カーマインアームズ   作:放出系能力者

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29話の後半を変更しました。新主人公の性格を前主人公(クイン)に近づけました。ただし人格は共通していますが、記憶の大半は失われた別人という扱いになります。


楽園の島編
30話


 

 雪山での一日は、雪かきから始まる。この島の天気はだいたい曇りか雪だ。風が強くない限りは早朝から外に出て小屋周辺の雪を片づける。

 

 除雪用のスコップは小屋に備わっていた。緊急時のための備品だろう。最低限、雪山で数日は生きていけるだけの物資が色々と置かれていた。

 

 持ち主に断りもなく使っているが、こちらも遠慮していられるほどの余裕はない。発見した当初、入り口は鍵がかかっており、最初は誰か人がいるのではないかと周辺をうろうろしていたのだが、結局寒さに負けて侵入した。屋内はほこりが積もり、誰かが使用している様子はなかった。

 

 物資の中でも衣服や毛布が充実していたことは助かった。私の体……虫の方の体はあまり寒さが得意ではないようで、外で活動するとただでさえ遅い動きがさらに鈍る。ただ、死ぬほどの寒さを感じるわけではなかった。しかし、人間の体である少女はそう簡単にはいかない。

 

 人間は全裸で雪山暮らしができない生物である。他の動物と比べて皮膚を覆う体毛が少ないのは、効率よく熱を発散して運動における持久力を高めるための進化と言われる。その代わり、寒冷地に進出した人種は動物の毛皮などから衣服を作り出して適応してきた。

 

 その進化の過程に倣い、私も動物などを狩って毛皮から服を作らなければならないかと思っていた。しかし、まず毛皮を得られそうな動物が見つからない。見つけたとしても捕まえられる自信はない。そんな状況でこの小屋を見つけられたのは幸運だった。

 

 少女はサイズが大きめのダウンジャケットを着ている。ぶかぶかなので、虫本体はその隙間に潜り込んで暖を取っている。そのせいで背中がもっこり膨れ上がって少し不格好だ。他にもニット帽や手袋、靴といった防寒着一式を身につけている。どれも長いこと放置されていたらしく薄汚れていたが、使えないことはなかった。

 

 この島で生活を始めてもう一週間近くが経つ。衣服や毛布と言った備品についてはかなり多くそろっていたが、その一方で食料はあまりなかった。缶詰や乾物などの保存食が数日分あるだけだ。しかも賞味期限が書かれているが、今が何年なのかわからないので当てにならない。

 

 しかし、これについては問題なかった。虫本体は食べるものを選ばない雑食で、そのあたりに生えている木の皮でさえ食料となった。そして、少女についても空腹を耐え忍び救助を待つようなことにはならなかった。

 

 何も食べなくても衰弱しない。栄養状態が悪化するようなことはなかった。

 

 このような人間として、生物としてありえないような特徴を少女はいくつか持っていた。出会った当初から不思議な存在であったが、やはり普通の人間ではないらしい。その生態について検証を行った。

 

 まず、彼女は飲食せずとも生きていける。本体が空腹を感じればそれに連動しておなかが空くが、本体の腹が満たされればそれで事足りる。睡眠についても同様に、本体の感覚と同調している。私の意識がない間、彼女自身も眠っているのかどうかは不明だ。

 

 しかし何も食べなくてもいいが、全くエネルギーが必要ないわけではない。それは本体の持つ“生命力”である。これは感覚的にそう捉えたものを言葉にしただけであって、その正体が何なのか定かではない。仮称として生命力と呼んでいる。

 

 つまり、少女は本体から生命力を吸い取って生きているようだ。人間であるとか生物であるとか以前の超常現象的解釈であるが、そうとしか言いようがない。私が持つ人間の常識に照らしあわせれば明らかな異常である。

 

 だが、そもそもその知識自体、ただ受け継いだだけのものであり、全てが真実である保障はない。もしかしたら、この少女のような存在は地球上に当たり前に暮らしており、私がそれを知らなかっただけかもしれない。

 

 生命力を吸われると言っても、それによって特別負担を強いられることはなかった。通常時は、意識しなければ気づかないほどの消耗である。しかし、その消費が一気に増える場合もある。

 

 それは彼女と本体との距離が大きく開いてしまった時だ。だいたい5メートルくらいなら離れても問題ない。それ以上の距離を取ると吸い取られる生命力の量が増え、少女の体も操作しづらくなる。100メートルくらい離れると疲労困憊で動けなくなってしまう。一心同体というか一蓮托生というか……彼女と私は物理的にも離れられない関係になってしまったようだ。

 

 また、少女が傷を負った時、その回復にも多くの生命力を使う。その回復力が尋常ではなく、小さな擦り傷や切り傷程度は一瞬のうちに治ってしまう。島を歩きまわっているときに足を滑らせて崖から落ち、片脚を骨折してしまったことがあったのだが、そんな大怪我でさえ数秒で完治してしまった。

 

 怪我の程度が大きいほど回復に必要な生命力も大きくなる。生命力を使いすぎると疲労が溜まり、度が過ぎれば意識がもうろうとしてくる。しかも、この回復は自動的に行われるため、どれだけ疲れていようが待ったはかけられない。傷が完治するまで容赦なく吸い取られる。

 

 身体の負傷だけではなく、髪を切っても同じように元の長さまで再生する。傷から出た血液や、切った髪の毛など、分離した体の一部はしばらくその場にとどまるものの、一定時間経過すると跡形もなく消滅してしまう。

 

 このように少女は不思議な点を上げればきりがない。離れることはできないし、生命力は吸われるし、敵なのか味方なのかもまだよくわからない。だが、私にとって彼女がなくてはならない存在であることに違いはない。少女は私の“人間である”という自意識を満たしてくれる。それを認めてくれる唯一の存在だった。

 

 私と彼女の感覚はつながっている。歩こうと思えば歩き、持とうと思えば持つ。それらしい振る舞いはできた。しかし、まだ完全ではない。頭で考えた通りに少女を動かせるわけではなかった。

 

 動作の一つ一つがぎこちなく、緩慢だった。ある動作を取ろうとしても、それが実行に移されるまで大きなラグがある。そして、その動作がきちんと遂行される前に別の動作を取ろうとするとフリーズする。

 

 まるで処理速度の遅いロボットだ。私はもっと上手く彼女を動かしたかった。もっと人間らしい動きができるようになりたい。そのために、とにかく体を動かし続けた。

 

 日課の雪かきも訓練の一環である。それが終われば島の探索だ。人の手が入っていない自然のままの森や山は、歩くだけでも大冒険だった。何度足を取られ、転び滑り、怪我をしたかわからない。

 

 しかも、私たちの感覚共有にはあるルールがあった。これはいつでも自由にオンオフできるのだが、痛覚だけは遮断できない。他の感覚を全て断ち切ろうとも、少女が受けた痛みだけは本体に必ず返ってくる。

 

 怪我をするたびに痛い思いをしなければならない。最初はデメリットでしかないと思った。どうして一番いらない感覚だけ解除不能なのか。そんなルールなくてもよかったのに、と。

 

 だが、意味はあったのだと思う。痛みとは、生物が生きる上で必要な感覚だ。体に発生した異常を速やかに察知するためのシグナルである。決してなくてもいいものではない。

 

 失敗するたびに痛みがあった。だからこそ、次からは気をつけようと学ぶこともできた。もし、何の痛みも感じなかったとしたら、訓練の上達はもっと遅れていただろう。まるでゲームの中でダメージを受けたプレイヤ―キャラがHPを減らすように、そこに現実味を感じることはできなかったかもしれない。

 

 雪かきをすれば屋根から落ちた雪に埋もれ、山を登れば滑落し、森を歩けば道に迷い……この体でなければ何度死ぬような目に遭ったかわからない。だが、その甲斐あって随分と身体の操作にも慣れてきた。今では雪かきも一時間で終わらせられるようになった。非力だが回復力によって疲れ知らずなので、効率よくやれば何とかなる。

 

 日常生活を送る程度の動きなら問題なくできるようになったと思う。次に考えるのは、これからどう生きていくのかということだ。

 

 まずは現状を把握するため、この島の探索を綿密に行った。綿密と言っても素人がやみくもに歩き回っただけなのでどこまで正確かわからないが、可能な限り調べてみた。やはり、この島に人が住んでいる形跡はない。

 

 しかし、前人未到の未開地というわけでもない。私が生活している山小屋など、いくつかの人工物は見つけることができた。海岸にはボートを泊める小さな埠頭があり、外部との往来をうかがわせる場所も発見している。

 

 船が来れば島を出る機会があるだろう。そのとき、遭難者を装って近づけば救助してもらえるかもしれない。その場合、そもそもどうしてこんなところで遭難しているのか説明できないという問題も出てくるわけだが……。

 

 山の上からは海の向こうに陸地らしき影を見ることができた。この少女の体なら、最悪泳いで島を出ることも可能かもしれない。本当に最悪のケースだが。真冬の海を長距離泳ぐなんてことはしたくない。

 

 島を出たところでまともに生活を送れる自信はなかった。それはつまり、人間社会の中で生きていくということだ。たった一人で生きていくのならこの島から出る必要はない。

 

 この体が人間に見えたとしても、私自身は異種族だ。人種の違いどころではない。秘密をさらけ出して暮らしていけるような場所ではないだろう。正体を隠しながらどこまで人と関わっていけるのだろうか。

 

 このまま誰とも会うことなく、島に隠れ住むことの方が楽に思えた。しかし、気がつけば毎日のように山頂に登り、海の向こうの陸地を見ている。すると、居ても立ってもいられなくなる。なぜかわからないが、島から出たくてたまらなくなる。この海を越えたいという意欲が湧く。

 

 はっきり言って、自分の気持ちに整理がつかないというのが正直な気持ちだった。島から出たくもあり、出たくもない。しばらくはまだこの島に残るつもりだが、これから先どうするかは自分でもわからなかった。

 

 物思いにふけっていたせいで雪かきの手が止まっていると、一羽のスズメが飛んできて少女の頭の上にとまった。大きさや鳴き声がスズメに似ているのでそう呼んでいるが、色は雪っぽい灰色をしている。ちゅんちゅん鳴く。

 

 今のところ、この島で見かけた唯一の動物である。かなり人に慣れており、こうして近づいてくるものもいる。餌付けなどされているのかもしれない。試しにニシンの缶詰を差し出したときは見向きもされなかったが。

 

「ちゅんちゅん!」

 

 この鳥を見かけたときは挨拶(鳴きマネ)するように心がけている。そうすると向こうも鳴き返してくれるのだ。小鳥相手に鳴き合戦を繰り広げる様子は極めて空しいものを感じないでもない。だが、小鳥だろうと何かしら反応が返ってくる相手がいるというのは多少の心の支えになっていたりもする。

 

 もともとは発声練習のために声を出していると鳥が集まってくるようになり、それがいつの間にか鳴きマネ練習にシフトしていた。声を出すのもなかなか難しいのだ。人間ほど多様な鳴き声の表現を使い分ける動物はいない。思い通りに声帯や口腔の形を操って言葉を発することはまだできなかった。

 

 言語に関する知識はあるのだが、肉体を通してそれを表現することはまた別の苦労がいる。話せないが読み書きはできる外国語のような感覚に近いだろうか。ただ、これについては人間相手に会話できる環境が整えば、自然に話せるようになっていきそうな気がした。

 

 だから鳥の鳴きマネはその予行練習のようなものである。決して遊んでいるわけでも、無駄なことをしているわけでもない。ないのだ。

 

「ちゅん……」

 

 

 * * *

 

 

 雪雲の下、群青よりも黒く濃い海の上に一隻の船があった。小型のモーターボートは白波を後方に描きながら、とある島を目指して進んでいた。

 

「教授ぅ! もうちょっと安全運転でいきましょうよぉ! おれっちの商売道具が潮まみれになっちまう!」

 

 船には二人の男が乗っていた。一人は20代くらいに見える若い男だ。一目見て印象に残るのは、首筋から頬にかけて大きく彫られた刺青だ。燃え盛る炎をイメージさせるデザインだった。そのならず者じみた見た目のくせをして、情けない声を出しながら同乗者に文句を垂れている。

 

 男が商売道具と呼ぶ荷物は撮影機材だった。首からは古びた一眼レフカメラを提げている。慌てて飛沫がかからない奥の方へ自分の荷物を移動させているが、実際にかなりのスピードで船が航行していることは事実だった。

 

 その船を操縦しているもう一人の男が速度を緩める様子はない。教授と呼ばれたその男はがっしりした体格の壮年だった。灰色のハンチング帽に丸眼鏡、無精ひげと眉毛には白髪が少なくない数混じり、斑模様になっている。これでパイプをくわえさせれば往年の名探偵に見えないこともない。

 

 眉間に刻まれた深いしわは長年、彼がしかめ続けてきた表情に由来するものであり、今となってはほぐすこともできないほどだ。その鋭い眼光は船の行き先のみを見つめていた。

 

 その場所の名は『シロスズメ島』。最高速度を維持したボートは、ほどなくして島に到着する。船着き場に降りるなり、教授は自分の“嫌な予感”が当たったことを確信した。

 

「侵入者だ」

 

「え? まじで? なんでわかんの?」

 

「そこに足跡があるだろう」

 

 刺青の男は教授が指さす場所を見るが、どこにも足跡など見えない。仮にあったとしても、この雪である。数時間もあれば新雪に埋もれ、跡形もなく消えてなくなる。その痕跡を平然と見つける方がどうかしている。

 

 ――チチチチチ

 

 唐突に、教授は鳥のさえずりのような声を発した。まさに小鳥がその場で鳴き始めたかと聞き間違えるほどの鳴き声であった。それが終わると、今度は黙して耳をそばだてる。

 

 常人が見れば何をやっているんだと疑問に思うような行動であるが、今はそれを指摘してはならないことを刺青の男は知っていた。男の耳には何も聞こえないが、教授は森から返ってくる“声”を聞いている最中だ。それを邪魔すれば彼の逆鱗に触れることになる。

 

「……どうやら、賊はまだ島内にいるらしい」

 

 教授は荷物の中から無骨な木の塊を取り出した。クロスボウである。1メートルほどの台座に対して弓部は太く、横に大きく広がり、遠目から見ればツルハシのように感じるほどだ。見た目からして人力で引けるとは思えない。発射するボルトは矢というより、銛のような大きさと形状をしている。

 

「お前はしばらく潜んでいろ」

 

「手伝わなくていいんで?」

 

「余計な世話だ。私の“狩り”についてこられるのなら話は別だが」

 

 そう言い残すや否や、教授はその場から姿を消した。消え去ったかに見えるほどの見事な『絶』。そして雪と森の木々に紛れ、わずかな痕跡からどこまでも獲物を追跡し追い詰める技術。それは彼が生粋の狩人であることを物語っている。

 

「ヒュー! さすがは“一つ星”密猟ハンター……おっかねぇおっかねぇ」

 

 

 * * *

 

 

 雪ふる森は、しばしば人に幻想を見せる。

 

 吹雪に凍え、視界を塞ぐほどの雪の先に、この世ならざる何かを見る。それは毛むくじゃらの大男であったり、あるいは美しい女であったりする。彼も経験がないわけではなかった。無論、それはありもしない錯覚だとわかっているが、彼ほどの狩人をしても雪に感覚を惑わされる一瞬というものが稀にある。

 

 しかし今日のような風のない森で、これほどはっきりと雪の幻惑を目にしたことはない。

 

 しんと静まり返る森の中を一人の少女が歩いていた。その様子を見ながら狩人ハン・モックは、どうしたものかと思案する。

 

 彼はプロのライセンスを持つハンターである。ただの狩猟許可を得た猟師ではない。『ハンター』とは、国際的にも絶大な地位を認められる資格である。年に一度、試験によって合否が判定されるその資格は、数百人にも及ぶ挑戦者が殺到するが、合格者は多くとも片手で数えられるくらいしか出ない。一人も合格しない年も珍しくないほど狭き門である。

 

 ただし、彼の本業は鳥類の生態研究者であり、ハンターの資格は様々な調査に有用だったため取得している。この島は彼が主に研究しているある鳥の生息地であり、その調査のためにここで一人暮らしている。絶滅危惧種に指定されている鳥であり、滅多にないことだが密猟者がやってくることもある。ハンターの資格はその処理に役立つため、密猟ハンターを名乗っているに過ぎない。

 

 この島は彼が所有しており、自然保護の目的から一般人の立ち入りを禁止している。この国の法的には私有地への立ち入り制限に過ぎないのだが、それがプロハンターの布告となると話が変わってくる。なにしろ例外的に殺人さえ免責されるほどの権力が与えられた資格者である。無許可で侵入した者はどんな目に遭わされようと文句は言えない。公的機関でさえ、彼の承認無しに島へ入ることは困難を極める。

 

 これまでにも彼は密猟者狩りを行ってきた。まず地理的にも気候的にも船が誤って漂着するような場所ではない。侵入者は十中八九、良からぬことを考えている連中である。

 

 それでも何らかの事情で不可抗力的に、あるいは何も知らずに島を訪れる者がいないとは限らない。目の前の少女もまた、密猟が目的でやって来たとは思えなかった。

 

 だが、モックは安易に少女を信用するようなことはしない。それは全く根拠のない不審感というわけではなかった。

 

 事は一カ月ほど前にさかのぼる。ある日の夜、就寝中だったモックは地面の下から響くような大きな音に起こされた。鳥たちもその夜は一晩中、落ちつきなく騒いでいた。

 

 その翌日、周辺の海上に多数の魚の死骸が浮き上がっていた。その多くがこの辺りでは見られるはずのない深海魚であった。同様の現象がこれまでに数回発生している。島の近海で何らかの異常が起きているものと思われた。

 

 できる限りの調査は試みたのだが、鳥類を専門とする生物学者である彼では原因の特定にまで至らなかった。さらに踏み込んだ調査となると多くの機材と専門家の協力が必要となってくる。

 

 さらに間の悪いことに、研究活動のために不可欠な予定が重なり島外に出なければならない用事ができた。本当なら異常が続いている状況で島を離れることはしたくなかったのだが、研究者であるがゆえに研究だけに没頭することが許されない場面もある。

 

 ついでに海の異常についても調べられないか伝手を当たってみたのだが、成果は得られなかった。そのせいで予定以上に島を空ける時間が増えてしまった。そして大急ぎで帰ってきてみれば、留守を狙ったかのように侵入者がいる。

 

 無関係だとは思うが、偶然の一致というには出来過ぎているような気もする。とりあえず、警戒するには十分な理由だった。用心するに越したことはない。

 

 ただ見たところ、何の変哲もない少女である。何の変哲もないと言いきるには少しばかり目を引く容姿をしているが、それを除けばただの子供。身のこなしから見ても、何かしらの武芸を修めた人間には見えない。

 

 そこまで疑うのは大げさな反応ではない。実際に、その類の手練れは存在する。念能力者の中には見た目を幼く偽り、敵の油断を誘う曲者もいる。オーラの操作は老化を抑え若さを保つ効果があるし、発によって外見を取り繕うことは可能である。

 

 念能力者には身に纏うオーラに特徴がある。精孔が開いた者は『纏』によってオーラを体外にとどめなければ生命エネルギーを激しく消耗してしまう。その点、念能力者ではない一般人は精孔が『詰まった』状態にあり、その隙間から漏れ出るようにオーラを垂れ流しているため、見分けることは容易である。

 

 少女のオーラの流れは一般人のそれであった。漏れ出るオーラの量が多いように感じるが、それでも精孔が開いているようには見えない。

 

 ただし、ある程度の実力者になるとこのオーラの流れを偽装し、一般人になりすます者もいる。モックが知るところで言えば、『纏』と『絶』の中間を維持するようにして精孔を意図的に詰まった状態にする技法がある。個人の技の精度によって偽装の上手さやそれを見抜く目(『凝』)も変わるので絶対に成功するわけではないが、達人の偽装ともなればモックにも見抜ける自信はない。それを疑い始めればきりがないが。

 

 少女が身につけている服は、よく観察すれば何となく見覚えがあった。今は使っていない山小屋に置いていたものだった。隠すように建てていたわけではないが、発見するにはそれなりにこの島を探索しなければわからないような場所であった。

 

 全身、もこもことしたサイズの合っていない防寒着に身を包んでいる。ゴムが劣化して硬くなった防寒長靴まで拝借しているらしく、モックが観察している限り、足を取られて既に二回は転倒していた。背中の部分が不自然に盛り上がっており、服の中に何かを隠し持っていると思われる。

 

 総合的に判断して、遭難者のようにも思える。だが、それにしては元気が有り余っているし、精神的にも追い詰められているようには見えない。島に残っている痕跡は彼女一人の分だけであり、保護者などの同伴者はいないようだった。特に目的のようなものも見て取れず、森の中をやみくもに歩き回っていた。

 

 しばらく追跡を続けたが、これ以上観察を続けても得られるものはないと判断した。直接話を聞いた方が手っ取り早い。モックは手に持っていたクロスボウを構え、少女に向けて照準を合わせる。

 

 彼は操作系能力者だった。愛用のクロスボウを発動媒体としている。もちろん一緒に携帯している矢を発射することもできるが、今回装填されている矢は実体のないオーラで形成された『念弾』である。この矢で相手を撃ち抜くことにより、対象を操作する。

 

 彼の能力の名は『脚撃ち(クレバーハント)』という。その効果が敵の完全操作であったなら少女から真実を聞き出すことも簡単なのだが、それほど便利な能力ではなかった。その名の通り、操作対象となるのは“脚”のみである。撃った方の脚を一本、操作できる。両脚を操るためには両脚をそれぞれ射抜く必要がある。

 

 しかし、戦闘だけを考えるならそれでも十分な効果と言えた。全身を操作するまでもない。片脚の自由を失うということは戦闘において致命的な隙となる。効果範囲を限定している分その支配は強力で、ただ動きを封じるだけでなく関節の可動域を越えた動きをさせて破壊することもできる。念弾を撃ち込めば操作できるという比較的簡易な発動条件で使いやすく、彼の念能力者としての資質は決して低いものではない。

 

 さらに『絶』の応用技である高等技術『隠』を用いて念弾を不可視化することまでできた。基本的に自分の体から離れたオーラは著しく操作が難しくなる。念弾のように完全に身体から分離させたオーラを維持したまま遠距離まで届かせるには、高い放出系の技術が必要となる。操作系は放出系と隣り合う相性の良い系統とはいえ、その念弾に隠まで施すとなれば難易度は跳ね上がる。純粋な放出系能力者でもおいそれとできることではない。

 

 彼自身が優れた狩猟者としての技術を身につけており、地形を巧みに利用した潜伏状態からの隠を用いた不意打ちの念弾となれば、まずよほど実力に開きがある相手でもない限り回避は困難である。一発でも技が決まれば独擅場となるのが操作系の強みだ。クロスボウの物質操作に主眼を置いた能力構成をしているモックは近接戦闘の練度において大きく劣るが、最初の奇襲さえ成功すれば負けはない。

 

 この矢状の念弾は具現化されたものではないため、一般人にはそもそも見ることができない。しかも殺傷力を全く持たず、当たっても操作能力を発動させる以外の効果やダメージはないのだ。一般人であれば攻撃を受けたという事実さえ認識できないだろう。

 

 話を聞く前に保険をかけておく。大した手間ではない。ただ、おそらくありえない可能性だが、もし彼女がその攻撃に対して何らかの反応を見せたとすれば、彼も“狩り”に本腰を入れる必要が出て来る。

 

 ありえないと思いながらも決してその可能性を捨てることはなかった。『そんなことは起こり得ない』と決めつける思い込みこそ、最も危険な油断にして学問を志す者の大敵である。

 

 クロスボウの弓部は既に引き絞られていた。弦を引きながら矢の照準を合わせなければならない弓と違って、クロスボウは事前に弦を張り詰め台座に固定した状態を維持できる。弦を引く作業と矢を撃つ作業を分離しているため、弓ではできない強力な引き絞りが可能となる。後は着実に照準を合わせ、引き金を引けばいい。

 

 しかし、多少の長所を並べ立てたところで一部の局面を除けば兵器としては衰退した過去の遺物である。威力だけを求めるなら銃器の方が遥かに高く、そして扱いやすい。なぜそんな武器に固執しているかと言えば、銃が嫌いだからだ。

 

 銃を使えば多くの痕跡が残る。銃弾は仕方ないにしても、発砲音、閃光、火薬の臭いがある。サプレッサーなどで軽減できるが、それでも彼は銃特有の始末の悪さを感じてしまう。彼が狩る対象はあくまで密猟者であり、野生動物ではない。研究対象となる生物のストレスとなるような要因は少しでも遠ざけたいと思っている。

 

 そして、彼のように原始的な武器を好んで扱う念能力者というのは、実は多い。彼らはオーラを武器に纏わせることでその性能を向上させる『周』という技術に長ける。刃物であれば切れ味が、防具であれば耐久性が増す。その武器が見た目通りの性能しかないとは限らないのだ。

 

 であれば銃を強化すればいいように思うが、それはそれで問題がある。弾丸の威力を強化するにしても、素人が下手に手を加えればもともとの威力を相殺する結果になりかねない。弾自体の推進力を阻害せず、かつそこにオーラによる強化を加算し、さらに放出系の応用によって分離したオーラの制御を維持するとなると、とんでもない精度の『周』を要求される。

 

 単純な構造をした武器ほど強化の伸びしろも大きい。銃器で武装した集団をナイフ一本で制圧する、使い手次第でそんな非常識もまかり通る。

 

 クロスボウはやや複雑な構造をしており、遠距離武器は総じて強化の難易度が上がるきらいがあるが、銃器ほど扱いは難しくない。オーラで強化された弓は強靭なしなりと弾力を得る。優れた使い手ならば、そこに矢への強化を加えることでさらに威力は増強される。

 

 そして使い慣れた武器であればあるほど、その使用感は本人の肉体と一体化し、より高い精度で『周』を施すことが可能となる。彼が構えるクロスボウもまた、旧時代の骨董品と侮っていい代物ではなかった。

 

 射撃体勢に入る。幾度となく繰り返されたルーチンが、精神を最適化する。雪に音を吸われ静まり返った森において、なお密やかに狩人の牙は獲物を狙う。無音の一矢が解き放たれようとした、そのときのことだった。

 

 一羽の小鳥が舞い降りる。降り立った場所は、少女の頭の上だった。まるで梢にとまるかのように自然にそこでさえずっている。モックは目を見開いた。彼はその鳥の生態をよく知っている。人前に滅多に姿を現すことがないほど警戒心の強い鳥だ。

 

 無邪気に鳥と鳴き合って歩いて行く少女の後ろ姿を見送りながら、彼は深いため息とともに構えていたクロスボウを下ろした。

 

 


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