カーマインアームズ   作:放出系能力者

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45話

 

 念能力者と戦うとき、最初に行うべきこととは何か教わった。それは『凝』だ。凝とは体のある一点にオーラを集中させる技である。通常は、まんべんなく全身を強化しているオーラを一か所に集めることによって、その部分の強化をより強くする。

 

 この凝という技は、特に目的語なく呼ぶとき“目の強化”を言い表す。それだけ目にオーラを集めることが重要であるということだ。相手のオーラを注意深く観察することが戦闘の初歩。どんな能力を使ってくるかわからない初見の敵に対しての常套手段である。

 

 だが、修行を積んでいない私はまだこの凝を使うことができない。それでも敵の一挙手一投足を見逃さずに観察するよう言われていた。

 

 しかし、ジャックの初手はその裏をかく攻撃と言えた。注意を集めたその先で起きた強烈な光と音。爆風のような衝撃は感じなかったため、目くらましが目的であるとわかるが、その刺激だけで十分な効果があった。

 

 網膜は許容量を超えた光を受けるとダメージを負ってしまう。失明の危険すらある光量に対して、体は反射的に目を閉じようとする。だが、私はその行動を抑え込んだ。

 

 おそらく、この閃光は念能力によるものではない。オーラの気配は感じなかった。強力ではあるが、ただの閃光爆弾に過ぎない。だとすれば、その後に敵の本命の攻撃が来るはずだ。ここで目を閉じていては反応が遅れる。

 

 目が潰れたとしても、シックスの体ならば回復できる。だから目を閉じなかったのだが、結果としては同じだったかもしれない。あまりの光の強さに視界の確保はままならなかった。

 

 それでも敵に翻弄されるがまま、ただ立ち尽くしてしまっていたならば、何もできずに終わっていたかもしれない。見えはしなかったが、何かの気配が急速にこちらへ近づいているような気がした。背をかがめ、ついでにすぐそばでうろたえているノアを押し倒して回避する。

 

「ま、ままままママッ!? 自分から僕の胸に飛び込んでくるなんて……!」

 

 視力が戻ると、さっきまで自分が立っていた場所に何かが突き刺さっているのが見えた。それを何と表現していいのか、とっさに言い表せない。長く、平たい紙か布のようにも見えた。ジャックがいる方向からその布が真っすぐこちらへ伸びてきている。

 

 その布は蛇のように鎌首をもたげると、まるで意思を持つかのように再びこちらへ襲いかかってきた。その速さに体が追い付かない。回避できたとしてもギリギリになるだろう。とてもではないが、ノアを連れて避ける余裕はない。

 

 とっさにノアの体を蹴り飛ばし、その反動で自分も横へ跳んだ。

 

「もちろん僕はママの愛ならいつでもウェルカムぶぼぅっ!?」

 

 何とかやり過ごせたが、次の一手で私かノアか、どちらが詰む。一か八か、この布を攻撃してみようとかとも考えたが、周りを見て思いとどまった。

 

「ぬおおおおおお!! しまった吾輩としたことがああああ!!」

 

 私たちがいる方向とは別にもう一本の布がブレードの方へと伸び、彼の体をぐるぐる巻きにして縛っていた。ブレードですら拘束してしまうような攻撃を、私が何とかできるとは思えない。

 

 布の蛇はすぐに私の方へと向かってきた。絶体絶命、いや拘束されるだけなら死にはしないだろうが、いずれにしても窮地に立たされることは確実だ。

 

 念能力について教えてもらい、素人ながら自分にも戦う力があると考えていたが、浅はかだったと言うほかない。到底、手に負える相手ではなかった。何の手だても思いつかないまま体勢を立て直す暇さえなく、迫りくる布の蛇を眺めることしかできない。

 

 

「まったく、世話が焼ける人たちです」

 

 

 冷気を含んだ突風が吹き抜ける。凄まじい速度で一つの影が通り過ぎた。こちらに食らいつこうと迫っていた蛇は両断され、切り離された布切れが宙を舞う。さらにブレードを拘束していた布までも、瞬く間に切断してしまった。

 

 地面を滑りながら緩やかにブレーキをかけ停止したのはベルベットである。彼女の靴底には、いつの間にかスケート靴のようなエッジが取り付けられていた。

 

 これが彼女の能力『色褪せる線路(プライドレール)』である。靴底に具現化されたエッジを使い、まるでスケートリンクを駆け抜けるかのように高速で滑り進むことができる。念能力者は親しい間柄であっても、あまり自らの能力を吹聴することは好まないものらしいが彼女は「バレても問題ない」と、その能力について明かしていた。

 

「それが『縛獅子』の正体ですか」

 

 一方、ジャックについても攻撃を受けたことによって、その大まかな能力が推測できた。彼の頭の上には長い布の塊が巻きつけられている。それはターバンだ。さっきまでかぶっていた三角帽子の下に隠していたのだろうか。私たちに仕掛けられた布の攻撃も、そのターバンが伸びてきたものだった。

 

 これは『物質操作』と呼ばれる操作系能力と思われる。ただの布であるはずのターバンを、まるで生き物であるかのごとく動かして攻撃する。具現化系である可能性もあるが、切られた布の断片を見る限り、操られている布は実体のある現物に見える。

 

 しかも、これはただオーラで強化されただけの布ではない。身体能力の強化において極めて優れた特性を持つ強化系能力者であるブレードをいとも容易く拘束してしまった。何らかの厄介な特殊効果が付加されていると考えた方がいい。

 

 その恐るべき能力を秘めたターバンの一端がベルベットを追いかける。その動きは俊敏だったがしかし、ベルベットの速度はその上をいく。ジャックの攻撃をかわすどころか、反撃を加えて伸ばされたターバンを切り裂いていた。

 

 彼女の能力は二つある。一つは自身のオーラに冷気の性質を持たせる変化系の発『煽り耐性(クールダウン)』、もう一つがスケート靴のエッジを具現化する『色褪せる線路(プライドレール)』だ。この二つを併用することによって、地面を凍らせながらその上を高速で滑走できる。

 

 だが、この能力の真骨頂は別にある。今、彼女が滑っている場所はスタジアムの人工芝の上である。これをただ単に凍らせたところで、その上をスムーズに滑走することは難しい。整備されたスケートリンクを滑るようには当然いかない。

 

 しかし、ベルベットの走りには一切の支障が感じられなかった。彼女が駆け抜けた後には、二本のレールが敷かれるように凍った線が描かれている。これが『色褪せる線路』の特殊効果、具現化したエッジが通った場所はスケートをするに適した環境へと“整地”される。

 

 環境の上書きという強力な効果に加えて、刃(エッジ)の名の通り、靴底の鋭利な金属片はオーラで強化することによって武器にもなる。その蹴りの威力は、ジャックの能力を強引に無効化してしまうほどだった。

 

「おー、やるねー、でもまだまだ」

 

 ジャックはターバンから幾筋もの布を放つ。その様はさながら、たてがみを翻す獅子のごとく。いや、蛇の髪を持つという怪物メデューサに例えるべきか。縦横無尽に繰り出される布蛇がベルベットを襲う。

 

 その蛇の群れを、ベルベットはするするとくぐり抜けていく。速度を維持したまま、不安定なはずの氷上の滑走をここまで精密に制御できるとは。そして避けるだけではなく、片足で滑りながらもう片方の足で蹴りを放つバランス能力。

 

 思わず見とれてしまったが、こっちものん気に観戦している場合ではない。ひとまず、拘束されていたブレードのもとへと向かう。

 

「ぬおおおおおお!! ふおおおおおおお!!」

 

 彼は陸に打ち上げられた魚のようにビタンビタンと跳ねまわっていた。つまり、まだ拘束から抜け出せていない。手を貸そうと近づいたところ、ブレード本人に止められた。

 

「近づいてはならんッスル! うかつに触れば何が起きるかわからないッスル!」

 

 血管が浮き出るほど顔を赤くして全力でのたうちまわるブレードだが、それでも巻きついた布はびくともしない。ベルベットによって切断されたにもかかわらず、いまだに布蛇は拘束力を発揮し続けていた。

 

 ベルベットがジャックを倒してくれればいいが、そう簡単にはいきそうにない。蛇群の中心に構えるジャックは鉄壁の陣を敷いている。状況は拮抗していた。

 

 ジャックは無数の布蛇でベルベットを捕まえようとするものの、スピードで負けている。下手に攻撃すれば逆に布を切り裂かれる。操作系能力者にとって、愛用の武器は戦力の根本である。それを切り刻まれることは避けたいに違いない。

 

 一方で、遠距離攻撃に徹するジャックに対してベルベットは自分の攻撃射程まで近づけずにいた。蹴りで薙ぎ払って牽制しているが、布蛇に攻撃を当てて無事でいられるのはエッジの部分のみだ。他の体のどこかを捕らえられればブレードと同じ結末をたどる。決して有利であるとは言えない。

 

 助けに入ろうにもブレードは拘束中、戦闘素人の私やノアが飛びこんだところで邪魔にしかならない気がする。ノアの念能力を使う手もあるが、あれは遠距離攻撃タイプであるジャックとは相性が悪い。発病の効果射程は10メートルあるが、遠いほど効果が薄くなる。一気に無力化させるためにはもっと近づかなくてはならない。ジャックの能力を発病によって止められる確証もない。

 

「まずいッスル……このままではいずれ押し切られる……!」

 

 ベルベットとジャックは互角に戦っているかのように見える。しかし、攻め手はジャックだ。ベルベットは防戦一方どころか、一撃でも当たれば負ける戦い。

 

 それでも、彼女の表情はこれまで通りだった。気だるく冷たい眼差しは崩れない。ジャックの攻撃をかわしながら、彼女は何かを取り出す。それは一本のペットボトルだった。

 

 

 * * *

 

 

 ジャックは敵の身のこなしに素直に感服していた。数分で決着がつくと予想していた彼は認識を改める。

 

 四大行の集大成たる発は念能力者にとっての顔と言える。発を見れば、その人物の個性や歩んできた歴史がわかる。ベルベットがなぜこのような能力を作ろうとし、それを実現できたのか。ジャックはすぐに理解することができた。

 

 アイチューバーとして活動を始める以前、ベルベットはフィギュアスケートの選手として世界的な活躍を見せていた。当時は数々の大会で最年少記録を打ち立てた天才スケーターともてはやされていたが、それも過去の話である。その栄光と没落のエピソードはネット上では有名だった。

 

 才能を遺憾なく発揮し、順風満帆の選手生活を送っていた彼女は大会への出場停止処分を受ける。理由はドーピング検査で陽性反応が出たことだった。本人は無実を訴えたが、処分が取り消されることはなかった。

 

 そして長い謹慎期間が終わり、晴れて復帰を果たした彼女を再び不幸が襲う。二度目のドーピング陽性反応が検出され、スケート協会から除名処分を受けた。これにより彼女の選手生命は完全に断たれたと言える。

 

 その後、彼女は当時のスケート協会会長を襲撃し、全治一カ月の重傷を負わせる暴行事件を起こした。マスコミは一連の騒動を連日連夜報道し、ベルベットの問題行動を取りただした。人間性を否定するゴシップが飛び交い、彼女は私生活まで報道陣の追跡を受けるようになる。

 

 しかし、事が大きくなるにつれて新たな情報が浮き彫りとなる。それは腐敗したスケート協会の内情であった。会長職への行き過ぎた権力の集中と、それに伴う不正な金の動き。そして、会長のお気に入りの選手は優遇され、そうでない者は排除されるという暗黙の慣習が横行していた。

 

 ベルベットの事件を機に内部告発が次々と噴出した。ドーピングの件も、過去に同様の処分を受けて除名させられた選手が何人かおり、その人らの証言により協会側が意図的に工作した疑いが強まった。

 

 一転して、ベルベットは非行少女から悲劇のヒロインへと変貌する。暴行事件を起こしたことは彼女の非だが、未成年で多感な時期を迎えた少女がそこまで追い詰められていたことに同情する者も多く、選手としての復帰を望む声も高まった。

 

 だが結局、彼女は表舞台に戻ることはなかった。それどころか炎上系アイチューバーとなった彼女は、自分の人生を滅茶苦茶にした一因とも言える軽薄なマスコミと同じようなことをやっている。

 

 彼女が何をもって今の道を選択したのか、ジャックには知ることができない。それは彼女自身を除いて誰にも理解できない心境だろう。不信、怒り、失望。様々な思いが入り混じった境地の果てに、今の彼女がある。そして、それが彼女の念の原動力でもある。

 

 ベルベットの流れるような滑りには、芸術性すら垣間見えるフィギュアスケートの美しさが表れていた。ターンやジャンプなど、スポーツとしての技が戦闘技術へと昇華され、見事に使いこなされている。過去の経験に裏打ちされた強さがある。

 

 だが、それは彼女だけに言えることではない。ジャックにもまた、彼だけが持つ経歴がある。最初こそ圧倒されかけたが、本職の兵士として幾多の実戦を経験してきた彼は既に自分のペースを取り戻していた。

 

 ジャックの能力『命のお恵みを(バクシーシ)』はターバンを武器とする操作系の発である。見た目は滑稽だが、その能力は強力無比。単純な武器としての性能はもちろんのこと、それとは別に込められた特殊効果がある。

 

 このターバンは古代エジプーシャ王朝を起源とする王墓の盗掘品、正確には王のミイラから剥ぎ取られた包帯が編み込まれた正真正銘の呪物。死後の復活を願い、死者の眠りを妨げる不届き者を呪う“死後強まる念”が込められている。こういった品は通常、縁のない人間には扱えないものだが、稀に適合して使いこなせる場合がある。

 

 その効果は触れた敵のオーラを吸収し、ターバンの強度を上げるというものだった。敵が強いオーラで自身を強化すればするほど、ターバンはそれを吸い取って強度や拘束力が上がっていく。

 

 力技でこのターバンを破壊することはできない。むしろ逆に『絶』の状態となり、オーラによる強化を切る方が有効な対処法である。だが、その点もぬかりはなかった。敵のオーラを吸い取らずとも、ジャック自身がオーラを込めてターバンを強化することもできる。絶の状態では、どのみち拘束から脱するすべはない。

 

 一度捕まれば逃げること叶わぬ絶対の拘束。一対多の戦闘においても引けを取らず、数多の戦場を制圧してきたジャックの十八番だった。何本もの布蛇を同時に操りながら現状を冷静に把握する。

 

 ジャックは最初、プロハンターであるブレードを最も警戒し、最優先で無力化を図った。そして拘束に成功するもベルベットによってターバンは切られてしまう。だが、ブレードが身体強化を解かずにいる限りターバンはオーラを吸って強度を維持し続ける。

 

 ただ、ブレードを拘束するターバンは術者であるジャックの手元から切り離されてしまったため、それ以上の操作はできずジャック自身が強化を施すこともできなくなった。つまり、ブレードが絶の状態となればただの布に戻り、簡単に抜け出すことができる。

 

 だが、今のところブレードはそのからくりに気づいていないようだ。全力で拘束を破ろうと息巻いている。仮に抜け出せたとしても、また捕えればよい。ブレードのような典型的強化系能力者はジャックにとって得意な相手だった。

 

 その近くにいる二人のアイチューバー、ノアとシックスについてはそれほど脅威を感じていない。一応、念能力者であるため注意は怠っていないが、二人とも一目見て素人だとわかる。

 

 残る相手はベルベットだ。ジャックは歯噛みした。その不満はベルベットに向けたものではなく、己自身へのいら立ちだった。

 

 彼が戦争に身を投じていた時期は7年前になる。それ以降は実戦から離れて生活していた。念の修行は怠っていなかったものの、戦闘感覚は明らかに鈍っていると自覚できた。全盛期とは程遠い実力しか発揮できていない。

 

 それでも、今の状況は苦戦と呼べるほど追い詰められたわけではない。ジャックにとってベルベットを倒すこと自体は、そう難しいことではなかった。

 

 彼らの戦いが拮抗しているように見えるのは、互いに安全圏を保ちながら攻防を続けているからこそだ。その均衡を崩すことは可能である。ベルベットが捌ききれないほどの布蛇の物量でもって抑え込めばいい。

 

 しかし、それをすれば替えのきかない武器であるターバンを大きく損傷することになる。これから先も複数の念能力者と戦わなければならないかもしれないというのに、大幅な戦力の低下につながりかねない。

 

 それでも、ジャックはここで早期にベルベットを片づけるべきだと考えていた。彼女の余裕を感じさせる態度から、隠し玉の一つや二つはあるかもしれないと疑っていた。余計なことをされる前に肉を切らせて骨を断つ。

 

 だがジャックが攻勢に踏み切ろうとしたそのとき、ベルベットは腰元から何かを取り出した。それは500mlサイズのペットボトルだ。華麗な脚さばきはそのままに、ジャックの攻撃を避けながらペットボトルの蓋を開ける。

 

 中の液体はベルベットの手の上で、瞬時に氷のつぶてとなった。それをジャックに向けて投げつける。

 

 なかなかのオーラと威力が込められた氷弾だとわかる。だが、当たらなければ意味はない。ジャックはさして驚きもしなかった。攻防一体となった布蛇の群れは容易く氷弾をはたき落とす。

 

 オーラを冷気に変化させ、それを利用して氷を作る。余人には真似できない大した能力に違いないが、何事にも限界はある。ベルベットが水を持参していたことを考えれば、凍らせる液体がなければ氷は作れないと推測できる。何もない空中にいきなり氷塊を作るほど強力ではない。

 

 そして、いかにスケートの天才と言ってもベースボールの才能までは持ち合わせていなかったようだ。滑りながらの無理な体勢から放たれる氷弾の投擲は、ろくにコントロールも定まらない。苦し紛れの攻撃かと思われた。

 

「ふぅ……疲れました。少し休憩してもいいですか」

 

 にもかかわらず、この余裕。終いには攻撃手段となりえるペットボトルの残りの水を飲み始めた。何を企んでいるというのか。

 

「そう言えば知っていますか。このスタジアムでは年に一度、サッカーの国際大会が開かれているそうです」

 

「……余計なことを喋る余裕はあるみたいだね」

 

「いえ、十分に関係のあることだと思いますよ?」

 

 その直後、ベルベットを中心として空気が変わった。それはオーラを見ずとも肌で直接感じることができる。膨大な冷気がほとばしっている。

 

「出力最大、『煽り耐性(クールダウン)』」

 

 極寒の冷気が周囲の熱を奪っていく。急激な気温の低下は筋肉を収縮させ、体の動きを硬くする。念能力者であっても、これほどの寒さの中に長時間いれば大きく体力を消耗することだろう。ベルベットの本気をうかがわせる攻撃だった。

 

 だが、長時間冷気に当たり続ければの話だ。多少動きが鈍ったとて、ジャックの攻撃は布蛇の操作を主体としているため何の問題もない。さらに幸運なことに、たまたま着ていたサンタのコスチュームが高い耐寒性を有していた。

 

 そして、ジャックはこの冷気発散が長く続かないことを確信していた。これほどの膨大なオーラを長い時間消費し続けられるわけがない。したがって長期戦になることはない。彼女はここで一気に決着をつけに来ることだろう。

 

 多少の策を講じたところで打ち破られるほど、彼の防備は甘くない。蛇の巣穴へと転がりこむベルベットを、ジャックはただ迎え撃つのみ。

 

 だが、待ち構えるジャックに襲いかかったものは別にあった。彼の体に降り注ぎ、じとりと服を濡らしていく。

 

「……なんで水が……!?」

 

 突如として大量の水が地面から噴き出す。その出所は、ベルベットが投擲した氷の着弾点だった。ジャックに当たらず地面にめり込んだ氷弾は、その地下にあった給水管を破壊していた。

 

 人工芝が一面に広がるこのスタジアムでは、サッカーの試合に対応してピッチの調子を整えるための自動散水機が地下に多数設置されていた。その配管が張り巡らされていたのだ。

 

 水をかぶったジャックの体が凍りついていく。先ほどとは比べ物にならない寒さに襲われた。

 

「なめるな! この程度……!」

 

 これしきのことで怯むような軟な鍛え方はしていない。凍ったと言っても、表面についた水が凍らされただけだ。体の芯から氷漬けにされたわけではなく、大したダメージはない。

 

 しかし、ジャックは目を放してしまった。氷上を高速で駆け抜けるベルベットが今、どこを走っているのか。気を取られた一瞬のうちに、その姿はジャックの上空にあった。

 

 

 『色褪せる螺旋(プライドレール・スノーコーン)』

 

 

 ジャックの直上から、蹴りを繰り出しながらベルベットが落下する。さらにそこへフィギュアスケートの高速スピンが加わる。彼女の体ごと、足先のエッジはドリルのように回転していた。斬撃、氷結、整地が一体となり回転しながら一瞬のうちに反復される。

 

 ジャックの足元は凍結された氷によって身動きが取れない状態だった。強引に振り払うことはできるが、その隙にベルベットの攻撃が到達してしまう。避けることはできない。ターバンの触腕を広げてベルベットを受け止める。

 

 みるみるうちにターバンが削り取られていく。蹴りの接地点から二本のレールが、螺旋の軌道を描くように空中に伸びていく。ジャックはターバンをコントロールすることができなかった。まるでパスタがフォークにからめとられるように巻きとられ、細切れに裁断される。

  

「ば、バカな……! こん、な……ところ……で……!」

 

 ベルベットの勢いは止まらない。ジャックは全力をもって堪え忍ぶが、その時間も長くは続かなかった。

 

 


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