カーマインアームズ   作:放出系能力者

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111話

  

「キネティーッ! どこにいるッスかーっ!?」

 

 ズシはウイングの言いつけ通りキネティを探し回っていた。しかし、試合の前から音沙汰を断つようにいなくなっていた彼女が今どこにいるのか、ズシには見当がつかない。大声を上げながら手あたり次第に駆けまわるしかなかった。

 

「ちょっとそこのキミ」

 

 そんなときズシは見知らぬ少年に声をかけられる。年齢はズシより一つか二つくらい上に見えた。特徴的なのはその容姿だ。白髪に赤眼、肌は病的なほど白い。白兎を彷彿とさせる印象の少年だった。はだけた開襟シャツの首元に、大きな懐中時計が下げられている。

 

 そしてそのオーラは一般人とは違い、しっかりと纏ができている。念能力者であれば200階級の闘士だろうかとズシは予想するが、これまで見聞きしたことはなかった。

 

「ははは、確かにボクも闘士だけどあんまり有名じゃないからね。ボクはアストロって言うんだ」

 

「自分はズシッス! よろしくッス! あ、今はちょっと時間がなくて……」

 

「さっきの試合の女の子を探してるんでしょ? ならボクも手伝うよ」

 

 アストロは先ほどの試合に感銘を受け、ぜひキネティと話がしたいと思っていたそうだ。それならばとズシは協力してもらうことにした。自分がキネティと同じ師の下で弟子として修行していることを話していく。キネティが何も言わずに姿を消してしまったことも。

 

「そうなんだ。じゃあ心配だよね。ボクの知り合いの闘士に声をかけてみるよ。人手は多い方がいいからね」

 

 まずは捜索の人手集めのためにアストロの知り合いのところへ向かうことになった。ズシは少しだけ怪しみもしたが、アストロの提案に危険なことは何もない。ただ人探しを手伝ってくれるというだけのことだ。人の親切心を勘繰るのは止めようと考えを改める。

 

 二人で通路を進んでいると、にわかに沸き起こるオーラの気配を感じた。念能力者の戦闘が行われているものとすぐにわかった。もしかするとキネティが関係しているかもしれないのでそちらへ向かう。

 

 ズシが気を張り詰めていると向こうから怪我人が走ってくるのが見えた。

 

「はあっ、はひぃっ……なんなのよぉ、なんであいつがまたここに……」

 

 それはアクエリアスだった。オフュークスとリーブラが二人がかりでウイングと戦っているその隙を見て逃げ出してきたのだ。愚痴を言っているが、ウイングの乱入がなければ確実に殺されていたので最後に訪れた逃走のチャンスである。

 

 さすがに箱は置いてきた。いくら美術品狂いでも自分の命より価値のあるものはない。何としてでもここで逃げ切ると疲労困憊の体に鞭を打って飛び出したその先で、ズシたちと遭遇する。

 

「ひいああああっ!? あっ、アストロテウス様……!」

 

 アクアはがたがたと身を震わせて足を止める。その視線はズシの横に立つ少年に釘付けとなっていた。アストロは一切動じることなく、にこやかな表情のままだった。

 

「そんなに驚かなくてもいいでしょ。ボクたちの仲じゃないか」

 

「失礼いたしました! この度の失態、誠に申し訳ありません!」

 

 アクアが膝をつき、深々と頭を下げる。ズシはあっけに取られていた。フロアマスターの威厳など微塵もない。怯える子供のように委縮して謝罪を繰り返す。

 

「別にいいよ。気にしてないし」

 

「は、はっ! ありがたき幸せ! このアクエリアス、より一層の砕身をもってお仕えいたします!」

 

「うん、わかった」

 

 アストロはアクアに手をかざした。ただそれだけの挙動だった。次の瞬間、アクアの命は終わっていた。

 

 一瞬にしてアクアは後方の壁へと吹き飛ばされ、叩きつけられ、原形を留めぬほどの肉塊と化していた。アストロは手を触れてさえいない。ズシは一部始終を目にしておきながら何も理解できなかった。

 

「これが本当の粉骨砕身ってやつだね」

 

 目の前の存在が理解できない。ただ、人の命を奪っておきながらそれを何とも思わない邪悪な存在であることはわかる。ゆらりと歩き始めた殺人者の少年とこれ以上関わるべきではないと本能が遅すぎる警鐘を鳴らしている。

 

「さあ、行こう。たぶんキネティはこの先にいるよ」

 

 しかし、ついて行かざるを得ない。もし本当にキネティが近くにいるのだとすれば見過ごすことはできなかった。アストロの背中はまるで隙だらけだ。ズシのことを何の脅威とも思っていない。

 

 ズシはアストロを止めることもできず、しかし逃げることもできず、ただその後ろをついて行くことしかできない。やがて二人は戦場にたどり着く。

 

「……ズシ!?」

 

 ウイングは三天の闘士たちを相手に互角の戦いを繰り広げていた。一対一であったならば既に決着はついていたかもしれない。まごうことなき強者であった。心源流に身を置くことで弛まぬ努力のもとに鍛え上げられたその拳法は、闘士時代の彼の実力を大きく塗り替えていた。

 

「よそ見はいけませんね、お客様ぁ!」

 

「くっ!」

 

 死角から忍び寄るリーブラが一瞬の隙を突き、窓拭き用タオルを差し込んでくる。ウイングはオフュークスの竜骨剣をいなしながら回避する。その動きは先ほどまでと比べてわずかに精彩を欠いていた。ズシと共に現れた少年の姿を見て平静ではいられない。

 

 その少年こそ全ての闘士の頂点に立つ男。天空闘技場の覇者。最高位闘士序列1位。

 

 

 

 闘 士 王 ア ス ト ロ テ オ ス

 

 

 

「苦戦してるみたいだねぇ」

 

「……面目次第もございません。この男、かつて我々を裏切ったあの怨敵『サジタリウス』です」

 

「サジタリウス? 誰だっけ?」

 

 アストロは本心から首をかしげていた。つまり、彼にとっては忘れてしまう程度の些事でしかなかった。

 

 その昔、黄道十三天政を築いたこともそれがいつしか三天にまで縮小してしまったことも、彼にとってはどうでもいいことだった。配下を作ったのは、勝手に服従を誓ったフロアマスターを受け入れただけに過ぎない。

 

 自らが王であるというただ一点。彼の世界はその事実のみで充足していた。他の全ては蛇足でしかない。仮に三天までもがなくなってしまったとしても気に留めるようなことではなかった。

 

 ゆえに自分以外に興味を持たない彼が自らの居城である天空闘技場の最上階から出ることはなかった。ウイングの記憶にある限り、一度として下界に降り立ったことはない。こんな事態は想定していなかった。

 

 アストロが空中で手招きすると、見えない力に引き寄せられるようにキネティの箱が動いた。最悪の敵に箱が渡ってしまうが、ウイングにはどうすることもできなかった。

 

「ボクはここで見てるから適当に片づけて。そのくらいはできるよね?」

 

「はっ! すぐに終わらせます」

 

 三天の闘士二人の相手だけならまだウイングにも厳しいながら勝算がある。しかし、その後に控えるアストロについては絶望するしかない。念法使いたる者、いかなる強敵を前にしても精神において屈してはならないとズシには教えていたが、今のウイングには一縷の望みすら持つことはできなかった。

 

 ウイングはアストロに一度負けている。完膚なきまでの敗北だった。人は皆、平等ではない。決して埋まることのない格差がある。その当然の事実を思い知らされ、打ちのめされた。アストロに指一本触れることすらできず半死半生の傷を負わされ捨て置かれたウイングは、その後にビスケと出会っていなければ武の道から外れていたことだろう。

 

 アストロの能力を目にした者はその正体がつかめずに特質系能力者ではないかと疑うことが多いが、実際にはもっと単純である。彼は放出系能力者だった。その才能は天才を超えていると言わざるを得ない。ゴンやキルアを1000万人に1人の逸材と称したウイングだが、アストロの場合は人口比で例えることは不可能である。

 

 放出系は自身の身体からオーラを切り離して扱う術に長ける。その粋を極めたアストロは、意思一つで自在に超高出力のオーラを操ることができた。闘士王と呼ばれる以前の彼の異名は『念動力者(サイキッカー)』である。

 

 その出力と行使速度は規格外だ。並の使い手ではアストロのオーラの動きを目で追うことはできず、その顕在量によって敵のオーラを払拭してしまう。下手な小細工は通用せず、瞬殺という結果しか残らない。

 

 さらにこれは一つの技というわけではない。アストロにとっては当然のように、手足を動かすようにできることだ。つまり『発』ではない。彼の発はまた別に存在する。

 

 彼は生まれてこの方、何一つとして努力せずこの力を使いこなすことができた。神が与えたかのごとき絶対の力。それを得た者に努力など不要である。ある意味ではそれは救いだったのかもしれない。もしアストロが自身の力に飽き足らず、人並み以上の努力を惜しまなかったとすれば今頃どうなっていたかわからない。

 

 では、そんな絶望的な敵に対し、ウイングの精神はくじけてしまったのか。答えは否だ。

 

 勝てるか否かで言えば勝てない。おそらく死ぬことになるだろう。今回もまた殺さずに見逃してもらえるなどと甘い考えは持っていない。だから自分の命に対する未練はなかった。

 

 ウイングの使命とは、ズシとキネティを逃がすことだ。最悪でも、ズシ一人は逃がしてやらなければならない。それが師の務めである。その覚悟さえ決めてしまえば一切の迷いは晴れた。

 

「気を引き締めろ、リーブラ。ここで手をこまねけば三天の名折れ。王への忠心を示すのだ」

 

「真心全開、フルサービスでおもてなし致します」

 

 強さこそ闘士の証。王の期待に沿うべく二人は動いた。一瞬のうちに繰り広げられる凄まじい攻防が屋内の空間に突風を巻き起こす。その戦いは一流の念法使いにのみ到達可能な武術の高みにあった。

 

「じゃあ、ボクたちはこっちの確認をしようか」

 

 だがアストロはその戦いを一顧だにせず、緊張感もなくズシに話しかけながら引き寄せた箱に手をかける。

 

「何を……」

 

「この中にキミの探し人がいるのさ。さて、どんな状態になってるのかな?」

 

 試合で見せつけたあの力からして本人に許容範囲を超えた反動が生じたことは明らかだ。死んでいてもおかしくなく、仮に生きていたとしてもまともな状態にあるはずがない。アストロはそれを承知していながら確かめるつもりだった。

 

 神の寵愛を受けることができなかった下界の人間とはなんと儚い存在か。アストロは他者に共感する感情が著しく欠けていた。誓約の代償により惨たらしい姿となった少女と、それを目撃したズシがどんな反応を見せるのか。

 

 ただそれだけの他愛もない興味を満たすため、眠れる死者の棺を開ける。固く閉ざされたその蓋は、アストロが少し力を入れると外れてしまった。開いた蓋の隙間から勢いよく赤い煙が噴出する。

 

「っ! げほっ、ごほっ! き、キネティ……!」

 

「これは……何かのトラップかな?」

 

 あっという間に赤い霧状の気体が視界を覆い尽くしていく。換気の悪い空間にガスが充満する。箱の近くにいたアストロたちだけでなくウイングたちまでその煙に包まれてしまった。

 

 毒ガスであれば吸い込むのはまずい。三天の闘士は王に対し、ウイングはズシに対して気を配るものの互いに手を休めることのできない戦闘の最中にいる。しかし混乱をもたらしたその煙幕は、アストロの一息で霧散した。

 

 アストロが軽く放った『練』により全方位に向けて放たれた念波が毒霧を一瞬で吹き飛ばしたのだ。その攻撃は無差別に、逃げ場なくアストロを除く全員に襲い掛かった。

 

「がはぁっ!」

 

 まるで羽虫同然に払われた人間たちは壁に打ち当てられて崩れ落ちる。アクエリアスに当てた攻撃のように威力が一点に集中していなかったため重傷には至らなかったが、それでもすぐさま立ち上がれるようなダメージではなかった。

 

 敵味方の区別もなく物皆全てが膝をつく。ズシは強打により意識までも奪われていた。何人たりとも頭を上げることは許されない。立つことが適うのは王の資格を持つ者のみだ。

 

 ただ“二人”の強者が泰然自若と対峙していた。濃霧が晴れた後、そこには見知らぬ少女が立っていた。古めかしい貴族のようなドレスに身を包んだ銀髪の少女だった。人形のように恐ろしく作為に満ちたその美貌は見る者の恐怖と好奇を掻き立てる。

 

「こんなに驚いたのは久しぶりだよ。元気そうじゃないか、キネティ」

 

「……」

 

 アストロは銀髪の少女がキネティだと思っている。霧によって視界が閉ざされていたあの状況下では、箱の中からこの少女が現れたものと思い込んでも無理はない。

 

 しかし、彼女は瞬間移動能力によって召喚されたメルエムだった。キネティが今回の任務に出発する前に、クインから頼み込まれてキネティのお目付け役を任されていたのだ。

 

「ボクの名は闘士王アストロテウス。序列1位のフロアマスターと言った方がわかりやすいかな?」

 

「……」

 

 メルエムは周囲の状況を見渡す。彼女はクインが思うほど過保護にキネティの面倒を見る気はなく、出歯亀のように常時監視してプライバシーを侵すつもりもなかった。『何者かが箱を無理やりこじ開けようとする』という条件をトリガーとして召喚されるように、自分の細胞を箱に仕込んでおいたのだ。

 

「その調子ならフロアマスターとして今後も問題なくやっていけそうだね。ちょうどいい、キミにはアクエリアスの地位と名を継いでもらおう。ついでにボクの妾になってもらおうかな。普通の女には飽き飽きしていてね」

 

「なるほど、だいたいわかった。貴様は殺してよさそうだな」

 

 メルエムとしても何の事情も把握していない状態でいきなり全員殺戮するわけにはいかないので、まずは様子を見ていたのだ。彼女の言葉を聞き、アストロはこらえ切れないように笑いだす。

 

「はははははっ、面白い冗談だ……いや、本気でそう思っているからこそ面白いのか。本当に滑稽だよ、王の力を理解できない人間の姿というものは」

 

「同意しよう。先刻の霧を吸い込んだ時点で既に決着はついている。貴様の生殺与奪は余の手中にあると思え」

 

「もしかしてあの霧に何が念的な仕掛けがあったのかな? 残念だけど、そんなものは意味がないんだ。ボクに対するあらゆる攻撃は意味をなさない」

 

 アストロは念能力者の生命線である、自身の『発』をつまびらかにする。話したところで対処は不可能だからだ。彼の強化系能力『神域ノ結界(ティオルーハ)』は常時発動型の発であり、彼が言った通り全ての攻撃を無効化する防御壁である。

 

 この能力は『纏』に付随する。アストロの意思とは無関係に、自動的に害となるあらゆる存在の侵入を防ぐ。これにより殴打や銃撃などの直接攻撃を防ぐのはもちろんのこと、不意打ちの毒霧攻撃であっても息を止めることなく有害物質だけを除去するフィルターとしても機能する。

 

 では、どのようにして害があるかどうかを自動的に区別しているのか。それは彼の持つ超感覚『アプライドキネシオロジー』に起因していた。

 

 この感覚はオーリングテストという診断法によって体感できる。自分の体質に“合う物”と“合わない物”を見分ける方法である。まず片方の手で人差し指と親指を使ってО(オー)の形を作る。次にもう片方の手の上に“調べたい物”を乗せる。

 

 例えば、電池のように人体に有害な物質を含むものを手に乗せた場合、もう片方の手で作った指の輪はどんなに固く力を入れようとも他の人から引っ張られるとあっさり開いてしまう。このように筋肉は人体に悪影響を与える物質に対して働きを弱め「話が長い」

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

 

 突如としてアストロの身に未知の感覚が襲い掛かる。それは物心つく前から擦り傷一つ負ったことがない彼にとって、生まれて初めて感じた“痛み”だった。

 

 アストロの『神域ノ結界』は正常に機能していた。しかし、自分の細胞を疑似量子状態にまで分割できるメルエムにとってその超感覚フィルターをすり抜けることは朝飯前だった。

 

 はらわたを内部から食い散らかされる激痛にもがき苦しむ。彼は見下しの対象でしかなかった他者に初めて恐怖を抱いた。彼自身、出したこともない全力のオーラをメルエムに向けて放っていた。

 

 その念波の集中攻撃は、ただの念能力者なら一撃で百度殺しても余りある威力である。その嵐を受けながらメルエムは、柳に風どころか無風状態だった。空中に漂う霧状の細胞がアストロの念波を掻き消している。

 

「ア゛ッ……」

 

 血流に乗って全身に広がったメルエムの細胞がアストロの中枢神経を破壊するまで、そう時間はかからなかった。ビクビクと数度痙攣を起こして動かなくなる。血の一滴も流れ出ない死体を食い破り、体内で成長した赤い甲虫たちがぞろぞろと外に這い出てきた。

 

「さて、他に始末が必要な者がいれば申し出るがいい」

 

 メルエムの目はウイングたちに向けられる。その直後、リーブラは腕時計を確認した。

 

「あっ、定時だ。お疲れ様っしたー!」

 

 脱兎のごとく全力疾走で逃げていく。一方、オフュークスは剣を収めてウイングを睨みつける。

 

「またしてもお前との因縁に決着をつけられなかったか……だが次こそはその命、この『竜尾蛇頭のオフュークス』がもらい受ける。せいぜい首を洗って待っていろ!」

 

 オフュークスは陸上選手のように理想的なフォームで走り去って行った。残されたのはウイングと、気を失ったズシだけになる。

 

「お前は逃げなくていいのか?」

 

「ええ、まあ。弟子を連れて帰らなければなりません。キネティの無事を確認する必要もある」

 

 メルエムのオーラには触れた者の感情を読み取る能力がある。ウイングの言葉に嘘は感じられなかった。そして目的のためならばメルエムと敵対することもやむ無しと覚悟していることもわかる。その感情図からおおよそのことは察せられた。

 

「どうやら、うちの見習いが世話になったようだな。礼を言おう」

 

「……もしや、あなたがキネティの“師匠”ですか?」

 

 ウイングはこの少女がキネティではないということだけは見抜いている。これまでの経緯を思えば別人と考えた方が自然だった。ならば話に聞いていたキネティの師に当たる人物が助けに来たのではないかと推測する。

 

「違うな。それはまた別の仲間だ。それと、この娘の容体については心配せずともよい。眠りに就いているだけだ」

 

 正確に言えばウイングが心配をしても仕方がないので無用と断じた。キネティの意識は渦の中に落ちている。虫の本体は仮死状態のまま生きているようだが、精神状態を調べたところ自力で意識を取り戻すには長い時間がかかりそうだった。ネットワークにクインを潜らせて連れ戻した方が良いと判断する。

 

「この娘はフロアマスターとやらには勝てたのか?」

 

「ええ、試合には何とか」

 

「そうか。では、これにて任務達成だ」

 

 赤い霧が集結し、一つの個体へと姿を変えていく。それは3メートルにも達する蜂だった。巨大な蜂がキネティの箱を抱えて羽を広げる。

 

 ウイングにそれを止めるすべはない。あの闘士王を指一本動かすことなく殺してしまった相手に何ができるというのか。アストロがこの塔の頂点に君臨する王だとすれば、この少女の強さはまさしく星の高みにある。

 

 比較にすらならない絶対的な差。しかし、ウイングは退かなかった。

 

「待ちなさい。まだ話は終わってません」

 

 確認しておかなければならないことはいくつもある。赤霧の少女やキネティが属する傭兵団とはどんな集団なのか、そしてどのような目的でキネティを扱おうとしているのか。

 

「ただの傭兵の集まりだ」

 

「少なくともカキンが暗黒大陸進出を宣言する以前にその情報を掴んでいたはずです。ただの傭兵にできることじゃない。禁忌の地へその子も連れて行こうと言うのですか」

 

「そのための力を試す任務だった」

 

 まるで悪びれる様子もなくのたまう少女にウイングは嫌悪感を募らせる。本当に暗黒大陸の危険性を理解しているのか疑問である。もし理解した上で敢行するつもりであれば、なおのこと愚かとしか言いようがない。

 

「既に時代は動き始めた。ヒトというものどもの“底知れぬ悪意”を止めることはできん。どれだけ上から踏みつけようと欲望は芽吹く。いくら毟ろうと生え続ける。根こそぎ滅ぼされでもしない限りはな」

 

「だからそれに便乗することが正しいとでも言う気ですか。滅びへと向かう一時の享楽にふけると」

 

「さて、この身は一介の傭兵なれば、団長が命じた通りに動くまでのこと」

 

 ウイングは言葉を失った。当然のようにこの少女が傭兵団のトップだと思っていたからだ。まだこれより上がいるのか。これだけの念能力者を従える存在とは何者なのか。

 

「そこまでしてあなたたちは何を目指しているのです。金ですか、名誉ですか、それとも未開の地への探求心か」

 

「そのどれでもない。我らの目的はお前たちが想像もしていない“何か”だ」

 

 クインは悩み抜いて結論を出した。カーマインアームズは暗黒大陸への調査任務に就く。クインはメルエムすら予想していなかった目的を告げる。

 

 外の世界へ目を向け始めた人々を止めることはできない。ならば、今こそ自分たちも外へと目を向けるべきだとクインは言った。その恐ろしさを理解していないわけがない。それでもなお心を決めた理由とは、急変する情勢に流されただけではない、確固たる信念があった。

 

 クインは暗黒大陸で生まれた。そして人間の世界を目指して旅をした。九死に一生を得る苦難の連続があった。もし旅路の途中でその夢を一度でも諦めていればここにはいなかったかもしれない。安息の地にたどり着くことを夢見続けた。

 

 実は、歴史を紐解けばクインと同じ夢を追いかけた者たちがいた。魔獣と呼ばれる人間とは異なる種族がこの世界に共存している。その祖先は暗黒大陸からやって来た。彼らは過酷な生存競争に敗れ、命をつなぐために安住の地を探して海に出た。

 

 その無謀な挑戦は奇跡のような偶然が重なることで成功した。それは膨大な数の挑戦者たちの、ほんの爪先にも満たない一例である。確率論的に言えば起こるべくして起きた偶然だったのかもしれない。その陰には夢かなわず死んで行った犠牲者がごまんといる。

 

 海の向こうに平和な島々があることを知っていたわけではない。それでも陸を捨て、海に繰り出すしかなかった。自分のため、家族のため、一族のための決断は、どれほどの覚悟と苦悩に満ちていたことだろう。

 

 そして今もまだ、夢を抱き続ける者たちがあの大陸にいないと誰が決めつけられるだろうか。知的生命体の存在を示唆する文明の痕跡はいくつも発見されている。救いを待ち望む者たちがいるかもしれない。手を取り合える未来がないとは言い切れない。

 

 クインの構想は単なる調査の域を超えていた。『みんな仲良く』の輪を広げる。暗黒海域と人類領海域の恒久航路の開拓、そして現地民との異文化交流、交易拠点の確立にあった。

 

 魔獣のように、人間と共存できる外の世界の協力者が絶対にいないとは限らない。限界境界線を見張る門番の魔獣種など、詳細は不明だが一定の関係を築いていることは確かだ。クインたちとて暗黒大陸から来たことを考えればその一例と言える。

 

 だが、いざそれを実現しようと思えば月を目指して階段を作っていくような途方もない話だった。あまりにも巨大な数多くの問題が山積している。十年や二十年でどうにかなる課題ではないかもしれない。百年かけようとたどり着けない恐れはある。それよりも先に死ぬことの方がよほど現実味がある。

 

 それでも、どうせ関わるのならとことんやろうとクインは決めた。彼女は暗黒大陸の旅路を思い出していた。砂漠を越え、山を下り、森を潜り抜け、海を見つけ、そして人間の調査団と出会った。船を見たときの高揚感は今でも忘れることができない。

 

 助かるかもしれないという確かな希望が心に宿った。ギアミスレイニを、そんな希望を乗せる船にしたい。人と人ならざる者たちを結び、夢を運ぶ船にしたい。傭兵団の会議で熱く語るクインの様子をメルエムは思い出して堪えきれないように笑いだす。

 

「くくくく……実に愉快だぞ、我らが団長の発想は」

 

「何を企んでいる……!?」

 

 メルエムの喜悦を噛みしめるような笑いにウイングは警戒を強める。自分たちの欲望を満たすためならば周囲への影響など一切考慮しない、仮にそんな集団であったとすれば放置しておくのはまずい。キネティを預けてはおけない。

 

「知りたければ団長の口から聞くがいい。キネティが世話になった礼もある。団長のことだ、お前たちをこのままにしてはおかない。近いうちにまた会うことになるだろう」

 

「待て、この子は関係ない!」

 

 ズシにまで目をつけられてしまったかとウイングはかばうように身を乗り出す。礼と称して何をされるのかわかったものではなかった。もちろんクインはこの後めちゃくちゃお礼の歓迎会を開くため準備を始めるに違いない。

 

 メルエムはウイングの反応を見て何か勘違いしていることには気づいたが、面倒くさかったので訂正しなかった。巨大蜂の背中に乗り、破壊された外壁の穴から空へと飛び立っていった。

 

 ウイングは携帯から電脳ネットのハンター専用情報サイトにアクセスする。先ほどの少女の顔に既視感があったのだ。わずかな記憶の残滓を頼りに敵の正体を突き止めていく。

 

「もしかするとあれは『NGL革命宣言』の……ということは……あった! A級賞金首『カーマインアームズ』」

 

 法外な情報料を支払って閲覧したページには、とある傭兵団の来歴が記されている。その関与が疑われる事件を見れば危険性は計り知れない。またしても世界を混沌の渦に陥れようと言うのか。

 

「う……師匠? 何が起きて……」

 

 ズシが目を覚ます。ウイングは空を見つめていた。突き抜けるような青空の果てへと消えていった少女を思う。

 

「あれからどうなったんスか!? 闘士王やキネティは……」

 

 王を失った塔は空虚にそびえ立ち続ける。しかし、そのことにどれだけの人間が気づき、悲しむというのだろう。

 

 きっと今日という日常は明日も変わることはない。何千人もの闘士がこの場所で闘い、去っていく。闘士王の死はそれらと何の変りもない。

 

 異常に気づくこともなく人々は日常を続けようとするのだろう。この狭い世界を壊してしまえるだけの存在が身の内に潜んでいるというのに、何も知らずに生きている。

 

 まるで末期の癌のように発覚したときには手遅れだ。ウイングは、ただそれに気づけなかっただけだった。

 

「キネティは無事です。後のことは私に任せなさい」

 

 しかし、ウイングにとっては世界の危機よりも連れ去られた弟子一人の行く末の方が気がかりである。敵の誘いを拒む気はない。カーマインアームズと相まみえるその日に備え、覚悟を決めるのだった。

 

 





天空闘技場編完結です。次は289期のハンター試験を書きたいと思っていますが、原作でほぼ触れられていなかったので情報がないんですよね……更新できるかどうか未定です。

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