カーマインアームズ   作:放出系能力者

14 / 130
14話

 

「よぉ、あたしはチェル=ハース。これから一緒に調査するんでよろしく。あ、服持ってきたんだけど、いる?」

 

 こちらの提案は受け入れられた。ついに人間の調査隊『クアンタム』との共同調査が行われるのだが、その前に。

 

 隊員の一人が着る物を差しいれてくれた。男なのか女なのか一見して判別がつかなかったので尋ねたところ、女性らしい。そのとき表情はにこやかだったが、一瞬剣呑な雰囲気を感じたのは気のせいだろうか。

 

 どうも人間の顔つきは見分けがつきにくくて困る。みんな似たり寄ったりで同じ顔のように見えてしまう。体格や髪の色、声質で判別した方がまだわかりやすい。

 

 そして服である。今まで全く頭が回らなかったが、私は全裸である。向こうもそのことに触れて来なかったので失念していた。生まれてこのかた衣服を身につけることのなかった私にとって、初めて手にする“人間らしい品”だった。

 

「ちょっと待った。向こうに体を洗う水を用意したから、まずはその泥を綺麗に落としてからな?」

 

 清潔な水が入ったポリタンク、大きなタライ、体を拭くタオルまで用意されていた。水は海水から抽出して作り出せるので気にせず使っていいと言われた。ちょっと親切すぎる気がする。いや、このくらいは普通の対応だろうか。

 

 何か裏があるような気がしてタライに張られた水に鼻を近づけてにおいを嗅ぐ。軽く舐めて味を確認していると、チェルに笑われた。何がおかしかったのか不明だが、水に異常はないようだ。

 

 恐る恐る体を洗っていると、チェルが後ろから手を伸ばしてきた。攻撃してくる気配ではなかったが、警戒して身をかわす。

 

「背中側、洗ってやるから。ほら、後ろ向いて」

 

「いい。自分でやる」

 

 一見して善意からの申し出に思えるが、相手は念能力者である。警戒するに越したことはない。

 

「遠慮すんなって」

 

 彼女は、なぜか頑なにこだわっている。しきりに手を出してくるので、ゆっくり体を洗うこともできない。ただ、にやにや笑っている表情は怪しいが、敵意は感じない。

 

 ここは一度、相手の出方をうかがうため誘いに乗ってみるか。何か能力を使う気なら、むしろこのタイミングで確認できることは好機だ。リターンの捜索中、戦闘などのどさくさにまぎれて使われるよりもいい。

 

 念能力には発動しても相手に気づかれず、対象に効果が憑依し続けるタイプのものがある。その場合、私は彼女に能力発動に気づけないが、問題はない。憑依した念は私の体にまとわりついた状態となるため、そこでアルメイザマシンを起動させればいい。

 

 憑依などの特殊な効果が持続する念能力は、設定された解除条件を満たさない限り無効化できないことが多い。しかし、これを強引に解除する手段もある。それは『除念』と呼ばれる念能力だ。相手の念能力を無効化する念能力であり、その使い手は除念師と呼ばれる。

 

 私はこの除念の効果を、アルメイザマシンの力で代用することが可能だと思っている。このウイルスは生命エネルギーを金属へと変える。憑依した念は、その能力者のオーラ(生命エネルギー)で形成されているため、これを全く別の物質、ウイルス体の結晶へと変換することで無効化できるのではないか。

 

 通常、『除念』は使用に際して大きな制限がかかる。除念師は無効化する能力の大きさに応じて、何らかの形で自分自身に負担を課す。それが除念に必要な制約であり、どんな能力でも無制限に“外せる”わけではない。自らの処理能力を越えた念を無効化することはできないのだ。

 

 しかし、アルメイザマシンならばその制約が無い。これは念能力ではないため、『制約』や『誓約』と言った概念に縛られない。さらに一度ウイルスによる侵食が始まれば憑依した念だけではなく、そのオーラの発信源をたどり、使い手までも取り殺す。どれだけ距離を取ろうとウイルスの追跡からは逃げられない。

 

 憑依系の念能力者にとって、このウイルスの相性は最悪だ。首輪をつけて優位になったつもりが、その手綱は導火線も同然。一瞬で犯人をあぶり出し、間髪いれず命をもって償わせる。

 

 一つ欠点があるとすれば、体内に仕込まれた念に関しては取り除くことが難しいことだ。やろうと思えばできないことはないが、その場合はクインの体内に結晶化した金属片ができてしまう。周囲の細胞が傷つくし、毒による汚染も考えられ、死亡する可能性が高い。

 

 だが、それでも構わない。クインは死ぬが、人間の敵意の有無を確認することができる。それがどのような理由であれ、こちらに無断で念による攻撃を仕掛けてくるようなら明確な宣戦布告と受け取る。友好的な対応を取る作戦は変更せざるを得ないだろう。

 

 いっそクインを『死んだ』ことにしてしまえば人間側の警戒も緩むかもしれない。そうすれば襲撃も多少なり楽になるだろう。

 

「……」

 

 チェルの手がクインの背中に迫る。今度は逃げない。洗うことに専念しているように装いつつ、神経を集中させ背後の気配を探る。何か異常があれば、トリガーを引く用意はできている。

 

 来るなら来い、アルメイザマシンで迎え撃つ。

 

 彼女の両手が私の腹部、両わき腹を挟みこむように添えられた。そして、攻撃が――

 

 ――来る!

 

 

 

「はぁーうっ!」

 

 

 まるで節足動物の脚のようにわしゃわしゃとうごめくチェルの指が、クインのわき腹をかき鳴らした。自分で自分の体に触っても何とも思わないのに、他人に触れられるとこうもくすぐったいものなのか。未知の感覚に震えが走る。

 

 壮絶なくすぐり攻撃に、たまらずチェルを突き飛ばした。つい力を入れて押し出してしまったが、彼女は綺麗に受け身を取って地面を転がった。

 

「だっはっはっは! なんだ今の声! おもしれー!」

 

 そのまま腹を抱えて笑い転げている。何がしたいんだこの人は……。

 

「怖くないの?」

 

 気がつけば、率直な疑問を口にしていた。

 

 念のため、アルメイザマシンの機能をオンにしたが、攻撃を受けた痕跡は見られなかった。ただくすぐるだけという何の意味もない行動を、なぜこの場で取れるのか。

 

 私が彼女の立場であれば絶対にしない。というか、できない。相手は能力も不明の念使いだ。私がチェルに対して向けている注意の何倍もの警戒心を持っても足りないくらいだろう。

 

 協力関係にあると言っても、何か少しの変化で容易く崩れ去ってしまうような均衡の上にあることを互いが理解しているはずだ。

 

 私は怖い。優位にあると思っている今の状況でさえ、警戒心は一向に緩まらない。未知の念能力者とはそれだけ危険な存在だ。だからこそ、彼女の心境を知っておきたかった。その余裕は一体どこから生まれてくるというのか。

 

「え? あー……怖いとか怖くないとか、もうそういう問題じゃないような気がするな」

 

 チェルはあぐらをかいて、少し考えるように視線をさまよわせる。

 

「まず、あたしたちは上から、あんたを監視するように命令されてるわけだが」

 

「それ言っていいの?」

 

「良いっつうか、気づいてるだろ? まあ、別にどっちでもいいんだけどさ。隠すほどのことでもない」

 

 だとしても、建前として黙っておくべきではないのか。ますますわけがわからない。

 

「その監視に加えて、リターンを船に持って帰るっていう任務もあるわけだ。そしてこの二つの任務、ぶっちゃけ今のクアンタムが抱えるには明らかにキャパオーバーな仕事だ。片方だけでもまともに達成できる自信はない」

 

 例えば、もし私が彼らに危害を加える目的で接近していたとして、実際に被害が発生する前にそれを食い止めることは難しいだろう。彼らからすれば、私はこの部隊に紛れ込んだ内在的な疾患に等しい。敵か味方かわからない者を抱え込んだまま、リターンの捜索という難事を乗り越えなければならない。

 

「さっき、あたしがくすぐろうとした時さ……もし、ここで不審な動きをすれば殺されると直感した」

 

「……」

 

「あー、別に殺気が漏れてたとかじゃないんだ。なんていうか、言葉にするのが難しいんだが……銃で撃たれるときの感覚に近いかな?」

 

 攻撃の意思には殺気が伴う。例えば念能力者同士が争ったとき、その当事者たちは互いの殺気を感じ取り、そこから敵の性格や実力、コンディションなど様々な情報を知りうる。

 

 だが、別に念能力者でなくても念能力者を殺すことはできる。ただの一般人でも武装すれば、何とか生身の能力者一人くらい殺すだけの力はある。

 

「個人的な意見だけど、やっぱオーラを直接ぶつけられるのと、そこらへんの兵卒に銃で撃たれるのとでは、込められた覚悟が違うんだ。照準を定めて引き金を引く。たったそれだけの動作で人は死ぬ。人を殺すだけの過程と、結果が釣り合っていない。だから“良い”んだろうけどさ」

 

 私がチェルに向けていた警戒心は、彼女にとって『銃で撃たれる』程度の些細な殺気でしかなかった。

 

「あるんだろ? 引き金を引くように容易く、あたしを殺せるだけの“何か”が」

 

 私は何も答えない。チェルは特に答えを急かすわけでもなく、不敵に笑っていた。そこまで気づいておきながらなぜ平静でいられる。なぜ無造作に近づいてくる。

 

「あ、怖いか怖くないかって話だっけ? そりゃ怖い」

 

 チェルはそう言いながら、クインの髪に手を伸ばしてくる。泥がこびりつき、固まった毛束をほぐすように洗っていく。

 

「けど、あんたが裏切ったときのことを気にしていられるほどの余裕はないんだ。一から十まで疑い始めたらきりがない。だったらもう信じるしかないじゃん?」

 

 それは私自身にも言えることだ。どんなに打算的な思考を重ねたところで完全に双方の利益を両立した取引は成立しない。ここでは契約を履行させる法も秩序も、まともに機能していない。

 

 無秩序ゆえに、双方が約束を守ることをどこかで信用しなければならない。何一つ、お互いを許容できないとすれば闘争以外の道はなくなる。疑うことはあっても、「ここからここまでは信じられる」という線引きは必要だ。

 

 私の中で、その境界線は実に曖昧なものだった。どこに信頼の線を引くのか。まるで雲をつかむように取りとめがない。読心術でもない限り、他人が考えていることなどわかるはずがない。何を基準に信じればいい。

 

 きっと彼女は、その線引きが明確なのだろう。だから臆することなく接してくる。それはまだ私が知り得ない人間の性なのかもしれない。

 

「もちろん、『だからあたしたちを信じろ!』なんて強制するつもりはないし、この話を信じるか信じないかはあんたの自由だ」

 

 何も言えなかった。疑念と信用の比率は揺れ動いている。現段階で答えを出すことはできそうにない。信じると、適当に相槌を打つこともできたが、何となく躊躇してしまった。

 

 ただ、彼女がクインを洗うことを拒絶はしなかった。警戒は解かなかったが、受け入れることにした。

 

 

 * * *

 

 

 渡された衣服は、軍の制服のようだ。着方についてはチェルに教えてもらった。この服は特殊部隊の共通装備であるらしく、隊員は皆同じものを着ている。

 

 伸縮性があり、ぴっちりと体にまとわりつくインナーはちょっと慣れない着心地だ。形状は全身タイツに近く、体中締めつけられる感じがしてぞわぞわする。脱ぎたかったが、高性能の特殊素材でできているらしい。

 

 通気性に優れつつ、空気が汚染された環境でも皮膚を保護してある程度活動できる特殊な繊維構造となっており、耐熱性・対刃性も高い。特に動きを阻害するようなものではないので、着慣れるのを待とう。

 

「ブラは……まあ、いいとして、パンツがないな……」

 

 問題ない。インナースーツは直履きで済ます。その上から長袖長ズボンの迷彩服を着て、体幹を守るボディーアーマーを身につける。こちらも薄く軽く柔軟性のある素材で、動きやすさを重視した作りになっている。

 

 特に靴がなかなか良かった。今まで足場の悪い場所を走るときは、足の裏をオーラで強化しなければ傷だらけになっていたが、その心配がない。足首やつま先の可動が少し制限されるので、そこは残念だが大きな支障が出るほどではない。

 

 とはいえ、これらの装備が重なると全裸のときと比べればさすがに動きにくいし、それなりの重量がある。いつも通りの動きとはいかなくなるかもしれないので注意が必要だ。その代わり、しっかりと衣服を『周』で強化すれば防御力は格段に上昇するものと思われる。

 

 ちなみに、よくクインの体に合うサイズの服があったものだと疑問に思ったが、これは特殊部隊のある隊員が使っていた予備の装備らしい。その隊員は成人男性らしいが、つまりクインと同じくらいの体格だったことになり、それはそれで少し気になる。

 

 その隊員はもう亡くなっているので、装備は譲り受ける形となった。そのため若干、サイズが大きくだぼついている。靴も少し大きいが靴ひもで縛れば問題ない程度だった。

 

 必需品が入ったリュックも支給された。食料や水などの物資がコンパクトにまとめられている。そしてフルフェイスタイプのガスマスクや酸素供給機まで入っていた。持ち物袋はリュックの中に入れておく。

 

 最後にヘルメットをかぶる。これで一式の装着完了だ。待たせていた特殊部隊の隊員たちと合流する。

 

「…………」

 

 全員、クインの方を見て固まっているのだが。チェルだけはなぜか得意げに胸を張っている。

 

「どうよ、この会心の出来栄え」

 

「なんでチェルさんが威張ってるんですか? いや、驚きましたが……」

 

「泥まみれの状態でも光る物を感じてはいたけど綺麗に汚れを落とすと違うね」

 

 なにやらひそひそと内輪話をしている。おそらくクインの容姿に関する話だと思うが、そんなにこの服が似合っていないのだろうか。

 

「いや、まあ、似合ってはないね。深窓の令嬢が軍特殊部隊の装備でガチガチに固めてる感じで違和感しかないわ。ていうか、そのツヤッツヤのキューティクルを保った美髪は何なの? そして肌白すぎない? エステにでも通ってるの? もしかしてさっきの泥? 暗黒大陸産の泥はパックに最適なの?」

 

 真剣な表情で矢継ぎ早に質問してくる。どうやらクインの肌が紫外線による損傷を受けていないことを不審に思っているようだ。野外で生活しているにも関わらず全く日に焼けていないのだから疑われても仕方がない。

 

 これは『デザインを変更できない』という『偶像崇拝』の制約による効果だが、それをそのまま説明するわけにもいかない。オーラによって肌の若さを保っていることにしておく。

 

「ちょっと、クインさんが困ってるじゃないですか。すみませんね、騒々しくて。でも、それだけかわいらしいお嬢さんだってことですよ。やはり女性がいると空気が華やぎますね」

 

「は? あたしがいるだろ?」

 

「チェルさんは男枠でしょビベブアッ!?」

 

 黒髪の青年が話していたところ、何を思ったのかチェルが青年の腹に拳を打ち込んだ。しっかりとオーラが込められた一撃だ。常人なら確実に内臓破裂している。

 

 その明らかに殺意が込められた攻撃に対し、青年は瞬時に反応していた。腹部に『凝』をすることでオーラを集め、守りを高めていた。それでもダメージを無しにはできなかったのか苦しそうに咳き込んでいる。

 

 念能力者同士による見事な攻防だったが、なぜこのタイミングで仲間割れを始めたのか理解できない。

 

「遊ぶのはそれくらいにしておけ」

 

 隊長の男が一喝し、場を取り仕切る。確か、名前はグラッグだったはずだ。隊長ということもあり常識的な性格をしているように見える。ただ、どこか挙動が怪しいところがあって素直に信用できない。

 

 歩き方がおかしい。曲がるときにかかとを軸にし、クルッとターンするのだ。まるで行進の動きである。そのほかにも関節が固定されているのではないかと思うほど不可解な動きをすることがある。

 

 あと一人、会話に加わってこないカトライという男も見るからに変だ。ガタガタと体を震わせ、こちらと目を合わせようとしない。いや、ある意味で正常な反応なのかもしれないが……

 

 この部隊にまともな人間はいないのか。

 

「まずはリターン捜索の件、協力を申し出てくれたことを感謝する。現地に暮らすあなたの知識や経験、そして力をどうか貸してもらいたい。ここにいる四名が特殊部隊クアンタムだ。これから共に捜索にあたる仲間として誠実に付き合っていきたいと思っている。改めて自己紹介をしておこうか」

 

 名前は覚えられてもすぐに顔と一致できる自信がないので、よく聞いて覚えておこう。

 

 

 * * *

 

 

 四名の特殊部隊と一人の少女、数奇な組み合わせとなった一行は順調に目的地へと進んでいた。夜になり、一日目の行程を終える。いかに残された時間が少ないといえども、夜間に強行することは危険だ。ましてこの場所は暗黒大陸である。

 

 極度の緊張状態が続く過酷な行軍である。体力的な面でも精神的な面でも、休息は不可欠だった。特に、索敵の要となるチェルは広大な円を常時展開しなければならないため、最も疲労が蓄積している。休ませなければ明日の行軍がままならない。

 

 チェルほどではないが、他の三人の隊員にしても疲労は色濃く表れていた。一度も敵と遭遇せず、順調に行程を消化できたというのにこの有様である。隊長のグラッグは木に背中を預けて立っていた。座りこめばそのまま気を抜いてしまいそうだった。

 

 その一方、この中で最年少となる少女はと言うと、疲れた様子を見せず平然としている。やせ我慢をしているわけではない。隊員たちにとって非日常、非現実の巣窟であるこの森も、少女にとっては日常だった。歩き慣れていることは一目見てわかる。

 

 始めは、本当にこんな女の子が探索について来られるのかと疑う気持ちもあった。そのくらい少女の容姿は華奢で頼りない。見た目は子供そのものである。

 

 しかし、この大陸の住人であるという前情報に偽りはなかったとグラッグたちは素直に感心していた。身のこなし、気配の消し方、研ぎ澄まされた感覚。その姿は野生の獣のごとく洗練されていた。人間社会という共同体の中で生きていては決して身につかない、生物本来の“生きる術”が少女の体には染みついている。

 

 だからこそ不自然でもあった。少女の体はあまりにも穢れがない。森を駆け回り、自然の中で生活を送っていたとすれば当然ついているはずの筋肉がない。擦り傷、切り傷、そう言った傷痕一つない白い肌を保っている。まるで、そうあれかしと定められたように美しい。

 

 肉体とそこに収められた力が釣り合っていないのだ。そのアンバランスさを強大なオーラによって強引にまとめている。本来なら修行によってオーラと肉体、心身の両面を鍛え上げ強さを生み出すところ、彼女の場合はオーラのみの強化に偏り過ぎていた。並みの念使いならまともな力は得られない。

 

 しかし、彼女は筋肉を鍛えずに一般の念能力者を遥かに上回る強化率を実現していた。莫大なオーラ潜在量と顕在量によるゴリ押しである。とんでもなく非効率的である上に、危険な力の使い方だった。高い出力に物を言わせて思うがままに発散すれば持て余した力によって肉体の方が壊れてしまう。

 

 そもそも、普通は自分の体を壊すほどの強化というものはできない。無意識的に働く脳のリミッターが出力を抑えている。『火事場の馬鹿力』のように一時的に解除されることもあるが、そうそう起こることではない。

 

 このリミッターを意図的に外す方法も、あることにはある。だが、どんな武術の流派でも大抵は禁忌に属する技だ。無理に力を引き出せば、必ず反動がくる。その習得には才能と血のにじむような長い鍛錬が必要である上、おいそれと使える技ではない。

 

 その技を少女は当たり前のように常用していた。どうやったらこんな念使いが育つのか。彼女の父親であり念を教えたであろうルアンは、いったいどんな指導を施したのか。グラッグは頭を悩ませていた。

 

 何らかの『発(特殊能力)』を使っている可能性が高かった。念能力者にとって生命線とも言える能力がこの発だ。教えてくれと言ったところで話すわけがないし、それを聞くことは重大なマナー違反である。場合によっては即座に敵対行動を取られてもおかしくないほどだ。

 

 だが、グラッグは少女から能力に関する情報を聞き出すことに成功していた。暗黒大陸という危険地帯の調査を行う上で、生存確率を少しでも上げるためには各人の能力を全員が把握しておいた方がいい。この場の五名全員が情報を共有し合う機会を作ったのだ。

 

 非常にプライベートな問題であるため能力を公開するか否かは少女の判断に任せた。公平を期すため先にクアンタムの隊員たちが能力を明かしている。その上で少女に何かを強制することはなかった。

 

 この対応を受け、少女は自らの能力について説明するに至る。特に隠すようなそぶりはみせなかった。最初から話す思惑があったようだ。

 

 彼女は特質系に属する能力者であるらしい。その能力は二つあった。そのうちの一つが、名を『偶像塑造(マッドドール)』という。これは肉体の回復機能を引き上げる能力らしいが、その効果が並み外れている。即死でなければ重傷でも治療でき、欠損した部分まで元通りに治せるという。

 

 回復能力が戦闘において非常に役立つものであることは確かだが、意外とこの発を作る能力者は少ない。発とは四大行の集大成であり、その者の本質を表す技である。使い手の根底にある資質が色濃く反映されるだけに、実は何でも好き勝手に作れるわけではない。

 

 回復とは敵から攻撃を受けることを前提とした特性であり、攻勢から一歩引いたところにある。精神的な強さが何よりも求められる念において、この“引き”をあえて能力化しようとすることは自らの弱さの肯定になりかねない。その力を扱うためには一般人の感覚とは異なる資質が必要となってくる。

 

 希有な能力であることに違いない。しかし、クインの場合はさらに特殊。肉体の回復は系統で言うと強化系の領分だが、それも自己治癒力を高める程度のものがほとんどである。欠損まで元通りにするほどの能力となれば、もはや回復ではなく再生の領域だ。ゆえに彼女が強化系ではなく、特質系に属していることは合点がいった。

 

 致命傷を受ければさすがに治せず、感染症や毒まで無効化できるわけではないようだが、十分以上に非常識なほど強力な発だ。それだけの能力を持っているからこそ暗黒大陸をこれまで生き抜いてこられたのだろう。

 

 彼女はそれ以上詳しいことは語らなかったが、その再生能力によって儚い容姿が保たれていると推測できた。筋肉がつかないことも制約の一つだと考えられる。だからオーラによる限界を超えるような肉体の酷使にも耐えうるのだと納得できた。

 

 そして、それだけではなく彼女はもう一つ能力を作っていた。それは右腕に取り付く大きな虫を操るというものである。こちらは名前をつけていないようだ。これは一般に『生物操作』というカテゴリに含まれる能力で、操作系の発である。

 

 特質系でありながら操作系の発を作っているが、これはそれほど珍しいことではない。六性図から見れば二つの系統は隣り合っており、相性は良い。効率を犠牲にしてでも別系統の能力を作ることはある。念は本人の思い入れの強さに応じて効果を発揮する面もあるため、一概にその選択が失敗だと断ずることはできない。

 

 操作系能力者のタイプは主に三つに大別される。『物質操作』、『生物操作』、『念獣』の三つだ。念獣使いの場合は放出系や具現化系との複合能力になるため扱いが難しい。

 

 それに比べれば生物操作はオーソドックスな能力と言える。その最大の利点はコストパフォーマンスだ。念獣のように一から十までオーラを使って形作った操作対象は、維持するだけで大きな消耗が生じる。その点、生物操作の対象物は実体を持った生き物であり、その動力源はもともと備わっている。少量のオーラで長時間の運用が可能である。術者の力量にもよるが一度に大量の対象を操ることも得意とする。

 

 生物操作の代表例と言えば『人間操作』だろう。他者の制御権を奪い操り人形のようにしてしまう。しかし、これは生物操作の中でも特に難易度が高い技であり、術者の才覚と厳しい使用制約が必要になる。敵を一瞬で無力化しうるだけに課される条件も相応に多い。

 

 一方で、人間のように複雑な思考を持つ生き物でなければ操れる難易度も比較的易しくなる。念能力は思い入れによる補正が大きく関わるので、どんな生物でも操れるわけではないが、例えば飼いならした動物を自在に操る『猛獣使い』なども多い。

 

 クイン=アルメイザのような場合は『虫使い』と呼ばれる。“昆虫のような小さな対象しか操れないので弱い”ということはない。特に、今回のケースでは操作の対象となっている虫が暗黒大陸原産であるという点が最大の問題だった。

 

 この虫について、クインと遭遇した当初から皆が疑問に思っていたことであったが、彼女の口から語られるまで詮索はしていなかった。能力に関係することかもしれず、不用意に聞くべきではないとの配慮だった。

 

 彼女は虫を操ることで、その牙に持つ毒を利用しているという。その毒の強さや効果について、具体的な言及はなかった。

 

 調査隊の面々は、説明をする彼女の態度に不可解な点を感じている。一つの目の能力である『偶像塑造』については、まるで用意していたかのように饒舌に語ってくれたが、二つ目の能力についてはおざなりだった。能力名すらつけられておらず、ついでと言わんばかりの簡潔な説明で済まされている。

 

 確かに彼女の特質系能力は非凡であり、それに比べれば虫の操作なんて取るに足らない能力――と、故意に話を誘導したいのではないかとも受け取れる。一つ目の能力が全くの嘘というわけではないだろうが、カモフラージュを狙っている部分もあるのだろう。

 

 その虫は彼女にとってとても大切な家族らしいが、そんな家族を操作系能力で無理やり縛りつけるという発想も違和感がある。さらに、誓約によって彼女は虫と離れることができないらしい。一定の距離以上離れると、自身が死亡するという重い誓約を課しているようだ。

 

 一つ目の能力についてはこれと言った制約や誓約がない(または明かしていない)のに、二つ目の能力は不自然なほど重い。これにより彼女を船に乗せるという判断は、この虫も一緒に連れていかなければならないことを意味する。

 

 この虫の詳細がわからない以上、警戒を解くことはできない。暗黒大陸に生息していた虫というだけで、その脅威は得体のしれないものがある。彼女が語る能力の内容についても精査する必要があった。

 

 そして、既に調べは進んでいる。彼女の発言に嘘が含まれていることをグラッグたちは見破っていた。カトライの能力である。何がどこまで嘘であるのかまではわからないが、真実を話していないことだけは確かだった。

 

 カトライの能力も万能ではない。意図的に隠していると言っても嘘をついていない以上、そこにつきまとう悪意は些細なものであり、検出の精度はかなり落ちた。もし彼女が悪びれもせず虚言を吐く根っからの嘘つきであったなら、カトライも手こずったことだろう。幸いにして彼女は正直者であり、その嘘は見破りやすかった。

 

 特に誓約については真っ赤な嘘。虫を船に連れ込むために作った口実だとすぐにわかった。また、あからさまな弱点をさらすことで、隊員たちの反応を様子見する意図があったのだろう。もし調査隊側の人間が彼女から虫を強引に引き離そうと行動を起こせば敵対意思あり、と判断するための材料にしているものと思われる。

 

 自分に有利な条件を引き出そうと策を弄する少女だが、それはお互い様だった。グラッグたちも全ての真実を明かしたわけではない。当然ながら、カトライの嘘発見能力については隠していた。

 

 彼女を味方として扱うか、敵として扱うか、調査団は最終的な決断を保留にしている。潜在的に敵となりうる存在を部隊の一員として取り入れた上で、リターンの調査という本来の任務も達成しなければならない。その心労はグラッグの肩に重くのしかかっていた。

 

 これが単に騙し騙されるだけの関係であったなら、もう少し気は楽だったかもしれない。クインという少女を明確な敵として仮定し、決然と処分を下す判断ができただろう。

 

 彼女をそう断定するには、あまりにも“人間的”過ぎた。

 

 ここまで敵と遭遇、交戦することなく予定地点までやって来られた理由は、クインの協力によるものが大きい。チェルの円、カトライの殺気察知、トクノスケの念獣偵察、幾重にも張り巡らせた索敵体勢をもってしても敵との接触が避けられなかった場面はこれまでにもあった。

 

 クインの野生の勘じみた索敵感覚にも目を見張るものがあったが、何と言っても役に立ったのが大型生物の行動域に関する知識である。混沌とした食物連鎖が織りなすこの森の生態系では、そこに生息する生物の縄張りを把握するだけでも困難を極める。絶えず入り乱れる潮流を読むかのように繊細で専門的な知識を要する。

 

 その知識は生きる上で自然に身についたのだろう。彼女はわずかな痕跡から危険生物の行動域を予測し、より安全な進行ルートを導き出すことができた。そしてその万金にも値する情報を惜しげもなく公開してくれた。

 

 食べられる植物に関する知識も深い。グラッグは道中で見かけた植物について、いくつか問答を重ねた。毒をもった植物やキノコについて貴重な情報を得る機会となった。

 

 食事の際は、支給された携帯食料の味がお気に召さなかったようだ。肉類が好きではないらしい。その代わり、嗜好品として糧食に付いていた硬いクッキーをボリボリむさぼって皆の笑いを買っていた。無表情だったがハムスターのように頬を膨らませていたので、おいしかったのだろう。

 

 自分から話をする性格ではなく淡々とした受け答えをするが、隊員たちに人類が暮らす大陸についての質問をすることが何度かあった。

 

 グラッグは『HUNTER×HUNTER』という漫画を知らないかと尋ねられた。彼は漫画について詳しくなかったので答えられなかったが、タイトルからしてハンターを題材とした作品ではないかと予想はつく。華々しい功績を残したハンターたちの活躍を描いた作品は多い。少女は、その漫画を読みたいと言っていた。

 

 なんのことはない、普通の子供なのだ。こんな場所で生まれず、不相応な力も得ず、人類の大陸で生を受けていたならば彼女は普通の人生を歩むことができたはずだ。この地獄から逃げのびて、人間として当たり前の生活を送りたいと望む気持ちは理解できた。

 

 その彼女の言葉に嘘はない。船に乗せてほしいという、ただそれだけのささやかな希望が、遠い。いっそ少女が心ない怪物で、調査団を利用し、人類を滅ぼそうと企んでいるのならばグラッグの悩みの種は一つ解消されていたことだろう。

 

 やりにくい相手だと思わざるを得なかった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。