東京喰種 Another Rainy Blue(アナザー・レイニーブルー) 作:紗代
ここはどこだろう。ただ漂う私に光が差す。
『ミヅキ』
ああこの声は。
うん今いくから待って。
『ミヅキ』
後ろに感じる温もり。片腕で抱きしめられて、もう片方の手で両目を塞がれた。
『ミヅキ』
後ろから融け出す感覚がする。待って、お願い待って。目を塞がれて何が起こっているのか分からないけど、何となく嫌な予感がした。ここで引き止めておかなければと、なぜだかそう心が警鐘を鳴らしていたのだ――――――
目を開けた視界に入ってきたのは無機質で簡素な白い天井だった。
「ここ、は?」
4月23日、私が意識を取り戻した4月25日。私はかけがえのない友人を代償に、生還した。
それからというものの、食事が食べられなくなった。精神的なものもあると思うがそれだけではない。私の執刀をした医師、嘉納明博教授は「私の友人がドナー登録しておりちょうど天涯孤独だったことから本人が自ら臓器提供を申し出た」、と言いづらそうに言っていた。
つまり、私がこうして生きているのはマヒトのおかげでおそらく私はその影響を受けているらしかった。
「マヒト」
自分は、一人になってしまったのか。マヒトはここに来てはじめての友人だった。それと同時に唯一深くまで関わろうと思った存在だった。
もう一度会いたいよ、まだまだ話し足りないんだ。もっと一緒にいたいよ。人間とか喰種とか関係ない。マヒトに会いたい。その想いは誰に届くでもなく私の涙に融けたけど、消えることはなくそのまま私の心に染み込んでいった。
「氷室さーん、失礼します」
「・・・はい、どうぞ」
私は泣くのをやめて本に没頭することで冷静になることにした。時間的に食事を下げに来た看護師の人だろう。
「食器下げますねー・・・あら、またですか?」
「すみません。あまり食欲なくて・・・」
「だめですよーしっかり食べないと」
そう言って下げられていくほとんど手を付けられていない冷めきってしまっている食事を見ても「勿体ない」とは感じても「美味しそう」とは思わなかった。今のところ空腹は感じていない。でもそのうちきっと私も人を食べて空腹を満たすときが来るのだろう。
マヒトから繋いでもらった命と、これまでの倫理観がせめぎ合い、考えるだけで吐き気がしたのでやめた。
「とりあえず、コーヒー、飲みたいな・・・」
マヒトが唯一口にできた、私と彼の共通の好みのもの。あの「あんていく」のコーヒーが無性に恋しくなった。
それからしばらくして私は退院し、日常生活へと戻っていった。久々に個室の外に出たことでまず感じたのは今まで以上に味覚以外の感覚が鋭くなったことかもしれない。視覚も聴覚も嗅覚も何もかもが今までの比ではない情報量に塗りつぶされていく。まだ飢えてはいないがこれはこれで精神的にやられそうなのでなんとか的を絞って情報を得る・・・というか感覚を制御する練習に明け暮れた。とりあえずこの制御だけでもできるようにならなくては「あんていく」にコーヒーを飲みに行くどころか日常生活にも影響が出そうなのでコーヒーはお預けにして約一週間。
やっと慣れて制御できるようになったことで今日、「あんていく」に来ていた。
そして気付いた。――――――ここの店員全員喰種だ。
客も人間もいるけどほとんどが喰種。なるほど、納得した。ここは喰種にとっての拠点の一つみたいなものなのかもしれない。だからこうして普通に過ごしていられるし、
注文したコーヒーが届いてくると口を付ける。あの時と変わらない味。でも私の向かいに座る人物は誰もいない。マヒトはもう、いない。
「・・・はあ」
落ち込んでいる場合ではない、と無理矢理思考を切り替える。私が今一番考えなくてはならないのは「食糧」についてである。
アメリカにいた時はケンカなんてよくしたものだけどそれゆえに相手が酷いことにならないように無意識に加減してしまう癖がある。でも今の私に必要なのは「怪我人」ではなくそれを通り越した「死体」なわけで・・・というかまず私は人を殺して生きる覚悟はまだないのでなるべく別の方法で入手しなければならない。
ふと思い付いた。そういえばここはほとんど喰種ばかりの喰種の拠点のようなところ、なのだとすれば何か方法が会話の中から見つかるのではないのだろうか。そう思い制御できるようになった感覚の一つの聴覚で周りの情報収集を始めた。
「今日そういえば5区の奴らが―――」
「いや今日はてんでだめだな」
「白鳩の動きは―――」
「いい「名所」教えてくれよ」
「はあ?おまえ「喰い場」どうしたんだよ」
「名所」と「喰い場」?ここのような拠点のことだろうか?
「喰い場はこないだリゼが食い散らかしたせいで白鳩の奴らに目え付けられちまってな、そろそろ腹も減ってきたしこの際名所に行って食べることにしたんだよ。そのほうが安全だしな」
「でも名所にしても必ずそこに死体があるってわけじゃない。まずそこで人間が自殺しなきゃありつけないわけだしな、俺としては正直新しい喰い場探しを勧めるぜそっちのほうが選り取りみどりだろうからな」
「なんだ、連れねえな」
・・・どうやら名所というのは「自殺の名所」という意味だったらしい。それなら私もいけるだろうか。
「会計お願いします」
「はい、ただ今」
会計しているとレジの女の子の視線が気になった。
「?なにか」
「い、いえ、なにも。ありがとうございました」
「ごちそうさまでした」
そして私は「あんていく」を出ると準備のためにマンションへと急いだ。
*****
深夜午前0時―――私は東京の「名所」を回ることにした。でもやはり各地の有名な「名所」は他の喰種たちにとっても生命線なのだろう。収穫はほとんどなかった。
今はまだ飢えていないのでいいがもし飢えてしまったらどうなるのだろうか。餓死は人間の死に方の中で最も苦しい死に方らしい。餓死するまで私は正気でいられるのだろうか。そもそも人間は苦しいだけで済むが人間を食べている攻撃性の高い喰種がもしそうなってしまった場合――――――いや考えるのはやめておこう。
「ここで最後、か」
名所をはしごしてたどり着いた最後の場所。それは郊外の廃墟の裏手にある崖の下の雑木林だった。ここで最後なので死体が出ないようならまた他の方法を考えなくてはならない。
と思いながらあちこち見回していると――――――あった。少し離れたところにある地面に横たわった女性の死体に近づく。落ちる途中で木に引っ掛かったのだろうか、手や腕に抉れた跡や小枝が刺さったままになっている。
「酷いな・・・」
歳の頃は私と同じか上かもしれない。死ぬまで、死んでからも自分の死に顔や死んだ後のことなんて知らずに、考えることすらせず終わったのだろう。でなければこんな死体がボロボロになりかねないような場所を選ぶようなわけないし。
そうプロファイルじみたことを思いながら持ち帰るために持ってきたボストンバッグを開けようと、した。
「!」
生き物、おそらく匂いからして喰種の気配がしてその場から飛びのいた。まずい、死体のいい匂いと分析で周りに気を配るの忘れた。ケンカはできるが喰種同士のケンカなんてやったことないし見たこともない。今日の調達は諦めるとして、どうやってこの場を切り抜けよう。――――――と思ったが姿を現したのは意外な人物だった。
「え・・・」
「あんた、今日店に来た・・・」
今日「あんていく」でレジを担当してくれた女の子がそこにいた。
これが私と霧嶋董香との「喰種」としての出会いであり、そしてこの歪んだ世界へ一歩踏み入れた瞬間だった。
トーカちゃんがレジで主人公を見てたのは匂いが変わったからです。