カーマインアームズ   作:放出系能力者

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125話

 

 PM8:22。

 

「ホ?」

 

 王の居室にて、秘蔵のワインを開けくつろいでいたナスビ=ホイコーロは陶器が割れるような異音を聞いた。壮絶な悪寒に駆られ、億は下らないワインボトルを倒すことも気にせず確認に向かう。

 

「何が起きたホイ……!?」

 

 わななく両手に一つの壺が抱えられる。それはカキンの創設期、太古より伝わる王家の秘宝。どのような手段をもってしても傷一つつけることは叶わない。はずだった。

 

 ひび割れ、今にも砕け散りそうになっていた。壺の中から小さな赤い石がいくつも転がり出る。多肉植物のような形をした金属質の結晶だ。

 

 モナドはワブルに寄生していた念獣を介して、壺中卵の術式にウイルスを送り込んでいた。その基点となる壺を破壊することがモナドの本当の狙いだった。これにより壺中卵の儀は崩壊、結果的に王子たちの守護霊獣もいなくなるというわけだ。

 

 ただここで、モナドが想定していない事態が発生する。

 

 モナドはワブル王子に行ったような、守護霊獣を結晶化させて宿主から分離する方法を、他の王子に対しても施そうとはしなかった。

 

 なぜかと言うと、王子の身に危険が及ぶからだ。基本的に寄生型念獣は宿主と密接な関係にあり、この除念にはモナドも精密な能力の行使を要求される。適当にウイルスを使えば念獣だけでなく寄生対象の王子もそれに巻き込まれて死んでしまう。

 

 ワブルの場合はモナドが直接手で触れて能力の制御を行ったので問題なかったが、離れた場所にいる他の王子についてはウイルスを使わずとも、儀式の術式全体を破壊することで念獣を消滅させれば事足りるだろうと判断した。

 

 モナドは見誤っていた。無念にも王となれず、殺されていった王族たちの怨嗟を。死後強まる念が凝縮され、壺の中へと封じられていた負のエネルギーがあふれ出す。詰まった排水管のように闇が噴き出す。

 

「ホ、ホホホ……」

 

 ナスビは不意に気配を感じ取った。自分しかいないはずの部屋の中に何かがいる。背後に立っている。恐る恐る、振り返る。

 

 そこには化け物がいた。女性の身体的特徴をおぞましく並べ立てたような悪鬼がいた。前回の王位継承戦にてナスビが獲得した守護霊獣である。兄弟の血を吸い、肉を喰らい、完成した蟲毒である。

 

 ナスビは今までその姿を見たことがなかった。守護霊獣は宿主の目に見えない。そのルールを破り、姿を現している。儀式の制約から解放された念獣は、消えるどころか死後強まる念をもって宿主に牙を剥いた。

 

「ほほほほほほ!!」

 

 カキン国王ナスビ=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1001号室にてベンジャミンはトレーニングに励んでいた。500キロのウエイトリフティング用バーベルをダンベルのごとく片手で扱っていた時、それは突如として現れた。

 

「ぬ!?」

 

 背後からの完全な不意討ちであったにも関わらずベンジャミンは反応してみせた。オーラで強化した腕で攻撃を受け止める。そこにいた敵は人間ではなかった。虫に似た手足と羽を持つ、魔獣のような怪物だった。頭部には複数の小さな眼と、剥き出しの歯茎を見せる口がついている。

 

「刺客が放った念獣か!」

 

「いえ、違います!」

 

 私設兵のリーダー、バルサミコが答える。彼はその念獣の存在を知っていた。継承戦が始まり、ベンジャミンに発現した守護霊獣である。しかし、これまでは何の動きも見せていなかった。それがなぜか突然、暴走している。

 

「ふん、これが守護霊獣だと? おとなしく従っておけばいいものを。オレ様が直々に屈服させてやろう」

 

 ベンジャミンが全力の戦闘態勢に入った。小細工は不要。鍛えぬかれた筋力に物を言わせた殴打が念獣に叩き込まれる。しかし、ベンジャミンの表情は浮かなかった。

 

 殴った瞬間、攻撃の威力が落ちたことを感じ取る。自身のオーラが吸い取られた。寄生型念獣の特性である。さらにそれがベンジャミンの守護霊獣の能力でもあった。

 

 強化系に属するこの念獣は、宿主であるベンジャミンの肉体を強化するサポート能力を持つ。オーラの増幅器である。こと戦闘にかけては念能力も含め、王子たちの中では最も惜しみない努力を注いできた彼にとって、このサポートは多大な相乗効果を生むはずだった。

 

 だが、念獣が暴走した今となっては真逆の効果を発生させている。宿主からオーラを吸い取り、力を増した念獣がベンジャミンに襲い掛かる。

 

「我々も加勢を!」

 

「お前たちは手を出すな! 自分の霊獣も躾けられない軟弱者に王の資格は無い! これは王の器を量るための試練と見た!」

 

 これも継承戦の一環。国王ナスビが王子たちに課した試練の一つと推測する。ならば自らの力で乗り越えなければならない。

 

 しかし、どれだけ攻撃を加えようとも、念獣はベンジャミンのオーラを吸収して回復してしまう。無論、念獣は彼を殺そうと反撃してくる。傷を負っているのはベンジャミンの方だ。

 

 彼は傷ついていく自分を許せなかった。カキンを守り、ゆくゆくは世界統一を為す強き王となるのではなかったのか。

 

「必ずや跪かせてやろう……!」

 

 ベンジャミンは打撃では効果が薄いと判断し、念獣に掴みかかる。ライオンの首すらもぎとる締め技をかける。だが、その間にもオーラは吸われ、力は衰えていく。

 

 失ったエネルギーは補給しなければならない。ベンジャミンは念獣に噛みついた。その硬い外皮を歯で噛み千切り、肉を喰らう。力の奪い合いが始まる。

 

 私設兵たちはその常軌を逸した光景を見守ることしかできない。ぶつかり合う両者のオーラを見れば、有象無象の能力者がそこに割って入る余地などないことは明白だった。深い忠誠を誓うからこそ、これが決して手出ししてはならない一戦であることを理解している。

 

(だが、それでも……)

 

 バルサミコは私設兵たちに命令した。直接戦闘に使える発を持つ念能力者に自刃を命じる。ベンジャミンの能力『星を継ぐもの(ベンジャミンバトン)』は、死んだ仲間の能力を受け継ぐことができる。

 

 彼の人間性を表面的にしか知らない人物がもしこのことを知れば、自分が強くなることしか考えていない傲慢な能力者と評するかもしれない。だが、それは全くの誤りだ。

 

 一人でいくつもの能力が使えるようになったからと言ってそれを扱える体は一つだ。ベンジャミンは個人としての強さを欲する求道者ではなく、軍を束ねる群れの長。軍の戦闘は多くの人員があってこそ真価を発揮する。

 

 仲間が生きて支え合えるのであればそれが良いに決まっている。だが、死に急ぐこともまた軍人の性である。だからその死を無駄にせず、遺志を受け継ぐ者がいなければならない。そのための能力だ。

 

 烈火のごとき武断主義者ながら、仲間に対する情は厚く、部下の進言にも耳を傾ける度量を持つ。バルサミコの指示をベンジャミンが知れば憤るだろう。

 

 だが、この国の未来を背負う王となるべき傑物はベンジャミンただ一人。私設兵たちはそう確信している。決して死なせることのできない人物だ。その覇道の礎となるため、命令を受けた兵たちは自ら命を絶つ。

 

 ただ、遠所にいる私設兵の全員と連絡が取れたわけではなかった。第1王子は軍事特例として各王子の護衛の名目で私設兵を派遣している。その多くが何らかの異常に巻き込まれているようだった。

 

 異変はこの部屋でだけ起きているわけではない。継承戦に暗雲が立ち込めていた。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1002号室にて、カミーラは食事をとっていた。最高級フィレステーキにナイフを滑らせていた時のことだ。その右手が顔の高さまで持ち上がった。

 

「?」

 

 エイリアンハンド症候群という病気がある。脳の機能障害により、意思とは関係なく自分の手が勝手に動いてしまうのだという。単なる痙攣などではなく、まるで腕自体が別の生き物になってしまったかのように動くのだ。

 

 カミーラの気分はちょうどそれと似ていた。自分の右手が、自分の顔へとナイフを突き刺す。

 

「ああああああああ!?」

 

 絶叫を聞いたカミーラの私設兵たちが一斉に動いた。それまで普通に食事をしていたはずのカミーラが自分の目に深々とナイフを突き入れている。すぐに駆けつけて取り押さえた。

 

「いたいいたいいたいいい!! はやくなおして!」

 

 意識はしっかりしているが、なおもナイフを眼孔の奥深くへと突き入れようとしている。その様子を確認した従事者の一人が銃を取り出し、失礼しますと一言断って、カミーラに向けて発砲する。

 

 カミーラは急所を撃ち抜かれ即死した。これにより彼女の能力『百万回生きた猫』が発動する。死後強まる念によって現れた化け猫の念獣が、カミーラを射殺した従事者を殺し、そのオーラを抽出。死体となったカミーラに与えることで蘇生させる。銃創だけでなく眼球の負傷まで元通りに治った。

 

「はあっ、はあっ……なんなの!? 今のなに!?」

 

「おそらく操作系能力による攻撃と思われます。何か心当たりはございませんか」

 

「カミィが聞いてるのよ! 答えなさいよ!」

 

 錯乱しているのか会話にならない。カミーラもベンジャミンと同じく念能力者だが、彼女の場合は発が使えるというだけで、基本的な念の修行は大して積んでいない。武人ではなく、一国の王子にふさわしい生き方をしてきた。

 

 何もかも望むがまま。自分の願うことが実現して当然という考えの持ち主だ。他者から縛られることを何よりも嫌う。自分自身の身体が思い通りに動かせない状態とは、カミーラにとって堪えがたい苦痛だった。

 

「早く犯人を見つけな、さ……い……!」

 

 カミーラの体が硬直する。またしても手が勝手に動き始めた。今度は傍にいた私設兵がすぐに拘束したため大事にはならなかったが、彼女の異常は収まらない。半狂乱に陥っている。やがて異常は手だけではなく、彼女の体の内部にまで及んだ。

 

「あ、むね、くるし……! とまる……とまるっ……」

 

 心臓の鼓動がゆっくりと遅くなっていく。不随意筋によって動くはずの心臓が操作され、心拍数を落としていく。

 

「なにしてるの……しにたくない……はやくころして!」

 

 命令通り、従事者の一人がカミーラを殺害した。蘇生能力が発動し、一時的にだが彼女の体は正常に戻った。しかし、根本的な原因がわかっていない。このままではまた同じ結果が生じてしまうだろう。

 

「恐れながら申し上げます。この攻撃が敵の手によるものであれば、あえて受け入れることでカミーラ様の能力により返り討ちにすることが……」

 

 カミーラは話している途中の私設兵を殴り倒した。そんなことは彼女にだってわかっている。

 

 死後の蘇生という特殊な能力は、彼女の精神性に由来する。カミーラは自分が死ぬということを絶対に認めることはない。たとえ殺されようと、死ぬはずがないと心の底から信じ切っている。死んだら終わりなどという理不尽は到底許容することができなかった。

 

 だから、死ぬことに対してこれまで恐怖を感じたことはなかった。その確信が揺らぎつつある。何かまずいことが起きる予感があった。

 

 またしても体の自由が利かなくなる。心臓が緩やかに停止していく。カミーラは部下に自分を殺すよう命令する。ついには長い時間と労力をかけて用意した私設兵の命にまで手をかけようとした。

 

「カミーラ様、ご命令とあらば我々一同、この命を捧げることにためらいはありません。ですが……」

 

 ここに集められた私設兵や従事者たちはカキン帝国において「不可持民」と呼ばれる差別階級出身者だった。生まれだけを理由に人に非ずと迫害を受けてきた彼らをカミーラは保護し、仕事を与えた。

 

 私設兵として取り立てられた12人は『つじつま合わせに生まれた僕等(ヨモツヘグイ)』という念能力を持ち、自らの命と引き換えに王子一人を呪うことができる。継承戦のために用意された暗殺呪詛部隊である。

 

「うるさい! カミィに指図する気!?」

 

 癇癪を起した子供のようなカミーラに執事長のフカタキが対応する。私設兵ではなく戦闘力は低いが、カキンの因習に精通する呪術師だ。その知識と経験から部隊の相談役を任せられている。

 

「ウマンマ、除霊を」

 

 除念師のウマンマがフカタキの指示でカミーラに能力を使う。その体内からずるりと何かが飛び出す。房を束ねたウミユリのような生き物の形をしていた。フカタキはそれが守護霊獣であり、カミーラを操作している原因だとすぐに見抜く。

 

「早くそれを殺して!」

 

 外に出しはしたが、これほど高位の念獣はウマンマの能力では除念しきれない。人の手の及ぶ存在ではないのだ。依然としてカミーラは操られたままだった。

 

「はやく……は、やく……!」

 

「いと気高き王の霊獣に対抗できる者は、同じく王の資質を持つ霊獣のみでございます」

 

 カミーラが衰弱していく。フカタキは何もしなかった。ここでカミーラの延命のために私設兵を犠牲にしても意味がない。ついにその心臓が止まった。能力が発動する。

 

「総員、戦闘態勢!」

 

 巨大な猫の念獣が守護霊獣へと飛びかかった。それに続き、私設兵たちが援護に入る。そこから先は、壮絶な死闘だった。

 

 崩壊した壺中卵の儀により暴走した守護霊獣は宿主を殺すまで止まることはない。カミーラは確かに死んだ。だが、まだ終わりではない。『百万回生きた猫』を完全に破壊しきるまで彼女の命は死後も消滅しない。

 

 双方が、どちらも死後強まる念によって強化された念獣である。その戦いの余波に巻き込まれ、私設兵たちは死んでいった。フカタキも含め、室内にいた全員が死亡する。

 

 だが、人間の力は微力ではあれど援護には意味があった。猫が互角の戦いを制する。ボロボロにされながらも勝利し、うごめく房の塊を手中に収める。

 

『ねる! ねるネるねるねルネるねるねるねるネルねるねル……』

 

 凝縮された命のソースが、とめどなくカミーラの口へと運ばれた。

 

 

 * * *

 

 

 PM8;22。

 

 1003号室にて、読書をしていたチョウライは一枚の硬貨が床に落ちた音を聞く。それが守護霊獣の仕業であることは知っていたが、続いて濁流のように襲い掛かる硬貨の雨までは予想できなかった。

 

「なにっ!?」

 

 真っ先に行動を取ったのは第1王子私設兵のコベントパだ。チョウライの守護霊獣からの攻撃を確認。大量に降り積もる硬貨の勢いから、脱出路の確保を優先した。出入り口の扉へと直行する。

 

 しかし、既に隣の部屋でも硬貨の雨が発生していた。扉は開かない。『硬』により数発の拳を叩き込み、ドアや壁を破壊して脱出する。

 

「外が安全か確認してきます!」

 

「ま、待てっ!」

 

 チョウライが引き留めるが無情にも置き去りにされる。第1王子私設兵は護衛の名目で派遣されているが、実際は監視要員だ。他の王子周辺の情報収集と、隙あらば暗殺を狙う身中の虫。助けてくれるわけがない。

 

 既に硬貨の水深は首元にまで達している。このままの勢いが続けばすぐに天井まで埋まるだろう。それでもなお増え続けるようであれば圧死は確実。生身の人間ではとても堪えられない。身動きは全く取れず、他の取り残された護衛たちも当てにならない。

 

「こ、こんなところで死ねるものか! 私こそが次代の王……! カキンをさらなる繁栄へと導く指導者なり!」 

 

 チョウライはコベントパが出て行った穴に向けて手を伸ばそうとする。その願いが通じたのか。穴の向こうに人影が見えた気がした。必死に助けを求める。現実的にそれが可能か否かを考える余裕すらなかった。

 

 次の瞬間、チョウライは部屋の外にいた。

 

「はあっ、え、な、た、助かった、のか!?」

 

 何が起きたのか全くわからなかったが、硬貨の海に埋まりつつあった部屋の中から一瞬にして移動していた。見れば近くに男が一人立っている。チョウライが先ほど助けを求めた人物に違いない。

 

 念能力者なのだろう。何らかの念を使って、チョウライを移動させたのだ。目の前にはコベントパが開けた壁の穴がある。その穴の先では今も硬貨の雨が続いていた。

 

「危ないところだった……礼を言わせてくれ」

 

「別にいいさ。ただの気まぐれだ」

 

「それにしても一体何が起きたのだ。あれは私の守護霊獣の力のはず……なぜ私を巻き込もうとする!?」

 

「寄生型なら、まあ、そういうこともある」

 

 少し冷静になって考えてみると、その男は不審だった。額に十字のタトゥーを入れた、黒いコートの男だ。どこかの王子の私設兵や王妃の所属兵には見えない。

 

 ハンター協会員だろうかと思ったが、その予想はすぐに否定した。ここから少し離れた廊下の先に血を流した死体が一つ転がっている。コベントパだ。誰に殺されたのか、状況から見れば容疑者は一人。

 

 ぞっとするような目をしていた。チョウライは高貴な身分を持つがアンダーグラウンドの人間とも付き合いは深い。おそらくその類である。命の恩人だが、あまり関わり合いにならない方がいいかもしれないと思う。

 

 男の視線は終始、硬貨の降りしきる部屋の中へと向けられていた。チョウライには見向きもしてない。その視線の先に異変の原因たる怪物が現れる。

 

 燃え盛る炎を纏う、巨大な車輪だ。十字があしらわれた幾何学的な文様と形状は、生物というより機械を思わせる。その中央にある単純化された顔はチョウライを見ていた。それに正や負の感情はなく、ただ宿主を機械的に殺すことを目的としていた。

 

「ひいいいっ!?」

 

 男はコートから一冊の本を取り出す。

 

「面白い念獣だ。オレがもらってもいいか?」

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1004号室にて、ツェリードニヒはテータ監督のもと念の修行をしていた。瞑想鍛錬を兼ねた絶を中心的に訓練しているが、これは明日決行する予定の“ツェリードニヒ暗殺”に向けたテータの布石である。

 

 この男は危険すぎる。これまでツェリードニヒに忠義を尽くしてきたテータだったが、その過去を振り切ってでも暗殺を決意する。これ以上、彼が念を習熟してしまえば恐ろしいことになる。暗殺した後、自分も死ぬつもりだった。

 

「……」

 

 ツェリードニヒは静かに目を閉じたまま、自然体で立っていた。その状態から動かない。最初は動揺を誘うためにテータがちょっかいをかけていたが、今では全く動じることなく絶を継続できるようになっている。たとえテータが目の前で銃口を向けたとしても。計画は順調だった。

 

 何もせずただじっとしているだけ、という時間は人間にとって辛い。暇に感じ、早く別の修行に移りたいという気持ちもあったが、そういう雑念が最も絶を妨げる要因となる。というわけで、無心になる感覚は既に習得した。

 

 ツェリードニヒは次の段階に進んでいた。肉体は絶の状態を保ったまま、精神だけを切り離す。テータに言われてしていることではない。自分の思い付きだった。そして彼の極まった念の才能は、その思い付きを実現してしまう。

 

 彼の脳裏にノイズが走る。まるで幽体離脱をしているかのように自室の映像が現れた。絶をしている自分と、それを見つめているテータがいる。肉体の目は閉じているはずなので、現実にこの映像を見ているわけではないし、そもそも視点が異なる。

 

(オレの妄想か? だが、念の可能性を考えると一概にそうとも言い切れないな)

 

 よくわからなかったが、面白いので観察を続けることにした。すると、いきなり化け物が出現した。馬と人間の女を掛け合わせたような見た目をしている。

 

(うわ、キメェ……なにこの、なに?)

 

 テータも化け物の存在に気づく。少し驚いて何かを考えている様子だが、戦闘態勢には入らなかった。ますますわからない。その怪物の首が伸びる。顎が裂けるように開き、無防備なツェリードニヒの頭を食いちぎった。

 

(ヤベェ! 避けろオレ!)

 

「ハッ!?」

 

 目を見開き、絶が解ける。ドッと汗が噴き出し、心臓が動悸する。まるで現実のような悪夢だった。夢には違いないのだろう。現に自分は無事だ。

 

 ツェリードニヒはしきりに周囲を見回していた。テータはその様子をじっと見つめている。

 

「……」

 

 彼女の指示に反して絶を解いてしまったが特に何の反応もしていない。いつもなら小言の一つは言ってくるはずだ。ツェリードニヒは違和感を募らせる。

 

「テータちゃん聞きたいことがあんだけど」

 

 先ほどの現象について意見を求めようとしたツェリードニヒの目にデジャブが映った。視線の先に、化け物がいた。

 

「うおおお!?」

 

 反射的に回避行動を取る。その直後、化け物の首がツェリードニヒ目掛けて射出された。空を切り、壁に穴を開けて突っ込む。デジャブがなければ避け切れなかっただろう。

 

「王子!? 大丈夫ですか!?」

 

「反応おっせぇよ!?」

 

 ようやくテータが動く。いつもの彼女であれば考えられない反応の鈍さだった。

 

「これは、守護霊獣が暴走している……!?」

 

 どういうことだと問いただす時間はなかった。壁から首を引き抜いた化け物がツェリードニヒに向き直る。もう一度同じ攻撃が来れば、避け切れる自信はない。いくら才能があっても念を覚えてたかが数日でこなせる戦闘のレベルではない。

 

 ここは念能力者として経験を積んでいるテータに任せるべきだ。その間にツェリードニヒは安全な場所へ逃げればいい。時間を稼げば増援も来る。誰が見てもそう判断すべき状況だろう。

 

 しかし、テータは動かなかった。守護霊獣は明らかにツェリードニヒを狙っている。理由はわからないが、暗殺のチャンスだ。見殺しにするだけで彼女の目的は達成される。その後、念獣に殺されたとしても彼女は別に構わない。

 

 彼女の足が止まる。その反応を見たツェリードニヒは即座にテータの裏切りを理解した。

 

(テータちゃんさぁ……)

 

 初動の遅れについてはミスで済ませていいかもしれないが、今の挙動は明らかに故意だった。テータはツェリードニヒを見捨てた。女の裏切りほど腹の立つことはない。だが、今は後回しだ。

 

 生まれて初めて念を知り、彼は大きな関心を持った。爆発的に成長する。そして今、彼は生まれて初めて命の危機を感じている。死に迫ることで念はさらに成長する。

 

 持てる全ての力を発揮しなければならない敵を相手にして、ツェリードニヒが取った行動とは『絶』だった。次の瞬間には死ぬかもしれない極限の窮地にも関わらず、彼は完璧な絶を遂行した。再び、彼の脳裏にノイズが走り映像が流れる。

 

(やはり、これがオレの“発”!)

 

 絶をすることで発動し、少し先の未来を見ることができる能力。体感にして10秒ほどだろうか。現実では一瞬のことだが、ツェリードニヒの中では10秒の時間が経過している。

 

 ただ、いくら未来が見えたからと言って、敵の攻撃に対してツェリードニヒが何もできなければ意味がない。しかも予知をしている時の彼は絶状態で眼を閉じていなければならない。

 

 最大で10秒の猶予は生まれるが、それは絶に入るまでの行程を極めてスムーズにこなし、かつ一瞬で未来の戦況を把握することを前提とした時間だ。実際にツェリードニヒが未来を見てから行動に移るまでの時間はもっと短くなる。

 

 念獣と思われる馬の化け物の戦闘力を見れば、数秒程度のアドバンテージを得たところでツェリードニヒに勝てる相手ではなかった。銃すら所持していない今の装備ではまともに攻撃することもできない。

 

 考えているうちにも主観時間の10秒が無為に過ぎていく。念獣の攻撃が迫る。とにかく何とか避けるしかない。そう思った彼の目の前に突然、二体目の化け物が出現した。

 

(新手の敵!? 嘘だろ!?)

 

 それは球根のような頭をした巨躯の怪人だった。背中から羽のように根が広がり、下半身は養分を蓄えた地下茎のようにこぶだらけだ。その禍々しさ、絶望するしかない。二体の敵を同時に相手取れというのか。

 

 だが、その怪人は思わぬ動きを見せた。まるでツェリードニヒを守るかのように、飛んでくる馬の首を受け止める。そこで『刹那の10秒』が終わった。眼を見開き、未来視の能力が解除される。ツェリードニヒからすれば数秒時間が巻き戻った状態だ。

 

 予知の通り、馬の化け物がその伸縮する首をフレイルのように振り回した。広範囲に及ぶ回避困難な攻撃。それをツェリードニヒの隣に現れた植物怪人がガードする。

 

(こいつ味方か! あ、もしかしてこれがオレの守護霊獣ってヤツか……? てか、いたんならもっと早く出ろウスノロが!)

 

 ツェリードニヒは壺中卵の儀によって得た自分の念獣だと解釈するが、実際には誤りだ。彼自身が無意識に作り出した念獣である。

 

 念獣によって薙ぎ払いの直撃は免れたものの、勢いを完全には殺しきれない。ツェリードニヒは自身の念獣もろとも弾き飛ばされる。

 

(しかも弱っ! 力負けしてやがる!)

 

 本来なら念獣というものは多数の系統を同時に制御しなければ発動できない非常に高度な能力だ。無意識にポンと生み出せるものではない。それも即席で作り出されながら死後強まる念によって強化された守護霊獣の攻撃に堪えている。ひとえにツェリードニヒの才能だった。

 

 そして本人は絶をしているにもかかわらず、彼が新たに得た念獣は問題なく発動できていた。ツェリードニヒはそういうものだと最初から思っているが、絶とは体外へ向かうオーラを絶った状態であり、念能力の行使に大きく制限がかかるものだ。その点も異例である。

 

(こいつオレの意思とは関係なく動くのか。オレが絶ってる間も勝手に動くみたいだし、それなら使い道はある。とりあえずお前の名前は『ゴミ』だ)

 

 ツェリードニヒは『刹那の10秒』を発動する。念獣の助けが入ったことで絶に専念する精神的余裕が生まれた。敵との力の差はまだ埋まっていないが、格段に戦いやすくなっている。

 

 その過程で『刹那の10秒』の効果についても新たに検証できた。未来視ができる時間は10秒間だけだと思っていたが、別にそんなことはなかった。目を閉じたまま絶を続けている限り、常に10秒先の未来を見続けることができる。

 

 最初の10秒だけツェリードニヒの中で感じ取る時間が先行し、それ以降は現実の時間と同時進行する。彼と他の全ての生物とでは、時間を感じ取る感覚の精度が異なっているのだ。

 

 現実時間にタイムラグが生じているような状態だった。そして、ツェリードニヒ以外、誰もこのラグの存在を認識できない。

 

 ツェリードニヒが目を開けて能力を解除すると未来を見続けることはできなくなり、肉体が現実時間に引き戻されるが、このラグはなくならない。自分だけが他の生物の感じている時間を無視した行動を取れる。

 

 例えるなら、ネットゲームだ。回線の速さの違うネット環境同士で対戦ゲームをするようなもの。当然、より速く情報を送受信できる方が有利である。回線が遅いと、画面上では敵が止まっているように見えるのに、実際には動いているのでやられてしまう。

 

(オレだけが他人よりも先よりに『未来』という情報を知り、『現在』に戻って変えることができる! 低能な豚屑どもはオレが改変する以前の腐ってカビが生えた『現在』しか見ることができない!)

 

 ツェリードニヒは能力を使いこなし、敵の攻撃を回避していく。そこへ別室にいた他の護衛たちがようやく駆けつけた。王子が念の修行をするので多少大きな音がしても入ってこないようにとテータが言いつけていたせいだ。

 

「こ、これは何事だ!?」

 

「テータ! 何があった!?」

 

 私設兵のサルコフが確認する。その戦闘光景はあまりにも現実離れしていた。おぞましい気配を放つ二体の巨獣が激闘している。ツェリードニヒはそのただ中にいるにも関わらず、静かに目を閉じオーラを絶っていた。

 

「わからない……あれは何なの……?」

 

 テータはひどく憔悴していた。その視線は念獣ではなく、ツェリードニヒに向けられている。

 

 馬の念獣がツェリードニヒ目掛けて突進した。怪人の念獣が止めようとするが撥ね飛ばされる。ツェリードニヒはあっけなく轢き殺されたかに見えた。

 

 だが、彼らが見ているその『現在』は既に古い遅延した情報だ。ツェリードニヒの時間認識には何者も追いつけない。瞬間移動とか、残像とか、幻覚と言った次元の話ではない。存在の在り方そのものが人間の域から外れている。

 

 しかし、傍からすれば余裕に見えても、実はかなり追い詰められていた。未来がわかるからと言って、その改変のために使える時間は数秒しかない。その間も敵が攻撃の手を緩めることはなく、一歩間違えば死んでもおかしくない場面は何度もあった。

 

(この守護霊獣(ゴミ)もただ正面から殴りかかるだけだし……脳筋かよ。オレが集中的に狙われてなかったらとっくに死んでるぞ? 特殊能力とかないの? 完全にビジュアル負けじゃん……)

 

 寄生型念獣は宿主の人格に強い影響を受けて育まれるものらしい。自分からこんなアホみたいな念獣が生まれたことにツェリードニヒは納得できなかった。

 

(なんでこんなゴミばっかオレの周りに集まってんの?)

 

 ツェリードニヒは茫然としている護衛たちを見て呆れかえる。

 

(こいつらオレの護衛だろ? なに突っ立ってんだよ。少しは役に立とうとしろよ。ホンット使えねぇ)

 

 ツェリードニヒには政治的手腕もある。優秀な人材を抱え込むためなら金は惜しまなかった。報酬面では好待遇を与えていた。しかし結局、彼の近くにいるほどその内面が透けて見えてしまう。その内面を知った上で近づいてくるのは下衆ばかりだ。

 

 唯一、テータだけが高い能力とまともな人格を持ちながらツェリードニヒに忠誠を誓っていた。だからこそ彼はテータを重用し、特別目をかけていた。信頼のおける数少ない臣下だ。だが、裏切られる。彼はテータの本性を見抜けなかったことになる。

 

(どういうことだよオイ……)

 

 度重なる能力の行使により、彼のオーラは底を尽き始めていた。念獣を具現化しながら未来の改変という異常な能力を使い続けているのだ。そのオーラの消費量は膨大だった。このままでは枯渇する。『刹那の10秒』がなければすぐにでも殺されてしまうだろう。

 

 だが、ツェリードニヒは気にしていなかった。その心中に溶岩のように煮えたぎる怒りが湧き起こる。それに反応するかのごとく、彼の念獣が変化し始めた。

 

 念獣とは通常、特殊な能力を兼ね備えているものだ。しかし、彼の念獣は急造だった。命の危険が迫っていたために即戦力として形だけは作られたが、能力は未分化。その役割が与えられようとしていた。

 

 根が翼を広げるように大きく伸びていく。足からも同様に張り巡らされ、部屋全体を覆い尽くそうとする勢いだった。馬の念獣を絡めとる。引きちぎられるが、絶え間なく成長を続ける根がまとわりつく。

 

 ツェリードニヒは念の存在を知ってからわずか半日で凝を覚えた。洗礼による精孔の強制解放もされず、ただ教えられただけで使えるようになった。普通ならあり得ない。その習得速度の秘密は、彼の時間感覚にあった。

 

 超越的な速度で彼の念は成長する。念獣の根に絡めとられた馬の化け物は養分を吸い取られていく。死後強まる念を吸収し、己の力に変えていく。これまで彼が培ってきた人生の時間全てが圧縮され、行き場を失い、そして未来へと押し出される。

 

 そして彼のフラストレーションは昇華された。球根だった念獣の頭は花開く。美しい手足が無数の花弁のごとく活けられ、その輪の中に守られるように、苦悶の表情に満ちた生首が詰め込まれていた。それはかつて彼が芸術作品とした女たちの首だった。

 

「いいね、ようやくオレ好みになってきた。お前の名前は今から……『使えるゴミ』だ」

 

 ツェリードニヒは勝利する。ベンジャミンやカミーラのように、死後強まる念獣を自身の力として取り込む方法に至る。これは偶然の一致ではなかった。

 

 他者を食らい、その力を得るが蟲毒の法。壺中卵の儀が崩壊しようと、その本質は失われていない。脈々と受け継がれたその血統にこそ刻み込まれた宿命だった。

 

「悪かった、テータ。オレはお前を理解していなかった」

 

 ツェリードニヒが謝る。これまでに一度として彼から謝罪の言葉を聞いたことはなかった。テータは何も答えを返せない。彼女に限らず、護衛全員が絶句するしかない。この魔界のような空間に、自分たちがいることが不自然でしかない。

 

「ようやくオレは気づくことができた。この世には、ゴミしかいない。オレを除いてな」

 

 もちろん、彼が自分の非を認めることはなかった。

 

「ゴミに何かを期待してはいけなかった」

 

『警告スル。警告スル。警告スル』

 

 ツェリードニヒの念獣は守護霊獣の力を吸収している。馬の化け物もその一部とされていた。その頭部が言葉を発しながらテータたちのもとへと詰め寄ってくる。逃げ道を絶つように、生い茂る根によって部屋の扉が締め切られた。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1005号室にて、無味無臭の毒ガスが発生。異変に気づいた時、室内にいるほぼ全員が全身麻痺により身動きの取れない状態だった。やがて意識を失い、死に至る。

 

(クラピカ……あなたが……必要……)

 

 第5王子ツベッパ=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1006号室にて、明日の晩餐会に向けて私設兵によるアカペラ合唱のリハーサルが行われていた。その最中、メダマジャクシの母体がタイソンに襲いかかり、排出口に頭部を取り込まれ窒息する。

 

「ガボボボッボハァ!」

 

「王子ィィィ!?」

 

 第6王子タイソン=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1007号室にて、ハーブをキメていたルズールスは何かを思い立ったかのように調理を開始。

 

「チャーハン作るぜぇ!」

 

 お手製のチャーハンを部下に振舞うが、隠し味に大量のドラッグが使用されていた。幸い、バショウがこれに気づき食事会は中止されたが、ルズールスは味見をしていたので手遅れだった。

 

 第7王子ルズールス=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1009号室にて、ハルケンブルグは床にねじ伏せられていた。いつもは彼の肩にとまっているはずの守護霊獣が主に牙を剥く。一つ目の鬼のような念獣の姿がハルケンブルグにも見えていた。

 

「すぐに助けます!」

 

「ダメだ! 1014号室に電話がつながらない! どうしてこんな時に限って……!」

 

 私設兵たちが手を尽くして救助に当たる。しかし、念の素人である彼らにはどうすることもできなかった。

 

「いいんだ。これでいい……これが私の受けるべき報いなのだろう」

 

 ハルケンブルグは死期を悟る。いつ殺されてもおかしくない状況にありながら、その声は非常に落ち着いていた。

 

 彼は最初から継承戦への参加を望んでいなかった。兄弟姉妹たちと決して良好な家族関係を築いているわけではないが、殺し合うつもりは毛頭なかった。だが、状況は否応なく彼を戦いへと巻き込んでいく。

 

 王は民を蔑ろにしている。この船を20万人の贄積む箱舟と称し、狂気の儀式を敢行した。ついに彼は我慢の限界を越え、国王へ継承戦の中止を求めて強硬手段を取った。

 

 従わなければ殺害も辞さない覚悟で臨んだが、守護霊獣に守られた王に銃弾は効かず、自死しようと発砲した弾までも自分の霊獣によって防がれてしまう。

 

 思えばその時、死んでいたはずの命だ。結局彼は王にそそのかされ、犠牲を増やさないためと理由をつけて戦うことを決意する。人が人を殺していい理由など、あるはずがないというのに。

 

 第1王子から派遣されていた私設兵の一人を殺したのが今日の出来事だ。正確には霊獣の力によって、部下の命を念弾に変え、意識を奪い上書きする能力。その死者への冒涜は、ただ殺すよりもよほど残酷と言える。

 

 どれだけ清廉潔白を気取ろうともハルケンブルグにはホイコーロの血が流れている。その本能に駆られ、取り返しのつかない罪を犯してしまった。もはや彼に正義を語る資格はない。命をもって償う時が来たのだと悟った。

 

「私は行く。だが、私たちの夢はここで終わりではない」

 

 王政廃止に向けて立ち上げた反体制派組織はハルケンブルグの死によって旗頭を失うだろう。だが、その基盤はなくならない。民は待ち望み続けている。そのために今日まで奔走してきた。

 

「我が国に自由を」

 

 部下たちは引き留めたかった。死んではならないと、あなたの代わりはいないのだと言いたかった。だが、そんな言葉をハルケンブルグが望んでいないこともわかっていた。

 

「はい……! 必ずッ! 私たちが成し遂げてみせますッ!」

 

 別れは唐突に訪れ、過ぎ去った。誰もが涙を流し、敬愛する主君の手をいつまでも握りしめていた。

 

 第9王子ハルケンブルグ=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1011号室の寝室にフウゲツはいた。まだ寝るような時間ではないが、護衛に干渉されることに慣れず、ここへ逃げ込むことが多かった。ここにいれば多少のプライベートは許してもらえる。特に継承戦が激化してからは警護も厳重になり、息がつまるような毎日だった。

 

 だが、憂鬱な気分に浸ってばかりもいられない。明日はいよいよ晩餐会。演奏プログラムのトリを務める大役を任せられている。そして、それ以上の大勝負が待っている。センリツとキーニ、二人のハンター協会員の協力を得てこの船から脱出するのだ。

 

 クリアすべき課題は多い。センリツの能力がどこまで通用するのか、追手がかかった場合の対処、無事に船から脱出できたとしてもハンター協会が手配してくれる救助船と合流するまで安全とは言えない。それまで救難ポッドで未開海域を漂わなければならない。

 

 緊張のあまり、明日の演奏会で使う予定の衣装をもう着ていた。カチョウとおそろいで気に入っているという理由もあるが気が早すぎる。

 

(大丈夫、カーちんがいれば平気だよ)

 

 カチョウとのわだかまりが解けた今ならどんな困難だって乗り越えられる気がしていた。カチョウのことを考えれば不安な気持ちも落ち着いていく。そんな時のことだった。ベッドのすぐ横の壁に魔法の扉が現れる。

 

(えっ、なんで? 今日はもう使えないはずなのに)

 

 その守護霊獣『魔法の抜け道(マジックワーム)』は、フウゲツが望む場所へとつながる道を作る能力を持つ。その使用限度は一日一回。能力の検証のため、今日の分は既に使ってしまったはずだった。

 

 しかし、使用限度が増える分には問題ない。特に行先を指定せずに能力を発動した場合、扉の先はカチョウのいる場所へとつながる。現れた扉を前にして、フウゲツはカチョウのところに行くか悩んだ。

 

(カーちんからは、怪しまれないためにも不用意に会いに来ないように言われてるけど……)

 

 能力が2回使えるようになったのであれば今後の作戦でも活用できる機会が増える。カチョウやその護衛であるセンリツ、キーニと情報を共有するためにも会いにいくべきだろう。フウゲツはいそいそとマジックワームの中へ入っていくのだった。

 

 第11王子フウゲツ=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:23。

 

 1010号室の寝室にカチョウはいた。緊張のあまり居ても立っていられず、明日の晩餐会で使う予定の衣装に袖を通していると、そこに『魔法の抜け道』の扉が出現する。

 

(ちょ、まっ、今着替えてるから!)

 

 扉からフウゲツが出てくる。慌てふためいていたカチョウだったが、様子がおかしいことに気づいた。フウゲツはどこか無表情だ。

 

(……何かあった?)

 

 心配になったカチョウはフウゲツに近づいた。その首に手が添えられる。ぎりぎりと締め上げられる。

 

「あっ……!?」

 

 凄まじい力だった。本気で殺そうとしてることがわかる。だが、なぜこんなことになっているのかカチョウにはわからない。思い当たる節はない。

 

 いや、そう思い込んでいるだけかもしれない。フウゲツがカチョウを襲う理由はあった。彼女たちは継承戦における敵同士。カチョウはわざと妹に暴言を吐き、遠ざけていた。そうすることでフウゲツを守ろうとした。

 

 結局、その作戦はうまくいかず仲直りした。だが、そう思っているのはカチョウだけだったのではないか。本当は許されていなかった。

 

 これまでフウゲツがどんな辛い思いをしていたのか、カチョウは理解していなかった。悪意を向けられて初めてわかる。じくじくと痛む心に比べれば、首を絞められる苦しみなんて大したことはない。

 

(ごめん……ごめんね、フーちん……)

 

 このとき護衛のセンリツは仮眠を取っていた。交代で見張りに当たっていたキーニが異変に気づき、駆けつける。発見されたカチョウの頚椎はへし折られていた。

 

 第10王子カチョウ=ホイコーロ、死亡。

 

 

 * * *

 

 

 PM8:22。

 

 1013号室は静かだった。異変はここと重なる念空間で起きている。

 

「クソ! どうにか助けられねぇのかよ、ビスケ!」

 

「できるならとっくにやってるわさ!」

 

 マラヤームの守護霊獣は念空間を作り出す能力を持つ。1013号室の『裏側』とも言える別空間にマラヤームは保護されているはずだった。

 

 ドラゴンのようなその守護霊獣が『表側』からこちらに入ってきたのが先ほどのことだ。突然、守るべき対象であるはずのマラヤームを触手のような器官で縛り上げた。

 

 護衛たちが救出に当たったが、敵はこの空間を自由に操る。攻撃は全て『表側』へ飛ばされてしまい、守護霊獣にかすりもしない。『表側』に出てしまったものは二度と『裏側』へは戻れない。護衛の人間も何人か飛ばされていた。連絡はできるが移動はできない。

 

 そして現在、この『裏側』の念空間は消滅しようとしていた。解除ではなく消滅だ。空間が端の方から粒子状に砕けながら分解され始めている。このままここに居続ければ巻き込まれて死ぬとわかった。

 

 脱出することは簡単だ。ドラゴンに向かって突っ込めばいい。そうすれば『表側』に飛ばしてもらえる。だが、それではマラヤームを助けられない。

 

「守護霊獣なんだろ!? 何か理由があって主を守るために行動してるんじゃ……」

 

「あいつの殺気を見ればわかるでしょ!? あたしたちのことなんて眼中にない。間違いなくマラヤームの命を狙ってる!」

 

 ハンゾーとビスケは何もできずにいた。その近くではセヴァンチ王妃が固唾を飲んで見守っている。その様子を見ていたマラヤームは首を横に振った。幼い子供がパニックを起こすこともなく、じっとしている。

 

 姉のモモゼの死を察し、せめて自分の目の届くところまでは安全な場所であってほしいと思う気持ちがこの空間を作り出した。それは自分の身を守りたいがためだけではない。

 

『もういいよ、ママ』

 

 彼は籠の中の小さな動物のように生きてきた。自分が王族という名の目に見えない檻の中に捕らえられていることを知っていた。この霊獣の能力も、そんな彼の人間性を体現したものだ。

 

 彼は昔、飼っていたハムスターを不憫に思ったことがある。ペットとして飼いならされるその境遇に自分を重ねたのかもしれない。ケージから出して逃がしたことがあった。しかし、そのハムスターは死んでしまった。人に飼われることを望まれて生まれた彼らは、檻の外では生きられないのだ。

 

 しかし、野に放たれてこそ輝く命もある。鳥たちが羽ばたく空にも、木々が緑の葉を広げる森にも、青き輝きを讃える海にも。自然は強かに生きる者たちで溢れている。ゆえに世界は美しい。彼はその光景を、檻越しに眺めるだけで十分に満たされていた。

 

『ビスケ、みんなを連れて逃げて。ハムラスカのことも忘れずにね』

 

 空間の崩壊はすぐそこまで迫っていた。セヴァンチは泣き叫ぶ。

 

「嫌よ! 置いていけるわけがないでしょう! ママもここに残るわ……最後までずっと一緒にいるから……!」

 

 愛する我が子を見捨てることはできない。たとえ道連れになろうともその傍にいてやりたいという親心をどうして否定できようか。どちらが正解という答えはない。だが、ハンゾーは歯を食いしばってセヴァンチを抱え上げた。

 

「放して! 私はここに……」

 

「ばかやろう! 男の覚悟を汲んでやれッ!」

 

 ハンゾーはセヴァンチを抱え、守護霊獣へと突き進む。残されたビスケはハムスターが飼われているケージを持って佇む。せめてこの小さな英雄に恥じないようにと、笑顔で別れを告げる。

 

『ばいばい、ビスケ』

 

「ええ、マラヤーム」

 

 檻の扉は開け放たれた。

 

 第13王子マラヤーム=ホイコーロ、死亡。

 

 

 

 

 






『刹那の10秒』ラグ説は思いついたとき、うおおおおこれだああああと思いましたが検索したら既に同じ考察がありました orz
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