カーマインアームズ   作:放出系能力者

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115話

 

 さてキルアが連れてきた助っ人の実力はどの程度かと、ゼノは小手調べをするつもりだった。その雲行きは怪しくなりつつある。

 

(試されておるのはわしの方か……?)

 

 対峙する少女の実力は底が知れない。傍から見れば戦いは伯仲しているように見える。まずそれがあり得ない。

 

 加齢により全盛期と比べればオーラの潜在量や顕在量は落ちたゼノだが、技のキレは衰えていない。暗殺術だけならシルバをも凌ぐ老練な技の数々を身につけている。どれほどの才能があろうと一朝一夕に身につく技術ではなかった。

 

 では、そのゼノと対等に渡り合っているこの少女は何者か。確かにまだ全力を出したわけではないゼノだったが、侮りは完全に消失していた。

 

 ゼノが腕を伸ばす。『蛇活』と呼ばれるその暗殺技は、腕の関節を一時的に外すことで、人体の構造上あり得ない攻撃を可能とする。蛇のごとくしなる腕は敵の四肢を巻き取り、末端から絞め殺していく。

 

 実戦において互いの攻撃射程を推し量る感覚は、1ミリの認識誤差さえ命取りになりかねない精密性を要求される。関節を外して伸びた腕の射程はわずかなものだが、それが敵の計算を大きく狂わせる奇手となる。

 

 実際にその技を受ける者からすれば、まるで吸い込まれるかのように体を絡めとられる。しかしアイクへと迫る二匹の蛇は、標的を捕えるに至らなかった。

 

 横合いから叩き込まれた蹴りがゼノの腕を払う。一瞬にしてほぼ垂直の高さまで振り上げられた上段回し蹴りである。だが、不可解にもその脚を元の位置に戻すことなく振り上げた体勢で止まっている。

 

 大股開きの片足立ち状態から動かない。明らかに隙だらけのはずだが、ゼノは安易に近づけずにいた。

 

「それはまさか、心源流・弧月足掴の構え……!」

 

 その極意は、片脚を失おうとも戦闘を続行させることを想定し生み出された構えである。

 

 腕を負傷することはよくある。二本のうち一本の腕が使えなくなったとしても即座に戦闘不能となることはない。だが、脚の場合は同じようにはいかない。全ての行動の基礎となる土台の欠如を意味している。

 

 だからこそ、心源流師範ネテロは片足立ちの姿勢からでも戦える構えを作ったという。当然ながら念能力者だろうと常人に使いこなせる構えではない。一般の門下生は名さえ知らないだろう。

 

 だが、アイクの佇まいは只者ではなかった。そのオーラは無風の湖面を思わせるかのごとく静かに澄み渡っている。ゼノは何となく予想はしながらも、まさかあり得ないと思っていたアイクの正体に確信を抱きつつあった。

 

「居たというのか、心源流の神髄……『心』の継承者が」

 

 数合のやり取りのうちにわかったことではあった。アイクの戦い方は、かつてゼノがネテロとの戦いにおいて目にしたものだった。

 

 無論、差異はある。体格からしてネテロとは全く異なる少女である。同じ技を身につけていようと使い手が違えば別物だ。それでもゼノは少女の背後にネテロの影を感じ取っていた。

 

 心源流の門徒多しといえども、ネテロが直接育てた弟子の話をゼノは聞いたことがなかった。皆伝を授けるに足るだけの才ある弟子は見つからなかったのだろうと思っていた。それほどまでにネテロは一線を画した武人だった。

 

 この少女はネテロの直弟子か、それに類する存在だろうとゼノは予想する。まだこんな置き土産を残していたのかとほくそ笑んだ。

 

「あのジジイめ、全くもって死んだ気がせん。では、こちらもそろそろ本腰を入れようか!」

 

 これまでは相手に先に手札を切らせようと能力の使用を控えていたゼノだったが、つまらない拘りは捨てることにした。練り上げたオーラを解き放つ。

 

 ゼノの変化系能力『龍頭戯画(ドラゴンヘッド)』は自身のオーラを龍の形状に変えて操ることができる。

 

 念獣のように複雑な命令を実行できるわけではなく、あくまでもオーラの形を変えているだけだ。純粋な力の塊に近い存在と言える。念獣のような運用も不可能とまでは言わないが、変化系は放出系や操作系と相性が悪すぎる。

 

 しかし、余計な機能が備わっていないからこそパワーがあった。ゼノが放つそれはまさに彼自身の拳の一撃に匹敵する。

 

 『蛇活』による数ミリ程度の射程の延長であっても、達人が使いこなせば戦いを制するほどの利となる。それが龍の顎を作り出し、敵に襲い掛かる一撃であれば圧倒的だ。手も足も出せない。

 

 『龍頭戯画』を用いたゼノの突き『牙突(ドラゴンランス)』がアイクに向かって飛び出した。

 

「むっ」

 

 ゼノの能力を知っていればまだしも、初見でこの突きを見切ることは不可能だ。事実、アイクも初めて目にする。彼女の前世の記憶には大きな欠落があり、ゼノのことも覚えてはいなかった。

 

 しかし、ネテロが生涯をかけて研鑽を重ねた技の数々は彼女の体に余すところなく染みついていた。記憶になくとも、体は動く。

 

 ほぼ無意識の行動である。ゼノの牙突を自然にかわし切っていた。ゼノは眉をしかめるが、なぜか回避に成功したはずのアイクも憮然とした表情だった。

 

「わしの『I字バランスの構え』を崩すとは。やはり流行に乗るだけではダメじゃったか……」

 

 アイクは姿勢を崩して両足で地面に立ってしまった。しかも、戦闘が始まってからこれまで一歩もその場から動いていなかったのに、大きく後退させられてしまった。

 

「たわけ! それはあのジジイが遊びで作ったエセ奥義じゃ」

 

 弧月足掴の構えだの大層な名前を付けているが、ネテロ本人は『心源流の奥義とか言って、チチのでけー門下生にこの構えを教え込んでやるのじゃ! うひょひょ!』と供述していたことをゼノは知っている。

 と言うか、それをこんな年端もいかない少女に教えたネテロの性癖に疑惑の目を向けたゼノだったが、ひとまず置いておく。

 

 問題は、そのふざけた体勢から『牙突』を完璧に回避されてしまったことにある。気を引き締めるどころの騒ぎではない。全力をもってかからなければならない敵と認識する。

 

 対するアイクも、ゼノの能力を見て感心していた。敵の実力を見誤っていたのはゼノだけではなかった。初撃はたまたまかわせたものの、『龍頭戯画』の効果は単純ながら絶大だ。アイクの技量をもってしても、いつまでも当たらずやり過ごせるほど甘くはない。

 

 ゆえに双方は笑みを深める。互いの実力をぶつけ合う好敵手を求めることは武人のさがと言えるだろう。戦いは白熱の一途をたどっていた。

 

 アイクは私情を挟みながらも順調に当初の作戦通り行動している。だが、その一方でチェルはと言うと、誰か早く加勢に来てほしいと思うくらいに追いつめられていた。

 

「ちょっと待て! 話を聞け! いったん針を投げるのを止めろ!」

 

 イルミは構うことなくメルエム目掛けて攻撃を続けていた。チェルは自分の周囲に『明かされざる豊穣』を用いた円を展開してオーラの支配領域を作っていたが、イルミの針は大して威力を落とすこともなくその中を突き進んで来る。

 

 これは針が実物の武器であることが大きな要因だった。念弾などの100%オーラに依存した攻撃であれば滅法強いチェルの能力も、現物に対しては効果が薄い。凄まじい速さで飛んでくる何本もの針を完封するような余裕はなかった。

 

 それでも多少は威力を減らすことができたのか、何とか針の迎撃に間に合っている。円のオーラを通していなければ針を受け止めた衝撃の反動を抑え込めず、数手後には攻撃をまともに食らっていただろう。

 

「しぶといなあ。あの円、何か仕掛けがありそうだし……確かめよう」

 

 イルミが指を鳴らすと扉の外から複数の人影がなだれ込んでくる。執事たちだ。しかし、その顔面にはいくつもの針が突き刺さり、全員が理性の感じられない虚ろな目をしていた。

 

 イルミの針には人体操作の触媒としての機能も備わっていた。これに刺された者は意思を喪失し、イルミに強制操作されてしまう。

 

 一斉に襲い掛かってくる執事たちを見てチェルは舌打ちしつつも躊躇なく攻撃に転じた。近づかれる前に数を減らさなければ、さすがに手に余る。銃では制圧しきれないと判断し、オーラを込めたナイフを数本放った。

 

 強化系能力者であるチェルにとって、投擲武器にオーラを纏わせるような攻撃はあまり得意ではないのだが、『元気おとどけ』の効果が及ぶ円の範囲内であれば高い攻撃力を付与させることができた。

 

 ナイフは執事たちの急所にさっくりと突き刺さり、即座に行動不能に陥れる。その多くは命を落としていた。そうでもしなければ針人間を止めることはできない。致命傷を負おうと死なない限り動き続ける肉人形である。

 

 この針人間について、チェルたちはキルアから事前に聞かされていた。イルミは手駒として執事を操り使ってくるだろうと。わざわざ用意せずとも身近にあり、屈強な肉体を持つうってつけの素材である。

 

 執事たちはゾルディック家の人間の決定に逆らうことはできない。イルミに命じられれば己の全てを差し出すしかないのだ。しかも、針を刺された人間は脳内に注入されたオーラによって例外なく廃人と化す。針を抜いたところで元には戻らない。

 

 キルアは、もしイルミが針人間を使ってきたら躊躇わずに殺してやってくれと頼んでいた。下手に生かされたところで彼らに未来はない。そのため普段はなるべく不殺を心がけるチェルも情けはかけなかった。

 

 しかし、得物であるナイフを投げてしまえば当然そこに隙ができる。それを見逃すイルミではない。今度こそ防御不能の攻撃がチェルに向かってくる。

 

「イッ!? いってぇ……」

 

 だからチェルは自分の体を盾にしてメルエムを守るよりほかになかった。何本もの針が防弾チョッキを紙のように突き破ってくる。

 

「ん……?」

 

 いつもならこれで片がつくはずだった。針が刺されば即座に人体操作の能力が発動する。だが、チェルに操られる様子は見られなかった。念人形であるその体は、他人の操作系能力の対象とはならない。

 

 仕方がないのでイルミは次の一手を打つ。ポケットに忍ばせておいたスイッチを押した。その直後、チェルの体が爆発する。

 

「ばほっ!?」

 

 それは針に仕込んでいた超小型爆弾による攻撃だった。ミルキが開発したもので、メスの蚊に取り付けて飛行させることができるほどの小型化に成功している。イルミの針に仕込んだ爆弾はそれよりは少し大型で、殺傷力を高めたタイプだ。

 

 爆発の規模は小さかったが、体内から爆破されればいくら念能力者でも防げない。臓器の一部が弾け、腕の一本が千切れ飛んだ。

 

 チェルを始末したイルミは立て続けにメルエムを仕留めにかかった。針は容易に目標へと届く。それを邪魔する者さえいなければ。

 

 立ち尽くすままのメルエムに針が突き刺さる直前、忽然と現れた何かがそれをつかみ取った。手のような形をした機械が空中に浮かんでいる。

 

 『玩具修理者の腕(Dr.ブライスMKⅡ)』だ。ネフェルピトーの死後強まる念により生み出されたその能力は、宿主であるメルエムの意思とは関係なく自動的に発動する。

 

 具現化された機械の腕はメルエムに迫る数本の針を素早く受け止めた。さらに人差し指の先を銃口のように変形させ、キャッチした針をイルミに向けて発射し返す。

 

「防げたのかよ!? 心配して損したわ!」

 

 今まで必死こいて守っていた苦労は何だったのかとチェルが憤慨するが、その声は意識を集中しているメルエムには聞こえていない。

 

 そのツッコミを入れているチェルもまた、イルミから見れば異常だった。致命傷を与えたはずが何の怪我も見当たらない。千切れた腕まで元通りに治っている。装備は破損しているので攻撃が当たったことは確かなのだろうが、瞬く間に回復されてしまった。

 

 撃ち返されてきた針をかわしながらイルミは作戦を練り直す。敵の能力は非常に危険かつ未知数だった。このままちまちまと遠距離攻撃に徹していても埒が明かない。

 

 イルミは待機させていた残りの針人間に命令を下した。大勢の執事がチェルたちへと殺到する。その隙にこの場は一時放棄し、ゼノの戦闘に加勢することにした。

 

 見ればゼノも苦戦している様子である。ここはゼノと協力して戦力を集中させ、一人ずつ確実に敵を抑え込む方が効率的だと判断する。すぐさま行動に移ったイルミは、アイクに向けて針を構えた。

 

 それに気づかないゼノとアイクではない。互いが死に迫る攻防を繰り広げながらも、研ぎ澄まされた感覚は敏感に周囲の状況を感じ取っている。

 

 ゼノは『龍頭戯画』を使いながらも、自身の身体を覆うオーラの流れに乱れはない。『流』を淀みなく保った上で、それに加えて変化させた荒れ狂うオーラを引きずられることなく御している。

 

 その拳にはまさしく龍が宿っていた。突きを放てば威力をそのままに、敵目掛けて体を伸ばし食らいつく。一直線に伸びるだけではなく、自在に方向を変えることもできる。回避は困難を極め、無事に防げたとしてもその先に待つは怒涛の連撃である。

 

 能力による威力だけに頼ってはいない。脈々と受け継がれてきた暗殺拳法を使いこなし、そこに合わさる『龍頭戯画』の相乗効果は計り知れない。これを操作系や具現化系と言った搦め手なしに正面から相手をするのは無謀というものだ。

 

 例外があるとすればゼノを上回る圧倒的なオーラの顕在量で叩き伏せるか、それを技術によって補い対抗するか。

 

 もしこれがカトライであったなら、ゼノの攻撃を回避しきるか受け流して無効化していただろう。受けに関する『流』の技術だけならアイクも同じことはできるが、敵を無意識に誘導する場の支配力まではさすがに真似できない。

 

 では、いかにするか。ゼノの攻撃を受けたアイクは全身のオーラをコントロールしていた。この全身とは体表を覆うオーラの操作技術である『流』だけに留まらない。体内にまで制御の範囲を広げていた。

 

 通常、オーラは精孔から体外に発せられることにより力を得る。筋力強化のように体内で働く力であっても、まず一度オーラを精孔に通して利用可能なエネルギーの状態に変えなければならない。念の基礎技能だが、これも立派な強化系の発である。

 

 もし体内にある状態で大きなエネルギーを持っていれば危険極まりない。精孔とは安全にエネルギーを取り出すための反応室のようなものだ。だから精孔が機能していない人間はいくら生命エネルギーを持っていてもそれを力として使うことはできない。

 

 ネテロが行う『勁』は、この危険行為に該当する。身体能力をオーラで強化することとは異なり、内部や外部から生じたエネルギーを直接体内で受け入れて利用する。普通は意図してこのような技を使うことはできない。内臓を自分の意思で動かせと言っているようなものだ。

 

 仮にできたとしても体内がずたずたに引き裂かれて絶命するだろう。それを可能とするネテロの技術が『勁』だった。

 

 同じエネルギーであっても“力”と“勁”では伝わり方が異なる。力は発生したその場所で作用するが、勁はエネルギーを保ったまま別の場所に動かせる。正しく勁を運ぶことができれば身体中で無駄なロス(損傷)を発生させることなく様々な箇所へと移し替えることができるのだ。

 

 ゼノの攻撃を受け流したアイクは直後に反撃を繰り出す。勢い止まらず再度食らいつこうとする龍の頭を、アイクの手刀が真っ二つに切り裂いた。二枚におろされた龍の中を衝撃波が伝わり、ゼノに襲い掛かる。

 

 しかし、それを食い止めるためゼノの手から放たれた二匹の龍が空中で絡み合った。龍たちは衝撃波に巻き込まれ、すり潰されて爆散する。その間にも二人の戦士は一瞬たりとも動きを止めることなく数十の拳を交えていた。

 

 ゼノは自分が劣勢にあることを悟る。龍頭戯画の全力行使により何とか体裁を保てているが、それもいつまで続けられるかわからなかった。

 

 かすった攻撃だけで全身が悲鳴を上げ、わずか1分足らずの攻防で息が上がるほどに疲弊している。龍頭戯画のオーラを通さず直接攻撃を受けていれば、たとえ防御できたとしても発勁により一撃で昏倒させられていた。

 

 その上、ゼノは発を使わなければ勝負にもならないというのに、対する少女はいまだ発の片鱗すら見せていなかった。ダメージがないどころか体力すら消耗していないだろう。ゼノは少女が技術のみで自分を圧倒していることを知っていた。

 

「『心勁』までも使いこなすか……! ネテロでもここまでの無茶はしなかったぞ!」

 

 今では四大行の応用技として広く知られる『流』だが、それは弟子たちがネテロの技の表面をなぞっただけに過ぎない。彼は体外におけるオーラの運用を『流勁』と表し、それと対を成す奥義として体内のオーラ運用法『心勁』を考案した。

 

 無論、これを実行することがどれほど困難か言うまでもない。自身の動作や敵の攻撃から勁を取り出し、それをオーラに乗せて体内に巡らせ、蓄積して反撃に利用する。運勁がわずかにでも狂えば、たちまちエネルギーは勁から力の伝達へと変わり、肉体は内部から破壊されるだろう。

 

 強力ではあるが、失敗した際のリスクを考えれば釣り合わない。生前のネテロでさえ多用はしなかった技である。アイクがそれを考え無しに使えるのは、別に内臓が破裂しようがどうということはないからだ。

 

 念人形であるアイクの体はすぐに修復できる。筋肉のつかない華奢な体も、勁を通す上では何の問題もない。ネテロの体と比べれば自力で発せられる膂力は大幅に落ちているが、それを技で補填することは可能だった。

 

 『流心勁』を使いこなすまでに至ったアイクの技は、ネテロが極めた心源流を超えている。最高峰に立っていた使い手が新たな肉体を得てさらなる研鑽を積めば、それも当然の道理だった。

 

 その境地は明鏡止水。もはや焦りや怒りと言った感情の起伏とは無縁だった。悟りを開いたかのように迷いなきオーラの流れである。心理的要因からその制御を乱すことはあり得ないことだった。

 

 そんな二人の戦いに水を差すようにイルミが針を投げ込んでくる。

 

 

「くらぁ! 外野はひっこんどれぃ!」

 

 

 せっかく気分よく戦いを楽しんでいたところに邪魔が入って、思わずアイクはぶちギレていた。条件反射的に両手が合掌の形を取る。

 

 あっ、しまったと焦った時には既に攻撃が終了していた。床から半身を乗り出した巨大な仏像がイルミがいた場所に拳を叩き込んでいた。仏像が消え、床にめり込んだまま起き上がらないイルミの姿が確認できた。

 

 その光景を見て絶句していたゼノは一転して笑い始める。

 

「くっくっくっく……はははははは! そういうことか! まさか最初から“お前”だったとはな!」

 

 その『発』をゼノは目にしたことがある。どれだけ正確にネテロの技を再現することができる優秀な弟子がいたとしても、『百式観音』を真似できる者はいないはずだ。

 

 目の前の少女がネテロ本人であると疑う余地はなかった。あの妖怪じみたジジイが簡単にくたばるとは思っていなかったゼノだったが、やはりその悪い予感は当たっていたらしい。

 

「発を使うつもりはなかったんじゃがのう。ついお前との戦いで興を乗せられてしまったようじゃ。いかにもわしはアイザック=ネテロ……今の生はアイザック=アルメイザじゃ」

 

 アイクが吐血しながら正体を明かす。ちょっと心理的要因によるミスで勁道がずれて腹の中がシェイクされてしまったが、気にするほどのことではない。

 

「もう少し戯れ合いを続けていたかったが、この期に及んでそれも無粋か」

 

「遠慮はいらん。百式観音を使え。そうでなければ張り合いがない」

 

 ゼノにとって、ネテロが生きていたことやここに来た理由などに興味はない。ただこの一戦に全力を投じるのみ。『一日一殺』と書かれた道着を脱ぎ捨てる。小柄ながらその肉体は老人とは思えないほど引き締まっていた。

 

「ホオオオオオオオオオッ!」

 

 気合の一声と共に渾身のオーラを絞り出す。それは一匹の巨大な龍となり、ゼノを中心として守るようにとぐろを巻いた。

 

 『龍神の加護(ドラゴンソウル)』

 

 人間の進歩は目覚ましい。それは念能力の研究についても言えることだ。ゼノの龍頭戯画は、エネルギーの性質変化を主流とする現代の念能力に照らしてみれば原始的だった。オーラを鋭く尖らせるなどの発は今でもよくあるが、それ以上の複雑な形状をあえて変化系能力として作ることはない。

 

 オーラの形をごく小さな動物の形などに変える変化系の修行法はあるが、どれだけ鍛えたところで手遊びの範疇だ。戦闘に利用できるだけの精度を得るには絶望的な難易度となる。

 

 この形状変化能力は念獣の概念が確立する以前に普及していた発の一つである。その当時はまだ念と宗教観が混同されており、神霊や精霊をその身に宿す祈祷術の一種と考えられていた。

 

 現代の念能力者たちの感覚からすれば、なぜ龍の形にする必要があるのかと疑問に思うところだろう。その発を習得するまでに至る血の滲むような修練を真の意味で理解することはない。

 

 時として念は、余人には計り知れない孤独な追究の果てに完成する。狂気にも近い情熱が精神を煮立つまでに溶かしたその中に立ち現れてくる。

 

 今のゼノの姿を見て変化系能力者だと思う者はいないだろう。極限の修行の果て、念獣と見まがう領域にまで昇華された龍が睥睨する。その肉体は膨大な力の塊だ。尾を翻すだけで災害のような破壊をもたらす。

 

 膨れ上がったオーラが周囲の気流を乱した。その風に銀の髪をたなびかせながら、少女は何の気負いもなく微笑む。

 

 

「一つ訂正してやろう。今のわしは

 

 千百式じゃ」

 

 

 少女の小さな白い手が合わさる。その“心の所作”もまた、ゼノの技と同じく狂気の果ての領域にあった。

 

 『壱弐参乃掌(ひふみのて)』

 

 ネテロの能力『百式観音』についてはゼノも知っていた。感謝の正拳突きから生まれた不可避の速攻。ゼノが知る限り、物理的な破壊力や速度に関してこれを超える能力はない。発動されたが最後、敗北が確定する恐るべき技である。

 

 その脅威は幾度となく味わってきた。対策を講じなかったわけではない。そのために気力を振り絞って発動させた龍頭戯画の最終形ドラゴンソウルがある。数十メートルにも達する龍神がゼノの体を包み込んでいた。

 

 それを取り囲むようにして三体の仏像が現れる。千百式に成長したアイクの能力は、最大で四体の仏像を同時に顕現させることができた。

 

 不可避の速攻三連撃は、まず参乃掌から始まる。両手を打ち合わせ、挟み込む。もともと回避できるはずもない速度ではあるが、さらに逃げ場がない。衝撃は両の手の中に閉じ込められ、対象を圧殺する。

 

 しかし、ゼノは周囲に巻き付かせた龍の体内に高速でオーラを循環させ、全身を守る緩衝材の役割を持たせていた。挟み込まれたオーラの塊は油を塗ったゴムまりのようにつるりと掌の間から滑り、上空へと抜けだす。

 

 このとき、ゼノは既に重傷を負っていた。抜け出せたからと言って衝撃を全て無効化できたわけではない。オーラごと捻り潰さんとする圧力が内部のゼノにまで達していた。むしろ、それだけの負傷で済ませたことは神業と言えた。

 

 だが、アイクの攻撃はそこで終わらない。上へと逃れた敵を再び地に落とすべく『弐乃掌』が迫る。広げた掌による叩き潰しだ。振り下ろされた面による制圧。

 

 先ほどと同じように滑り抜けられれば良かったが、今度はそうもいかなかった。攻撃を受けた直後、ゼノの体が床に沈み込んでしまう。頑丈に作られていた床も常軌を逸する念能力者同士の戦闘に耐えられる強度ではない。

 

 一撃目を凌ぎ、まだ戦えるだけの力を温存していたゼノだったが、脆くも潰える。逃げ場もなくまともに攻撃を受けてしまい、龍の守りがあってなお瀕死の状態に追い込まれていた。いつ意識を失ってもおかしくなかった。もはや勝負は決したと言っても過言ではない。

 

 しかし、終わらない。上空から振り下ろされる手刀、『壱乃掌』は弐乃掌により地に伏した対象を確実に仕留める。衝撃が広範囲に広がる弐乃掌とは違い、手刀は範囲が小さくなる分、威力が一点に集中する。

 

 三連撃と言うが、そのうちどれか一つであっても人間個人に向けて放つような攻撃ではなかった。それを三回も受ければ、どんな念能力者だろうと原形を留めぬ肉塊と化すだろう。

 

 怒涛の連撃が繰り出された時間は一瞬にも満たない間であった。観音像たちが姿を消す。だが、その中心にはいまだに煌々と力強くオーラを輝かせる龍神の姿があった。

 

 ゼノは堪え切った。そしてこのとき、ようやく百式観音が三体同時に出現していた事実に気づく。攻撃を受けている最中は、それを認識することもできなかった。それほどの速攻である。

 

 それはある意味で幸運だった。もし途中でその絶望的な事実を認識してしまえば心が揺らいでいたかもしれない。オーラの制御が少しでも狂っていれば命を落としていただろう。無心でいられたことに助けられた。

 

 しかし、もはや風前の灯だった。肉体は活動限界を超えている。立ち上がれたことが奇跡のような状態である。それを可能としているものが何かと聞かれれば一言、意地だ。

 

 その最後の矜持に応えるように龍が吼える。守りを解いた龍が、敵へと向かい飛び立った。それを打ち払うべくアイクは両手を合わせる。

 

 刹那の迎撃を回避するすべはない。観音像の巨大な掌が無慈悲にも龍の頭を叩き潰し、そのオーラを霧散させる。アイクですらそれで終わりだと確信していた。

 

 

 『龍星群(ドラゴンダイブ)』

 

 

 砕かれた龍は何頭にも分岐し、散り散りになって敵へと襲い掛かる。これにはアイクも度肝を抜かれたが、すぐさま反撃に入った。

 

 

 『九十九乃掌(つくものて)』

 

 

 一体の観音像が全ての手を用いて繰り出す連打が、次々に龍を消し去っていく。そのわずかな間隙を潜り抜け、生き残った龍も次第に数を減らしていく。

 

 その殺意の暴風を抜け切った龍はたった一体だった。1メートルほどの大きさに縮んだこの龍では、アイクに届いたとて武術で十分対処可能である。

 

 しかし、むしろアイクは感服する。よくぞここまで迫ったものだと。その敬意と共に放たれた正拳突きが龍を掻き消した。

 

 そして戦慄する。この戦いが始まって初めて感じる寒気だった。それもそのはず、突きを放ったアイクの背後にゼノが立っている。

 

 その距離に近づかれるまで気づけなかった。確かにゼノは暗殺者として名を馳せた名手であり、その絶の技巧は常人を遥かに凌ぐ。それでもアイクならば気づけただろう。勝利を確信して気を抜くような失態を犯すはずもない。

 

 アイクですら気づけない別次元の絶だった。ゼノは全身のオーラを使い果たし、生命力が欠片も残っていない状態に追い込まれていた。死体も同然。極限まで希薄となった生命反応だったがゆえに、アイクの目を掻い潜れた。

 

 そんな状態で動けるということが、まず人間には不可能な所業である。ゼノの精神力が動くはずもない体を突き動かした。『龍星群』の対処に当たっているアイクの隙を突き、気配を消して接近するという不可能を成し遂げた。

 

 その拳が無防備なアイクの背後へと突きつけられる。

 

「あいや、見事。これは一本取られたわい」

 

 だが、そこまでだった。生命力がほぼ残っていないということは攻撃に必要なオーラもないということだ。ゼノの拳は強化もなにもされていない状態だった。アイクを傷つけることは叶わない。

 

 しかしその拳には、確かに一人の武人としての生き様がありありと表れている。アイクは、崩れ落ちるように倒れかかったゼノの体を抱きとめていた。

 

 

 





ちせ様よりアイクのイラストを描いていただきました!


【挿絵表示】


ビヨンドに見せたいですね。パパの雄姿。
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