カーマインアームズ   作:放出系能力者

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109話

 

『誰が今日と言う日を予想できたでしょうか! 緊急開催フロアマスター逆指名戦! ただいま両選手が入場しました! その名はフロアマスター、アクエリアスウウウウウ! バーサス! チャレンジャー、キネティイイイイイイイ!!』

 

 開催の予告は昨日であったにも関わらず観客席は超満員だった。滅多に公開されることのない最高位闘士の闘いを一目見ようと集まった観客でごった返している。その中にウイングとズシの姿もあった。

 

「キネティ……どうしてオレたちに黙ってこんなことを!」

 

「……」

 

 ウイングは厳しい表情のまま黙している。昨日からキネティとは連絡が取れなくなっていた。そして唐突にこの試合についての情報を知り、急いでチケットを入手するに至る。

 

 なぜアクアと闘うことになったのか、その真意はわからなかった。だが、他愛もない理由であればウイングとの接触を避けるようなことはしないはずだ。あり得ない対戦相手と早められた試合予定日が、キネティに何か重大なことがあったのだと物語っている。

 

 おそらくそれはカキン帝国の宣言が関係している。先日のキネティの言葉から彼女の所属する傭兵団が今回の騒動に何かしら関わっていることがわかる。

 

 ひとまず今は試合を見守るしかなかった。キネティは未熟とはいえ念能力者同士が同意の上で行われる決闘である。邪魔立てすることはできない。

 

『フロアマスターの中でも上位10名はバトルオリンピアでしかお目にかかれない神秘のベールに包まれた闘士たちです! マスターアクエリアスはなんと序列4位! いったいどんな因縁を経てこの闘いは開かれたのでしょうか!?』

 

 長身痩躯の美丈夫アクエリアスは動きやすさを重視した鎧と、緻密な刺繍が織り込まれたマントを身につけている。ある意味で剣闘士にふさわしい姿と言えた。その装備一式は古美術品である。古めかしくも、見る者に歴戦の風格を感じさせる逸品だ。

 

 そして何よりも目を引くのは彼が用意した武器である。それは身の丈ほどの巨大な丸形フラスコだった。栓がされたガラス容器は謎の薬品らしき液体で満たされている。

 

『対する挑戦者は、つい6日前に200階へ到達したばかりの新人です! 200階クラス初の試合がフロアマスター戦とは何たるラッキーガール……いや、これはどう考えてもアンラッキー! 果敢にも逆指名戦のオファーを受けてしまった少女は果たして生き残ることができるのか!?』

 

 キネティはいつも通りのラフな服装だった。しかし、明らかに異なる点が一つある。彼女は武器として大きな箱を持ち込んでいた。その黒い直方体の箱は刻まれた十字架の彫刻も相まって棺桶のようにも見える。アクアのねっとりとした熱い視線がその箱に注がれていた。

 

「ポイント&KО制、時間無制限一本勝負! あらゆる武器の使用は認められる。互いに誇りと名誉をかけて……ファイッ!」

 

 冷めやらぬ観客たちの熱狂の中、キネティが先に駆けた。手にした箱を担いで一直線に敵を目指す。その棺桶の中に収められたものとは、彼女の本体である虫と、『千の亡霊』として作り出された少女の念人形体だった。

 

 キネティが人間だった頃の肉体はもう存在しない。彼女が病床の上で衰弱死を迎えようとしていたその時、自分自身をアルメイザマシンに取り込んで劇症化させた。そうして渦の中へと落ちた彼女はクインから『王威の鍵(ピースアドミッター)』を分け与えられてキメラアントに転生した。

 

 しかし、無事に産み落とされたはずのキネティに意識が戻ることはなかった。クインが恐れていた懸念が現実となったのだ。キネティは転生した後も念による制約を負い続けていた。植物人間だったその状態を否定せず、あえて死の淵に立つ自己を是とする誓約でもあった。

 

 キネティの虫本体は暗黒大陸航海中のクインのように休眠状態になっていた。『千の亡霊』も発動はしていたが、目を覚ますことも呼吸も心臓の鼓動もない死体に等しい状態で具現化されていた。ただし、『自刻像』は問題なく以前のように発動できたというわけである。

 

 つまりキネティは異なる念人形を二体具現化させていることになる。ただ、そのうち一体は死体も同然で使い物にならない。かと言って制約上、具現化を解除することはできず、放置しておくわけにもいかない。完全なお荷物だった。

 

 そこで死体人形を持ち運ぶための入れ物として箱を作ることになった。その材質はアルメイザマシンの集合体である金属だ。クインがモナドに頼んで作らせた特注品だ。

 

 その昔、クイン軍団が電磁加速砲貝と孤島防衛戦を繰り広げた際に防壁として使用した超高密度オーラ錬成が施されている。千百式観音による嵐のような衝撃耐久テストを無傷でクリアしている。その代わり、重量は尋常ではなくキネティの力では押しても引いても動かせなかった。

 

 その問題はチェルによって解決されている。魔眼で質量を吸い取って軽くしていた。軽すぎても武器としての威力が乗らないため、キネティの力に合わせて調整している。背負ったり振り回しやすいように持ちやすい取っ手もついている。黒い表面は塗装によるものだ。

 

 この箱の中に銀髪少女の死体をぴったりと固定して収容していた。ついでに本体も入れて蓋は接合し、完全密封されている。キネティにも開けることはできない。いくら箱が頑丈でも力いっぱいぶつければ中身は悲惨なことになるのだが、どうせ死体だからとキネティは気にしていなかった。

 

 『千の亡霊』は外見の変更不可という制約のため損傷しても容姿だけは自動的に戻るのだが、それでも生命活動は停止したままだった。死んでいるので痛覚もなく、キネティが痛みを感じることもない。どれだけ粗末に扱ったところで平気だった。

 

『おーっとキネティ選手が先に仕掛けたーっ! 中身が気になる黒い箱をブン回すーっ!』

 

 全力で振り回した箱をアクアに叩きつけようとする。それに対し、アクアは巨大フラスコで応戦した。キネティは振りかざされる敵の武器を見て一瞬考えた。

 

 いくらオーラで強化しているとしてもガラス容器くらいならキネティにも砕けそうに思える。だが、もしそうなった場合、怪しげな溶液が確実に周囲へ飛び散ることになるだろう。フラスコの中で揺れる液体は澄んだ海のように爽やかな青色をしていた。

 

 しかし、その躊躇は一瞬にも満たない。キネティは構わず箱を振りぬいた。

 

『巨大フラスコと棺桶が激突! なんだこの絵は!? オモシロ武器対決かー!?』

 

 意外にもフラスコは硬かった。ガラスではなく特殊強化樹脂製の丸形フラスコはキネティの一撃を受けてもびくともしなかった。その丸みによって受け流された箱は滑らされて地面の石板を打ち砕く。

 

「ちょっと、もう少し自分の作品は丁重に扱うべきですわ。傷ついたら可哀そうでしょう?」

 

「これは箱の表面が殺風景だったんで、手慰みに彫っただけですぜ」

 

「それがいいのよぉ。その気取らない遊び心がいいんじゃない。ぜひ譲ってくださらない?」

 

「だめ」

 

 ちなみに箱に直接彫り込みを入れたわけではなく、彫ったものを後で貼り付けてもらっている。修行が忙しかったキネティにとってはちゃんとした作品として制作したものではなく、本当にただの手慰みだった。それほど脆くはないが、ただの飾りなので欠けても惜しくはない。

 

 キネティとアクアは互いの武器を幾度となくぶつけ合う。大重量の武器同士、重なる一撃はキネティの手を痺れさせるが目もくれずにひたすら攻める。ちゃちな玄翁を具現化して闘うより、破壊力という点だけを見れば頑強な箱の方が優れている。

 

 さらにこの箱にはキネティの『自刻像』の性能を引き上げる効果があった。制約により本体から遠く離れて行動することもできるキネティの念人形だが、本体と近い状態であれば直接オーラのやり取りができるので精度の維持は当然しやすい。体の頑丈さや修復力がアップする。

 

 さらに箱に触れている状態であればオーラの枯渇を気にする必要はなくなる。本体からいくらでもオーラを徴収できるからだ。これには理由があった。キネティの虫本体は休眠状態から目覚めることがない。すなわちそれは『渦』とリンクした状態でもあった。

 

 ネットワークを介して渦から勝手にオーラが流れ込んでくるのだ。これはモナドを除けば渦から脱することで自我を確立したカーマインアームズの他の個体とは明確に異なる特徴だった。ネットワークの管理者であるクインなら自発的に渦とつながることができるのだが、精神的な負担が大きい。

 

 ただ、だからと言ってそれが凄まじいパワーアップにつながるわけではなかった。箱に接している間だけ潜在オーラが底なしに増えるというだけで顕在オーラ値は特に変わっていないためだ。

 

 それでも燃料切れを起こす心配がなくなり、本体との距離が近いことによる具現化性能の向上などメリットは大きい。だからわざわざこの試合に引っ張り出してきたのだ。全てはアクアと本気で闘うためだった。

 

 ウイングとの修行でこれを使わなかったのは、この怪しさ満点の棺桶について説明をはぐらかす必要があったということも理由の一つだが、箱に頼らずとも戦える力をつけたいとも思っていたからだ。

 

 大振りの鈍重な攻撃は破壊力があるが小回りは利かない。全ての局面でこの箱を生かせるとは限らない。玄翁や鑿と言った武器も、せっかく具現化できるのだから戦闘に使えるようになりたいと考えていた。

 

 実際には時間が足りなかったせいで期待するほどの成果は得られなかったが、ウイングの修行は決して無駄ではなかった。彼の教えは全ての念法の基礎である。

 

 天空闘技場へ来る前のキネティと比べれば基礎力の差は歴然だった。『複製』の訓練もその技術が直接的に役立ったわけではないが、結果的にその修行で得た感覚が具現化系能力である『自刻像』の精度を高めている。

 

 ウイングから教えられたことを力の限り発揮した、修行の集大成と言える戦いぶりだった。この短期間でよくぞここまで力をつけたと賞賛に値する。

 

『両者ともに一歩も退かないデッドヒート! これはキネティ選手、予想外の健闘を見せています!』

 

 だが、闘っている本人にも自覚できた。アクエリアスは全く本気を出していない。今のキネティの実力では軽くあしらわれる程度のものでしかない。

 

「なかなかやりますわね。なら少しだけ、レベルを上げましょうか」

 

 フラスコの一撃が迫る。何度も繰り返したようにそれを自分の武器で受け止めたキネティだったが、予想以上の威力によって箱を弾かれてしまった。

 

 きちんと眼に凝をしてアクエリアスのオーラを観察していたはずだった。武器に込められていたオーラ量にそれほど変化は感じられなかったにもかかわらず、格段に威力が増している。体勢を崩したキネティに追撃が打ち込まれた。

 

 かわす余裕はない。キネティはせめて技の正体だけでも掴もうと目を凝らす。そして、フラスコの中で揺れる液体に不自然な動きが生じていることに気づいた。その一打は今度こそキネティの防御を押し返す痛烈な攻撃となる。

 

「クリーンヒット! 1ポイン! アクエリアス!」

 

 なぜ急に敵の攻撃威力が増したのか。キネティは不審点を発見しはしたものの明確な原因を掴むには至らない。その正体は、フラスコ内に満ちた液体の操作にあった。

 

 ギドが独楽を操っていた能力と原理はそう変わらない。ただし、操作系能力者であるアクエリアスはより物体を操る能力に長けていた。自分の筋力による殴りつけの攻撃力にプラスして、フラスコ内の液体運動を操作して二重の攻撃力を生み出したのだ。

 

 もともと液体にはオーラが込められている状態であり、これまでは動きに手を加えていなかった。だから表面上、感じ取れるオーラ量に変化はない。にもかかわらず威力だけが跳ね上がるという結果を導き出していた。

 

『ここでアクエリアス選手、マスターの威厳を見せたああ!! これにはキネティ選手、たまらず防戦一方だ!』

 

 戦況はアクアの方へ有利に傾く。否、もともとこの試合は彼の掌の上にあった。その言葉通り、少しだけ実力のほどを見せたに過ぎない。キネティは箱を盾にして重撃を堪え続けることしかできなかった。

 

「クリーンヒット、アクエリアス! 2-0!」

 

 このままでは少しずつポイントを削り取られてTKОにされてしまう。審判はアクエリアス寄りの判定をしているように見えた。これは選手同士に実力差のある試合においてその危険度に応じ、得点の加算を進めて早期決着を図るテクニカルジャッジと呼ばれる手法である。

 

 キネティは勝負に出た。箱を盾にしてその陰に身を隠す。アクエリアスはそれがどうしたと言わんばかりに武器を叩きつけた。

 

「!?」

 

 だが、思わぬ衝撃を受けたのはアクアの方だった。それまでは力負けしていたはずのキネティが完全にアクアの攻撃を防ぎ切ったのだ。まるで巨岩を殴りつけたようにびくともしない。むしろ、その攻撃の反動がアクアの手に返ってくるほどだった。

 

 キネティが講じた秘策とは彼女の能力の一つ『像は石に(ト・キネートン・アキヌーン)』である。箱の陰に隠れた彼女は、具現化した鑿と玄翁を使い“箱”を対象としてこの能力を発動させた。

 

 生物を対象とした場合は全く身動きが取れなくなる行動停止状態を科す能力だが、厳密に言えばそれは違った。その本来の効果とは“物体の固定”、空間干渉系の性質を持っている。これにより箱はその存在する位置に固定された状態となったのだ。

 

 予想外の事態に直面することでアクアに一瞬の隙ができる。キネティはその隙を見越して既に次の一手へ向け動いていた。鑿と玄翁を手にして箱の後ろから飛び出す。

 

 アクアからすれば突然に持ち出された未知の武器だ。具現化系の疑いは否定しきれず、何らかの特殊能力が備わっているとすれば脅威である。意表を突かれた形になったが、そこで後れを取るようなフロアマスターではなかった。

 

 即座に回避行動を取る。キネティの不意打ちもアクアの俊敏性には敵わなかった。しかし、さしもの彼も鈍重な武器を持ったまま素早く後退することはできない。巨大なフラスコはアクアの手から離れた。

 

 その機を逃さずキネティはフラスコを箱で押しつぶした。周による強化を失ったフラスコは変形し、割れてひしゃげる。中の薬液は流れ出ていった。

 

『おおっと、これは意外な展開! キネティ選手、武器破壊に成功したあああ! まさかのピンチか、アクエリアス選手!?』

 

 しかし、アクアの表情は余裕に満ちていた。不快に思うどころかキネティの実力を素直に認めていた。

 

「さすが、その年で200階に上がってくるだけのことはある……では、こちらも相応の闘いを見せましょう。ここから先は闘士というよりも一人の武人としてお相手致します、ミス・キネティ」

 

 武器を失ったというのに全く臆する態度は見せない。アクアの徒手の構えからは、むしろ先ほどよりも数段高まった気力が感じ取れた。

 

 フロアマスターには様々な特権が用意されているがその中の一つに無条件の新流派開設権がある。武術の流派を独自に作り、道場を開く権利が与えられるのだ。それだけの強さがなければ就くことのできない地位ということでもある。

 

 アクアは狼爪拳と呼ばれるアイジエン中部に伝わる武術を修めていた。見せかけの名誉を求めてオリジナルの流派を作るようなことはなく、古の拳法に学んだ確かな技を身につけていた。それに加えて、アクアはまだ発も見せていない。

 

 がむしゃらに特攻を仕掛けたところで結果は見えていた。気合だけで覆せるような実力差ではない。だが、それでもキネティはこの試合に臨んだことに悔いはなかった。

 

 アクアが見繕っていたフロアマスターと闘っていれば、少なくともここまでの差はなかったかもしれない。だが、それでは納得できなかった。もしアイクがいたならば、アクアと闘えと言ったことだろう。

 

 勝つか負けるか、道は二つに一つだ。キネティはこの試合を岐路と定めた。どちらに進もうと後悔だけはしたくない。だから彼女はありったけの力を尽くすことにする。

 

『両者、睨み合ったまま動かない! マスターアクエリアス、王者の風格で挑戦者を待ち構えている! さあ、どう出るキネティ選手!』

 

 いつもの試合ならどちらの選手が勝つかで賭けが行われているのだが、今回はそんな賭けは成立していない。誰もがアクアの勝利を確信しているからだ。

 

 その不可能を可能にする。キネティは、せめてそれくらいの力を示さなければ自分があの傭兵団に居続ける資格はないと感じていた。

 

 不要な存在のまま居座り続けるつもりも、育つまで待ってくれと言うつもりもない。それはつまり、努力の否定でもある。何の苦労もなく特別な力をいきなり取得するようなことでもない限り、現状を覆す手段など存在しない。

 

 それはウイングの教えに反する考え方だった。ウイングでなくとも認めはしないだろう。キネティはそんな方法で力を手に入れようとしている。彼女は地面に立てた箱にゆっくりと手を置いた。

 

 アクアはこめかみにわずかな刺激が走るような悪寒を覚えた。キネティのオーラに言い知れない不吉さを感じ取る。だが、自分から動こうとはしなかった。この試合はキネティを満足させるために開かれたものだ。有無も言わせず一方的に畳みかけるようなことはしない。

 

 キネティは『千の亡霊』の使い道についてこれまでずっと考え続けてきた。もし他の仲間たちのようにこの念人形も動かせるのであれば『自刻像』と合わせて二体の人形を動かせるようになる。だが、いくら試したところで結果は変わらなかった。

 

 正確に言えば“ためらっていた”。『千の亡霊』には術者と感覚を共有する能力が備わっている。休眠状態にある虫の本体とは全く意識のつながりはないが、『千の亡霊』とならば能力によってその感覚を同調できるのだ。

 

 だが、完全な感覚の同調をこれまでしたことがなかった。それをすれば何か良くないことがおきるかもしれないという根拠のない予感があった。キネティの『千の亡霊』は死んだ状態になっている。死に限りなく近い何かが襲い掛かってくるような不安があった。

 

「嫌な感じね、そのオーラ……」

 

 アクアはこれまでの経験から、キネティの気配に自暴自棄に近い危うさを感じていた。念能力者が時として、敵うはずもない強敵を前に己の全てを懸けんとする最期の足掻きのような気配だ。

 

 追い詰められて誓約による一時的な戦闘力の強化を図ることは稀にある。だが、たとえ成功したとしてもその代償は大きい。能力に大きな欠陥が生じたり、二度と使えなくなったりすることもある。下手をすれば命すら失いかねない危険な賭けだ。

 

 それでも生き残るための最後の手段としてならば一概に過ちとは言えない選択である。しかし、そんな禁じ手を安全が約束された試合で使うなど馬鹿らしいにもほどがあるだろう。

 

『アクエリアス選手、ついに動いた!』

 

 アクアは自分の勘を信じて瞬時に行動を起こした。ここはキネティの身の安全を優先し、一気に勝負をかけた方がいいと判断する。

 

 狼爪拳は強靭な指の力ですれ違いざまに爪痕に似た裂傷を与える奥義を持つ。しかし、キネティを傷つけるつもりはないアクアは裏拳を放った。刀で言えば峰打ちのようなものだ。攻撃を当てるまでの身のこなしは疾風のようだった。

 

 避けられるはずもない。無防備に拳打を受けたキネティは、拳を受けた頭部から砕け散った。

 

「え……?」

 

 これに驚いたのはアクアだ。気絶させるつもりで当てた一撃だったが、キネティの体は見るも無残な有様だった。首はもげ、体には大きな亀裂が入り崩れていく。その材質は石そのものだ。今までそれがどうして動いていたのかと不思議に思える光景だった。

 

『なんということでしょおおおおお!? キネティ選手、まさかの崩壊! これは何かのトリックなのか!? 果たして審判の判定やいかに!?』

 

 審判が恐る恐る駆けよってキネティの状態を調べる。200階以上の試合は念能力者たちによるものなので、このような超常現象はよく起きることだった。審判は壊れた石像に動く様子がないことを確認する。

 

「キネティ選手、戦闘不能により――」

 

 審判の宣言が下されようとしていたその時、アクアは自分の背後に気配を感じ取った。

 

 油断していたわけではない。不測の事態ではあったが、気を緩めたつもりはなかった。破壊された石像が術者本人とは考えにくい。ならばキネティはまだ生きているものと思われる。どこかに本人が潜んでいるのではないかと注意を張り巡らせていた。

 

 にもかかわらず、背後を取られた。この試合中、初めて感じる身の危険。敵を案じる余裕はなく、気が付けば振り向きざまに本気の狼爪拳を叩き込んでいた。

 

 爪先が獲物を捕らえた手ごたえがあった。しかし、生身の肉を引き裂くそれとは程遠い感覚である。堅い石の表面をがりがりと削るかのようだった。それはすなわち、敵への攻撃が有効ではなかったことを意味している。

 

 確かにキネティはアクアの後ろにいた。その姿にアクアは目を見開く。先ほどまでとは明らかに容姿が異なっている。

 

 13歳だった少女の肉体は成熟した大人の体つきへと変貌していた。最も身体能力を発揮できる、人間の最盛期へと強制的に肉体を成長させていた。それは作為のもとに作り上げた姿ではなく、漠然とした力への渇望が彼女の造形眼を通して自然と形を成したものだった。

 

 それは死後強まる念に近い現象だった。念と死の関係性についてはわかっていないことがほとんどだが、念能力者が死に瀕したときや命がけの誓約をかけたとき、己の限界を超えた力を発揮することは事実である。

 

 『千の亡霊』と感覚を共有したキネティは生きながらにして死の状態を同時に体感していた。それは一種の臨死体験と言える。生命力の発露たる『念』と、その対極に位置する『死』の状態が混ざり合うことで劇的な反応を引き起こす。

 

 “死中の念”とでも言うべき力がキネティに宿り、その力を使いこなせる肉体へと至る。それこそが今のキネティに表現できる限界を超えた究極の作品、魂の持つ形へと掘り出された生命の像だった。

 

 鑿と玄翁が振り下ろされる。アクアは体をひねってかわそうとするが無慈悲に刃が差し迫る。当たれば身動きを封じられる一撃だ。万事休すかに思われたそのとき、両者を分かつかのように足場の石板が砕けながら隆起した。

 

 


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