カーマインアームズ   作:放出系能力者

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98話

 

「てめぇら、たった数人の敵の始末にいつまでかかってんだ! 腕利きの無頼どもが聞いて呆れる! どいつもこいつも立派なのは肩書だけか!」

 

 怒鳴りつけるゼンジの前には雇われた用心棒たちが並んでいる。唇を真っ赤にはらして号泣しているホッド=キッド、見るも無残な傷を全身に刻み付けられ茫然自失のキャロリーヌ=モリス、そして瀕死の重傷を負った蝙蝠。

 

 蝙蝠については傷を自分で縫って応急処置を済ませていた。このくらいの致命傷は割といつものことである。とはいえ、放置しておけば失血死するだろう。死にかけには違いない。

 

「どれだけの前金をお前らに払ったと思ってんだ、ええ? これならカーマインなんちゃらとかいうガキ二人で十分だったぜ」

 

 カーマインなんちゃらのアイクは襲撃してきた賊のうち二人を地に転がし、現在はフェイタンと戦闘中である。その光景は目にもとまらぬ閃光のような戦いだった。用心棒たちから見れば絶句するしかないレベルの攻防だが、ゼンジからすれば念能力者は全部ひっくるめて『超人』である。強さのレベルなんてわからない。

 

 そこにサダソが合流した。その左手には気絶した襲撃者の一人を抱えている。この成果にはゼンジも満足したのか、でかしたと一言労ってピストルの銃口を賊に向けた。せっかく生け捕りにしてきた敵だが、一人くらいは自分の手で殺しておかねばゼンジの気が収まらない。

 

「頭! 待ってください、こいつらもしや……やはり、幻影旅団ですぜ!」

 

 ゼンジの子分が進言した。裏社会にてその名を知らない者はいない。一年前のサザンピース襲撃によってマフィアンコミュニティの勢力図は新旧が入れ替わる混沌の時代を迎えた。マフィアにとっては憎むべき敵であり、英雄でもある。

 

 旧体制の中心勢力の一つだったヴェンディッティ組からすればありがたがるはずもない存在である。感情としてはこの場ですぐにでも殺したいところだったが、手が出せない事情があったからこそ当時のマフィアは旅団と事を構えなかったのだ。

 

 確かに賊の顔は前回の襲撃時に出回った幻影旅団の一人と一致していた。ゼンジは立場上、流星街の出身者をおいそれと殺すことができない。悪態をつきながらも銃口を下した。

 

「なんでまたこいつらが来た!? ただの強盗目的なのか……? ノストラードは関係ねぇのか!?」

 

 蝙蝠を除く護衛チームは旅団の名を聞いて震え上がる。腕に自信のある彼らでも、その名の前には負けも致し方なしと諦めがつくほどの相手である。命がまだあることを喜ぶべきだ。そんな敵を一人仕留めてきたサダソに注目が集まった。

 

「あ、いや、これは何というか……アルメイザ姉妹に助けてもらって……」

 

 少し前までの彼らなら助けてもらったからそれがどうしたと思っていたことだろう。幻影旅団とはそれほどのビッグネームだ。だが、既にアルメイザ姉妹の片割れが旅団員二人を秒殺していく場面を見ている護衛チームは納得することができた。

 

 そして今しがた三人目との戦闘も終わった。無傷の少女に対し、ずたぼろにされた黒服の男。誰もが勝敗を見間違うことのない決着に思えたが、最後の力を振り絞ってフェイタンは念弾を放つ。

 

「ひはーっ!? はひゃふひゃはーっ!」

 

「に、逃げ……」

 

 そこに込められたオーラを見た護衛チームは戦慄した。まるで爆弾だ。爆発すればどれだけの破壊が広がるかも予想できない。すぐさま退避しようとした彼らはさらに想像を絶する光景を目の当たりにする。

 

 突如として現れた三体の観音像が念弾を取り囲む。その像一つの大きさはビルの一棟にも匹敵した。それが三体である。念能力で作り出された存在としても桁外れの大きさだった。

 

 千手観音は空へ打ちあがった念弾を無数の掌で包み込んでいく。その直後、パーキングエリア全体の雨を払いのけるほどの熱波が吹き荒れた。

 

「うおおおお!? な、なにが起きたあああ!?」

 

 巨大な観音像たちは具現化されたものではなかったため、念を見ることができないゼンジには状況が理解できなかった。息苦しさを覚える熱風が叩きつけ、足を踏ん張っていなければ転びそうになる。

 

 三体の観音像が抑え込んだ念弾は勢いを落とすことなく燃焼し続けていた。巨大な掌衣を焼き尽くし、殻の外へと破壊の手を広げようとしている。だが、それをさせじと次々に掌衣の拘束が繰り出された。完璧に威力を抑え込んでなお、掌の外へと漏れ出たわずかなエネルギーが猛暑の熱風をまき散らす。

 

 その観音像がアイクの念能力であることは推測できた。もし掌衣の封じがなければ今頃ここにいる全員が消し炭と化していただろう。そんな念弾を撃った敵も、それを平然と抑え込んでいる奴も念能力者の域を超えているとしか思えない。

 

 こんな化け物同士の頂上決戦に付き合わせられては命がいくつあっても足りないと護衛チームは(一人を除いて)絶望していた。状況はわからずともとにかく逃げなければまずいと思うゼンジとその子分たち、そしてA級賞金首の戦闘レベルを再認識した護衛チームは(一人を除いて)全員が撤退を決意する。

 

「おっ、おお……? おおおおおお!?」

 

 しかし、そこで異常が発生した。最初にそれに気づいた者はゼンジだった。彼が腕に抱え込んでいた緋の眼が見えない力のようなものに引っ張られ始めたのだ。暴風吹き荒れる雑然とした状況の中で、他の者たちは気づくことが遅れた。

 

「お、オレの緋の眼があっ!?」

 

 引っ張られる、というよりは吸い寄せられる感覚に近い。不思議なことにその力が及んでいる対象は『緋の眼』に限定されていた。

 

 その異変は闇に潜んでいた旅団員、シズク=ムラサキの手によって引き起こされたものだった。彼女の能力『デメちゃん』は特別な掃除機を具現化する。この掃除機は、彼女が生き物と認識しているものや念の産物を除いてあらゆるものを吸い込むことができる。

 

 この襲撃において幻影旅団最大の目的は緋の眼の回収にある。チェルがおらず、アイクの隙を突けるチャンスは今を置いて他になかった。仲間を助ける余裕はない。緋の眼を掃除機に吸い込んだ時点で逃げるつもりだった。

 

 シズクも仲間に対する情はあったが、最優先されるのは“クモ”としての目的である。できるはずもない救出に向かって捕まるより先にやることがある。シズクの行動を他の団員の誰もが咎めることはなかっただろう。

 

「させるかあっ! 絶対に渡さんぞ!」

 

 一つ誤算があったとすればゼンジの行動だった。手放せばいいものを必死に緋の眼を抱きしめていたせいで、もろともデメちゃんに吸引されていた。ゼンジの体もシズクの方へと吸い寄せられていく。

 

 何らかの念能力を受けていることは護衛チームにもわかったが詳細までは不明の攻撃である。どう対処すべきか一瞬の躊躇が生じる中、真っ先に行動した者はアイクだった。フェイタンの念弾を抑え込みながら四体目の観音像を出現させる。

 

 まさかの四体目。シズクは真顔で音速の一撃を食らった。常日頃からあまり感情を表に出すことのない彼女だが、人間はあまりにも理不尽な事態に直面すると表情を取り繕おうとする気もなくなってしまうということを学んだ。

 

 何体出すねんとか、速すぎやろとか、リーチふざけんなとか、色々ツッコミたいところはあったシズクだがもちろんそんな余裕は与えられなかった。反射的にオーラを防御に回せたことが奇跡と言える。横殴りの一撃を受けたシズクは駐車されていた大型トラックに激突してコンテナをくの字に変形させ、20トンの車体ごと横転して停止した。

 

 その様子を見たアイクは、しまったと言うような顔をしていた。千百式観音は決められた型通りの拳を繰り出す能力であり、力を加減することが難しい。人間相手に直接使うつもりはなかったのだ。護衛対象であるゼンジに危害を加える恐れがあるとしてやむなく使うしかなかった。

 

 シズクが一流の実力者でなければ死んでいただろう。それでもフェイタン以上の重傷を負っていた。デメちゃんも具現化を解除されて消えている。術者が戦闘不能となったことで勢いよく吸い込まれていたゼンジがごろごろと地面を転がった。

 

 だがクモの執念は、極めつけの理不尽の中でシズクに最後の足掻きを取らせていた。彼女は観音像の一撃を受けた瞬間に置き土産を残したのだ。ピンポン玉サイズのボールが落下する。それは地に着いた途端、勢いよく煙を噴出した。

 

「げほっ! がはっ!」

 

 ゼンジはスモーク弾の煙を吸引してしまった。ホッドが急いで助けに向かう。煙幕は勢いこそあったが、弾のサイズが小さかっただけにすぐ煙を吐き出し終えて停止した。

 

「ぐるじい……げほっ、ぐえほっ!」

 

「ま、まさか毒ガスか!?」

 

 ほんの少ししか吸い込まなかったにも関わらずゼンジの体調に大きな変化が生じていた。みるみる顔色が悪くなり、強い吐き気を催した。子分に介抱されながら排水溝に吐しゃ物をぶちまける。

 

 その頃、ようやくフェイタンの念弾が観音像の手の中で燃え尽きた。そしてフランクリンの巨体を引きずってチェルが戻ってくる。これにより隠れていた者も含め、7名の襲撃者全員の鎮圧が確認された。

 

「チェル、円を解くなよ。まだ敵が潜伏しているやもしれん」

 

「言われなくてもやってるよ」

 

 しかし、状況はあまり良いとは言えない。最後の最後で護衛任務をしくじってしまった。もしゼンジの症状が毒物によるものだとすれば早急な治療が必要となる。

 

「すぐに車を出せ! 病院に連れて行くぞ!」

 

「わかった!」

 

 ゼンジを介抱していた運転手の男が、敵の奇襲を警戒して手にしていた拳銃をゼンジのこめかみに突きつけた。

 

「……おい……何してんだ、ドンタ!?」

 

「全員、動くな。少しでも不審な行動を取れば発砲する」

 

 ドンタと呼ばれた男は一転して底冷えするような気配を放つ。一連の行動が示すところはつまり、人質を取られたということだった。

 

「まさか内部に敵が潜んでいたとはの。それとも操作系で操られた人間か?」

 

「想像に任せよう」

 

 ドンタはマフィアの構成員である。ただの雇い運転手というわけではない。それなりにゼンジから信頼を置かれている人物が裏切りを働くとは誰も思っていなかった。

 

 それもそのはず、この男の正体は幻影旅団の一人、ボノレノフ=ンドンゴだった。自身の身体を使って奏でたメロディーを戦闘力に変える『戦闘演武曲(バト=レ・カンタービレ)』という能力を持つ。

 

 オークションにて緋の眼の落札者を確認した旅団は、サザンピースに車で送迎をしに来ていたヴェンディッティ組の組員を密かに襲っていた。運転手のドンタを捕らえて尋問し、必要な情報を聞き出したのち処分した。

 

 そしてドンタに成り代わったボノレノフが何食わぬ顔でゼンジの送迎を行ったのである。『戦闘演武曲』の曲目の一つ『変容(メタモルフォーゼン)』は様々な姿に変身する効果があった。

 

 運転手であるドンタがゼンジたちと会話する機会は少なかったが、ふとした掛け合いの中でボロが出ることは十分にあり得た。そんな危険を冒してでもボノレノフが潜入を選んだ理由は、クラピカの襲撃に備えたためだった。

 

 幻影旅団は、自分たちが行動を起こせば復讐に駆られたクラピカが必ずやって来ると確信していた。そして彼らはクラピカの能力もさることながら、その知略についても侮っていない。どんな策を巡らせているかもわからない敵に対し、こちらも策を講じておくことは当然の措置である。

 

 クラピカの明確な弱点の一つに『拘束する中指の鎖』は旅団員以外に使えば死ぬという制約がある。旅団であることが確定していなければ使えない鎖に対し、自由に姿を変えられるボノレノフの変身能力は弱点を突く上で適していた。

 

 ノーマークの人間に成りすますこともできるし、偽物の旅団員像を作り上げて攪乱することもできる。包帯でぐるぐる巻きにされていたボクサーは彼のフェイクだ。中身は操作された一般人である。

 

 新入団員として№11入りが内定している男から多数の“針”を買い取っていた。この針には操作系能力の念が込められており、刺された人間は与えられた命令を実行するだけの廃人となる。

 

 駐車場に停まっている車の中や隣接しているサービスエリアにもこの針人間を多数配置するなど対クラピカ戦を見据えた策を用意していた旅団だったが、その目論見は見事に予想外の方向から潰されたと言える。

 

 まさか本命の敵が現れる前に、自分を除いた旅団の全員が倒されるとはボノレノフも思わなかった。

 

「この男が吸った毒ガスは遅効性の猛毒だ。早期に適切な治療を受けさせれば命は助かるが、そうでない場合は死ぬこともあり得る。生きながらえても確実に重篤な後遺症を残す」

 

「解毒剤とか持っとらんのか?」

 

「ある。これは特殊調合された薬品だ。そこらの病院で手に入る解毒剤ではないと言っておく」

 

「ということは、交渉の余地があると考えてよいみたいじゃの」

 

 ボノレノフは最初からそのつもりだった。銀髪の姉妹二人を相手に人質を取った程度でできることなど高が知れている。この二人は所詮、金で雇われた傭兵だ。依頼人のために最善を尽くす努力はするだろうが、だからと言って不当極まる要求を突きつけたところで無視されて終わるだけだ。

 

「まず確認したい。お前たちの契約内容はゼンジ=ヴェンディッティの身辺警護、それだけか?」

 

「そうじゃな。3日間の期限付きじゃ。それ以外にこれと言った条件はないの」

 

「では、取引をしよう。オレたちの目的はこの『緋の眼』の入手にある。この品を引き渡すこと、そしてオレたちを全員無事に逃がすこと。この条件を飲んでもらえれば人質は返そう」

 

 護衛任務しか請け負っていないアイクたちにゼンジの所持品まで保守する義務はない。常識的に考えれば所持品までひっくるめて護衛対象になるだろうが、約定に明記されていない以上は言い逃れが可能だ。この場合は手放すこともやむを得ないだろう。

 

「盗人猛々しいとはこのことじゃ。解毒剤も含め、盗ったもの全部置いて帰るというのであれば命だけは見逃してやってもよいぞ」

 

 アイクが高圧的に交渉を迫るが、それに屈するボノレノフではなかった。旅団としてこれ以上の譲歩の余地はない。緋の眼の引き渡しに誰も反対する者は現れなかった。ゼンジの命がかかっているのだ。10憶の競売品だろうと命には代えられない。

 

「しょうがないのぅ。その取引に応じる」

 

 そう言うとアイクはおもむろに歩き始めた。

 

「勝手な行動を……」

 

「黙っとれ。殺気がないことはおぬしにも見て取れるじゃろう」

 

 アイクは倒れ伏して伸びているノブナガに近づき、首の後ろに手刀を叩き込んだ。びくんと痙攣したノブナガは意識を取り戻して起き上がる。活を入れて目覚めさせたのだ。

 

 目の前に立つ少女の姿を確認したノブナガは即座に腰の刀に手を伸ばした。しかし、彼の刀は一度奪われた際に捨て置かれている。それに気づいたノブナガは、慌てて落ちている刀を拾って構え直すという何とも締まらない反応を見せた。

 

「落ち着け。事情を話す」

 

 ボノレノフが言葉を選びながらノブナガに現状を説明した。その間にアイクはフィンクスにも気付けを施した。ゼンジの治療のためにも取引をなるべく早く終えなければならない。ノブナガたちは急いで団員をかき集め、逃走用の車に押し込んだ。

 

「くーっ、情けねぇ。ここまでけちょんけちょんにやられるのは何年ぶりだ?」

 

 賞金首として悪名を轟かせる幻影旅団も結成当時から成功ばかりを重ねてきたわけではない。若気の至りから無謀な盗みに挑むことも昔はあった。フィンクスは腹立たしいやら懐かしいやらよくわからない気分だった。

 

 だが、仲間が一人も死なずに助かったことは素直に喜ぶべきだろう。目的の品も手に入った。プライドはいたく傷ついたが盗みは成功だ。逃走の手配は着々と進んだ。

 

 

 * * *

 

 

 クラピカはじっと息を潜めて事の成り行きを見極めていた。完全防水仕様の携帯電話を通してセンリツと連絡を取り合い、ボノレノフとアイクの交渉内容は一言一句余すところなく把握していた。

 

 まるで介入する余地のないこの状況においてもクラピカが思考を放棄することはなかった。必ず付け入る隙はあると信じていた。そのための策も用意している。

 

「車の準備はできた。行くぞ」

 

「ではこれから人質を引き渡す。解毒剤の隠し場所については我々の逃走後、携帯電話を通して伝える」

 

「用意周到じゃの」

 

 ボノレノフがゼンジに突きつけていた拳銃を下す。

 

 

 今だ。

 

 

 直後、ボノレノフの足元を蛇のような何かが這い上がった。全身から力が抜けるような虚脱感が彼を襲う。その攻撃の正体は『拘束する中指の鎖』だった。

 

 彼はあり得ないと驚愕する。クラピカの襲撃を警戒していないはずがない。たとえ隠でオーラが隠されていようとも、鎖の接近に気づかないような失態を犯すはずがなかった。加えて、この場所はチェルの円のただ中に位置する。ボノレノフが気づかなかったとしてもチェルの目を欺けるとは思えない。

 

 その鎖の出どころは、排水溝のグレーチングだった。雨水が流れる水路の中まではチェルの円でも察知できない。ボノレノフが立っていた場所は、ゼンジが中毒症状によって嘔吐していた溝蓋の近くだった。その金網の隙間から鎖の先端が伸びている。

 

 ボノレノフの身体が拘束されていく。そして鎖は二本あった。一本はボノレノフに、もう一本の『導く薬指の鎖』は気を失っているゼンジに巻きついた。

 

「ボノ!」

 

 助けに向かおうとしたフィンクスたちを牽制するようにアイクが威圧を放つ。しかし、不測の事態を前にしてアイクとチェルも判断に窮していた。明らかに念能力によるものと思われる鎖で人質を拘束されてしまった以上、迂闊に手を出すことができなかった。

 

 一方、ボノレノフは自由を奪われていく中で自分にできる最善の手を模索していた。もはやこの状況から脱する手立てはないが、そこで諦めることはなかった。わずかしか残されていない選択肢の中から最後の一手を選ぶ。

 

 彼は抱えていた『緋の眼』を投げた。その方向は、旅団の仲間たちへ向けたものではなかった。アイクの手へと渡る。

 

 そして鎖による拘束は完了した。ボノレノフは強制的に絶の状態にされ『戦闘演武曲』の効果も解除される。元の容姿へと戻った。

 

 そこへ攻撃を仕掛けた張本人が姿を現した。排水溝の蓋を外し、濡れねずみのような有様でクラピカが登場する。地下の水路はここ数日長引く雨の影響で激しい濁流が流れていた。

 

 まさかそんなところを人が通って来るとは思わない。執念の潜伏。クラピカは、両手を軽く挙げ敵意がないことを示す。その手にはハンター証を携えている。

 

「私はブラックリストハンターのクラピカだ。A級賞金首『幻影旅団』の身柄確保への協力に感謝する」

 

 クラピカはこの機を見計らっていた。排水溝の位置や敵がその近くにいたことなど偶然に助けられたところはあったが、何よりもそのわずかな可能性に賭け、決して諦めることがなかったクラピカの執念が実を結ぶ。中でも運に任せたことはボノレノフが旅団員であるかどうかの見極めだった。

 

 運転手に扮していた者は旅団員か、それともただの協力者に過ぎないのか。後者であれば死の誓約を伴う『拘束する中指の鎖』を使うことができない。しかし、その他の鎖では本物の旅団員であった場合、拘束が成功するとは思えなかった。

 

 ここで危険な手を取らず、旅団が緋の眼を持って逃走した後で襲撃を仕掛けるという考えもあった。その場合はフィンクス、ノブナガ、ボノレノフの三人を相手にした上で緋の眼の回収までしなければならなくなる。手負いの仲間を抱えているとはいえ容易ではない。フランクリンとの戦いでクラピカは改めて戦力差を実感していた。

 

 あえてカーマインアームズという第三の勢力を間に挟むことにより旅団を制す。この手しかないとクラピカは判断した。人質引き渡しの瞬間こそが介入する最後のチャンスだと確信する。

 

 ボノレノフが旅団員であるかどうかの判断材料はセンリツが聞き取った音による情報だった。彼本人の音ではなく、ボノレノフと会話をしたノブナガの心音である。虚偽を表さないようにと言葉に気を付けていたようだが、その感情までは偽れない。ノブナガの言葉には仲間に対する親しみと信頼の情が込められていた。

 

「鎖野郎……!」

 

「てめぇはノストラード組の……!」

 

「やれやれ、またわけのわからんのが来よったぞ」

 

 賭けに勝利したクラピカだったが、歓迎されていないことは明らかだった。差し迫った事情を抱え合うこの集団を誘導し、落としどころを見つけることは至難の業だろう。うまくいくかどうかはこれからの交渉にかかっている。クラピカは気を引き締めた。

 


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