カーマインアームズ   作:放出系能力者

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3話

 

 私にとって人生最大とも言える問題は解決した。もうおなかの中に違和感はない。卵そのものがなくなったわけではないが、私自身と同化した存在となっている。これは私の中で発現した念能力の効果によるものだ。

 

 通常、一般人が念能力に目覚めるまでにはいくつもの過程がある。まずは瞑想し、オーラを認識することで自然に精孔が開く。そのとき同時に、精孔から溢れ出るオーラを体の周りにとどめる技術を得る。これができないと開かれた精孔からオーラが流れ出続けて気を失ってしまう。これが修行の基礎中の基礎、四大行『纏』だ。

 

 この纏をしっかりと身につけた上で、よりオーラを引き出し爆発的なパワーを生み出す技術『練』を学ぶ。また、これとは逆に精孔を閉じることで気配を消す『絶』という技もある。

 

 『纏』『練』『絶』の修行を経て、オーラの扱いを心得る。その先にある念能力の集大成が『発』だ。この技は習得する人間の個性によって千差万別、つまりその人だけが持つ固有能力である。

 

 このように数々の修行の末に身につく特殊能力『発』を、私はその過程を無視して習得してしまった。普通はありえないことだが、ごくまれにこういった例外も存在する。念の修行をせず、それどころか念の存在すら知らない者が才覚だけでいきなり『発』を使えるようになるケースがあるようだ。私の場合はこれに当てはまると思われる。

 

 ただし、その場合は無意識のうちに能力を作り上げてしまうため、本人が詳細を把握しきれず、歪な効果を生み出してしまうことが多い。『発』とは本来、自分の特性に合わせた能力を自分自身、熟考した上で編み出す技だ。私も自分の『発』を正確に把握しているとは言い切れない。使用感からなんとなく効果を予想できる程度の認識だ。

 

 この能力を、私は『精神同調(アナタハワタシ)』と名付けた。おそらく『操作系』と呼ばれるカテゴリに属する能力だ。操作系は他者や物体を念で支配して操ることを得意とする。このとき何らかの『媒体』を用意することが多い。例えばコインに念を込め、そのコインを拾った者を操る、と言うように。

 

 このように誰でも無条件に操れるわけではない。媒体を用いた場合は、その媒体を除去されると効果が解除される。他にも様々な制約が課されることの多い能力だ。その反面、一度能力が発動すれば操られた者に抵抗する術はないという強力な効果を発揮する。場合によっては能力発動中もほとんどオーラを消耗せず、長期的に操り続けることが可能である。

 

 私の場合、媒体は“電波”である。キメラアントがもともと持っている電波通信能力を利用している。普通に使えば連絡用の通信電波でしかないが、これに微弱なオーラを乗せて発信できるようになった。

 

 実体のない電波であれば媒体を破壊される心配はなく、これを防ぐ手段は限られてくる。さらにとてつもなく広範囲に影響を及ぼせる。純粋な放出系能力者であっても、並みの能力者ではこれほどの範囲は網羅できないだろう。この念波を受信した相手を操る能力……と、思われる。まだ詳しく検証をしていないのでわからないが、この推測が正しければ強力な能力だ。強力すぎて怖いくらいだ。

 

 私の体が産卵をせずともよくなったのも、この能力の効果によるものだろう。おなかの中の卵を操作して、自分でもどうやったのかわからないが産卵機能を停止している。あるいは、自分自身を操作しているのかもしれない。自分を操る操作系能力というのもあるのだ。と言うか、産まれていない卵を操るというのも自分を操ることと同義なのかもしれない。

 

 非常に強力な能力を手に入れられて嬉しい。だが、喜ぶ前にやらなければならないことがあった。食事だ。もうおなかぺこぺこで死にそう。

 

 巣の外に放り出されはしたが、いまだここは赤い森の中。荒野がすぐ近くに見えているので外縁部だと思われる。食料である赤い石はいくらでもあるのだ。餓死することはない。

 

 と、思っていた。

 

 この赤い石が、すさまじく硬いのだ。私が今まで食べてきたものとは全く別物である。本気で噛みついても傷一つつかない。体力が弱っていることを抜きにしても尋常でない硬さだった。

 

 よく観察すると、いつも食べていた石と色が違う。あれは薄紅色をしていた。ここの石は黒みを帯びた暗赤色である。まさか食べられる石と食べられない石があるのか。知らなかった……。

 

 だが、今から巣に戻るわけにもいかない。今度こそ殺される可能性がある。もう私は女王アリではなく、ただの追放者だ。自分の面倒は自分でみなければならない。何とかこの石を食べる他にない。

 

 普通に噛みついていても手に入るのは削りカスが関の山だろう。そこで良い案を思いついた。『纏』をした状態になろう。纏は主に防御のための技だが、身体能力も向上するはず。

 

 思った通り、あっさりと纏ができた。先に『発』に目覚めるという変則的な形を取ったが、それにより私の精孔は開かれている。なのにオーラを消耗することなく自然体でいられるということは、既に纏のやり方を体が覚えているのだろう。そうでなければオーラが枯渇して危険な状態になっているはずだ。

 

 体の周りを覆う光の膜が見える。ただし、できたのは『纏』までで『練』はできなかった。そううまくはいかないか。練の修行は未熟なうちから取り組むと変な癖がついて逆に成長を妨げるという。しっかりと纏を使いこなせるようになってから改めて練習しよう。

 

 纏を施した私の牙は、何とか赤い石に食い込んだ。さっきまで全力を出してもかすり傷一つつかなかったので、確かに力は上がっている。しかし、それでも硬いことに変わりはなかった。何度も噛みつき、少しずつ欠片を切り取っていく。

 

 破片を切り出した後も苦行は続いた。今度はそれを飲み込めるまで噛み砕かなければならない。顎がおかしくなりそうだった。極めつけに味も悪い。いつも食べていた石と比べて雑味が多い。いかに自分が恵まれた環境にいたのか理解した。

 

 それでも食べることを止めようとは思わない。これまで私は食事を拒否してきた。生物として根幹をなす欲求を抑え込んでいた。その辛さに比べれば、この暗赤色の石を食べることくらい何でもない。むしろ、食べることが許されたことに感謝した。私は“私”を保ったまま、食事をすることができるようになった。それは大いなる喜びだった。

 

 ボリボリと石をむさぼり食う。纏をしたままの状態でなければとても食べられたものではない。これは良い修行になりそうだ。そうだね、前向きに考えよう。

 

 

 * * *

 

 

 ひとまず、私が最初に掲げた目標は『傷の完治』だ。この体が私の唯一の資本である。健康にならなくては始まらない。そのためにはよく食べて、よく休むこと。その当たり前のことが難しい。

 

 食料は何とかなった。次に必要なものは水だ。ある意味、こちらの方が食べ物より大事である。多くの生物は水無しでは生きられない。私たちもその例外ではない。

 

 この荒野は過酷な環境だ。近くに水場はない。少なくとも私が生まれてから雨が降るところを見たこともない。とにかく乾燥している。雨季があるのかもしれないが、悠長にそれを待っている余裕はなかった。

 

 しかし、他のアリたちはどこからか水を調達していた。巣の近くにも、当然水場はなかったはずだ。あの水はどこから得ていたのだろうか。

 

 喉が渇いた私は水の味を思い出す。よく考えるとあれは、ただの水ではなかった。赤い石と同じ味がしたのだ。私は兵アリから口うつしで水を与えられていたので、唾液が混ざってそんな味になったのかもしれない。

 

 しかし、別の視点からから考えてみよう。私は食料のことを『赤い石』と呼んでいるが、これが石ではなく植物であるということに気づいている。植物であれば生きる上で水が必要になってくるはずだ。

 

 植物なら根があり、地中から水分を吸収している。私たちが飲んでいる水は、もしやそこから得ているのではないか。この仮説がはずれていたら、巣に戻って水を恵んでもらわなければならなくなる。相手にされないことは確実だ。いや、攻撃されるだろう。

 

 水を求めて地中を掘り進んだ。纏をした状態で掘ると楽なのだが、ずっと維持し続けることは難しい。オーラが切れる前に疲労が先行して集中力が切れる。纏の持続時間延長も課題に入れた上で穴掘りに取り組んだ。

 

 ただ穴を掘ると言っても、これがなかなかに重労働だ。乾燥してガチガチになった地面を掘り進むのは体力がいる。まあ、赤い石を噛み砕くよりはまだマシなのだが、面倒なことが多い。掘った後の土の処理だ。

 

 柔らかい土なら穴の周囲の土を押し固めて道を作れるのだろうが、乾燥した土は掘るほどに道を塞ぎ、身動きが取れなくなる。だから少し掘っては土を外へ運び出し、を繰り返さなくてはならない。だが、これも修行だ。確かこれと似たような修行法があった、気がする。

 

 結局、根に到達するまでに三日かかった。赤い植物の根部分は地中深くにあったのだ。乾き死ぬよ。これで水がなかったら巣に殴り込み、強奪するしかない。

 

 結論として、水はあった。根部分は柔らかく、わずかな水分を含んでいた。そう、ごくわずかだ。しなびてほとんど干からびた根は、本当に機能しているのかと思うほど弱弱しい。さらにその水分の味は、格別に不味かった。

 

 本当にまっずい。暗赤色の石より不味い。苦みと渋みが織りなすコラボレーション。それでも貴重な水分だ。できるだけ根を傷つけないように注意しながら苦汁を舐め取った。一舐めで毒素が濃縮されているとわかる。私たちはこの毒に耐性を持ち、戦闘手段として利用しているので本能的にわかる。

 

 耐性を持つこの体でも、その濃縮された毒素は処理限界を越えるモノだったのか、少し気分が悪くなった。完治への道のりは遠い……。

 

 

 * * *

 

 

 私が放り出されたこの場所には、なぜ品質の悪い暗赤色の石しかないのか考えてみた。

 

 思うに、私が食べているこの赤い植物の個体自体が死にかけなのではないか。もっと言えば、赤い森の外縁部に生えている植物全てが死にかけなのだ。森の外縁部にある赤い植物は全部、暗赤色をしている。だから根も痩せ衰えてろくな水分もないのではないか。

 

 私の巣があった場所はこの森の中心付近だった。あの場所は、もっと明るい色をした植物が多かったと思う。つまり、中心部に行くほど新しい個体が増え、外縁部に行くほど古い個体が増える。いわば、この森そのものが一つの年輪構造をとっているのだ。

 

 まとめると、私が追放されたここは立地条件最悪の場所だった。おのれ。

 

 しかし、もう私はこの程度のことで泣きごとを吐くような弱虫ではない。まずい石も水も、今では慣れた。いや、むしろ最近はこの味の良さがわかってきた。この何とも言えない独特の渋みが癖になっている。

 

 水も得られる量は少ないが、私一人が生きていけるだけの分は確保できている。濃縮された毒にも慣れた。中毒症状は見られず、体調は順調に回復していった。

 

 外骨格に負った傷も再生している。傷口を覆うように新たな硬質の組織が形成された。ただ、その部分だけ形が歪になってしまった。そして食べている石の影響なのか、だんだんと体の色が黒みががってきている気がする。

 

 ただ、千切られた脚については再生しなかった。三本脚のままである。せめて四本残してくれていたらバランスが取りやすかったのに。そのせいで頭を地面に擦りつけながら歩かなくてはならない。王アリめ……これは人間の世界で言うところのあれだ、ド、ド……ドラマティックバイオレンスというやつに違いない。

 

 完全回復に一カ月を要した。念の修行については、あまり進展したとは言えない。いまだに練はできていなかった。そう簡単に扱えるものではないとわかってはいるが、焦る気持ちが募る。

 

 修行は楽ではない。辞めたいと思うことはしょっちゅうある。だが、私は次の目標を掲げた。それは「一人で生きていけるだけの強さを身につける」ことだ。そのためには、ここでへこたれてはいられない。

 

 私は群れから外れたアリだ。それどころかアリとしての生物の枠組みからもはずれかけているのかもしれない。念という力にも目覚めることができた。既に群れとしての生き方を止めて、個としての生活を送るだけの力を得た。

 

 だが、それではまだ足りない。きっと、この赤い森の外の世界には、私の想像も及ばないような危険が山のようにあることだろう。私にはもっともっとやりたいことがある。この赤い森の中で一生を終えるつもりはなかった。

 

 

 * * *

 

 

 朝、私の一日は瞑想という名の日向ぼっこから始まる。

 

 いや、ちゃんと瞑想もまじめにしてるよ。でも、日向ぼっこも大事なのだ。夜間の冷え込みのせいで固まった体をお日さまの光でほぐす必要がある。

 

 さらに日光浴には大きなメリットがある。なんと私たちは外骨格に日光を浴びることで光合成ができるのだ。

 

 キメラアントは食べた生物の特徴を受け継ぐので、赤い植物の光合成能力を取り込んでいてもおかしくない。他のアリたちは光合成の仕組みなんて理解していないだろうが、習性的に日向ぼっこの有用性に気づいているようだ。そのためかあまり暗所を好まない。

 

 光合成だけで全ての栄養を賄えるわけではないので、食事もちゃんとする必要はある。しかし、燃費はかなり良い。私は産卵のために栄養を取る必要があったので毎日食べていたが、これは一般的な兵アリから見るとかなりの大食らいである。

 

 しかし昼になると日光浴を通り越して鉄板焼き状態になってしまうので、あえてゆっくり日差しを浴びるのは朝方だけだ。リラックスした状態で瞑想しながら、ついでに『絶』の練習もする。

 

 絶は難しい。練も絶もいまだに成功しない。これらは精孔を開いたり閉じたりすることで体外へ送り出すオーラ量を調節する技術だ。その感覚がよくわからない。無意識のうちに精孔を開いてしまったのが災いしたのか、そのあたりの感覚があやふやである。

 

 瞑想していると、かすかな物音が近づいてきた。森の中から兵アリが出て来る。私たちキメラアントの暮らしは森の中心部近くで完結しているため、普通の兵アリはこの外縁部まで来ることはない。食料も水も、中心部の方が良質で潤沢だからだ。

 

 この兵アリは王の直属護衛軍である。彼らの仕事は巣の外に出て次の交配相手を探すことなので、たまにこうして出くわすこともある。私たちの体長からすればこの森は広大なので、そう頻繁に顔を合わせることはないのだが……。

 

 絶! 絶!

 

 気配を消したつもりだったが、普通にバレた。こちらに気づいた先方が、警戒音を発してくる。私たちの関係は良好とは言い難い。明らかな敵対関係にはないと思う。もしそうなら兵アリが群れをなして私を排除しにくるはずだし、そもそも追放されるときに殺されている。

 

 ただ、向こうが私を異質な存在として扱っていることは確かだ。こうして顔を合わせれば警戒音を鳴らされる程度には嫌われている。私は『精神同調』の能力を使って、兵アリたちに念波を送った。

 

 通信能力を持たない直属護衛軍でも念波は感じ取ることができるようだ。もっとも意思のやり取りはできない。異常を感じ取った兵アリたちは私の前から立ち去った。私はもっぱらこの『精神同調』の能力を、兵アリを追い払うためだけに使っている。

 

 というよりそれ以外に使い道がない。回避不能・解除不能の超広範囲操作というありえないほど強力なこの能力には、その性能を上回って有り余るほどの重大な欠点があった。

 

 単純に、効果が弱い。まともな自我を持っているかも怪しいアリにさえ、支配を突っぱねられてしまう。電波通信はテレパシーに似た特性をもつため、それがこの能力にも反映されている。まず、相手の心の中に自分の意識を入りこませてから支配するのだが、そのアクセスの段階で弾かれるのだ。

 

 だから、相手にちょっとした違和感を与える程度の嫌がらせにしか使えないのである。ただ、失敗しているだけで能力自体が発動しないわけではない。自分自身への操作が成功している感覚はある。現在進行形でその支配は継続している。

 

 何か私が知らない制約でもあるのだろうか。無意識に生み出した『発』がこれほど厄介なものとは思わなかった。歪と言われるわけだ。それでも私にとっては必要な能力である。後悔はない。

 

 ただ、それはそれとして他の能力も作りたいという気持ちはある。今度こそ自分で考えた能力がほしい。だが、練もできていない現状ではまだ先の話だ。まずは四大行をしっかりとこなすことに集中しよう。

 

 

 * * *

 

 

 キメラアントの在来種は地下に巣を作らず、地上部に泥を固めて“蟻塚”を建造する。しかし、私たちの種は日光を好むためか、このタイプの巣は作らない。赤い植物をくりぬいた穴をそのまま巣とする。構造は非常に単純で部屋数も基本的に一室しかないため、マンションのようにいくつもの穴を作って一つの群れが生活している。

 

 私も今ではマイホームを自作している。食べ進めた結果できた穴を流用しているだけだが、それは他のみんなも同じだ。自分なりに頑張って作った自慢の家である。

 

 まず玄関。日当たりのいい南向きの入り口は、常に開放的に開け放たれている。扉はなく、その見晴らしの良さからセキュリティは万全だ。

 

 中に入ると広々としたエントランスが訪問客を出迎える。他に部屋はない。私が追放されてから日数を数えるため一日ごとに刻みつけた傷が壁一面に広がっており、趣深い。

 

 寝床は安心と信頼の石製。いっそ地面の上で寝た方がまだ安らげる前衛的な作りとなっている。その寝心地は、寝具の大切さを身にしみて教えてくれることだろう。

 

 ……などと一人芝居をしながら自分を納得させている。まあ、別に不便なところはない。私のライフスタイルは、食事・修行・休息の三つで構成されている。寝るとき以外は、いつも外にいる。

 

 不便はない、が、不満はちょっとだけあった。私が人間の記憶をもっているせいだろうか。少しずつ、人間らしい暮らしをしてみたいという気持ちが現れ始めているように思う。アリである私が、そんなことを望んだところで無意味だというのに……。

 

 余計なことは考えず、今日も修行に専念しよう。私は家の外に出た。そして、家の前にいた何かと目が合う。

 

『あ、え?……なんでここに……』

 

 王アリだった。姿を見るのは、追放されたあの日以来である。なぜ今になって私の前に現れたのか。無意識に、体が後退していた。家の中へと逆戻りする。

 

 それを追うように、王が私の家へと上がり込んでくる。恐怖がこみあげてきた。私の恐れの源泉が目の前にいる。なぜだかわからないが、全ての元凶がそこにある気がした。

 

 キチッキチッ

 

 威嚇音を鳴らされる。こちらに近づいてくる。体がすくんで動けない。何をしようというのか。また傷つけられるのか。何のために。

 

 確かに私は彼に逆らった。キメラアントとして、群れの統率者としての使命に背いた。だが、その制裁なら受けたはずだ。死んでもおかしくないほどの傷を負わされた。そして生かされ、戯れのようにまた傷つけられるというのか。

 

(嫌だ)

 

 思い出せ。何のために私は力を求めた。一人で生きて行くため、理不尽に抗うため、世界の広さを知るためだ。ならば、こんなところで臆してしてどうする。この程度の恐怖も克服できずに、何が念の修行だ。お前はまた、何もできずにただ屈するのか。

 

『違う! 私は』

 

 オーラを纏う。恐怖を打ち払うように、全身に気を行きわたらせる。

 

 群れのみんなに、これ以上迷惑をかけるつもりはなかった。この森の片隅で、ひっそりと生きていくことを見逃してくれればそれでよかった。だが、こうして実力行使にでてくるというのなら、最低限の抵抗はさせてもらう。

 

 悠然と近づいてくる王アリを前に、私は体を縮こめた。萎縮したわけではない。むしろ逆だ。脚のバネを限界まで縮め、次の一手に向けて力を溜めている。

 

 私の脚は三本しかない。歩くことが不便になった私は、別の移動方法を思いついた。それは跳躍だ。バッタのように跳躍することで素早く長距離を移動する。もともと私たちの脚はそのような機動ができる構造にはなっていないが、念の力によって強引に実現する。

 

 跳躍は逃げるために行うのではない。その脚力をもって跳び立ち、全力で敵に体当たりを食らわせる。全身を鎧のような外骨格で覆われた私の体当たりなら、かなりの威力をもった攻撃になる。

 

 相手も同じ鎧を身に纏っているが、その強度で負けるつもりはない。これまで私はより硬質な暗赤色の石のみを食べてきた。明度で言えば、私の鎧の方が王アリよりも暗い。推測が正しければ、こちらの方が頑丈なはずだ。

 

 さらにそこに念の力をプラスする。『纏』によって防御力を上げ、さらに硬く、強くさせていく。この一撃に全力を注ぐ。それをもって相手にわからせるのだ。誰を敵に回そうとしているのかを。

 

 王アリが私の体に食らいついてきた。牙を突き立ててくる。その瞬間、思い出したくない記憶が一気に噴き出した。心的外傷のフラッシュバックは、まさに閃光のように私のオーラを刺激する。

 

 精孔が開いた。初めてその感覚を実感する。爆発的に高まる『纏』のオーラ。いや、これは『練』だ。極限の状態で練に目覚めると同時に、私は脚に込められた弾性エネルギーを解放する。

 

 爆発、衝突。自分でも何が起きたのか実感できない。だが、理解はできる。私のバッタジャンプが炸裂し、王アリを吹き飛ばして壁に叩きつけたのだ。

 

 鈍い音が巣の中に響く。王アリは崩れた体勢を立ち直した。ゆっくりと、こちらを威圧するように歩いてくる。

 

 ギチ……ギチ……

 

 オーラまで使って渾身の体当たりを決めたというのに、まるで効いた様子がない。彼の外骨格には傷一つついていなかった。

 

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。相手が私の強さを認めるまで、何度でも挑戦してやる。私は再び脚を引き絞った。

 

 王アリは、まるで撃ってこいと言うかのように立ち止まっていた。避けずとも、防がずとも、その程度の攻撃は問題ないと言わんばかりの態度だ。どうやら、自分の力を過信していたのは私の方だったようだ。念が使えるから自分の方が強いと自惚れていた。

 

 オーラを『練(ね)』る。もっと強く、自分の限界のその先を見据える。敵は動かず、的を外すことはない。時間をかけて集中する。もっと、もっと、もっと……。

 

(……?)

 

 しかし、引き絞られたバネはゆっくりと元の状態へと戻った。何かがおかしい。目の前にいる王アリから、さっきまで感じていた威圧感が消えている。静寂だけが残されていた。

 

 私は『精神同調』を発動した。念波が王アリの体を“通過”する。捉えられない。アクセスを拒否されたのではなく、そこには“何もない”。

 

 王アリは死んでいた。

 

 

 * * *

 

 

 王アリの死の後、私の巣には多くの兵アリが集まってきた。王の直属護衛軍だ。今までは互いに警戒するだけで直接的な接触はなかった私たちだったが、今度ばかりは平和的な終息は見込めなかった。

 

 兵アリたちは私を敵と認識し、襲いかかってくる。私は殺した。向かってくる全てのアリを殺していった。

 

 話が通じる相手ではない。彼らにとって群れの存続こそが第一義の存在理由であり、群れの敵を倒すためなら死もいとわない。保身や撤退と言った選択肢を最初から持たないのだ。最後の一匹になるまで攻撃は止まず、最後の一匹まで殺すしかなかった。

 

 私たちの外骨格は硬い。私の体当たりをもってしても一撃で壊すことは叶わない。だが、その中身に詰まっているのは筋肉と内臓だ。逃げられない衝撃を与えれば内部を破壊することは可能である。練を覚えた私の攻撃を受け切れるアリはいなかった。

 

 正確に言えば、攻撃を受けても死なない者の方が多い。キメラアントの強靭な生命力は、内臓をぐちゃぐちゃに破壊されても死を許さないようだ。死を待つだけの致命傷を負いながら、命尽きるまで生かされ続ける。それは生命として正しい進化の仕方なのだろうか。私は相手が完全に死ぬまで攻撃を続けた。

 

 こうして王アリと直属護衛軍は全滅した。幸いにして、キメラアントの群れ全てに私が敵として認識されたわけではないようだ。王アリの派閥は、元の巣の組織から独立している。戦いの因果は、ひとまずここで中断した。

 

 私は墓を作った。母の墓と、父の墓だ。

 

 私は自分の父親を殺してしまったわけだが、そこに後悔はない。葛藤のようなものもない。これは別に彼を恨んでいたためではなく、本当に何の感情もわかないのだ。彼が私にとって恐怖の象徴であったことは確かだが、逆に言えばそれだけでしかなかった。

 

 母の墓を作ったのも、なんとなくだ。キメラアントの生態を考えれば、私は母の命を犠牲にしてこの世に生を受けたも等しい存在である。私が母を殺したとも言える。そういうことにしてもいい。だからと言って、そこに罪悪感を覚えるようなこともない。

 

 私は人を弔うという気持ちがわからなかった。そういう齟齬は他にもたくさんある。人間の記憶は持っているが、それは単なる情報でしかない。それらの情報の背景には人間が人間として当たり前に持っている常識や倫理観があるのだろう。

 

 言語化するまでもなく人なら誰しも持つであろう感覚。私にはそれがところどころ欠けている気がする。

 

 墓を作ったのも、その感覚を知りたかったからだ。人間らしい行動を取れば、答えを導き出せるのではないかと思った。その答えはまだわからない。

 

 直属護衛軍の墓は面倒だったので作らなかったのだが、彼らの分も作った方が良かっただろうか?

 

 

 * * *

 

 

 三か月が過ぎた。

 

 纏・絶・練・発。『四大行』を一通りこなせるようになる。修行の段階も進んだが、何分私は念に関して素人だ。断片的な知識をもっているにすぎず、自分がやっていることが正しい修行法であるか自信はない。

 

 とにかくオーラを消費することを心がけた。常に纏をした状態を続け、そこから練の持続時間を延ばすために毎日特訓した。これが応用技の『堅』の練習であると思うのだが、本当にできているのか、どの程度完成に近づいているのか不明だ。

 

 四大行の応用技には『凝』『隠』『円』『周』『堅』『硬』『流』がある。これらの習得に向けた訓練に加えて、『発』の系統別修行が必要となってくる。特にこの系統別修行が何をやればいいのかわからない。

 

 そもそも自分の系統が何なのか、実は判明していなかった。水見式をやろうにも、ここには水がない。おそらく操作系であろうと目処をつけて、『精神同調』を意識して使っている。しかし、使う対象が自分しかいないので、どのくらい上達しているのか、そもそも何か進展しているのかわからない。

 

 操作系と相性が良い放出系の特訓も始めた。バッタジャンプに合わせてオーラを噴射し、飛距離を伸ばせないか試している。今のところ、放出するより普通に脚をオーラで覆っただけの方が跳ぶ。

 

 ない物ねだりだが、やはり念能力の指導者がほしいところだ。手さぐりで修行法を探していくのも限界がある。何か決定的に間違った修行をしていてもそれに気づけないという怖さもある。心源流という念戦闘の流派があるようだが、人間の世界に行けば私も習えるだろうか。アリでは無理か……。

 

 修行法に疑問を抱くこともあるが、諦めずに続けることにした。いつしか修行は苦ではなくなっていた。今の私から修行を取ったら食って寝るしかやることがない。唯一、私の人間的行動と呼べるものがこの修行なのだ。怠る気は微塵も起きなかった。

 

 そして、ある日を境として、私の体に変化が現れ始める。緩やかに成長していたオーラ総量が急激に上昇した。

 

 オーラを扱う念の修行によって、自身の持つオーラの総量が増すことは普通にある。私も修行を始めた当初はぐんぐん総量が増えていった。そして成長期を通り越すと次第に増加量は緩やかに横ばいへと移行していく。私もこの段階に入っていた。

 

 それがまるで限界を無視するように伸び始めたのだ。三日の修行で四倍近いオーラが増えたと言えばどれだけ異常かわかるだろう。

 

 そしてさらにおかしなことに、この増えた分のオーラは意図して使うことができなかった。体の中に残り続けたままで引き出せないのだ。使えるのは増加する前の自分が有していたオーラ量のみ。

 

 初めは何が起こったのか理解できなかったが、瞑想を続けるうちに何となく原因の正体がわかってきた。新たに増えたオーラは私の腹部に集中している。私がおなかの中で操作している卵が、それぞれオーラを帯び始めていた。

 

 


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