お玉物語   作:詞連

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完結!

可能なら続編書こうかな思って平治の乱以降の朝廷政治調べたら、複雑過ぎて断念した件。
なにこのカオス。
ただ、追加エピソード的なのは入るかもしれません。


お玉物語

「玉ちゃん!為朝くんからお手紙が来たってホント!?」

 

 ある冬の日、最近与えられた私の私室に、暲子様がトテトテと訪ねられてきた。

 普段なら着膨れした厚着で、自室の火鉢の側から絶対に離れようとしないはずの暲子様が珍しいことである。まあ、厚着に厚着を重ねた達磨のような姿なのは変わりないが、そんな様子でも見苦しさより可愛らしさが先に立つのは、本当にずるいと思う。

 

「ええ。こちらです」

 

 どうせ根掘り葉掘り聞かれるだろうと思った私は、太宰府から届けられたそれを見せた。

 差し出されたそれを見て、暲子様は目を丸くし

 

「……え?槍?」

「いえ、矢です」

 

 やたら太く長い軸に、刃先のついたそれは、羽がなければ槍か銛にしか見えない。

 話によると為朝様は、五人張りの弓を用い、これを飛ばしているとのことだ。毎度思うが、本当に人間なんだろうか?

 ともあれ、その矢(仮)の中程に結び付けられた文を指し

 

「ほら、ここに文が。本人的には矢文という体を取りたいようで」

「ふうん。これは中身が楽しみですなあ~」

「……見せませんよ」

「え゛え~。みーせーてーよー」

「嫌です」

 

 とは言うものの、こういった時はいつも最後には根負けするのがいつもの流れ。私は暲子様に対して甘すぎだろうか?

 

「仕方ないですね」

「ヤタ!」

 

 根負けした私は、文を解いて中身を見る。

 そこに書かれていたことは――

 

「熱烈な、愛の言葉……!」

 

 ではなく

 

「獲った首が五十を超えたらしいですね」

「……え?首?」

 

 目を点にして、問い返す暲子様に

 

「ええ、首です。それと、城もいくつか落としたようで」

「……あの、玉ちゃんへの愛を囁く言葉は……」

「ありませんね」

 

 どこを攻めたか、どう戦ったか、そしてどれだけ手柄を上げたか。

 内容はほとんど戦果報告だ。

 

 

 

 思い返すのは、為朝様が太宰へと行く直前のことだ。

 

 

 

「――というわけで、これが鎮西の情勢のあらましとなります。

 鎮西はうちの実家が世話になってる人がいますし定期的に船に乗って兄上もうかがうことになっています。

 くれぐれもそう言った所で暴れたりしないように!わかりましたか?」

「おう、つまりそうじゃないやつらを〆ればいいんだな!」

「近いけど違う!」

 

 明日には大宰府に発つという日、私は為朝様の前で頭を抱えていた。

 鎮西に行くにあたり、為朝様に色々と言い含めているのだが、何をどういっても最終的に、『誰を殴ってはよくて、誰を殴ってはダメか』という所に結論が落ち着いてしまう。何が腹立たしいかと言えば、私の言ったことはしっかり理解した上で、『あえて戦うのならば』という視点で考えれば、ほぼ間違いなく正解であるというところだ。

 

「なんで殺していい相手は全部殺す勢いなんですか!?」

「さっさと手柄を上げて、お前を迎えに来るためだ」

「……むぅ……」

 

 そう言われると、私も強くは言えず、ただ呻くだけしかできない。

 

 私は、京に残ることとなった。

 八郎様と共に響灘に戻ることも考えたが、今回の件で散々実家や美福門院様に迷惑をかけてしまった手前、おいそれと帰る訳にもいかなかった。

 美福門院様としては、何故か今回の一連の事件で、いよいよ私を暲子様の側付きとして見込んだらしく、手放すつもりはないらしい。暲子様自身としては、私と為朝様が離れ離れになることを心配していたが、少なくとも私が残ることを告げた時は、嬉しそうな顔をしていた。

 響の家にしてみれば、今回の為朝様との縁談は、事前に私に期待されたものではなかった。例えるなら私は、どこか益のある家を釣り上げるために、京に投げ込まれた釣り針と餌だ。それが釣り上げたのは悪左府を殴り、事実上勘当された源氏の八男。期待していた魚とは言い難い。せめて婚姻での縁繋ぎは無理としても、美福門院様や暲子様との縁くらいはつないでおいて欲しいというのが、響家の意向だった。

 

 まあつまるところ、私が妻であるにもかかわらず、為朝様に同道できないのは、私側の都合が原因なのだ。そんな妻のために、手柄を立てて戻ってこようとする為朝様に、手柄を立てるなとは言いにくい。

 

(仕方がない、最後は父上におまかせするとしますか)

 

 そう割り切るとただ一言だけ

 

「まあ、命だけは落とされませんよう。私は、いつまでも待ってますので」

「ははっ、3年と待たせんわ」

 

 と、為朝様は言った。

 その時は若者が良く言う大口の類と思っていたが……

 

 

 

 

 

「――この速度なら、本当に3年以内で鎮西一帯を締め上げかねませんね」

「う、う~ん。まあ、お玉ちゃんに会いたい一心での結果というなら、まあ、恋文と言えなくも……ない、かなあ~」

「あの武骨者に、そういう類の期待するだけ無駄ということですよ」

「ちぇ~」

 

 暲子様は為朝様からの文に興味を失ったらしく、そのまま私の部屋の火鉢の側に寄っていき、座り込んでしまった。

 

「う~さむさむ~」

 

 どうやら、このままここに居座る気らしい。

 

「お部屋に戻られては?あちらの方が温かいと思いますが……」

「帰る途中が寒いから、もうちょっと……」

 

 なんとも物臭な話である。

 とはいえ、追い出すわけにもいかないので、私は文箱に文をしまうと、文台に戻って書き物を再開した。

 

「……玉ちゃん、何書いてるの?」

 

 すぐに暇を持て余したらしく、暲子様は私に問うてきた。

 私はそちらに目もくれず

 

「日記を始めてみまして」

「ほえ~、日記か~」

「ええ。今後、長く暲子様にお仕えすることになりそうですから、備忘録も兼ねて。

 とはいえ、まだ書き始めたばかりですので、見せられる内容もありませんが」

「後で見せてくれる~?(ゴソゴソ)」

「かまいませんが、書いてることは日々あったことだけですし、大体暲子様も知っている内容ですよ」

「いいのいいの。こういうのは、同じものを見てても、人によってどう感じたかの違いをたのしむものだから~(ガサゴソ)」

「そういうものですか……というか、先ほどから何を」

 

 何やらガサゴソしているのがさすがに気になり、暲子様の方に目を向けると―――その手には、先ほど仕舞ったはずの為朝様からの文。

 

「――っ!?」

「ほっほぅ~なるほど~」

「か、返し……!」

「確かに”ほとんどは”戦の話だけだねぇ~。最後の和歌以外~」

 

 にやりと、暲子様が笑う。

 ここここの女……!

 

「う~ん、いけない子だなぁ~玉ちゃんは~。色っぽい話が何もないなんて嘘を、ってごめん待って待って文鎮は降ろしてそれはさすがに死んじゃう」

「ではその文を文箱にに戻してください」

 

 さもなくばチェストる。

 思いが伝わったのか、暲子様はすぐさま文を文箱に仕舞い、

 

「というわけで玉ちゃん!日記なんて書いてる暇なんかないよ!」

「大概性根が座ってますね、暲子様。というか、お気になさらず。あとで一人の時にゆっくり返事は書きますから」

「後で見せてくれる?」

「オホホホ、ご冗談を」

「それじゃあ私はいつ玉ちゃんの恋文みてニヤニヤすればいいの!?」

「一生そんな機会はありません」

「そんなぁ~」

 

 ああ、為朝様についていった方が良かったかもなあ。

 

 縋りついてくる暲子様をあしらいながら、私はため息交じりにそう思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お玉物語。それは21世紀最初の日本史学上の大発見にしてオーパーツである。

 

 

 お玉御前といえば、言わずとしれた日本史上の最大の女傑の一人だ。響氏本流の出身であり、平安末期、院政期において活躍した女性。その後の響幕府の成立には、彼女の存在が不可欠であったといわれる偉人の一人だ。しかしながら、歴史での重要性に反してその実像は、長い間謎に包まれていた。

 記録自体は過剰なほどに存在している。

 

 曰く悪女。曰く良妻賢母。曰く忠義な女房。曰く苛烈な政治家。

 

 同時代および後世における書物において、その人物像はさまざまに評価、描写され、その結果何を以て実態に近いかがわからない状態になっていた。複数人説や、八条院と同一人物説などを専門家がまじめに議論していたあたり、その混乱のほどが知れるというものだ。

 

 邪馬台国の位置と同じくらいに、結論が出ないであろうお玉御前の正体について、結論をつけたのが、お玉物語の発見である。

 

 『八百年の時も過ぎれば、八百万の恩讐も消えん』

 

 そういう伝言と共に正倉院と沖ノ島に、同年に預けられた葛籠があった。

 言い伝えに従い、800年後の200X年に開封したところ、まったく同じ内容の書物が一揃い出てきた。

 

 羽間年紀(うかんねんき)

 

 そう表題された書物こそ、世間においてお玉物語として知られる、お玉御前の残したテキスト群である。

 

 実はこの羽間年紀及びお玉物語は、その名前だけは知られていたが、わずかな断片、不完全な写本の一部を除き、実物は見つかっていなかった幻の書物であった。

 元寇時代の頃までの書物に、羽間年期やお玉物語の名前は、引用元として散見されていたが、その実物は元寇時代以降、わずかな断片を残して喪失されているのだ。

 名前だけ残して歴史の中に消えていた羽間年紀が再発見されたのは、歴史上の大発見である。

 

 

 その内容は、鳥羽院政の後期から後鳥羽上皇の治世の前半までの、およそ50余年にわたる記録集だ。鳥羽と後鳥羽の間の記録であるから、羽間、というわけだ。

 構成としては、3つに分けられる。一つは、事件を焦点にあて、50年の期間を時系列順に並べて編年体で記された部分。もう一つは、上記の編年体の部分に並行するように、その時代の各人物に焦点を当て、人物評と共に書かれた紀伝体の部分。最後は、お玉御前本人の視点で書かれた日記部分。世間的にお玉物語として知られているのは、その最後の部分だ。

 

 

 さて、この記録がオーパーツ扱いされているのはなぜか?それは徹底した引用元、情報源の管理、記録表示が理由である。

 例えば数字。平家や九朗義経の乱などにおいて、その兵数や合戦場所については、同時代の各記録においてバラバラなことも多く、その実態は極めて把握困難であった。

 お玉物語の場合、その情報は極めて明確であった。

 自分で見た数字のみを正確な数字として記述。他者から聞いた、あるいは後に他の日記などから引用した数字であるならば”どこどこの誰それが、どこで得た情報か””どこの家の誰の日記に記載されていた情報か”等を逐一記述。複数の妥当と思われる数字がある場合は両方を情報源と共に併記。そしてなにより、厳密な数字が分からないなら、分からない、不明であると記述しているのだ。

 その他にも、人の行動、発言等も時間、場所などを明確に記述。人物や事件を評するにあたっても”よし””あし”等の主観に寄った単語をなるべく回避するようにした意図が見られる。紀伝体の部分は、現代語訳すればそのままWikipediaに乗せられる程、と言えば、どれほどの完成度かわかるだろう。

 その公平さを不都合と考えた、後世の権力者、学者の政治的都合により、お玉物語は加筆、修正、削除を繰り返された結果、散逸、消滅したのではないか、という説も出たが、その真偽のほどは定かではない。

 

 

 さて、日本史学者必読の書として学術界で名を馳せた羽間年紀だが、しかし世間において有名になったのは、一般に知られている名前の通り、日記部分による。

 

 宋の説話本の影響を受けたと思われる躍動的な人物描写。客観的かつアイロニカルな文体でありながら、同時に人情深さを感じさせる内容。事情を知らない後世の人が読むことを念頭に置いていると思われる、非常にわかりやすい政治劇や人間関係の解析と解説。そして、夫である為朝への愛情(と、愚痴)。

 それらは現代を生きる人々を魅了してやまず、特に女性からは『仕事、恋愛、友情、夫婦生活、全てが完璧なキャリアウーマンの理想』として取り上げられた。その流れに乗って、お玉物語をベースに作られた大河ドラマは、低迷していた視聴率を一気に押し上げることとなった。

 

 

 さて、本人もあずかり知らぬ800年後の時代に持て囃されることとなったお玉御前であるが、当時の著名人には珍しく、彼女が詠んだ和歌は、和歌集などにまとめられることもなく、現代には残っていなかった。これは、当時和歌の腕前=教養とされる社会において、お玉御前は和歌ではなく、宋学、特に実学に重きを置き、和歌は最低限人並みにしか修めていなかったためであるといわれる。それは夫の源為朝も同様なようで、歌会などに出席したという記録はあるが、特に記録に残されてはいない。

 同じ歌会に参加した貴族の日記に

「お玉御前、源氏八郎殿共に、歌は上手からず、下手からず」

 と残されていたあたり、夫婦ともに当時の社会で最低限、無難な腕前を持っていた、といった所だと思われる。

 

 そんな二人が、年若い頃に交わした和歌が、1対だけお玉物語に残っている。

 その2句にて、筆をおこうと思う。

 

 

 八雲立つ 出雲をも経て 八国を 射抜き届けよ 八郎が文     源氏八郎為朝

 

 素戔嗚に 習いし武士は くしなだの 姫を必ず その手に抱かむ  お玉

 

 

 

 

 

 

「自分のことを奇稲田姫に例えるとか、玉ちゃんも盛りますな~」

「やかましいですよ」

 

 終




翻訳と解説

八雲立つ 出雲をも経て 八国を 射抜き届けよ 八郎が文

訳  出雲の国を含めて八つの国を貫いて、この恋文と、私の心があなたに届きますように

解説 自分の名の八の字を重ねる言葉遊び。八国とは、大宰府のある筑前から京山城に至るまで国を8つ経由することから。同時に、同じ言葉遊びをする出雲八重垣の歌を念頭に置き、九州の切りそろえを行う自分をスサノオに暗喩している


素戔嗚に 習いし武士は くしなだの 姫を必ず その手に抱かむ

訳 スサノオのような武功を成せる武士は稀であり、(もし達成出来たら)スサノオがクシナダの姫を娶ったように、灘の姫(響の姫=自分)を手に入れることができるでしょう。

解説 『くしなだの』 の部分は 『武士は奇し / 灘の姫』 と 『クシナダの姫』 の掛詞。為朝が自身をスサノオに暗喩したことから、返歌にて自分をスサノオの妻であるクシナダヒメに例えた。また、スサノオは嵐(スサ)の化身でもあり、嵐はお玉御前が為朝を例えるときよく使った言葉である。



だから和歌集に残るような和歌作るとか無理ぃ!
あと、後世の人にめっちゃ分かりやすくかつ正確に書かれてたのは、お玉自身の性格と、暲子様こと八条院様へ読ませるためだったり。
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