カーマインアームズ   作:放出系能力者

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37話

 

 アイチューバーになることで手に入るもの。視聴者の反応、自己顕示欲の充足、再生数に応じた広告利益。

 

 アイチューバーになることで生じる不都合。動画撮影編集作業、個人情報漏洩、誹謗中傷。

 

 何が難しいかと言えば、もちろん動画を作ることだろう。多く人の目に留まる面白い動画が簡単に撮れるのなら苦労はない。どんな題材を扱うか、そしてそれをどう編集して見やすく面白くまとめるか。

 

 いざ作る側に立ってみると動画一本仕上げるだけでなかなかの労力がいるのだと実感できる。産みの苦しみは避けては通れぬ道だろう。それを否定していては何も始まらない。

 

 視聴者の反感を買うような動画をあえて投稿して再生数を稼ぐ炎上商法もある。当然、私はそんなことをする気はないが、それでも誹謗中傷を受けることはあるだろう。ネット上で活動するなら受け入れなければならない問題だ。

 

 撮影する題材や手法によっては、投稿者の個人情報も公開される。顔出しはさすがにまずい。その方が視聴者の印象に残り再生数も上がりやすいのだが、個人を特定される危険がある。まあ、顔さえ出さなければ大丈夫だろう。

 

 要するに、私は動画を投稿する気になっていた。まだアイチューバーになると決めたわけではない。というか、なろうと思ってなれるものではないと思う。いくらポメルニのバックアップがあるからと言って、私は所詮素人に過ぎない。だが、彼からスマホまでもらった以上、その期待を完全に無視するというのも忍びない。

 

 なんだかんだ言って、ポメルニの言葉は私の胸に響いていた。試しに動画を投稿してみようかと思う程度には興味が湧いた。どうせ暇な時間はいくらでもあるし、他にやりたいこともない。駄目でもともと、だがあわよくばという隠しきれない欲はあった。

 

 別にポメルニのような有名人になりたいわけではない。だが、彼の言うとおり心のどこかで誰かに見てほしいという思いはあるのかもしれない。現実に触れ合うことは怖くても、ネット上のつながりなら、その距離感がむしろ安心できる。

 

 私は動画投稿のための下調べをした。もらったスマホでアイチューベにアクセスし、どんな動画が投稿されているのかチェックする。

 

 ポメルニの動画を見た。数千万という圧巻のチャンネル登録者数だ。年間ランキングも軒並み首位を独占している。まさに王者の貫録。最初は自作の音楽がアイチューベ上で爆発的なヒットを飛ばしたことによって台頭したようだが、その人気に慢心せず、様々な企画に挑戦していることがわかる。

 

 常識的に考えればくだらなすぎてやろうとは思わないこと、そういうちょっとした題材に面白おかしく焦点を当てている。タイトルを見ただけでちょっと再生してみようかと思える気軽な動画だ。くだらないと言っても、いざ動画を作ろうと思えば常にアンテナを張っている人間でなければ同じような発想は浮かばないだろう。

 

 こういった動画は『やってみた系』と呼ばれている。毎回、彼の奇抜なキャラ(演じているらしいが)とクスリとくるような挑戦の数々がマッチし、短時間でも楽しめる完成度の高い内容に仕上がっている。彼は自分には何の才能もないと言っていたが、とんでもない。その着眼点、発想力、編集技術の高さには脱帽する。

 

 そんなポメルニも完全なる独走状態というわけではなかった。ランキングの推移を見れば、動画再生数上位陣は凌ぎを削る戦いをしていることがわかる。最近、急激な人気上昇を見せている動画ジャンルはバーチャルアイチューバー、略してVチューバーだ。

 

 動画上で主役となるのは生身の投稿者ではなく、2Dや3Dでモデリングされたアバターである。そこに演者が声を当てたり、音声ソフトを使って喋らせる。取り扱う動画の題材自体は他のアイチューバーとそう変わらないが、非実在のキャラクターだからこそ視聴者の願望を投影した受け手の理想像を実現しやすい。そして生配信をすればそのキャラとリアルタイムでフレキシブルなコミュニケーションを取ることができる。

 

 現在最も人気を集めるVチューバーは『マジカル☆ミルキーちゃん』だ。魔法の国からやってきた殺し屋の少女という設定で、よくFPS(銃などの武器で戦場を戦い抜くシューティングゲーム)実況動画を上げている。かなりゲームがうまく、スーパープレイで視聴者を魅了するほか、時折見せる殺し屋あるあるネタはフィクションとは思えないほど生々しい説得力がある。その猟奇的なキャラクターがうけて絶賛ブレイク中だ。

 

 他にも、ポメルニ公式チルドレンと言われる配信者たちの動画も見た。ポメチル十傑衆と呼ばれる彼らは、いずれも劣らぬ猛者揃いだ。素人の私が対抗できる相手とはとても思えなかった。その末席に名を連ねるのもおこがましい気がしてならない。

 

 私の手元にある設備といえば、スマホが一つのみだ。このスマホのカメラ機能は高性能で、そこそこのクオリティで動画の撮影も可能のようだ。アイチューベと関連した動画投稿者向けのアプリが最初から入っており、撮影した動画はタップ一つですぐさまアップロードできる。もちろん編集はした方がいいのだろうが、やり方が難しくてわからない……。

 

 しかし、幸いにしてこのスマホにはありがたい特典が付いていた。電子マネーが5万ジェニー分入っていたのだ。ポメルニからの餞別だろう。これを軍資金にすればなんとかなるかもしれない。私は意気揚々と必要なものを買いそろえた。

 

 その結果、集まったものが今、私の目の前にある。

 

 

 卓上コンロ1台。

 じゃがいも3個。

 バター1箱。

 

 そして残金は16ジェニー。

 

 

 言い訳をさせてほしい。このスマホの文字が読みづらいのがいけなかった。なんかよくわからない象形文字みたいな字が小さくぎっしり文章になっているのだ。意味は理解できるので読めないわけではないのだが、不慣れな外国語を解読しているような気分になる。つまり何が言いたいのかというと、スマホに入っていた金額は5万ではなく、5千だった。

 

 気づいたときには既に遅く、卓上コンロとカセットガスを購入した後だった。残金は千ジェニーを切っていた。ポメルニ、あんなに羽振りがよさそうにしていたのだからもうちょっとくらい恵んでくれても良かったのではないかと不満が出かけたが、スマホをくれただけでも有情だったのだと納得するしかない。生まれて初めてお金の大切さを実感する。

 

 諦めて予算の許す範囲で食材を買った。このラインナップを見てわかる通り、私は料理動画を投稿しようとしている。じゃがいもを焼くだけの動画を料理と呼んでいいのかという議論はひとまず置いておくとして、これでも自分なりに悩み抜いて決めたのだ。

 

 最初はゲーム実況動画を撮ろうとした。一番楽に再生数を稼げそうだったからだ。凝った編集や演出がなくても、そのゲームに興味がある人は見るだろう。しかし、ゲーム機やらキャプチャーボードやらパソコンやら金がかかるため5万の予算では無理という結論に至った。

 

 少ないコストで撮影可能なテーマでなくてはならない。歌とか踊りとか、そういう芸を持たない私でもできることとなると選択肢は限られる。そこで思いついたのが食レポだ。食品を食べて味などの感想を述べレビューする。

 

 はっきり言って、二番煎じどころではないレベルでありふれたテーマだった。少しでも独創性を出すために食材から買ってきて調理する工程を映す予定だ。初心者でも簡単に作れて材料費もかからず、おいしそうに見える料理とは何か、必死に考えたのだ。

 

 それでも、ただじゃがバターを作って食べるだけの動画では再生数は取れない。アップロードするまでもなくわかる厳然とした事実だ。多くの人に見てもらうためには、他の投稿者にはない『武器』がいる。独創的なアイデアや技能など持たない私にある武器、それは容姿だ。

 

 無関心モードになっていない状態の私は、たまに人から話しかけられた。お年寄りから声をかけられることが多く、その第一声は顔立ちや毛並みの美しさを褒められることが多かった。このことから、少女の容姿は一般水準並みかそれ以上にあると思われる。

 

 蟻としての感覚が混ざった私の感覚では正直、人間の美醜を正確に見極めることが難しい。世の中には目鼻立ちに1ミリ単位でこだわり、整形手術までして美しさを追求する人間がいることは知識として知っているが、はっきり言って人間の顔は全部同じようにしか見えない。こういった知識と感覚のズレはいくつかあった。

 

 だからこれまでに得た客観的な意見からこの少女の容姿の美醜を推測した結果、彼らの証言が社交辞令でなければ私は美しい見た目をしていると言える。少なくとも、年配受けする子供らしいかわいらしさがあるのではないか。

 

 コマーシャルなどの映像、画像を用いた宣伝媒体において人の目を引き付けるために有効なテーマとして『三つのB』と呼ばれる手法がある。Baby(幼い子供)Beauty(美人)Beast(動物)の三つだ。これらは見る人の注目を瞬時に惹きつけ、世代や思想の違いを問わず肯定的な印象を抱かせる効果があると言われている。

 

 今の私にとって、このセールスポイントを押し出す以外に再生数を稼ぐ道はない。しかし、その手を取るとなればある程度の顔出しは必須となる。苦渋の決断を迫られた。

 

 だが、それでも。ネット上で燦然と活躍する投稿者たちの姿を見て、思うところがあった。既成概念に囚われず、自由奔放なテーマで自分らしさを表現している。そして、そこに多くの人が集まるコミュニケーションの場となっている。

 

 確かに金が目当てで過激なことをする連中もいる。誰しも少なからずそういう欲望はあるのだろう。だが、それは一概に悪いことと言えるのか。欲望があるから人は何かをしたいと思う。そして頑張ればそこに対価が得られる。だからもっと頑張ろうと思えるのではないか。

 

 自分の中にあるくだらない承認欲求を、否定したくなかった。何の目標も持ち合わせていなかった以前の私では思いもしなかった感情が今はある。アイチューバーを見ているうちに私も彼らのようになりたいと思えた。それが人間らしい行動のような気がしていた。

 

 とある人気のない路地裏で、捨てられていた木箱の上に卓上コンロを置き、その前に正座する。完全な顔出しはやっぱりちょっと怖かったので、なけなしの軍資金を使ってマスクを買っていた。

 

 材料の確認、良し。スマホの撮影準備、良し。

 

 心臓がバクバクと脈打っているのがわかる。胸に手を置いて息を整える。モックとの戦いを思い出せ。何も命の危険があるわけではない。試しに動画を撮影するだけのことだ。

 

 スマートフォンのタイマーが撮影開始の合図を知らせた。

 

 

 * * *

 

 

「それではこれより、第六災厄対策室第一回総会議を執り行う」

 

 会議室に低い声が響く。壇上で指揮を執るは軍服姿の老人だった。しかし、年を感じさせないほどにその体格は壮健に鍛え抜かれている。ロマンスグレーの整えられた髪に、カイゼル髭。巌のように重々しい顔立ちだが、その裏に誰よりも部下を愛する人情が潜んでいることは周知の事実である。

 

 アンダーム司令官改め、アンダーム室長の進行のもと会議が開催された。上役たちの簡単な紹介を手早く済ませ、さっそく議題は核心へと移行する。

 

「まずは先日、動画共有サイト『アイチューベ』に投稿された例の動画をここで詳細な解説を交え、再度確認していくとしよう。疑問に思う点があれば忌憚なく質問してもらって構わない」

 

 部屋の照明が落とされ、プロジェクターから映し出された映像がスクリーンへ投写される。会議室に集まった全員の目がそこへと集まった。

 

 動画はさびれた路地裏で、少女がカセットコンロを点火するシーンから始まる。少女は泥で汚れたマフラーとセーターを着ており、口元はマスクで隠されていた。しかし、特徴的な銀色の髪は惜しげもなくさらされている。みすぼらしい身なりに反してしっかりと手入れが行き届いたその美しい髪質は少し特異にも感じ取れた。

 

 少女はおもむろに台の下からじゃがいもを取り出すと、そっとコンロの網の上に置いた。計3個のじゃがいもが、ころころと不安定に網の上を転がるのを手で制している。そして、ここまで無言を貫いていた少女が初めて言葉を発した。

 

 

『シックスです』

 

 

 ざわりと会議室の空気が変わる。私語を漏らすような者はこの場にいない。ただ空気だけが静かに動いた。それほどの意味が彼女の言葉には込められている。

 

「彼女はアイチューベにおけるユーザ名として『シックス』を名乗っている。何を思ってこの名を使っているのか定かではないが、我々へと向けたメッセージとも受け取れる……」

 

 少女の正体は既に判明し、その情報はこの場にいる全員が共有している。サヘルタ合衆国が国を挙げて臨んだ第二次暗黒大陸遠征、その『負の携行物』。今回はリスクを持ち帰ることなく帰還を果たせたと思われた、その人類初の成果がここに至り覆った。歴史は繰り返される。

 

 まるで人類が新大陸の地を踏むことを拒むように、その行為自体が罪なのだと言うかのように、災厄という戒めから逃れることはできない。まだ公に認定はされていないが、彼女は人類を滅亡へといざなう6番目の災厄となりうる可能性を握っていた。

 

 彼女が何を考え、このような動画を投稿したのか、その思いは彼女にしかわからない。だが、動画を注意深く観察することで読み解けることもある。考えそのものまではわからずとも、そのとき彼女がどのような感情を抱いているのかは推察できた。

 

 アンダーム室長はオーラの性質と感情の関係性を判別できる達人である。彼は、その道において世界広しと言えど右に出る者はいないと自負していた。その人物のオーラさえ見ることができれば、おおよその感情を読み取ることができる。

 

 動画の映像にオーラは映っていない。一般人から見ればそれまでだが、念能力者はその映像情報からオーラの動きなどを脳内で補完的に可視化することができる。精孔が開いた目で見ればそれが映像であっても身体運動の微細な兆候からその人物のオーラを読み取ることは可能だ。

 

 動画上では無言のままシックスが芋を焼く光景が続いている。アンダームは熟練された『凝』を使って自身の目にオーラを集め、高い精度で少女が纏うオーラを観察する。

 

「彼女の精神は強い緊張状態に置かれているように見える。不安、焦り、それらの感情がないまぜになり軽いパニック状態を引き起こしているものと思われる」

 

 そこまで詳細にオーラから感情を読み取れるものなのかと、会場ではどよめきがあがった。さすが暗黒大陸遠征において身の危険も顧みず陣頭指揮を執り成功に導いた立役者、老境に至りなお並みの念能力者では到底及ばない実力の高さをにおわせる。

 

『こんかい使うばたーは、み、みのーるぼくじょうさん、手づくりふう、づら、づらす、づらすへっどバター、です』

 

 ミノール牧場産手作り風グラスフェッドバター、その製品情報が事細かに記載された資料が会議参加者全員の手元に配られている。生産者と産地、どの地域で販売されているか、これだけでも調べる価値のある情報だ。参加者たちが資料にカリカリとペンを走らせる音が会議室に響く。

 

 間が持たなくなったのか、シックスはバターの箱書きをたどたどしい口調で読み始めた。成分表示や賞味期限、保存方法など端から端までとにかく文字を読んでいく。

 

 箱書きの朗読が終わったが、まだそれほど時間は経っていない。しかし、そこでシックスは箱からバターを取り出した。寒さからか緊張からか、小刻みに震える手でじゃがいもの上にバターを乗せていく。じゃがバターを作るつもりなら、完全にじゃがいもに火が通った後で食べる直前にバターを乗せればいいのでは。

 

 熱でどろどろに溶けたバターがじゃがいもの上を滑り落ち、コンロの火にあぶられて煙を上げた。

 

『完成です』

 

 言いきった。そして、どう見ても生焼けのじゃがいもを素手で掴み取る。火傷してもおかしくない行為だが、シックスは平然としているように見える。

 

『たべます』

 

 そう宣言したが、手に持ったじゃがいもを見つめたまま硬直した状態が続く。ここで一旦、アンダームが手元のパソコンを操作して映像を一時停止した。

 

「このあたりの挙動不審な行動については、オーラの流れから読み取る限りかなり混乱している様子がうかがえる。とにかく早く撮影を切り上げようとしているようだ。感情が入り乱れているため正確な予測が立てづらいが、私の個人的な見解を述べるとすれば……おそらく、作った料理を食べるためには着用しているマスクが邪魔であるが、それをカメラの前ではずすか否か、葛藤しているように見える」

 

 そこで一人の参加者が手をあげた。アンダームが質問を受け付ける。

 

「マスクをしたままでは物を食べられない。そんなことは撮影する前の段階からわかっていたはずです。いざ完成した状況で、そのようなことを悩むものでしょうか」

 

 アンダームは深くうなずく。

 

「確かに一理ある。しかし、先ほども述べたように彼女は非常に不安定な精神状態にあった。正常な判断ができなかった可能性もある。また、ただ単に自分が作った料理を前にして、その完成品をしげしげと眺めているだけかもしれない」

 

 アンダームとて全ての真意を読み解くことはできない。そこには多分に予測が含まれている。あどけない子供のように見えても彼女は災厄の容疑者。彼らでは予想もつかないことを考えている可能性はある。

 

 アンダームは一時停止を解除した。そこから動画は怒涛の展開を迎える。

 

 硬直していたシックスがふと、カメラの撮影方向から外れた場所に目を向けた。慌ててその場から立ち上がろうとするシックス。だが、そこに猛烈なスピードで飛び込んでくる白い影があった。

 

『アオーン! アオーン!』

 

 大型の犬だ。薄汚れた白い犬が現れる。首輪もつけておらず、野良犬のように見える。それがシックスを押し倒すように覆いかぶさり、彼女の顔をぺろぺろと舐め始めた。

 

『うわ、ちょっ、ぷぅ……!』

 

 シックスが犬を振りほどく。顔を舐められているうちにマスクは外れて素顔がさらされていた。急いでカメラを止めようと動き出した彼女の背後から、犬が再び襲いかかった。大きな体格でのしかかられシックスが前のめりに転倒する。その上に乗った犬が腰を激しく振り始めた。

 

『やめろおおおおおお!』

 

『ハアッ! ハアッ! ハアッ! ハアッ!』

 

 参加者の一人が手を挙げる。

 

「この犬の異常行動は……? 彼女から念能力などによる何らかの影響を受けた可能性はありますか?」

 

「これはマウンティングと言い、喜びを表す犬の行動だ。また、自分よりも下位の者に対する序列誇示でもある。これ自体は飼い犬にもみられる自然な行動だが、この犬が何らかの能力の影響下にないとは言い切れない根拠がいくつかある。それについては後で詳しく述べよう」

 

 質疑応答が行われているうちに動画は終わっていた。アンダームは無慈悲に映像を巻き戻す。シックスがカメラを止める直前で一時停止させた。間近まで接近したシックスの今にも泣き出しそうな顔がはっきりと映っている。

 

 スクリーンにその映像と、別窓で開かれた異なる映像が投写された。それは暗黒大陸遠征の際に記録された機密資料だ。そこには調査団が現地で接触した『クイン』の姿が映っていた。シックスとクイン、二人の人相を照合したデータが表示される。

 

「解析の結果、この二人は99%の確率で同一人物であると確認された。その報告を受け、政府は内密にこの第六災厄対策室を立ちあげた。このシックスと名乗る人物が『クイン』と同一人物であることを前提として、その総合的な対応を任された実行機関という扱いになる」

 

 要するに、丸投げ。自分たちが連れて帰ったのだからお前たちで何とかしろという理由からアンダームが責任者に選ばれたことは明白だった。もちろん、彼の手腕は期待されているし、政府からは多大な活動資金や人的援助があることはあるが、全ての計画立案とその実行は対策室に一任されている。

 

「が、その前提からして定かではないことをこの場で諸君らに話しておこう。『シックス』と『クイン』は別人である可能性がある」

 

 アンダームは直にクインと接触した経験を持つ。その彼から言わせてもらえば、二人は似ているようで明確に異なる人物だ。性格の違いは変化が生じたものとして説明できなくはないが、動画で観察できたオーラまではごまかせない。シックスの身体を覆う『纏』はクインと比べて大きく練度が劣っていた。まるで念を覚えたての未熟者のように洗練されていない。

 

 だが、別人だとすればそれはそれで大問題だった。最新鋭機器による解析を欺くほど全く同じ容姿をした人物が二人生じていることになる。偶然という言葉では到底受け流せない。考えられる可能性が、考えたくない恐れが頭に浮かぶ。

 

 クインはキメラアントを携えていた。彼女が扱う能力とキメラアントの関係性については不明な点が多い。だが、その生物としての特徴を端的に表すとすれば『食べる』そして『増える』。他生物が備える優れた特徴を食べることで取り込み、爆発的な速度で増殖する。

 

 もしクインが『増えた』のだとしたら、想像せずにはいられない。『シックス』は6を表す言葉だ。それが単純に、生まれた順に与えられた番号なのだとすれば。

 

「このシックスはいかにして生まれたのか。彼女たちは調査船に潜み、海を渡ったのか。それとも別の経路で暗黒海域を抜けたのか。この時期にメディアへ露出した意図とは何か。調べなければならないことは山ほどある。だが、我々が真っ先に取り組まねばならないことは……」

 

 アンダームは恐怖していた。壇上に立つ彼は威厳を保ち、少しの動揺も見せていないが、内心では逃げ出したいと一心に思っていた。この恐怖は本当の地獄を味わったものにしか理解できないだろう。災厄(リスク)とは、人間が手を出していい領域にあるものではない。何を置いても関わってはならない真の絶望だ。彼が半壊した調査団と船をどうやって祖国まで導いたのか、とても言葉では言い表せない苦難があった。

 

 どうして自分はこんな目に遭うのか。こんな立場を負わされているのか。怒り、罵倒し、呪い、しかし、それでも彼は逃げなかった。なぜなら、それが生涯をかけて演じ切ると誓った『アンダーム』という男だからだ。

 

「シックスと接触を図る。そして、彼女を『保護』する。ネット上の情報を集めるだけでは限界がある。直に彼女と会わなければ先へは進めない」

 

 サヘルタ政府がシックスの存在に気づいたとき、既に動画投稿時から3週間ほどが経過していた。まさか災厄の容疑者がアイチューベで堂々と活動しているなど思いもよらなかったのだ。クインの情報についてはごく限られた上層部の人間にしか知られていなかったことも発見が遅れた一因である。

 

 投稿された動画はその後、シックス本人の手によってすぐに削除されている。なぜ削除するような動画を一時的にとはいえ投稿してしまったのか。様々な理由が考えられるが、気が動転していたことによる誤操作という説が有力視されている。

 

 そんな動画を対策室はなぜ入手することができたのか。それは無断転載された同じ動画がいくつもネット上で確認できたからだ。どうやら投稿されてから削除されるまでのわずかな時間のうちに動画のデータをダウンロードした者がいたらしい。本人の了解なく動画を転載することはサイトの規約違反に当たり、これらの動画は順次削除されていったのだが、消されても別の誰かが投稿するといういたちごっこに陥っていた。

 

 アイチューベだけでなく他の動画共有サイトでも転載されていた。その悪質極まりないネットユーザーたちの行動に、いったい何がそこまで彼らを突き動かすのか、対策室の面々は理解できなかった。転載動画にはおびただしい数のコメントが寄せられている。単にシックスの愛らしい容姿を褒めるコメントもあるが、それを圧倒的に上回る勢いで意味不明のスラングで満ちたコメントが溢れ返っており、捜査班を困惑させた。

 

 純粋なファン、否定的な態度を取る者、この騒動に便乗して騒ぎたいだけの者、そういった多種多様な思惑を持つ者たちがインターネットミームを持ち込み、転載動画のコメント欄は混沌とした異様な環境と化していた。新手の念能力による攻撃を疑ったほどだ。

 

 この騒動により良くも悪くも、彼女の知名度は高まったと言える。その後、いくつかの動画をアイチューベにアップロードしていた。その内容は最初に投稿した動画とは打って変わって、虫の採集や動物とのふれあいをメインとしたものになっている。

 

 雪深い野山を駆け回り、野生の狼の群れを撮影、さらにその群れに単身で接近していく動画が話題となっていた。一般人から見れば命知らずの狂行であり、見世物としてはインパクトがあったのだろう。その動画以外にも野生動物とは思えないほどシックスに懐く動物の様子が記録されており、これは念などの特殊な能力による影響を疑われている。

 

 これらの撮影が行われたと思われる国は特定されていた。既に現地には捜査員が派遣されているが、シックスの足取りはつかめていない。どこか一か所に定住せず、常に移動しているものと思われる。

 

「現状において唯一彼女と接点を持つことが明らかな人物がいる。彼女と同じくアイチューバーとして活動しているポメルニ氏だ。しかし、捜査班はまだ彼とのコンタクトが取れずにいる」

 

 シックスをアイチューバーとして擁立したポメルニは彼女の行方を捜索する上で鍵を握る人物と言える。彼がシックスに渡したとされるスマートフォンは、ポメルニが懇意にしている世界的電子機器メーカーのベンチャー企画部が独自に改造を手掛けた特別製で、使用された形跡を追うことも難しい。ポメルニはシックスと連絡が取れるかもしれない唯一の人物だった。

 

 当然、真っ先に白羽の矢が立ち、捜査班はまず彼と会おうとした。だが、その試みは失敗に終わる。面会を断られたのならまだ打つ手はあったが、それ以前の問題だった。

 

 ポメルニの消息がわからない。ある日を境にして、それまで毎日のように投稿されていた彼の動画はアップされなくなった。事務所も、彼の行方を把握していない。こんなことは初めてだという。

 

「考えられる最悪の可能性をあげるとすれば、我々と同じようにシックスの所在を探しているものがいる。そしてその者たちは、非道な手段もいとわない愚か者だと言うことだ」

 

 シックスの正体を知る勢力はサヘルタだけではない。遠征調査に同行した特別渡航課、そしてそれらを取りまとめる国際組織許可庁もまた、シックスを野放しにはしておかないはずだ。部隊同士の戦闘も視野に入れた作戦を用意しておかなければならない。

 

 災厄への対処からして未知数の危険を伴うというのに、敵対勢力との抗争にまで発展する恐れがある。だが、悪い知らせばかりではなかった。シックスと接触を図る絶好の機会が訪れようとしていた。

 

「近日、ポメルニ氏を始めとしたトップアイチューバーが一堂に会する大規模なオフ会が開催される」

 

 オフ会とは、ネット上で情報を発信する者たちが現実で実際に会う交流会を指す言葉だ。この大規模オフ会は毎年開催されている定例行事らしく、ポメルニと公式チルドレンが全員参加することが恒例となっている。

 

「このオフ会にシックスが参加表明を発表している。彼女が会場までやって来る可能性は高い」

 

 この好機を、足踏みしたまま見過ごすわけにはいかない。しかし、彼女との接触は事態の進展を意味している。その結果どのような未来が訪れるか、誰にも確たる予想はできない。

 

 人類は何事もなく明日を迎えることができるのか。それとも、波乱の道が幕を開けるか。このオフ会が世界を動かす契機となるかもしれない。

 

「頭が痛くなることばかりで諸君らには心労をかける。だが、一つだけ心得てほしい。ここは第六災厄対策室と名付けられているが、我々が対応するシックスという存在は災厄“ではない”」

 

 災厄とは彼女が持つ能力のことであり、彼女本人はただ一人の人間だとアンダームは言った。

 

「動画を見ればわかるだろう。彼女は我々とそう変わらない感性を持っている。本当に人間であるか否か、それは然したる問題ではない。例えば人類が長い歴史の中で、魔獣と友好を結んだように、我々は分かり合うことができる。我々が目指すべき関係は排除や支配ではなく、友好だ。それを忘れないでほしい」

 

 会議は終わった。全員が立ち上がり敬礼する。その胸に静かなる決意を灯し、偉大なる合衆国を守り、ひいては世界の守り手となることを実感していた。

 

 

 

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 シックスまとめWiki

 

 

 ●人物紹介

 

 

 ・概要

 

 女性アイチューバー。ポメチル十傑衆・十一番将・シックス。

 ポメルニが公式ポメチルの新人起用をツイートしたその日のうちに鳴り物入りで投稿されたデビュー動画が物議をかもし、無断転載と削除合戦が繰り広げられる祭りに発展した。ポメルニが火消しに奔走したことが油を注ぐ結果となり、祭りは加速。本スレ(通称・銀じゃがスレ)が1日で15スレ消費される事態となった。

 祭りの収束後、活動を再開。動物とのふれあいをテーマとした動画をアップしていたが、次第に過激な内容にエスカレートしていき、ガチハンター系投稿者になりつつある。狼に育てられた少女の異名を持ち、野生動物を手なずける力(野生力)を持つ。ただし、犬には負ける。

 名前と容姿以外の情報が明らかになっておらず、謎が多い。小学生高学年から中学生くらいの年齢に見えるが、平日の昼間に動画を投稿している。デビュー動画ではわざわざ屋外の路地裏で卓上コンロまで用意して撮影していたあたり、深い闇がうかがえる。

 次なる料理動画の投稿を熱望するファンは多い。

 

 ・性格

 

 非常に寡黙でミステリアスな雰囲気を持つが、緊張すると挙動不審になる。カメラの前では緊張することも多いが、野生力を発揮し動物たちとふれあうシーンでは時に熱い冒険特攻魂を披露している。おそらく人とコミュニケーションを取るのが苦手で、ネット上の反応を求め、過激な動画撮影に挑もうとする悲しきアイチューバーの宿命を背負っている。

 

 ・外見

 

 銀色の長髪が特徴的な美少女。芸能事務所にスカウトされてもおかしくないほどの恵まれた容姿から繰り出される体当たり動画の迫力が魅力。部屋でぬくぬくと生配信しながら囲いを侍らせる女性配信者とは野生力が違う。

 撮影時の服装はいつも変わらず同じ服を着ている。しかも、汚れの形跡から見て一回も洗濯されていない。洗ってない犬みたいな臭いがしそうと言われている。銀じゃがスレにはこの服一式を手に入れるためなら全財産を払っても構わないという猛者もいる。

 

 

 ●その他の人物

 

 

 ・銀じゃが民

 

 銀じゃがスレの住民。由来は諸説あるが、デビュー動画に付けられたコメント「生のジャガイモ食っただけで5000万再生稼いだ銀髪美少女」から。初動で起きた祭りの影響でシックスをおもちゃ扱いする住人も多いが、概ねファン。というか、変態の集団。

 

 ・じゃがバターくん

 

 シックスの野生力によって作り出された硬派なじゃがバター。誰が何と言おうとじゃがバター、完成です。狼藉犬の乱入により、ついに実食されることはなかった。

 

 ・狼藉犬

 

 シックスの野生力をもってしても制御しきれなかった最強の宿敵。別名、俺ら。銀じゃがスレによく出没し、シックスに対するドス黒い欲望のたけをぶちまけていく。

 

 

 ●名言集

 

 

 ・『シックスです』

 

 動画の冒頭で行われる恒例の挨拶。多くを語らないその簡素さが黒幕感を醸し出している。基本的に彼女が撮影の途中において言葉を挟むことはないため、このセリフのみで動画が一本終わることもある。

 ニヤニヤ動画に転載された動画では、親切なクソデカ赤字兄貴たちが画面を埋め尽くす勢いでシックスの心理描写を解説してくれるので、初心者でも安心して視聴することができる。

 

 ・『完成です』

 

 じゃがバターが完成したときに言い放った一言。銀じゃがスレでは、このセリフと共に大量の未完成じゃがバターくんAAが投下された。

 

 ・『食べます(宣戦布告)』

 

 完成したじゃがバターを前にして発した堂々たる宣言。焼きたてを躊躇なく素手でつかむ野生力の高さを見せつけた。

 

 ・『ハアッ! ハアッ! ハアッ! ハアッ!』

 

 狼藉犬がシックスに馬乗りになったとき発した荒々しい息使い。銀じゃが民が興奮したときも同様の反応が見られる。『やめろおおおおお!!』とレスを返すまでがテンプレ。

 

 ・『ちぇけら』

 

 動画の最後を締めくくる挨拶。言わないこともある。もともとはポメルニが自身の動画で使っていた締めのセリフであり、多くの量産チルドレンが真似して使っていたことから良い印象は持たれていない。が、シックスの取ってつけたような決めポーズと舌っ足らずな口調がファンのハートをわしづかみにした。かわいいは正義。

 しかし彼女の動画の雰囲気に合っていない、他投稿者の影をちらつかせるなという意見を持つ、ちぇけら要らない派が出現し、ちぇけら要る派との熾烈な論争が勃発している。

 

 




本スレの様子が見たいという方は37話の感想欄をご覧ください。読者の皆さまのおかげで立派な銀じゃがスレと化しました! ありがとう! 各話ごとの感想を個別に表示できる便利な機能が実装されましたのでご利用ください。

また、イラストでも銀じゃがスレの様子を描いていただきました!
鬼豆腐様より

【挿絵表示】




アンダームが動画に映ったシックスのオーラを観察している部分について、原作と食い違う表現になってしまったため補足します。

天空闘技場編でヒソカ対カストロ戦を撮影したビデオを視聴するシーンがあり、そこで映像にオーラが映っていたことに関する解釈として、

①オーラはカメラで撮影可能だが、念能力者にしか見ることができない。

②オーラはカメラで撮影できないが、念能力者は何らかの方法で見ることができる。

③このビデオは念能力などの特殊な撮影方法によってオーラを記録している。

情報提供していただきまして旧アニメでは操作系の念能力者が撮影していたことが確認できました。そのため③の説が有力だと思われるのですが、この作品では②の説を採っています。映像から脳内補完でオーラを把握するというのはちょっと強引な独自設定かもしれませんが、霊能力者が心霊写真を見て映っている霊の詳細を言い当てるような感覚でしょうか…?

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