カーマインアームズ   作:放出系能力者

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天空闘技場編
103話


 

 天空闘技場。ミンボ共和国の東に位置するこのタワーは、地上251階、高さ991メートルを誇る世界第4位の高層建築物である。この場所では毎日のようにある興行が催されていた。

 

 タワーの玄関口には人の群れが長蛇の列を作っている。それら全て、観客ではなかった。興行の主役となる一攫千金を目指して集まった闘士たちである。一日に平均4000人もの世界各地の腕自慢がこの地を訪れ、闘いに明け暮れていた。

 

 人はその場所を野蛮人の聖地、格闘のメッカと呼ぶ。肌寒い風が吹き抜ける晩秋の頃、天空闘技場前は肉体を誇示するように薄着姿の屈強な男たちがひしめき合い、むんむんと息の詰まる熱気に満ちている。

 

 そんな男たちの中に場違いにも紛れ込んだ少女が一人いる。くすんだ金髪のショートヘアはセットをさぼったのか癖っけでまとまりがない。マウンテンパーカーにクライミングパンツというアウトドアスタイルの服装である。それだけならどこにでもいる普通の少女という印象しか受けないだろう。

 

 場違いさを除いても少女の姿は異彩を放っていた。大きな箱を背負っているからだ。直方体の黒い箱は長さ150センチ程度、子供一人くらいなら中に納まる大きさだった。その正面には赤暗色に鈍く輝く精緻な彫刻が施されている。

 

 十字架と髑髏をモチーフとしたその装飾彫刻は不気味ながら目が離せなくなるような真に迫ったものが宿っていた。『τὸ κίνητον ἀκινοῦν』と、十字架の周囲には見慣れない文字が彫られている。

 

 材質は不明ながら大きさからして相当の重量があるように見えるが、少女は軽々と背負っている。周囲から訝し気な視線を集めるが、奇抜な恰好で観客の気を引こうとする闘士は珍しくもないので声をかけられることもなかった。

 

 子供だからと言って帰るよう諭す者もいなかった。金を得るために子供が闘士を目指すことは稀にある話で、そして大抵の場合は大怪我を負って塔から叩き出されることになる。勝つことを目的として集まった闘士たちにとって、たとえ子供だろうと親切に獲物を逃がしてやる義理はない。

 

 闘士として申請書類にサインすればいかなる理由で負傷しようと、“不慮の事故”で死亡しようと誰も責任を取ってはくれない。1ジェニーの補償もない。一応、未成年には事前に説明されるが年齢制限は特にないという制度がこの場所の無法さを物語っていた。

 

「天空闘技場へようこそ。こちらへ必要事項をお書きください」

 

 ようやく列が消化され、少女は受付の前まで来た。用紙にプロフィールを書くように言われる。少し悩みつつも、すらすらと書いていく。

 

 

 ――――

 

 名前:キネティ

 生年月日:1988年1月18日

 闘技場経験:なし

 格闘技経験:3か月

 格闘スキル:なし

 

 ――――

 

 

「あなたの番号は1074番になります。場内アナウンスで呼び出されましたら速やかに指定のリングまで来てください。それでは健闘を祈ります」

 

 通路の奥へと足を運ぶ。広い闘技場が見えてくる。それを取り囲む観客席は1万人規模を収容できるほどだった。しかし、ここはまだ塔の1階。ギャラリーの血を沸かせ、白熱させるような試合は期待できない。席に座る人間は参加待ちの闘士と、泥仕合を見に来た物好きな観客で占められていた。

 

 闘技場を区切るように設置された16のリングの上で試合が同時進行されていく。そうでもしなければ集まった闘士を捌ききれないからだ。血気盛んな男たちは放り込まれたリングの上で殴り合う。グローブもない。

 

 流血沙汰は当たり前、殴った拳までも傷つくような危険打を容赦なく顔面に叩き込んでいく。審判はいるが止めに入る様子はない。負けた闘士は大抵が失神して担架で運ばれていく。観客たちは勝った闘士の雄姿よりも、負けた闘士の無様さを見て楽しんでいるようだった。

 

 その様は見世物にされる剣闘士(グラディエーター)だ。非人道的、残酷と罵られても否定はできない光景だが、この場所ではそんな非道がまかり通る。

 

 天空闘技場の観客動員数は年間10億人を超える。動く金は計り知れない。この国にとって不可欠の観光資源となっている。活きの良い闘士を集めるためにファイトマネーも膨大な額だった。この塔は血と金を吸い上げ、空高く育つに至る。

 

 観客席に座ってぼんやりと試合を眺めるキネティもまた多くの闘士と同じ理由でここへ来ていた。つまり、金のためである。

 

 傭兵団カーマインアームズは慢性的な資金難に見舞われていた。団長クインの営業活動も海千山千の経験を積んだ同業者たちを相手にうまくいかないことの方が多い。傭兵団としては新参者、順調に金を回せるようになるには時間がかかる。

 

 クインはこの状況を何とかしようと苦心していた。『簡単 誰でも 高収入』でネットを検索し、いかがわしいサイトに翻弄されながらもついに有力な情報を得る。それが天空闘技場だった。年齢、性別、資格技能問わず登録でき、高層階の闘士となれば一戦のファイトマネーが億を超えるという。

 

 当初、クインはすぐにアイクを天空闘技場へと送り込もうとした。一応、賞金首なので素顔を晒すのはまずいと思い、アイクには謎のマスクマンに扮してもらった。

 

 しかし、アイクやチェルには傭兵戦闘員としての仕事がある。クインを始めとする裏方も雑多な仕事に追われている状況の中、そこで白羽の矢が立ったのがキネティだった。見習いでありまだ仕事を任されたことがなかった彼女だが、最近ようやくファミリーネームを継げたこともあって、初任務として天空闘技場へ送られることになった。

 

 金を得られるだけでなく修行にもなって一石二鳥である。危険を伴うとはいえ、彼女が“いつもやっている修行”に比べれば安全だろうと判断された。

 

 任務と言っても傭兵稼業の研修のようなものとキネティは捉えている。とはいえ、本来の目的である資金調達も疎かにはできない。クインからは無理をしない範囲で体に気を付けてお金をいっぱい稼いできてねと、地味にゲスいことを言われている。

 

 かくしてキネティはクインからマスクを託され、この地を訪れることになったのだった。マスクは荷物の中だ。キネティの面は割れていないので隠す必要はない。

 

「1074番・1060番の方、Gリングへどうぞ」

 

 物思いにふけっていたキネティは自分の番号が呼ばれたことに気づいて席を立つ。武器の使用は認められないらしいので、背負っていた箱はリングの横に置いた。

 

「ぶっひゃっひゃ! なんだそりゃ、自分用の棺桶でも担いできたのか!?」

 

 対戦相手の男が大笑いしている。冗談で言ったつもりなのだろうが、その発言はまさしく正鵠を射ていたためキネティは特に反論しなかった。そうこうしているうちに審判が説明を始める。

 

「1階で行われる試合では入場者のレベルを判定します。勝利した闘士にはその戦闘力に応じた階層へ上がってもらいます。良い試合結果を出せれば一足飛びに上階への入場も認められます。制限時間は3分間、自分の実力を示してください」

 

 要するに、テストである。審判はただ見ているだけだ。1階における全ての試合はとにかく数をこなすことに重点が置かれ、流れ作業のように処理されていく。

 

 キネティと対戦相手の男はリングの上で向かい合った。子供と大人、女性と男性、その体格は言うまでもなくかけ離れていた。加えて男の方は見るからに荒くれ者といった風貌をしている。小汚いが、腕っぷしだけは自信があるとわかる肉体だった。

 

 観客席から飛んでくる野次と嘲笑は、その多くがキネティへと向けられていた。誰が見ても勝敗は明らかな試合。観衆の関心は、どのように彼女が打ちのめされるのか、その無様な姿を想像することに尽きた。

 

 審判は感情を挟まず淡々と試合開始の合図を告げた。しかし、ごろつきの男はすぐに動かず、何かを思案するようなそぶりを見せた。

 

「うーむ、これは困った。オレの実力を見せつけるには相手が弱すぎるぜ。これじゃオレの正確な強さをアピールできねぇじゃん。なあ、審判?」

 

 男は審判に問いかける。まるで対戦相手など眼中にないと言わんばかりの余裕の態度である。その隙に素早く接近していたキネティの動きに全く反応できない。ただし、仮に万全の注意を払っていたとしても結果は変わらなかっただろう。

 

 キネティの拳が男の顎に打ち込まれる。衝撃は歯を砕きながら脳へと突き抜けた。脳震盪により男の身体が崩れ落ちる。

 

「お、おごっ……! ひほうは、はへほ……!」

 

 だが意識を奪うには至らなかったのか、這いつくばった体勢から必死に起き上がろうと体を震わせている。キネティは片足を頭上まで高く振り上げる。その柔軟な脚の動きから繰り出されたかかと落としが対戦相手の頭に叩き込まれた。後頭部から襲い掛かる蹴りと地面に打ち据えられた顔面の衝撃に挟み込まれ、今度こそ気絶する。

 

「……はい、良い試合でした。1074番の方、50階への入場を許可します」

 

 審判が試合内容を記したチケットをキネティに渡す。会場には小さなどよめきが沸いていた。不意打ち気味の攻撃だったが、観客は素人でもキネティの動きからして只者ではないとわかった。

 

 目の肥えた観衆の中には、掃いて捨てるほど集まった1階の闘士の中にごく稀に混ざる強者の気質を感じ取る者もいる。先ほどまで嘲笑の的だったキネティは一転して賞賛の歓声を浴びていた。何人だろうと勝者は称えられ、敗者はゴミのように見捨てられる。この塔に蔓延る明快な真理だった。

 

 掌を返したような観客に反応を示すこともなくキネティは闘技場を後にする。勝利を喜ぶ感慨はなかった。今の対戦相手が少しばかり喧嘩が強い程度の素人であることはわかる。むしろ一撃目で確実に昏倒させられなかったことを悔やんでいた。

 

 いきなり50階へ行けと言われたが、まだこの塔のシステムを理解していないキネティには自分に下された評価がどの程度だったのか判断できない。そのあたりの基本的な知識については配布されていたパンフレットを見て確認した。

 

 この塔は10階単位で闘士がクラス分けされている。今のキネティは50階級の闘士ということになる。ここで1勝すれば60階級へ昇格し、1敗すれば40階級へ降格する仕組みだ。200階までは共通してこの制度が適用される。

 

 ひとまず先ほどの試合のファイトマネーを受け取りに向かったキネティは、窓口で152ジェニーを手渡された。そこまで期待はしていなかったとはいえ予想通り過ぎた現実に少しだけ気落ちする。たったこれだけの金額をご丁寧に封筒に入れて渡すのは止めて欲しかった。

 

 だが、1試合目を怪我もなく終えたキネティは今日中にもう1試合予定が組まれることになると受付から告げられる。50階級で勝てば5万ジェニーくらいもらえるらしい。100階で勝てば100万、150階で勝てば1000万、200階一歩手前の190階クラスなら2億という法外なファイトマネーが手に入る。

 

 200階以上になるとなぜか賞金はなくなるらしい。理由はよくわからなかったが、とにかく190階級と180階級を行き来しているだけで一生どころか数代遊んで暮らせる金が手に入る。そんな馬鹿なと怪しまずにはいられないキネティだったが、年間10億人の観客動員数とそれが生み出す経済効果を考えればどうにかなってしまう滅茶苦茶な現実があった。

 

 選手呼び出しがあるまで控室で待機するように伝えられる。その前に背中の『箱』を保管できる場所はないかと受付に尋ねたところ、荷物の預かり所の場所を教えてもらえた。190階級以下の試合では武器の使用が禁止されているため、キネティのように武器を預けたい闘士も少なからずいるようだ。当然、有料である。割安の貸しロッカーもあるが、大きさの問題でキネティの箱は入らない。

 

 天空闘技場は観戦をメインとしてサービス用の様々な施設が完備された複合型興行施設となっている。観客だけでなく闘士のための設備も多い。下位闘士専用の格安カプセルホテルもあるようだ。

 

 この周辺は連日押し寄せる客によってホテルの空き部屋がなかなか出ない。中心街から外れた安宿でも予約なしの飛び込みなら1泊5万くらいは見積もらないといけないようだ。当然のように賃貸も高く、闘士にとって住居探しは切実な問題である。

 

 稼ぎに来たのにわざわざ高い外の宿に泊まりに行くこともあるまいと、キネティは塔内のホテルに泊まることに決める。ちなみにカプセルホテルがどんなものなのか知識はなかった。

 

 前途多難だが“出稼ぎ”と“師から与えられた課題”をクリアするまではおめおめと帰れない。気を引き締めて選手控室へ向かうのだった。

 

 

 * * *

 

 

『なんという強さだキネティ選手ー! 情け無用の滅多打ち! クリーンヒットを重ねていく!』

 

 50階級戦、新人闘士キネティV.S.双剣術士レゴルスの試合は無惨なワンサイドゲームと化していた。試合直前に公表された賭けのオッズから見ればレゴルスに大きな分があったのだが、蓋を開けてみれば真逆の結果となっている。

 

 剣士と言っても無手による闘いが強いられる試合、かつ50階級程度でくすぶっている実力からしてレゴルスは疑いようもない下位闘士である。だが、相手は天空闘技場初心者で格闘経験3か月でしかも子供だった。

 

 少女が繰り出したとは思えない威力が込められた怒涛の拳打がレゴルスに襲い掛かる。血反吐をこぼしながら大の男が打ちのめされていく光景に観客たちは大笑いしていた。見世物としてはおあつらえ向きの試合と言える。

 

 そんな喧噪の中、一人の青年が観客席で試合を静観していた。腰からはみ出たシャツや寝ぐせのついた髪など、どこかだらしない恰好をしているが、眼鏡をかけた至って真面目そうな男である。

 

 彼の名はウイング。今でこそ冴えない青年にしか見えない風貌をしているが、かつては21名の最高位闘士の1人、フロアマスターとしての凶相を持っていたとは隣に座る観客も想像だにできない真実だろう。

 

 それも今は昔の話。所詮は日の当たる限られた世界の栄光でしかないと彼は悟った。今では闘士などとうに引退して武道家となり、後進の育成に励む日々を送っている。彼がこの塔にいる理由は弟子の修行のためだったのだが、この試合を観戦している理由はまた別にある。

 

 彼は何気なく耳にした噂の中でキネティのことを知った。新人闘士が1階級の試合でいきなりの50階行きとなったらしい。確かにそれは噂になってもおかしくないほどのことだが、初参加でしかも子供の闘士となると輪をかけて異常だった。

 

 その噂を聞いてウイングが思い出したのは、今から1年以上前になる裏ハンター試験のことだった。ゴンとキルア、二人の少年がこの塔を駆け上がって行ったあの頃の記憶は今もまだ鮮烈に残っている。200階級に到達し、後のフロアマスターと善戦した少年闘士の戦果は今でも語り草となっている。

 

 彼はキネティの登場を心の中でどこかゴンたちと重ね合わせるところがあった。観戦に来たのは単なる好奇心だ。その上でキネティの試合を見た彼は思う。

 

 つたない。心技体が揃っていなかった。

 

 まずは心。彼女の拳からは不満を感じる。一方的に相手を打ちのめしながらも、その結果に全く満足できていない。焦りが焦りを呼ぶ負の連鎖が余計に彼女を苦しめていた。

 

 そして技。これに関しては語るまでもない。格闘技経験3か月という前情報は嘘偽りない真実だとすぐにわかった。

 

 最後に体。彼女の強さはこの一点で支えられている。身に纏うオーラの流れから彼女が念能力者であることは察せられた。さすがにオーラを込めた攻撃を一般人相手に使うようなことはなかったが、体内で練り上げられたオーラが身体能力を大きく底上げしている。レゴルス程度の闘士なら内的な強化だけで十分に打倒が可能である。

 

「クリーンヒット! ポイント10-0! 勝者キネティ!」

 

 爆発的な歓声によって試合は締めくくられた。結果は完勝。だが、キネティは苦い表情で血に染まった自分の拳を見下ろしている。対戦相手のレゴルスは殴打による切り傷で血濡れとなり足元はおぼつかなくなっているが、それでも倒れなかった。一度としてダウンは取られなかったのだ。

 

 念能力者と一般人、その戦闘力の差は歴然だった。現にレゴルスは手も足も出なかった。しかし、武術に己を投じ、積み上げてきた時間が全て無駄になったわけではない。技で勝り、心で勝ったレゴルスは、強敵を前にして膝を折ることなく堪えてみせた。

 

 力の使い方さえ誤らなければキネティは楽に勝利できたはずだった。しかし、いかにレゴルスが下位闘士であっても闘いに身を置く武人には違いない。その差を身体能力だけで埋めることはできなかった。大して消耗もしていないはずのキネティは肩を落としながらやるせなく退場していく。

 

 その様子を眺めていたウイングは席を立って足早に闘技場の外へと向かう。裏ハンター試験という事情があったゴンたちの時とは違い、キネティの場合は彼が気にかける義務はない。しかし、おそらく自分が今からするであろうことに不合理さを覚えながらも、黙って見過ごすことはできなかった。選手控室につながる通路まで走る。そこへちょうどキネティが通りがかって来た。

 

「こんにちは」

 

 ウイングは精一杯和やかな笑顔を浮かべたが、いきなり駆け寄ってきて挨拶してくる男という時点で不審者だ。キネティはよそよそしい態度でぺこりと一礼して彼の横を通り過ぎて行った。

 

「今の試合、負けてしまいましたね」

 

 しかし、背後から聞こえた声にキネティは足を止める。客観的には誰が見ても彼女の勝利だと答える試合だが、その結果を誇ることは到底できない。ウイングの言葉は無視できない棘となる。

 

「わざわざ嫌味を言いに?」

 

「すみません、言葉が過ぎました。私はウイングといいます。心源流拳法の師範代をやっています」

 

「心源流……」

 

 肩書が人の価値を表すところは事実としてある。初対面の人間であればなおさらだ。ただの不審者ではないのかもしれないとキネティは思い始める。

 

「おや、もしかしてご存じですか」

 

「はい、一応あっしもそれを習っているので」

 

「そうでしたか。ちなみに師はどなたです?」

 

 驚くには値しない。心源流は念法の最大流派である。念能力者であるキネティが同じ門人であっても不思議はない。だが、ウイングが気になるのは誰の指導を受けているかだ。

 

 キネティの脳裏には『わしは心源流でも一番偉いのじゃ!』と平たい胸を張っていた少女の姿が思い浮かぶ。

 

「えーっと、一番偉い人とか言ってたような……確か、師範? とか言う人で……」

 

 それまでにこやかだったウイングの顔つきが少し険しくなる。

 

「その方の名前をお聞きしても?」

 

「いや、それは……」

 

 言い淀むキネティの態度にウイングは怪しさを感じる。キネティが何者かの手ほどきを受けていることは事実だろう。そんな嘘を吐く必要はない。問題は、本当にその人物が指導者の資格を持っているかどうかだ。

 

 心源流はその規模ゆえに正規の資格を得ず指導を行う不逞の輩もそれなりに発生している。ウイングも何度か摘発したことがあった。だが彼もさすがに、恐れ多くも師範の名を騙る詐欺師にはお目にかかったことがなかった。

 

 心源流の師範はアイザック=ネテロただ一人。彼が取った直弟子は数えるほどもいないと聞く。ついに免許皆伝を与えられる者が現れることなく、ネテロは逝去した。よもやその無二の傑物になりすまそうとは愚かにもほどがある。師範代として生前のネテロと交流があったウイングは怒りを覚えずにはいられなかった。

 

「どのような指導を受けたのか、差しつかえなければ教えていただけませんか」

 

 なぜか少し怒っている様子のウイングに戸惑いながらもキネティが修行内容を話したのは、彼女自身、どこかアイクの指導法に疑問を感じるところがあったからだろう。

 

『よいか、キネティ。念の基本は纏・絶・練・発! この四つさえ覚えればおっけーじゃ! あとは修行と実戦あるのみ!』

 

 そして始まる高速組手という名の蹂躙。アイクいわく技は教えられるものではなく見て盗むものらしい。経験を積んだ武道家であれば感涙にむせび泣きアイクの一挙手一投足から技を学び取ろうとしただろうが、キネティはまだその域に達していなかった。なんとなくすごいということしかわらないままボコボコにされて終わる。

 

 一流のプレイヤーは一流の監督にはなれないという言葉がある。武人としての技量と指導者としての技量は必ずしもイコールで結ばれるものではない。端的に言えばアイクは指導者に向いていなかった。

 

 ネテロが四大行という念体系を作ったのも修行の工程をマニュアル化して効率化し教える手間を省くためである。次代の師範となるような後継者を作らなかったネテロも、自分に代わる指導者として師範代となる者を多く認めていた。それは少なからず自分の指導力に問題があることを自覚してのことだった。というか、ただの面倒くさがりである。

 

 しかし不幸にもそのあたりの記憶を引き継げなかったのか、アイクは張り切ってキネティの師匠を引き受けた。その点で言えば師範代になることを目指して勉強していたカトライの方がよほど適性があったのだが、まさか心源流師範を差し置いて口出しできるはずもない。カトライはアイクに任せれば大丈夫と全幅の信頼を置いていた。

 

「リンt……組手のほかにはサバイバル訓練とかもしました。無人島(未開海域、危険生物多数)に一週間、身一つで放り込まれたりとか……」

 

 一つ断っておくことがあるとすればキネティの身体は念能力の関係上“死んでも問題ない”という前提があった上での修行である。さすがにさっき会ったばかりの他人にそこまでのことは話せなかったので、ウイングは普通に、この少女が修業とは名ばかりの鬼畜極まる拷問を受けていたのだと解釈する。

 

「あっ、でも師からは『パイパン』を名乗る許可を得ていますぜ」

 

 思い出したように少女は付け加える。『まだ毛も生えていないつるつるの素人じゃが、四大行ができるようになったし、これからは白帯(パイパン)を名乗るがよい』と厳かに言い渡されていた。もちろん彼女はその言葉の意味を知らない。何かの武術の用語だと思っている。

 

 ざわっ

 

 ウイングの身体からオーラの覇気が噴き出していた。そこで初めてキネティはこの男が念能力者であることに気づく。なぜいきなり男がそのような反応を見せたのか彼女にはよくわからなかったが、ハイライトが完全に消えたウイングの瞳には恐ろしいほどの怒気が宿っていることだけは理解できた。

 

「なんということだ……この子は何も知らなかったとはいえ、いや、だからこそ許されざる悪行。心源流に身を置く者として放ってはおけません。私が責任を持って、あなたに念を教え直します!」

 

 その気迫に呑まれてハイと生返事をしてしまったキネティだったが、いまいち状況が把握できていなかった。

 


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