カーマインアームズ   作:放出系能力者

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16話

 

 今、思い出しても身震いする。脳裏によみがえる無数の屍。苦楽を共にした仲間たちは、そのほとんどが報われぬ最期を遂げた。その中にあり、数少ない生存者となった隊員であるトクノスケ=アマミヤは、この場所で起きた惨劇を思い出していた。

 

 ここにいる四名の隊員は『ワーム』との直接戦闘を行わなかったため、生き残ることができた。多くの隊員たちがワームの生息域へと足を踏み入れていた最中、彼ら四人は別の任務に当たっていた。

 

 急遽、乱入してきた恐竜型の巨大生物が作戦行動中の部隊と衝突する危険が生じたため、そちらの注意をそらすために出動していたのだ。当時はむしろこちらの方が危険な任務という認識であり、トクノスケも貧乏くじを引かされたと思っていた。しかし、皮肉なことにその任務のおかげで生きながらえたと言える。

 

 そうして拾った命を使い、彼らは再びこの忌まわしき地へと戻ってきた。しかし、今度は無策ではない。何も彼らはここへ死にに来たわけではなかった。ワームは見た者に卵を寄生させるという恐ろしい災厄だが、その力を無効化する方法はあった。

 

 実は当時、トクノスケはワームの姿を見ていた。しっかりと奴らの持つ『目』を確認している。しかし、寄生されることはなかった。彼が見たワームの姿は、カメラを通して映し出された映像だったからだ。

 

 “映像”であれば見ても問題ないのだ。ただし、目視してしまった場合はいかなる場合においても回避できない。ガスマスクにより顔全体を保護し、強化樹脂製のゴーグルを通して見た姿であっても感染するのだ。

 

 この能力についてはまだ未解明の部分が多いが、調査団は調べを進めている。クアンタムは暗黒大陸の直接的探索を目的とした部隊だが、船に乗ってきた者はそれで全てではない。未知のリターンとリスクについて詳細な解析をするための科学者たちも乗せられていた。

 

 解析班には『実験体5号(ホムンクルス)』という念能力を使う者がいた。これは念人形を作り出す具現化系能力である。この念人形はヒトと同じ人体構造、生命維持活動をしているが、戦闘力は全くない。その用途は、人体実験を好きなだけ合法的に行えることにあった。人形そのものが『円』の役割を果たし、経過をつぶさに観察できる。

 

 帰還した調査隊は感染者の眼球を資料として保管し、船まで持ち帰っていた。それをこの念人形を使って解析した結果、外部から卵を埋め込まれたわけではないことがわかった。感染した眼球を調べたところ硝子体に変異が見られた。これは眼球の内部を満たすゲル状の組織である。

 

 ワームを視認した宿主は、何らかの要因を受けて網膜に特殊な変化が生じる。まるで癌細胞が周囲の細胞の変化を促すように、網膜を中心として眼球内部の環境がこの物質によって作りかえられてしまう。硝子体の変異もその一環と考えられる。

 

 硝子体は老化に伴い液状化が進むことで網膜剥離の原因となることが知られているが、ワーム幼生の感染者にもこの症状が見られた。異なるのは、剥離した網膜細胞が急激な変質を起こし、胚のような細胞体に変わってしまう点だ。これがワームの卵である。硝子体は卵を守り養分となる卵白のように、胚が成長するために最適な環境となる。

 

 つまり、これは寄生というより生殖に近い。一般的な動物であれば雌雄の個体が遺伝情報を生殖細胞に込め、それを受け渡すことで生殖が成立するが、ワームの場合はその遺伝情報の伝達手段が「目と目が合う」ことなのだ。

 

 この生殖作用は卵の段階で既に備わっており、宿主の目を介して他の生物の眼球も変異させるという二次災害を発生させる。一度感染すれば、卵が孵化する前に眼球を摘出する以外、助かる方法はない。孵化までにかかる時間はおよそ5時間である。発見されて間もない感染症だけに、投薬や手術による治療法はまだ発見できていない。

 

 しかし、予防法ならば見つかった。撮影された映像としてならワームを視認しても感染しない。遺伝情報を視覚的に網膜へ送りこむという常識外れの伝達方法だけに、その過程は非常に繊細で、一度別の映像として置き換えられると正確な伝達ができないのではないかと考えられている。

 

 今回の遠征では特別製のガスマスクを用意した。改造したナイトビジョンをヘルメットに固定し両目に装着することで、カメラを通して外の映像を見ることができる。

 

 これで予防はできるが、寄生を防げてもワームの成体は単純に体の大きさやパワーからして脅威である。一体であれば逃げ切ることもできるだろうが、この先の生息域には多数の成体が潜んでいる。これをリターン採取ポイントである中央丘から遠ざけなければ任務はままならない。

 

 そのための策も既に講じてあった。その作戦の要となるのがトクノスケである。彼は能力を発動させるため、必要となるバインダーを取りだす。

 

「待て、決行する前に確認しておきたい」

 

 しかし、その行動をグラッグが制した。彼はクインに向けて今一度、問いかける。

 

「事前に説明したとおり、これより作戦行動に移る。できうる限り、最大限の準備を整えてきたが危険がなくなるわけではない。それでも君は私たちと来るか?」

 

 クインは少しの間考え込んだが、すぐにうなずき返した。ここでおとなしく待っているような性格なら、ここまでついてくることはなかっただろう。クアンタムは彼女の返答を、肯定も否定もせず受け入れる。

 

「じゃあ、始めましょうか」

 

 トクノスケは、あえて砕けた調子で口火を切った。その手に持たれたバインダーから、独りでに紙切れが飛び出していく。大量の紙片が風もないのに宙を舞い、空高くへと散っていく。

 

「『花鳥風月(シキガミ)』」

 

 紙切れは十字のような形をしており、翼を広げた鳥のように見えないこともない。その一つ一つが実物の鳥の姿へと変化した。正確には紙を核として具現化された念獣である。

 

 小動物型の念獣の中でも、飛行能力を持つ鳥はその使い勝手の良さから重宝されるが、パワーで劣ることが多い。その戦い方は軽さと速さを重視した構成となる。

 

 だが、彼の念鳥はその常識にとらわれない。一度に操作可能な念鳥の数は、最大で約400羽。ハト程度の大きさながら、オーラの塊である念獣がぶつかればそれなりの威力がある。数百を越える鳥たちが怒涛のごとく群れをなし、敵を圧殺する。その攻撃は、もはや速射性を高めた念弾の雨に近い。

 

 ただし、彼は放出系の能力者である。具現化系と相性が悪いため、念鳥の見た目はハリボテ同然である。出来の悪い木彫りの置物のような再現度であるため、近くで見ればすぐにバレる。

 

 また、放出系は念獣のパワーや持続性を高め、数を増やすのは得意だが、操作性は良くない。六性図からみれば操作系と隣り合ってはいるが、どうしても本職には及ばない。特に、一度に操る念鳥の数を増やせば増やすほど、その操作性は大きく落ちていく。実戦でも使える程度の操作性を維持するならば、彼の実力で扱える念鳥の数は5羽がせいぜいである。

 

 先ほど400羽の念鳥で敵を総攻撃すると述べたが、これは念獣の使い方としては甚だ非効率的である。それができるなら素直に念弾で攻撃した方がもっと威力を高められるだろう。そもそも400羽の念鳥を一度に生み出せるほどのオーラを彼は持っていない。

 

 だが、それは彼の素の実力のみを考慮した場合の話だ。彼は自分の能力を大幅に底上げする切り札を持っている。それは『神字』だ。

 

 神字とは、念能力を補助する効果を持った特別な文字である。物や場所に刻むことで、自分の能力の効果や範囲を大きくすることができる。ただ、その効果はあくまで補助。それに頼らなければまともに戦えないような能力者は実力不足として蔑視されることが多い。

 

 しかし、神字の修練度も念能力と同じくピンからキリまである。精通した使い手なら複雑怪奇なこの文字を実戦中に念文字で書き表す猛者もいる。発動する効果をプログラムすることで、特殊な能力を持った道具を作り出す職人も存在する。

 

 そしてトクノスケは神字の扱いにおいて、そこらの有象無象とは比較にならないほどの技術を持っていた。さらに、彼が書く神字は一般的にハンターが使う種類とは異なる。これは彼の出自が関係していた。

 

 彼はジャポンの、とある古い家系に生まれた。代々、神職として奉じてきた彼の一族は、そのルーツに陰陽道を持つ。彼が使う神字も、古くは陰陽師が使用したとされる由来があった。

 

 かつて宗教と科学が混同され、自然現象、災害、疫病などが神や悪魔の仕業だと信じられていた時代、念能力もまた宗教と混在し、一体のものとして考えられていた。現在でも念能力は科学的に解明されたとは到底言えず、宗教的に認識される事例の方が多い。

 

 たとえ念能力の実体を理解していなくとも、強固に何かを信じる心は念を扱う上で、あながち的外れなことではない。念は世界各地の宗教と密接に結びつき、司祭、僧侶、祈祷師、魔女、その土地で独自の文化を築き上げてきた。

 

 現在、ハンターの間でよく使われる神字も、もともとは古代ジエプタンの古王国時代、王柩に刻まれた神聖文字が原形であるとされる。それを後世の念使いたちが使いやすいよう改良を加えていき、今の形に落ちついている。

 

 神字も言語と同じく地域によって全く形が異なるのだ。今、普及している主流の神字が最も扱いやすく癖のない字体であると考えられている。その他の雑多な神字は、数倍の文量を用いても10分の1以下の効力しか持たないものがほとんどだ。

 

 そうした『古神字』は時代の流れとともに忘れ去られたものが多く、残っていたとしても学術的な価値しか持たない。だが、中には綿々と受け継がれ、現役で使われ続けているものも少数ながら存在する。

 

 トクノスケが扱う文字も『古神字』と呼ばれるものの一つだ。ジャポンは多神教の国である。万物に神が宿るというその思想は、動くはずもない無生物に命を吹き込んだ。かつて人々の情念渦巻く都は、おびただしい数の神と悪霊で溢れ返った。

 

 混沌とした都の守護を司っていた術師が、トクノスケの先祖である。その古神字は、念獣の力を補助することに特化していた。

 

 神字とは見て真似ただけで使えるようになるものではない。その文字に込められた意味、文字が連なることで変化する意味を正確に把握し、書道家が作品と向かい合うように一字入魂の覚悟をもって刻みこむのだ。

 

 古神字になるほどその傾向は強い。歴史的、文化的思想背景を細部まで頭に叩きこんだ上で、無限にも思える情緒の機微を文字に織り交ぜなければならない。その難しさは即興で詠む詩がごとく。扱うためには特別な教養が必要であり、血統者の血を用いて書かなければ使えない場合もある。ゆえに門外不出、一子相伝であることが多い。

 

 しかし、その難易度だけあって特定の条件下における効果は高い。これにより彼の念鳥は膨大な数にも関わらず、精密な操作性を可能とする。あらかじめプログラムした条件に基づく自動操作(オート)タイプの念鳥となるため、込められたオーラが続く限り、術者の指示がなくとも自律的に行動する。

 

 念獣の操作タイプには自動操作型(オート)と遠隔操作型(リモート)がある。遠隔操作型はラジコンのように術者が念獣の近くで指示を出し続けなければならない。その点で自動操作型は行動範囲に縛られず、多くの操作対象を一度に使役することができるが、プログラム通りの行動しか取れないため臨機応変な対処ができない欠点もある。

 

 彼の能力は神字による命令の書き込みが前提にあるため、自動操作型の欠点が特に顕著であった。戦闘中に命令を書き換える余裕はない。複数のプログラムを組み込んだ上で切り替えることも可能だが、書きこめる容量に大きな制限がある。

 

 だから彼はどのような事態に陥ろうとも対処できるよう、事細かにプログラムを分類し、それぞれの役割を持たせた紙型を携帯している。状況に応じて呼び出す念鳥を使い分けているのだ。その状況判断能力こそが彼の真骨頂と言えた。

 

 今回は必要がないので省いているが、念鳥の具現化性能を高めることで見た目もよりリアルにすることができる。放出系能力者でありながら、操作も具現化も弱点にならない。系統の相性を無視した強さを発揮する。

 

 さらに、この能力は「オーラ無しで使用できる」という強力な効果が備わっていた。正確には、念鳥の元となる紙型にあらかじめオーラをストックしておけるため、発動時に体内のオーラを消費する必要がないのだ。

 

 これは放出系念獣使いと言うよりも、操作系の物質操作に近い性質である。念鳥を操ると言うより、オーラを纏わせた紙型を操っている。操作系は道具にオーラを込め、貯蔵しておくことも得意である。

 

 もちろん、これだけの性能を有した念鳥を作り出すためには相当の準備がいる。神字を書き込むだけではなく、相当量のオーラを注ぎこまなければ力ある念鳥にはならない。制作にかかる時間は最低でも一週間。オーラを込めれば込めるほど効果が上がるため、性能を求めるならばさらに時間がかかる。また、保管しているだけで劣化が進み、維持するために完成後もオーラを要する。

 

 一度に一羽しか作れないわけではないが、簡単に量産できるような代物ではないことは確かだ。今回の調査のために彼がどれだけの数の念鳥を用意したことか。気が遠くなるほどの時間を費やして紙型を用意してきた。何年もかけて少しずつ積み重ねてきた成果である。しかし、その貯蓄も底が見えていた。

 

 探索に繰り出すたびに湯水のように念鳥を消費してしまうのだ。出し惜しみしていられる状況ではなかったとはいえ、今までの努力は何だったのかと思うほど念鳥たちは儚く散っていく。

 

 今回の作戦で使用する400羽の紙型で、手持ちはほぼなくなる。実質的に、これがリターンを取得する最後のチャンスとなる。ここで成功させなければ、それこそ彼は何のために今まで身を粉にして働いてきたのかわからない。

 

 作戦の概要はシンプルだ。大量の念鳥を陽動に使い、その隙に本隊が採取ポイントまで走り抜ける。

 

 ワームの生息域には糸による感知網が張り巡らされており、侵入者の存在はすぐに発覚する。この糸は非常に細く、実際に触れなければ感じ取ることが難しい。さらにこの感知網は地面だけにとどまらず、木々の間にも、そして森の上空にまで及ぶ。

 

 浮遊する石に糸を張りつけることで空にまで警戒網が形成されているのだ。この空にかかる網は地上のものとは違い、強靭で粘着性がある。クモの巣のように獲物を捕獲する目的で張られているようだ。この糸のせいで浮遊石が付近一帯につなぎとめられている。ワームたちがこの場所に群れている理由はこの浮遊石を狩りに利用するためだろう。上空からの侵入は現状では不可能だ。

 

 地上の感知網なら細く強度もないため、ルートはここを選ぶしかない。あえて地上部分が侵入しやすくなっている理由は、獲物を森の奥地へと誘い込む罠なのかもしれない。捕食するなり繁殖に使うなり、奴らにはその方が都合がいいのだろう。だが、その警戒網を逆手に取り、念鳥による多方向からの一斉突撃をしかけて敵をかく乱する。

 

 実際、以前にこのかく乱作戦は試験的に導入され、成果を上げていた。いかに脅威と言っても、ワームの知能は低い。奴らは感知網の上でより激しく動く物体を優先的に狙う本能を持っており、容易に誘導することが可能だ。

 

 念鳥が派手に暴れ回ってワームの注意をひきつける。その間に、調査隊は密かに潜入。念鳥に持たせたカメラの映像でワームの位置を把握し、チェルとカトライの索敵によってワームの森を安全に突破する。仮にワームと遭遇したとしてもガスマスクとナイトビジョンにより感染の危険は回避できる。

 

 何度も繰り返し、見落としはないか確認してきた作戦だ。現状で取りうる最善手である。それでも不測の事態を考えれば絶対に成功すると保証はできないが、それを考え始めればきりがない。トクノスケは半ば運を天に任せて飛び立つ念鳥たちを見送った。行動は事前にプログラムされており、一度発動させれば彼にやることはあまりない。

 

 数百もの鳥の群れが空へと飛び立っていく様は壮観だった。彼自身、最大行使数である400羽を飛ばす機会なんてこれまで数えるほどしかなかった。その中でも思い出すのはジャポンで暮らしていた頃の修行の光景だ。

 

 良い思い出ではない。未熟者だと父から叱責されたことくらいしか記憶に残っていない。それでも思い出してしまったのは、クインの影響があるのかもしれない。

 

 暗黒大陸で育ったはずの少女は、なぜかやたらとジャポンの知識に詳しかった。トクノスケがジャポン出身だと明かしてからというもの、クインはそれに関連する質問をいくつも投げかけていた。地名や人名など間違った知識もあったが、彼女はジャポン食や文化などにおおむね理解があった。ルアン氏の入れ知恵だろうか。彼女もさることながら、父親も謎多き人物である。

 

 今さら望郷の感傷に浸るほど執着しているとは思っていなかったが、一度考え始めると頭から離れなくなっていた。生きるか死ぬかの瀬戸際で、ぼやけていた記憶がよみがえる。飼い殺されるように閉じ込められていた家から飛び出したあの頃は、自由にあこがれていただけの子供だった。それが今や合衆国の特殊部隊に入って暗黒大陸の地を踏んでいるとは、夢にも思わなかっただろう。

 

 事が全て片付いたら、里帰りでもしてみようか。

 

 父は許してくれるだろうか。リターンを、人類の希望を持ち帰ったのだと土産話でも聞かせたらどんな反応をするか。駄目だな。あの人は一顧だにせず殺しにくるだろう。

 

 彼は、それでも会うことを拒んでいない自分の気持ちが滑稽で仕方なかった。くつくつと笑いがこみあげてきて抑えきれない。そんな彼の様子を見て、グラッグ隊長が気を引き締めろと注意する。その怒る姿が父と重なり、トクノスケはいよいよ堪え切れずに吹き出してしまった。

 

 

 * * *

 

 

 静寂の中を走る。足音を立てる者はいなかった。呼吸音さえ押し殺してひた走る。髪の毛の一本に至るまで神経が通っているかのように緊張が伝わっていた。

 

 周囲に視線を配らせる。その光景は、マスクを通して映像化されていた。クインはそれでいいが、本体はマスクをつけていない。仕方がないので持ち物袋を本体の頭部にかぶせている。視界は完全に閉ざされるが、敵の脅威を考えればこうせざるを得なかった。

 

 小さな水滴が見えざる糸の上で踊っていた。至る所に、繊維のように細い糸が張り巡らされている。抵抗もなく断ちきれるが次々と絡まってくる。まるで暑苦しい濃霧の不快感を何倍にも引き上げたかのような鬱陶しさ。

 

 だが、音はなかった。話に聞く、虫の災厄は現れなかった。10分ほどで森を抜け、丘の上に到着する。直線距離にしてみればワームの森は、そう広大なものでもない。一重にトクノスケが放った念鳥の陽動が功を奏したのだろう。

 

 なぜか丘陵地帯には感知網がない。この場所はワームの森の中央にあって、取り残された小島のように生息域から除外されていた。この丘にはワームがいないようだ。

 

 だが当然、安全地帯ではない。森にいるワームが丘に入ってこないとは言い切れない。すぐにリターンを採取する必要がある。私たちは休むことなく次の行動に移る。

 

「足元に気をつけろ」

 

 地面が軽い。踏み出しただけのわずかな衝撃で足場がふわりと浮きあがり、体ごと空へ持ち上げられそうになる。その光景だけ見るならまるで無重力空間のようだ。この環境に元からある物質は質量が変化している。私たちの体の重さは今のところ変わっていないようだが、長居したい場所ではなかった。

 

 一番大きな丘は、上から覗き込むとクレーターのような巨大陥没がある。その中心に目的のものがあった。5メートルほどの黒い物体だ。鉱物の結晶という話だったが、とてもそうとは見えなかった。沸騰した熱湯に浮かぶ泡がそのまま固まったように、ぼこぼこと膨らんだ歪な形をしている。

 

「ブドウ房状結晶と言ってこの形自体はそれほど珍しくはないですけど、これまで発見された既存の鉱物にどこまで当てはめて良いものやら」

 

 万が一の事態に備え、採取に行くのは一人だ。残りはクレーターの縁で待機する。採取に向かったのはグラッグだった。隊長自ら作業に当たる。持ち込んだ電動工具らしきもので結晶の削り出しに取り掛かった。

 

 拍子抜けするほどあっさりと任務が進んでいく。だが、これは彼らが用意周到に計画を立てていたからこそ導き出せた結果だ。何も万事こともなく済んだわけではなく、損害なら既に発生している。

 

 調査隊クアンタムは前回の作戦で大敗し、そのほとんどの隊員が死亡した。今回の作戦が順調に運んでいるのは、その失敗から学んでいるからこそである。たまたま運が良かっただけというわけではない。

 

 もともと彼らは残された四名で作戦を遂行する腹づもりだったのだ。玉砕覚悟の自暴自棄ではなく、綿密な算段がある。私が出る幕はない。何のアピールもできないまま、ここまでついてきただけで終わりそうな勢いだ。

 

 しかし、さすがにここで予期せぬ騒動が起きることを望むほど愚かではない。やはり災厄と呼ばれるクラスの脅威となると相手にしたいものではない。ワームの話を聞いて改めて思った。何事も起きないのが一番だ。

 

 人間との友好関係なら、ここにたどり着くまでの間に交流することができた。これで大丈夫だろう。たぶん……いまいち自信はないが、少なくとも敵意がないことは伝わったはずだ。大きな力は示せなかったが、それはそれで過度に相手を警戒させずに済む。後は船に戻るまで同行し、そこからの交渉次第である。

 

 結晶の切り出しは少々手間取ったようだ。かなり硬かったらしい。削り取った欠片は小指の爪ほどの大きさである。それが持ち運べる限界だった。重すぎるのだ。

 

 この金属は周囲の物質の重さだけを吸収する性質があるのではないかと考えられている。周りの土や岩が軽くなっている分、この金属に重さが移っている。だからわずかな欠片でも、大の大人が持ち上げられないほどの重さを持つ。

 

 身体能力を強化できる念能力者であっても運べる量は微々たるものだったが、それでも貴重なリターンである。その価値は計り知れない。用意された搬送用のカプセルに、厳重に封入された。

 

 カプセルはチェルが運ぶようだ。てっきりグラッグが持つのかと思っていた。チェルは強化系だけあって筋力はこの中で最も高い。グラッグが両手で抱えて持ってきたカプセルを、彼女は片手で持ち上げてみせた。しかし、おどけてみせているが軽いものではない。来た道を帰ることを考えれば負担は大きい。これまで以上に慎重な行動を強いられるだろう。

 

 何はともあれ、念願のリターン取得である。状況が急いでいるだけに言葉数は少なかったが、お互いに肩をたたき合っていた。全員ガスマスクを着けているので表情はわからないが、みんな喜んでいるようだ。ガッツポーズする者もいた。人間が喜ぶときに取る仕草である。クインもガッツポーズしておいた。

 

 このリターンについて、この機に私も個人的に採取しておこうかという考えもあった。私は金属の性質を取り込む摂食交配能力を持っている。質量に影響を与える鉱物を食べれば、それに応じた特別な能力が手に入るのではないかという期待もあった。

 

 だが、危険性を考慮してやめておくことにした。仮に同じ性質が本体に備わったとして、周囲の環境から質量を吸収し続ければ、どんどん重くなって動けなくなるのではないか。それに摂食交配の結果があらわれるのは次世代の子である。今の本体が能力を手に入れられるわけではない。

 

 今はそんなことを気にするより、早くここを離れることが先決だと思いなおす。後は無事に船まで戻れれば――

 

 

「きた」

 

 

 カトライが短く告げた。振り返り、背後を見ている。その視線の先には暗く続く森しか見当たらない。しかし、彼は何かを感じ取っていた。

 

「トク、カメラで確認できるか?」

 

「はい、すぐに」

 

 カトライが示した方向へと念鳥が回される。トクノスケは複数のカメラから集められた映像を頼りに、的確に敵の動向を把握していた。

 

 だからこそ、この中で接近する敵に最も早く気づける者はトクノスケであったはずだ。問題は、彼よりも先にカトライが気づいたということである。

 

 カトライは敵が発する殺気に反応して索敵する。もし敵が偶然この場所に入り込んできただけなら察知できない。つまり、明確な敵意を持った敵が近づいてきていることを意味する。

 

 よくないものが来る。

 

 広げた機材を回収している手間も惜しい。取るものもとりあえず、リターンだけをしっかりと確認して後は放置。逃げる準備を整える。トクノスケは敵の映像を捉えた。

 

「あっ……え……?」

 

「敵はワームか? 距離は?」

 

「あれ、なんか今」

 

 要領を得ない。なぜ、はっきり言えないのか。何が見えたというのか。何をそんなに、

 

「僕の、目に……」

 

 怯えているのか。

 

 


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