ゼノとアイクによる壮絶な戦闘の余波により、屋敷は随分と風通しが良くなっていた。さらにその外、いつもは専属の庭師が欠かさず手入れしている庭も異常生長した植物による進攻が始まっていた。
ゾルディック家始まって以来の危機だ。しかしその渦中にあり、シルバは依然として腕を組んだまま悠々と構えていた。そこへイルミが近づいてくる。
「父さん、殺るなら今しかない」
千百式観音の一撃を受けて重傷を負ったイルミだが、自分自身を針で操作することにより強引に行動を可能としていた。そしてシルバにアルカ殺害を示唆する。
もはやイルミもゾルディック家の戦力でキルアが連れて来た手勢に太刀打ちできないことを承知していた。今、彼らに残された唯一のアドバンテージは敵の目的であるアルカを管理下に置いているということだけだ。
しかし、イルミの提案は人質として利用する脅迫の域を超え、殺害にまで及んでいる。それではキルアの目論見を潰すことはできても、崩壊寸前にまで追い込まれた現状を食い止める抑止力にはならない。人質は生きているからこそ価値がある。
だが、脅迫によって一時的に膠着状態を作り出せたとて解決には至らない。アルカを傷つけて怒り狂ったキルアがどんな行動に出るかイルミにもわからない。思考を矯正していた針の呪縛は解かれてしまっている。
散々、話がこじれた挙句、どのような結果に転んだとしても、そこに至るまでに発生するゾルディック家の損害は計り知れない。ならばいっそのこと、面倒を後に引き延ばそうとせず今この場で結論を出してしまうべきだとイルミは考えていた。
「アルカを殺す。その憎まれ役はオレが引き受ける」
イルミは彼個人の判断でアルカを殺したことにするつもりだった。そのように振舞えば、さすがにキルアも他の家族を殺すことまではしないだろう。自分の命を差し出すことについて毛ほども惜しくは感じない。
仮にその予想が外れて、他の家族まで全員殺されるという結果となったとしても、イルミはそれはそれで仕方ないと思っていた。
キルアさえ生き残っていればゾルディック家は存続する。だが、アルカを外に出してしまえばそのキルアが最も大きな危険にさらされてしまう。それくらいならば自分一人や他の家族の命がどうなろうと犠牲にすべきだとまで思っていた。
その考えを全て口に出したイルミではなかったが、シルバは察していた。息子の考えていることくらい簡単に推測できる。
イルミは出来の良い子だった。もちろん、それは暗殺者としての出来だ。シルバが施した教育をスポンジのように吸収した。本来ならば、それは人として当たり前に備えるはずの倫理観を破壊するため過剰気味に与えられる毒のようなものだったのだが、イルミはそれを素直に受け入れ過ぎていた。
「アルカは殺さない。その結果、死後強まる念が発動する恐れもある」
「アルカは念能力者じゃない。それは心配しすぎなのでは?」
「だからこそだ。念の道理すら超えた未知の存在だ。殺せばかえって取り返しのつかないことにもなりかねない」
素直に“家族だから”という理由でかばってやれないことに、シルバは自嘲する。
イルミはまだ納得できない様子だった。だが、許可なくアルカを殺しに行くことはできない。なにせイルミもアルカがどこにいるのか知らされていないのだ。そこにたどり着くまでのセキュリティを解除する方法もわからない。
やがて周囲に鳴り響いていた轟音が終息する。ゼノたちの戦いに決着がついたようだった。結果は一目瞭然である。これで残るはシルバのみとなった。
「下がれ。後のことは俺に任せろ」
見た目だけなら平然としているイルミだが、その肉体は早急に治療に当たらなければ命が危ういほどのダメージを負っていた。この場に残ったところで役には立たない。不承不承、引き下がっていく。
それと入れ替わるようにキルアが近づいてきた。殺気はない。それは勝利を確信した足取りだった。
事実である。今のシルバがどう足掻いたところで結果は見えていた。戦闘によって状況を打破できる段階ではない。否、初めからこの結末は決まっていたと思える戦力差だった。
「親父、アルカを解放してくれ」
「それはできないと言ったはずだ」
「今だから話すけど、アルカには親父たちの知らない秘密がある。オレがアルカに殺されることはないし、家族に危険が及ぶこともない。これは誓って本当のことだ。その場しのぎのでまかせじゃない」
「なるほど。だが、それでも許可はできない」
しかし、譲らなかった。負けそうになったから意見を変える、そんな覚悟でここに立ってはいない。キルアの言うことを親として信用しているシルバだが、ゾルディック家の当主として取るべき判断はまた別である。
キルアは顔をしかめた。たとえ殺されようとシルバが意思を曲げることはないと理解できたからだ。仕方なくキルアはメルエムの方へと視線を向けた。彼女はしっかりと目を開けている。
「所要時間4分47秒……既に未来は確定させた」
「……」
「4分47秒だ」
「わかったから」
すなわち、今すぐにでもアルカを助け出せることを意味している。
「アルカを守るセキュリティに自信があるのかもしれないけど、無駄なんだ。オレたちはそれを突破する方法を用意してきている」
「そうか。だが、それならばわざわざそんな説明などせず助けに行けばいいはずだな。今もこうして対話を望んでいるということは、まだ心残りがある。違うか?」
キルアも殴り込みをかけておいて円満に事が収まるとは最初から思っていなかったが、それでも後腐れなく話がまとまるならその方が良かった。アルカをずっと閉じ込めていた家族に憤りを感じるところもあるが、そうしなければならかった理由もわからないではない。
世間一般の感覚からすればこの家の教育方針はろくでもない。それに反感を覚えて家出したキルアだが、いまだに父親を尊敬していた。
強く、たくましく、畏怖の対象だった。憧れていた時もあった。ずっと、その背中を見て育ってきた。
自分でやっておいて矛盾した感情だが、今のような父の姿を見たくなかった。どんなに硬い意思をもって抗おうと力が及ばなければ虚勢も同然だ。
それが自分自身の力でやり込めたというのなら文句はない。実力で勝ち取った勝利である。だが、今回は人の手に頼って得た成果だ。
キキョウを倒す活躍はしたが、別に負けたとしても何とかなっていただろう。頑張れば自分一人で成功させられたと己惚れる気は全くないが、それでももやもやとした気持ちが残っていることは事実だった。
「今は家族内指令の発令中だ。お前は“自分が望む結果”を得るために“最大限の努力”をしなければならない」
「……だから?」
「お前にチャンスをやろう。サシで俺と戦え。お前が勝てば、アルカの解放を認める」
滅茶苦茶な提案だった。アルカを助ける確実な手段が既にあるというのに、わざわざ必要のない許可を得るために戦闘をする意味はない。そもそも一対一でシルバと戦うというのが無理な話だ。実力の差を見抜けないほどキルアも馬鹿ではない。
「まあ、互いに対等な条件で戦うというのは酷だ。ハンデをくれてやる。俺は“このまま”でいい」
並みいる強者に取り囲まれながらも傲岸不遜に言ってのけるその胆力にキルアは呆れた。だが、その方が親父らしいと快くも思っていた。
シルバが言う“このまま”とは重力による枷を負った状態である。キルアは実際にその負荷を体験したことがあった。力技でどうにかできるような生易しい拘束ではない。
チェルにも協力してもらうことになるため純粋なサシの勝負とは言えないだろう。これも人の手を借りた結果と言えばその通りだが、勝てば認めるとシルバ自身が言ったのだ。互いにこれ以上の落としどころはない。
いくら何でも舐めすぎだとキルアは軽く苛立った。そう思わせられた時点で半分以上相手の思惑に乗せられてしまったようなものだ。それを自覚しながらも受けて立つことに決める。
「わかった。勝負だ、親父。だけど、もしオレが負けたとしてもアルカは仲間に助け出してもらうからな」
「今から負けた時の心配をしてどうする。この勝負は、お前が俺を認めさせるための戦いだ。それ以外の意味などない」
アルカを巡る戦いについては既に決着がついていた。ゾルディック家の敗北に他ならない。アルカは解放されることになるだろう。
ゆえにここから先の戦いは、キルアの個人的な感情を満たすためだけの“遊び”である。言うなれば、家族内指令(おやこげんか)だった。
「なんか、仲が良いのか悪いのかわからん奴らだな」
「まあ、乗りかかった船じゃ。見守ってやろう……ん? 誰か来たな」
「えっ、なにこの状況は……父さんと兄さんが対決してる!? ボクはどっちを応援すれば……」
カルトがやけにすっきりした表情で戻ってきた。最初は絶をしていたが秒で見破られた。あたふたしているだけで特に害はなさそうなので放置される。
「ついでじゃし、こそこそ隠れとる輩もあぶりだしておくかの。ホッ」
千百式が発動し、床のある箇所に鋭い突きを叩き込んだ。床下まで大穴が空き、観音像の手は地下に作られたシェルターの壁までも破壊して食い込んでいた。
「ブヒッ!? なんでバレた!?」
そこにいたのはミルキである。人形ではなく本人だ。なぜそんな場所にいたのかと言えば、彼の能力が『自動操作型』ではなく『遠隔操作型』だったためだ。あまり離れた距離からだと人形を操作できなくなってしまう。
戦場が建物の内部であったこともあり、アイクは振動を足の裏から感知する『陽脚』という歩法を用いて罠などがないか調べていた。地下にある不自然な空間のことは最初に踏み込んだ時からわかっていた。
ゼノとアイクが派手に暴れ回ったせいでミルキの隠し部屋にも影響が及び、シェルター内は無事だったが地下通路のドアが歪んで開かなくなっていた。閉じ込められてしまったミルキはじっとしているしかなかったのだ。
「とって食いやせんから、おとなしくしておれ」
「はい……」
引きずり出されたミルキは従うしかなかった。観衆も出揃い、ついにキルアたちの対戦が始まる。しかし、合図もなく両者が静かに睨み合う構図が続いていた。
「……」
「……」
互いに位置につく。と言っても、シルバはその場に立ち尽くしたままだ。魔眼に押さえ込まれ身動きは取れない。対するキルアの身は自由だ。『神速』を使えば圧倒的な機動力の差と言える。
だが、考え無しに近づくことはできなかった。シルバの念能力が不明という点が大きな不安要素だ。重力操作は念弾などの遠距離攻撃まで未然に防げるものではない。何かしらの有効な攻撃手段を隠している可能性はあった。
(親父の系統は何だ? 息子のオレが変化系だから、同じ変化系か? いやでも、じいちゃんのさっきの攻撃は放出系っぽかった……系統が遺伝しやすいって言っても絶対じゃないだろうし、断定はできない)
悩みどころではある。しかし、キルアには勝算があった。彼の持つ技の一つに『落雷(ナルカミ)』という遠距離攻撃手段がある。文字通り、電撃を雷のごとく敵に降らせる技だ。
キルアの電撃はオーラによる念の性質を併せ持っている。電撃であると同時にオーラの攻撃でもある。雷に匹敵する高エネルギーの直撃が回避不能な速度で襲い掛かるのだ。流の防御もろくに間に合わない。
キキョウには通じなかったが、あれは特殊すぎる例だ。いかに電気耐性を持っていようと、生物である限りシルバでも全くの無傷というわけにはいかない。
先の戦いでキルアは『落雷』を使っていなかった。消費電力が大きい技であるためなるべく使いたくなかったからだが、その節制が功を奏した。シルバはまだ『落雷』の存在を知らない。知っていれば、重力の枷という致命的なハンデを認めはしなかっただろう。
つまり、下手に近づかず離れた場所から落雷を撃ち続けていれば勝てる。問題は体内に充電している電気だけでシルバを仕留めきれるかという点だが、それも対策はあった。足りなくなったら補充すればいい。電源ならそこらへんのコンセントからいくらでも引っ張って来られる。
ハメ技のようで少し気が引けるが、全力で畳みかけなければどんな形で覆してくるかわからない相手である。手を抜くつもりはなかった。キルアは組み立てた作戦を実行に移す。
「来ないのか? ならばこちらから行くぞ」
だが、そこで合わせてきたようにシルバが動いた。ここは少し様子を見るかと敵の出方をうかがったキルアは、衝撃的な光景を目にする。
シルバはすたすたと歩いていた。その歩みは至って正常である。何の不自然さも見当たらない。それがキルアには信じられない。
超重力の中は背筋を伸ばして立っているだけで強化した全身の筋肉を酷使する環境である。今までずっと仁王立ちの体勢を保っていたシルバを大したものだと感心していたくらいだ。
間違っても平然と歩けるはずはない。しかしそのキルアの驚愕は次の瞬間、恐怖という感情で塗り替えられることになる。シルバの体がブレた。そこから分身するように彼の体が何体にも分かれていく。
「ばっ……! し、肢曲だと!?」
無音歩行術『暗歩』の応用技『肢曲』だった。緩急をつけた移動速度によって残像を生み出し、敵の目を欺く暗殺歩法の奥義である。
今のシルバに重力の枷は効いていない。そうとしか思えない光景だった。そのとき、チェルはキルアと同様にあり得ないものを見た表情をしていた。
チェルの能力はずっと正常に発動し続けている。確かにシルバの周囲の重力は変化しているはずが、どんなトリックを使ったのか。効いていない。チェルの魔眼は災厄から生じた産物だ。それを易々と跳ねのけることができるだろうか。
わかることは、シルバが現に自由を得ているという事実のみだ。底知れぬ怪物である。されどキルアも、まさかここで引き下がるわけにはいかない。すぐに感情を切り替える。
肢曲はキルアもよく使う技だ。その特性も熟知している。いくら残像を作り出そうとそこに実体はない。よく見れば本人がどこにいるのかオーラでわかる。たとえ絶を使っていようと凝を使えばこの距離で惑わされるということもない。
「うっ!?」
しかし、目にオーラを集中させたキルアが見たものは、残像の全てに残されたオーラの痕跡だった。これはキルアも教わっていない暗殺技『分霊(わけみたま)』という。
残像を作り出すと同時にそこに放出系技能を用いてオーラを残していく。さらに自身のオーラの出力を押さえ霞ませ、巧みに残像の中に身を隠していた。
確かによく観察すれば見破ることは可能なのだが、目まぐるしく状況が推移する戦闘中のことである。キルアとシルバ、両者の間に横たわる実戦経験の差は如何ともしがたい。
「「「怖気づいたか?」」」
危険を感じて距離を取ろうとしたキルアの背後から声がする。思わず足を止めてしまった。
特殊な発声法により敵の耳の内部で音を籠らせる『囁々蟲(せせらむし)』という暗殺術だった。これは音の発生源を特定させずに声を発することを目的とした技だが、極めればその方向を自在に変えて錯覚させることもできる。
視覚と聴覚を翻弄し、キルアの思慮外から迫る一撃。それだけでも脅威だというのにさらなる不運が重なる。シルバの接近を許してしまったがゆえに重力の変化圏内にキルアの体の一部が入った。
肢曲まで使って元気に動き回るシルバに対し、チェルはそれを捕捉し続けるだけでかなりの集中力を要していた。敵を警戒させないためにと円を自分の周囲でしか使っていなかったことも痛手だった。重力場の制御に乱れが生じている。
互いの手が届く距離まで近づかれてしまえば、シルバだけに狙いを絞って重力場を展開することは難しい。キルアにも重力の負荷が襲い掛かる。
――『落雷(ナルカミ)』!――
すんでのところでその事実に気づいたキルアは自身を中心として全方位に向けて落雷を放つ。さすがのシルバもそのスピードに対処することはできなかった。電撃をまともに受け、周囲の残像も消し飛んだ。
高圧電流を受けたことによる筋肉の反射により、シルバに一瞬の隙が生まれた。キルアは『神速』にて辛くもシルバの攻撃圏から脱する。
何とか仕切り直しに持ち込んだキルアだが、冷や汗が止まらない状態だった。接近戦は不利であると再確認する。技術の差もさることながら、重力の枷が痛い。
シルバが何事もなく行動しているので忘れそうになるがチェルの重力操作は継続している。にもかかわらずキルアだけが大きく重力の影響を受けてしまう。一方的に不利な条件を背負わされているように思えてならなかった。
しかしだからと言ってチェルの能力を取り払ってしまうことは、それはそれで怖い。実際はシルバも重力に苦しんでいるはずだとキルアも考えていた。抑え込まれた上で、なおキルアを圧倒するだけの力をもっていると考えるべきだ。
もはや安全に攻撃する手段は『落雷』しかなかった。しかし、そのために必要な電力が心もとない状況だ。
とっさのことだったとはいえ先ほどの落雷全方位放射は、本来想定していない使い方だった。威力が中途半端になる割に消費電力はかなり増える。残された電気量を考えれば、本気の落雷が撃てるのは後一回が限度だった。
もっとも、仮にマックスの充電量が残っていたとしてもそれでシルバに勝てるかと聞かれれば疑問だった。実際に戦ってみてわかった。シルバの実力はキルアの想像の遥か上を行く。
“安全に”とかいう考え方で乗り切れる相手ではない。リスクを冒さなければこの差は到底埋まらない。キルアは覚悟を決め、チェルにアイコンタクトを送る。
事前の打ち合わせなどしていないチェルにキルアの正確な意図はわからなかった。だが、彼女はここしばらくキルアの修行に付き合い、彼の能力の詳細も知っている。そこからキルアがどんな判断を下したのか推測することはできた。
(自分から仕掛けに行くつもりか、キルア……!)
キルアはおそらく、シルバに接近戦を挑むつもりだと思われた。『落雷』だけではシルバを倒せない。最高威力の技をシルバに直接打ち込まなければ勝機はないと、チェルにもわかった。
しかしそのためには重力場が邪魔になる。キルアの要求は、彼の技が決まる絶好のタイミングでチェルに能力を中断してもらうことだった。
シルバの能力についてチェルもわかったことは少ないが、何らかの方法で重力の負荷を軽減しているものと思われた。おそらく完全に無効化する類の念能力ではない。シルバが“ハンデ”と言った通り、重力の枷は彼の行動を制限している。
重力操作を解除するということはシルバの制限を解き放つことに等しい。果たして、その判断は正解と言えるだろうか。
逡巡する暇さえ与えられない。キルアとチェルの思惑などいざ知らず、シルバは動き出す。先ほどと同じく、無情にも恐ろしい威力を秘めた拳打が迫る。
暗殺術を極めたシルバの絶技。その攻撃が繰り出されるまでの過程には巧みな虚実が織り交ぜられている。当たる直前まで察知することは困難だった。
いかにスピードに自信があろうと、闇雲に逃げ回ろうとすれば逆に足を掬われる結果に終わるだろう。キルアはあえてその場にとどまった。臆することなく、待ち構える。
傍から見れば思考を放棄したかのようにも思える態度だった。あながち間違ってはいない。キルアは複雑に考えることを止めた。ただ一点、敵の攻撃が到達する瞬間を捉えることのみに集中する。
どれだけ感覚を狂わせようとしたところで、最終的に敵の攻撃が届く瞬間だけは正確な情報がさらけ出される。現実には、それがわかったところで手遅れも甚だしい限りだが、キルアの場合はそうとも言い切れない。
彼の体表には分厚いオーラの膜が張り巡らされていた。性質上は円に近いものだが、その有効範囲はわずか半径57センチである。たったそれだけの感知範囲が生命線だった。
待ちに徹するキルアに対し、シルバは構うことなく攻撃した。まさにその拳がキルアへと振るわれる直前、突如として重力のくびきから解放される。
真っ先にシルバの脳裏によぎった思考は、なぜこのタイミングなのかという疑問だった。キルアの攻撃に合わせて重力を解除するのであればわかる。だが、それとは全くの逆。シルバの攻撃時に合わせて解除してしまっては敵に塩を送るようなものだ。
とにかく予期せぬタイミングで重力から解放されたシルバは、その環境の変化に即応するというわけにもいかなかった。わずかに生じる隙。されどその拳はキルアを戦闘不能に陥れるに十分な威力を持ったまま振り抜かれる。
だが、ここまではキルアが思い描いた想定通りに進んでいた。キルアのオーラにシルバの拳が食い込む。その刹那、『疾風迅雷』の型が作動する。
この半径57センチの円が敵の攻撃を正確に察知し、その動きに合わせて自動的にプログラムされた回避行動が選択、実行される。
しかし、この『疾風迅雷』の真価はただの回避に留まらない。相手の攻撃を捌くということは、自らの攻撃の機を得ることでもある。超高速のカウンターが発動する。この反撃までを含めて完全な疾風迅雷の型だった。
それだけでは終わらない。キルアはそのカウンターに『電光石火』の効果を上乗せした。二つの型の同時行使である。
これはキルアが頭の中の針を抜くため、過酷な修行によって体得した技だった。操作系能力の影響下に置かれた状態で、その当人が自らの意思で念の強制力から脱することなど普通はできない。未熟な能力者の念ならまだしも、あのイルミが仕掛けた呪縛である。
傭兵団の船にてアイクやチェルの主導のもと行われたブートキャンプがキルアの才能を開花させた。
意識の型『電光石火』。
無意識の型『疾風迅雷』。
そしてこれら二つが混然一体となった第三の型を編み出すに至る。
今のキルアが使える最速にして最強の技だった。あのアイクをして速いと認めさせるほどである。キルアはこの技を父親にぶつけてみたかった。
それもハンデをもらった状態ではなく、本気の父にだ。今のシルバは重力の影響を受けていない。今この瞬間だけは正真正銘、双方ともに全力を発揮できる状態にある。
今の自分がどこまでシルバに通用するか試してみたかった。決して超えられることはないと思っていた壁が目の前に立ちふさがっている。その壁の前で踏みとどまり、諦めてしまった過去の自分はもういない。
――『紫電一閃』――
その一撃はシルバに届いた。ゾルディック家当主の本領を発揮してさえ、回避も防御もできない速度。間違いなくシルバを上回っていた。筋肉の装甲の内部にまで確実にダメージを通した手ごたえがあった。
しかし、足りない。シルバは倒れない。全力で殴り飛ばすつもりで放ったキルアの一撃を、微動だにせず受け止める。勢いよく血反吐をこぼしながらも清々しい笑みを浮かべていた。
一筋縄ではいかない。それはキルアも最初からわかっていたことだ。それでも落胆することはなかった。『紫電一閃』の型ならばシルバを倒せるとわかったからだ。
この型は強力である反面、肉体に大きな負担がかかる。一つの戦いで二回と使えるような技ではないのだが、まさかここでギブアップできるはずもない。重い反動を受けながらも気力は充実していた。
ひとまずキルアはすぐにシルバから距離を取る。拳を叩き込むと同時にシルバの全身に強烈な電撃を浴びせていた。電気への耐性訓練を数限りなくこなしてきたシルバはその隙を最小限にまで抑え込めるだろうが、それだけの隙があればキルアなら離脱できる。
(あれ、なんだ……?)
距離を取ろうとしたところで違和感に気づいた。高揚していた気分が急落していく。何かがおかしいと思いつつも、その異変の正体にまですぐに考えが及ばない。
(て、手が離れない!)
見事にシルバの腹部に拳を打ち込んだ、その状態のまま動かない。まるで吸い寄せられるようにその場から離れられない。
重力とは、引力だ。
シルバの変化系能力『奈落(ナラク)』は、自身のオーラに触れた物質に対し、そこに働く重力の影響までも変化させる。奇しくも、チェルと同類の能力者だった。
ゆえにチェルの重力操作を相殺できたわけだが、完全に打ち消すには至らず、肉体のパフォーマンスレベルは通常時の半分程度に抑え込まれていた。加えて常時、多大な潜在オーラを消耗させられていた。
裏を返せば、半分程度の実力でキルアと渡り合っていたことになる。そもそも最初からそれ以上の力を出そうとは思っていなかったのだ。だが、キルアが最後に打ち込んできた攻撃を受け、シルバの闘争者としての血が騒ぐ。
その表情はこれまでにキルアが見たこともないほど獰猛だった。残酷なまでの強さを見せて来た父だが、普段の彼はいつも理知的に振舞っていた。その下に隠された荒ぶる本性が顔を覗かせる。
理性とはかけ離れた亡者の形相。全てを我が物にしたいと望む、尽きぬ強欲。その引力がキルアを捕えて離さない。
完全に逃げる機を逸したキルアは、自分に向けて放たれるシルバの貫手を見た。その手の爪は異常に太く伸び盛り、まるで鬼の手を思わせるかのように恐ろしい変化を遂げている。
その技は何度も見たことがあった。シルバが得意とする暗殺術の一つである。己の手を武器と化す肉体操作を用いて一瞬のうちに敵の臓物を摘出する『心臓盗り』。その妙技がキルアの胸の中心めがけて差し迫る。
その光景をやけにゆっくりとした時間の中で目撃していた。キルアの思考だけが目まぐるしく脳内を駆け巡る。それは走馬灯だった。
捕まった状態では『疾風迅雷』も使えない。何度シミュレートしても対処する方法は見つからない。確実な死という最悪の結末だけが浮き彫りとなる。
死ぬ。まさかこんなことになるとは思っていない。家族内指令のルールは家族を殺さないのではなかったのか。シルバの攻撃にそんな配慮は微塵も感じられなかった。
もはや自力での生還は不可能である。仲間に助けてもらうしかない。だが、頼みの綱だったチェルの重力操作ではシルバの攻撃を止められない。それはこれまでの戦いの中で証明されてしまっている。
チェルには空間歪曲というもう一つの大技があるが、高速の貫手は既にキルアの胸に触れるところまで来ている。たとえシルバを即死させようと攻撃は止まらない。貫手そのものに空間歪曲を当てようとすればキルアまで巻き込まれて死ぬ。
アイクとメルエムならばこの状態からでもシルバを止めることができるかもしれない。が、それも望み薄だった。彼女らの性格を考えれば男の決闘に部外者が水を差すことを良しとはしない。たとえそれがクライアントだろうとだ。
クインたち陽動班のメンバーなら助けてくれるかもしれないが、そもそもこの場にいない人間に何かできるはずもない。
終いには、敵であるはずのイルミ、ミルキ、カルトにまで淡い期待を寄せる。そのどれも現実的ではない。仮に助けが入ったところでここまで迫ったシルバの攻撃を止められるはずがない。
あらゆる可能性が否定されていく。そのうちキルアは全く関係のない思考に陥る。ふとゴンのことを考えた。クラピカとレオリオの顔も頭に浮かんだ。
この家を出てハンター試験を受けた日々のことを思い出す。ゴンたちと様々な体験をした。宝物のような記憶があふれ出てくる。思い出せること、忘れていたこと、全ての記憶が濁流のように押し寄せる。ただその流れに身をゆだねることしかできない。そして終着点にたどり着く。
『だから何度も言ったじゃないか。勝てない敵とは戦うなって』
思い出したくもなかった兄の言葉が、なぜか最後に再生された。
ゾル家流暗殺奥義『ジョネス殺し』!
シルバの能力が重力操作ではないかという説はどこかで考察されていた気がします(ヂートゥを倒したときの描写がそれっぽい)
それだとチェルとモロにかぶるから別のにしようかと思ったんですが、ここはあえてかぶせてみました。