日の落ちた暗い貧民街を、一人の青年が歩いていた。
燃える様な赤髪と青い瞳は闇の中でもその存在を主張している。
『剣聖』ラインハルト。
おおよそこの街に相応しいとは思えぬ彼の姿はやはり、住人たちからは疎まれ僻むような様子で遠巻きから観察されていた。
「すまない、少しいいかな?」
足を止め物陰に隠れる少年に声をかける。
しかし少年はびくりと肩を震わせると、一瞬眉を吊り上げてその場を走り去っていった。
「参ったな、やっぱり協力は仰げそうもない」
そう言って小さくため息をつき、周囲を見渡しながら再び歩く。
この街に入ってからというもの、好奇と警戒、或いは羨望ややっかみの視線に晒されながら先ほどの様に話しかけてはすげない態度を取られる彼であったが、その表情に落胆や怒りは無い。
彼は貧民街がどんな場所であるかは当然知っている。ならば、自分の様な人物が歓待されない事くらいは容易に予測できる。
それでもわざわざこうしてやって来たのは、ある人物を探すためであった。
キリュウ・カズマ。そしてナツキ・スバル。
しばらく前に王都の路地裏で出会ったこの二人は、素性こそ怪しいものの決して悪い人間には見えなかった。
スバルは真っすぐでユニークな人物だったし、キリュウは祖父と比較しても遜色ない実力と貫録を兼ね揃えた傑物だった。
スバルとはいい友人になれると思ったし、キリュウは人生の良き先達として敬うべき人物だと、ラインハルトは心の底からそう思っていた。
ではそんな彼が二人を探しているのは親交を温めるためかというとそうではない。
彼らは去り際に、気になる事を口にしていた。
『人を探してるんだ! この辺りで白いローブを着た銀髪の女の子を知らないか?』
あの時ラインハルトは心当たりが無いと言ったが、それは嘘だ。
彼にはその人物の人となりをある程度は知っていたし、王都にいるであろう事も、世界広しと言えどそんな風貌の人物はおそらく一人しかいるまいという事も知っていた。
では、何故彼は嘘をついたのか。
それは、スバル達が探しているであろう人物が、今のこの『ルグニカ王国』にとって非常に重要な人物だからである。
そんな彼女を探している人物が、貧民街へと向かったという。
ラインハルトはお人よしではあるが能天気ではない。
善人がやむおえず悪を為すこともあるし、悪人が善人を装う事もわきまえている。
二人がそのどちらかはわからないが……、心情的には最悪でも前者であると思ってはいるが、ともかく。
貧民街と尋ね人の関係。そして二人の思惑を、彼は確かめる義務があったのだ。
とはいえ、さしもの彼も全くの協力なしでは人探しもそう簡単には終わらない。
さて、次はどこを探そうかと彼は軽く空を仰いだ、その時だった。
木材が軋み破れる音が、夜の静寂を乱す様に響き渡った。
「今のは……」
直感で確信する。
今のは自分の目的に関連する何かである事に。
音のした方向へ彼が駆けだした時、もはや彼の姿をその目で捉えられるものは一人もいなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「終わった……のか……」
盗品蔵に空いた人間大の穴に目を向け、スバルは恐る恐るそう呟いた。
既にエルザの姿は見えない。まるでゴム毬の様に派手に吹き飛んだ彼女は相当遠くへ弾き飛ばされたであろう事は想像に難くない。
だが幾度となくゾンビの様に立ち上がる彼女の姿が目に焼き付いているスバルには、再び彼女が平然とした様子で戻ってくるのではないかと気が気でなかったのだ。
桐生に目を向けると、未だその残身に熱が残るかのように、一撃を放ち終えたその姿勢のまま静かに呼吸を繰り返している。
そんな桐生に真っ先に近づいて行ったのはフェルトだった。
「おっちゃん!」
風を切る様な速さで桐生の元へ近づき、小さく首を上げてその姿を見上げる。
体には至る所に裂傷が刻まれ、血と泥や埃にまみれ汚れ切っている。
だが拳の先を見つめるその表情に苦悶や憂いは無く、構えを解きフェルトの姿をその視界に捉えると、彼は優しく微笑んだ。
「おう、大丈夫か?」
そんな桐生の姿に安心したのも一瞬、次には自分でも分からない理不尽な怒りがこみあげて
「ひ、一人でかっこつけてんじゃねーよばか!」
なんて心にもない悪態をつきながら、軽く脛を蹴ってしまうフェルトだった。
「や、やったぞーーーぉぉ!」
そんなフェルトを皮切りに、堰を切ったようにスバルの叫びが盗品蔵をこだまする。
「やった、やったぜハニー! 叔父貴の勝利だ! やっと生き残れたんだ! グッバイトゥデイ! ハロートゥモロー!!」
銀髪の少女の手を取り、息もつかせぬハイテンションと満面の笑顔で、くるくると回りながらステップを踏むスバル。
そんなスバルのテンションについていけず、顔を引きつらせて笑う少女も内心は安堵に胸を撫でおろしていた。
「よ、よかったね、私もその、すごーく助かった」
「助かったなんてもんじゃねえよ! 手は、足は!? 首は勿論ついてるよな!?」
「当たり前でしょ? 恐い事言わないでくれる?」
彼女にとって意味不明な問いかけに答えると、スバルはそれに満足したようにうんうんと頷き、親指をグッと立ててウインクを送る。
「そうだよな、当たり前だよな! 君も俺も、首も手足もついてるし腸だって漏れてない! これも全部叔父貴のおかげだぜ!」
そう言って思い出したかのように、少女の手を取って桐生の元へと駆け寄るスバル。
その一連の様子を眺めていたロム爺は、やれやれと頭をかきながらその後ろをついて行く。
「全く、騒がしい奴だな……。だがまあ、あれだけ喜んでくれれば、体張ったかいもあったってもんだ」
はしゃぎまわるスバルの姿を見て、桐生は満足気にほほ笑んだ。
そうして張り詰めていた気が抜けたのか、大きく息を吐くと彼はその場に胡坐をかいて座った。
すると背中を突然ばしんと叩かれ、後ろに顔を向けると不満げな表情でフェルトが頬を膨らませていた。
「なにやりとげたみてーな面してんだよ! ほら、腕! 血ぃ出てんぞ!」
そう言って首元のマフラーをほどくと、ぶっきらぼうに、一際大きな腕の傷口を縛るように巻き付ける。
「おい、血で汚れるぞ」
「いいんだよ! 元々きたねーんだから!」
「いや、それなら尚更……」
「う、うるせー! 細かい事は気にすんな!」
「叔父貴! 俺のジャージも使ってくれ!」
「すまんスバル、クソがついたジャージは……」
差し出されたジャージの上着を苦笑いと共に突き返す桐生。
気持ちは嬉しかったが、流石に許容範囲は超えていたようだ。
「ごめんなさい、ちょっとどいてもらっていいかしら?」
そう言ってスバルとフェルトに割り込んできたのは銀髪の少女。
彼女は桐生の元へ近づくと、彼の傷にその白魚の様な指をそっと重ね
「……これは、取引。そう、あなた達の真意を尋ねるための取引だから。決して守ってもらったお礼だとか貴方のためとかそういうのでは決してないから」
そんな、聞いてもいない言い訳を語りつつ静かに目を閉じると、ふわりとその美しい銀髪が僅かに浮かび、桐生の傷を淡く青い光が包み込んだ。
「これは……」
その光景に桐生は息を呑んだ。
先程までぱっくりと開いていた傷跡が、光に包まれるとみるみるうちに塞がっていく。
その不思議な光景に桐生は一種の感動さえ覚えているように目を見開いていた。
「そういえば、精霊の姿が見えんようじゃが」
「パックなら時間が来たから帰ったわ。本当なら日没には限界が来ていたから、大分無理させてしまったもの」
「最後まで役に立たねー奴だったな……」
「そんな事言わないで、パックは私の為に色々考えてくれてるんだから」
「肝心な時にいないような気もするけどな……」
彼女が殺されていた可能性もあった事を知るスバルがそう呟く。
そんな話をしている間にも傷は次々と塞がり、最後にフェルトのマフラーが巻かれた傷口へと手を運び
「ああいや、こっちはいい」
「? どうして?」
「あー、もう治った」
そう言って治療と断り立ち上がる。
言われた少女は首をかしげながらも、そう言うならばと桐生から体を離した。
「ふふふ、お前さんも粋じゃのう。のう? フェルト」
「うっせー!」
表情を隠す様に下を向き、照れ隠しとばかりにスバルにケリを入れるフェルト。
「あいた!? なんで俺!? この流れだったら爺さんを蹴るんじゃねえの!?」
「蹴りやすいんだよ、兄ちゃんの足」
「何その評価! そんなものを目指して体鍛えていたわけじゃねえからな!」
そんな軽妙なやりとりを見ていた少女は堪えきれなかった様に、クスリと声を出して笑っていた。
「あ、今笑った、やべー、やっぱかわいい……」
思わず唇を綻ばせる少女の笑顔に見蕩れ、スバルは顔を赤くしながら、柔和な笑顔を浮かべる少女の姿にくぎ付けになる。
そんなスバルの視線に気づくと、彼女は慌てて表情を戻し毅然とした様子を取り繕う。
「わ、笑ってません」
「いや、笑った!」
「笑ってないもん!」
「絶対笑った! ってかもんってなんだよ! 俺をキュン死させようってのかこの天使め! 可愛すぎるだろコンチクショー!」
いつしか張り詰めた緊張と殺伐とした空気は霧散し、先程まで殺し合いの渦中にあった盗品蔵には和やかな雰囲気に包まれていた。
その場にいる誰もが、誰一人欠ける事無く無事に終わったことに感謝し喜んでいる。
とりわけ桐生は自分の手で守ることが出来た手応えを確かめるように己の手のひらをじっと見つめ、スバルはエルザという死の運命を打破できた事、そして少女とこうして再び友好的に接することが出来た事に感動しつつ、その喜びを噛み締めていた。
「あ、そうだ、すっかり忘れてた」
「え?」
「ほら、君に渡そうと思っていた……」
きょとんとする少女に、本来の目的である徽章を渡そうとしたその時だった。
ガタリと、桐生の空けた大穴から物音が聞こえたのは。
瞬間、緊張感が再びその場に走り、全員がほぼ同時にそちらに目を向ける。
武器を取り、拳を構え、手をかざし、各々が臨戦態勢で崩れ落ちる木片を払いながら現れた人影に注視し――
「参ったな、敵のつもりではないんだけど」
困ったような笑顔を浮かべたラインハルトの姿がそこにあった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「成程、そんな事が……」
スバルから事情を聴いたラインハルトは、神妙な面持ちでそう呟いた。
「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ。王都でも名前が挙がっている危険人物だ。報告されている武器と風貌も一致している」
「そんなやべー奴だったのかよ……」
先程まで敵対していた人物が想像以上に有名人であったことに驚きつつ、スバルは自分の腹に手を当てて顔を引きつらせる。
「特徴的なのはその犯行手口だね。殺された相手は皆例外なく腹を切り裂かれ、その腸を引きずり出されていたと聞く。
凄腕の傭兵だという噂もあるが……なんにせよ、皆さんがご無事で何よりです」
そう言ってその場にいる全員を見渡し、最後に桐生へと目を止める。
「貴方が腸狩りを撃退したとお見受けいたしますが」
「まぁ、何とかな」
そう答えた桐生にラインハルトは深々と頭を下げると
「ご協力感謝いたします。今回この場にいる王都の民に腸狩りの犠牲者が出なかったのは、偏に貴方の尽力によるものです。
よろしければ、当家にお越しいただき然るべき報酬と感謝を示させて頂きたいのですが……」
「気持ちだけ受け取っておくぜ、好きでやった事だ」
そう言ってラインハルトの申し出を断った。
「あの、ラインハルトはどうしてここに?」
「それは……彼らの導きというところでしょうか」
少女の問いかけに、ラインハルトは桐生達に目をやりながらそう答える。
「え、ラインハルトってその子と知り合いだったのか!?」
初対面とは思えぬやり取りを交わす二人に驚愕するスバル。
同時に、愛しいあの子がイケメンと知り合いという事実に嫉妬と焦りまで覚える。
「ああ、その事については謝らなくてはいけないね。実は――」
「おい! いつまでそんな奴と話してんだよ!」
そう言って荒々しく会話を遮ったのは、未だ警戒の姿勢を崩さないフェルトであった。
「なんだよフェルト、そうかりかりして……」
「そりゃかりかりもするだろーよ! その、そいつは剣聖ラインハルトなんだろ!?
そいつと知り合いって事はだ、兄ちゃんと、その、おっちゃん達はもしかして……アタシ達を」
信じたくない想像に、衝動的に涙がこみ上げそうになりつつ、それを堪えてスバル達を睨む。
その様子を察してか、ラインハルトは安心させるように
「いや、彼らとは今日偶然街で会ったばかりだよ」
そう言って彼女の恐れる関係を否定した。
「そう言われても、疑問は尽きんがのう……」
ロム爺はその答えにも納得いかない様子で険しい顔を続ける。
「おいおいなんだよ二人とも、別にラインハルトは……って、あそうか」
そういえばラインハルトは憲兵だった、とスバルは思い当たる。
成程確かに、叩けば埃が出るどころか盗品蔵というこの場は、その名の通り悪の組織のアジト、或いは犯行現場そのものだ。
「その、もしかして……」
気づいたスバルは恐る恐るラインハルトに尋ねる。
もしかして、この場で彼女たちを捕まえてしまうつもりなのかと。
それは正しい行いだというのは分かっているが、感情的には納得出来かねるものであった。
スバルの不安を受け、ラインハルトは気まずそうに頬をかくとほんの少し目を逸らしながら
「まあ今日は非番だからね……。加えて特別被害届も出されていない。だからまあ、今の僕にはどうする権限もない……という事でどうかな?」
そう言って肩をすくめるラインハルト。
その言葉に安堵してスバルはほっと胸を撫でおろす。
「随分と悪い騎士様じゃねえか」
「恐れ多くも、これが騎士の中の騎士なんて呼ばれている男の本性ですよ」
桐生の軽口にそう返すと、ラインハルトは自分の入ってきた穴へと目を向けた。
「腸狩りは、向こうに?」
「多分な、大分手応えはあった。普通ならまだ目は覚めてねえはずだ」
普通ならば。
手加減なしで放った一撃は、ともすれば彼女の命すら戦いと共に終わらせていたかもしれない。
だが何となく桐生には、彼女があれくらいでは死ぬはずがないという確信があった。
「そうですか、では僕はまず腸狩りを連行します。詳しい話はまた後で、という事で」
そう言ってその場を離れ、エルザを探しに外へ向かうラインハルト。
その姿が見えなくなると、フェルトははぁと大きくため息をついた。
「なんだよそんなため息ついて。いいじゃねえか見逃してくれるって言うんだからさ」
「兄ちゃんはいいなあ単純でよ。そりゃ今は、の話だろ? 明日になって突然豹変すっかもしれねえだろ」
「ラインハルトはそんな人じゃないよ」
疑うフェルトを窘める少女。だが未だ不安は晴れないようで、どうしようとロム爺に目を向ける。
「まあどちらにせよ、盗品蔵は場所を移さねばなるまいな。剣聖に知られているアジトなんざ恐れ多くて使えんわい。
……ま、こうも派手に壊されては初めからそれしか選択肢はないんじゃがな」
そう言って桐生に笑いかける。
言われて桐生が周囲を見渡すと、戦っている最中は気にも留めていなかった惨状が目に入る。
床や壁は血で汚れ、戦いの余波で家具や備品はどれも散々に破壊されている。
中には商品もあっただろうか。床には至る所に剣や調度品といった恐らく盗品であろうものが散々に散らばっている。
極めつけは桐生が壁に開けた人間大の風穴だ。
「ったく、派手に壊してくれたよなおっちゃんもさー」
両手を後ろにあて、呆れたように呟くフェルト。
桐生も少しバツが悪かったのか
「す、すまん……」
と謝罪の言葉を口にする。
そんな桐生が可笑しかったのか、ラインハルトの登場で不機嫌そうにしていたフェルトはぷっと吹出し
それにつられる様にスバルも笑いだす。
―― 次の瞬間。
「危ねぇ!」
緊迫の表情で桐生が叫ぶ!
その言葉に驚き振り向いた先には黒い影が再びこちらへ向けて疾走していた。
「てめぇ――!」
目を見開いてスバルは叫びエルザを刮目する。
彼女のその瞳に宿るのは衰えぬ漆黒の殺意。
その矛先は当然桐生、だが彼女は既にナイフを振りかぶり攻撃の姿勢に入っている。
まだ早い、何故だ? 今その刃が振るわれれば犠牲になるのは――
丁度、桐生の前に立つ銀髪の少女。
接触までのわずか数秒、スバルの思考は目まぐるしく回転し、そして――
(間に合わねえ――!)
桐生もまた心の中で叫ぶ。
咄嗟に立ち上がろうと動かしたその体は、戦いの疲労でその命令を僅かに遅らせ
コンマ数秒の致命的な遅れを生み出していた。
桐生の脳裏に最悪の想像が浮かぶ。
目の前に立つ銀髪の少女の腹は切り裂かれ、返す刀は桐生一馬の腸を――
だが、その想像はスバルの決死の行動によって実現することは無かった。
「狙いは腹狙いは腹狙いは腹ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
何もかもを叔父貴に助けられていた。エルザとの戦いだって自分は何の役にも立てなかった。
けれど―― この少女を守る事だけは、叔父貴だけには任せられない!
そんな決意を胸に、スバルは咄嗟に足元に転がっていた剣を手に取り、それで腹を守りながら少女を突き飛ばす様に庇う。
衝撃が走る。
ナイフとぶつかり合った剣はガラスの様に粉々に砕け、スバルはその衝撃でゴロゴロと床を転がり壁へ叩きつけられる。
それでも気をしっかりともち、慌てて顔を上げてエルザを見ると、彼女は憎々し気に舌打ちし、もはやこれまでと不意打ちを諦めて大きく距離を取る姿があった。
「最後のチャンスだと思ったのだけれど……とんだ邪魔が入ったわ」
そう言って、ちらりとスバルに目をやり、次いで既に少女を庇うように立ちはだかる桐生を見る。
「名残惜しいけど、潮時ね。楽しかったわキリュウ・カズマ。いつか必ず貴方の腹を切り開いてあげる」
そう言い残し、エルザは大きく跳躍して闇夜にその姿を溶かした。
それを確認した桐生は、少女と共に急いでスバルの元へと駆け寄る。
「おい、大丈夫かスバル!」
「無茶しすぎよっ! どうしてあんな!」
「へ、へへ、叔父貴の弟分面目躍如ってとこかな……?
それにどうしてって、あの場で間に合いそうなの俺しかなかったし、狙いも大体予想ついてたからさ……」
そう言って、心配する少女に自分の腹を見せるスバル。
そこには強烈な衝撃で真紫になった肌と打撲がくっきりと現れていた。
想像以上の見た目にスバルはうげっ、と舌を出して、それでも大丈夫だとばかりに立ち上がった。
「まあ、これで完全にいなくなった、かな?」
エルザが逃げていった壁の穴に目を向ける。
流石にあんなセリフの後に戻ってくるとは思えない。そこまできたらもはやコメディだ。
「ったく、馬鹿野郎。あの場に剣が落ちていなかったらこんなんじゃ済んでねえぞ」
「そこはほら、結果オーライって事で。叔父貴が派手に暴れたおかげで色々散らばってたのが功を奏したってとこかな。それに、それよりもさ……」
スバルは自分が守る事の出来た銀髪の少女に目を向ける。
心配する少女の姿にまた心を奪われつつも、スバルはこみ上げる満足感で胸がいっぱいになる
改めて、思う。
ここまで来るのにどれだけ苦労したか。
何度痛い思いをし、何度辛い目にあったか。
けれど、辿り着いた。
桐生一馬という男がいてくれたから、自分はここまでこれた。
そして、彼女の事を自分の手で守る事も出来た。
上出来すぎる、これ以上を望むならば罰が当たるというものだろう。
だが、菜月スバルは欲深いのだ。
まだもう一つ、やらなければならない、いや、知らなければならない事がある。
突如瞑目するスバルに困惑し、何事かを問いかけようとする少女。
だがスバルはそれを遮るように目を見開き、左手を腰に当て、右手を天に向けて伸ばし、そして高らかに宣言した。
「俺の名前はナツキ・スバル! 色々と言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのはわかっちゃいるが、それらはとりあえずうっちゃってまず聞こう!」
「な、なによ……」
「俺ってば、今まさに君を凶刃から守り抜いた命の恩人! ここまでオーケー!?」
「おーけー?」
「よろしいですかの意。ってなわけで、オーケー!?」
「お、おーけー……」
「命の恩人、レスキュー俺。そしてそれに助けられたヒロインお前、まあ叔父貴の方が割合としては高いわけだがそこはそれ。ともかくそんなら相応の礼があってもいいんじゃないか? ないか!?」
「……わかってるわよ。私にできることなら、って条件付きだけど」
「なぁらぁ、俺の願いはオンリーワン、ただ一個だけだ」
ごくりと、少女が息を呑む。
桐生も目を丸くしてその行く末を呆然と見守る。
そしてスバルは歯を光らせ、親指を鳴らすと精一杯のキメ顔を作り
「君の名前を教えてほしい」
呆気にとられたような顔で、少女の紫紺の瞳が見開かれた。
桐生も言葉を失っている。
僅かな間が流れ、その間にもキメ顔を維持し続けるスバルはやがてプルプルと震えだした。
今更になって羞恥がこみ上げてくるが、もう遅い。
ロム爺の呆れた顔も、フェルトの馬鹿を見る目つきも最早気にすまい。
スバルはただひたすらに、少女の言葉を待つ。
「ふふっ」
やがて少女は堪えきれなかった様に顔を綻ばせ
「―― エミリア」
「え?」
「私の名前はエミリアよ。ただのエミリア。そして……助けてくれてありがとう、スバル」
にこりと笑って、エミリアは手を差し出す。
スバルは差し出されたその手を、万感の思いで握る。
白く華奢なその手は温かく、血の通う女の子の手だった。
助けてくれてありがとう、だなんて。そんなのはこっちのセリフだ。
だって、目の前にいる彼女は、エミリアは知らないだろうけど、本当なら先に助けられたのはこっちなのだ。
だからこれは、その恩を返しただけの事、ただそれだけで、お礼なんて言われるまでもない。
それでもきっと自分は、この瞬間の為に頑張ったのだろう。
三度も嘆き、苦しみ、傷ついた。
死ぬ思いをしたなんてものじゃない、文字通り死んでさえいるのだ。
そんな辛い戦いを乗り越えて、その報酬が彼女の名前とお礼の言葉だけだなんて……。
「ほんと、割に合わねぇ……な……?」
鋭い痛みがスバルの腹部を走る。
「あ、これって、もしかして……」
「スバル?」
首をかしげるエミリアから目を外し、彼女の手を握ったままもう片方の手でジャージをめくる。
そこには先ほど見た真紫の肌と、打撲痕。そして―― 一筋の赤い線が引かれていた。
「あ、やべ――」
なんて呑気な声も束の間、慌ててエミリアから体を逸らすと次の瞬間、その赤い線は血飛沫となって噴き出し、その腹が横一文字にぱっくりと開いた。
「うそ! スバル!?」
「坊主!」
「兄ちゃん!」
「スバル!」
四人が慌ててスバルへと駆け寄る。
スバルは力なく倒れ、その体を、いつかの再現の様に桐生が受け止め、その腕の中で意識が薄くなっていく。
みんなの焦る声が聞こえてくる。
その中でも、やっぱりエミリアの声は一際輝いて響いている。
次に聞こえるのは叔父貴の声。
必死に自分の名前を呼びかけるその声は悲哀に満ちて、申し訳ない気持ちで一杯になってしまう。
「叔父貴、ごめん……」
「馬鹿野郎! 喋るんじゃねえ!」
「最後まで、迷惑かけちまって……、でも俺、嬉しかったよ……叔父貴が、俺なんかの為に、戦ってくれて……。それで、最後のお願いなんだけどさ……。俺の事、叔父貴の弟分なんかに、してくれちゃったりなんか……してほし、かったり……」
「いいから喋るな! しっかり目ぇ開けろ! そんなのいくらでもならせてやる! だから!」
「ほんと? はは、嬉しいな。やっぱ、俺の、叔父、きは……さいこう……だ、ぜ……」
「スバル……? おい、スバル……。なに勝手に目ぇ閉じてんだ! おい! 俺の弟分なんだろ! だったらさっさと目ぇ開けろ!」
「………」
「スバルうぅぅぅぅぅぅうぅぅぅ!!!」
桐生の悲痛な慟哭が部屋中に響き渡る。
エミリアは目を閉じ、そして全てが終わったように立ち上がり……。
「よし、これで大丈夫」
「え?」
「何とか傷は塞いだから、どうにか峠は越えたでしょ」
「………」
「どうしたのカズマさん?」
「いや、なんでもねえ……」
嬉しいのは間違いないはずなのに、何故か複雑な気分になる桐生であった。