カーマインアームズ   作:放出系能力者

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31話

 

 いつものように森を散歩する。たわむれにスズメが寄ってきて、頭の上の定位置にとまる。そこまでは普段通りだった。

 

 いつもは散歩が終わるまで図々しく居座るスズメが急に飛び立った。そして、前方の木の陰から人が現れる。いつからそこにいたのかわからないが、紛れもなく人間だ。突然の邂逅に、何の反応もできずただ立ち尽くしてしまう。

 

「あーその、まあ、なんだ……」

 

 年配に差し掛かった男が話しかけてきた。向こうも最初の言葉を言い出しあぐねている様子だった。難しい顔をして帽子の上から頭を掻いている。

 

「私はハン・モック、プロのハンターをしている者だ。ここに生息する鳥の生態調査のため、この島で暮らしている。君は誰だ?」

 

 プロのハンター……猟師だろうか。無人島だと思っていたが、人が住んでいたらしい。私が“よそ者”であることは彼から見れば一目瞭然にわかるらしく、誰何されることは当然と言えた。

 

 しかし、何も答えられない。まともな言葉すら発することもできず、気まずさから目をそらしてしまう。

 

 一応、人と会ったときの対応を考えてはいた。だが、いざ出くわしてみれば全くと言っていいほど役に立たないシミュレーションだった。遭難してこの島に流れ着いたとか、記憶喪失で何も覚えていないとか……どう考えても怪しまれる言い訳しか思いつかない。

 

 かと言って、本当のことを正直に話すわけにもいかないだろう。正体は蟻ですと言ったところで信じてもらえないだろうし、逆に信じてもらえたとしたら余計に厄介なことになる。そもそも、自分が置かれている状況について自分自身わかっていないことの方が多いのだ。

 

「迷子か?」

 

 私が黙っていると、男の方から尋ねてきた。私はうなずく。とりあえず、迷子ということにしておこう。

 

「親は?」

 

 首を横に振る。

 

「島から出たいか?」

 

 首を大きく縦に振る。

 

「そうか……ついてきなさい」

 

 そう言うと、男は背を向けて歩き始めた。詳しく素性を問われなかったことは助かったが、このまま男の後をついて行って大丈夫だろうか。しかし、ここで逃げ出せばさらに怪しまれる。それに島からすんなり出ることができるのなら、まさに渡りに船と言えた。

 

 私は男の姿を見失わない程度に距離を取って、その後をついて行った。

 

 

 * * *

 

 

 案内された場所は森の奥深く、山麓の切り立った崖が露出した地帯だった。この辺りは足場が悪く、ただでさえ不安定な岩くれの上に雪が積もっているため、あまり近づかなかった場所だ。

 

 だが、モックが雪の上に残した足跡をたどると、不思議と足を取られることがない。どうやら道があるらしい。奥まった岩棚に隠されるようにして建物が姿を現した。彼はドアの鍵を開けて中に入っていく。

 

 てっきり船着き場まで案内してくれるのかと思ったのだが、予想外の場所に着いてしまった。モックは私を強制的に連れて行こうとする様子はなく、むしろさっさと先に進んで行った。ただ、こちらの歩みが遅れたときには待っていてくれた。

 

 結局、私も彼に続いて建物の中に入る。そこは私が住んで山小屋のような埃っぽい空気はなく、人の暮らしぶりをにおわせる生活感があった。ただ、山積みになった本やファイルが所狭しと置かれており、片付いているわけではない。

 

「コーヒーは飲むか?」

 

 モックはまきストーブに火をつけている。書類が積み上がったテーブルを簡単に片づけて、椅子に座る。私も座るように勧められたので、恐る恐る従った。

 

「さて……一応、この島は許可のない一般人の立ち入りを禁止している。環境保全と密猟の取り締まりのためだが……そういう事情を抜きにしても、君の素性を全く聞かずに放り出すわけにはいかない」

 

 どうやら見逃してもらえたわけではなかったようだ。むしろ、尋問するためにここに案内したのだろう。騙されたという気がしなくもない。

 

「そんな目で見るな。君を保護するために必要な措置でもある……だが、まあ、話したくない事情があることは見ればわかる。見ず知らずの他人にいきなり話せるようなことではないのかもしれないが」

 

 ぱちぱちと燃え始めたストーブの音だけが室内に響く。居心地の悪い沈黙に、うつむくことしかできない。

 

「この島には珍しい鳥が住んでいる。白い小鳥を見たか?」

 

 すると、モックは別の話題を切り出してきた。あのスズメのことだろう。それなら見飽きるくらい見たので素直にうなずく。

 

「正式名称はシオカンバネハセンクムカギドリと言う。変な名前だろう?」

 

 私がうなずくと、彼は「私が付けた名前だ」と言った。ずっとしかめっ面をしているため、冗談を言ったのかどうなのかわからない。

 

「もう三十年以上前の話だが、私が大学で研究員をしていた頃、偶然発見した鳥だった。非常に警戒心が強く、その生態は謎が多い。当初は類似した別の種と混同されていたのだが、調べを進めるうちに全く異なる種であることが判明した」

 

 発見できたのは運が良かったからだと彼は言った。幻の鳥と言っていいほど人前に姿を現さないらしく、その生息数もよくわかっていないが、生息地はごく一部に限られており、絶滅危惧種に指定されているという。

 

 それにしてはこの島のシオカンバネ……スズメは人に慣れているように思う。

 

「君の体にこの鳥がとまっているところを見た。普通ならありえないことだ。野生動物には総じて言えることだが、自分にストレスを与える存在を鋭く察知する感覚がある。この鳥は特に敏感な部類だ」

 

 なんと捕獲しただけでショック死してしまうほどだと言う。感覚が強すぎるゆえに絶滅に瀕しているとも言える。生物淘汰と言えばそれまでだが。そのせいで現時点での人工飼育は不可能とされているらしい。

 

「それでもな、死体でもいいから手に入れたいというクズがいるんだ。ただ珍しいというそれだけの理由で大金をつぎ込み、密猟者を雇う愚か者がたまにいる。だが、この鳥を捕まえるのはそう簡単なことじゃない。少しでも欲を出した相手に近づくことはない。だから、君が良からぬことを企んでこの島に来たわけではないことはすぐにわかった」

 

 確かに、私は小鳥たちをどうこうしたいと思ったことはない。だが、それだけで果たして野生生物が無警戒に近づいてくるものだろうか。彼が嘘をついているようにも思えない。

 

 小鳥たちは私に何を感じ、何を感じなかったのだろうか。もしかしたら、私は自分が人間にそっくりだと思い込んでいるだけで、根本的に異なる部分があるのではないか。

 

 なにせ、私は人間ではないのだから。

 

「この鳥は、人間にとってただ珍しいだけの存在ではない。私は彼らが鳴き声によって独特のコミュニケーションをとっていることを突き止めた」

 

 それは鳥言語と呼ばれている。この島のスズメに限らず、鳥類が持つ独自の意思伝達法らしい。古くからその存在は人々に知られており、伝統的な漁法を続けている漁師は海鳥の鳴き声からその日の天候を予測するという。

 

 しかし、今日においては気象・災害予測技術が発達し、鳥言語は占いや迷信のように扱われることが多くなった。実際に、読み手によって当たり外れの差は大きく、個人の感覚によるところがかなりあるようだ。

 

 モックはこの変わったスズメの鳴き声にある規則性を発見したという。詳しいことは専門的な話になったため私には理解できなかったが、研究を進めれば鳥言語の体系化が可能になるかもしれないとのことだった。

 

「少なくとも、その糸口はつかめた。もしかすれば将来的に、誰でも鳥と会話できる時代が来るかもしれない。外国語を扱うように鳥たちの言葉を学ぶことができれば、今までになかった社会の分野が拓かれることになるだろう……そのときは、そう予感した」

 

 ストーブの上でヤカンが湯気を吐き始めた。彼は席を立ち、マグカップにインスタントコーヒーを淹れる。カップの一つと、角砂糖が入った瓶が差し出された。

 

「研究はできなくなった」

 

 密猟者のせいだと言う。彼らは鳥を捕まえられないと知ると、その鳥が住む環境そのものを破壊し始めた。逃げ場をなくし、追い詰めるためだ。そしてストレスに弱いスズメは死んでいった。密猟者はその死体を持ち帰って売りさばく。

 

 裏社会に足を突っ込んだ犯罪者たちを相手に、当時一介の研究員でしかなかったモックは何もできなかった。ただ鳥たちの住処が壊されていく様子を見ていることしかできなかったと言う。

 

「私のせいだと思ったよ。私が学会に論文を提出しなければ、その鳥に価値があることを世に示さなければ、密猟者は来なかっただろう」

 

 結局、その当時は密猟者の破壊活動によって変なスズメは絶滅したものと断定された。彼はそれからハンターの資格を取り、世界各地を旅してまわったそうだ。しかし数多くの鳥を研究し、成果を残したが、彼の心が満たされることはなかった。

 

「そして十年前、この島の存在を知った。百年前までこの島には集落があり、古い民話がいくつか残されていた。その中に、私が探し求めていた鳥を示唆する記述があった」

 

 この島は近年になり『シロツバメ島』と呼ばれているが、地図上では別の名称がついているらしい。シロツバメは滅多に見ることのできない神聖な鳥としてこの地域だけで知られ、その名を口にしただけでも逃げ去ってしまうと伝えられている。

 

「ここはあの鳥たちにとって、地上に残された最後の楽園なんだ。私はこの島に骨を埋める覚悟で研究を続けている。だが鳥言語の研究を再開して十年になるが、まだ解明にはほど遠い……」

 

 学会では、彼の研究を夢物語と嘲笑う者も多いという。それほど難解で、終わりの見えない研究対象だった。そして、それを苦労の末に読み解いたところで本当に社会の役に立つものなのか、たどり着いてみなければわからない。

 

 だが、わからないからこそ、それを求める。わかりきった答えなど必要ない。その行動が無駄かどうかは、やり遂げた後に考えればいい。たとえその先にあるものが取るに足らないものだったとしても、それならそれで良い。

 

 彼は学者であるが、それと同時にハンターでもある。ハンターとは、未知の探究者であると彼は言った。

 

「種族も、生態も、思考も、何もかも異なる相手と意思疎通を図ろうというのだから、これが簡単にできるわけがないことは初めからわかっていた。まあ、ほとんど趣味みたいなものだから、諦める気はさらさらない」

 

 ただの負け惜しみかもしれんがと、モックは締めくくった。

 

 彼が自分の境遇を語ったことは、単に世間話がしたかったがためではないだろう。むしろ、口下手な印象を受ける人物だ。それでも最後まで話してくれたのは、自分がどういう人間であるか、私に教えるためだったのだろう。

 

 誰だって、初めて会った人間と腹を割った話をすることは難しい。信用できるかどうかわからない。だから、彼は歩み寄ってきた。次は、私が行動を示す番だ。

 

 本音を言えば、何もかも洗いざらい喋ってしまいたかった。自分が人間ではないことも、虫の体に意思が宿っていることも、この不思議な少女の体についても話したい。生物学者である彼ならば、この身体について何か知っていることやわかることがあるかもしれない。

 

 何よりも、彼ならば私を偏見の目で見ることはないのではないか。本気で鳥とお話しようと考える人間だ。蟻とだって分かり合えるかもしれない。少なくともすぐに駆除しようとか、そういうことを考えるような人ではないように思う。

 

「……わ、たし……」

 

 肺からせり上がってきた息がか細い声となって喉を震わせる。話せば楽になるはずだ。彼なら理解者になってくれる。自分が本当は何者であるのか、それを教えてくれるような気がする。

 

 しかし、胸の内で燃え上がった炎はすぐに勢いを弱めていった。結局、それ以上の言葉は出て来ない。しなびたアサガオのように頭を垂れる。

 

 もし、本当のことを話した上で拒絶されてしまったら。可能性がないとは言えない。いや、常識的に考えれば突き放される方が自然な対応だろう。どこかの怪しげな研究所に連絡されて、実験材料として狙われるのではないか。その危険を否定はできない。

 

 私は彼を信用しきれなかった。不審感はなくなったが、信用もしきれない。そこにどうしようもない申し訳なさを感じてしまう。

 

 彼は私の言葉を無理に引き出そうとすることはなかった。ただ、気まずそうにコーヒーを飲んでいる。その息が詰まりそうな沈黙から逃げるように、私もコーヒーのカップを手に取る。

 

 ぬるくなったコーヒーは苦くて渋かった。人間の味覚はこういうとき不便だ。砂糖を入れようと思ったが、なんだか厚かましいような気がして遠慮してしまった。ブラックのインスタントコーヒーをちびちびすする。余計に気分が重たくなった気がする。

 

 痛覚と違って味覚は遮断することができるのだが、それをするといよいよ自分が取っている行動に無意味さを感じてしまうような気がする。

 

 

「教授うううううううううう!! 教授教授教授教授うううう!」

 

 

 特に会話もなく、二人してずるずるとまずいコーヒーをすすっていると、その淀んだ空気を払拭するかのようにけたたましい声が外から響いた。続いて、ドアが壊れそうな勢いでノックされる。この島にいる人間はモックだけではなかったようだ。

 

「……仕事仲間のペッジョという男だ……聞いての通り性格に難のある奴でな。少し待て、黙らせてくる」

 

 モックは苦虫をかみつぶしたように顔をしかめると、壁に立てかけていた木製の装置を手にして立ち上がった。

 

 この装置は森で出会ったときから彼が所持していた物である。研究に使う器具か何かだと思っていた。彼はそれを操作する。

 

 それほど複雑な構造をした装置ではない。ネズミ捕りに似た跳ね上げ式のレバーを引くと、先端に突き出たシュモクザメの頭のような形状部分が両端をワイヤーで引っ張られて締めあげられる。そこまで見てようやく気づいた。これはいわゆるボウガンと呼ばれる武器だろう。

 

 かなり大型のものだが、モックは片手でやすやすと弦を張るレバーを引いていた。見た目ほど力はいらないのだろうか。弦を張ったが、矢は装填されていない。

 

 しかし、私は違和感を覚えた。ボウガンの矢を収めると思わしき部分に、ぼんやりとした気配を感じる。何かはっきりと見えるわけではないのだが、何かが“ある”ような気がした。ただ、あまりにも曖昧な感覚なので、ただの思い違いかもしれない。何もないと言われると、確かにその通りだと思う程度の違和感だった。

 

 モックはボウガンを持って玄関に近づき、ドアの鍵を開ける。それを待ちわびたように息を切らした男が入ってきた。

 

 頭の上に積もった雪を払いもせず、手にカメラを構えた男は部屋に入るなりきょろきょろと周囲を見回す。それほど広い部屋ではない。すぐに私たちの視線は合った。とりあえず、会釈する。

 

「ああああああああああああああああああああああああああ!?」

 

 突然の絶叫、そして放たれるカメラのフラッシュに思わず目を閉じた。いきなり何事だ。モックの時と違って理知的な対応は望めない相手かもしれない。

 

「あれが例の!? 例のあれの!?」

 

「状況は理解しているな」

 

「合点承知っす!」

 

 

 

 

 

 

「では始めよう。 狩 り の 時 間 だ 」

 

 

 

 

 

 モックが構えたボウガンを私の方へと向けた。

 

 

 * * *

 

 

 第一射、狙いは違わず少女の右脚へと突き刺さる。非殺傷型の念弾であるため、傷はない。矢に込められたオーラが特殊効果を発動し、少女の脚の自由を奪う、かに思われた。

 

 『足撃ち(クレバーハント)』は不発に終わる。少女の体が操作されることはなかった。モックは瞬時に可能性を洗い出す。

 

 操作系能力は条件さえ満たせば実力が離れた相手だろうと従わせることができる。これを無効化する手段はいくつかあるが、簡易に実現可能なものを挙げるとすれば『既に操作されている対象は新たに別の操作系能力で上書きできない』という原則を利用する手がある。

 

 つまり、他人が操っている対象からその操作権を奪うことはできない。少女が何者かに操られた状態で島に送り込まれてきたとするなら『足撃ち』が発動しない理由は説明がつく。しかし、モックはその可能性はほぼないと考える。

 

 操作対象を精密に操作するためには、能力者と対象の距離が近くなければならない。距離が開くほどに操作精度は著しく低下していく。モックはハンターとしての技術とシロスズメの鳥言語を利用することで、この島に存在する人間の位置情報を正確に割り出すことができる。一流の暗殺者とてその眼からは逃れられない。侵入者は少女一人であり、同伴する能力者の存在は確認できなかった。

 

 遠距離から操作対象を動かす『自動操作型(オート)』と呼ばれる能力もあるが、その場合はプログラムされた動きしか取らせることができない。どれだけ卓越した使い手だろうと、その偽装性は一般人でも注意して見れば看破できる程度のものだ。これまでに観察した少女の行動、表情、仕草などの情報から、自動操作型とは思えなかった。

 

 残る可能性としては、少女自身が操作系能力者であり、自分自身を操作しているという場合も考えられる。一見無意味に思える能力だが、自分の体をマニュアル操作できるということにはいくつかのメリットとデメリットがあり、必ずしも使えない能力というわけではない。他人から受ける操作系能力を無効化しやすいという点もメリットの一つである。

 

 その場合、少女は念能力者であることになる。これについてモックは、まず間違いないと確証を得ていた。彼が撃った『足撃ち』を、少女は目視している。脚に被弾した際、その部分をしっかりと確認していた。隠を使っていないとはいえ、オーラが見えていなければ取れない行動である。

 

 しかし、彼女が念を使えるかどうかということは、モックにとって驚くようなことではない。もともと考慮していた可能性である。彼が怪訝に思ったのは、攻撃を受けた直後に少女が取った態度だ。

 

 その身のこなしから見て、明らかに戦闘経験は皆無に等しいとわかる。念能力者だったとしても直接戦闘力はおそらく一般人レベル。その評価は今も変わることはない。

 

 見た目通りの子供だった。そして、子供であればどういう反応を取るかということも予測が立つ。たとえモックの攻撃が見えたとしても、何もできず立ち尽くすことしかできないだろう。自分が置かれた状況を瞬時に判断できるはずがない。

 

 だが、少女は違った。矢が放たれた直後には反応を示していた。回避や防御を取ろうとしたわけではなく、ただこちらの攻撃を目で追っただけだが、それがありえない。どう考えても訓練していなければとっさに取れないような反応の速さだった。

 

 実際、身体の動きは素人同然で、見えていたからと言って何かができる様子ではなかった。だからこそ、反応速度の異常性が目立つ。どういう生活を送ればそんなちぐはぐな鍛え方になるのか。

 

 反応速度というものは鍛えれば鍛えるほど無意識に機能する。反射に近いレベルで敵の攻撃に対応できるようになるが、逆に言えばコントロールすることも難しくなる。一度鍛えた感覚を、意図的に劣化させてみせることは恐ろしく難しい。

 

 先ほどまでの彼女にこれほどの反応速度は見られなかった。攻撃を受けた途端、スイッチが切り替わったように変化している。すぐに椅子から立ち上がり、周囲を素早く見回していた。敵の観察はもちろんのこと、逃走が可能であるか否か、その経路の確保、武器として利用できるものはないか、それらを確認していることが目の動きから察せられた。総合的な環境把握能力は訓練された軍人に匹敵する。

 

 自分を“操作”しているがために取れた行動、ということだろうか。詳細は不明だが、この少女には何かある。油断してはならないと、クロスボウを構える手を慎重に握り直す。

 

 

「なん、で……?」

 

 

 少女が問うた。まだこちらの真意がつかめず困惑しているようだった。あれほどの反応を見せておきながら、まだこちらを敵として認識していない。モックにとっては好都合と言える。やりたくもない演技をした甲斐があった。

 

 しかし演技と言っても、モックが少女に話したことは真実である。彼が語った過去の出来事、生き方、研究理念、全て偽りない真実だった。ただし、話していないこともある。

 

 この島はモックの所有する土地となっている。彼の名義で登記されており、法律上も間違いなく彼のものだ。だが、実質的な持ち主は異なった。

 

 ある大マフィアの隠し倉庫がこの島にあった。おいそれと表に出すことのできない金と物が集まる終着点。存在すら知られてはならないその『倉庫番』が、彼に与えられた仕事だった。

 

 


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