カーマインアームズ   作:放出系能力者

10 / 130
10話

 

 以前の私は敵に対して「逃げる」「隠れる」という消極的な対処しかできなかった。それがアルメイザマシンと共存することで力を手に入れ、「戦う」という選択肢が生まれてくる。

 

 もちろん、今でも行動の主軸は戦闘回避におかれている。先日の失態は自分の力を過信して思慮のない行動を取ってしまった結果であり、それは反省しなければならないところだ。

 

 しかし、逃げるよりも戦った方が結果的に安全に対処できる場合もあるだろう。取りうる選択の幅を自ら狭めていては、かえって生存の可能性を低くすることにもつながる。自分の能力が有効な範囲を正確に見極め、戦うべきか逃げるべきかを速やかに決断することが重要になってくる。

 

 枯れ木人間との交戦で思い知った。いくら思考を加速させても、その認識に身体がついていかなければ能力を十分に生かせない。理想を言えば、考えずとも戦いに際してとっさに身体が動くようにしておきたい。

 

 つまり、武術が必要なのだ。戦場は一刻一秒が生き死にを分ける世界である。考えてから行動していては遅い。基本的に私は遠距離から『侵食械弾』を発射する戦法に頼りすぎていると思う。距離を取って戦うことは大切だが、それしか手がないというのも考え物だ。

 

 武術などと大げさな物言いであるが、何も最初から高度な技術を身につけようと考えているわけではない。第一に求めるべきは、その心構えである。

 

 何事も、経験した者が先んじる。いくら頭の中で理解していようと、実際に敵に襲われたとき、即座に対応できるものではない。常に戦いを想定し、予行練習を積んできた者にしかできないことだ。身体能力や戦闘技術以前の問題として、その武術の精神性こそ今の私が見習うべきものだと思う。

 

 戦闘における武術の有用性は『型』にある。これはどんな競技、流派であろうと変わらない。あらかじめプログラムされた一連の行動を、考えずともできるまで身体に染み込ませ、使いこなせるように練習する。だから速い。

 

 逃げるにしても、自分の持つ戦闘スタイルへ即座に移行することで余計な思考や虚に惑わされることなく、スムーズに行動態勢に持っていける。思考の切り替えを早め、反応力を高める効果がある。型を学ぶことが武術の精神性を身につける上で一番の近道だろう。

 

 もちろん、型にはまった戦い方が常に有効であるとは限らない。型には速さがあるが、柔軟性がない。良くも悪くもプログラムされた行動である。だから状況に応じて複数の型を使い分け、組み合わせることで隙をなくす。その判断に思考を費やし、つなげる型の選択肢を広げるためにも、やはり型は速くこなせるに越したことはない。その速さが対応力に直結する。

 

 私の記憶の中で、心源流のすごい使い手がそんな感じの戦い方をしていた気がする。違うかもしれないが、私はその人の戦い方からそんな印象を受けた。

 

 問題は、武術に関する詳しい知識がないことだ。心源流の戦い方も、とにかくすごいという印象だけはあるが、具体的にどんなことをやっているのかさっぱりわからない。

 

 おぼろげに柔道と言う何かの武術をやっていたような記憶があるが、ほとんど覚えていないも同然だった。前世の私はあまりそういう運動に手を出していない気がする。

 

 武術というのは、ほとんどが対人戦を想定した技術である。しかし暗黒大陸での戦いは、お互いにフェアな条件で技をかけあうわけではない。化物相手にある程度実戦的かつ、初心者の私でも取り組めそうな格闘技はないかと考えた。

 

 その結果、ボクシングを選ぶ。これならば両手で殴るだけのスポーツだ。頭部や胴といった人体の急所を両腕でガードする基本姿勢は、化物相手にも有用である。視界はややさえぎられるが、死角は本体の目で補うこともできるし、クインには『共』による直感認識能力がある。これが自分には最も合っている武術だと思った。

 

 そしてここ数日、トレーニングを続けているわけだが……

 

「シュッ! シュッ!」

 

 これが意外と難しかった。一人でシャドーボクシングをやってみて痛感した。

 

 パンチを打つ。ただ、それだけの動作だが、一つの武術として意図的にやってみようとすると粗が目立つ。何と言うか、まるっきり素人のパンチだった。『思考演算』を使って自分の体の使い方を隅々まで観察すると、どれだけ無自覚な殴り方をしているのかよくわかった。

 

 腰が入っていない。体幹がずれている。もともとフォームがしっかりできていない上に、右手に本体を装備して偏ったウェイトがかかっているため余計にバランスが悪くなっている。武器として生かしきれず、その重さに振り回されている。素人が分析しただけでこれだけわかるのだから、専門家が見ればもっとひどい意見がいくつもあがるだろう。

 

 そこにさらにステップという要素が加わる。足周りの動きは攻撃と同じくらい、場合によってはそれ以上に重要な動作である。単純に分類しても、前へ踏み出すインステップ、後ろに下がるバックステップ、横への移動サイドステップがある。

 

 敵の攻撃を避けつつ、こちらの攻撃を当てるためには、このステップを使いこなす技術が必須だ。ガードで衝撃を受け流したり、避けた先から即座に攻撃に転じるためには足さばきだけできても駄目だ。上体と下半身の動きの連動に苦戦する。ステップとパンチが壊滅的に噛みあっていない。

 

 要するに今の私は、オーラで強化した身体能力に物を言わせて殴りつけているだけなのだ。それはボクシングではない。両手で殴るだけのスポーツだと思っていた私は、ボクシングを舐めくさっていたとしか言いようがない。

 

 ボクシングだってその道のプロが生涯を費やして臨む武術の一つだ。簡単に習得できるわけがなかった。もとより、一朝一夕に身につく武術などない。毎日、地道に練習を積んで伸ばしていくしかないだろう。

 

 指導者もなく、素人の浅知恵で考えたトレーニングが果たしてどこまで通用するものか疑問はある。記憶の片隅に残っている漫画の知識などを総動員して試行錯誤を繰り返すしかなかった。

 

 

 * * *

 

 

 砂漠と見間違えるような砂浜を歩く。遮蔽物のないこの場所は見通しが良すぎた。こちらの位置が敵から見えやすいが、その分こちらも敵を発見しやすいと言える。

 

 つい先ほどなど、全長100メートル級のアメフラシを見かけた。ナマコだったかもしれない。とにかく、その巨体が移動した跡の砂地はキラキラと光る道ができていた。

 

 最初はナメクジが這った跡のように粘液が乾いて光っているのかと思ったが、よく見ると地面が陶器のようにツルツルになっている。砂が溶けて含有されていた石英がガラス状に変質したのだ。

 

 もちろん、アメフラシにそれ以上近づくことなくスルーした。このくらい一目瞭然に危険性がわかる敵ばかりなら助かるのだが、一目見て大したことなさそうな奴が実は本気で殺しにくるパターンが多い。やめてほしい。

 

 しばらく歩いていると、かすかに波のさざめきが聞こえてきた。潮のにおいが風に混じっている。海は近い。

 

 順調かに思えた砂浜の探索だったが、さざ波の音をたどって進んでいる途中、異様な耳鳴りが発生した。痛みを覚えるほどの高音が鼓膜の内側で暴れる。

 

 耳鳴りは1秒ほどでおさまったが、その不自然さに警戒を強めた。すぐに『共』を使って索敵を行う。

 

「……なにもいない……?」

 

 特に異変は感じられなかった。本当にただの耳鳴りだったのかもしれない。

 

 そう思った矢先のことだった。忽然と前方に巨大な影が現れる。

 

「!?」

 

 それは青いカニだった。数十メートルはあろうかという大きな体格だが、驚くべきはその胴体よりも大きなハサミだ。右の鋏脚だけが異常に発達している。その姿はシオマネキに似ていた。

 

 アンテナのように長く伸びた二つの目がぎょろりとこちらを向く。その威圧感に足が一歩後退する。じゃりっと、砂を踏む音が鳴った。それを合図とするように、敵が動いた。

 

『思考演算(マルチタスク)』

 

 加速思考に入ったときには既に、ローラープレスのようなハサミが頭上へと振り下ろされる寸前の状況だった。その巨体に似合わぬ凄まじい速さ。次の瞬間、視界が影に覆われる。

 

 圧倒的な質量が叩きつけられた。空砲のような轟音と共に周囲の砂が弾け飛ぶ。

 

 ギリギリのところで回避が間に合った。正面から迫る直線状の圧殺攻撃をサイドステップでかわす。練習をしていなかったら、きっと間に合わなかっただろう。まさに紙一重であった。

 

 しかし、回避が成功したことによる一瞬の安堵、その隙に食らいつかれる。叩きつけを終えた鋏脚が、今度は横薙ぎに振われた。避けられない。攻撃範囲が広すぎる。

 

 気がつくと上空を舞っていた。途切れたカメラの映像をつなぎ合わせたかのように場面が飛ぶ。意識に空白が生じるのは当然だった。それだけのダメージを負っている。

 

 これでも、できる限りの対処はしていた。『堅』による全身の防御力強化、そして直撃の瞬間に自ら上空へ吹き飛ばされるように跳んでいた。棒立ちで受け止めていれば、轢き殺されてミンチにされていたところだろう。最大限、衝撃を受け流したつもりだ。

 

 その結果が全身いたる所を骨折する重傷だ。

 

 ぼろ雑巾のように宙を舞いながら考える。敵の攻撃を食らってしまったが、まだクインは生きている。一撃で殺されなかった。

 

 

 

 もしかしてこのカニ、それほど強くないのでは?

 

 念能力というわけではないが、ある程度の使い手になれば相手を見た瞬間、自分との力の差を察知することができるという。私もいくつかの修羅場をくぐってきた中で、そういう肌感覚を身につけることができた。

 

 自分の感覚を信用するならば、このカニの強さは“並”と言ったところだ。弱くはないが、強くもない。登場の仕方にこそ驚かされたが、戦闘力自体はそれほどでもないように見える。

 

 正直、クインの傷の心配はしていなかった。この程度の負傷はよくあることだ。むしろ軽い方だと言える。機能は低下しているが、まだ身体は動く。そして卵のストックは満タン。取りうる選択には余裕があった。

 

 問題は次にどう行動するかだ。奴は攻撃を繰り出した直後で、次の行動に移るまでに隙がある。さらに盛大にハサミを振りまわしてくれたおかげで砂煙がたちこめ視界が悪い。

 

 敵はクインを見失っている。この機に乗じて逃げるのが最善か。クインが負傷した状態でどこまで走れるか不安だが、以前やったように本体を投げて逃がす手もある。まずは着地して体勢を立て直すか。

 

 両足と片手、しなやかに三点で衝撃を抑え込むように着地する。それと同時に、骨の軋む音が足の付け根から駆け上ってきた。腰骨と背骨がバキバキだ。アドレナリンによって一時的に麻痺していた痛覚が再燃する。

 

「ぐぶっ――」

 

 食道からこみあげてきた血反吐を飲み込んだ。内臓も思ったよりやられていたようだ。痛みで意識がショートしそうになりながらも『絶』で気配を絶つ。オーラを内部で循環させ、体内の修復にあてる。気づかれていなければいいが……。

 

 ぎょろり。

 

 砂煙の切れ間から覗いた敵の目が、こちらを見据えていた。痛みで絶の精度が乱れたか。不覚だ。まだまだ修行が足りない。

 

 瞬時に思考を切り替えた。クインと敵のスピードの差を考えれば、もはや逃走は困難だ。生存するためにはどうするのが最適か、答えを導き出すよりも先に身体が動く。

 

 インステップだ。勢いよく前へと踏み出す。その急加速に負傷した身体が悲鳴をあげるが、聞き届けている余裕はない。ためらいなく敵のそばへと接近する。

 

 敵の武器である巨大な鋏脚は圧倒的なリーチを誇る。こちらの居場所に気づかれた以上、下手に逃げようとしたところで広大な攻撃範囲から脱することは難しい。だが、巨大であるがゆえに攻撃が届かない場所がある。

 

 それは敵の至近。むしろ懐に潜り込むことでハサミの死角に入る。

 

 巨大であるということはそれだけで脅威だ。多大な重量とそれを動かすだけのエネルギーは、獲物を容易くひねりつぶす。それに対して、小さな者が立ち向かうための手段は二つ。遠距離から一方的に攻撃を当てるか、密着するほどの至近距離から仕掛けるか。

 

 インファイトの精神は、恐れず踏み込む意気にある。それは自己を顧みない蛮勇ではなく、冷徹に敵を推察する力なくして為しえない。覚悟を決め、意識を集中させる。

 

 左手を顔の前に構え、右手をやや後ろに引いたオーソドックススタイルで臨む。敵はこちらの接近に気づいているが、対応できていない。鋏脚の動きは俊敏だが、それ以外の部分の動きは目で追える速度だ。潰されそうになったとしても回避できる。

 

 勝機を感じ取る。地を蹴り、一気に距離を縮めた。しかし、そこで誤算が生じる。

 

 まるで身体の内側に格納していたかのように、隠された鋏脚が現れた。カニが持つハサミは本来一対、左右に一つずつある。右の発達した鋏脚に気を取られていたが、左にも武器を隠し持っていた。

 

 右のハサミに比べれば小さなものだが、その短いリーチは至近距離での戦いに向いている。敵は見事にこちらの思惑を外し、迎撃のための手段を備えていた。

 

 私は構わずクインを直進させた。ここで足を止めれば、さらに状況は悪くなる。引き返すことはできない。左鋏脚が爪を開きながら高速で迫ってくる。あれに挟まれればクインの身体は細枝のようにへし折られ、両断されるだろう。

 

 オーラでいくら強化していようと防げる攻撃ではない。私はクインの左手を捧げるように前へと差し出した。そして、用意していた技を発動する。

 

『仙人掌甲(カーバンクル)』

 

 左手を覆うグローブのように赤いサボテンが出現した。その金属の塊が、挟み切ろうと迫っていた左鋏脚を食い止める。

 

 これは左手の防具を作るために編み出した技であった。ボクシングは拳で戦う格闘技だ。手を保護する防具はあった方がいいに決まっている。右手は本体をしがみつかせて手甲の役割を持たせていたが、左手には何もなかった。

 

 この発想はボクサーを志す以前から考えていた案だった。クインのオーラをウイルスに食わせて赤いサボテンを作り出す。言葉にするのは簡単だが、これがなかなか繊細な作業を強いられる技だ。抑制プログラムを駆使して感染発症を局所的に抑えなければならない。習得までには時間がかかった。

 

 劇症化に巻き込まれればクインの左手にサボテンが根付いてしまう。そうなれば毒で即死だ。今は何とか実戦投入できるレベルに達しているが、練習の過程で何度も失敗している。

 

 サボテンは左拳を覆うように球状に素早く形成される。ただ、手首付近は大きく開いているため、すぐにすっぽ抜ける。一度発症してサボテン化したオーラは後で取り消すことができないため、こうしておかないと手から抜けなくなるのだ。

 

 だからグローブとして常時使用するのには向いていない。一撃奇襲用の武器である。一応、手首部分まで覆うように作ることも可能だが、その場合は左手を切り落とさないと外せないので使いどころは考えなければならない。

 

 それでも素手で殴るよりは強力な武器となる。このグローブは『周』によって強化が可能だ。武器にオーラを込めることで耐久性や威力を向上させる応用技『周』は、その物に対する思い入れの強さや使い慣れた度合いによって精度が変わる。自身の身体から生み出したも同然のサボテンは、私にとってオーラの伝導率が高い武器となった。

 

 そしてサボテンの形から逸脱しない範囲であれば、ある程度形状の変化も可能である。棘を鋭く伸ばして棘付きグローブにすることもできる。これで威力もさらに上がる。

 

 ボクシングは選手によって戦い方は様々であるが、右利きなら左手で素早くジャブを打ち様子見する。そして隙を見て、威力の乗った右手で攻撃することが多い。

 

 『仙人掌甲(カーバンクル)』は、左手を牽制として使うための技でもある。クインにとって本体を抱えた右手は重打を与えるための堅固な防具にして武器であるが、最も守るべき弱点でもある。それをいきなり未知の敵に対してぶつけることは不安が大きい。

 

 そこでまずは左で様子を見る。左で攻撃し、防御し、敵の強さを計った上で本命の右を繰り出す。そのためなら左手がどうなっても構わない。肉を切らせて骨を断つ。

 

 ギリギリと金属質な音を立てて鋏脚に挟みこまれたサボテングローブが軋みを上げるが、周で強化されたそれを破壊するには力不足のようだ。敵の動きが止まる。その隙を見越し、既にクインは右拳を振るっていた。

 

 一片の出し惜しみもない。『重』により、本体の卵たちから引き出された攻防力がクインの右腕に集結していた。その細腕には不相応なエネルギーが強引に注入され、筋肉が破裂寸前まで膨れ上がる。

 

 重複する顕在オーラをありったけ注ぎこめば、あっけなくクインの腕は弾け飛ぶだろう。その崩壊をオーラ修復によってつなぎとめ、はち切れるギリギリのラインを見極め、無駄なくエネルギーを筋肉全体へと行きわたらせる。加速思考がその計算を可能とした。

 

 そして、パンチとは腕の筋肉によってのみ行われる動作ではない。手首、肘、肩、腰、股関、膝、足首、つま先の関節と、それらを動かす筋肉と腱の作用によってなる。一つの拳を放つために使われる各部にまで意識を向ける。

 

 オーラを見ることができる者ならば、クインの身体の各所に『硬』が行われていることに気づくはずだ。『硬』とは身体の一か所にオーラを集中させる技である。顕在オーラの全てを拳に集めれば、その威力は通常のパンチの何倍、何十倍という威力にまで高まる。

 

 その半面、拳以外の身体のオーラ強化率はゼロとなる。絶の状態であり、防御力は皆無。また、硬はその使用自体が難易度の高い技である。『絶』で拳以外の精孔を塞いだ状態から『練』によりオーラ放出量を高めるという真逆の性質を持ったオーラ操作をこなさなければならない。それに加えて、『纏』と『凝』により漏出するオーラを体表にとどめた上で『発』による力の解放を行う。

 

 オーラの全威力を一点に集中させる代わりにその他の防御力を全て失う。纏、絶、練、発、凝という五つの技を同時に扱う難易度。よほどのことがなければ戦闘中においそれと使える技ではない。だが、クインはそれを全身に複数個所使用している。

 

 正確に言えば、これは『硬』ではない。身体全体のオーラを100としたとき、拳に100を集め、その他の部分が0となる状態が『硬』である。クインは自身の顕在オーラ量を越える数値を各所に100ずつ振り分けるという通常ならありえない技を使っている。

 

 言うなれば『硬』の威力を持った『凝』。本体から攻防力を引き出すという『重』の状態だからこそできた。そこにクインのオーラによって傷を修復できる体質と、『思考演算(マルチタスク)』による技の同時行使という要素が重なることでようやく完成した荒技だった。

 

 最高速度で振るわれる右腕は、もはや自分自身の目でも捉えることはできない。その右手では本体が全力の『堅』で守りを固め、インパクトに備える。さらに弧を描くように横から振りかぶられたパンチには、肩、腰、つま先の回転に合わせて遠心力が加算された。

 

 

 ――重硬・右フック!

 

 

 曲線を描く赤い軌道が瞬いた。キチン質とは到底思えない鋼の甲殻にクインの拳が突き刺さり、鐘を叩くような高音が響き渡った。

 

 掛け値なし、渾身の一撃である。それを受けて敵の装甲はひび割れる程度の損傷で済んでいた。逆にクインの右腕は、関節の位置がわからなくなるほどねじり曲がっている。防御を固めていた本体も内臓を揺さぶられ軽い脳震盪を起こしたような状態になっている始末だ。

 

 森の昆虫類ならこの一撃で内臓にまでダメージを与えられたと思えるほどの手ごたえがあった。なんという硬さ。これが甲殻類の防御力。

 

 しかし、わずかであれどその装甲にひびを入れることができた。

 

 『侵食械弾(シストショット)!』

 

 突き刺さった右腕から、傷口の内部に向けて本体が弾丸を撃ち込んだ。二段構えの攻撃が敵の防御を食い破る。埋め込まれた種は敵の体内で芽吹き、身を太らせ、花を咲かせる。外敵から身を守る鉄壁の装甲は、その内側に膨張する病原を抱え込み、逃げ場のない檻と化して持ち主を苦しめる。

 

 そう思われた。勝利を確信した私の目の前で、弾を撃ち込んだ左鋏脚がポロリと外れた。ハサミだけが体から切り離される。

 

 自切だ。トカゲがシッポを切り、敵の注意を引いている隙に逃げるように、生物が体の一部を自ら切り離す行動を指す。甲殻類にも自切をするものは多い。

 

 敵は攻撃を受けた左鋏脚の異常を感知し、即座に切り捨てた。まずい、せっかく撃ち込んだシスト弾が無駄になった。まさかこんな手段で感染発症を防がれるとは。

 

 それまでその場にとどまり続けていた敵が、大きく動く。腰を据えた姿勢から立ち上がり、せわしなく脚を動かし始めた。その一歩一歩が砂を巻き上げる柱の移動だ。踏みつぶされないようにステップでかわしていく。

 

 その様子を見てわかった。敵は逃げようとしている。自切は主に天敵に襲われた生物が、逃走確率を上げるために行う自衛手段だ。自切という行動そのものが戦意喪失を表していた。得体のしれない攻撃を仕掛けてきたクインに対して、このカニは脅威を感じている。

 

 逃がすか。

 

 もし敵が腕を切り離した上で、戦いを続ける意思があったなら勝負の行方はわからなかった。私にとって苦しい戦いになっただろう。それが奴にとっての最善手である。

 

 しかし、逃げに入った時点で勝敗は決した。敵は自らの優位を捨てたに等しい。いかに実力差があろうと戦意なき強者は容易に足元をすくわれる。

 

 食うか食われるか、その関係は思いのほか曖昧で、一瞬の逆転劇はありふれている。

 

 敵に追いすがったクインは本体から『侵食械弾』を放った。自切した左鋏脚の切断面に着弾する。装甲のない露出した肉の部分から毒素が侵入し、カニは動かなくなった。

 

 

 * * *

 

 

 なかなか強かった。『もしかしてこのカニ、それほど強くないのでは?』とか言っておきながら、普通に殺されかけた。

 

 言い訳をさせてもらえば、強さ自体を見るならもっとヤバい奴はいくらでもいる。相性が悪かった。少しでも肉に食い込めば毒を注ぎこめる『侵食械弾』は、時として格上の敵でも倒しうる強力な武器だ。しかし、こういう装甲で全身を固めた相手には使いづらい。

 

 そのために重硬からの弾丸撃ち込みコンボを発案していた。今回の敵はその練習台としてちょうどいいかなという思惑もあり、正面からぶつかってみたのだが、まだ本格的な実用化に向けて改善しなければならない点があると気づかされた。やはり実戦で試さないとわからないことは多い。

 

 というわけで、先ほどのカニとの戦いは技の検証に大いに役立った。ただ、一つだけ不可解な点がある。最初に遭遇したときの状況だ。

 

 まず不自然な耳鳴りを感じ、『共』による索敵を行った。それにより異常なしと判断した直後、敵はいきなり目の前に出現している。まるで最初からそこにあったかのように突然の登場だった。いくら絶が得意だろうと、あれだけ目立つ物体をあの距離で見逃すわけがない。

 

 『共』は高い精神の集中が必要な技で、『凝』のように頻繁に使い続けることはできない。だが、その索敵の確度は私の持つ技の中で最も高く、これを使用した上で敵を見逃すということは今までなかった。

 

 その隠密性の一点に限れば、間違いなくあのカニは災厄級の脅威であったと言える。それほどの理不尽さがあった。あんなものを生かして逃がせば、今後このあたりを安心して探索することもままならない。そういう意味で殺しておけたことは僥倖だった。

 

 しかし、疑問は残る。まるで認識自体を消し去ったかのようなあの隠行ができるのならば、わざわざ私の前に姿を現してから攻撃に移る必要はなかった。私が気づいていないうちに攻撃されれば、なすすべもなくやられていただろう。

 

 何か、ひっかかる。奴は姿を現した当時、どんな行動を取っていた? 何か不審なところはなかったか?

 

 考えても答えは出なかった。一応、安全をとって先ほどの場所から距離を取った地点を歩いている。いつも以上に気がけて、こまめに『共』で索敵もしておく。あんまり短期的に使いすぎると精度が落ちるが仕方がない。

 

 ひどくなる頭痛を堪え、こめかみを揉みほぐしながら砂浜を歩く。ひと際大きな砂丘を越えたとき、その向こうに青い海原を見た。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。