父親が最低でも4年以上という長期の海外赴任が決まり、母親がそれについていくのも決定。
兄は就職で、姉は大学進学で、既に実家を離れて一人暮らし中。
しかし、末っ子の少年は、この春に高校2年になるわけで。
「……あんた、どうする?」
「いや、どうもこうも……」
と、母親の問いかけに、少年は言葉を濁す。
海外といってもなかなかに幅は広いが、彼にとっては総じてこんなイメージだ。
海外、遠きにありて思うもの……というか、テレビやネットで楽しむもの。
百歩譲って旅行まで。
日常生活を考えるなら、日本生まれ日本育ちの日本人なら、日本が一番快適に過ごせる。
かつて日本人が持ち合わせていた、あこがれなんて価値観は、これっぽっちもなし。
情報過多社会による、ある種の弊害ともいえるだろうが、父親の職業もそれを後押ししていた。
いわゆる、多角的企業の資材確保部門と言うか、資源ビジネスに関わる仕事。
父親がかかわるのは、資源を加工して製品として売り出す地域ではなく、基本的に、資源を資源として輸出する地域が多い。
これは、現地の開発や、施設の運用なども含めた契約の仕事であり……これまでも、数週間、数か月の出張なら、それなりに経験してきた父親の口から語られる『海外』の情報は、憧れとかそんななまやさしい類のものではなかった。
幼少期から、そういった情報に触れて育ってきたのだから、少年の反応もむべなるかな。
「海外で生活とか、学校とかも含めて無理無理……つーか、その赴任先って、聞き覚えがないんだけど、どの地域の、どんな国よ」
と、少年の視線は、母親から父親へ。
「……いいところらしいぞ、自然が豊かで」
「自然しかないんですね、わかります」
緑が多いとかじゃなくて、自然が豊かって表現がポイント。
まあ、単純に鉱山資源とかになると、当然場所は鉱山で、第一次加工のための施設が作られる現地なり、輸出のための港なり、機能的なものになりがちだ。
日本人が連想する、緑の多い大自然という意味ではなく、人工物が少ないという意味合いでの表現だろう。
「まあ、お前が通える現地の学校とか……ないんだよなあ」
と、苦笑いの父親に、少年は何かを感じ取ったらしい。
「親父、ひょっとして左遷……」
「そうとも言う」
刹那の沈黙。
少年は、言葉にならない……父親への感謝をにじませ、ただそれを肯定する言葉を呟いた。
「……そっか。大変だったんだな」
少年の思いやりを無視するように、しみじみとした感じで、父親が呟く。
「たぶん、これからのほうが大変なんだよなあ」
現地における文化の違いとかその他諸々、少年としては、曖昧に頷くしかない。
微妙な空気を振り払うように、母親がぱん、と手を打った。
「まあ、あんたがこっちに残るのは仕方ないって話なんだけど、そのうえでどうするかって話なのよ」
「……というと?」
母の言葉に首を傾げ、少年が先を促す。
「家よ、家」
「家?」
父、母、兄、姉、そして少年の5人。
かつては、父方の祖父祖母も含めて、7人が生活していた家だ。
少年一人で暮らすのは、ちと大きい。
大きいというか、維持が大変。
少年はそれほど家事を苦にしないタイプだが、専業主婦としてスキルも経験も豊富な母親とはわけが違う。
ついでに言うなら、一人暮らしを始める高校生の少年に、それを求めるのは酷だろうという、母親らしい思いやりみたいなものもあるうえでの意見だ。
1、お手伝いさんを確保し、この家で生活する。
2、この家は賃貸に出し、少年はアパートを借りて気ままな一人暮らし。(ただ、大家として多少の雑事あり)
3、思い切りよく家は売り払ってしまい、少年はアパートを借りて一人暮らし。
大きく分けるとこんな感じ。
1は、費用とか、いい人が見つかるかどうか(あまり時間はない)が不安。
2と3は、両親の一時帰国とか、兄や姉が里帰りする場所がなくなるというか、感情面においてちょっと受け入れがたいイメージ。
もちろん、ちょうど条件に合う借家人を探す手間などもあるが……時間の制約で、交渉は、代理人に頼むしかないだろう。
そしてその間、少年の立場は宙ぶらりんになる。
どれも、メリットとデメリットがある。
加えて言うなら、少年は2年後の進学の選択次第では、家を離れる可能性がある。
ちょうど、微妙な時期。
どうしよう?
どうしようか?
結局、急な話だったせいか、ちょうどよいお手伝いさんを探すのも、賃貸や売却、少年の新しい住居を探すのも難しいことを思い知らされたわけで。
情報化社会であろうと、こういう微妙なケースの場合は、口コミはやはり強い。
いや、強いと言うより、柔軟性があると言うべきか。
『1人暮らしは、他人の目が無いから堕落しやすい』
『他人の目があれば、大丈夫なのでは?』
『しっかりした子だし、家事もできるんでしょ?』
船頭多くしてなんとやら……というより、複数の意見が悪魔合体したあげく、友人知人の伝手を頼って話は転がっていき、2人の働く女性を家に受け入れることになってから、約半年。
「……信じて迎え入れた人が、ポンコツだった件」
「こっちは毎日働いてるのよ、大変なのよ、へとへとなのよ」
世話をするんじゃなく、世話されたい!
恥ずかしげもなく、こう主張するのは……少年とは9つ違いの、26歳OLさん。
名前は、
少年の父親の友人の娘さんなのだが、この春、一身上の都合で転職の必要に迫られて、新しい職場や、住居や、生活などなど、てんやわんやの状態で、この話に飛びついたらしい。
転職の必要に迫られたという部分にそこはかとない闇を感じるが、その事情を、少年はまだ知らされていない。
まあ、初対面の年頃の男の子との同居と言うか、一緒に生活することを受け入れるぐらい追い詰められていたのはともかく、家事に関しても、やればできる女性だ。
現状、ほとんどやらないというか、やる気がないだけで。
「わかるわー」
しみじみとした感じに頷く女性は、父親の姉の旦那さんの姉さんの娘さん。
関係的には、親戚とは言い難いレベル。
こちらは、バリバリのキャリアウーマンというか、明らかに婚期を逃しつつある女性。
年齢に関しては、とりあえずアラサー。
名は、
こちらは、少年とは一応面識があった。
ずいぶんと昔のことなので、少年のほうはそれを覚えていなかったが。
「働いてるとねぇ、旦那じゃなくて、お嫁さんが欲しいのよ、正直」
「そう、それ!」
どこか現実逃避気味に、意気投合する女性たち。
「いや、あんたらが欲しいのは、生活をサポートする母親だろ」
鋭すぎる少年のツッコミは、スルーされる。
そして、これ以上ツッコムと、『男の子なんだから……』とか言い出すのが、いつもの手段だ。
その場その場で都合よく、男女平等と、女性の権利を訴えるあたりは、いまどきの女性と言うべきか、それとも女性2人と少年1人という、年齢の壁と数の暴力によるものか。
少年は、もう何度目になるかわからないため息をついた。
最初に、当番だの役割分担だの、決めることは決めたのだが、それが機能していたのは、本当に最初のうちだけだった。
もともと、少年には姉がいて……子供の頃からある程度『ひどいやねーさん』という文化に親しんでいたのも理由のひとつだろう。
仕事で疲れているみたいだからとか、相手は年上だからとか、女性だからとか、少年が遠慮を重ねつつフォローをしているうちにずるずると。
特に、転職したばかりの女性は、新しい仕事と生活に気苦労が多いようで、少年としても見ていられなくなったとも言うのもある。
世話好きの女性は、潜在的なダメ男生産機であるという言葉があるが、少年にも少しばかりそういう才能があるのかもしれない。
もちろん、いくら必要に迫られたからと言って、少年と、嫁入り前の女性二人を同居させることに、母親がゴーサインを出したことからもわかるように、少年の気質は基本的に善良だ。
そのあたり、母親はもちろん、両親の信頼が透けて見える。
もしかすると……少年の性欲を刺激しないように、保護欲をかき立てるように、女性二人がわざとだらしない姿を演じているのかもしれない。(震え声)
「つーか、服着ろや」
「えー、まだ暑いし」
ぐずる妙を、千恵美がたしなめる。
「いや、さすがに男の子の前で、下着姿はまずいと思うわ」
さっきまで意気投合していた千恵美の反応に、裏切られたという気持ちが浮かんだのか……妙は、ちらりと千恵美の下腹の辺りに視線を向けた。
「私の身体は、見られても恥ずかしくないし」
「……それは、私の身体が見られて恥ずかしいぐらい、だらしないって言ってるのかしら」
みしり、と、空気がきしむ音がする。
そんな2人を、少年は半目で眺めた。
ついさっきまで仲良くしてはずなのに、なんでいきなりマウントをとり始めるんだろう。
少年と言うより、男性にとってある種永遠の謎に思いをはせる。
まあ、客観的に評価すれば、妙も千恵美も、目を見張るような美人とまでは言わないが、それなりに映える顔をしており、スタイルも悪くはない。
ある意味、リアリティのある、『近所のちょっとかわいいお姉さん』ポジションをはれるだろう。
そんな女性2人との同居生活。
同年代の男連中からは羨ましがれる状況のはずだが……少年の視線はどこか醒めている。
少年は、あらためて二人を見つめ……同居のための顔あわせしたときの、ドキドキ感覚を懐かしく思った。
そう、そんな感覚は既に過去のもの。
実際、妙が下着姿でうろつく姿を目撃しても、少年の股間は無反応だ。
風が吹いただけで、股間が元気になったりすることもある男子高校生としては、ちょっとばかり不安になる反応といえる。
まあ、いくらなんでも少年の反応は従順すぎないかという疑問もあるだろう。
一応それにも理由がある。
妙と千恵美は、格安の家賃といくらかの食費で、ある程度の生活のフォローが得られるという、まさにいい感じに状況が好転した実感があった。
しかし、できる女の千恵美は、この状況が少年の犠牲の上に成り立っていることをすぐに理解し……感謝と言うか代価として、そこそこの小遣いを渡すようにした。
人は、いわゆる互酬性の原理にとらわれる。
簡単に言えば、何かをしてもらったから、そのお返しをする。
お返しをしないと、落ち着かない……という心の動きのこと。
まあ、洗脳などでは『継続的に(それが思い込みでも)与えつつ、お返しは受け取らない』ことで、自分から離れられなくする手段として使われたりもする。
普段から良く『飴ちゃん食べる?』と飴を押しけていくおばさんが、何かを頼んできたときに断りづらい気持ちになるのも、その原理を利用したものである。
おばさんが、それを自覚しているかどうかは不明だが。
もちろん、『何かをしてもらって当然』などという、ジャイアニズムに毒された人種には通じにくいが、基本善性の少年にはクリティカルヒットしたのは言うまでも無い。
不満を大きく膨らませる前に、笑顔とお礼の言葉とともに、そこそこの金額を渡され、しかもそれが毎月毎月、定期的に与えられる。
少し遅れて、妙もまた千恵美にならってそうし始めると……もう、少年としてはなし崩しに現状を受け入れるしかない。
まあ、まだ学生の少年と、社会でもまれたできる女との経験値の差であろう。
千恵美のやり口を汚いとは言うまい。
子供はそうやって、大人になっていくものだ。
ただ、そんな風に……だらしない(生活の場)女性をお世話する日々の繰り返しは、少年の中で慣習化されていき、ほんの少しばかり、性格というか、その場その場の判断に影響を与えるようになっていく。
時は少し流れて、10月。
秋半ばでありながら、ぐっと冷え込んだ……そんな日の夜。
ごみ収集場に顔面から突っ伏している酔っ払った女性を、少年がほうっておくことができずにお持ち帰りしたのはむしろ必然だったのか。
色々あって、3人目の同居者となったOLさん。
彼女の登場で、物語は動き始める。
一発ネタでも短編でもねえよ!(逆ギレ)
あー、オープニング風味で終了。
心の奥の、ネタの宝箱に封印処理。