「ポイント&KO制、時間無制限一本勝負! 始め!」
審判が開始を告げる。ズシはオーラを練り高めていた。『練』によるオーラの増強状態を維持する応用技『堅』である。
「『纏』の約5倍の攻防力を得る『堅』が念戦闘における接敵時の基本形です。“練の維持”は口で言うほど簡単なことではありません。纏と練、二つの技を高い精度で使いこなす必要があります」
一時的に練を使って出力を高めるだけの戦い方では、ある程度熟達した能力者が相手では不足となる。戦闘中は練を常時使用できるようになることが求められる。守りを固めたズシに対し、ギドは先手を打って攻撃を放った。
「まずは小手調べ! 『戦闘円舞曲(戦いのワルツ)』!」
『でたーっ! ギド選手の得意技! 荒れ狂う独楽たちが乱舞し、ズシ選手に襲いかかあああぁる!』
ギドは後ろに転がり距離を取りながら、袖の中に仕込んでいた小さな独楽を回すと同時に投げ放つ。ばらまかれた10個の独楽はオーラを纏いながら戦場を駆け回る。
「あれがギドの発です。独楽にオーラを送り込み、回転力と衝突威力を高めています」
物体にオーラを込める技は『周』と呼ばれる。ギドの場合は念を専門に学んでいないが、感覚的に必殺技としてこの独楽の強化を習得していた。独楽に対するギドの思い入れが、念として強い力を引き出すに至った。ズシは独楽の動きをよく見てかわしていくが、ぶつかり合う独楽は不意の軌道を描いて標的に襲い掛かる。
「ギドは操作系を苦手としているのか、独楽に複雑な動きを要求するだけの技術はありません。しかし、それは必ずしも欠点とは言えません」
念により物体を操作しようとすると、そこにオーラの予兆が発生する。その流れを読み取って次の一手を予想することも可能である。だが、ギドの独楽には作為が介在していない。激しく回転しながら互いにぶつかり合い、弾け飛ぶ独楽の動きは術者であるギド本人にすら予想できなかった。
迫り来る独楽を前にして、回避困難と判断したズシは迎え撃つ。オーラを拳に集めて独楽を叩き落とした。
「オーラを身体の一部に集中させる技を『凝』、そして凝を使って必要な箇所に必要な分のオーラを素早く移動させる技を総じて『流』と呼びます。これも戦闘では必須の技術です」
堅により高めた全身のオーラを流により配分しながら戦う。オーラが集まり威力が増したズシの一撃はあっけなく独楽を吹き飛ばした。これならばただの堅で直撃を受けたとて大したダメージにはならなかっただろう。
『ズシ選手、独楽の猛攻をものともしません! ギド選手に狙いを定めて走る! 走る! どうするギド選手!?』
「やはり強い……ならばこちらも本気で行くぞ! 『竜巻独楽・永劫回転狂詩曲(ジャイロ・ラプソディー)』!」
ギドはその場で回転し始めた。自身の身体を独楽に見立て高速回転する彼の必殺奥義『竜巻独楽』。敵の攻撃を防ぐと同時に強烈なカウンターを叩き込む攻防一体の技である。しかし、ズシにとっては初見の技ではない。脚を止めることなく突進を敢行する。
その直後、ギドが用意した球状フレームがついに動き始める。地球儀のように回転するフレームは瞬時に加速し、ギドを守る障壁となった。そして自らズシのいる方向へと転がっていく。
接近する球体に対し、ズシは退かなかった。何か仕掛けてくることは予想がついていた。竜巻独楽で守りに入ったギドを攻略するためにズシが立てていた作戦はシンプルである。その回転による防御力以上のパワーでぶん殴る。想定には多少の違いが生じているが、大まかな方針に変更はなかった。
200階に至るまで必死に取り組んできた修行と、培った経験があればギド程度に後れはとらない。その自信がズシにはあった。珍妙な器具を取り付けたくらいのことでギド本人の実力が上がるわけはないと思っていた。
「破ッ!」
凝によりオーラを込めた拳打が決まる。強い外力が加わったことで球体の回転に乱れが生じた。だが、止まらない。障壁を破るには至らない。ギドが新たに開発したこの技は“地球ゴマ”を参考にして作り出されていた。
強化系能力者であるギドは独楽の回転力を強化することにより反発力を引き出している。それは回転を止められてしまうような外からの力が加わると威力が減衰してしまうことも意味していた。ズシが考えていたように、回転で弾き返せる力以上のパワーで殴られれば竜巻独楽を発動したギドでも対処できない。
その弱点を克服するための地球ゴマだった。これは通常のコマと違い、回転盤と軸が独立している。大雑把に言えばコマの中にコマを入れたような構造をしている。回転体を取り囲むフレームにより、触っても倒れても盤の回転が止まることなくコマとしての挙動を保ち続ける。この構造を竜巻独楽に取り入れたのである。
ズシの強力な一撃を受けたフレームは確かに回転を止められかけていた。もしこれがギド本人に直接加えられた一撃であったならばダウンを取られていただろう。しかし、フレームとギドは別個の回転体であり、フレームを止めたからと言ってギドまで動きを止められたわけではない。
ギドは攻撃を受けながらもダメージを負うことなく、懸命に回転作業に集中していた。その回転力を止まりかけたフレームに伝え直すことで反発力を維持した。結果、ズシの攻撃は防がれ、弾き返される。
『ああーっと! ギド選手の新技炸裂ゥ! 凄まじい回転だああああ!!』
「この状態となったオレを止めることは不可能! 絶対無敵の防御なのだ!」
不利を悟り、一旦距離を置こうとしたズシに対して、ギドは追撃を開始した。球状フレームの中に納まったギドはどんな体勢になろうと最高速度を維持し続けたまま回転できる。それにより、転がりまくることで機動力も格段に向上していた。以前の竜巻独楽であれば難しかった高速移動と自在な方向転換により体当たりもできるようになっている。
ズシはどうしたものかと思案していた。下手に突っ込めば逆にクリーンヒットをもらいかねない勢いである。回転力の一点に特化した強化系能力者の必殺技は、絶対無敵と豪語するだけのことはあった。
しかし、攻めあぐねていたズシにそこで予期せぬ衝撃が走る。敵の大技に気を取られ、周囲への警戒が疎かになっていた。ギドが初手に繰り出した『戦闘円舞曲』はまだ健在である。その独楽の一つが背後からズシに突き刺さった。
ダメージはない。小さな独楽の攻撃ではズシの堅を破ることはできなかった。だが、不意を突かれたことでわずかな隙が生じる。ギドは高速回転しながらもその隙を見逃さなかった。転がる球体が見た目以上の迫力を伴ってズシに激突する。
「くっ、こんなもの……!」
「まだだ。この技の本当の恐ろしさを教えてやろう……くらえ『双頭の蛇の正体(サンダースネイク)』!」
ギドは隠し持っていたスイッチを押す。金属製のフレームに電撃が流れた。絶縁製の服で防備を固めたギドには効かず、フレームに触れてしまったズシにのみ激しい電撃が効果を発揮する。
この技はもともとギドのものではない。かつて同じ200階級の闘士であった友、リールベルトの必殺技だった。その友は今、天空闘技場にはいない。一年前、ズシの仲間だったゴンとキルアに敗れて4敗を喫し、この塔を去って行った。
その時、リールベルトが愛用していた鞭『双頭の蛇(ツインスネイク)』を託された。夢破れたリールベルトはギドに希望を預けたのだ。ギドはその託された思いを受け止め、必ずフロアマスターとなることを誓った。
『双頭の蛇』を分解して取り出した放電装置が球体フレームに組み込まれていた。友の無念を今こそ晴らす。もはや蛇とは何の関係もなくなった100万ボルトの電撃がズシを襲う。
「あががががが!?」
いかに念能力者であっても電気までは防げない。体は痺れ、意識は乱れる。精神の揺らぎはオーラの揺らぎだ。ズシの堅が緩み、そこへギドの体当たりが決まる。ズシの体はリングの外まで大きく吹き飛ばされた。
「クリティカル! アーーーーーンド! ダウン! 3ポインッ、ギド!」
『決まったあああ!! ギド選手、フロアマスター戦を目前にして大幅なパワーアップを遂げているぅ! これにはズシ選手もたじたじ! ベテランの底力を見せつけたああ!!』
痺れた体でよたつきながらズシは立ち上がった。審判から試合続行できるか問われている。大男でも身動きすら取れずに気を失うほどの電撃だった。ズシは持ち前のタフネスで堪え切ったが、もう一度同じ攻撃を受ければ同じ結果が繰り返されることになるだろう。
堪えられたというだけで電撃を攻略できたわけではない。その様子をウイングは神妙な面持ちで見つめていた。彼にとってもまさかの事態である。よもやここまでギドが強くなっているとは思っていなかった。
人は誰しも目的のために行動しながら生きている。ギドもまた、闘士として歩みを止めることはなかった。涼しい顔で新技を使いこなしているように見えるが、その陰では三半規管がめちゃくちゃになるほどの回転練習を積んでいる。何度も吐き、それでも彼は回り続けた。
ここまで順調に勝ち進んできたズシだったが、これは一敗もやむ無しかと思われた。ズシはリングの場外に出た状態が続いているため、試合は一時中断していた。審判の10カウント以内にリングの中へ戻らなければそこで負けが確定する。
ズシは師であるウイングの方を見た。その隣に座るキネティの姿も見える。兄弟子として恥じない闘いを見せよとウイングから言われた言葉を思い出していた。
「かっこ悪いところは、見せられないッス……!」
カウントが続く中、ズシは目を閉じて静かに心を落ち着けた。集中し、全身のオーラを拳に集めていく。
「あれはまさか……『硬』!?」
硬とは、四大行すべての技を駆使する応用技である。全身のオーラを残さず一点に集中させることで、凝とは比較にならない威力を得る。だが、その一点を除いた全身の防御力がゼロに等しくなる諸刃の刃でもある。
「なんということを! まだあの子が実戦で使えるような技じゃない!」
今のズシの技術では、硬を発動させるまでに数秒を要する。とても戦いながら使える余裕はない。だから試合が中断しているこの状況で使ったのだ。一度、硬を発動できればその状態を維持することはできた。それはすなわち、ギドに一発当てるまで硬を解除せず戦うつもりであることを示唆している。
「ズシ!」
あまりにも危険すぎる。ウイングはすぐに制止のサインを送ったが、ズシは止まらなかった。リングの中へと戻る。
『ズシ選手ようやく復帰! しかし、打開策はあるのか!?』
余すことなく全力を込めたこのパンチが入ればギドを倒せる。危険を承知の賭けだった。対するギドは警戒を強める。ズシのオーラの流れを見ればその脅威は明白である。ギドは回り続けながらフレームの回転だけを一時停止させた。
「その拳を受ければオレの必殺奥義でも危ういかもしれん。だがその技、どうやら全身のオーラを攻撃のみに回しているものと見た。その状態であればオレの非力な独楽でも十分に撃破できるぞ! 『戦闘円舞曲(戦いのワルツ)』!」
ギドはリングに追加の独楽を投入する。これまでの彼の実力では同時に操れる独楽は10個が限界だった。しかし、それを大きく上回る数の独楽を舞わせる。複雑怪奇に弾け飛ぶ独楽の嵐がズシをのみ込もうとする。
今のズシに堅の守りはない。オーラに対する防御力は皆無の状態である。小さな独楽の衝突であってもまともに受ければ骨折は免れない。一撃を受ければ怒涛のように追撃されるだろう。その極限状態がズシの集中力を大きく高めていた。
独楽を回避していく。その足取りに迷いはなかった。ズシはこの一戦に向けて準備してきた。ギドの試合が記録された映像を何度も見直し、独楽の動きを研究していた。ギドだけではない。200階闘士たちの戦闘の記録を彼は研究し、何冊分ものノートに分析をまとめている。
勝利にかける思いの強さで負ける気はしなかった。戦闘開始時よりも遥かに激化している独楽の縄張りを無傷で潜り抜けていく。
「猪口才な! 『散弾独楽哀歌(ショットガンブルース)』!」
ここに来てさらなる独楽の追加。しかもこの技はバラバラに動き回る『戦闘円舞曲』とは異なり、全ての独楽が一直線に敵へと向かう集中攻撃である。これならば避け切れまいとギドは勝利を確信する。
だが、これまでの無作為にぶつかり回る攻撃とは違い、その独楽の動きは直線的だ。見切ることはむしろ容易い。浴びせられかける多数の独楽は確かに回避困難だが、避け切れないものは無理に避ける必要もない。
ズシは拳を振るう。硬のオーラを宿した拳は軌道上の独楽を粉砕した。塵と化した独楽の最期にギドは戦慄する。このままズシの進攻を許せば、今の一撃を我が身で味わうことになるだろう。しかし、『戦闘円舞曲』も『散弾独楽哀歌』も破られたとなれば、もはや彼に残された道は一つしかない。
「負けるものか……最大回転んんんんん!! 竜巻独楽ァ!!」
ギドは必殺奥義にて迎え撃つ。その回転力はかつてない領域に踏み込んでいた。高速回転するフレームがつむじ風を巻き起こす。さらにそこへ100万ボルトの電撃が加わる。この技が破られるわけがない。破られるわけにはいかない。
意地と意地、覚悟と覚悟がぶつかり合う。ズシの硬とギドの回転結界が触れ合った。そして勝敗は決する。
『おおおおお!? 異次元のパワーアップを遂げたギド選手でした、が! ズシ選手これをパンチ一発で沈めたあああ!!』
場外にまで飛ばされたギドはぐしゃぐしゃに潰れたフレームの中で身動きが取れなくなっていた。そこへ審判が駆け寄り、判定を下す。
「ギド選手戦闘不能! 勝者、ズシ選手!」
割れんばかりの喝采が闘技場に響き渡った。一気に力が抜けたズシはその場にへたり込みそうになる。これで4勝だ。また一歩、彼はこの塔の頂点を目指すという夢に向けて前進することができた。
「……ちくしょおぉ……リールベルト、サダソ……すまん……とどかなかった……」
ひしゃげたフレームの中から救助されたギドが担架で運び出されていく。その悲痛な叫びは、鳴りやまぬ歓声の中でありながら確かにズシに聞こえていた。これでギドは4敗だ。200階級闘士に与えられる降格処分は、この塔からの退場を意味している。
華々しい栄光の影には敗れ去った闘士たちの散り様がある。決して綺麗事だけでは語れない世界があった。
* * *
試合を終えたズシがウイングからしこたま説教を受けた後、一行は昼食をとるために闘士用食堂の一つに来ていた。
100階にある大衆食堂で、多くの下級闘士たちが利用している。そのため筋肉質のいかつい男たちがたむろする、一般客には近づきがたい空間となっている。キネティは価格帯の安いこの食堂を使うことが多いので、ウイングとズシも連れ立って来ていた。
「200階クラスには高級レストランとかあるんですよね?」
「そうッスね。そういうところの料理もおいしいッスけど、他の食堂のごはんがおいしくないわけじゃないッスよ?」
ずぼらな闘士たちのために栄養などの観点からもメニューを考えて料理を提供している。キネティはミートソースパスタセット、ズシは炎の男飯天空野郎A定食、ウイングは焼き魚定食を注文した。食券を渡してテーブルで待つ。ズシだけは椅子の上で正座させられていた。
「さて先ほどの一戦、最後はとても褒められたものではありませんでしたが……序盤のズシの戦い方が大まかな念法使いの基本形となります」
『堅』と『凝』と『流』、個人によって流派や得物は違えどこの三つの応用技が必要不可欠となることは共通している。
「四大行の制御も安定してきましたので、明日からキネティは堅と凝の修行に入りましょう」
「はい」
「それからズシは今日から2か月間、念の使用を一切禁止します」
「押忍! ――おすっ!?」
ズシはさっき受けた説教で試合のつけはチャラになったと考えていたが、ウイングはそれで許す気はなかった。結果的に勝てたから良かったが、下手をすれば大怪我を負っていただろう。
ゴンが念を覚えたての頃、ギドとの試合で絶を使っていたことをウイングは思い出していた。状況は少し違うがあの時と同じ危険があった。それを引き合いに出してゴンに与えた罰と同じ2か月間の念使用禁止を命じたのである。
「200階級闘士は次の試合まで最大90日の猶予があります。しばらくは拳法の修行に専念しなさい」
「そ、そんなぁ……」
ズシはうなだれた。修行メニューを追加するよりも逆に何もさせない方が罰になるだろうとウイングは考えた。それだけズシが強くなるために惜しみない努力を続けている証でもある。13歳かそこらの、遊びたい盛りの子供に普通はできることではない。
「まあ、しかし。勝ち筋の見えた戦いで足踏みをするなと教えたのも確かです。慎重さと大胆さを常に併せ持ち、時にリスクを覚悟しながらも機を見逃さず瞬時に動ける判断力が念法使いには求められます。経緯はどうあれ勝ちをつかみ取ったことは評価しましょう」
「師範代……」
「この2か月間、キネティの練習相手になってあげなさい。その範囲に限り念の使用を認めます」
「押忍!」
つくづく甘いとウイングは自責する。なかなか弟子に厳しく接することができないのは、彼の師匠に対する反抗心の表れだろうか。こんなところを見られれば、またひよっこウイングと馬鹿にされるはずだ。あの年齢詐欺少女は今頃何をしているだろうかと思いを馳せる。
注文していた料理が出来上がったところで昼食と相成った。キネティとはまだ短い付き合いだが、二人よりも三人で食べる方が賑やかであることは違いない。修行に明け暮れているズシにしてみれば同年代の友達ができたことは喜ばしかった。
ゴンやキルアと知り合った時も同じように感じていたがその分、別れ際の寂しさもひとしおだった。キネティもいつかこの塔を去る時が来るだろう。食事をしながら自然とその話題が出ていた。
「キネティはどこまでこの塔をのぼる予定ッスか? 200階に入ると賞金はなくなってしまうッスが……」
彼女がファイトマネー目的でこの塔に来たことは聞いていた。彼女の実力なら相手次第でそう遠くないうちに昇級を重ねることもあり得ると思われた。200階に達してしまえばそこから先はフロアマスターになるまで名誉のみの闘いとなる。
「いや、実は師から課題を出されていまして。『フロアマスターを倒すまで帰って来るな』と」
キネティはアイクから言い渡されていた。ここに来る以前はその課題の難易度がはっきりとわかっていなかったのだが、いざ闘士になってみればなかなかの難題であると思い知る。そもそもアイクもフロアマスターの強さなんてものは知らず、とりあえず最高位闘士とか言う奴らくらいはボコれるようになれという程度の認識しかなかった。
要するにそれは200階級で10勝を経てフロアマスターに勝ってその座を奪えということである。闘士であれば誰もが憧れる偉業を修行の一環程度の気軽さでポイと出したキネティの師匠とやらに、ウイングは嫌悪感を募らせる。
「前から思っていましたが、そんないい加減なことを言って弟子を放り出すような人間について行ってもためになりませんよ。あなたには無限の選択肢がある。周りに縛られることなく、どんな生き方だってできるんです」
キネティは必要最低限の生活費を除いてファイトマネーを全て傭兵団に仕送りしているようだった。何も知らない子供を働かせて金をせしめるような連中だ。ウイングにはろくな連中とは思えなかった。キネティに団の名前を聞いてもはぐらかされる。表に名を出せないような組織に違いない。
「あっしが自分から頼み込んで入った傭兵団なんでさ。まだ見習いですからこき使われるのは当然ですぜ。それにあっしの師匠が教えてくれたこともちゃんと意味があったんだなって、今なら少しだけ気づけます」
アイクの指導の仕方は例えるなら、問題の計算式を全部すっとばして答えだけ見せると言うようなものだ。どうやってその式を解いて答えに至るのかが、キネティには聞いてもわからなかった。
それがウイングから基礎を学ぶことでようやく公式を理解できるようになってきた。それに伴い、アイクが見せた解答の数々が次元を超えたレベルで探究されていたことに気づき始めている。
まだ解法の全貌はまるで見えて来ないが、もっとウイングの下で修行を続ければ理解の度合いは着実に進んでいくだろう。キネティの揺るがない意思を悟ったウイングは、せめてこの塔にいる間は自分にできる限りのことを教えようと決める。
「フロアマスターを目指すというのであれば長く険しい道のりとなることを覚悟してください。最低でも私を倒せるくらいにはなってほしいところですね」
えっ、とズシたちは言葉に詰まった。今の彼らにウイングを倒せるとは到底思えなかった。それほどまでに高い壁なのかと絶句する。
フロアマスターと言っても21人いるため実力に幅がある。その序列を決める闘いが2年に1度開かれるバトルオリンピアだ。冗談めかして言ったがウイングなら序列下位のフロアマスターに後れを取るようなことはない。
だが、上位の闘士となれば苦戦を強いられるだろう。特に、闘士王と呼ばれる序列1位は別格の存在だ。ついでに言えば、新入りの最下位はあのヒソカである。230階以上は魑魅魍魎の巣。迂闊に足を踏み入れようとすれば後悔することになる。
バトルオリンピアでの優勝を目標にしているズシはなおさらだ。フロアマスターになればそこで闘いが終わるわけではない。まだまだ教えることは多いと、ウイングは弟子たちの成長を見守るのだった。