カーマインアームズ   作:放出系能力者

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107話

 

「こちらでお待ちください」

 

 キネティの父、ダラッコは豪華な応接間に案内された。高価な調度品で飾り立てられた部屋の中、居心地が悪そうにこの屋敷の主人を待つ。彼の着ているスーツのしみったれた仕立ての悪さが際立っていた。

  

 ここは天空闘技場の247階。一般客が立ち入ることができるのは229階までだ。それより上の階層はフロアマスターの私邸となる。ダラッコもその階層主であるフロアマスターから呼ばれていなければここに来ることはできなかった。

 

 しばらくして応接間に主人が来た。ダラッコは慌てて立ち上がり、ぺこぺこと頭を下げる。

 

「アクエリアスさん! どうもお世話になっております。本日はお忙しいところを……」

 

「まあ、そんなに緊張なさらないで。以前も言いましたが、私のことはアクアと呼んでくださって結構ですよ」

 

 入室してきたのは長髪の美丈夫だった。長い紫色の髪をポニーテールに結んでいる。アクエリアスとは彼の闘士名であり、本名ではない。この247階を手中に収めるフロアマスターだった。

 

「それで、どうでしたか。娘さんとは」

 

「それがなかなかうまくいかず……取り付く島もないと言った有様でして……」

 

「そうですか。離れ離れだった時間が長いですからね。娘さんも難しい年頃でしょうし」

 

 キネティが天空闘技場にいることをダラッコに教えたのはアクアだった。なぜフロアマスターの地位にいるアクアが200階級にも満たない闘士に目をつけたのか。その理由は、この応接室にもある装飾品の数々からうかがい知ることができる。

 

 アクアは無類の美術品コレクターだった。フロアマスターとして得た収益のほとんどを美術品の蒐集につぎ込んでいる。彼は部屋の一角に置かれた彫像を眺めた。それはつい最近、ヨークシンで開かれたサザンピースオークションで競り落とした品だった。

 

「キネティ=ブレジスタの遺作と言われた『七匹のハイエナ像』、素晴らしい作品ですわ。1億5千万ジェニーで買いましたが全く惜しくはない。この匂い立つような生命感、ハイエナの一匹一匹に宿る意思、食らいつく死肉までもが精巧に表現され、生と死の対比を見事に一つの構図へと落とし込んでいる……私、一目見て惚れ込んでしまいましたの」

 

「はあ……」

 

 気のない相槌を打つダラッコ。彼は芸術品に対する審美眼など欠片も持ち合わせておらず、その作品も気味の悪い彫像にしか見えなかった。しかし、アクアが鋭い視線を向けていることに気づき、慌てて賛同する。

 

「確かに素晴らしい! 娘の才能は本物です! なぜ今まで評価されなかったのか不思議なくらいですよ!」

 

「死後、名を上げるは芸術家の常。生きている間は才人も不当な評価を下されやすい。権威に溺れた無能どもが幅を利かせ、他者の成功を認めまいと足を引っ張るのはよくあることです。まあ、それは芸術の世界に限ったことではありませんが」

 

 学歴社会はどこにでも存在する。アカデミーを出ていないという理由だけで見るにも値しないと切り捨てる批評家は多い。いかに才気にあふれるとはいえ、まだ10歳かそこらの少女が評価されないのは無理からぬことだった。

 

 しかし行方不明となったキネティは事故死を確実視されていたため、もう二度と手に入らないという希少性もあって注目が集まった。ここで作者の存命が確認されたからと言って、その評価が覆されるということはないだろう。彼女の作品には間違いなく凡百の芸術家にはない鬼才が表れている。

 

「それだけに惜しい。まさか闘士になっているだなんて」

 

 アクアがキネティの存在に気づいたのは最近のことで、その時には既に150階級の闘士として活躍していた。念を習得していることも確認済みだ。この調子ならすぐにでも200階まで上がってくるだろう。

 

 アクアは『七匹のハイエナ像』のオークション出品者がキネティの父親であることを知っていたので、伝手をたどってどういうことなのか経緯を問いただしたのだ。ダラッコにしてみれば寝耳に水の話だった。

 

 事業に失敗して多額の借金を抱えていたダラッコは、これ幸いと引き取った遺品をオークションで売り払っただけだった。手にした1億5千万ジェニーは返済に充てたため残っていない。そこにきて娘が生きているかもしれないという情報をアクアから得たダラッコは、金の匂いを嗅ぎつけて飛んできたのだった。

 

「なまじ闘士としての力量があるだけに厄介ですねぇ。すぐにでも創作活動を再開してもらいたいのですが、説得は無理そうですか?」

 

「はい……」

 

 ダラッコはアクアの協力を得る見返りとして、優先的にキネティの作品を売り渡すことを約束している。優先するだけで値段については真っ当な価格を支払うとアクアは明言している。芸術家が格相応の報酬を得ることは当然と考える彼にとって、けち臭く値切ろうとする行為はプライドが許さない。

 

「なら、足を切り落としますか」

 

「……はい?」

 

「戦えなくなれば諦めもつくでしょう。彫像を作るだけなら足がなくても、両手があれば十分でしょう?」

 

 最初、ダラッコはアクアの言っていることが理解できなかった。徐々にその意味が頭に沁み込むにつれて、握りしめた手が汗ばんでいく。

 

「まあ、よくあることです。200階に上がった闘士の五体がどこかしら欠けることはね」

 

 毎日のように190階級の試合は行われている。それに臨む闘士のうち半数は勝者だ。その誰もが200階級の闘士になっているのなら、膨大な数にのぼることだろう。

 

 現実は違う。力量を悟り、自らの足で塔を去る者はまだ利口だ。多くの闘士が初心者狩りの洗礼を受けて使い物にならなくなる。そこから這い上がることができる闘士はほんの一握り。190階以下とは比べ物にならない淘汰の末、200階級の在籍者数はほぼ一定に保たれている。

 

 まともな精神で生き残れる世界ではない。恐ろしい現実にダラッコは震える。そしてアクアが当然のようにその現実を享受していることに恐れをなす。この塔に住まう者たちにとってはさして気に留めるほどのことではないのだろう。

 

 キネティはそんな世界へと踏み込もうとしている。むしろ、足の一本や二本で済むのなら僥倖ではないか。娘のためを思えば、ここはあえて心を鬼にしてアクアに任せるべきではないか。

 

 娘のため、娘のためと、念仏のように一つの言葉がぐるぐるとダラッコの頭の中を巡る。それは罪悪感から逃れるための思考の放棄に他ならなかった。了承の意を示そうとしたダラッコを見て、アクアはおかしそうに笑い声をあげる。

 

「冗談ですよ。そんなに真剣に考え込まないで。私だってキネティちゃんには五体満足で創作活動に励んでもらいたいですわ。まずは円満に事が運ぶよう、私の方から説得を試みてみます」

 

「はっ、はい! なにとぞよろしくお願いします!」

 

 頭をテーブルに擦り付けるようにしてダラッコは頼んだ。アクアの言葉に嘘はない。しかし、最終的にはどんな手段を使ってでも自分の望みを叶えるつもりだった。

 

 その最終的な段階はそう時間を置かずに来ることになるだろう。彼の気は短い。キネティの作品を欲してやまないアクアは逸る気持ちを抑えきれずにいた。

 

 

 * * *

 

 

 順調に快勝を重ねたキネティはついに200階に到達した。観客用に開放されているエレベーターでなら何度も来た階層であるが、初めて闘士専用のエレベーターからの入場を許される。閑散とした通路はまるで病院のような言い知れない陰湿さを感じた。

 

 表向きの華やかな風情とは程遠い雰囲気に少し驚いたが、こんなものかとキネティはすぐに割り切った。どれだけ綺麗に飾り立てようと闘争者たちの血で汚れた決戦場には違いない。今日中に参戦登録しないと資格抹消になると言われたので、すぐに受付へ向かった。

 

「昇級おめでとうございます、キネティ様。200階クラスからは名誉のみの闘い、ファイトマネーはなくなりますのでご了承ください」

 

 まずは闘士登録のための署名と、使用する武器の詳細などについての記入を求められる。200階からは原則、試合に持ち込む武器は何でもありだが、ある程度のことは運営側も把握しておくためだろう。

 

 次に渡されたのが参戦の申込書類だ。この階からは申告戦闘制が適用される。1戦につき90日間の戦闘準備期間が与えられ、その期間内において自由に試合の日取りを決められる。

 

 ただし、日取りを絞り過ぎて他の闘士とマッチングしなければ不戦敗だ。そうならないように闘士同士で示し合わせて試合日を決めることもままある。誰がどの日に試合を希望しているかという情報は、この階の闘士にとって大きな関心事である。

 

「へへへ……」

 

 キネティの後ろに並んでいる闘士たちが薄ら笑いを浮かべる。彼らは皆、体のどこかに後遺症を残していた。洗礼を生き延びた200階闘士だ。凛としたたたずまいをしていれば名誉ある負傷に見えたかもしれないが、生憎と誰もが落伍者の風格しかもっていなかった。

 

 キネティが受付に来たタイミングと偶然重なったわけではない。彼女の試合希望日を盗み見るために近づいてきたのだ。こういった露骨な初心者狩りがいることは事前にウイングから聞かされていた。闘いたければ好きにしていいと許可は出されている。

 

「お嬢ちゃん、ここは初めてかい? 色々とわからないこともあるだろう。どうだ、試しにおじさんと一戦してみるってのは? チュートリアルってやつさ、へへへ」

 

 このような連中の実力帯は中の下と言ったところらしい。あまりにも実力が低いと初心者狩り同士の抗争で負けてしまうので表に出てこない。そして、真剣にフロアマスターを目指している一部の実力者はそもそも初心者狩りなどしない。

 

 そんな勝ち方で10勝したところでフロアマスター戦で殺されて終わるだけだ。21人の最高位闘士の名は伊達ではない。挑戦者の9割は負けるのではなく、凄惨な死によって幕を閉じる。

 

 90日間の戦闘準備期間と言われると最初は長いように感じるが、200階の試合に慣れてきた闘士ほど途方もなく短く思えるようになってくる。10勝に近づくにつれ恐怖を抱くようになる。果たして自分の実力は最高位闘士に届くのかと。1日1日が死闘へのカウントダウンなのだ。

 

 試合での勝利をポイント稼ぎ程度にしか考えていない初心者狩りのような連中など高が知れている。だが、腐っても念能力者である。キネティにとって初戦の相手としては十分だ。ウイングからは腕試しに闘ってみるのもいいと言われていた。

 

 ちょうど良かったのでキネティは、すぐ後ろに並んでいた片脚が義足の中年男と試合してみるかと考えていた。そこにどこからか声がかかる。

 

「いやぁねぇ、相変わらずここは辛気臭くて。どいてくださるかしら?」

 

 現れたのは、紫の髪を一つに結った長身の美男子だ。軽装鎧にサーコートを元にしたような騎士風の戦闘服を着ている。

 

「なんだてめぇは。見たことない闘士だが。お前も新入りか?」

 

「これはアクエリアス様。フロアマスターがこのような場所に何か御用でしょうか」

 

「……フ、フロアマスタァッ!?」

 

 じろじろと睨みつけていた義足の男が身構える。フロアマスター戦が行われることは滅多にないため200階級闘士であってもその姿を知らない者は多い。2年に1度開かれるバトルオリンピアも観戦チケットの入手は困難を極め、またその内容は映像として残されることもない。

 

「あなたたちに用はないのです。そこのレディとお話ししたいことがありまして」

 

「ふ、フロアマスターが何だってんだ! 俺たちゃただ受付に並んでるだけだ! とやかく言われる筋合いは」

 

 

「失せろ、クソ虫ども」

 

 

 それまでのなよなよした口調とは一変したドスの利いた声。つつかれたイソギンチャクのごとく男たちは縮こまった。針の筵のような威圧に堪えられず、すごすごと退散していく。キネティも便乗して退散していく。

 

「やだもぉ、あなたはいいのよぉ。キネティちゃん」

 

 しかし、がっしりと肩を掴まれ引き留められる。変な奴に絡まれてしまった。これならまだ初心者狩りの連中と仲良く談笑していた方がマシだったかもしれない。

 

「あっしのことを知ってるんですか?」

 

「ええ、キネティ=ブレジスタ。あなたのことも、あなたの作品のことも知っていますわ」

 

 なるほど、そっちかとキネティは合点がいった。

 

 

 * * *

 

 

 二人は対談を終え、キネティは解放された。特に危害を加えられたり脅迫されるようなこともなかった。むしろ紳士的な対応だったと言えよう。しかしわざわざフロアマスターが出張って来て、ただの世間話で終わるということもなかった。

 

 ひとまずウイングに意見を仰ごうと、いつものように修練場へやって来た。事の次第を聞かされたウイングは難しそうな顔でうなる。

 

「これは少し厄介なことになりましたね……」

 

 アクアの要望はわかりやすい。彫刻家としてのキネティのファンである彼は、金に糸目はつけないので是非とも新たな作品を作ってほしいと願っている。自分に乞われるほどの腕はないと断ったキネティだったが、アクアの気は変わらなかった。

 

 作品を作ると言っても片手間にできるようなことではない。一彫りに魂を込めていく作業だ。その時の調子にもよるが、納得のいく作品が仕上がるまで数か月かかることもある。手を抜いて雑な作品を作ることは矜持が許さなかった。

 

 ウイングもそこは妥協すべきでないと考える。信念の強さが如実にオーラに表れる念能力者にとって妥協は大敵だ。キネティの能力は彫刻と深くかかわっており、その作品作りで自分の矜持を曲げるようなことをすれば能力自体の精度にも影響を及ぼしかねない。

 

 修行の合間に少しずつ取り組んでいけば、早ければ半年ほどで作品を完成させられるかもしれない。だが、キネティはそんなことをしに天空闘技場へ来たわけではないし、アクアもそこまで待つことはできないという。ここで両者の意見は食い違った。

 

 アクアはキネティに闘士を辞めて彫刻家の活動を再開してほしいようだが、いくら金を積まれてもキネティはその要望に応えるつもりはなかった。今の彼女は闘士であり傭兵見習いである。フロアマスターを倒すまでは、この地で一時たりとも修行の手を休めるつもりはない。

 

 だが、それを聞いたアクアはとんでもない提案を持ちかけてきた。誰にも聞かれないようにとこっそり耳打ちしてきた。

 

『キネティちゃんはフロアマスターになりたいの? そう……わかりましたわ。私があなたをフロアマスターにして差し上げます』

 

 通常、200階クラスの闘士は累算10勝することでフロアマスターへの挑戦権を獲得する。挑戦権とは言うが棄権すれば退塔処分となるので事実上の強制試合だ。挑戦者の対戦相手はフロアマスターのうち序列下位10位以内の誰かが抽選によって決定される。

 

 キネティはアクアから『フロアマスター逆指名戦』という制度があることを聞く。その名の通り、フロアマスターが逆に200階級闘士を指名して行う試合だ。この場合、指名される闘士の戦績は問われず、また断ったとしてもペナルティはない。当然、勝てばその闘士が新たなフロアマスターとなる。

 

 つまり、まだ1勝もあげていないキネティであってもフロアマスターと闘うことは可能ということだ。アクアは知り合いのフロアマスターに頼んで席を一つ空けてもらい、そこへキネティが座れるように逆指名戦を手配すると滅茶苦茶なことを言ってきた。

 

「そ、そんなことが本当にできるッスか!?」

 

「もちろん無理ですよ」

 

 逆指名戦という試合自体、滅多に行われることはない。よほど好戦的な性格でもなければフロアマスター側にメリットがないからだ。指名された闘士も実力不足と判断すれば試合を断れるので申し立てがあっても成立しないことが多い。

 

 アクアは簡単に言ったが、それはつまり今いるフロアマスターのうち1人を辞めさせてキネティと入れ替える八百長試合をやらせるということだ。普通なら荒唐無稽と笑って済ませる話だが、ウイングは楽観できずにいた。

 

「しかし、あの男ならやりかねません。序列4位『美しく青き』アクエリアスは……」

 

 21人の最高位闘士にも序列による格の差と派閥が存在する。中でも上位4名からなる闘士王とその配下『三天』の派閥は最大の強権を手にしている。その一角を担うアクアも、他のフロアマスターに対して絶大な影響力を持っていた。

 

「奴は欲しい物のためなら手段を選ばない蒐集家です。時には人の命すら踏みにじる残虐性を持っています。標的にしたフロアマスターに指名戦の約束を取り付けて不戦敗にさせることもやりかねない」

 

「詳しいッスね、師範代」

 

「えっ、いやまぁ……とにかく、奴に一度目を付けられれば逃れるのは容易ではないということです」

 

 アクアはキネティの目的をフロアマスターになることだと勘違いしている。その地位は闘士の憧れだ。一生の富と名誉が約束される特権に満ちている。だからこそ200階クラスの闘士たちはファイトマネーがなくとも勝利を目指して闘い続ける。

 

 しかし、キネティにとってはその地位を得ることも修行の課題でしかない。勝てばこの塔を去るつもりだった。アクアの言う通りにすれば金は稼げるかもしれないが、その生き方は傭兵ではなかった。どのみち作品作りに取り組むつもりはない。

 

 だが、ひとまずはっきりとした返答はせず、考える時間を欲しいとキネティは伝えた。アクアにしても準備に時間がかかるようだったので一週間後に改めて返事をすることになっている。

 

「良い判断です。不用意に断ればどんな手を使ってくるかわかりません」

 

 序列4位のフロアマスターであっても好き放題に何でもできるわけではない。今回の逆指名戦はアクアの強権をもってしても骨が折れる仕事になるだろう。それだけの苦労を買ってでもキネティの作品が欲しいということでもある。

 

「もしこの話を断った場合、私にもどうなるか予想がつきません。闘士同士の試合以外での私闘は禁じられていますが、何かしらの方法で圧力をかけてくることは確実です」

 

 この塔に身を置く限り、アクアの意に従わなければ直接的な危害を加えてくることもあり得る。初心者狩りのような低レベルな小競り合いとはわけが違う。だったら言う通りに逆指名戦を受け、勝利しておさらばするという手もある。

 

 だが、そのやり方でアイクから言い渡された課題をクリアしたと言えるだろうか。勝てばいいという話ではない。真っ当な形で10勝して自力で挑戦権を獲得するまで待ってくれとアクアに言ったところで聞き入れてくれるはずもないことはわかる。とにかくアクアは早く作品が欲しくてたまらないのだ。

 

「仮の話ですが逆指名戦を受けるものとして、あっしが八百長無しでフロアマスターと闘って勝ち目はありますか?」

 

「不可能ですね」

 

 ウイングはきっぱりと断言する。フロアマスターは強い。序列下位なら念能力者として見ればそれほどでもないが、戦闘技術のみを見るならそこらの使い手では比にならない。いずれ劣らぬ武術の達人たちだ。どれだけキネティに才能があろうと今の実力では勝負にならない。

 

 しかし、キネティにはもうこの手しかないように思えた。あと一週間、死ぬ気で修行して逆指名戦を受ける。そして、できることなら自分の実力で勝利をもぎ取る。

 

「無茶です」

 

「やるだけやってみたいんです。アクエリアスならあっしのことを殺すような試合にはさせないでしょう。だから本気で闘い合うと言ったところで対戦相手は手加減してくるはず。自力で勝つのは無理でも、せめて全力を尽くして納得のいく試合にしたいんです」

 

 ウイングはどうしたものかと寝ぐせのついた頭を掻く。試合相手との調整はアクアがやってくれるだろう。もしキネティの体に重傷が残るような試合をすれば、そのフロアマスターはアクアに殺されてもおかしくない。

 

 キネティにとっての勝利条件は、試合の勝敗というよりは課題がクリアできたと思えるかどうかにかかっている。八百長なのだから形式的に勝利することは確定している。あとは自分自身が納得できるかどうかだ。

 

 極論を言えば、本当にキネティが実力で勝利したとしてもそれを不足と感じれば課題の達成とは言えない。それはあくまで極論だが、気持ち一つで決まる問題であるがゆえに難しいということだ。

 

「わかりました。やってみなさい。私もできる限り協力します」

 

「ありがとうございますぜ!」

 

 ウイングは不承不承、頷いた。やはりここでアクアの申し出を断ることは得策ではないと考える。ならば最大限、キネティの意に添うようにやらせてみようと思った。

 

「修行メニューも見直しが必要です。見直し、というか前倒しですね。さっそく今日から発の系統別修行を始めましょう」

 

 六つの系統に分けられる発だが、自分の得意系統だけを練習し続ければ良いというものではない。自系統を中心として相性の良い両隣の系統も鍛えていく方が、長い目で見れば効率的に精度と応用力を高められる。

 

 だが、キネティにそんな時間はない。ウイングはこの一週間、具現化系一本に絞った修行を課すつもりだった。まずは玄翁を具現化するように指示を出す。キネティは難なくその指示に従った。

 

「では、同じ物をもう一つ作ってください」

 

 玄翁を二本、具現化する。キネティは考えたこともなかった。一つしか出せないという意識が当たり前になっていた。事実、その認識は間違っていない。多くの具現化系能力者が同様の思考に至る。

 

 これは『複製』と呼ばれる具現化系の中でも高難度の技術である。初心者にいきなりやらせるような修行ではない。キネティは必死にオーラをもう片方の手に集めるが、形を成すことなく崩れていく。

 

「できませんか?」

 

 しかし、ウイングは手を抜かなかった。後一週間でフロアマスターと最低限闘えるだけの力をつけようというのがそもそも無謀なのだ。それでもキネティを納得させるためには並の修行では間に合わない。

 

「言ったはずです。ここからが本当の地獄だと。これまでの基礎鍛錬、応用技の修行に加え、この『複製』をマスターしてもらいます。睡眠時間も纏と察知能力を鍛えますので悪しからず」

 

「は、はい!」

 

 こうして短期集中型強化訓練が始まった。ウイングは、これ師匠にもやらされたなぁと過去を振り返ってしみじみとした気分になる。自分の弟子にはさせまいと思っていたのでキネティが少し気の毒だったが、妥協は禁物。心を鬼にするのだった。

 


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