夕陽が沈み月が昇ったたそがれ時、ネロは冬木の町を歩き回っていた。
あの後、洋館から出て来たバゼットの顔色が驚くほど真っ青だったので先にホテルへと帰ってもらった。今は一人で町の地形把握がてら、隣の深山町まで大橋を渡って移動している。
あまり人のいない歩道を歩いていくと――不意に右腕が反応した。
強い魔力、その淀みを感知したのだ。
少し足早にネロは右腕の示す方へと歩を進める。
しばらく歩くと、魔力の出所へと到着した。 着いた場所は、学校『穂群原学園』――そこでネロは明らかな異常を感知する。
「これは……」
空気が淀んでいる。いや、それどころのレベルではない。
大規模な結界が、学校全体を覆っていた。
バゼットから色々とレクチャーされたネロは、<結界>というモノについても大体把握している。
しかし、これは人払いや音を遮断する類の結界ではない。それ以外は判らないが、極めて危険なモノである事はネロでも解った。
胸糞悪いぜ、と悪態を吐き、学校の敷地内に足を踏み入れる。
「一応、調べとくか」
口では調べるだけと呟いているが、その実、ネロの顔は戦闘時のそれと同じように引き締まっていた。
右腕が疼きを以って知らせるのだ。この学校に強大な存在がいる、と。
それはサーヴァントがいるという事を暗に示している。今、この町で右腕が反応するほど強大な存在はサーヴァントしかいない。
ならばマスターもいるはずだ。右腕が感じるもう一つの気配がそうだろう。
サーヴァントと比べるとやはり劣るが、中々の魔力(ちから)を持っている。
この結界を張った張本人かと思ったが、次々と魔力の淀み―――結界の起点となる呪刻―――を壊している事からどうやら違うようだ。おそらく起点の大元を探しているのだろう。
「……ついでに、挨拶もしておくか」
ニヤリと笑って呟く。その胸中は、あまり上手くない事を考えていた。
―――ネロは挨拶代わりに一戦交えて、隙あらばサーヴァントを奪ってやろうと画策していた。
バゼットに『一人で交戦するな』と釘を刺されているが、教団騎士だった頃から命令違反ばかりしていたネロだ、その頭の中からは既にそんな注意は消え失せている。
それに時刻は夜中。学校に人は残っていないし、派手に騒いでも問題ないだろう。
そう勝手な結論を出し、気配を押し殺して校庭を駆け抜ける。
目指す先は右腕が感知した魔力の淀みの最たる場所、屋上。そこが起点の大元だ。
屋上まで最短コースを行こうとするネロは、校舎のすぐ近くまで来たところで足を止める。
そして少し腰を沈め『溜め』を作ると、おもむろに跳躍した。
驚異的なジャンプ力で一気に二階の高さまで上がり、そこから窓辺や壁のわずかな窪みを足場に跳び続けて校舎を上っていく。
ブーツの底で軽快な音を鳴らし、口元には笑みさえ浮かべ、ネロはあっという間に屋上まで辿り着いた。
「さて、と……」
小さく一息つき、屋上から校庭を見下ろす。
およそ争いとは無関係な平和な場所だ。
学問を学び、青春を謳歌するこの場所が今から<戦場>になる事に、ネロは皮肉げに鼻を鳴らす。それと同時、平和な日常の陰で行われる<戦争>を心底くだらないとも改めて思う。
もっとも、自分から仕掛ける時点でそんな事を思う資格は無いなとネロは苦笑した。それに、結局のところ、この場所でなくとも戦争は行われるのだ。
そんな事を考えている間にも、二つの気配が屋上まで近づいてきていた。
ネロは先手を取るため給水塔の上に跳び乗る。
「――――」
この学校の一番高い場所で曇天の夜空を仰ぐ。雲の切れ目から届く月明かりがネロを照らし上げた。
まるで、<悪魔>が其処に君臨することを許されたような光景だった。
蒼白く濡れた世界、わだかまる闇のコントラスト。その月の魔力に満ちた空気を肺一杯に吸い込む。
瞬間、力が漲った。暗い情熱がネロの瞳に宿る。
全身を駆け巡る血流がハイテンションに16ビートを刻むを感じながら、ふと、自身の右腕に目をやり思いを馳せる。
―――自分の体が『こう』なったのは、右腕が変貌してからだ。
以前は月の魔力を与って反応する事はなかった。
その目に見えぬ変化。この右腕が禍々しい様相に変わり果てたのを切欠に、自分の体もその性質を改めたのだ。
自身に流れる悪魔の血が目覚めたからだろうか。夜の闇が訪れるたびに危険な衝動に駆られる。
タイミング良く依頼が入った時は悪魔を狩ることでそれを鎮めることが出来るが、しかし決して満たされない魂の渇きを聞くのだ。
『Give me more ■■■■■(もっと■を)――』
そうして、屋上の扉が開いた。その重々しい音に意識を戻したネロは相手の姿を確認する。
赤い背中が見えた。
瞬間、ネロはほとんど無意識に『あの男』の姿を投影してしまったが、その背中の主は女だった。ツインテールに纏めた艶やかな黒髪が夜風に靡く。
サーヴァントの姿は見えないが、ネロには『視えて』いた。
女の背後にいる存在を、右腕が疼きを以って知らせてくれる。
女は早速、呪刻を調べ始めた。少し調べた後、コレは自分の手に余るものだと判断した女は、それでも小さな抵抗として呪刻に魔力を流し込もうとする。
それが頃合だった。ネロはもう待ち切れないとばかりに声を上げた。
「よぉ、いい夜だな」
「っ……!?」
直後、弾かれるように女は――遠坂凛は声のした給水塔の上を見上げる。互いの碧眼を覗き込んで視線が交差した。
灰色の夜。濁った空気に緊張が走る。
―――さあ、イカれたパーティーの始まりだ。
◇
凛は困惑していた。
突如響き渡った声に振り向いてみれば、給水塔の上、そこに一人の男が立っていた。
その身に纏うのは、赤のインナー、裏地の赤い紺色のコート。現代風の派手とも言える服装を、しかし驚くほど違和感なく着こなしている。
その色鮮やかな服装でさえ、男のあまりに端正な顔立ちの『引き立て役』以上には成り得ないからだろうか。
男の容姿は空恐ろしいほどに整っているのだ。
中天に浮かぶ満月を背景に佇む男の姿は、暗く、残酷で、冷たい美しさに満ち溢れていた。
夜風に翻るコートも揺らめく闇のようであり、燃え盛る炎のようにも見える。
その幻想的な光景に、凛の脳裏に連想して浮かぶ言葉があった。
―――まるで<悪魔>のようだ、と。
そして、その男から魔力が確認できた。
男の体から立ち上る青い炎のようなそれは、非常に濃密で、膨大で、あまりに禍々しい魔力だった。
魔力を燃料と喩えるとしたら、男のそれはニトログリセリンのような危険性を感じた。
(―――やば。あいつ、桁違いだ)
背筋に冷たい汗が流れる。警戒を露わに、凛は知らず緊張で乾いた口を開いた。
「……これ、貴方の仕業?」
学校に張られた結界の事を指して男に訊ねる。
男は――ネロは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「違うぜ、こんな小細工をするのは趣味じゃねえし気に食わねえ。『そこ』のあんたも、そう思うだろ?」
「っ……!?」
その言葉に驚愕する。あの男には、霊体化しているアーチャーが見えているのだ。根本的に零体であるサーヴァントは、実体から非実体へと自在に転移することが出来る。
そして、霊体・実体を問わず、サーヴァントはサーヴァント同士で互いの気配を感じ取ることが可能だった。
それが意味するものは―――。
「やっぱり、サーヴァント……!」
霊体であるサーヴァントを知覚できるのは、同じサーヴァントだけだ。
しかし。
「残念だがハズレだ」
ネロはそれを否定する。
嘘偽りは無い。この身は人外でこそあれ、世界の神秘である英霊ではないのだから。
「……え?」
ネロの答えに、凛は間の抜けた声を漏らした。
サーヴァントでないのなら、マスターか? しかし、マスターならば自分の令呪が反応するはずだ。令呪は令呪に反応する。相手を識別できる。
凛は、もう訳がわからなくなってきた。
「あなた、いったい……」
「そんな事はどうでもいいだろ? 俺の目的は、あんたのサーヴァントだ」
「……何ですって?」
「おとなしく令呪を破棄してサーヴァントを譲れば―――見逃してやってもいいぜ、お嬢さん?」
いつか『あの男』に言われた言葉を、そっくりそのまま言い放った事にネロは奇妙な満足感を覚えた。
なるほど、この余裕たっぷりな態度は、やってみると意外にクセになる。
「……」
その言葉に、凛は整った顔を険しく歪ませた。
まるで自分を敵視していないナメた態度……腹立たしい。
大人びているが自分と同い年くらいの奴に『お嬢さん』呼ばわりされた……ムカつく。
ああ、一発ぶん殴ってやりたい。凛の俺様気質な思考が暴力的に白熱していく。
しかし、行動に移せなかった。
サーヴァントでもマスターでもないが、相手の放つ<人外>の気配が、行動に移す事を戸惑わせているのか。
しばし睨み合い、張り詰めた静寂が漂う。凛は息苦しさを感じた。
「どうした? 来ないのならこっちから往くぜ?」
ネロの右腕が上がる。
コートの長袖とグローブに包まれた右腕が、ぼんやりと青白く光った。
そして、閃光。迸る魔力がその正体だった。
一瞬の発光のあと、ネロの手に魔剣<閻魔刀(ヤマト)>が発現した。この世ならざる刃が月明かりに濡れて妖しく光る。
凛はその刀の持つ圧倒的な神秘に目を奪われ、背筋が凍りつくような悪寒を覚える。
―――恐怖。
「さあ……始めようか!」
ネロは猛禽のように給水塔の上から飛び出した。
その瞬間、凛は弾けるように行動を開始し、
「は、っ―――――!」
強化した脚力でフェンスを飛び越えた。
一瞬遅れて、閻魔刀の一閃が凛のいた空間を切り裂く。
「Es ist gros, Es ist klein……!」
魔術で重力を調整、アーチャーに着地を任せて地上に降り立つ。
直後、凛は全力で走り出した。
そして自分たちの長所を生かせる遮蔽物のない広い場所、校庭に辿り着く。
それと同時―――銃声が響いた。発射された銃弾が足元に突き刺さり、凛は足を止める。
銃声は一回だったが、どういうワケか地面に穿たれた銃痕は『二つ』あった。それを一瞥した後、凛は急いで振り返った。
「まったく、脚の速いお嬢さんだぜ」
追いついたネロは感心したように嘯いた。
果たして、その左手には<銃>が握られていた。銃口から吐息のように硝煙がたなびく。
よく見ると、その銃口は『二つ』あった。それがシングルアクションで二発の銃弾が発射されたカラクリの正体である。
銃身のサイズも剣と見紛うほど長大で、まるっきり鉄板だ。
側面には薔薇の花をモチーフにしたのか、青い花弁と絡みつく蔓のレリーフとが刻まれている。
なるほど、青い薔薇<ブルーローズ>。
その花言葉は『ありえないもの』―――あの銃を言い表すのに、これほど相応しいものもなかった。
「アーチャー!」
凛の叫びに応えるようにアーチャーが実体化する。その両手には、白と黒の湾刀が握られていた。
ネロは何故か驚いたようにアーチャーを凝視する。
「……へぇ」
そして挑戦的な笑みを浮かべた。
驚いたのは、白と黒の得物を構えるアーチャーの姿が『あの男』と酷似していたからだ。その体格も、髪の色も、纏う赤い外套すらも。
ただ外見が似ているというだけなのだが、ネロの闘志を煽るには十分だった。
銃をホルダーに収め、閻魔刀の切っ先を向ける。
「あんた、弓兵なのに剣で戦うってのか?」
嘲りを込めた口調で話し掛ける。
弓を主体とする筈のアーチャーが、剣を執って戦うというのだ。
サーヴァントを相手に下手な先入観など油断を招くだけだが、経験の少なさゆえか謗ることを禁じ得ない。ネロもまた、若いのだ。
「なに……これでなかなか捨てたものでもないぞ? 試してみるか、小僧」
アーチャーは嘲笑するように返した。
話し方こそ違えど、その不敵な態度まで『あの男』と共通している事にネロは浮かべた笑みをますます深める。
いいね、ぶちのめし甲斐がある。
「『小僧』かよ、我ながら甘く見られたもんだ」
マスター権を奪った暁には文字通りのサーヴァント(奴隷)としてこき使ってやろうと心に決め、刀を構える。
空気が重くなる。場は闘争の気配に満たされた。
「さて……どうするんだ、凛。私の準備は、とっくに出来てるが」
アーチャーは己がマスターの指示を仰いだ。凛の意思が戦いへの号砲となる。
凛は一度目を伏せ、数寸たってから決然と開いた。その口元に不敵な笑みを浮かべて。
初めての実戦への緊張もある。
正体不明の敵への恐怖もある。
しかしそれ以上に、今は戦闘への高揚が心と体を満たしていた。そのどこか好戦的かつ挑戦的な気質も、遠坂凛の持つ<強さ>の一つであるのか。
「アーチャー」
従者の鋼のような背中に語りかける。
凛は声に緊張を表すこともなく、依然、悠々と落ち着き払ったまま応じた。戦いに臨んでこの余裕は、すなわちアーチャーに託した絶対の信頼の証でもあった。あらためてアーチャーは良い主に恵まれたことを胸の内で感謝する。
「貴方の力、ここで見せて」
「―――ク」
それは笑いだったのか。
凛の言葉に応えるように口元をつり上げ、そしてアーチャーは疾走した。
纏う外套が赤い残像を残し、次の瞬間黒と白の剣が交差して奔る。
「シッ――――!!」
その十字斬りを、力強い一振りが弾いて逸らす。
激突に火花が飛び散り、剣を振り抜いた一瞬の硬直のあとには嵐のような剣戟を開始していた。剣風が土煙を巻き上げ、互いの剣が弾け合う度に閃光と炎が炸裂する。
ネロの持つ武器<刀>は細身な形状ゆえに折れやすく、いま扱われているように『まともに打ち合う』のには適していないのが道理なのだが、そんなものは閻魔刀の強靭な神秘の前に度外視されていた。
ゆえに何の憂慮なく振るわれる魔剣の斬撃は鋭く、重く、間断ないほど迅い。
その上、刀身に魔力を込められたそれは恐ろしいまでの威力を発揮し……だというのに、アーチャーの手にする夫婦剣<干将・莫耶>に悉く捌かれていた。
柔は剛を制す、とはよく謂ったものか。ネロの剣が激流だとすれば、アーチャーのそれはまさに清流だった。
力強い一撃を無理せず受け流し、次に備えて体勢を立て直し、捌き、構え、それを繰り返す。
(攻めきれねぇ……っ)
守勢に徹するアーチャーの剣が突破出来ず、ネロは攻めあぐねて苛立ちを募らせていた。
相手の防御を切り崩すためにも剣の戻しを速くし、矢継ぎ早に繰り出し、剣戟を加速させる。
しかし手数で勝るアーチャーだ、速まるペースにも難なく食らい付いてくる。
結果、現状は変わらないままいたずらに苛立ちが募っていく。
「Damn……!」
悪態を吐いた次の瞬間、技を二の次にして力任せに剣を振り下ろした。威力を重視し、防御ごと相手を叩き伏せる事を目的とした袈裟懸けの一撃。
その大振りこそを狙っていたのか、ここへきてアーチャーは受け流すのではなく、全身のバネを駆使し渾身の力で弾き上げた。
ネロは万歳する形で体勢を崩された。込めた力が大きい分、弾き返された時の反動も大きい。
その隙を突き、返す刀がネロの首を断ち切らんと迫る。
「くっ――!」
狼狽も露わに慌てて上体を逸らし、一瞬遅れて剣先が喉元を掠める。
ネロは躱した勢いで一度バック転したあと、跳躍して距離を取った。
「外したか」
アーチャーは特に感慨もなく呟いた。
ネロは思わず喉元を撫でる。返しの一撃は首の薄皮一枚を切り裂くだけにとどまったが、肝を冷やしきるには十分だった。
今のは危なかった。感情に剣を乱すな、と一昔前にクレドに叱られた事があったが、同じ轍をまた踏んでしまった。
情けない。しかし反省は後だ。
今の失敗で最後の甘さが消えた。ネロの顔が<戦士>のそれへと変貌する。
「……やってくれるじゃねぇか。正直、危なかった。ケツの穴が縮んだぜ」
軽口はそのままに、しかし油断なくアーチャーと対峙する。
「ふん、ならば武器を捨てて降伏するかね? 今ならば、まだ許してやらない事もない。無益な殺生は苦手でね」
言って、アーチャーはニヒルな笑みを浮かべた。
その余裕たっぷりな態度が気に入らない。
だから、あの野郎に一発カマしてやろう。してやられた時、てめぇならどうする?
―――決まっている、やり返してやるのさ。
「ああ、そうする。ほらよ」
問い掛けに応じ、ネロは閻魔刀を放擲した―――アーチャーに向かって。
「「……!?」」
赤の主従が戸惑ったように動揺する。相手はまるでパスするように自らの武器を放り投げたのだ。
アーチャーは山なりの軌道を描く閻魔刀を見上げ、しかし直ぐにそれが布石だと気付いた。急いで意識を移し替える。
その時すでにネロは神速に迫る踏み込みで肉薄していた。
「イィイヤアッ!!」
裂帛の気合いと共に、加速しながら振りかぶった右腕を鋭く突き出す。突進の勢いを利用した渾身のストレート。
タイミング的にそれを躱せないと瞬時に判断したアーチャーは二刀を交差させて防御し―――。
瞬間、凄まじい衝撃が襲い掛かった。
「ぐぅ…………ッ!!」
アーチャーの口から苦しげな呻きが漏れる。
その拳打は、まるで砲撃の着弾を思わせるような攻撃性と威力を持っていた。
炸裂するインパクトに空気が震える。
拮抗は一瞬。次の瞬間、干将・莫耶が粉々に砕け散った。
それでも衝撃は殺しきれず、アーチャーは踏ん張る体勢で地面を滑る。
突撃と同時に放り投げた閻魔刀の着地点に移動したネロは、素早く閻魔刀をキャッチして再び踏み込む。
「チェックメイトだ!」
勝利を確信した宣言。武器を失った相手に防ぐ手立ては無い。
そして、ようやく踏み止まったアーチャーに閻魔刀が振り下ろされ―――新たに出現した二刀に受け止められた。
「なにっ!?」
「一度崩れた剣が……!?」
ネロは驚愕に目を見開いた。凛が信じられないとばかりに叫ぶ。
武器を砕かれたアーチャーのその手には、再び<干将・莫耶>が握られていたのだ。
閻魔刀を受け止める双剣はやはり先ほどのそれと同一の物で、その異常性に息を呑んでネロは一旦距離を取る。
息を呑んだのはアーチャーのマスターである凛も同じだった。
<宝具>とは唯一にして無二のモノだ。その宝具である双剣が―――アーチャーの宝具は、そのクラスが示す通り<弓>である筈なのだが―――もう一つある。
それは明らかにオカシイ事なのだが、しかしそれよりも。
―――それを殴ってぶっ壊す右腕はもっとオカシイ。
硬い鋼がパンチ一発で壊されるかフツー。ああもう、ワケがわからない。
凛は内心、頭を抱えた。
同じ疑問を抱いていたのか、アーチャーが静かに口を開く。
「宝具を砕くとは呆れた拳打だ。その右腕にはチタンでも仕込んでいるのかね?」
その不敵な態度こそ変わらずとも、アーチャーは確かに驚いていた。ただ動揺していないだけなのだ。
「ハッ、面白いコト言うな。物質化した奇跡である宝具は、チタンでぶっ壊されるほどお粗末なモンなのかい?」
意外とユーモアなその質問にネロは小さく笑って嘯いた。そして突如、握られている閻魔刀がその形を崩壊させ、ネロの右腕に『吸い込まれる』ように消えた。
無手となるネロの行動をアーチャーは訝しがる。
「何か仕込んでるか、って質問だったが……いいぜ、見せてやるよ。こいつも、さっきから腹が減ったってうるさいからな」
指し示すように体の前で構えた右腕。ネロの裡に宿る『もう一人のネロ』が、その右腕を介して訴えるのだ。
もっと戦え。
右腕(じぶん)を使って戦え。
裡より叫ぶ邪悪なる魂に呼応して体が昂ぶり、血が滾り、さらなる激闘への衝動に心が渇く。
人間としての理性がかろうじてそれを抑えていた。
「Not so fast(焦るなよ)……」
そう、焦るな。腹が減ったのはわかったから、そんなにがっつくなよ。
―――今から思う存分暴れさせてやる。
ネロは右の袖口に手を掛けた。
「っ……」
凛の顔が強張る。
その袖口からわずかに覗いて見えたのは、人の肌色をしていない『何か』だった。
それを見た瞬間、本能的な恐怖が全身を貫いた。
アーチャーもわずかに顔を顰めている。英霊と成ってなお残る人間(ヒト)の部分が、逃れ得ない恐怖を訴えたのだ。
その理解不能にして絶対的な恐怖を与えてくる『何か』――それを見るのも知ることすらも恐れて本能が警鐘をかき鳴らす。嫌だ嫌だと叫びまくる。
しかし、そんな都合など知ったところではないネロは獰猛な笑みを浮かべながら緩慢な動きで袖を捲り上げ―――。
「おもしろそうじゃねえか、オマエら。オレも交ぜてくれよ」
その時、場違いなほど軽快な声が響いた。風に乗って漂う獣臭が鼻を突く。
ネロは動作を止め、三人は声のした方を振り向く。
視線の先、まるで十年来の友人と向かい合うかのようにソイツは自然と立っていた。
その得物。身の丈をさらに上回る二メートル余りの長竿は、もはや武具として見違えようもない。七つのクラスの中でも『騎士』の座(クラス)として恐れられる三つ――凛の侍らせるアーチャーに並び立つ『槍』の英霊。
「……ランサー」
ネロは固い声で呟く。
今宵、集結する幻想。真紅の魔槍を携えた青い獣が応えるように笑みを浮かべた―――。