カーマインアームズ   作:放出系能力者

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32話

 

 ハン・モックがこの島を見つけたとき、その所有権はとある企業が有していた。数年前からリゾート開発事業が計画されていたようだが、どう考えても採算の取れる立地ではない。当然のように計画は中止され、放置されたに等しい状態だった。

 

 売りに出したところで買い手がいる土地ではないが、手放せるならさっさとそうしたいところだろう。モックはすぐにでも譲渡は終わると思っていた。しかし、相応以上の金額を提示したというのに、相手方は難色を示した。喜ばれるどころか勝手に島に入るなと注意を受ける始末である。

 

 プロハンターは世界で最も儲かる職業と言われている。おそらくこちらの足元を見て値を吊り上げる魂胆だろうと思った。なんなら島一つと言わずその企業ごと買収してもおつりがくるくらいの金額を最初に提示したのがまずかったかもしれない。

 

 あろうことか、相手方はモックの個人資産の5分の4をよこせと言ってきた。あまりにも非常識な金額。だが、モックはこれをあっさり承諾した。彼にとってこの島は金に代えられるものではない。資産全部をよこせと言われたとしてもうなずいただろう。

 

 その上で、ハンターとして行使できる全ての権限をもって契約の履行を約束させた。契約を解除することは許さない。途中で逃げれば地の果てまでも追いかけて取り立てると脅迫した。そして、モックは合法だが強引に島の所有権を手にすることになる。

 

 力を持たなかった以前は何もできなかったが、今ならばハンターとしての実力がある。今度こそ、鳥たちと彼らが暮らす美しい自然を守ることができると思った。結局、その意気込みはマフィアが送り込んできた殺し屋によって、その日のうちに消沈することとなる。

 

 並みの殺し屋ならば退けることもできただろう。しかし、相手は対念能力者戦を想定した敵、しかもそれが数人がかりだ。技巧や地形を利用して戦うタイプのモックにとって直接的な戦闘能力で勝てる敵ではかった。

 

 仮に運良く逃げのびることができたとしても、死の運命は変わらなかっただろう。後で知ることになるが、彼が敵に回した相手は世界中のマフィアンコミュニティを束ねる『十老頭』の一角だった。一介のプロハンターが太刀打ちできる存在ではない。

 

 おとなしく降伏したモックは情けなく命乞いをした。失われた十数年の研究が、今ようやく再開されようとしている。彼の研究者としての人生はここから始まると言ってもよかった。こんなところでむざむざと死ぬことはできない。

 

 そして取引を持ちかけた。自分にできることは何でもすると。たとえ相手がどんな悪党だろうが、忠誠を誓うと。彼にとって大切なことはこの島に生息する鳥だけだ。それ以外のものなら自分の魂でさえ売っても構わないと思えた。

 

 その売り込みに応じたマフィアは、彼と取引を結ぶことになる。本来なら話を聞くまでもなく殺されていたところを見逃された。そのとき既に、マフィアはモックの内に眠る本性を見抜いていたのかもしれない。

 

 かくして、彼は『倉庫番』となった。ハンターとして真っ当な活動を続ける彼の拠点は、薄暗い裏社会とのつながりをくらませる絶好の隠れ蓑となる。自然保護のために過剰に排他的な態度を取るハンターというのは、それほど珍しくもない。

 

 鳥を狙う密猟者の存在もあるが、それは大した問題ではなかった。実際、この十年で島に侵入した密猟者は3名しかいない。いかに貴重と言っても『絶滅しかけた鳥』という以上の価値はなく、それも死骸しかもって来られないとなれば需要も落ちる。捕獲難易度の高さに加え、常に目を光らせるハンターがいるとなれば誰も近づかないはずである。

 

 目の前にわかりやすい餌があれば、その裏に何かが隠されているとは思わないのが人の心理だ。中途半端に価値をもった鳥の存在も隠れ蓑として利用されている。逆に言えば、そんな苦労を見越してまでわざわざこの島にやってくる者は、鳥以外の何かを嗅ぎつけている可能性がある。隠蔽には万全の態勢を持しているが、それでも絶対とは言い切れない。

 

 だから、この島に許可なく近づく者は全て『密猟者』として扱われる。それを狩るのも彼の仕事だ。たとえこの島で消息を断つ者が現れたとしても、ハンターの縄張りに忍び込んだとなれば、あり得る話として処理される。

 

 このシステムは今日まで滞りなく機能していた。組織を運営する上で、捨てたくとも捨てられない事情のある物品はどうしても出て来る。それらを保管する倉庫は必要だった。そして、どれだけ厳重なセキュリティをもって保護しようと、そこに“ある”以上は必ず破る手段が生まれる。

 

 しかし、そもそも存在することを知られなければ、これを上回るセキュリティはないだろう。もともと発見されても構わない程度の物しか置かれていなかったこの島の倉庫は、今や組織の機密情報が数多く保管される最重要拠点の一つとなっている。

 

 優秀な倉庫番として働く彼に、矜持はなかった。ハンターとしての誇りはとうの昔に捨てた。では、組織に忠誠を誓ったのかと言うとそうでもない。憎んでいるわけでもない。あえて言葉にするなら“どうでもいい”と思っている。

 

 この島で暮らすうちに、ふと彼は気づいた。彼は鳥言語の研究がしたいがためにシロツバメを追いかけていたのだと思っていた。だが、それすらも“どうでもよかった”のだ。

 

 研究は進展を迎え、言語の解明はある程度まで進んでいた。その成果を学会で発表すれば一躍時の人としてもてはやされるだろう。しかし、今年彼が提出した論文は、わざと行き詰っているように見せた偽りの研究報告が書かれている。

 

 鳥たちを観察し、彼らの生活を邪魔することなく、ひっそりと見守り続ける。それだけで彼は満たされた。他に何もいらなかった。常人には理解されない感覚だろうが、いきつく先にあったものは、ただ静かにこの島で暮せる幸せだけだった。

 

 ここは楽園だ。彼と、鳥たち“だけ”の楽園。

 

 だから彼が最も嫌うこととは、そのささやかな平穏を乱されることだ。誰であろうと、この島に足を踏み入れた者には虫唾が走る。組織に命令されたから侵入者を狩っているわけではない。それがたとえ何の罪もない少女だろうと、彼にとっては等しく『密猟者』であった。

 

 

 * * *

 

 

 親切にしてくれた人が態度を急変させ、いきなり襲いかかってくる。いや、もともと騙すつもりで接していたのだろう。言葉にすればひどく簡潔に聞こえるが、実際に襲われる方の身としてはそう簡単に現実として受け入れられるものではなかった。

 

 私は混乱していた。襲われた当事者であるという感覚が薄い。まるで他人事のように感じてしまう。当然、何か対処をすることなどできるはずもない。

 

 しかし、その一方でかつてないほどに思考は冴えわたっていた。混乱してはいるが、冷静に状況を判断する自分もいる。まるで自分が何人もいて、それぞれが仕事を分担するかのように別々の物事を一度に考えることができた。

 

 それがなければ今も椅子の上に座ったまま呆けていたところだろう。急に思考能力が拡張したような感覚で気分が悪くなるし、なぜそうなったのかもわからないが、今は細事を気にしている余裕もない。

 

 モックは私に向けてボウガンを撃った。矢は装填されていなかったが、何かが発射されて私の脚に突き刺さる感覚があった。だが、私が感じたものはただの感覚であり、実際に怪我を負ったわけではない。意図がつかめない攻撃だった。

 

 矢の代わりに発射された“何か”は、私が生命力と呼んでいるエネルギーに似ている気がした。いつもは少女に吸い取られているが、さっきの一撃はそれとは逆に与えられたように感じる。しかし、そのエネルギーには嫌な気配があった。無理やり体内に押し入ってくるような感覚で、やはり何らかの攻撃だったのではないかと思う。

 

 私が分析を終えたときには既に、モックは次の攻撃準備を整えていた。ボウガンという武器の欠点は、連射が利かないところにある。あらかじめ弓を引いた状態を維持できるため精密な射撃ができるが、矢を放てばまたその状態をセッティングする必要があり、すぐに次の矢を射ることはできない。そのはずなのだが、モックの射撃動作は恐ろしく速かった。全く隙がない。

 

 動体視力が良いのか矢の動きを目で追うことはできたが、それを避けられるかと言えば無理だった。反応できたところで行動が追いつかない。ボウガンには今度はしっかりと実物の矢がセットされており、次の攻撃は当たれば無傷では済まされないだろう。

 

「いいよぉ、教授ぅ! ほらもっと攻め立てて! もっと過激なの頼むよぉ!」

 

「黙れ」

 

「はい」

 

 さらにこの部屋にいる敵は一人ではなかった。モック一人でも手に負えないというのに、カメラを持った男もいる。ファインダーを覗きながらこちらを撮影しようとカメラを向けている。何がしたいのかわからないが、状況から見て敵であることは間違いない。

 

 極めつけに私が立っている場所も悪い。唯一の出口と思われる玄関付近は二人の男が塞いでおり、逃げるためにはその横を突破しなければならない。不可能としか思えない。

 

 これ以上ないほどの窮地だ。いつもの私なら早々に諦めていたかもしれないが、今の私には状況を打破するための糸口を探る思考力がみなぎっていた。

 

 まず不可解な点は、私がまだ殺されていないということだ。やろうと思えば最初の一撃で殺すこともできただろう。殺す機会はいくらでもあった。そもそもあんなに長い身の上話をしてまで私を信用させる必要があったのか。

 

 写真を撮ろうとしている男についても、ただの趣味とは思えない。意味があるはずだ。彼らには何らかの目的があり、そのために私は生かされている。

 

 私は近くの棚の上に転がっていたボールペンを取った。武器になりそうなものはこれくらいしか見当たらない。その行動をモックは何も言わず見逃した。ペン一本でこの状況が覆るはずもないと思っているのだろう。

 

 確かにその通りだ。このままモックに突撃を仕掛けたところでどうにもならない。いくら敵が私を生かしているとはいえ、それは殺されないという保証にはならないし、殺さずに制圧する手段などいくらでも持っているだろう。

 

 だから、このペンは敵に対して向けるためのものではない。私はペン先を自分の喉もとに向けて構えた。

 

「……何のつもりだ?」

 

「ぶきをおろせ。さもなくば、じさつする」

 

 まずは自分の命の価値を計る。私が死ぬことを、敵はどの程度の損害として勘定しているのか。自分の命を脅迫材料として、どこまでのことを要求できるのか。

 

「なるほど、物も喋れない子供かと思えば、少しは頭が回るらしい」

 

 モックは構えを解かなかった。ボウガンの矢先はこちらを捉えたままだ。

 

「自殺するだと? できるものならやってみろ」

 

 どうせ死ぬことなどできないと思っているのか、モックの態度は変わらなかった。ならばそれでもいい。次は本当に死んでみせよう。これで敵の目的がつかめるかもしれない。

 

 ペン先を喉に当てる。ちくりとした痛みが走った。まだ先端が皮膚を押しているだけに過ぎない。これが致命傷に至るまで突き刺さるとなればどれほどの痛みが生じることだろう。想像しただけで泣きたくなる。

 

 だが、やるしかない。もし躊躇して力を加減してしまえば状況は悪化するだろう。やるなら確実に、死んだと敵に思わせなければ意味がない。

 

 手が震える。歯を食いしばる。一旦ペンを喉から離し、勢いをつけて力の限り引き寄せた。

 

 

 * * *

 

 

 少女は自殺した。モックはその一部始終を瞬きもせず見届けていた。

 

 まさか本当に死ぬとは思っていなかった。彼女は死にゆく者の目をしていなかった。これまでに彼は、同じような状況に追い込まれた人間を何人か見てきたが、彼女の目はその誰とも異なっていた。

 

 死とは覚悟してできるものではない。死にたいと思っている人間は、同様に生きたいとも思っている。たいていはその感情の狭間で自己を見失い、制御を失った暴走車のように勢いのまま死に至る。それが生物として最低限保つべき体裁というものだろう。

 

 覚悟とは、生きる意志を持つ者だけが持つ決意だ。四肢をもがれ、腸を引きずってでも生にすがりつき、生き延びようとする獣のごとき渇望である。あるいは、死の定めを前にしてその瞬間まで何かを成し遂げようとする諦めの悪さだ。

 

 彼女の目に自棄はなかった。かと言って、覚悟もなかった。モックはその表情から彼女の心理を読み取ることができなかった。死の瞬間まで、何を考えているのかわからなかった。

 

 何とも言い難い気持ちの悪さが残る。その手に持つクロスボウは、いまだに倒れ伏す少女へと向けられていた。

 

「えぇ……死んじゃったよ教授!? どうすんのこれ!?」

 

 どうもこうもない。死んでしまったのなら、そのように組織へ報告するしかないだろう。叱責は受けるかもしれないが、その程度は受け流せるくらいの貢献は日ごろからしている。

 

 相手が明らかにカタギの人間でないとわかればモックの独断で密猟者として処理してもよかったのだが、今回の侵入者は特殊だった。裏社会に属するような人間には見えないが、ただの一般人とも思えない。抹殺することで不都合が生じる恐れを懸念して、組織に連絡を入れておいたのだ。少女の顔写真もメールに添付して送信されている。

 

 その結果、組織から少女を生きたまま捕えて連れてくるように命令が下った。さっさと殺したい気持ちは強かったのだが、命令を破れば組織に借りを作ることになり、余計な面倒事も増える。だからこそモックはまどろっこしい態度を取ってまで少女に接していたわけだが、何が何でも絶対に連れてこいとまでは言われていなかった。

 

 つまり、死んだら死んだで困らない程度の価値しかないのだろう。いったい何の目的で少女の身柄を引き取ろうとしていたのかモックに知る由はないが、おそらくここでひと思いに死ねたことは少女にとって幸福なことだったかもしれない。

 

「なんてこった、あとちょっとで良い画が撮れそうだったのに……! 不完全燃焼だよちくしょう!」

 

 刺青の男、ペッジョは悪態を吐きながら少女の死体へと近づいていく。

 

「待て、うかつに近づくな」

 

「え? いや、でもこのままにはしておけないでしょ? ってか、まだ警戒してるんすか? どう見ても死んでますって」

 

 確かに疑いの余地はない。念能力によって致命傷を偽装している恐れもあるため、少女が自分の喉を刺す様子をモックは『凝』を使って注意深く観察していた。

 

 『凝』とは身体の一部にオーラを集中させる技である。特に目を強化する際によく使う技であり、これにより敵が持つ不審なオーラの動きを察知することができる。仮に少女がモックを遥かに上回る念の使い手だったとしても、この距離と集中状態が保てる状態において彼の目を欺けるはずはなかった。

 

 間違いなくボールペンは喉を破壊し、倒れ込んだ少女の体からはおびただしい量の出血がある。生きていたとしても虫の息だろう。この状態から何かができるとは思えない。

 

 だが、モックはどこか釈然としなかった。念のために攻撃してみる。頭部にクロスボウの狙いを定めたが、しかし直前で思いとどまった。

 

 組織からは一応、少女を捕獲するように命令があった。それは達成できなかったが報告義務は残っている。自殺を止められなかったと正直に話すつもりだが、ここで少女の頭部を破壊するような傷を残せば説明が面倒くさくなるだろう。一方的に殺したようにしか見えない。

 

 結局、脚に向けてそれほど大きな傷は残らない程度の威力に加減した矢を放つ。

 

「うわっ、鬼っすね教授。そこまでやります?」

 

 やはり反応はない。気にし過ぎだったかもしれないと、構えを解いた。

 

「もぉ~……これ以上ないくらいの逸材だったのに……こんなにあっけなく壊れるなんてあんまりだぁ! せめて死に顔だけでも撮らせてくれぇ」

 

 モックから見れば反吐が出るほどねじ曲がった性癖だが、それがペッジョの能力の発動条件であるため許容するほかない。さっさと撮影でも何でも済ませて島から叩き出したいところだ。

 

 しかしペッジョがうつ伏せに倒れた少女を起こそうと近づいたそのとき、モックは小さな異変を見つけた。先ほど少女の脚に向けて撃った矢の傷から勢いよく出血が起きている。少女の体からは喉の傷から明らかに致死量とわかるほどの血液が既に失われている。心臓も動いていないはずの死人から出る血の勢いではなかった。

 

 そして、うつ伏せに倒れる少女の背中を見て気づく。さっきまでそこには不自然な“膨らみ”があった。それが見当たらない。彼女と相対しているとき、常に正面を向いていたため背中側の変化を見落としていた。

 

「そいつから離れろ!!」

 

 叫び、クロスボウの弦を張るのと、少女が動いたのは同時だった。無防備に近づいていたペッジョに少女の手が伸びる。そこには異形の蟲が握られていた。島に生息している種ではない。念獣である可能性もある。

 

 これほどの大仕掛けを使ってまでこちらをおびき寄せておきながら、満を持して取り出したその蟲が何の脅威も持っていないとは思えない。念能力者であればまず回避を選ぶ局面であるはずだが、当の攻撃に晒されたペッジョは何の反応もできていなかった。

 

 モックが注意を喚起しておきながらこの体たらく。念法使いとしての基礎体力がまるで備わっていない。反応速度に関して言えば、少女の方がよほど優れている。

 

 少女の脚を事前に撃っていたことで一手早く異変に気づけたが、撃っていたがゆえに次の一手が遅れてしまう。クロスボウは二の矢の発射に時間がかかる。

 

 モックが使う長大なクロスボウはゴーツフット方式という古典的な構造をしている。てこの原理を利用してレバーを引くことで弦を張る方式だ。多くは腕力のみで引けるものではなく、立った状態から金具を用いて武器の先端を足で固定し、全身の筋肉を使って引き絞る。

 

 しかし、これをモックは片手で引く。台尻を腹で固定し、片手でレバーを引きながらもう片方の手で同時に矢を装填する。ワンアクションで発射準備までの動作を終えてしまう。

 

 その速さをモック自身、正確に把握していた。ゆえに、弦を引く前にはこの攻撃が間に合うか否か、答えが出ている。

 

 間に合わない。

 

 発射準備とエイミングを分けることで精密な射撃を可能とするクロスボウの長所は、それらの動作を同時並行して行えないという短所でもある。その武器に内在する機能的特性は、どれだけ動作を速く行おうとゼロにはできない。

 

 つまり、モックが矢を撃つよりも早く、少女の攻撃はペッジョに届く。

 

 組織にとってペッジョは代えのきかない人材だ。彼の持つ念能力は非常に希有であり、彼にしかできない重要な任務が与えられている。むざむざと見殺しにするようなことがあれば、モックが受ける追及は叱責などという生ぬるい処罰では済まないだろう。

 

 一杯食わされたと言うほかない。慢心があったことは事実だ。あの致命傷を負って生きているはずがないと、まさかありえないだろうという既成概念に囚われてしまった。

 

 モックは自省する。しかし、焦りはなかった。たかが攻撃が間に合わなかった程度で敵に遅れを取っているようでは、ハンターを名乗る資格なし。

 

 

 『足撃ち(クレバーハント)』発動――

 

 

 操作する対象は、ペッジョの脚だ。彼の戦闘能力の低さについてはよくよく熟知しており、足を引っ張る可能性を考慮して、この島に上陸する前から発動条件は満たしている。

 

「うほあああああ!?」

 

 ペッジョは奇声を上げながらその場から跳躍した。

 

 

 * * *

 

 

 私が持つ最大の武器とは、ボールペンなどではない。毒である。虫本体はその牙に数種類の強力な毒を持っている。その強さと効果については、種としての本能が教えてくれた。人間一人を殺すには十分すぎる効力があると思われる。

 

 問題はこれをいかにして敵に送り込むかという方法だ。本体に噛みつかせるためには、当然手が届く距離まで接近する必要がある。それも直前まで本体の存在を隠し通さなければ奇襲は成功しないだろう。遠距離武器を使うモックにどうやって近づけばいいのか。

 

 そのために死んだふりをした。普通の人間なら死ぬような傷でも、この体なら回復できる。死んだと思わせて近づいてきたところを襲う作戦だった。

 

 しかし、うまくいかない。本当ならモックが近づいてくれば良かったのだが、そばまで来たのはもう一人の男、ペッジョだった。仕方なく作戦を変更する。

 

 ペッジョを人質にすることにした。もし近づいてきた者がモックであったなら殺すことも考えた。しかし、ペッジョを殺したところでモックという脅威がなくなるわけではない。私では逆立ちしても勝てない相手だ。それならば抑止力として人質を取った方がマシに思える。私が使える毒には麻痺毒もあり、標的を殺さずに無力化する手段もある。

 

 二度も奇襲が通じる相手ではない。これが最後のチャンスである。そして、奇襲は成功した。ペッジョを攻撃圏内に捉えた。相手はこちらの攻撃に対応できていない。そのはずだった。

 

 攻撃が届く寸前、ペッジョは突然の大跳躍を見せる。まるでバッタのようにモックのところまでひとっ跳びで退避してしまった。こんな事態、予測できるはずがない。予備動作なしで人間にできる動きではなかった。オリンピック選手でも無理だろう。超人的なジャンプ力である。

 

「いだだだだだ、足つったああ!? 教授いつの間におれっちに『足撃ち』仕掛けてたんすか!? おかげで助かったけど……」

 

 天井に身体をぶつけ、受け身もろくに取れずに床を転がったペッジョだが、結局無事に距離を取られてしまった。

 

 まずい。こちらの切り札をさらした上に、何の成果もなく敵を逃がした。これからどうするべきか、めまぐるしく思考が働く。しかし、これ以上の策など思いつかない。

 

 

「悪あがきは終わったか? 小娘」

 

 

 次の瞬間、右手が吹き飛んだ。目だけがその攻撃を捉える。

 

 ボウガンの矢だ。しかし、それは炸薬でもくくりつけていたのかと思うほど強烈な威力だった。指が全部なくなっている。

 

 だが、そんな傷は些細なものだ。モックがなぜ私の右手を狙ったのか。そこに私の“本体”が握られていたからだ。

 

 虫の体に衝撃が走る。生まれて一週間も経っていない命だが、初めて受ける威力の衝撃。私の体は少女の手から離れ、一直線に宙を飛び部屋の壁に叩きつけられた。

 

 


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