こうしてお姫様と貴公子様は幸せに暮らしましたとさ、とはいかないのが現実である。
結論から言うとあの後、多方面を巻き込んで大変なことになった。
いくら為朝様とはいえ、所詮は一人の若武者である。
私をかばいながら、屋敷中の源氏武士に追い立てられれば、流石に二進も三進もいかない。庭先でいよいよ進退窮まったといった所で、やおら助けの手が差し出された。
「勅命である!美福門院様の女房、玉を引き取り参った!」
騎馬に乗った兄が単身、庭に乗り込んできたのである。
私が窮地に陥ったのを虫の知らせで察して―――というわけでもちろんない。
暲子様である。
三条殿より発った暲子様が向かったのは八条殿ではなく院(鳥羽上皇)の御所であった。本来ならば内親王とはいえ、院との面会は複雑な手順を踏むべきことではあるが、
「院に会います!通しなさい!」
暲子様の普段とは打って変わった剣幕に、宮廷の官吏も目を白黒。暲子様はその隙を突いて押し通ったらしい。一方の院にしてみれば目に入れても痛くないほど可愛がっている暲子様である。御所に入られる程度、いかなるものか。知らせを受けた院は
「まったく困った子だ」
と恵比須顔で面会。その院に会った暲子様は、押し通った時は真逆のしおらしい憂いを帯びた表情で
「お願い申し上げます、お父様。玉ちゃんを、私の女房をどうぞお救いください!」
女って怖い。話を聞いて本当にそう思った。
さて、可愛い愛娘に哀願された上皇様は、すぐさま人をやることとした。が、いくら暲子様がかかわると親バカの気を見せるとは言え、流石に治天の君。ただただ、娘可愛さに人をやったわけではなかった。偵察である。
皇后入内問題の時もだが、上皇様は藤原摂関家の内部抗争に対し、基本的に距離を置く方針をとっている。今回の三条殿接収にも、下手に人を出して巻き込まれないように、が基本指針だ。だがそれはそれとして事は今後の政局に関わることであり、一刻も早く状況は把握しておきたい。そんな折での暲子様の申し出は、渡りに船だったのだ。
偶然にもその場にいた私の兄、正義(わざとらしいように見えるが、これは本当に偶然であった)に
「妹を迎えに行け」
と勅命を下した。それを大義名分として三条殿に行き、私を回収するついでに現状の把握をしてくるように命じたのだ。
さて、手勢を引き連れ三条殿に向かった兄だったが、三条殿の手前で館の中がまるで蜂の巣をつついたような騒ぎになっていることに気づく。これは悪左府を殴った為朝様が大立ち回りを繰り広げているための騒ぎであったが、その経緯を知らない兄には別に見えた。
なんと、今になってもまだ関白方と悪左府方で、手勢同士の戦いがまだ続いているのか、と。
私を救うことは勅命であり、兄も兄で兄妹の情がいないわけではない。今すぐ救いに行くべきとは思うが、さりとて今まさに内部で乱闘騒ぎが起きているとしたら、手勢を引き連れて屋敷の中に乗り込むことで、どう巻き込まれるか分かったものではない。兄も手勢も武士なれば戦うことに恐れはないが、下手にどちらかの陣営に巻き込まれては、わざわざ私を山車として摂関家の内部抗争に巻き込まれないように物見に来た意味がなくなる。
迷ったのは一瞬。兄は果断だった。
手勢を置き、一人屋敷に突入した。
勅命を叫びながら単騎で踏み入るのならばどちらかの手勢への援軍と見られ、巻き込まれる可能性も減るし、巻き込まれても一人で離脱することもできる。危険ではあるが、手早く事態を把握し私を助け出すにはこれしかない、と、兄は覚悟を決めたのだ。
一方、踏み込まれた源氏武士達は、その行住に迷った。
源氏武士達の大半は、
『よくわからんが為朝が暴れてる』
『なんかあのキモい白粉が殴られたらしい』
という情報しかもっていない。その状況下で
「勅命である!美福門院様の女房、玉を引き取り参った!」
である。
標準的な源氏武士ならとりあえず兄を殺しにかかるものだが、今回三条殿接収に集められたのは、比較的血の気の薄い行儀の良い武士達だった。
さて、どうしたものか、と彼らが顔を見合わせた刹那――ここしかない、私は思った。
(為朝様!)
幸いなことに、私の促しの意図を為朝様は察してくれた。ここが勝負どころである、と天性の勝負勘が働いたのだろう。
「おおっ!響六位殿!玉殿はこちらにございます」
私を抱きかかえ、兄の前に膝まづき、付け焼刃とは思えない作法で滔々と『経緯』を語りだした。
為朝様の曰く、
大路を歩いていたところ、暲子様の乗った牛車が三条殿から御所の方角へと物凄い速度で駆けていくのを見かけ、そのすれ違いざま、暲子様の『玉ちゃんを助けないと』というのを聞いたらしい。気になって三条殿に向かったところ、狼藉を受けんとした私を見かけ助け出した。
とのことだ。
嘘は言っていない。ただ狼藉をしようとしたのは悪左府殿で、それを殴り飛ばした挙句、朱器台盤を破壊したことを言ってないだけである。
もちろん兄は伏せられた部分を知らない。さらに言えば、為朝様のことは手紙で私から兄に伝えており、まあ、親しいというのは知っている。私=妹と親しい男の言と、殴りつけられ腫れてきた私の頬を見た兄は
「よくやってくれた八郎殿!その行い、上皇様もお喜びになる!」
と激した。激してしまった。
為朝様はそれを受け
「では、玉殿を八条殿までお連れ致します!」
「頼んだ、八郎殿!」
と、あっけに取られている源氏武士たちをのこし、私を抱えてそそくさと屋敷の外へ。待機していた響郎党から馬を借り受け八条殿へと向かった。
為朝様に抱かれ、馬に揺られる私の耳に、三条殿の中庭から
「私の妹に手を上げたのはどいつだ!田舎武士とはいえこちらも武家の端くれ!ただではおかん!刀の錆にしてくれる!」
と、兄の猛り叫ぶ声が聞こえた気がした。
その後、事態はさらに混迷化していく。
八条殿で待っていたのは、いつものように泰然とした美福門院様と
「ばかばか玉ちゃんのばか大丈夫もうばか心配したんだよばかぁ~」
顔を鼻水やら涙やらでぐしゃぐしゃにした暲子様だった。ひとしきり泣いた後、暲子様は私の顔を見て悲鳴を上げて、
「酷い!誰にやられたの!?」
と頬を膨らませて激高(というには、どこかのんびりとした、ハコフグのような風情であったが)して、問いただされた。
後々面倒になると思った私は、一連の騒ぎで転んだのです、と流そうと思ったが、納得いかないといった風にじっと見つめてくる暲子様の圧に負け、つい目をそらしてしまった。普段ではそんなヘマはしないのだが、いろいろあって我知らず疲れていたのだろう。
嘘だと確信した暲子様は、女房達の噂話をつなぎ合わせすぐさま下手人が悪左府殿であることを突き止めてしまった。こういう時に優秀さを発揮しないで欲しいものである。
まあ、普通に考えれば、この程度のことはさして大きな問題にはならない。
所詮私は卑しい家の出の一回の女房。相手は由緒正しい藤原摂関家の左大臣。女房の一人や二人に手を上げたところで、問題に等なろうはずもない。もちろん、響の家としては泣き寝入りをするつもりもないが、せいぜい非公式に何らかの手打ちが成立する程度が関の山のはずだった。
だが、ここでまた、暲子様が余計なことをしだした。
むくれたのである。それはもうブンむくれである。
「有耶無耶とか絶っっっ対許さないもん」
そう言ってガンとして動かない。
挙句の果てに、食事はいいと
驚いた上皇様が氷室より氷を持ち出し、好物の甘葛の削り氷まで持ち出すも、暲子様、なんと陥落せず。
上皇様や他女房、挙句被害者である私まで動員されて説得した挙句、最後は美福門院様のとりなしで
『無礼を働いた女房を悪左府殿が叱った。無礼を働いた女房側にも非はあるが、悪左府殿も大人げなかった』
という上皇が双方への訓示を表明。有耶無耶にはしないが結論は玉虫色、ということで公的に手打ちとした。
これによって美福門院様としては、悪左府相手に、『』所属する女房への狼藉に関して頭を下げさせた』として威を上げることに成功。関白殿に関しても今回の朱器台盤と三条殿接収で、暲子様や私を巻き込んだことについての貸しをつくることができた。今後の対関白家への外交はより優位に進められるようになるだろう。
美福門院様も、降ってわいた私や暲子様の行動を、よくもまあ上手くまとめて、自分の利益になるよう落とし込んだものである。そう思って
「随分と上手く事を運ばれましたね。殴られた甲斐もあったものです」
と嫌味を言ったところ
「お玉。女子がそういうことを言うものではありません。治る傷とはいえ、顔は女の命ですよ」
と珍しく本気で叱られた。
美福門院様としては、単純に政治的利益を狙って動いたわけではないらしい。流石に私も少し反省した。
ともあれ、これにて朱器台盤と三条殿をめぐる問題は、とりあえず一件落着と相成った―――殿上人達の間だけでは。
下界は下界で、この決定により更なる混沌が巻き起こされる羽目になった。
下界での当事者は悪左府、源氏、響氏、そして為朝様である。
為朝様は、美福門院様の取り計らいで八条殿預かりとなっている。さて、この為朝殿だが、悪左府からも実家である源氏からも、そして響からも睨まれているが、同時に手出しできない状態となっている。
最大の要因は兄の正義の発言である。
『よくやってくれた八郎殿!その行い、上皇様もお喜びになろう!』
勅を受けた身で、為朝殿の行いを『上皇様も喜ぶ善い行い』と認定してしまったのだ。
が、それだけならまだいい。私を殴りつけたのを 『名も知らぬ郎党』 としてしまえば、公的には美談で済む。だが問題は、
『無礼を働いた女房を悪左府殿が叱った。無礼を働いた女房側にも非はあるが、悪左府殿も大人げなかった』
という公の訓示が下されたことで、
私を殴った人物 = 為朝様に殴られた人物 = 悪左府
という事実が、動かしようも隠しようもできなったのだ。
つまり 『為朝様は間違いなく悪左府を殴ったが、それは院が誉める行為』 となるわけであり、悪左府側も源氏側も、それについて訴追が叶わないのだ。これは彼らにとって非常に困った事態である。
悪左府としては感情論もあるが、それ以上に面子の問題が重い。ただでさえ暲子様のダダにより屈辱的な訓示を下されたばかりだ。その上さらに朱器台盤と一緒に文字通り顔を潰された相手を放置するのは、体裁が悪すぎる。
となると、為朝様の代りに監督不行き届きとして親である源左衛門大尉(源為義)殿を処罰するか、または河内源氏一族全体に何らかの制裁を科すか、となるが、それも不都合だ。
左衛門大尉殿の河内源氏の家は悪左府にとって重要な実働戦力だ。今回の三条院接収でもその実行力の高さは証明されている。それをむやみに処罰することで、離反されたり実行力を失われたりすることは避けねばならない。
ではいっそ、すべて無視して為朝様を源氏武士達に討たせればよい、という選択肢もあるが、それをすれば上皇の機嫌を損ねかねない。ただでさえ関白殿と対立している悪左府殿としては、院まで敵に回すのは避けたいところだし、左衛門大尉殿も、かつて院の不興を買い官職を失ったことがある。今は上皇の勘気も解け官職に復帰できたが、再び機嫌を損ねるようなことをするのは避けたい気持ちが強い。
と、以上のように困り果てている悪左府、源氏であるが、響氏も負けず劣らず困っていた。
端的に言うと勝ち過ぎたのだ。
帝からの訓示により、私と悪左府、双方それぞれ悪く、喧嘩両成敗ということになった。だが、元の身分を考慮して比較すればこれは明らかに私、響側の圧勝。
響は都から遠く離れた太宰を本拠とする、京の人々からしてみれば外様の田舎者。氏素性という点でも怪しい事この上ない、成り上がり者だ。出過ぎた杭は打たれるもの。そうならぬように、響氏は京都に次期当主が召し上げられるようになって以来、序列を乱さぬよう、睨まれぬよう、上下左右に気を使っていた。そんな干潟の蟹のように息を潜めていたところで、この事態だ。
今こそ、京雀は悪左府殿をついばむのに夢中だが、その嘴がいつ『調子の乗っているひじき』に向かないとも限らない。また幸運にもやり過ごせたとしても、摂関家や源氏との確執は避けられない。
なんとか程々に負けて謝罪なりなんなりをする必要があるが、しかし現状では『程々に負ける』方法がないのだ。
私に関して言えば、既に院より訓示の形で結論を出されているのでこれ以上何かをすることはできない。為朝様についても、一度『上皇様もお喜びになる』と激した以上撤回は難しいし、もし撤回したとしたら、世論が黙っていない。
今、噂の槍玉に挙げられているのは、元より敵も妬みも多かった悪左府殿であり、相対的に為朝様は評判を上げている。ここで響が為朝様に不利な動きをすれば、悪左府殿に屈したとして、一緒に槍玉に挙げられかねない。
響は他所者の成り上がりである。悪左府殿ほど敵はいないが、潜在的な妬みは数倍であり、一度槍玉に上げられればどれだけ叩かれるかわかったものではなく、『程々』では済まない負けを被ることになる。
全く、まさかここまで厄介なことになるとは、為朝様をけしかけたあの時は思っても見ていなかった。ただ一瞬活路が『見え』たことから、そこに賭けただけなのだが。
はてさて、この後、状況はどう転ぶか?
我ながら他人事のように、八条殿に止め置かれ食っちゃ寝生活をしている為朝様の世話と、なぜか妙に為朝様と馬が合ってしまった暲子様の世話を焼きながら、忙しい日々を送っていると、程なく、響の家から動きがあった。
兄、正義である。
「正義だよ。その官位から六位の呼び名もあるよ」
「いきなりなにを言ってるんですか、兄上」
「なんか、言わなくちゃいけない気がしてね」
その日、八条殿に訪ねてきた兄は飄々とした口調で嘯いた。鉄火場でならともかく、平素の兄はこんな穏やかで掴みどころのない風情の人物だ。
兄はその凪のような口調に疲労感を漂わせながらぼやいた
「前からとんでもない子だと思っていたけれど、いよいよとんでもないことをしてくれたね」
「申し訳ありません。まさかこのようなことになるとは――」
「大体分かってやってたよね、お玉」
「――はい」
血を分け、一緒に育ってきた兄妹だ。隠しだてできることもないので素直に認める。兄は怒りこそいなかったが、少し苛立たしげに
「そんなに悪左府殿の側室が嫌だったのかい?嫁ぐ先としては悪いものではなかったはずだよ。ちょっと我慢して相手をするだけで、いずれは関白殿の側室ともなれたかもしれないのに」
「そう言うのなら、兄こそ悪左府殿の床に赴かれてみては?」
嫌味で答えると、そう言われることが予想できていたのか、兄は口いっぱいの苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。
「……まあ、夫婦には相性ってのがあるから、無理強いはできないよね。
けど、それなら逆に、源氏八郎は、そのお眼鏡にかなったってことでいいのかな?」
「……はい」
「この期に及んで照れるのかい?ここまで曰く付きになってしまえば、彼に嫁ぐか出家するかしかないのに」
「乙女心は複雑なのです」
「お玉が乙女心とか言い出す日が来るとは思わなかったよ」
私もそうだと答え、私たちは小さく笑い合った。
その後、兄は居住まいを正し
「お玉、これから私は、この状況をなんとかしようと思うわけだけど、それに際して、ひとつ確認させてもらうよ。
源氏八郎に嫁ぐ。それでいいね」
「――はい」
「わかった。じゃあ、その方向で何とかするよ。乗せられたとは言え、私の発言が発端だからね」
あっさりと、兄はいつもの調子で言う。
「どうするのです?やっておいてなんですが、どう手をつければいいか全くわからないのですが。というか、妥協できる点があるなら、ここまで事態は煮詰まらないのでは?」
「お玉、調停成功の秘訣は、言い出す
自信ありげに兄は笑った。
その後、わずか数日で、事態は解決に向かうこととなった。
私に会いに来たその日、兄はすぐさま美福門院様と面談し、口添えを得た上で、その足で左衛門大尉殿を訪ねた。当然だが、源氏側の反応は良くなかったようだ。彼らからしてみれば、兄は今回の事態を複雑化させた張本人だ。響家も今回のことで一見すれば得をした側。美福門院様の口添えなしで訪ねていたら、そのまま殺されていたかもしれない。
殺気立った源氏武者と、その中でも一際苛立ち殺気立った左衛門大尉。彼らに囲まれながらも、飄々とした態度を崩さずに、兄は
「今日は、源義親殿の件で、和睦をしにまいった」
と、告げたそうだ。
源義親とは左衛門大尉殿の父であり、響氏に討たれた謀反人である。対馬守に任じられ、狼藉を働いた事で響正船により捕縛、その後隠岐に流されるも脱出し出雲で反乱し、そこを更に朝廷に命じられた響正船が討伐。討ち取った相手だ。この事実だけ見れば、左衛門大尉殿からしてみれば響は父の敵であるのだが、この末法の世の、さらに修羅道たる武士の世間ではよくある話。響はもとより左衛門大尉殿すらも特に気にしていなかった件である。
不意に挿された意外な冷水に、左衛門大尉殿の怒りの火勢が弱まった所を機として、兄は畳み掛けるように、次のような条件を切り出した。
・ 和睦の証として源氏からは響に、為朝様を婿として差し出す。
・ なお、為朝様はまだ若いので、結婚後は響の実家である鎮西太宰府へ行き、養育を受けることとなる。
・ 響側は和睦の証として、源氏の代わりに、今回の一件や、以前から蓄積されてきた朱器台盤の傷、欠損の修繕、補修を請け負う。
これこそが、兄の切り出した『和睦案』であった。
悪左府殿や源氏側からすればこの案は
・ 源氏八郎為朝は太宰府への『配流』とする
・ 『源氏が』伝手を使って朱器台盤を修復し、それを以て八郎為朝の無礼に対する謝罪にして悪左府からの罰則とした
と見ることができる
一方、響からすれば
・ 八郎様の太宰府行は養育、教育のためであり『配流ではない』
・ 朱器台盤の修復は『義親に関する和睦』のための行為であり、今回の事件と関わるものではない
とすることができる。
はっきり言って、無理繰りである。建前と見解を屁理屈で束ねた無茶な案だ。普通なら、通るわけのないものである。
が、なんとこれが通った。理由は兄が言った『
実のところ、悪左府、源氏、そして響すら、今回の問題で激発寸前だ。血の気の多い源氏の郎党などは、あと数日遅ければ、八条殿を焼き討ちしかねなかった状態らしい。
そんな切羽詰まった状態であったからこそ、この 『普通なら誰も納得しない案』 は 『ギリギリ譲歩して受け入れられないこともない案』 となったのだ。
また、この和睦案の世評も悪くはなかった。女房達は知恵者として兄を過剰なまでに称え、今様などにも歌われ流行ったほどだ。その裏には美福門院様や、兄と付き合いが深く、河原者等の下々の文化に影響を強く持つ雅仁親王(後白河)の影があった。事実は定かではないが、おそらくこのあたりも兄の仕込みであろう。
こうして、悪左府殿は体面を守り、以前からのも含めた、朱器台盤の破損や欠損を修復することができ、左衛門大尉殿は息子八郎の処罰と、悪左府殿への謝罪を済ませた。響は朱器台盤の補修という負担を得たが、多くの技術者を抱える響にとってみれば、十分に贖える負担である。
八方どうにか丸く収まり、それらにまつわる噂も絶えた頃には、季節は秋も深まり、紅葉の季節も終わろうとしていた。
大風もなく、暑さ寒さも和らぎ始めた秋の中頃は、西国に旅立つには良い時期だ。
「行ってくる!」
秋晴れの日、特に惜しむような言葉もなく、為朝様は太宰府へと旅立ち、私はそれを見送った。
つづく