カーマインアームズ   作:放出系能力者

24 / 130
海越え編
23話


 

 三日三晩、漂流が続いた。風と波に任せて流される他にできることはない。

 

 残りの卵も少ない中、クインの酸素補給のためのオーラを捻出しなければならなかった。卵を生産するためにも何か食べるものが必要だ。また、本体の生命維持に必要なエネルギーは光合成でしばらくの間はもつが、そのためには水も必要だった。長期的な海上遭難について回る最大の問題が水分の確保と言われている。

 

 これについては海水を利用した。普通の陸棲動物なら塩分の排出の方に水分を大きく消費してしまうため、海水の飲用はできない。しかし、私の本体はもともと水の少ない砂漠地帯に生息するキメラアントの個体だ。赤い鉱石植物を主食とし、高濃度の毒素で赤く色付いた組織液からでも、わずかな水分を分離抽出する機能をもっている。海水を飲んでも支障はなかった。

 

 むしろ食物の確保に苦労した。海中には一切、動物の気配は見られない。時たま海上を昆布の残骸が浮遊しているのだが、自分から取りに行くことはできない。運よく近くに流れてくることを待つしかなかった。

 

 卵をうまく増産できず、クインの維持に必要なオーラ消費量も馬鹿にはできない。総合的に見れば、徐々に消耗が大きくなっていた。常に酸素をオーラで補い続ける状況は、平時と比べて大きな負担だった。

 

 天候の問題もある。ひとたび海が荒れれば一巻の終わりだ。ただの海ならまだしも、ヌタコンブの生息域で波に揉まれれば命はない。粘性の海は一向に終わりが見えなかった。

 

 私は何もできなかった。ただ、じっと波間を漂い続ける時間が過ぎる。唯一、良かった点をあげるとすれば、考える時間だけはたっぷりとあったことだろう。

 

 自分が置かれた境遇について考えることはあまりなかった。大半の時間は、仲間たちのことを考えていた。船は無事だろうか。チェルとトクノスケは元気だろうか。自分のことよりも船のことばかり考えていた。考えたところで結果がわかることではない。ある意味で、それは救いだった。

 

 わからないから、最悪の事態に至ったと断ずることもできない。何事もなく帰国へ向けた航海を続けている可能性はある。私は一緒に行けなかったが、別の方法で暗黒海域を渡る道を探せばいい。時間はかかるだろうが、可能性はゼロではない。

 

 だから、良かったのだ。たとえその考えが、どれだけ希望に満ちた推測の上に成り立っていようと、私は未来を思い描くことができる。まだ、できる。

 

 自分でもどうしてかわからないが、何の確証もないことを当たり前のように信じている。私の頭の中には、全てが順調に進む未来だけがあった。

 

 おそらく、その輝かしい未来は何か問題に突き当たるたびに下方修正されていくのだろう。丸めた紙のように小さくクシャクシャになっていき、無価値なものになり下がってしまうかもしれない。その先の未来を、今の私は想像もできない。

 

 無知よりも愚かに、考えることを拒むがゆえに、人は前に進むことができるのかもしれない。それは間違いなく弱さでしかなかったが、生きるために必要なことだった。

 

 

 * * *

 

 

 漂流から4日目。依然として粘性の海は続く中、島を発見する。

 

 島と言っても、サンゴ礁の堆積によってできた砂の隆起に過ぎず、海上に顔を出している部分は十メートル四方もないほどの面積だった。潮が満ちれば完全に海中に沈むだろう。

 

 ただ、その付近は海底が目視できる場所がところどころ見つかるほどの浅瀬が続いていた。同じような小さな砂山の島が点在している。大陸が近くにあるのかもしれないが、見つけることはできなかった。

 

 そして、小島群を越えて流れ着いた先に大きな島を見つけた。入り組んだ潮の流れはこの島に吸い込まれるように向かっていた。上陸を果たすも、どこか不気味さを拭えない。

 

 とはいえ、幸運には違いなかった。このままオーラがいつ尽きるともわからない状態で漂流を続けていれば、そのまま衰弱死していた恐れもありえる。ひとまず、数日のうちに陸地へたどり着くことができたことは僥倖だった。

 

 だが、そんなかすかな喜びも上陸して間もなく消しとぶことになる。一歩、砂浜に踏み込んだ瞬間、異常を感じ取った。本体とクインの体からオーラが減っていく。微々たるものだが、体外へと吸い出されるような感覚があった。

 

 どこからか攻撃を受けているものと考え、すぐさまアルメイザマシンの感染機能をオンにするが、オーラの減少が止まることはなかった。オーラに関係する攻撃ならば、相手は念を使っているはず。なのに、アルメイザマシンに反応がない。

 

 攻撃ではないのか。敵の悪意を感知することはできなかった。例えば環境が作り出した特殊な現象であったり、この地に存在するリターンが特別な効果を引き起こしている可能性もある。

 

 いずれにしても、まずいことになった。ただでさえオーラの消耗が負担となっているこの状況で、さらに外部から余分なオーラを吸い取られることは看過できない。原因を突き止める必要があった。

 

 しかし、まず先にやらなければならないことは、クインを白い繭の外に出す作業だ。粘液の繭は強靭なシェルターと化していた。生半可な攻撃は受け付けない。特に打撃は一切通用しない。何の道具もなく、これを取り除くことは多大な労力を強いられる作業だった。

 

 本体の牙で少しずつ繭を食いちぎり、実に半日近い時間を要してクインを救出する。作業は早朝から開始したが、終わったときは日没に近い時間帯だった。

 

 これで酸素補給に使うオーラの消費はなくなったが、状況は一向に好転していない。オーラ吸収現象は絶え間なく続き、収支は以前より悪化していると言えた。

 

 島外に出ることも考えたのだが、その場合は再び先行きの見えない漂流生活が待っている。今日まで偶然にも穏やかな晴れの日が続いたが、一度でも雨風に見舞われればお終いだ。ここなら少なくとも天候不順が理由で死ぬことはないし、砂浜には昆布が打ちあげられているため食料の入手も容易である。

 

 滞在を決定する。目下、最大の課題はオーラ吸収現象の解決だ。可能なら、原因を排除したい。そのためにはこの島を詳しく調査する必要がある。

 

 外見からして不気味な島だった。海の上に突き出た台地のような形をしている。私が漂着した場所はこの台地の裾野に広がる砂浜である。草木は一本たりとも発見できなかった。無論、動物の気配も感じない。オーラを吸い尽くされて死滅してしまったのだろうか。

 

 台地の壁を登る。砂浜部と台地部は明らかに地質が異なっていた。灰色をした硬い岩肌はボコボコと小さな穴があき、軽石状になっている。大小様々な無数の穴は壁登りをするのに適していたが、何かが奥に潜んでいるような気持ち悪さがある。結局、何の気配も感じなかったのだが、警戒を怠らずに登った。

 

 台地の高さはそれほどなく、10分もせずに登頂できる程度のものだった。その上に広がる景色は何とも予想外のものであった。

 

 私が台地だと思っていたものは、環礁だった。サンゴ礁が環状に連なってできる地形である。大昔、火山島だった場所を中心としてサンゴ礁が広がり、その後、何らかの要因で火山島が沈降することによって環状の礁だけが海上に残り出来上がる。

 

 私がさっき登っていた壁は環礁の一端だった。内部にできた礁湖(ラグーン)を取り囲むように高い礁の壁が作られている。障壁の中に湖が隔離されているかのようだった。

 

 壁の最上部から広大な湖が一望できた。まるでガスに灯した火のように真っ青に輝いていた。今の時間帯は夕方である。空は茜色となり、海もまたそれを映したように赤く染まっているというのに、礁湖だけは冴えわたるような青だった。暗くなるにつれ、湖自体が青い光を放っていることに気づく。写真にでも収めて見れば絶景と言える美しさなのかもしれないが、じかに体験する身としては恐ろしさの方が先行した。

 

 湖の中心に一つだけ、小さな島があった。おそらく沈降した火山の頂がわずかに残った場所と思われる。そこに何かの影があった。クインの視力を強化して見るも、この距離からでは遠すぎて詳細はわからない。

 

 背丈の低い木のようなものが並んでいるようにも見える。何かがそこに密集している。しばらく観察を続けたが、その影が動く様子はなかった。しかし、生命の気配が絶えたこの島にして唯一、生きた存在がいることを臭わせる場所だった。

 

 結局、小島の影の正体はつかめなかった。得体が知れず、どんな危険があるかわからない。それ以前に、島にたどり着くためには湖を渡る必要がある。湖と言っても海水が流入してできたものであり、その水も粘液に汚染されている。渡る手段はなかった。

 

 

 * * *

 

 

 島に到着してから8日が過ぎた。

 

 オーラの吸収は続いている。そればかりか以前よりも吸収量が増えてきている。クインの最低限の存在維持にかかるオーラを払うことも難しくなってきた。慢性的なオーラ不足が続き、体調にも支障が出てきている。

 

 昆布をたくさん食べて新たに卵を作ろうとしたのだが、オーラ吸収が悪影響を及ぼしていた。卵になる前の生命として未分化な細胞の状態のときにオーラを吸収されてしまい、育つ前に死んでしまう。卵は生物として最も未熟で弱い状態とも言える。そのときに生命エネルギーを吸い取られると、きちんと命として作り出すことができないのだ。

 

 一旦は4割程度まで卵の残数が回復していたのだが、こちらのオーラ生産量が上がるにつれて吸収される量も増えていった。

 

 現在の卵の生産率はほぼ横ばいのまま、緩やかに下降している。卵がオーラを生み出す源である以上、その卵がどんどん失われていけば、さらに生産率の低下は大きくなっていくだろう。そのうち『偶像崇拝』の発動を維持することができなくなる。

 

 滞在3日目のとき、ついに天候が崩れ、大雨に見舞われた。海に出ていれば助からなかっただろう。島に留まった選択は間違っていなかったが、このままでは漫然とした死を待つのみだ。

 

 オーラは足元から地面を通して吸い取られているようだ。だが、地面に直接足をついていなくても吸収から逃れることはできない。アルメイザマシンで作ったサボテンの上に乗っていようと、しっかり吸い取られる。

 

 調べられる範囲で島を隈なく調査して回った。この近海は、私が今いる環礁を中心としてサンゴ礁が広がっていた浅瀬が続いているが、大陸とは繋がっていない孤島群である。

 

 環礁の半径は、少なくとも数十キロメートルはある。内部にはコバルトブルーのラグーンが広がる。この湖には青く発光する成分が含まれているらしく、夜になると光は顕著に観察できる。この光や水について今のところ、特に害は確認できない。

 

 湖の水深はかなり浅いようだが、数か所だけ底が見えないほど深く巨大な穴がある。それも自然にできたとは思えないほど真円に近い形をした穴だった。気になるが、現時点では調べようがない。

 

 環礁を一周して調べたが、オーラ吸収の原因は特定できなかった。残すは湖中心の小島だけだ。そこに何もなければ打つ手がない。

 

 ただ、明らかに怪しい場所である。当初は昆布を食べて卵を最大値まで増産し、『犠牲の揺り籠』を使用して攻撃する計画もあったが、早々に頓挫している。直接、乗り込んで調べるしかない。

 

 まるっきり手がないわけではなかった。実は、ここ数日で海の水位が大きく下がってきている。もともと浅瀬が多いこの近海では、干潮時に歩いて渡れそうな島もあった。礁湖の水深は周囲の海と比べても浅く、引き潮のときなら渡ろうと思えばできないことはなかった。

 

 しかし、たとえ水深が1センチだろうがその水たまりに足を取られるのがこの海だ。完全に干上がらなければ安心して渡れない。もし渡っている途中で潮が満ちてくれば厄介だ。小島に行って、何事もなく帰って来られるとも限らない。

 

 災厄と戦うことも視野に入れる必要があった。それでも行かなければならない。滞在10日目、時刻は早朝。ようやく日の光が海の向こうに差し込み始めた頃、青く輝く湖へと足を踏み入れた。

 

 湖の中でも特に浅い部分を選んで進む。干上がっていると言っても、濡れた足場はまだぬるぬるとよく滑った。小島までの距離は、おおよそ数十キロある。これがただの陸道なら念能力者にとってなんてことはない距離だが、必死にバランスを取りながらそれほどのスピードを出すことはできない。

 

 まだ水が残っている場所も多くある。足を滑らせてそこに落ちれば多大なロスが生じる。慎重にならざるを得ない。干潮によって行動できる時間は長く見積もっても1時間ほどだろう。時計もなく、進み始めてからどれだけ時間が経ったのかもわからないまま、刻々と積み重なる心臓の鼓動が余計な焦りを呼び込んでいた。

 

 小島まで行って帰ってくる時間は残されているのだろうか。それに加えて戦闘も想定しておかなければならない。消耗したオーラ、万全ではない体調、募る焦りは大きくなる。

 

 日と夜が交わる時間を、私は歩く。干上がって顔を覗かせた湖底の道は、青白く光を放つ溜まり水の中に黒く浮き上がっていた。のたうつ蛇のように幾筋も続く道の上を、黙々と歩き続ける。

 

 巨大な穴の横を通った。くり抜いたように丸い穴は、たっぷりと水が満ち、スポットライトを浴びる舞台のごとく煌びやかに輝いていた。一つの命もない虚ろな湖には、そぐわない華々しさ。誰もその舞台に降り立たないことを願いながら、そばを通り過ぎて行く。

 

 ゆっくりだが、確実に小島に近づいていた。それにつれて吸収されるオーラの量が増えていく。やはり、全ての原因はあの島にある。何としてでも確かめなければならない。

 

 小島は整った三角錐に近い形をしていた。地質は環礁にそびえたつ灰色の崖と同じものだった。ただ異なる点は、山頂に緑があることだ。そこにだけ植物らしきものが生えている。

 

 しかし、ただの植物ではない。小島まであと数十メートルと言った距離まで近づいたところで、その緑に動きがあった。遠目から木のように見えていた何かが移動している。ここまで近づけば、その正体をしっかりとこの目で捉えることができた。

 

 大きさは人間と同じくらいの植物だ。茎と大きな葉を手足のように動かし、地上を歩いている。茎の全体から細い毛のようなものが無数に生えている。それが根かどうか不明だが、地面とは繋がっておらず、自由に行動できるようだ。最上部には丸く肥大化し、カリフラワーのような花をつけている。実かもしれない。

 

 それらは私が接近していることを感知したのか、小島の波打ち際までわらわらと集まってきた。立ち止まらざるを得ない。

 

 クインは舌打ちした。薄々予想はしていたが、最悪の相手である。敵は植物。アルメイザマシンは、植物に感染することができない。

 

 植物が動物のように動き回り獲物を捕食する。そういった類の化物に、これまで出遭ったことがないわけではない。数は少ないが、ジャングルにはそんな非常識な敵もいた。しかし、私の能力の相性的に敵うはずもなく、全て戦闘を避けて逃走している。

 

 幸いにして敵は湖の中にまで踏み込んでくる様子はなく、島の岸で待ち構えているだけだ。粘液水はこの植物にとっても好ましいものではないらしい。互いにその場に立ち尽くしたまま、睨み合いが続く。

 

 植物たちの動きはそれほど速くない。こちらが陸にさえ上がれば簡単に翻弄できるだろう。しかし、向こうもそれをさせじと小島への上陸を阻んでいる。別の場所から回り込もうとすれば、当然敵もついてきた。

 

 だが、よく観察すればその動き方はどこかぎこちない。一体の植物が前方に立っていた仲間を押し出し、湖に突き落としてしまった。落ちた植物は必死に水たまりの中でもがくが、他の仲間は助けようとする様子もない。見て見ぬふり、と言うより、認識すらまともにできていないようだ。ただ私を岸に近づかせないことだけを優先している。

 

 そして植物たちからは悪意も感じることがなかった。何と言うか、自分の意思で行動しているのではなく、与えられた命令に従うロボットのような印象を受ける。行動が非常に単純なのだ。

 

 『凝』で確かめたところ、明らかに不自然なオーラを感じた。植物の体から細く伸び出たオーラの気配が小島の山頂の方に向かって、一本の糸のように続いている。これは操作系能力者特有のオーラの流れだ。

 

 どうやら山頂に能力者本体がいて、この植物はそれに操られているようだ。悪意を感じないところから見て、簡単なプログラム通りの行動しか取れない『自動操縦型(オートタイプ)』の生物操作。この数を一つ一つ『遠隔操作(リモート)』で動かすにはかなりの技量が必要となるのでそれは仕方ないのだろうが、能力者自身の位置を特定できるようなオーラの流れを残している点は決定的に未熟な証だ。

 

 一度に操作できる対象の数は多いようだが、念獣ならともかく元から実体のある生物操作なら難しいことではない。はっきり言って、念使いとしての技量はそれほど高くない。

 

 この植物たちを相手にしている最中も、オーラ吸収攻撃は続いている。その原因は、小島の山頂にいる存在が関わっている可能性はある。それがもし植物なのであれば、アルメイザマシンが通用しないことにも納得がいく。

 

 とにかく、この操られた兵隊植物を片づけないことには上陸もままならない。問題は、今の私の力で撃破可能かという点だ。

 

 外見だけを考慮すればそれほど強そうには見えない。巨体の持ち主でもなく、装甲も持たず、動きも遅く、個の力よりも数に頼り、見るからに貧弱だ。そういう敵は毒を持っていることが多いので気をつける必要はあるだろうが、近づかなければ問題ないのではないか。

 

 たとえアルメイザマシンが効かなくとも、『侵食械弾』には銃弾程度の殺傷力がある。植物たちは湖岸にひしめいて待機しているが、言い換えればそれはこちらを捕捉できるような遠距離攻撃の手段を持たないということを意味している。一方的に攻撃することが可能かもしれない。

 

 残された時間は少なかった。このまま何の収穫も得られないまま逃げ帰れば状況はさらに悪くなる。今日は湖を渡れるほど水位が下がったが、明日はどうなるかわからない。今日こそが潮汐の差が最も大きくなる大潮の日かもしれない。その日を正確に判断する知識や技術はなかった。

 

 今なら、まだ卵に余裕がある。クインが死んでも、ぎりぎり代償を払いきれる。そのような事態となれば危険であることに違いはないが、最悪でもクインを一回犠牲にすることでオーラ吸収現象の原因を取り除くことができるかもしれない。日に日に卵の残数が少なくなっているこの状況で、次の大潮を待っていては、そのチャンスすらなくなる恐れがあった。

 

 もとより危険を承知でここまで来たはずだ。覚悟を決めて弾丸を撃ち放つ。

 

 シスト弾は一体の植物の頭部(花)を撃ち抜いた。敵は事切れたようにその場に倒れ伏し、動かなくなる。避けるそぶりすら見られなかった。あっけなく敵を倒すことに成功する。

 

 少しばかり弱すぎることに警戒したが、弱肉強食の坩堝と化した暗黒大陸の密林に比べればこの島の環境は生ぬるい。周囲をヌタコンブの海で囲まれているから外敵の侵入がないのだ。言わば、私の本体が最初に生活していた巨大な蛇の背中に近い環境と言える。

 

 あの密林のように過剰な淘汰の中で進化を遂げていた生物の方が異常なのであって、この島の環境ならそれに合わせた強さの生物が生まれるはずだ。

 

 その推測は確かに正しかった。兵隊植物たちは弱かった。自分の意思で行動することなく、敵の反応に対して自動的に対処する。それは致命的な隙である。

 

 私は敵を侮っていなかった。むしろ、過剰に評価してしまった。“自分が敵の立場であればこのように行動する”という最適解を、勝手に当てはめていた。たとえば、飛び道具を持っているならさっさと使っているだろうという先入観から、敵は遠距離攻撃の手段を持たないはずだと。

 

 植物たちが何かを飛ばしてくる。反応が遅れた。『思考演算』を使うが、攻撃は既に行われた後だった。オーラを纏った念弾が大量に飛来する。

 

 回避は、できない。防御するしかない。しかし、得体の知れない攻撃だ。直に触れれば何が起きるかわからない。コンマ1秒の世界の中で、瞬時に判断を下す。

 

 『円』をアルメイザマシンで固めて防壁を作った。以前、クインが暴走した際に使っていた技である。鎧については再現できなかったが、円の防壁化は使えるようになっていた。

 

 敵がばらまいた念弾は、障害を意に介さず直進する。

 

 

「?」

 

 

 気がつけば、防壁に穴があいていた。『堅』で守りを固めていたクインの体にも、同様の穴があく。全てが終わるまで何もわからなかった。弾が貫通した衝撃は一切なく、ただ、通過した場所が最初から何もなかったかのように消滅している。

 

「あ、ぇ……?」

 

 遅れて血が噴き出す。この際、それはよかった。そんなことを気にしている場合ではなかった。

 

 クインの目が本体を捉える。本体に、穴があいていた。頭部の一部と胴体の半分が抉り取られたかのようになくなっている。ほつれた靴紐のように、はみ出した臓器が垂れ下がっていた。

 

 無論、本体も『堅』で最大級の守りを固めていた。私が持ち得る限り、最高の守りである。これまで傷つくことはあっても、決して砕けることはなかった装甲が、何の抵抗もなく。

 

 次の瞬間、クインの体に新しい穴が追加されていた。何の悪意もない、命令に従うだけの機械的な攻撃は、私の目を惑わせた。もし、明確な意思をもって攻撃されていたなら、その予兆を読み取ることができた。その軌道を察知できた。

 

 つまり、私は『悪意感知』という能力に頼り切っていた。何の活用もできず、ただ与えられた力の恩恵を享受していたに過ぎない。それが私の実力だった。

 

 植物たちは弱かった。ただ、私はそれ以上に、救いようがないほどに弱かった。

 

 クインの太腿が消えてなくなる。肩がなくなり、腕が落ちる。わき腹をごっそりと抉り取られる。クッキー型でくり抜かれた生地のように、丸い風穴があいていた。

 

 ほぼ無意識に、染みついた回避感覚が反射的にクインの体を動かしていた。かろうじて即死を免れる。カトライに助けられたと言っていい。手足の修復は後に回し、腹部の損傷を最優先で直していく。

 

 ――それで?

 

 ノイズが走る。本体の脳はまともに機能していなかった。卵に宿る意識が代わりに思考している。クインのように簡単に治せる傷ではない。温かい何かが流れ出て行く。自分の状態、置かれた状況を正確に理解していくほどに、全ての可能性が一つに収束する。

 

 ――もう無理だ。

 

 植物たちはそれ以上、追撃してこなかった。敵を仕留めたものと判断したのだろうか。攻撃の手は止んだが、依然として岸辺に待機しており、いつ襲いかかってきてもおかしくない状況が続いている。

 

 ――何をしよう?

 

 おそらく、すぐに息を引き取ることはない。キメラアントは頭部と胴体が切り離されても一日くらいなら生きていられる生命力をもつ。だが、それは生きているというより、死んでいないだけに過ぎない。死を待つ時間が長く与えられただけだ。

 

 ――何を

 

 産卵管から卵がポロポロと吐き出される。大事な動力源を体外に排出する理由はない。意図して取った行動ではなく、体が勝手に動いていた。

 

 例えるなら、叩き落とされた雌のハエが腹から蛆を撒き散らすように、それは生物としての本能だった。

 

 途端に、自分がこれから死ぬのだと理解した。靄がかかったようにかすんでいた行き先が、はっきりと眼前に現れる。それは今まで感じたこともない恐怖だった。

 

 肉体的な、生物学上の死ではない。こんなところで人知れず、誰にも気づかれず、最初から存在しなかったかのように、ゴミのように、虫のように、死ぬ。

 

 クインは叫ぶこともできなかった。声を出せば敵に気づかれるかもしれない。喉の奥に封じ込めた慟哭が、震えとなって全身を駆け廻った。意識が揺らぎ、視界が傾き、地面が揺れているような錯覚に襲われる。

 

 いや、それは錯覚ではなかった。本当に地震が起きている。植物たちが慌てたように島の中央へと引き返して行った。死を拒む私の嘆きが天に通じ、何者かが私に救いの手を差し伸べた。そんな都合のいい妄想を本気で信じそうになる。

 

 地響きと共に、湖の各所から巨大な塔が姿を現す。ここに来る途中でも見かけた、湖底の穴だ。その穴から螺旋状にねじれた塔が、何本もせり出すように上がってくる。良く見れば、それは細長い巻貝の殻だった。

 

 貝殻はその場でぐるぐると回転し始めた。貝殻の巻きに沿って青いラインが点灯し、ドリルのような回転に合わせて光を強めていく。その光に吸い寄せられるように、湖面から青い粒子が飛び立ち始めた。空気中を雪のように青い光が飛び交う。

 

 この島に滞在した数日間で、このような巨大生物の出現は見られなかった。確かなことは言えないが、今日という日が関係しているのかもしれない。私が干潮を利用して湖を渡ったように、この生物は習性として大潮の日に湖上に現れるのではないか。

 

 この巨大な巻貝が湖の水に含まれる青い光の成分を捕食するだけなら、今の私にとって救いとなっただろう。

 

 本体が、巻貝の方へと引っ張られ始めた。地面にしがみつこうとするが、ぬめる湖底の砂地はつかみどころがない。クインが本体を手で引き留めるも、吸引力は次第に強まり、ずるずると引きずられていく。

 

 クインに対して、この力は働いていない。確認出来る限り、本体と青い粒子のみが影響を受けている。もしかすると、この粒子は金属なのではないか。まるで磁石に引き寄せられるように見えない力に捕らわれる。

 

 巻貝は、私に対して何の悪意も抱いていなかった。当たり前だ。皿の上の食物に対していちいち害してやろうと息まく者はいない。ましてや、私はクジラに捕食されるオキアミのようなものだ。個としての存在すら認知されていないだろう。

 

 そこに壮大な物語などない。この島の生物の営みに紛れ込んだ不純物が淘汰される。ただそれだけの、ひどく単純な話だった。

 

 私は弱かった。生きることも許されないほどに弱い。ここで死なずとも、いつかこのときは来ただろう。

 

 困難にぶつかったとき、それを克服することで成長してまた前に進めると思っていた。あまりにも甘い。限界を迎えたとき、その絶望を乗り越える機会さえ与えられず、現実は唐突に終わる。

 

 

「あああアアアァァァァ!」

 

 

 クインに悪意の影を重ねた。黒煙が鎧を形取り、いまだ修復が間に合わない手足の代わりの義肢となる。

 

 覚悟が足りなかった。格上の相手がいくらでもいることをわかった上でなお、持てる力を自ら制限し、くだらない信条にこだわっていた。生き残るためには、あらゆる力をかき集めなければならなかった。

 

 もう、諦めよう。

 

 人間であろうとすることが生きることを妨げるのであれば。

 

 今の私に、この海を渡る力はない。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。