お玉物語   作:詞連

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八条院の章1

 礼法は大事である、と私は思っている。

 礼儀作法とは言外の言葉だ。

 同じ作法を用いその格式に則って相手を扱うことで

 『私はあなたと同じ価値観を持っています』『あなたやあなたの所属する組織や文化を尊重します』

 と、表明することができる。

 そして同時に、言葉の使い方ひとつでその人柄が知れるのと同じく、その礼法の一つでその人の品位、人柄が知られる。

 完全に、というわけではないが、礼法をよりしっかり守れるということは、それだけしっかりした教育を受けた、より高い身分や格式の存在であるという表明になる。逆に、気ままに礼法に乗っ取らないような挙措動作をする人間は、その程度の人間だと、そう顔に大書するようなものだ。

 

 故に礼法は大事であり、如何な貴人といえど、いや貴人であるからこそ礼法から外れた行動は取らず、取れず、取ってしまえば貴人といえど貴人に見えない。

 

 ――というのが、私の狭い了見にすぎなかったという事実は、京に上てきてから知って驚いたことの一つであった。

 

 

 

 

「あづいよ~玉ちゃ~ん」

「しゃんとしてください、暲子様」

 

 暦は8月(現在の7月頃)、傾いた日の差し込む館の、衝立の影に隠れながら、私は団扇を仰いでいた。

 仰ぐ先には、同じ年頃の少女がいる。私が女房としてお仕えする姫君、藤原暲子内親王様だ。

 

「甘葛の~削り氷ぃ~」

「ありません」

「うう~死んじゃう~」

「死にません」

「玉ちゃんが冷たい~」

「それは重畳。暑さがやわらぎますね」

「ううう~」

 

 呻きながらコロリとまた板の間を転がる暲子様。おそらく体温で寝ていた場所が熱くなり、冷たい別の場所へと体を移したのだろう。

 猫の如く床に転がるなど、高貴な女人にあるまじき行為だ。

 今身に着けているものも長袴だけでほぼ下着も同然。長い御髪も無造作に床に広がり放題。

 その様はまさに―――

 

「……ん?どうしたの?」

「いえ、ずるいなあ、と思いまして」

 

 ―――その様はまさに、貴人の優雅な遊び姿だった。

 

 

 礼法を学ぶことで人は獣から人になる。

 礼儀作法を学ばねば、人の行いは獣のままであり、そこに気品は感じられない。

 それが原則のはずだが、しかしこの世には本当に生まれついての貴人というものが存在し、彼らはその無造作な何気ない行動からですら、如何な礼法を修めようとも余人には醸せない、香るような貴色を立ち昇らせる。

 

 暲子様はまさにその生まれながらの貴人だ。

 

 治天の君たる上皇様(鳥羽上皇)の愛娘にして、皇后美福門院の娘。今上天皇(近衛天皇)の同腹の姉。

 特に上皇様の寵愛著しく、准后(太皇太后・皇太后・皇后に匹敵する地位)も与えられている。

 

 その彼女は今、遊女もしないような格好で、子供がするように床に寝そべっている。

 しかしそれによって乱れた袖は、だらしなさや見苦しさではなく、散る紅葉のような無造作な風情を思わせ、乱れた黒髪もしどけない上品な色香と美しさを感じさせる。

 

「?何が?」

 

 そう言って、仰向けに寝転んだまま小首をかしげる姿にも、子猫のような愛嬌と妙な気品が同居している。

 

「いいえ。なにも」

 

 思わず少し見とれた自分を恥じ、私はつっけんどんに言い返すと、うちわであおぐ作業に集中する。

 身分さを考えれば叱責を受けかねないような態度だが、まあ、このくらいならお互い許されるくらいの個人的な友誼も結んでるし、そもそも私が仕えるこの貴人様は、そういったことに対して心配になるくらい鷹揚だ。

 まあ、移り気な暲子様のことだ。適当に相槌を打っていればいずれ飽きて忘れるだろう。

 そう思って黙って団扇を仰いでると、ごろりと、暲子様は再び転がり、その頭が私の膝の上に来た。

 暑い暑いというのに膝枕とはどういうつもりなのか?いや、どうせいつもの気まぐれか。

 あきれ半分。諦観半分で暲子様の顔を見下ろす。目が合うと、暲子様は何が嬉しいのかにっこりと笑い、その手を私の顔に伸ばしてきて、

 

「え~い」

 

 両頬をつかまれ引っ張られた。

 何が面白いのか、包子(パン)の粉でもこねるように、私の頬をもてあそぶ尊きお方。

 しばし考えた後、私はそのふくよかで滑らかな頬に手を伸し

 

「浦ー」

「いだだだっだっだだっ!」

 

 千切れよとばかりに全力で引っ張ってやった。

 たっぷり一呼吸ばかり引っ張ってから、解放。

 暲子様は涙目で、けれども膝枕の体勢から動こうとせず、自分の頬をなでながら、

 

「酷い!私内親王だよ!?」 

「ご存知ですか?内親王様は普通、女房の頬をえ~いなどしませんよ。

 なんですか、一体?」

 

 私の問いに、暲子様は再び、あのにっこりとした笑い顔で

 

「ん~、玉ちゃんが元気そうでよかったな~って」

「いえ、そもそも、元気がなかったことなど―――」

「為朝君のおかげだね」

 

 もう一回抓ってやろうか。

 そう思った瞬間、まるで瀬の魚のような俊敏さで、暲子様はするりと私の膝から逃げ出す。

 微妙に座ったままでは手の届かない範囲で、頬杖を突いて寝そべりながら、暲子様はニマニマと笑いながらこちらを見ている。

 なんと忌々しいことか。とはいえここでムキになっては思うつぼである。

 

「―――どうしてあの者の話に?」

「え~だって~、時々裏にきてる為朝君に、ごはん出してるよね~」

「たまたま懐いてきた野良犬に餌をやってるだけです」

「けど、為朝君のためにご飯作ってるとき、嬉しそうだし~」

「久々に料理ができて、気晴らしになるからです」

「ほんと~?」

 

 忌々しい。思わずにらみつけると、暲子様は嬉しそうに、キャー怖いーと仰る始末。

 相手にするだけ面白がらせるだけか。いや、お仕えする女房としては主を楽しませるのも仕事ではあるわけだが……。

 

「ねえねえ?その噂の為朝君ってさ、どんな子なの?」

 

 などと考えていると、暲子様は目を輝かせながら聞いてくる。

 暲子さまは、為朝の名前や彼が来ていることは知っているが直接会ったことはない。そこら辺の無位無官の郎党と暲子様が、直接お会いすることは許されないのだ。私としては、話すのはともかく見物くらいなら別にいいとは思うのだが、京の決まりではそれも許されないらしい。難儀なものだ。

 ともあれ、聞かれたのであれば答えねばならない。ここはあの男の話題にすり替えて、私自身が会話のネタにされるのを回避するべし。

 

「源左衛門大尉為義が八郎。本人は無位無官。母は遊女であると聞きます。本来ならば河内源氏棟梁の子としては認知されぬ身分ですが、その並外れた膂力と体格が目に留まり……」

「そーじゃなくて!見た目とか、和歌とか!身長60尺(18m)!体重1万と1500貫(43.4t)!力は馬6万と5000匹分!体は月の金属でできてるって本当!?」

「どんな妖怪ですかそれは。一応普通の人間ですよ。まあ、身長は6尺以上ありますが」

 

 というか、会う毎に、何か食べさせるごとに、どんどん大きくなっている気がする。このまま行けば本当に暲子様が言った妄言が事実になるのではないかと、ちらりと思ってしまうほどだ。

 

「和歌の腕はからきし、というより、ろくに字も正しく書けない有様です。

 まあ、教えれすぐ飲み込むので、地頭は悪くないようですが……」

「ほうほう。つまり、玉ちゃん好みに育ててる最中、と」

「今の話を聞いて、どうしてそのような……」

「いつか武功を上げて出世した為朝くんが、馬に乗ってうちに突入してきて

 『ならば武士らしくいただいてゆく!』

 とか言って玉ちゃん浚ってっちゃうんだろうなあ。さよなら玉ちゃん!お幸せに!」

「武功を立てて出世したのなら、普通に妻問いすればいいですし、それ以前に八条殿に馬で乗り込むとか、大逆罪待ったなしなのですが?」

 

取り留めない暲子様の話に、あきらめて相槌を打っていると、

 

「お玉」

 

と、年かさの女房がやってきた。

何か用事だろうか?だとしたら逃げる口実になる。これは行幸だ。

 

「美福門院様がお呼びですよ」

 

逃げ出そうとした先はまた地獄であるようだった。

 

 

つづく

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