カーマインアームズ   作:放出系能力者

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5話

 

 体中、柔らかい。どこも硬いところがない。風が通り過ぎる感触の生々しさ。まるで見えない誰かが肌を撫でて行ったかのようだ。視界を覆う前髪を掻き分け、せわしなく辺りを見回していく。

 

 別世界だった。これが人間の体。心の底から望んだ姿。私は今、どんな表情をしているのだろうか。きっと笑っているのだと思う。

 

 しばらくの間、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 * * *

 

 そんな調子で長らく感傷にひたっていたが、はっと我に返る。色々と確認しなければならないことが山積みだ。

 

 まず、私の元の体はどうなったのか。今、私の意識は人間の体に宿った状態である。視覚、聴覚、嗅覚、その他の感覚もこの体に準拠している。これは特殊能力として設定した『感覚共有』の作用によるものだろう。

 

 別に私の体自体が人間のものに作り変ったわけではない。これはあくまで念獣、念人形と呼ばれるものだ。能力の使用者である私は別に存在していなければならないはずなのだが。

 

 それとも、この念人形の中に私の本体も取り込まれてしまっているのだろうか。確か、自分の体を元にして具現化した念を身にまとい、変身する能力というのもあったような気がする……。

 

 近くに本体がいないか探してみた。私が目を覚ましたすぐ近くの赤い植物の根元に、掘り進められた横穴を発見する。視点がかなり高くなっていたので気づかなかったが、これは長年愛用してきたマイホームではないか。

 

 手を突っ込んで中を探ってみると、何かに手が当たった。引きずり出す。それは冷たくなった蟻の死骸、私の本体だった。

 

 「し、しんでる……!」

 

 死んだ自分の姿を見ることになった上、人間になって初めて発した言葉がこれとは、二重の意味でショックだ。本体は脚を丸めて縮こまり、ぴくりとも動く気配がない。

 

 どういうことだ。本当に本体が死んだというのなら、今の私の体は何だというのだ。試しに地面に叩きつけてみて、反応がないか調べる。

 

 「いたっ!?」

 

 全身に衝撃が走った。正確にはそういう感覚だけを感じ取った。これはつまり、痛覚が共有されている。まだ本体は生きているということだ。誓約で痛覚共有を切らないように誓ったことが影響しているのかもしれない。

 

 その痛みが呼び水となったのか。本体が目を覚ました。その瞬間、脳内に流れ込んでくる情報の波にめまいがした。これは、人間の体と蟻の体、両方の感覚器が捉えた情報がいっぺんに認識されてしまっているためか。

 

 全く別個の存在でありながら、自分が二人いるという矛盾した状況が成り立っていた。互いの認識がリンクし、意識と情報を共有している。

 

 「きもちわるい……」

 

 駄目だ。気分の悪さを我慢できず、痛覚以外の感覚共有を遮断する。

 

 念獣が持つ『感覚共有』という特殊能力。これそのものは珍しいというほどの能力ではない。偵察用念獣と視界を共有し、遠隔地からでもリアルタイムで情報を受け取れるといった使い方がされる。

 

 だが、よく思い出してみると、念獣使いに限らずこういった遠隔念視の使い手は能力の発動中、自分自身の視界は閉ざされてしまっていたように思う。つまり、「自分が見ている光景」と「遠隔地の光景」の両方を一度に見ることは普通できないのだ。

 

 ただし、中には例外もある。ある亜人型キメラアントは、自らが持つ昆虫の“複眼”を利用し、多数の偵察用念獣と視界を一度に共有する能力をもっていた。確か『超複眼(スーパーアイ)』という能力だったと思う。

 

 私も、短時間ではあったが、確かに二つの視界を共有できていた。視界のみならず全感覚を共有していた。確かに能力を作るときにそういう設定を組み込んでいたが、だからと言ってそれがそのままできるかと言えば話は別だろう。

 

 全感覚の共有化が成功した理由は、『精神同調』にあると思う。この能力によって、私の意識は同一の思考を行う複数の意識共有体となってしまった。結論から言えば、この念人形の体も『精神同調』で操られており、私の意識の一端が形成された状態なのだ。

 

 同一の意思しか持てなかった意識共有体が、別々に思考できるようになった。まさに私が目指していた『複数意思の並列操作』が、ここに完成している。完全に独立した個体、感覚器を有する意識共有体が生まれたことで、それが刺激となって同一思考から抜け出せたのかもしれない。『偶像崇拝』の能力が、図らずも『精神同調』の進歩に役立ったようだ。

 

 だが、不思議なのは意識の主体が念人形の方に移っていることだ。本体である蟻の体が主体となるのが普通ではないだろうか。メインが念人形で本体がサブのような関係になっている。私が人間になることを強く望んだことが影響しているのかもしれない。私は活動を停止して動かなくなった本体に『精神同調』で命令してみた。

 

 『動け』

 

 命令を受けて、本体がその場でグルグルと意味もなく歩き回る。まるで知性が感じられない。これではどちらが念獣なのかわからない。

 

 しかし、今はまだ並列操作の感覚に慣れていないが、練習すれば念人形と本体のどちらも同時に“私自身”として操れるようになると確信した。命令という形ではなく、自らの体を動かすように自然と二つの体を操る。きっとその領域までこの能力を高めてみせよう。

 

 

 * * *

 

 人間になったら、最初にやりたいことがあった。それは“名前”をつけることだ。

 

 蟻である自分に名前は必要なかったし、必要だとも思わなかった。だが、人間に名前がない者はいない。それくらい人間にとっては大事なものであるらしい。

 

 私はこの銀髪の少女を『クイン』と名付けた。女王蟻(クイーン)から取ってクイン。我ながら安直だと思うが、変にひねった名前よりわかりやすくていい。そのはず。異論は認めない。

 

 蟻の姿である私に関しては、今後も名前をつける気はない。本体とでも呼んでおけばいいだろう。

 

 心配していた能力発動を維持するための消費オーラも何とかなった。誓約のせいで毎日24時間、何があろうと発動し続けなければ大変なことになってしまう。これからクインの運用を前提としたオーラの使い方が重要になってくる。

 

 やはり苦手な具現化系能力であるためか、予想より消耗は多かった。その分、クオリティは高く、その出来栄えに文句はない。オーラも普通に何事もなく過ごす分には問題ないし、本体が寝ているときでも余分にオーラを渡しておけば発動を維持できる。しかし、念を用いた戦闘に入ると一気に消耗は危険域に陥るものと思われた。

 

 だが、ここで修行の成果が生きた。卵からのオーラ抽出に成功したのだ。これで消費オーラにかなりの余裕ができた。長いこと『精神同調』の瞑想修行に打ち込んだかいがあったというものだ。

 

 と言うか、最近は瞑想の修行しかやっていなかった。毎日朝から晩まで寝てるのか起きてるのかわからない状態でボーッとしていた。植物の精神状態に近づいていたと言っても過言ではない。『精神同調』の精度が上がっているのも、いつの間にこんなに成長したんだろうと疑問に思うくらいだ。もしクインの具現化ができなかったら、私は今もまだあの状態だったのだろうか。そう考えると恐ろしい。

 

 そこまで自分を追い込んで必死に求めた『偶像崇拝』による肉体の再現性は驚くほど高かった。本当に、人間の体の脆弱さには驚かされる。転んだだけで膝をすりむいて血が出た。しかもめちゃくちゃ痛い。泣いた。そして、よくこんな体で生きていけるなと逆に感心する。

 

 傷はオーラを込めて修復すればいいが、痛覚だけはどうしようもない。アリの体にも痛覚はあるが、ここまで顕著ではなかった。脚をもがれても大して動揺することはなかったが、クインの体で同じことをされたら失神するかもしれない。なんでこんなに不便なのか、そして軽々しく痛覚共有の誓約を作ってしまった自分に腹が立つ。確かにこれは覚悟が必要な誓約だった。

 

 しかし、人間の体になって良いこともあった。一つは運動能力だ。蟻の歩みに比べれば格段に速く走ることができる。そしてもう一つが念能力だ。完全に一人の人間として再現されたクインは、四大行をはじめとする念能力を使うことができた。

 

 その才能は、本体と比べ物にならない。もともとアリであった頃から修行を積み、その下地があるのでゼロからのスタートではないことは確かだが、それを加味しても凄まじい。四大行の制御はもちろんのこと、あれほど苦戦していた応用技までその日のうちに全て習得してしまったと言えばどれだけ規格外かわかるだろう。

 

 応用技『流』は、敵の動きに合わせて適切に攻防力を体の各部へと移動させる技なので、これだけはできなかった。対戦相手がいて初めて修練が可能となる技であり、念戦闘の基本にして奥義とも呼べる応用技だ。これを鍛えるには実戦を積むしかない。

 

 だが、攻防力の移動だけならアリの頃より遥かにスムーズに行えるようになった。他の応用技も拙いながら、一応の形はできた。やはり念能力は人間が編み出した力だけあり、それを扱う上でも人間の体が最も適しているということなのだろう。

 

 クインが身に付けた念の技術は、ある程度本体へとフィードバックすることができるようになった。この逆も然りであり、これからは修行の効率も格段に高まっていくことだろう。

 

 この『偶像崇拝』、最初はポピュラーな具現化系能力として作ったつもりだったが、こうして現に使ってみてわかった。これはとんでもない性能が盛り込まれた能力だ。今にしてみれば重い制約と誓約をつけ過ぎたとは思えない。むしろ、それほどの覚悟がなければクインを具現化することは叶わなかっただろう。

 

 ただ、一つ気になったことがある。クインの系統だ。操作系である私が作った念人形なのだから、クインも当然操作系だと思っていたのだが、水見式の修行をしてみたところ、以前とは異なる反応が出たのだ。

 

 水に浮かべた葉っぱが白く変色していった。これはおそらく特質系を示す変化と思われる。他の系統では現れない特殊な変化が表す通り、特質系は他のいかなる系統にも属さない分類不可の能力であるとされる。

 

 六系統のうち、特質系の発は特質系の能力者しか覚えることができない。他の系統であれば修行次第で苦手系統でもわずかに習得は可能だが、特質系だけは例外だ。これと定まった能力の傾向はなく、一人一人が他に類を見ない発を得る。

 

 私は、自分の系統が特質系へと変化したのではないかと思った。六性図において特質系と隣り合う『操作系』と『具現化系』の体質者は、後天的に特質系へと変化する場合があるのだ。

 

 『偶像崇拝』を完成させるためには具現化系と操作系の両立が不可欠であった。特質系ならばその二つと相性がいい位置にある。私のクインにかける情熱が系統を変化させるに至ったと考えればつじつまは合うような気もする。

 

 しかし、検証のためアリ本体である私が水見式をしてみたところ、操作系を示す変化が見られたのだ。いつものように葉っぱは見事な高速回転を見せてくれた。つまり、本体は操作系なのに、クインは特質系というバラバラの結果が出たことになる。わけがわからない。

 

 まあ、一から念能力で作り出された本物の人間というのは、もはや具現化系や操作系の領域を通り越して特質系と言えなくもない、か?

 

 

 * * *

 

 

 今日も今日とて修行に励む。クインが生まれてからは心機一転、修行にもさらに身が入るというものだ。

 

 降りしきる雨の中、クインは蟻本体をダンベル代わりに筋トレを行う。始めたばかりだが、既に腕がぷるぷるしてきたぞ。この体はあまりにも貧弱すぎる。オーラの強化なしでは腕立て伏せ10回もできなかった。オーラを使うと筋トレにならないので、今は絶の状態だ。

 

 本体の重さは5キロくらいだろうか。金属質な見た目通り、割と重い。クインは本体から常にオーラを供給されているため、できればこうしてくっついていた方が効率は良い。クインはほぼ人間と同じ体の構造をしているが、オーラの生産はできず消費するのみである。このオーラこそがクインを形作る全ての構成要素であり、欠かすことはできない。

 

 ちなみにクインは全裸だ。服は具現化できなかった。さすがにこれ以上メモリを使用してまで服を作ろうとは思わないが、服は欲しいところだ。衣食住の三要素が人間的な生活を送る上で欠かせないという。食は何とかなっている(クインはオーラさえあれば食事の必要はない)が、衣と住が壊滅的だ。

 

 服はもちろん、雨風を防ぐ家もない。マイホームはクインには狭すぎるので、現在相応の大きさの横穴を拡張中である。雨季でも気温は高いので雨にあたっても風邪をひくことはないが、濡れ続けるのはうっとうしいのでやはり屋根が欲しい。

 

 荒野には点々とだが木も生えているので、それを使って何とかできないだろうか。ノコギリなどの道具もなく、釘もなく、自生している木だけで家を作る……まあ、徐々にやっていこう。今は修行に集中だ。

 

 体力トレーニングも最近は取り入れたが、メインは念の修行である。とにかくクインの脆弱さを補うため、念能力を高めることは急務であった。誓約によって彼女の死はイコール私の死でもある。それ以前に念人形とはいえ、彼女は私の分身、いや私自身と言っていい存在だ。誓約なんかなくても簡単に見殺しにする気はない。

 

 クインのスペックは確かに高い。その才能には目を見張るものがある。しかし、特質系という体質が強くなる上でネックとなっていた。

 

 特質系は発現率が非常に低く、ユニークで強力な能力を覚える。しかし、他の系統と比べたとき最も『強化系』と相性が悪く、能力抜きの純粋な戦闘力では劣ってしまう。修行の仕方を考えなければならない。

 

 念の修行には大きく分けて三つの分類がある。まず基本の『四大行』、それらを複合した『応用技』、そして発の鍛錬を主軸に置いた『系統別修行』がある。中でも系統別修行は発の威力や精度をあげる上で重要になってくる。自系統はもちろん、隣り合う相性の良い系統も並行して鍛えることで基礎力の底上げができると言われる。

 

 だが、修行効率という点を抜きすれば、自分の不得意系統まで必死になって覚える必要はない。得意系統をしっかり押さえておけばいくらでも応用が効くので、無理に他系統を実戦で使えるレベルまで育てる必要はないのだ。

 

 しかし、『強化系』だけは別。この系統はものの持つ力や働きを強化する能力であり、自分や装備品の力や耐久性を上げることができる。攻撃力、防御力、自己回復力、五感といった戦闘に直結した力を強化する能力であるため、自分がどんな系統であろうとこれをおろそかにすることはできない。強化系能力者が一強と言われるゆえんである。

 

 先ほども述べたが、特質系は強化系との相性が最悪だ。それだけで相当に不利な条件に置かれてしまう。特質系能力者はその弱さを強力な固有能力でカバーするのだが、クインの場合はそのアドバンテージもない。特殊能力の使えない特質系……。

 

 何よりも心配なのは肉体の強度だ。オーラの体外への瞬間的な最大出力量を『顕在オーラ量(AOP)』と呼び、これが大きいほど高威力の技を使うことができ、防御に回せる力も大きくなる。クインは本体と比べてこの値がかなり高く、特質系ではあるがある程度の強化率は保てているように思う。

 

 しかし、攻防力(オーラによる実質強化率)は本体の方が遥かに高い。攻防力はオーラだけでなく、肉体の素の強度にも大きく影響されるからだ。もともと強固な外骨格を持つ本体は、オーラによる簡単な強化で何倍にも防御力がアップするが、二の腕ぷにぷにのクインではどんなに頑張って強化したところでその域には届かない。

 

 まあでも、クインにはクインの良いところがある。アリの体ではできない運動性を発揮できるし、繊細な動きも可能だ。筋トレによる素体の強化も頑張っている。顕在オーラ量もまだまだ成長段階だ。伸びしろは大きい。

 

 

 キチ、キチ

 

 

 次は腹筋でもやろうかと思い始めた頃、耳障りな金属音が聞こえてきた。赤い森の中から蟻たちがぞろぞろと姿を現す。それは王アリと直属護衛軍の面々だった。

 

 キメラアントの女王アリは、自分の群れがある程度の規模まで大きくなると兵アリの生産を止めて定期的に王アリだけを産むようになる。こいつらも、森の中心部にある群れから生まれた新たな王アリなのだろう。

 

 しかも、その王アリの数が一匹や二匹ではない。彼らは他種族の雌を孕ませて次世代の女王アリを作らせるのだが、この荒野にはその交尾相手がいない。だから森の中で王アリが飽和状態となっているものと思われる。

 

 で、なんでわらわらとクインの前に集まってきているのかと言えば、そういう目的のためだろう。クインは人間の女の子である。

 

 よし、殺そう。

 

 同族はなるべく殺したくはないが、こいつらは別だ。何のためらいもなく手を下せる。見ているだけで嫌悪感がこみあげてくる。殺意を抑えられない。

 

 クインの素手で殴ると痛いので、そこらへんに落ちている石を『周』で強化して鈍器とする。『周』は『纏』の応用技で、武器などの装備品をオーラで強化し、耐久力や破壊力などを向上させる技である。

 

 ただの『纏』よりも遥かにオーラの消耗が激しい上に、使い慣れた愛用の道具でなければ強化の効率も低下する。ただの石を周で強化したところでたかが知れているが、修行にはうってつけだ。

 

 アリたちの動きは遅く、何の脅威でもなかった。これに捕まって孕ませられる奴はよっぽどの間抜けだけだろう。邪魔な護衛軍は本体が適当にあしらっておく。

 

 向かってきた王アリを石で殴りつけた。クインの顕在オーラ量に物を言わせた非効率的な凶器がアリの装甲に打ちつけられる。さすがに硬く、傷をつけることはできない。衝撃は内部に通っているだろうが、一発や二発殴った程度では殺せない。

 

 むしろ、その耐久力は私の望むところだった。一発一発、丹念に殺意を込めて、石を振り下ろす。こんな感じの修行があった気がする。確か、強化系系統別修行の『石割り』だ。武器となる石を割らないように強化しながら目標を叩き続ける。力を入れ過ぎず抜き過ぎず、バランスを考えて強化しないと簡単に石は砕けてしまう。単純ながら、なかなか神経を使う作業だ。

 

 その後も、クインは黙々と石を振るい続けた。

 

 

 * * *

 

 

 クインが生まれたことで、『精神同調』の精度は着々と上がっていった。本体との感覚共有も問題なくこなせるようになる。今ではどちらが主体と感じることもない。二つが共に主体として、意識を共有しながら別々の行動を取れるようになった。

 

 卵の方に宿る意識も、制限付きで独立させることに成功する。ただ、これはまだできることが少ない。主な使い道はオーラの引き出し。クインのバッテリーと化している。念人形にオーラを送り込むことは念獣操作の初歩であり、卵からクインへオーラを直送するのは難しいことではない。

 

 そもそもこの卵、意識が宿っていると言っても、脳も形成されていないのにどうやって思考しているのかという疑問もある。肉体的な機能としてではなく、魂のような存在として意識が働いているのかもしれない。念能力という超自然的現象の産物と説明するよりに他になかった。

 

 この卵との意識共有について、いくつかの疑問点が解明された。

 

 一つ目は、オーラ総量が増えたことで、一気に強化率の増強が図れるのではないかという点だ。二人分のオーラを強化につぎ込めば二倍、三人分なら三倍の強さを手に入れられるのではないか。

 

 結論から言って、それはできなかった。どれだけオーラをつぎ込んでも、顕在オーラ量(AOP)を越えた力は出せないのだ。いくら水源が豊富にあろうと蛇口から出て来る水の勢いは変わらないというわけだ。潜在オーラ量が人より格段に優れていることに変わりはないので継戦能力に長け、消耗戦に強いことは確かだが、ちょっと残念に感じてしまう。

 

 現状、卵の使い道がクインの燃料にしかならないというのがもったいなさ過ぎるので、これについては他の技に応用できないか模索中である。

 

 二つ目の疑問。卵が持つ容量(メモリ)はどうなっているのか。以前、「腹の中に千にも及ぶ念能力者を抱え込んでいる状態」と例えたが、これが言葉通りならもうメモリの問題で悩む必要はない。どんな強力な能力だろうと、いくらでも作ることができてしまう。

 

 そんなうまい話はなかった。『精神同調』で作り出した意識共有体は、自動的に私と同じ能力を始めから取得している。つまり、強制的に『精神同調』と『偶像崇拝』を覚えてしまうので、メモリに空きなんてない。

 

 現に新しい能力をいくつか作ってみたが、どれも身につくことはなかった。一例をあげると、

 

 

能力名:『不必要な死化粧』

効果:使用者が負ったあらゆるダメージを回復し、健康状態へもどす。

制約:なし

誓約:効果発動から10秒後に使用者は死亡する。

 

 

 ダメージの完全回復と引き換えに、余命を10秒に縮めるというあまりにもリスキーな能力だ。どうしても勝てない相手に最後の一矢を報いるためとか、死の間際に最後の伝言を残すためくらいしか使い道が思いつかない。まず、なんでこんな能力を作ろうとしたのか、その経緯を説明しなければならない。

 

 この『使用者の命を賭ける』という文言は、誓約の中でもトップクラスに高い効果を引き出せる誓いだ。命と引き換えに力を得る。これに勝る覚悟はそうそうない。それも「~したら死ぬ」とか「~しなければ死ぬ」と言った条件付きで罰を課すのではなく、死ぬことを最初から前提とした誓約となればさらに効果は強くなるだろう。

 

 この命を賭けた誓約は、『偶像崇拝』において既に使っている。クインと本体は一心同体。どちらかが死ねば片割れも死ぬ。文言通りに捉えるならそうなるはずだが、実はこれにはある思惑があった。私は、本気で命を賭けているわけではない。抜け道を用意していた。

 

 私にとって命とは、一つ限りのものではない。正確には個としての死はさしたる問題ではなかった。新陳代謝で入れ替わる細胞のように、意識集合体は生と死を繰り返している。

 

 さすがに蟻本体が壊れればおしまいだが、おなかの中の卵はよく死んでいた。ストレスで死んだり、修行の物理的なダメージで死んだり、不良品ができたり……そうして死んだ卵の代わりに次の卵が作られ、補充されている。

 

 死は日常的な経験だった。本体が無事で、意識集合体の一つでも残っていれば再生が可能なのだ。

 

 よって、誓約により死ぬことになっても卵を一つ犠牲とすることで切り抜けられると考えた。確証はないが、直感的に間違っていないと思う。念能力を作る上で重要なのは、そういう直感だ。その思惑を組み込んだ上での誓約だった。

 

 死が大した誓約にならないというのは賭けるチップとしての価値を貶めることにつながりそうな気もするが、それでもこの体質を利用しない手はないと思った。うまくいけば強力な誓約をつけたい放題だ。

 

 そういうわけで考えた能力が『不必要な死化粧』である。死と引き換えにダメージを回復する。形式上のリスクとリターンは釣り合いが取れているはずだ。10秒の猶予は保険として取り入れたが、別になくてもよかった。私ならこの能力をデメリットなしで活用できる。

 

 まあ、覚えられなかったわけだが。メモリが無限ではないという証明になった。回復という特性上、この能力は強化系に属する。操作系と相性が悪い上に、強化系の中でも目覚めることが非常に珍しい回復能力は高望みが過ぎたか。

 

 しかし、簡単には諦められない。既に二つの能力を作り、メモリの空きがどれだけ残っているのかわからないが、あと一つくらいなら能力を作れるかもしれない。他の能力も考えてみた。

 

 

能力名:『身代り人形(仮)』

効果:人形を操り、使用者のダメージを肩代わりさせる。

制約:①人形を携帯しておくこと。②人形が少しでも壊れたら使えない。

誓約:効果発動から10秒後に使用者は死亡する。

 

 

 操作系の能力、物体操作だ。人形を操って動かしても戦闘にはあまり役に立たないだろうから、特殊能力ありきで作った発である。

 

 人形は子供の玩具という認識が強いが、元来は厄避けの呪術具として作られたものだったと思う。その背景を物体操作によって昇華すれば特殊能力として使えるかもしれない。かなり強引な理屈だけど。

 

 今度は得意な自系統の能力だし、制約も重めに作ったのでいけるかと思ったが、これも駄目だった。私のメモリの空きはもう残っていないか、残っていてもわずかしかないのだろう。せっかく苦労して木彫りの人形まで作ったのに。

 

 もしかしたら、『偶像崇拝』のときと同じように長く修行を積めば習得できるのかもしれないが、そこまでのモチベーションはなかった。あれと同レベルの修行はいくらなんでも辛すぎる。色んな能力を考えはしたが、心のどこかで「これは無理」という線引きができてしまった気がする。もしかすると、これが『容量(メモリ)』という概念そのものなのかもしれない。

 

 

 * * *

 

 

 「収穫なし」

 

 今日は久しぶりに晴れたので、ジョギングも兼ねて荒野探索の遠征を行う。本体は頭の上に乗せている。これがなかなかのウェイトになり、バランスを保って走らないとよろけそうになる。纏を使って、かなりの速度で走ったが、荒野はどこまで行っても荒野だった。

 

 アリだったときもこういった遠征は何度も行っている。しかし、いまだにこの荒野を抜け出せたことはない。広すぎる。そして何もない。おそらく、赤い森を旅立つくらいの気持ちで本気の遠征をしないと出口は見えない。

 

 一応、赤い森が見えなくなるくらい離れても迷わず戻る手段はある。私は蟻だ。巣から遠く離れても道しるべフェロモンを使って場所をたどれるのだ。それでも万が一の事態を考えて、赤い森を中心に日帰りできる程度の範囲を探っていたが、今後はもっとその範囲を拡大していく必要があった。

 

 クインは華奢な自分の体を見つめ直した。私は本当に強くなれているのだろうか。この荒野を越えていけるほどの強さを得ているのだろうか。

 

 キメラアントの原産地は暗黒大陸と言われている。とにかく危険な場所らしいが、具体的なことはわからない。私の中に、その先の記憶はなかった。物語が途中で終わっているような感じだ。

 

 ここが暗黒大陸に位置するのだとすれば、この荒野は比較的安全な場所なのだろう。この先に待ち受けているかもしれない脅威に対して、私はどれだけ戦えるのだろうか。

 

 昔の自分より格段に強くなっていることはわかるが、どこか思い通りにならないもどかしさがあった。『精神同調』は思ったほど活用できていないし、『偶像崇拝』ではメモリを使い果たしてしまった。どちらも戦闘において直接的な攻撃となる発ではない。

 

 ないものねだりだということはわかっているし、この二つの能力を作ったことに後悔もしていない。それでも拭いきれない不安はあった。

 

 あと一つ。最後の悪あがきに、新たな発を作りたい。メモリの最大値は個人の才能によって大きく変わるが、だいたい一人につき一個から二個くらいの能力を覚えられる。多くて三個が限界だろう。

 

 中には六個くらい覚えている人もいたし、他人の発を盗んで使うという規格外もいた。そこまでの力は望まないが、私もそこそこの才能はあると思う。最後に試しておきたい能力を考えていた。

 

 能力名は『犠牲の揺り籠(ロトンエッグ)』。効果は念弾。これは放出系の発である。オーラの弾丸を飛ばす遠距離攻撃で、放出系としては基本的でありふれた能力だ。

 

 ロングレンジを確保できることはそれだけで強みだが、ある程度の使い手ともなれば銃弾くらいの威力は防ぎきれるので、遠距離攻撃に頼らなければ戦えないような能力者は接近戦に持ち込まれて倒されることも多いような気がする。

 

 だが、それも結局は個人の力量次第。一発に込める威力が高ければ砲台と化し、連射性を極めればマシンガンのように弾幕で制圧できる。実物の弾丸に念を込めて威力をさらに増幅させたり、具現化させた弾丸を使用するなどの使い方もある(放出系は具現化系と相性最悪なので、別の具現化系能力者が作った弾丸を使うという協力体制がとられることも)。

 

 放出系と相性の良い私なら、念弾もそれなりに高い精度で扱えるはずだ。そこに誓約を加えることでさらに威力を強化する。“使えば死ぬ”という誓約を。

 

 普通の人間ならまず作らないし、作れない能力になる。戦うということは何かを守ることで、普通はその守るべきものの中に自分の命も含まれるだろう。それを犠牲にしてまで攻撃しなければならない状況は想定されるべきではない。だからこそ、この能力は相応の力を得るはずだ。

 

 特殊能力もない、ただの念弾。この程度の発も使えないようならメモリの空きはないものとしてスッパリ諦めがつく。覚えられたら、そのときは本当にメモリを使いきったことになり、「もしかしたらまだ能力を覚えられるのでは?」と悩まずに済む。

 

 クインは本体を両手で持ち、発射体勢の構えを取る。

 

「……」

 

 結果的に卵が死ぬことは数え切れないほどあったが、意図的に“殺す”のはこれが初めてだ。『不必要な死化粧』や『身代り人形』を使おうとしたときも思ったことだが、誓約が与える死の概念は、本当にその小さな犠牲だけで満たされるものなのか。しばし、逡巡する。

 

 それでも結局、答えは変わらなかった。私は暗黒大陸を旅して、いつか人間が住む世界へと行きたい。人間に会ってみたかった。人間がどういうものなのか知りたかった。その過程で、おそらく私はこの先、想像を遥かに超えるような脅威と対峙する時がくる。

 

 乗り越えるためには力が必要だ。それも常識の範囲に収まるような力では足りない。自分よりも強い者を、遥かに巨大な敵を倒すための手段が必要だ。

 

 一撃必殺。その代償として、命を払うことになるというのなら受け入れよう。その上で、生き延びる。この破綻した理屈を貫き通せる覚悟こそが、私の持つ強さなのだから。

 

「『犠牲の揺り籠(ロトンエッグ)』」

 

 閃光が視界を焼いた。

 

 それは弾ではなかった。一条の光の柱が、どこまでもまっすぐに伸びていく。すさまじいエネルギーの放出。それと同時に死の気配が私の中で広がった。

 

 卵が死んでいく。一個や二個ではない。犠牲とした卵を中心に、まるで感染するように死が伝わる。即座に死んだ意識を集合体から切り離すが、それでも止まらない。隔離と漏洩を繰り返す。

 

 誓約として死ぬことを前提とした能力を作ったが、具体的にどのように死ぬか、その方法を決めていたわけではなかった。結果的にその代償はオーラとして贖われる。技を発動させるため、生命を消失させるほどのオーラが消費されていく。

 

 わずか数秒にも満たないその時間は極限まで圧縮されていた。自分の中で大きくなる空白地帯に恐怖する。そして今、私がすべきことを理解した。

 

 隔離してはならない。拒絶してはならない。死んだ自分を切り離すのではなく、自分が死んだことを認めなければならない。

 

 あなたはわたしだ。

 

 光線は細く収束し、途切れるように絶えた。雨上がりの地面に残った水気が蒸発し、霧となってたちこめる。精も根も使い果たし、クインは倒れるように膝をついた。

 

 卵の約半数が一瞬にして死滅した。瞑想によって『精神同調』の精度を上げていなかったら被害はもっと大きかっただろう。私の全てがここで死んでいたかもしれない。覚悟していたこととはいえ、恐ろしい体験だった。

 

 霧が風に流され、視界が開ける。まっすぐ前に向けて撃っていたつもりだったが、放出の勢いに押されて手元が動いたのだろう。大地を二つに割る線が走っていた。

 

 深く切り取られた巨大な溝が目視できないほど遠くまで続いている。クレーターのような無駄な破壊の跡は一切なく、通り道の上の障害物を消し去ったかのように抉れていた。

 

 これが数百の命を犠牲として得た力。失うものも大きいが、確かに、それに見合うだけの威力があった。手に入れた力の強大さに身震いする。

 

 クインは立ち上がろうとするが、動きがぎこちなかった。卵の犠牲だけでなく、貯蓄していた分のオーラまでほぼ全て使いきってしまった。良くも悪くも融通のきかない全力の一撃。軽はずみには使えない能力だ。

 

「……?」

 

 絶をしてオーラの回復に努めていたとき、目の前の光景の異変に気づいた。念弾で先ほど作った溝に液体が溜まり始めたのだ。

 

 こんな効果を『犠牲の揺り籠』に付けた覚えはない。謎の液体は地中から染み出るようにどんどん溜まっていく。その色は鮮やかな赤だった。そして、漂ってくる強烈な生臭さ。

 

 その直後、思考を遮るように大地が揺れた。立っていられないほどの揺れ。これまでこの荒野で地震が起きたことはなかった。私が撃った念弾と無関係とは思えない。

 

 地下に何かがいる。この赤い液体は臭いからして間違いなく、血液だ。私が立っている地面の下に生き物が潜んでいた。ここが暗黒大陸だとすれば不思議なことではない。

 

 よりによって、この最悪のタイミングで恐れていた巨大生物を呼び起こしてしまうとは。今は、まずい。クインの具現化を維持するのに精いっぱいのオーラしか残っていない。本格的な戦闘が始まればすぐに枯渇してしまう。

 

 クインを具現化しきれなくなれば誓約による死が待っている。さっきの二の舞だ。卵のストックが減った今、もう一度あのペナルティを受ければ耐え抜ける自信はない。

 

 言うことを聞かない体に鞭打って、クインを走らせた。逃げるしかない。まだ敵はこちらの存在に気づいていない可能性もある。絶を使って気配を絶てば何とかなるかもしれない。

 

 しかし、走り始めてすぐ、次なる異変に気づいてしまう。

 

「山が……!」

 

 伸びている。と、しか表現できない。

 

 この荒野で唯一、地平線の先に見える遠い山。いつも夕日はその山の向こうへと落ちて行く。私は『西の山』と呼んでいた。私が生まれてこのかた、変わることなく雄大にたたずんでいたその山が天を衝くように伸びあがっている。

 

 何が起きているのか理解できない。山は急に標高が高くなったりしない。私の中にあるその常識は間違っていたのだろうか。これも私が撃った念弾の影響だと言うのか。事態の把握のため、必死に周囲を見回す。

 

 そして、見てしまった。足が止まる。私がまだたどり着いたことのない荒野の向こう、東の果てにそれはあった。

 

 蛇の頭だ。いや、亀だろうか。それが後ろを振り返るようにしてこちらを見ている。目がおかしくなったのかと思った。遠近感覚が狂ったとしか思えない。だって、ここから見てあの大きさだと、西の山と同じくらいの巨大さになってしまう。

 

 東の果てに頭があり、西の果てに尾がある蛇。だとすれば、この荒野は、

 

「あ、あああ」

 

 空が陰った。尾の山が、正午の太陽を遮るほど高く伸びあがっている。それはゆっくりと倒れてきた。影は空を覆い尽くし、夜よりも暗く、星の残光すらなく、押し固められた闇が。

 

 天が落ちた。その日、私は故郷を失った。

 

 

 ―――――

 

 『犠牲の揺り籠(ロトンエッグ)』

 

 放出系能力。念弾。

 

 【制約】

 ・なし

 

 【誓約】

 ・使用者は死亡する。

 

 

 


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