カーマインアームズ   作:放出系能力者

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15話

 

 正直、私は人間を侮っていた。

 

 この大陸は人間にとって長期の生存が難しい環境だ。それはクインという身体を持つ私も理解している。能力があるから何度も蘇っているが、普通は一度殺されればそこで終わる命である。

 

 調査団の精鋭部隊が全滅したからと言って、彼らが弱いわけではない。そう思う一方で、私の中にどこか優越感にも似た感情はあった。自分は上等な存在で、人間よりも優れているという先入観にとらわれていた。

 

 しかし、その感情は私の目標にそぐわないことに気づく。私は人間を知り、彼らのように生きることを望んでいたはずだ。『自分』と『人間』を切り離し、彼らを見下していては逆に目標から遠ざかっていると言えよう。

 

 対等の目線に立たなければならない。少なくともここにいる四人の人間は、一目おくべき存在であると素直に認めることができる。それほど優れた念の使い手だった。

 

 その桁外れに広範な索敵能力は全く私の及ぶところではない。私が貢献できたことと言えば、せいぜいこの付近における注意すべき生物の生態を教えた程度である。私がいなくても彼らは自力で活動することができただろう。

 

 むしろ、私の方が彼らから学ぶことが多かった。特に念の扱いにおいてはスペシャリストの集団である。曖昧な記憶を頼りに独学で修行を積んだ私よりも優れていて当然だ。特に念戦闘の基本にして奥義と呼ばれる『流』の技術は圧巻だった。

 

 休憩中、トクノスケという青年に少し見せてもらったが、私が今までやってきた練習は稚戯に等しいと認めざるを得なかった。それほど鮮やかでよどみがない。人体とその器に満たされるオーラが渾然一体となり、血流のような自然さで体内を駆け巡っている。

 

「こういうのは僕よりカトライさんの方が上手いですよ。心源流の達人ですから」

 

 トクノスケいわく、カトライはこのメンバーの中で最も近接戦闘に長じる武人だと言う。首が取れるのではないかと思うほどの勢いで激しく体を震わせて否定するカトライの姿を見るに、とてもそうとは思えない。

 

 だが、心源流は念法の一大流派であり、その技については前々から興味があった。ぜひ見せてもらいたい。

 

「無理ですっ! 達人だなんて滅相もない! 私の技なんかお見せするほどの価値は……」

 

「いいじゃん、見せてやれよ。見張りは気にしなくていいから。こいつは“避け”の技だけなら師範代クラスの腕前だ。ほら、クイン。適当に殴りかかってみろ」

 

「やめてください!?」

 

 許可が出たので組手をすることになった。向こうから何か仕掛けてくる気配はなく、ただただ怯えているだけにしか見えない。とりあえず近づいて軽くジャブを打ってみる。

 

「ひいっ! やめてぇ!」

 

 目をつぶって泣きわめいている割にしっかりと攻撃は避けられた。続けざまにパンチを打つが、なかなか当たらない。あと一歩のところでのらりくらりとかわされる。

 

 相手は見るからに動揺し、情けなく逃げ回っているだけだ。避けられたところですぐに追い詰めることができると思い、放った次の一手をまたかわされる。たまたま運良く回避できたようなひどい身のこなしでありながら、その偶然が数十回に渡って続いている。

 

 偶然などではない。嬲られるだけの獲物を装いながら、ひたすら攻撃を受け流し続ける卓越した技量があった。わかっていながら惑わされそうになる。それほど彼は余裕をなくし、切羽詰まっているようにしか見えない。

 

 そのふざけた態度にいら立ちが募り、拳に力が入っていく。最初は微々たる強化率だったオーラも次第に増強されていき、最終的にほぼ全力の強化状態でパンチの雨を浴びせていた。

 

「死ぬぅ! 死ぬぅ!」

 

 だが、当たらない。そのもどかしさについ『重』を使ってしまいそうになったが、さすがに自重した。一旦、精神を落ちつけるため距離を取って深呼吸する。カトライは糸が切れた人形のように力尽き地面に倒れ伏したが、それもブラフだろう。ここで殴りかかったところで避けられるに決まっている。

 

「いやぁ、ふっかけた私が言うのも何だけど、鬼だな」

 

「よく生き残れましたね」

 

 彼の持つ能力を事前に知らされていなければもっとヒートアップしていただろう。その厄介さを改めて認識する。その能力は『蛇蝎魔蝎香(アレルジックインセンス)』と言う。

 

 彼は生まれつき変わったオーラの質を持っている。オーラはその持ち主によって微妙に性質が異なり、その人の性格などが雰囲気に反映されることがある。

 

 彼の場合は少し特殊で『他人をイラつかせる』オーラの質を持っている。その質のせいで彼の性格が卑屈になったのか、卑屈だからオーラの質が歪んでしまったのか定かではない。

 

 『蛇蝎魔蝎香』はこのオーラの性質を増幅し、周囲に放散する放出系能力である。直接的な攻撃力は全くないが、敵の精神に作用して感情を誘導する効果がある。

 

 とはいえ、この効果はそれほど強いものではない。感情に影響を与えると言っても思考そのものを操作するようなことは当然できず、あくまで敵をイラつかせ、神経を逆なでする程度のものだ。未熟な使い手であれば怒りに駆られ取り乱すこともあるかもしれないが、実力者ほど精神を律する能力が高いため通用しなくなる。

 

 一見してそれほど役に立つとは思えない能力だが、そこに彼の並み外れた戦闘技術が加わることで大きな力を発揮する。彼は他者から向けられる殺気に対して非常に敏感な察知能力を持っている。『蛇蝎魔蝎香』によって敵の殺意を誘発することで、敵が次に繰り出す攻撃の軌道を浮き彫りにするのだ。

 

 人は自覚して他者を攻撃しようとするとき、多かれ少なかれ殺意を持つ。優れた暗殺者はこの殺気を極限まで抑え込むことができるが、それでもゼロにはできない。攻撃しようとする意思が働く以上、そこに何らかの兆候が表れてしまう。

 

 歴戦の武人であれば『蛇蝎魔蝎香』を受けたとて、すぐさま精神を平静の状態に戻すことができるだろう。しかし、そこには必ず“一手間”かかる。通常であれば不必要なはずの『心を落ちつける』という余計な工程が介在してしまう。

 

 実力者ほど自身の精神的な変調を正確に把握し、その迷いをかき消すために心を強く持とうとする。そこにわずかな“力み”が生じるのだ。常人であれば認識もできないような小さな違いだが、カトライはその余計な力みから巧みに敵の殺気を嗅ぎつけ、予知するように攻撃の軌道を探り当てる。

 

 先ほどの組手で彼は私の攻撃を全て避けてみせた。はたから見れば私が一方的に攻め続け、彼に攻撃の手を与えなかったように思えるかもしれない。だが、その本質は全くの逆。こと対人戦における技能ではカトライに軍配があがる。

 

 通常、戦闘とは攻防一体の応酬である。実力が拮抗している者たちほど守りと攻めの境界は曖昧になる。攻撃することで敵の行動を封じ、自分に有利な状況を作り出すことは“守り”とも言えるし、防御することで敵の攻撃を受け流し、その隙を狙って次の一手へつなげる布石とする“攻め”もある。

 

 だが、どちらがより有利であるかを論ずるならば、それは攻め手だ。守る側はその時点で守ることしかできないが、攻める側は一度に攻防両面の性質を併せ持つ。『攻撃は最大の防御』である。先手を取った方が圧倒的に有利なのだ。

 

 一度、形勢不利に立たされた軍隊が巻き返すには多大なエネルギーを要するように、それは個人の戦闘においても同様に言える。それゆえに、まずは『敵に攻撃されないために攻撃する』というスタンスが基本。巧遅より拙速が好まれるのが戦闘の常だ。

 

 無論、速ければ万事解決というわけではない。特に念能力者同士の戦いは何が起きるか予想もつかない展開が多く、むやみに攻撃すべきではない場合もある。

 

 しかし、それを考慮しても“避け続ける”ことは攻撃し続けることよりも遥かに難しい。敵の攻勢をあえて許し、一切手を出さずにさばき続けることなど、敵よりも格段に高い実力の持ち主でなければできることではない。

 

 彼が一流の武人であるからこそできる芸当だろう。悔しいが、実際に組手をした今なら理解できる。事前に能力の詳細を知っていながらこれだけ翻弄されるとは思わなかった。もう一回、相手をしてもらいたい。

 

「も゛う゛ゆ゛る゛し゛て゛く゛た゛さ゛い゛!!」

 

 組手は断られたが、色々と体術の指導はしてもらえた。短い休憩時間の合間しか見てもらえなかったが、とても勉強になった。

 

 ボクシングスタイルで戦う私は今さら心源流の戦い方に変えることはできないし、カトライもボクシングには詳しくないようだ。だが武術である以上、基本的な身のこなしについては共通する部分もある。これを機会に学べることは何でも吸収しておきたい。

 

「肢曲おしえて」

 

「すごい技知ってますね!? 心源流じゃないので無理です……しかし、そうですね……では、ボクシングでも活用できそうな足運びを一つお教えします。ちょっとマイナーすぎて使い手のいない技ですが……」

 

 その技の名は『陽脚』というらしい。心源流は基本的に地に足を着け、どっしりと構える型が多いが、この技はステップを踏む。独特の歩調でつま先を浮かせ、地に着いたときの振動を足の裏で感じ取る。

 

 これにより音響測位のように地面と接する敵の位置を、正確に把握することが可能になるという。これを使いこなせれば肢曲のように視覚を惑わされる技を使われたとしても対処しやすいそうだ。

 

「いや、それどう考えても素人がマネできる技じゃないですよ。というか常人には不可能ですよ。奥義とかそういうのでしょ」

 

「あっ、そ、そうですね……すみません!」

 

 確かに難しい。見ただけですぐに使えるようになる技ではない。だが、試しているうちに妙案が浮かんだ。

 

 これは攻撃のための技ではなく、敵の動きを見切る“読み”の技だ。足の裏の感覚を研ぎ澄まし、振動を感じ取る。その感覚の強化は私の得意とするところだった。『共』を応用すれば不可能ではない。

 

「できた」

 

「……」

 

 カトライたちは呆れたものを見るように唖然としているが、さもありなん。私がやったことは念能力の応用によって擬似的に『陽脚』という技を再現したに過ぎず、それを己の技量一つでやってのけたカトライに比べるべくもない。

 

 確かに『共』を使えば同じようなことはできるが、問題はその使用が想定される状況である。『共』は極度の集中力を要する技であるため、戦闘中にやすやすと使うことはできないのだ。その点、『陽脚』は戦闘中に使うことを前提とした技であると言える。

 

 ただ、実際に敵と対峙している時点で、わざわざ索敵を行う必要はない。敵の姿は見えているのだから足の裏の感覚を強化するような手間をかけるのは無駄だ。使い手がいないというのもうなずける。

 

 しかし、全く使えない技ではないと思った。試しに少しチェルやトクノスケに攻撃してもらって使用感を確かめたところ、この技の真価は別にあることに気づいた。

 

 人間の感覚器は大きく五つに分けられる。いわゆる五感だが、このうち認識に最も大きな影響を与えるものは視覚である。逆に言えば、視覚を惑わされることで認識に齟齬が生じやすい。

 

 暗殺者の秘技に『肢曲』というものがあり、緩急をつけた特別な歩法によって幻影を生じさせ敵を惑わすらしい。それはあまりに極端な事例だが、日常生活の中でさえ当たり前に錯覚は生じている。視覚が認識を作り出すのではなく、脳が勝手に解釈した現実を視覚情報としてアウトプットしてしまうのだ。目に見える物が全て真実とは限らない。

 

 それはごく微細な齟齬に過ぎないが、一瞬の判断が命運を分ける戦闘においてその差は大きい。いかにして正確な情報を認識するか、その手段を用意しておくことは重要だ。

 

 最初は『凝』を使って目を強化すればいいのではないかと思ったが、これは逆効果だった。視覚を強化することで、視覚機能の根底にある錯覚まで悪化してしまう。錯覚とは何も欠陥ではなく、正常な脳の機能の一つでしかないからだ。

 

 目を凝らす『凝』は対念能力者戦において相手の能力を見極めるために欠かせない技であるが、多用は禁物。頼り過ぎれば、むしろ敵の術中に嵌められる危険も高まる。

 

 極限の集中状態において鋭敏化した感覚は、時としてありもしない幻影を見せるのだ。死闘の最中、これは敵もかわせないと思うほどの会心のパンチを打ち放ったところ、あっけなく避けられることがよくある。確かに当たったはずだと思うのに、まるで面妖な奇術でも使われたかのように外れている。

 

 『思考演算』により意識を分割して客観的に自分の行動を観察すればすぐにわかることだが、これはトリックでも何でもなく単に私の実力が足りていないだけに過ぎない。問題はそこではなく、自分の非を認識できず、勝手な想像を現実に置き換えてしまっている点だ。

 

 この現象は、スポーツのカメラ撮影による判定に似ている。両選手ともに己の全力を出し切り、絶対に自分が勝ったと信じて疑わないが、現実に映像を確認してみればどちらかが負けているはずなのだ。ことほど左様に、人間の脳は自分に都合よく認識を書き換える信用ならない器官である。

 

 私の場合は『思考演算』で自分自身を第三者視点からチェックできるが、それも練習中にしかできることではない。命を賭けた実戦の最中に、ゆっくりと自分を観察して行動を修正している暇などない。

 

 そういった点で『共』は優れた認識手段と言える。五感を織り交ぜ共有した直感は、時に虫の知らせにも似た超感覚を発揮する。視覚だけではなく他の様々な感覚を使って多角的に現実を捉えることで、より正確な情報を得ることができるのだろう。だが、先ほども触れたようにこれは戦闘中に使える技ではない。オーラによる肉体の強化や『流』による攻防力の高速移動をこなしながら併用できる技ではないのだ。

 

 オーラを扱う技術のキャパシティも有限である。例えば『円』も戦闘中に使うことができれば有用だろうが、これもまた集中力とオーラを大きく消耗する技である。それにキャパシティを割くくらいなら、身体強化に全力をつぎ込んだ方がいい。

 

 費用対効果の問題である。顕在オーラ量に限りがある以上、『円』を使えばその分『練』や『堅』にかけるオーラを減らさなければならない。ちょっとした認識の齟齬を修正するために馬鹿みたいな比率のオーラを使うくらいなら、もっと他にやるべきことはいくらでもあるのだ。

 

 『陽脚』ならこのジレンマを改善できる。地面と接している敵にしか使えず、『共』や『円』と比べればさすがに精度は大きく落ちるが、ほとんど使用オーラ量の占有比率を気にせず使うことができる。視覚で敵を捉えた上で、足の裏から触覚により情報を補足することによって、より正確な認識が可能となる。

 

 この微妙な錯覚からくる認識の齟齬は、私にとって切実な問題だった。ボクシングはフットワークの軽さを生かし、機敏な動きで相手を翻弄する戦い方をする。しかし、その弱点も同じくフットワークにある。重心が軽く、足が浮き上がることが多いステップは、その瞬間を狙われたとき対処が困難だ。地面に足が着いていない状態では無防備をさらしてしまう。

 

 だったらしっかりと足をつけて戦えばいいかと言うと、それが常に正しいとは限らない。重心を低く構えた姿勢は確かに向かってくる敵への対応はしやすく力強い一撃を放てるが、軽快さはなくなる。“待ち”の構えであり、それはそれで欠点もある。一長一短というわけだ。

 

 ステップの練習をするうちに、敵の動きを読むことの重要性が何となくわかってきた。タイミングを外したステップほど大きな隙となる。意識には波があり、その揺らぎは呼吸のようにリズムがあった。大切なことは自身と相手の呼吸を読み取り、その意識の間隙を縫うように足を運ぶことだ。そのためにはやはり、単純に目で見た以上に詳細な情報を感知できるようになった方がいい。

 

 この呼吸は本当によく敵を観察しなければ見えてこない。今の私では『共』でも使わない限りできることではなかった。しかし、『陽脚』という技を目にしたことにより閃く。これを『共』による補助なしで使いこなせるようになれば、今よりも格段に敵の呼吸を読みやすくなるのではないか。

 

 心源流の技だがボクシングのステップにも取り込めるかもしれない。敵の察知と足運びを同時にこなせるという性質は地味だが役に立つ。ただの索敵を目的とした技ではない。この技の開発者もそう言った意図を込めて作ったのではなかろうか。そんな考察をカトライに話してみる。

 

「え……いや、師からそのような教えは受けていませんが……確かに一理ありますね。今まで使っておきながら考えたことはありませんでした。私もまだまだ未熟です……」

 

 謙遜することはない。私は『共』というある意味で反則技を使うことによってこの結論に至ったが、彼は真っ当な修練を積みこの技を体得している。理論ではなく体感で既に本質を熟知しているはずだ。

 

「なにこの会話。まるで意味がわからない」

 

「まあ、お二人とも楽しそうですし、それでいいじゃないですか」

 

 その後は、カトライと何かにつけ武術に関する話題で議論を交わした。ただ、彼が発するオーラの質が少し不快であったが(絶をしないと完全には抑えられないらしい)、そんなことよりも少しでも強くなるための知識を得たかったので、あまり気にならなかった。

 

 普段はどもることが多くあまり話さない男に見えたが、武人だけあってその手の話題には興味があるようだ。さすが心源流だけあり念の修行法などにも詳しく、色々とためになる話が聞けた。

 

 チェルからいっそカトライに弟子入りしたらどうだと提案もされた。それも悪くない。武に関しては私を遥かに超えた高みにいる人物である。本格的に師事できればもっと深く学べるだろう。

 

 しかし、その件については断られてしまった。彼も忙しい身だ。我流ボクシングを始めて数週間の素人の面倒を見切れるほど暇ではないのだろう。残念だが仕方がない。

 

 

 * * *

 

 

 三日後、ついに目的地へと到達した。遠くに岩肌がむき出しとなった丘が見える。鬱蒼と木々が茂る森の中にあって、その丘だけが禿げたように土色を晒していた。

 

 実はこの場所、私は以前に近くまで行ったことがある。だが、踏み込むことはしなかった。見るからに異常とわかる現象が起きている。

 

 丘の上で、一つの大きな岩がゆっくりと動くのが見えた。距離があるので正確な大きさはわからないが、念使いが数人集まっても動かせないほどの巨岩である。独りでに動き始めた岩は、重力に逆らうように浮遊し、風に流されてどこかへ飛んでいった。

 

 その丘からはヘリウムガス風船でも飛ばしているかのように、大小様々な岩が浮き上がっているのだ。何かあることは間違いないが、わざわざそれを確かめるために近づくことはなかったのである。

 

 その丘については、トクノスケが操る念鳥によって事前に偵察がされていた。浮遊する岩の一部は既に調査船へと持ち帰られ、精密な検査が行われている。その結果、成分に何か特別なものは検出されなかった。何の変哲もない岩である。ただし、質量だけが異常に軽くなっている。

 

 この岩はリターンではない。何らかの要因によって質量を変化させられた物である。つまり、その要因を生み出しているモノこそがリターンである可能性が高い。念鳥の調査によってそれらしき目処はついていた。

 

 丘の中心部、火口のように沈下した盆地の底に鉱物の結晶のようなものが確認されている。かなりの大きさがあり頑丈で、念鳥を使って運び出すことはできなかった。その結晶自体はそれなりの重さがあるようだ。そのため直接現地におもむき、採取する必要がある。

 

 この鉱物が周囲の物質に与える影響については未知数の部分が多い。その危険性についてもまだ判明していないが、いくつかの検証の結果、接近したからと言って直ちに質量に変化が生じるわけではないらしい。浮遊する岩たちは、長い年月をかけて少しずつ重さを変えられたものと考えられる。

 

 リターンに関してわかっている情報は以上だが、気になるのが災厄(リスク)だ。実はこれについても、ある程度のことはわかっていた。この場所を発見した当時、クアンタムは既に大量の犠牲者を出していたが、まだその総数は97名であった。

 

 いくつかの班にわけられ探索のために散らばっていた部隊は、この丘を最重要地点として全力で調査に当たるため結集する。そしてそのうち、89名がリスクとの遭遇により死亡した。

 

 調査団はこのリスクに『ワーム』という仮名をつけている。その名の通り、形状は芋虫に近い。ただし、その全長は優に20メートルを越える。足はムカデのように長く鋭い多脚を持ち、移動速度は速い。

 

 蝶や蛾の幼虫は、天敵である鳥類から逃れるための進化として、頭部に大きな目玉状の紋を持つものが多数いる。この『ワーム』にも同じような目玉があるが、それは模様ではない。本物の巨大な眼球が備わっている。

 

 芋虫に似て柔らかい体をしているからと言って傷つきやすいわけではない。ゴムのように強靭な弾力を誇る皮膚は生半可な攻撃など通用しない。頭頂部に煙突状の噴出口を持ち、そこから大量の毒ガスを撒き散らす。極めつけに口から高速で糸を吐き出す攻撃まで仕掛けてくる。

 

 悪魔のような生物だが、実は遭遇当初、それほど警戒されていたわけではなかった。確かに人間が勝てるような相手ではないことに間違いはなく、数名の犠牲者は出たが、それ以上に被害が拡大することはなかった。

 

 移動速度は速いが、念能力者が全力疾走すれば逃げ切れないほどのスピードではない。毒ガスもマスクを装着することで防ぐことが可能だった。糸にさえ気をつけていれば、それほど対処に困る敵ではなかったのだ。むしろ、作戦中に恐竜型の大型生物がエリア外から乱入してきそうになったため、そちらを警戒して一時撤退することになった。

 

 数度の遭遇により、ワームの生態についてもある程度知ることができた。奴らは丘周辺の森に多数生息している。生息域の地面には糸による警戒網が張り巡らされており、粘着力はないが、踏み込めば即座に侵入が発覚するようになっている。

 

 非常に厄介な存在ではあったが、ネタが知れれば対策のしようはあった。ワームに対する恐怖よりも、リターンを前にした興奮により隊員たちの士気は高かった。

 

 だが、そのリスクが猛威をふるったのは交戦中ではなく、撤退して体勢を立て直していた時のことだった。数名の隊員が目の痛みを訴え始める。医師が診察を始めた頃にはもう手遅れだった。短時間のうちに次々と人間が死んでいく。

 

 早急な死因の究明が求められた。死体を解剖した結果、すぐに異常が発見される。死亡した隊員の脳内に寄生虫が確認された。その形状から見てワームの幼生であると断定された。

 

 いかにしてこの寄生虫に感染したか。その経路が不明である。調査を進めた結果、直接ワームに接触したという隊員はいなかった。既に死亡した隊員が触れていた可能性はあるが、それにしても感染者が多すぎる。聞き込みを進めるうちにも多くの人間が目の痛みを訴え始めていた。

 

 ワームが生息していた森そのものが汚染されており、そこに踏み込んだだけで感染するのではないかという仮説が浮上する。そうだとすればもはや全滅は免れない。患者の隔離も間に合わない。森の中の宿営地に絶望が蔓延する。

 

 しかし、情報が集まるにつれ、感染者には共通する事項があるとわかった。まず、死体から見つかった寄生虫は必ず2匹であるということ。それ以上でも以下でもない。その2匹は眼球の中で発生し、視神経を食い荒らしながら脳内へと達している。

 

 次に、患者はワームとの交戦中、目に違和感を覚える者が多かった。視界のかすみ、疲れ目、軽い頭痛といった眼精疲労の諸症状。目周辺の筋肉の痙攣。中には意図せぬ眼球運動などを感じた者がいた。

 

 そして、それらの患者の症状が始まったきっかけも共通している。交戦したワームの頭部にある巨大な眼球を目視した時だ。その目が合った瞬間、何かが飛びこんでくるような感覚があったと多くの感染予備群の隊員が語っていた。それは本当に一瞬の感覚で痛みもなく、何かの気のせいだと思いすごすほどに些細な違和感だった。

 

 目が合った時、卵を植え付けられたのではないか。あまりに非現実的な推論だったが、誰もその可能性を否定することができなかった。この場所では、その非現実が当たり前のように闊歩している。

 

 恐ろしいのは、後方でサポートに徹していた隊員たちにも目の痛みが現れ始めた点だ。彼らはワームを視界に捉えることはなかった。しかし、撤退してきた隊員たちと合流したとき、正確には帰って来た彼らと目が合ったとき、同じく何かが飛びこんでくるような感覚を覚えたと言う。

 

 その事実が判明したとき既に死者は50名以上にも及んでいたらしい。残り40名近い生存者はその後どうなったのか。そして今、クアンタムはなぜ4名しか残っていないのか。

 

 聞き出すことはできなかった。

 

 


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