フェイト/スクリーミングソウル   作:ユート・リアクト

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 深夜。

 中天に浮かぶ月の光がわずかしか届かない夜の森の中を、よろめくように走る人影があった。

「はぁ……はぁ……っ!」

 人気などまるでない森の中を、一人の女が走っていた。

 息は荒いが弱々しく、顔色は血の気が失せていた。

 それも当然だ。女の左腕は『無くなって』いるのだから。肘からバッサリと切り落とされている。傷口からは止めどなく生命の赤が流れ落ちていた。

「ランサー……っ!」

 女は――バゼットは、ついさっきまでパートナーだった男の名を呟く。

 バゼットは<魔術師>だった。そして、此度の聖杯戦争に参加する<マスター>でもあった。

 彼女は既にサーヴァントを召還していた。 しかし旧知の友と『思って』いた男、言峰綺礼の騙し討ちに遭い、マスターとサーヴァントを繋ぐ証<令呪>を左腕ごと奪われた。

 完全に自分の失態だ。共に戦うと誓ったパートナーを奪われた。命からがら逃げおおせたものの、彼女の体は死へのカウントダウンを刻々と刻んでいた。

 ついに駆ける脚から力が抜け、ガクンと膝から崩れる。バゼットは勢いのままに倒れ込んだ。傷口の血が弾ける。

 倒れ伏し、バゼットはそのまま動かなくなった。もう起き上がる力も無い。

 ゆっくりと広がる血溜まりが、彼女自身を沈めようとしていた。

「ラン……サ……」

 こぼれ出たような声は、どこまでも小さかった。

 死が近い。

 極限の状態でバゼットが感じていたのは――ただ果てしなき後悔だった。

 全部自分の所為だ。戦う前から負けたのだ。

 最後の最後まで後悔が心を焼き焦がし、そして意識がブラックアウトする―――。

「ヤッホー! こんな色気の無い所で美女が一人で何してるんだ~い?」

 その時、真っ暗な虚空に響いた声がバゼットの意識をかろうじて繋ぎ止めた。

 だが声のする方向を見上げる力は残っていない。瀕死の状態だった。

「あらら? なんか死にかけちゃってるけど……って、ぶったまげ! 左のお手々が無くなってるじゃない!」

 わざとらしく驚くような軽い声。

 しかし次の瞬間には、鉄のように硬い、全く違う声が耳に届く。

「――問おう。君に生きる意志はあるかね?」

 酷く単刀直入な物言いだった。

 その言葉がバゼットの頭の中で何度も反芻する。

「い……き、る?」

「そうそう! 代わりの左腕と<新たな力>を得て蘇るンだ! これはオレからのプレゼントだと思ってくれよ、お嬢さ~ん。だって美人にはサービスしたいじゃん!」

「だが魔術師である君には<等価交換>が基本だ。何かを得るには、何かを失わなければならない。しかし、君の支払う代償は至極単純なモノだ」

 交互に届く二つの声は、何故か同じ人物が言い放っているように聞こえた。

 その言葉は甘美な誘惑を以って毒のように浸透してくる。

 まるで悪魔の囁きだ。

 しかし、それは所詮、甘い誘惑に過ぎない。そんな美味しい話があるものか、とバゼットは朦朧とする意識の中で思っていた。

「君の支払う代償は……」

 しかし言葉は続く。有無を言わせない静かな迫力を纏って。

 まるで、これしか道はないと指し示しているかのように。

「恐怖――そう、<恐怖>だ。それだけで、君は再び立ち上がる事が出来る」

 この間にもバゼットはどんどん<死>へと近づいていった。力が抜けていく。思考する力は既に霞んで消えた。

 その頃合を見計らったように、バゼットに問い掛ける声が響いて届く。

 

 

「―――更なる恐怖を望むや否や?」

 

 

 その言葉でバゼットは揺らいでしまった。揺らぐに決まっている。

 <死>より怖いものなどあるものか。

 それに、これはチャンスだ。そこに少しでも可能性が有るのならば――生きたい。

 生きたい……!

 バゼットは男の問いに頷いてしまった。

「ここに契約は完了した」

 そうして、悪夢がバゼットに宿った。

 

 

 

 

 冬木の空港。そこにネロが到着していた。長時間のフライトで疲れた足取りでエントランスを抜ける。

 時刻は既に深夜。

 先ほど日本札にお金を換金した。依頼料のほんの一部だが、財布の中は札束で膨らんでいる。半年はホテル暮らし出来るだろう。

 トランクケースの中にも、まだまだ札束が入っている。

 その得物も入っているトランクケースも無事税関を通過した。<魔術>というのは便利なものだとネロは少し感心した。

「しかしまあ……」

 初めて遊園地に来た子供のように周囲を見渡し、ネロは忙しなく目を白黒させていた。

 ここが、日本。

 遥か東方の島国。初めて訪れた外の世界。

 異文化とは排他的なフォルトゥナと比べたら、この街は未知に溢れている。新たな発見ばかりだ。仕事が終わったらキリエと一緒に改めて来よう、とネロはささやかな決意をした。

 ともあれ長時間のフライトでネロは疲れていた。長期滞在するわけでもないので少しくらい贅沢してもいいだろうと地図で近くにある上等なホテルを探す。早くチェックインして眠りたい。

 が、そのとき右腕が疼いた。

「…………ハァ」

 憂いため息が洩れる。魔力の気配に疼いているようだが、幸か不幸か『奴ら』が現れる兆候ではないようだ。

 だからといって、右腕はそれを無視させてくれそうになかった。求めるように騒ぎ立っている。

「やれやれ、さっさと寝たかったんだけどな……」

 疲れた声で独りごち、ネロは重い足取りで右腕の示す道標に従って歩き出した。

 

 

「……いつまで歩くんだ?」

 ネロは思わずボヤいた。かれこれ三十分は歩いている。右腕の導くままに歩いて、今はどこかの森の中に足を踏み入れていた。

 疼きは強くなっていくが、一向に右腕が反応しているモノは見つからない。いたずらに苛立ちが募っていく。

「チッ、どこにあんだよ? こっちは長旅で疲れてるってのに……」

 いい加減うんざりだ、と悪態を吐いた時――ネロはそれを見つけた。

 人だ。

 人が倒れていた。ネロは歩み寄って様子を窺う。

 倒れていたのは女性。赤紫色の頭髪に、男物のスーツを着た男装の麗人だ。そのスーツの左袖のところだけキレイに破れている。

 何より、彼女は血塗れだった。外傷こそ見当たらないが、何故か血塗れなのだ。

 そして、右腕を介さずとも強い<魔力>が確認できた。

 この女性こそが、ネロの右腕が反応を示した原因だったのだ。

「参加者か」

 ネロは確信した。この女性は魔術師で、聖杯戦争の参加者なのだと。

 この状態から察するに、おそらく敗走して命からがら逃げ延びて、ここで力尽きたのだろう。一応、死んではいないようだが。

「……見過ごすわけには、いかないよな」

 とりあえず助けておこう、とネロは思った。人を助けるのに理由は要らないのだ。

 それにこんな寒空だ、見て見ぬ振りしてこの女性に凍死されたりでもしたら後味が悪い。ネロは女性を担ぎ上げようと手を伸ばす。

 そして突如、右腕が警鐘を鳴らした。

『ねえ、その人連れてっちゃうの?』

 少女の声がした。夜の闇に不気味に揺らめく森の中で。少女の声が、した。

 ネロの耳に、そんな歌うような声が届いたが、その心地良い音色とは裏腹に――あまりに強烈なプレッシャーを全身に感じた。

 圧倒的な死の気配だ。右腕が騒ぐ。

 急に重くなった空気に息苦しさを感じながら、ネロはゆっくりと振り返った。

「こんばんわ、お兄さん」

 ネロは一瞬、人形が話しているものと錯覚してしまった。

 果たして、そこには少女が立っていた。自分のものとは種類の違う柔らかい色の銀髪。ルビーのような紅い瞳。

 木々の隙間から僅かに届く月明かりに照らされたその姿は、ひどく幻想的で美しかった。人形と見紛うのも無理はないと納得する程に。

 その人間離れした美貌の少女から、膨大な魔力が確認できた。普通の人間ではないことは明白だった。

 しかし。

 ネロの眼にその銀の少女は映ったのは一瞬だった。少女を一瞥した後、ネロの視線は少女の背後に固定されて動かなかった。

 何故ならそこに――在ってはならない存在がいたからだ。

 それは<死>だった。

 鋼のような筋肉の鎧を纏った肉体に、その右手には剣というのもおこがましい荒削りの岩塊。そして、その身から放つ絶望的な殺気と威圧感。

 それは<死>だった。

 巨人の姿をした死の塊だった。

 ネロは戦慄した。目の前の理解不能な光景に。

 それは確かな現実の筈なのに、しかし何故か現実ではない幻想を目の当たりにしているような曖昧ささえ感じる。

 だが、やはり異常な光景である事に変わりはなかった。何もかも異常だった。

「……お嬢ちゃんがこんな時間に何してるんだ?」

 巨人を見据えたまま硬い声で訊ねる。

 少女はネロの問いには応えず、クスッと小さく笑い、着衣している紫のコートの端を摘んでお嬢様のように丁寧なお辞儀をした。

「はじめまして。わたしはイリヤ――」

 その笑顔は可愛らしく、まるで可憐に咲いた花のようで。淑女然とした礼儀正しい立ち振る舞いさえ除けば、それはごく普通の少女の在り方そのものだった。

 だが油断はしない、出来ない。ネロの右腕が、いっそ痺れるほどの疼きを以って全力で警戒する事を訴える。

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと言えばわかるかしら?」

 その長い名前と、幼さにそぐわない高貴な雰囲気から、少女が由緒正しき一族の出だという事が伺える。

 だが、ネロは少しの間を置いて、

「悪いが知らないな」

 と答えた。

 その返答にイリヤは大きな目をパチクリさせる。そんな筈はない。<アインツベルン>の名は、魔術師の間では極めて有名だ。

 そう、魔術師の間でなら、という話ではあるが。

「え……? あなた、魔術師じゃないの?」

「ああ、残念だが違う。お嬢ちゃんは聖杯戦争に参加する魔術師ってやつか? 俺はこの戦争に参加しろとだけ言われてね。詳しい事は何も知らねェんだ」

 魔術師でもないのに聖杯戦争に参加?

 そんな事は出来ない。そんな事はありえない。

 イリヤは唖然とした後、落胆したようにため息を吐いた。

「そう……つまんない」

 魔術師、ないし聖杯戦争におけるルールの一つ。

 目撃者は生かすな。

 死を以って<神秘>を秘匿する。それに例外など存在しない。

「――殺していいよ、バーサーカー」

 イリヤは囁いた。死の宣告を。

 その命を受けて、狂戦士<バーサーカー>と呼ばれた巨人は、目覚めたように咆哮した。

『■■■■■■■ーーーーーッ!!!!』

 人外の雄叫びが夜の森を揺るがす。ビリビリと空気が震撼する。

 次の瞬間、バーサーカーが駆け出した。巨体ゆえに鈍重そうな見た目に反して、信じられないほど、疾(はや)い。

 ネロは急いで倒れていた女性を担ぎ上げ、飛び出すようにその場から退く。そして、一瞬遅れてバーサーカーの斧剣がネロの立っていた地面を叩き砕いた。

 それは爆撃じみた一撃だった。

 一見して相当な重量である筈の大剣は、しかし片腕で軽々と振るわれ、だがやはり絶大な威力を体現していた。まるで小規模な爆発のように地面が爆ぜる。

(マジかよっ!?)

 驚愕に顔が引き攣った。あんなのが直撃したら、盛大に血と肉が弾け飛んで出来損ないの粗挽きになってしまう。そんな惨事が想像に難くない程の一撃だ。

 さらに悪いことに、両腕はトランクケースと女性とで塞がっている。自己防衛すらままならない。

「ちぃ……!!」

 ゆえにネロの選んだ手段は、逃走だ。

 最善の判断だった。間違いなど無い。

 それに、分が悪い以前に起きている状況が全然理解出来ていない。ともかく今はこの場から離脱する、その一心だった。

 一瞬の破壊の後、ネロは脇目も振らず駆け出した。全力疾走。今はこの危機的な状況下を逃げ延びるため、ただ走る、走る、走る―――。

 駆ける脚は獣のように力強くしなやかに。一陣の風となり、ただひたすらにネロは走る。

 だが、それでも。

 絶対的な死を纏った脅威は迫っていた。すぐ頭の上に。

 ネロの視界に影がさし、上方から強烈な殺気と威圧感を感じた。

 走りながら慌てて中空を見上げると、バーサーカーが跳んでいた。逃がれる獲物を踏み潰さんと、その圧倒的重量を武器にネロ目掛けて落下して迫る。

(やべぇ―――!)

 ネロは慌てて横っ飛びした。その直後、バーサーカーが地面を踏み抜く。

 まるで小隕石の落下。凄まじい衝撃に森が小さく揺れる。

 着地点は大きく陥没し、反対に周囲の地面が隆起する。バーサーカーを中心に、巨大な石の花が大地に咲いた。

「っ……!!?」

 それも攻撃の範囲なら、躱す手立てなどある筈がなかった。

 盛り上がった土岩石の花弁にネロの体が持ち上げられた。その勢いで足が地から離れる。

『■■■■■■■ーーーーッ!!!!』

 致命的な浮遊感を感じるネロの目の前、もう既に岩塊の剣が迫って来ていた。

 だが、もはやどうにも出来ない。足場を失った人間など、水から追いやられた魚と何が変わろうか。

 だから、それでチェックメイトだった。

 そして無情にも、轟と風を引き裂いて斧剣が振り抜かれた―――。

 

 

 

 

 ―――『島(国)』に関する研究報告 ―――

 

 

 悪魔を神と崇める島、『フォルトゥナ』の概略。

 記述:文化人類学博士 <ヴィクター・フォールフェロー>

 

 

 排他的な気質と独特の宗教文化から、一つの小国家として独立している国々が、いつの時代にも僅かずつながら存在した。(中略)

 その一つが、とある大陸沿岸部に位置する城塞都市フォルトゥナである。

 かの地には魔剣教という独自の宗教文化、また魔剣教団という信仰組織が存在する。

 現在確認されている最古の教典には中世の物があるので、少なくとも中世かそれ以前から一つの小国家として存在しているものと思われる。

 その地に住まう人々は、一つの宗教と生まれた土地や家柄を重んじる傾向から部族としての連帯意識を強め、こんにちまで歴史を積み重ねていった。

 ここで留意すべきは、彼らの信仰する『神』とは、彼らの宗教の起源となった伝説に登場する<悪魔>だという点である。

 <悪魔>や<邪神>として忌避される存在が、この島では単に『神』と呼ばれているのだ。

 しかし重要なのは、この地の宗教が多神教ではないということだ。

 彼らが信仰するのは唯一神であり、それ以外の悪魔は例に漏れず邪悪として忌避されている。

 彼らが『神』と崇める悪魔の名を<スパーダ>といった。

 様々な宗教や文化を研究する中で、スパーダの名を聞く事は少なくない。

 しかしスパーダの伝説を記した書物は、ほとんどがヴァチカン禁書図書館に収蔵されているので、詳細については全くの不明瞭である。

 比較的近年の、400〜500年前に成立したと思われる伝承では、彼らの『神』、つまりはスパーダがその地で領主を務めていたという。(後略)

 

 

 (モパック大学文化人類学科研究論文集より抜粋)

 

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