
解放。
歓喜。
彼女が、にっこり笑って俺を見る。
「あなたが、指輪まで用意したプロポーズよりも、性欲を優先したことは絶対に忘れないけどね」
フィクションなのに、股間がひゅんってする……何故だろう。