カーマインアームズ   作:放出系能力者

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荒野とサボテン編
1話


 

「あーやっぱハンターハンターおもしれーなー」

 

 休日。俺は家で暇つぶしに漫画を読んでいた。久しぶりにハンターハンターを読み返してみたが、さすが名作。気がつけば10巻くらい読んでしまった。貴重な休日の時間を何に使ってんだ俺は……。

 

「漫画の世界に行けたらなー」

 

 くだらないことを口走りつつ、ソファに寝転がって目を休める。昔は、よくそんな妄想に耽っていた。「俺が考えた最強の念能力」を意味もなく真剣に作ったりしたもんだ。どんな能力を作ったっけ。もう忘れてしまった。

 

 確か……俺がH×Hの世界にオリ主として転移して、念の才能は人類最高レベル、オーラの保有量も超膨大、それで特質系体質で、おまけに顔は超絶美形になってて……うわ、思い出したら恥ずかしくなってきた。完全に黒歴史だ。

 

 さて、馬鹿なこと考えてないでもっと有意義に時間を使おう。このままソファで横になっていたらそのまま寝てしまいそうだと思いつつも、漫画を一気読みした疲労感からか、いつの間にかまどろみの中へと意識が沈んでいった。

 

 * * *

 

「おふっ!?」

 

 尻に走る衝撃。まるでソファが一瞬にして消え去ったかのように、俺の体は床に落下していた。

 

 いや、ソファだけではない。天井も壁も、何もかも無くなっている。俺が尻もちをついているのは床ではなく、地面だった。俺は今、屋外にいる。周囲に人工物は一切なく、ただ荒涼とした自然の風景が広がっていた。

 

「……は?」

 

 ソファで寝ていたら、一瞬にして見知らぬ荒野に放り出された。人知を越えた現象を前に、ただ呆然とするほかない。そして異変はそれだけにとどまらなかった。

 

 体が縮んでいる。まるで子供になる薬を飲まされたコナンくんのように……というのは言い過ぎだが、明らかに体格が小さくなっていた。着ていた部屋着のジャージは、裾も袖も余ってダボダボになっている。

 

 何よりも変わったのは、髪だ。腰に届くほどの長さに伸び、その色は銀色。白髪ではなく、白銀の光沢をもった美しい髪だった。日の光を受けて輝き、触れればシルクのように指の間を流れていく。

 

「はああああああ!?」

 

 ついでに声まで変わっていた。可愛らしい女の子のような声になっている。まさかと思い、自分の胸に手を当てた。

 

 むにっ

 

 ジャージの上からでもわかる柔らかな二つのふくらみ。そして股間に手を当てる。

 

 すかっ

 

 ない。男の象徴、苦楽を共にしてきた相棒は影も形もなくなっていた。

 

「は、はは、ははは……」

 

 笑うしかなかった。何をどうすればこんなことになるのか、俺は女の子になっている。夢だと言われた方がまだ納得できる。だが、目の前に広がる光景と自分の体、その感覚は間違いなく現実のものだ。俺は頭がおかしくなってしまったのだろうか。

 

 混乱する思考を整理する。さっきまで、俺は確かに自宅で余暇を満喫していた。漫画を読み、そしてその世界に行けたらなどと考えつつ……。

 

「まさか、本当に漫画の世界に転移したとか?」

 

 馬鹿げた話だが、今、俺が置かれている状況そのものが既に馬鹿げている。周囲の環境が一変したことについては、意識を失っている間に運び出された、などと強引に説明することもできるだろう。だが、体が女性になってしまったことはどう考えてもありえない。

 

 もし転移したと仮定すると、ここは原作の世界なのか。じゃあ、俺が直前に考えていたリクエストも反映されているのでは。人類最強クラスの念の才能とオーラ量を持っているとすれば……にわかに期待感がこみあげてくる。

 

 でも、それならなんで体が女の子になっているのか。俺は美形にしてほしいとしか願っていなかったが。美形……確かに性別は指定していなかった。でも、女にする必要はなくない?

 

 まあいい。いや、よくないけど、わがままばかり言っても仕方がない。女になるという明らかな非現実的体験をすることで、不思議なことにかえって気分が落ちついた。もし以前の姿のままここに来ていたら、中途半端にリアルな怪奇現象に見舞われたような気がして、もっと気が動転していたかもしれない。

 

 それともただ現実逃避しているだけなのだろうか。ここが原作と同じ世界であるという保証はどこにもない。念能力が使えれば確信が持てるのだが。

 

「ハッ!」

 

 試しに気合を入れて、かめはめ波っぽいポーズを取ってみるも、何も起きない。まあ、俺が要求したのは才能とオーラ量だけなので、修行は別に必要なのかもしれない。念は能力バトルの側面もあるが、基本的にコツコツと修行して強くなる武術である。一朝一夕に使えるものではない。

 

 とにかく、まずは情報収集をする必要がある。人に会って、話を聞こう。H×Hの世界に登場する固有名詞を色々と尋ねれば懸念がはっきりする。ここがどこなのか、それを知らなくては始まらない。

 

 もし、異世界転移していないのだとしたらそっちの方がいいに決まっている。このまま元の場所に帰れなければ家族や友達などに心配をかけてしまう。その場合も、性別が変わってしまった問題については、また別に考える必要があるが。

 

 俺は荒野を見渡す。本当に、何もない場所だ。むき出しの地面は枯れ草に覆われ、乾燥してひび割れている。ぽつぽつと、歪な形をした細い木が物悲しく生えていた。日差しは強く、立っているだけで汗が出る。

 

 これは異世界がどうとか考えている場合ではないかもしれない。近くに町などがなければ命の危機だ。水、食料、野生動物、考えられる問題は山ほどある。ここでいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。行動を起こそう。

 

 * * *

 

「はぁ……はぁ……」

 

 どれくらい歩いただろうか。すっかり息が上がっていた。男だったときの体と比べて、体力は大きく落ちている。見た目通りのひ弱な少女の体でしかなかった。

 

 歩き始めた最初の頃は、まだ気持ちに余裕があった。原作の登場人物に会ったらどういう話をしようとか、どんな“発”を作ろうかとか、色んな想像をしては心を躍らせた。

 

 それも最初のうちだけだ。強烈な太陽光が容赦なく体力を蒸発させていく。ジャージの上は脱ぎ、肌着姿となっている。女性らしく変貌した胸部への関心も早々に尽き果て、歩くことのみに集中する。一点のくすみもない白い肌を直射日光のもとにさらすことについて、もはや躊躇する余裕はなかった。

 

 ジャージの下はさすがに脱ぐわけにはいかない。これは羞恥心の問題ではなく、靴がないからだ。体が全体的に縮んだことで余った裾を、引きずるようにして靴代わりにしている。当然、歩きにくい。ウエストもだいぶ細くなったため、パンツのゴムが緩み、ずり落ちそうになる。余計に歩きにくい。

 

 たびたび、思い出したように突風が吹き荒れた。叩きつけるような砂混じりの強風を前に、視界は閉ざされ、立っていることすらままならない。突風が過ぎ去るまでうずくまって耐えるしかなかった。

 

 どんなに才能に長けていようと、人よりオーラを持っていようと、この自然を相手に役に立つものではない。この調子が数日も続けば冗談ではなく死んでしまう。いや、今日一日もつのかも危うい。飢えはともかく、喉の渇きは限界に近かった。

 

 次第に日が落ちてきた。これから夜になれば気温が下がる。こういった乾燥した気候では、昼と夜の寒暖差が顕著だ。そこに風が加われば、体感温度は急激に低下する。夜になるまでに、なんとか風だけでもしのげる場所を見つけなれば。

 

 そんな俺の焦りをあざ笑うかのように、どれだけ歩こうと荒野の風景は何一つ変わらない。遥かかなたに山のようなものがあり、辛うじて方向感覚だけは失わずに済んでいるが、何の救いにもなりはしない。

 

 何度も地平線の先を見まわした。道路はないか、建造物はないか。あれはもしやと思って近づいた先にあったのはただの木だったり、岩だったり。砂漠で遭難したときは蜃気楼の先にオアシスの幻影を見ると言うが、それは比喩でも誇張でもなかった。追い詰められて幻想に逃げているのではない。生きるためには見間違いだろうがなんだろうが、確かめに行かなくてはならないのだ。

 

 漫画の世界に行きたいなんて願うんじゃなかった。才能もオーラもいらないから食料と水がほしい。もう一度転移をやり直してくれと神様に祈り始めたそのとき、地平線の向こうに何かが見えた。

 

 最初は何なのかわからなかった。赤い点が見えた。近づいていくと、その赤い何かはどんどん大きくなっていく。見間違いではない。確かにそこにある。

 

 人工物!

 

 失われかけていた気力が戻ってくる。歩調が早まった。助かったという安堵感が、どっと押し寄せてくる。

 

 だが、近づくにつれて疑問が膨れていった。その『赤い物』の正体が全くわからない。荒野のただなかに、鮮やかな赤い物体が密集している場所がある。遠目から見てもかなりの規模だ。最初は建物かと思った。現に『赤い物』はそれくらいの大きさがあり、複数が軒を連ねるように立っている。

 

 町では、ない。いや、まだ人がいないと決まったわけではない。明らかにそこだけ異質なのだ。誰かいるかもしれない。一縷の望みに賭けて、『赤い物』の密集地帯へと歩を進めた。

 

「なんだ、これ」

 

 かすれた声が漏れる。たどり着いた先にあったのは、形容しがたい何かだった。

 

 『赤い物』は鉱物でできているように見えた。その形は針のないサボテンに近い。丸みを帯び、中心から放射状の切れ込みが伸びた巨大な突起物。そんな多肉植物の群れが地面から生えているのだ。

 

 大きさは大小様々、小指くらいのもあれば見上げるほどの物もある。そのどれもがルビーのように透き通った美しい赤色をしていた。夕日に照らされて、茜色を反射した石は眩しいほどに輝いている。まさに宝石で作られた彫像だ。その光景は神秘的であると同時に、どこか言い知れない恐怖感をあおる。生物の臓物の中を覗き込んだようなグロテスクさを感じた。

 

 見た目の質感は、研磨された石のように滑らかで硬い。生き物であるようには思えない。だが、これが生物でなければ、いかなる理由でこの形を取り、ここに存在しているのか。誰か物好きな彫刻家が、芸術作品としてこの場所に自分の作品を飾っているとでも言うのか。

 

 詳細はわからない。ただ、誰か人がいるのかどうか、確認する必要がある。

 

 本当ならこんな明らかに異常な場所に近づくだけでも危ないのかもしれない。H×Hの世界は人間を容易く捕食する危険生物が多く登場する。できることなら中に踏み込みたくはない。しかし、ならばここを無視して荒野を歩き続けたいかと言われれば即座に否定する。

 

 はっきり言って、これ以上歩き続けたところで人間の居住地が見つかるとは思えなかった。この赤い集合物の付近を調べても、地平線の先まで何もない。もしかしたらその先に町があるかもしれないという希望を抱けるような段階はとっくに通り越している。まだ体は動くが、「もう動かない」状態になってからでは遅い。それまでに人を見つけられなければ死ぬ。あるいは、この赤い物が生物だと仮定すれば、ここには水があるのかもしれない。食べられる物があるやもしれない。

 

 赤い森に、足を踏み入れた。慎重に、警戒しながら先へ進んでいく。森の中にも『赤い物』はところ狭しと生えていたが、人一人が通るくらいの隙間はあった。隙間を通り抜ける風が、うめき声のような音を立てていた。

 

 入ったばかりだが、もうここにはいたくない。気味が悪くて仕方がない。それでも吹きっさらしの荒野で一夜を明かすよりはマシだ。まだ夕方だが、既に肌寒くなってきている。体力も限界だった。ここに残るか、去るか、葛藤する。

 

 「わっ……!?」

 

 疲れによって朦朧としていたのか、足元の石につまずいて転びそうになった。さっきまでこんなところに石なんかあっただろうか。ふと疑問に思っていると、その石がもぞもぞと動き始めた。

 

 キチ、キチ、キチ

 

 いや、これは石ではない。それは虫だった。昆虫のような形をしているが、その外骨格は装甲のように大きく鈍重で、ずんぐりとしている。サイズもデカい。20センチくらいはある。石と見間違えたのは、その外骨格が周囲の『赤い物』と全く同じ質感だったからだ。

 

 巨大な昆虫は、顎を鳴らしながらこちらに近づいてきた。避けて距離を取ったが、なおもこちらを目指して近寄ってくる。動きはかなり遅いので逃げるのは簡単だったが、明らかに俺を狙っているとわかる動きが怖かった。

 

「なんなんだよもう……!」

 

 こんなものがうろついている場所で休めるほど神経は図太くない。夜になれば視界も悪くなる。寝ているときにあれが忍び寄ってくるところを想像してゾッとした。

 

 一応、この荒野で初めて見た動物である。食料の問題が切迫している今、サバイバルを心がけるならアレを捕まえて食べるくらいの気概がなくてはならないのかもしれないが……無理だ。心理的抵抗感を抜きにしても、毒や細菌感染、寄生虫などのリスクを冒してまで食べたいとは思わない。今のところは……。

 

 赤い森から出ることにした。生き物が生息しているということは、この無機質な鉱石の森には何らかの生態系がある。おそらく、このサボテンらしきオブジェも生きているのだろう。どんな危険生物が潜んでいるのかわからない。

 

 ボトッ

 

 道を引き返して歩いていた俺の背後で、何かが落下する音が鳴った。すぐに振り返る。しかし、そのときには既に取り返しのつかない状態だった。

 

「いっ!?」

 

 赤い宝石のような塊。さっき見た虫が俺の足に取り付いていた。他にも二、三匹の同じ見た目をした虫が上から落ちて来る。歩いてでも逃げられるくらい動きが遅い虫だったから、また出くわしてもすぐに逃げられるとたかをくくっていた。自分では冷静に対応できていると思っているつもりでも、疲労からくる注意散漫、視野狭窄は自覚している以上に深刻だった。しかし、今更後悔しても遅すぎる。

 

「うわあああああ!」

 

 半狂乱になって振り払う。虫は想像以上に重かった。ジャージの裾にしがみついて離れない。足首に痛みが走った。噛みつかれている。

 

 しかし、無我夢中で振り払おうとしたのが功を奏したのか、隙をついてジャージごと脱ぎ捨て脱出することに成功する。パンツ一丁になったが気にしている場合ではない。

 

 とにかく走った。襲ってきた虫たちは見えなくなったが、それでも止まらない。またどこから襲撃を受けるかわからない。一刻も早くこの赤い森から逃げ出したかった。

 

 出口が見える。憎たらしいほど見慣れてしまった荒野へと戻ってくる。肉体的にも精神的にも疲弊しきっていた。倒れ込むように膝をつく。

 

「はあっ! はあっ……! もう嫌だ!」

 

 帰りたい。涙があふれてきた。これはきっと夢だ。そうに違いない。こんなわけのわからない場所に放り出されて、性別まで変わっているなんて、これが現実であるはずがない。

 

 もう何もかも忘れて眠ってしまいたかった。次に目が覚めたときは、きっと昨日と同じ日常が待っている。

 

 体が汚れるのも構わず、地面に横たわった。やる気と共に力まで抜けていく。頭がぼうっとしてきた。飲まず食わずで過度のストレスにさらされながら一日中歩き通せば、当然の結果なのかもしれない。

 

 手足の感覚がなくなってきた。指一本、動かせない。動かそうと思っても、わずかに筋肉が震えるだけだった。足も同様、まるで膝から下が切断されてしまったかのように感覚が失われている。

 

 ……おかしい。立ち上がれない。それどころか、体をピクリとも動かすことができない。いくら疲労がたまったからと言って、これほど急激な変調が起きるだろうか。

 

 寒さを感じなくなった。手足の末端から体の中心に向けて感覚が消失していく。まるで自分の体が自分ではなくなっていくかのように。

 

(そうか、元に戻るのか)

 

 夢が覚めようとしている。この感覚には覚えがあった。金縛りだ。

 

 金縛りは、「脳は起きているのに体が寝ている」状態のときに起きる。疲労やストレス、寝不足などが原因となり、脳の機能が乱れて発生する。脳が起きていると言っても完全に覚醒しているわけではないため、夢を見る。このとき体を動かせない圧迫感が夢に反映され、まるで現実に起きているかのようなリアルな悪夢を見るのだ。

 

 俺もこれまでに何度か体験したことがある。夢を見ているときに自分が金縛りにかかっているなんて自覚できるものかと思うかもしれないが、金縛りと明晰夢(自分が夢を見ていると自覚した状態で見る夢)には密接な関係がある。慣れれば、金縛りの最中に自分が夢を見ていると自覚することも可能なのだ。

 

 金縛りになったときの対処法は、慌てないこと。意識して体を動かせない不快感に対して、脳が認識の整合性を保とうとして悪夢をでっちあげているだけなので、平常心さえ保てれば悪夢にはならない。落ちついて待っていればすぐに目が覚める。

 

 今回は不覚にも夢の中にいると見破れなかったが、今、はっきりと自覚できた。俺は失われていく体の感覚に合わせて、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キチ、キチ、キチ

 

 

 

 

 

 

 落ちつけ。ゆっくりと深呼吸をしろ。これは夢だ。

 

 

 

 

 キチ、キチ、キチ

 キチ、キチ、キチ

 

 

 

 

 次に目を開いたとき、俺は自宅のソファの上にいる。

 

 

 

 

 キチ、キチ、キチ

 キチ、キチ、キチ

 キチ、キチ、キチ

 

 

 

 

 3、2、1で目を開く。それですべてが元通りだ。

 

 3

 2

 1

 

 

 

「あ、お……」

 

 虫がいる。動かない首の代わりに、眼球だけがめまぐるしく動いた。俺を取り囲むように何十匹もの赤い虫が集まっている。体の上にも乗っている。乗られている感覚はない。何も感じない。

 

「ぅ。か」

 

 声が出ない。金縛りの最中にはよくあることだ。自分では必死で叫んでいるつもりなのに、うめき声しか出せない。よくあることだ。

 

 虫たちが俺の服に噛みついた。視界が動く。引きずられている。寄ってたかってエサを巣へと運ぶアリのように、俺の体を引きずって移動させている。

 

「  」

 

 叫ぶ。ひゅうひゅうと、空気が喉を通る音しかしない。それでも叫ぶ。この夢が覚めるまで、叫び続ける。

 

 赤い森が、俺の入場を待ち受けていた。その入り口で、おびただしい数の虫たちが歓迎していた。赤い粒が、腸壁を覆う絨毛のようにうごめいている。

 

 そう、これは夢だ。

 

 * * *

 

 暗黒大陸。そこは存在自体が災害の域に達した危険生物たちの蔓延る人外魔境。人類は、この大陸に囲まれた孤島の中で繁栄を築いているにすぎない。

 

 そんな未開の地の、まだ名前もつけられていないとある荒野に、まるで宝石のように輝く森がある。

 

 その森は非常に珍しい植物によって構成されていた。体内で特殊な鉱物を生成することができるその植物は、極めて頑丈である。また、強力な毒性を持ち、およそこれを食べることができる生物はいない。

 

 だが、この森にはその例外が存在した。鉱石植物を捕食する昆虫、その名をキメラ=アントという。

 

 別名グルメアントと呼ばれるこの蟻は、摂食交配という他に例を見ない繁殖体系を持つ。女王アリが産卵し、エサの調達や造巣を行う兵隊アリを生み出す社会性昆虫である点は変わらない。しかし、女王アリは他の生物を食べることで、その種の特徴を次世代のアリへと受け継がせる能力を持つ。

 

 女王アリはこの能力によって、より強い特徴を持ち合わせた子孫を作るため、より強い生物を好んで捕食する傾向がある。しかも、グルメアントと呼ばれるだけあり、その嗜好性は非常に偏執的で、好餌として認識した種を徹底的に狩り尽くし、絶滅に追い込むほど貪欲に捕食する。

 

 この名もなき荒野に生息域を拡げてきたキメラアントは、いかなる気まぐれか、あるとき鉱石植物を餌と認識した。食料として甚だ不向きであり、そればかりか強力な毒を持つこの植物を食べた女王アリはすぐに死んだ。

 

 キメラアントの群れでは女王アリが死亡すると、群れを存続する緊急措置として兵アリの中から生殖機能を備えた王アリへ変異する者が現れる。その王アリも鉱石植物を食べて死んだ。さらに新たに生まれた王アリも同じ行動の末に死んだ。

 

 次々に死んでいくキメラアントたち。それでも食べる物を変えることはなかった。もはや狂気の域に達した偏執的食性の果てに、ついに一匹のアリが毒への耐性を獲得する。鉱石植物の特徴を受け継いだキメラアントが誕生した。

 

 それらは赤い森の中で数を増やしていく。王アリは他種族の雌と交配し、女王アリを作らせる。その女王アリは大量の兵アリを産み、群れの数が揃うと次の王アリを産む。こうして赤い森にキメラアントの楽園が築かれた。

 

 しかし、キメラアントの増殖はある程度のところで頭打ちとなった。この荒野には、彼らの交配に適した虫類がいなかったのだ。素早い小動物の雌を捕えることも難しく、新たな群れを作ることができずにいた。

 

 だがあるとき、赤い森に人間の少女が迷い込んできた。これにより王アリは、本来の役目を果たすことができた。

 

 麻痺毒で体の自由を奪われた少女は、巣へと連れ込まれ、王アリと交配した。女王アリを腹の中に身ごもった少女は、三日後に出産を迎える。王アリの側近の兵アリたちが少女の腹を食い破り、健康な女王アリを無事に取り出した。

 

 


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