カーマインアームズ   作:放出系能力者

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50話

 

 VR空間の景色が変わっていく。それについては、さほど驚くこともない。バトルフィールドに移行する場面でも見た映像の変化だ。しかし、問題は変化した後の光景だった。

 

 鉄の箱を並べたような閉塞感に支配された部屋が続く。金属が擦れ、軋みをあげる音が遠くから聞こえた。薄暗闇の中、誘導灯のわずかな明かりに照らされた室内には古ぼけた箱型のモニターがいくつも並んでいる。

 

 その場所には見覚えがあった。一度だけ夢の中で見た光景だ。ただの夢とは思えないほど鮮烈な記憶だったので、はっきりと覚えている。

 

『なっ、はっ!? 何が起きて……どこだよここ!? こんなステージ作った覚えはないぞ!?』

 

 そしてこの事態はゲームの制作者であるミルキーにとっても想定外のことであったらしい。“彼”は、慌てふためきながら空中でキーボードを打つようなしぐさを取っている。おそらく、リアルではパソコンか何かを実際に操作しているのだろう。

 

 ミルキー……たぶんミルキーだと思われるその人は、さっきまでの外見とは全く異なる姿になっていた。

 

『えっ、これちょっ……アバターのヴィジュアル設定がデフォルトになってりゅううううう!?』

 

 まず性別からして違う。男性で、かなりの肥満体形だ。しかも、着ている服はさっきまでと同じである。つまり、バニーガール風の魔法少女コスチューム。それもほとんど破けて服としての体をなしていない状態であった。レオタードに収まりきらないむちむちの腹まわりとか、網タイツで締めつけられて網目に肉がみっちり食い込んでいる脚とか、色々と大変なことになっている。

 

 おそらくこれがVチューバー、マジカル☆ミルキーの中の人だと思われる。そのインパクトから、ついしげしげと観察してしまった。ミルキーと目が合う。彼は、さっと自分の体を手で隠した。

 

『お、お前がやったのか!? どうやって……いや、そんなことより何が目的だ!?』

 

 何が起きているのか、私にも心当たりなどない。とにかく、このVRゲームに異常が発生し、制作者である彼にさえ収拾がつかない状況にあるようだ。

 

『はっ、まさか……俺の正体をネットで暴露する気か!? そうなんだろ!? やめろお前! 後悔することになるぞ……暗殺一家ゾルディック家を敵に回して命があると思うなよ!』

 

 マジカル☆ミルキーの設定である暗殺組織がどうだの言い始めた。現実と妄想がごっちゃになるくらい錯乱しているらしい。ひとまず落ち着かせるために、被害が及ぶようなことをするつもりはないと伝える。

 

『嘘つけ! お前だってどうせ……!』

 

 ミルキーは、うつむいて口をつぐんだ。彼が口を閉ざす以上、その先の言葉を知るすべはない。できるとすれば、それは私の勝手な思い込みである。

 

 私はマジカル☆ミルキーの動画をよく見ている。チャンネル登録もしているし、実は彼女の必殺魔法をこっそり練習したこともある。最初は他のアイチューバーから学ぼうとしていた。動画の作り方もあるが、最も注目して視たことはキャラの作り方だ。

 

 私は“シックス”という人間がどういう人物なのかわからない。虫の体に込められたこの人格は、果たして本当の人間を形作るに足り得るのだろうか。その答えを知る一つの方法として、私はアイチューバーになろうとしたのかもしれない。多くの人に認められる、シックスというキャラクターを得るために。

 

 ミルキーも、他のアイチューバーたちも私にとっては“お手本”だった。画面の向こうで華々しい活躍を披露する彼女たちに憧れる一方で、自分はどこまで行っても彼女たちのようにはなれないと思っていた。決して手の届くことのない遠く離れた存在なのだと思い込んでいた。

 

 だが、このオフ会を通して実際にアイチューバーたちと会うことで、その考えは誤解だったのだと気づく。間違ってはいないが、正しくもない。

 

 ブレードはやたら筋肉自慢をしたがるし、ノアは私のことを母親呼ばわりする変人だったし、ベルベットは予想通りの意地の悪さを見せたが、まあ、それほど悪い奴ではない。そして、ミルキーは実は男でゲームと称して人の服を脱がせたがる変態だった。

 

 良いところもあれば、割とどうしようもないところもある。それも当然だ。私は動画に映されたことだけしか知らなかった。知らないから、好き勝手な理想を押し付けることができたのだ。

 

 そんな理想を追いかけたところでたどり着けるはずもない。私が本当に知らなければならないことは、その“知らないこと”にある。

 

 怯えたように身構えるミルキーの方へと、私は歩み寄った。

 

 

 * * *

 

 

 男はヘルメット型のVRデバイスをゆっくりと外した。カタカタと忙しなくキーボードを叩き、机上に置かれたノートパソコンを確認する。モニターはエラーを知らせる画面が表示されるばかりで、それ以上の操作はできない。要するに、使い物にならなくなっている。

 

 彼はため息をつくと投げやりに椅子の背もたれへと体重を預けた。その巨体を支える椅子はギシギシと悲鳴を上げる。その男、ミルキ=ゾルディックは放心したように自分の片手を眺めていた。

 

 先ほどまで行われていたシックスとの対談は、彼にとって非常に要領を得ないものだった。どんなハッカーが束になってかかろうと跳ね除ける自信があったセキュリティはあっさりと突破され、ゲームのコントロールのほぼ全権が奪われるという失態を犯してしまう。そして、それだけのことをやってのけたシックスはと言えば、何を要求してくるわけでもない。

 

 マジカル☆ミルキーの正体というスキャンダルをネタに脅迫してくるようなことはなかった。金も、謝罪も求めてこない。その目的の不明瞭さから何を考えているのか予想できず、逆に不安になったくらいだ。彼が投げかけた疑いの全てを、シックスは首を横に振って否定するだけだった。

 

 当然、信じられるはずがない。疑心暗鬼に陥ったミルキに対し、シックスがただ一つだけ取った行動は手を差し伸べることだった。初めは何がしたいのかわからなかったミルキだが、それが握手を求めているのだと気づく。

 

 最初は応じることもなかったが、無言のまま手を伸ばし続けるシックスに根負けし、彼はその手を取った。触れ合った感触さえない、仮想空間における空虚なやり取り。その行動の意味を感じ取る。

 

 

 

 

『ぐすんっ……☆ いじわるしてごめんなさい☆ ほんとはみるぴょん、同じ魔法少女の友達がほしかっただけなの……☆』

 

『こんなこと言って変に思うかもしれないけど……もしよければ、みるぴょんと友達になってくれないかな……☆?』

 

 

 

 

「くっ……くそっ……!」

 

 頭に浮かんだ過去の自分の発言を振り払うように、机の上に広げていたスナック菓子をむさぼる。食べカスが盛大にこぼれ落ちていることも気にせず口の中に掻きこんだ。

 

「あいつめ……せっかくの計画を邪魔しやがって」

 

 毎年開かれるアイチューベ年末オフ会も、今年は別格。空前の盛り上がりが期待されたイベントの触れこみから、普段は滅多に外出することのないミルキはその重い腰を上げてまで会場に足を運んでいた。しかし、蓋を開けて見ればこのありさまである。

 

 予期せぬデスゲームの開幕に直面したミルキだったが、それほど慌てることはなかった。もともとマジカル☆ミルキーの演者だと知られることを避けていたこともあり、彼の正体は運営にも把握できていなかった。会場入りの際も、チルドレン用に配布された特別チケットは使わず一般客用のチケットをわざわざ入手していた。

 

 そして当のゲームに関しても、船内全域に発生した電波障害によってマジカル☆ミルキーの存在は完全に蚊帳の外に置かれることになる。これにブチ切れたミルキは船の制御システムへのハッキングを仕掛けたのだった。

 

 ノートパソコン一台だけという機材環境と、思ったよりレベルの高いセキュリティに少しばかり時間を取られたが、何とかこれを突破。船の航路を最短距離で着陸できる空港へと設定し直した。ついでに船が到着するまでの余興としてマジカル☆ミルキーの単独ライブを企画するもまさかの妨害に遭い、現在に至る。

 

 船の制御権は再び運営に掌握されてしまったことだろう。この船も、このゲームも、これからどこに落し所を持っていくつもりなのかミルキにも予想できない。運営が強行する破滅的計画の数々は、その真意をさらに混迷させている。

 

 実は、船の各所で発生した爆破騒動もミルキが画策したものではなかった。さすがに船の各所に爆弾を設置して回るような時間はなかったし、機材も持ち込んでいない。彼は船の航路を変更しただけである。爆弾は運営が用意したものだった。

 

 ミルキに船の制御権を奪われた運営は、思い通りにならないのなら飛行不能にしてしまえとでも言うかのように爆弾テロを仕掛けたのだ。その狂気の沙汰に、さしものミルキも少し肝を冷やした。

 

「まあ、オレには関係ないけどな」

 

 爆弾の設置場所はハッキングによって判明している。敵はそれを手動で壊して回っていたらしいが、いずれにしてもミルキ自身に危害が及ばない限り何も言うことはなかった。

 

 彼に焦りはない。なぜならハッキングによって第一の目的を既に達成しているからだ。船を空港へ向かわせることも目的の一つではあったが、これはおそらく成功しないことが最初からわかっていたためそれほど気にしていない。

 

 この巨大遊覧飛行船の移動速度では、どんなに急いだところで近くの空港まで一日以上はかかる。その間ずっと船のシステムをミルキが掌握し続けることは難しかった。敵側にもそれなりに優秀なハッカーが控えているらしく、シックスとの一件がなかったとしても敵に船の制御権を取り戻されることは時間の問題だったと言える。

 

 では、ミルキは何のためにハッキングを仕掛けたのか。それは敵が持っていると思われる“ある装置”にアクセスするためだった。電波障害の発生中でも外部との通信を可能とする装置である。

 

 この装置が発信する電波はそれ自体に強力なジャミング効果があり、通常は軍事兵器として運用されている。もともとこの船に備わっているような機器ではないが、ミルキは敵がこの装置を船に持ち込んでいることを予想していた。

 

 その予想は的中し、彼はその装置にアクセスすることで船外に救難信号を送ったのだ。

 

 ただし、警察などの治安維持組織に助けを求めたところで意味がないことはわかっていた。これだけの事件を計画した首謀者となれば、一般人で編成された組織にどうにかできる相手ではない。

 

 念能力者を戦い合わせるようなことを考える相手なのだから、首謀者は対念能力者戦の備えをしていることだろう。並みの使い手を寄せ集めたところで、どこまで通用するかわからない。

 

 このゲームを確実にぶち壊す、それを可能とする実力者でなければ助けにならない。そしてミルキには、その当てがあった。彼は伝説の暗殺者一家“ゾルディック家”の次男であり、掛け値なしの暗殺者。彼自身はあまり戦闘向きとは言えないが、他の家族はいずれも化物揃いである。

 

 呼び寄せたのはミルキの祖父にあたるゼノ=ゾルディックであった。当主の座こそ退いているものの、その実力は間違いなく世界でも有数の強さを持つ念能力者である。ゼノの能力『龍頭戯画(ドラゴンヘッド)』を使えば海洋上を漂う飛行船にも容易に接近できる。

 

 家族をこの場所に呼ぶということはミルキがマジカル☆ミルキーの演者であると身バレしてしまう恐れがあったが、背に腹は代えられない。これは正式な“取引”に基づく依頼であり、それを請け負ったゼノが依頼人であるミルキの事情を詮索することはないし、仮に隠し事がバレたとしてもそれを口外することはない。それらの条件を含めた上で報酬の支払いを約束している。

 

 ゼノが到着するまでの間、ミルキは身を隠すなり逃げるなりして待っていればいい。彼も一応は念能力者であり、暗殺者の端くれとして自分の身を守るくらいのことはできる。ミルキは余裕綽々と、ペットボトルの炭酸飲料を一気飲みした。

 

「ゲェーップ! これで終わりだな。ゾルディック家を敵に回すとは運が悪い」

 

 まずこのゲームの首謀者を殺すのは当然として、それに加担した運営の人間も大勢死ぬことになるだろう。あと殺すべき対象としては……。

 

 ミルキの脳裏にある少女の顔が浮かぶ。彼女はミルキの秘密を知った。それだけでも万死に値すると思うところだが、ミルキははっきりとした答えを決めかねていた。

 

 とりあえず捕獲、そして拷問、その結果ミルキに対して反抗的な態度を見せないというのであれば。

 

「マジカル☆ミルキーとシックスのコラボ配信、とか企画するのもいいかもな……フフ……フフフフ……」

 

 

 * * *

 

 

 『陰獣』とは、マフィアンコミュニティーのトップ『十老頭』がそれぞれの組から最強の念能力者を持ち寄って結成された精鋭の暗殺実行部隊である。十人の組頭が己の権威に賭けて選び抜いた人材であり、その名を有することが強さの証明でもある。

 

 快答バットに、そんな裏社会の名誉職にならないかとオファーが来たのは今から一週間前のことになる。彼はその話を聞いたとき、喜ぶよりも先に困惑した。

 

 まず彼はマフィアの組員ですらなかった。声がかかった十老頭傘下のある組で、殺しの依頼を何度か引き受けていた程度の関係である。

 

 マジック系アイチューバー、快答バットには殺し屋という裏の顔があった。そちらが本業と言っていいだろう。その殺しの腕に関しては評判が分かれるところである。はっきり言って、依頼達成率はお世辞にも高くない。数えるのも面倒になるくらい失敗を繰り返し、同業者からは三流以下の烙印を押されている。その理由は彼の殺しに対するポリシーにあった。

 

 単純明快に、自分より強い相手としか戦おうとしない。生粋の戦闘狂(バトルジャンキー)である。

 

 それでも強者を相手にして命を落とさずにいられるのだから実力は低くない。生存能力に関しては類稀なものがある。誰も受けたがらない厄介な依頼ばかりを好んで引き受けるため、失敗は多いがそれなりに重宝されていた。そのせいか『殺人依頼の最終処分場』という良いのか悪いのかよくわからない二つ名で呼ばれることもある。

 

 その戦闘狂かつドMの変態たる仮面紳士の嗅覚が知らせていた。今回の一件は引き受けるべきだと。

 

 その予感は的中したと言えるだろう。アイチューベの大規模オフ会で開催されたバトルロワイヤル、しかもプレイヤーは念能力者ばかりである。今になってみれば、バットはアイチューバーとして活動していたからこそ今回のオファーがあったのだと理解できた。違和感なく組織の息がかかった人間を会場に仕込むための手駒として。

 

 だが、確かにプレイヤーにはそれなりの念の使い手がいるようだったが、バットの目からみれば今一つ惜しいと感じられた。もう少し歯ごたえのある相手が望ましい。ツクテクだけは頭一つ抜けた実力を感じたが、残念なことに味方である。組織からは指示があるまで勝手な行動はするなと釘を刺されていたため、おとなしくその命令に従っていた。

 

 しかし、おとなしく待った甲斐はあった。彼は極上の使い手との死闘にありつけた。現在、バットが戦っている騎士風の女コスプレイヤーは文句なしの強敵であった。

 

 バットは手も足も出せずにいた。単純に、強い。そのオーラの練気を見るだけで実力差は明白だった。体術においても相当に鍛えられていることがわかる。その一撃一撃に込められた重みは、どれだけの実戦を積み重ねれば得られるのだろうか。想像するだけで心が躍る。

 

 体術はCQCに近い様式を感じる。軍で訓練されることの多いこの近接格闘術は、徒手空拳だけではなくナイフや打撃武器、ロープなどあるものは何でも使う。この手の敵とは何度かやりあったことのあるバットだが、その印象はあまり良くなかった。

 

 軍の兵士は基本的に銃器を用いた戦闘が主眼に置かれている。CQCは敵の接近を許した際の対処法に過ぎない。そのため格闘戦においては本職の格闘家に分があるのだ。これは軍の兵士が弱いのではなく、単純に格闘術の訓練に費やす時間の差である。

 

 それがどうだろう。バットは目の前の敵が披露する武術の美しさを心中で絶賛する。確かに心源流などの古式ゆかしい拳法に比べれば、いささか技に遊びがなく流麗さや柔らかさを欠いている。だがその分、隙もない。

 

 計算され尽くされた理詰めの美。これまでに出会った敵の軍兵士を“カロリーを摂取できれば十分だと言わんばかりの脂ぎったファストフード”に例えるならば、彼女の技は最高級のフルコースに匹敵する。

 

 一品一品が互いの味を引き立て、最高の味わいを最後まで堪能できるように細部まで気配りされた完璧なディナー。これを味わってしまえば、他の強敵(りょうり)では満足できなくなってしまうのではないかと恐ろしくなる。

 

「……なんか寒気がする……!」

 

 なぜか攻撃を受けるたびにオーラの輝きが増しているような気がするバットの異様な性癖を目の当たりにし、チェルは薄気味悪さを覚えていた。

 

 トクノスケとツクテクの戦闘については決着がついたことを確認していた。一応はトクが勝利したが、彼の負傷は深い。念鳥の紙型も使い果たした彼は、チェルに加勢する余裕はなかった。

 

 逆にチェルの方がさっさと敵を片づけてトクの手当てに向かいたいところだったが、仮面の変態紳士は想像を絶する耐久力で彼女の足止めを続けていた。

 

 彼女が手を抜くはずもない。その能力『明かされざる豊饒(ミッドナイトカーペット)』により、周囲50メートルは特殊効果を持つ円の領域に覆われている。

 

 この発には二つの効果があった。一つは円に『隠』を施すことでオーラを見えにくくすることである。だが、それは『凝』を使うことで看破可能。一度バレてしまえば意味はないように思えるが、実は違う。その真骨頂は『隠』が露見した後にあった。

 

 隠にも精度の高低がある。高い精度の隠ならば、それを見破るために必要な凝の技術も当然上がる。しかし、どれだけ高い技術を用いても見破れない隠というものは作れない。そもそもの技の特性として、隠の隠蔽力よりも凝の看破力の方が高いからだ。

 

 だが、凝も“見る”という視覚に頼った技であり、そこに構造的な機能の制限はある。例えば、漫然と目にオーラを集中するだけでは十分な看破力は得られない。何が隠されているかを予期し、そこに視点を合わせる観察力があってこそ十全な効果を発揮する。

 

 だが、“見える物全て”が隠によって覆われていればどうだろう。円の領域全てが隠という状況は、凝の常時使用を敵に強いる。未熟な使い手ならばそれだけでオーラの制御がままならず、まともな戦闘にならない。

 

 それなりの使い手ならばこの円の領域下でも活動可能だが、眼球に極度の緊張状態が続くことに変わりはない。戦闘が長引くほどに眼精疲労は蓄積し、集中力は低下する。さらにチェルはこの隠の精度に濃淡をつけることにより、敵の凝の焦点をずらす技巧を身につけていた。

 

 そしてこの発の二つ目の効果が“光の屈折”である。円を形成するオーラに変化系の特性を付与することで、その内部を通過する光の屈折率を変えることができる。

 

 それは水中を通る光が曲がる程度の小さな変化だが、戦闘においてそのわずかな視覚情報の誤差は命取りになりえる。これは光そのものに影響を及ぼす効果であるため、凝によっても見破ることはできない。

 

 『隠領域』と『屈折率変化』、この二つの相乗効果によって敵の目を惑わせる。それぞれの効果は微々たるものだが、一瞬の隙を作り出すには有効であった。そこに鍛え抜かれたチェルの格闘術が合わさることにより肉弾戦においては無類の強さを発揮する。

 

 そのはずだった。バットが念能力者として高い戦闘力を持っていることはわかるが、チェルには及ばない。その実力差は明白、にもかかわらず決着は長引いている。その原因はバットの能力にあった。

 

 快答バットの念系統はチェルと同じく強化系であった。武器として使っている紳士用ステッキは具現化したものではなく、手品でそう見せかけただけであった。

 

 強化系は六つの系統の中で、最も戦闘に適していると言われる。全ての念能力の基礎となる身体強化を底上げし、攻撃力・耐久性・持久力・回復といった戦闘に直結する肉体の機能を大きく引き出すことができる。

 

 ゆえに複雑な条件をつけた発を作る必要はなく、ひたすら基礎鍛錬に取り組めばただのパンチも必殺技と呼べる威力にまで高めることができる。バットの能力『解析眼(ネタバラシ)』は、その強化系のセオリー通りの技だった。

 

 眼の強化率を引き上げる。ただそれだけの効果である。だが、これこそが数々の強敵との死闘を乗り越え、彼をここまで生きながらえさせた奥義であった。

 

 強化率が底上げされた眼による『凝』は正確無比なる精度を誇る。敵の『凝』による知覚を惑わせることを得意とするチェルの能力にとって、このタイプの使い手は本来なら相性が良い。そのはずが、バットは馬鹿正直に正面から凝による看破を敢行し、そして紙一重のところでチェルの攻撃を見切っていた。

 

 回避を最優先に行動し、それが無理ならば攻撃を受けると予測される場所にオーラを集めて防御する。やっていることは基本に忠実な立ち回りであるが、少しでも攻撃を受け間違えば即座に死へとつながる威力の乱打を前にして易々とできることではない。

 

 並み外れた洞察力、死闘の末に培われた戦闘勘、何よりも強敵との戦いを全力で体感しようとする執念。その不屈の闘志が尽きることなき原動力として燃え続ける。しかし、彼がその秘めた思いを言葉にすることはない。

 

 チェルにしてみれば、その敵の様子は不気味に見えた。時間稼ぎがしたいのか、援軍が来る予定でもあるのか、それとも何かの能力の発動条件をそろえようとしているのか。まさか戦うこと自体が目的であるとは思っていない。

 

 いつもならばこの程度のことで心を乱すことはないが、今の彼女はいらついていた。薬物によって余計な感情が心中で波打っている。それを自覚しながらも、一度生じた波紋はそう簡単に消え去るものではない。

 

「なんなんだよ、お前」

 

 仕切り直して間合いを取ったチェルの問いかけに、バットは少し考え込むそぶりを見せた。そして、おもむろに空中へ指を滑らせる。オーラを使って念文字を書き上げた。

 

『陰獣・蝙蝠』

 

 何をするのかと警戒していたチェルは、その短い文面を見て眉をひそめた。

 

「陰獣だぁ? マフィアの暗殺部隊だったか? いや、でも確か“解散した”と聞いていたが……」

 

 なぜ組員でもない一介の殺し屋風情に陰獣のポストが与えられたのか。そして、なぜマフィアは何千人ものカタギを巻き込んだ今回の大事件を企てたのか。

 

 これは普通なら考えられないことだ。裏社会には裏社会の秩序が存在する。どんなに血気盛んなマフィアでも、表と裏の境界線を壊すような案件に手は出さない。それを考えれば、一般客が大勢集まるオフ会を乗っ取って開催されたこのゲームは言うまでもなく黒。こんな事件をマフィアのトップたる十老頭が主導するこの状況は明らかに異常である。

 

 つまり、今の十老頭は正常ではなかった。ことの始まりは4カ月前に起きたヨークシンシティ・サザンピース襲撃事件にある。世界のマフィアの元締めが一堂に会して財宝を競り合う裏社会最大の社交パーティー『ドリームオークション』は、A級賞金首『幻影旅団』の手によって完膚なきまでに崩壊した。

 

 たかが13人の構成員しかいない盗賊団が、世界中のマフィアを相手取って略奪と虐殺の限りを尽くした。当時の十老頭は全員が抹殺された上、諸々の事情から幻影旅団はお咎めなしとして戦争が終結。この一件によりマフィアはどれだけの金を積もうと埋められない大損害を被った。

 

 これにより十老頭の権威は地に落ちる。マフィアという組織がこの世から消えることはないが、組織のトップは責任を取らなければならない。それは表も裏も変わらぬ掟である。

 

 現在は各組織が目まぐるしく版図を塗り替える群雄割拠の時代が訪れている。十老頭の形骸化は避けられない。組の正当な後継者に引き継がれた椅子は少数にとどまり、利権を削り取られながらも過去の栄光に何とかしがみついている状態だった。

 

 もはや不治の病に伏せる老いた狼たちだ。群れのために潔く死を選ぶ者もいたが、延命を望む者もいる。少しでも長く命をつなぐ方法があるとのたまえば、彼らは何に代えてもその手段を欲するだろう。死に損なった獣ほど始末の悪いものはない。

 

 このオフ会に裏から手を加えた実行犯はマフィアだが、そのさらに後ろから糸を引く者がいるはずだ。何らかの有力者がこのマフィアを動かしている。たとえその取引が常軌を逸した内容であったとしても、今の十老頭ならば保身のために自らを死地へと追い込む選択も取りかねない。

 

 影の支配者が何者か、その目的とは何か、バットに知る由はなかった。所詮、彼は捨て駒の一つに過ぎない。陰獣という十老頭お抱え部隊も今では張り子の虎。その名に価値を見出している者は、死にかけの狼だけである。

 

 だが、バットは存外にその名を気に入っていた。上の思惑など知ったことではない。彼にとって大事なことは強敵と会いまみえる喜びのみ。それを与えてくれるというのなら、どんな汚名も謹んで拝命しよう。

 

 快答バット改め、陰獣蝙蝠は壊れゆく自身の体にオーラをみなぎらせる。敵はあまりに強く、攻略の糸口は全くと言っていいほど見えてこない。どうやってこの難解な敵(トリック)解き明かす(バラす)か。命をかけた謎解きに心が震える。

 

 そんな蝙蝠の反応を見たチェルは、薄々と彼の本質に気づきかけていた。チェルの勝ちが揺らぐことはないが、そこまで持っていくまでに苦労するであろうことが経験から予測できた。

 

 だからと言って焦りは禁物だ。精神を乱せばオーラの制御も乱れ、勝負の時間はさらに延びることになるだろう。どれだけ蝙蝠のメンタルが強かろうと機を逸らず、確実にダメージを与えていけば限界がくる。

 

 チェルは精神統一に努めた。オーラの些細な綻びも見逃さず修正し、蝙蝠の付け入る隙を削り取っていく。高ぶるオーラで己を鼓舞する蝙蝠とは対照的に、チェルは徹底した静の境地で敵を迎える。

 

 彼女の技は一打ごとに正確さを増していった。蝙蝠はチェルの動きを凝によって読もうとしているが、その逆もしかり。チェルもまた蝙蝠の動きを戦いの中で着実に捉えていく。いかに蝙蝠のテンションが高かろうと、気持ちの強さだけで実力差が覆るようなことはそうそうない。

 

 左腕はへし折られ、内臓は血反吐が止まらないほど損傷、肋骨は何本折れたのかわからない。腹部や胸部へのダメージが大きいのは、頭部と四肢の防御をできるだけ優先しているためだ。頭を守るのは当然だが、手足の自由が利かなくなっても即座に殺される。

 

 このままいけばチェルが順当に勝利する。そんな折、彼女は一つの小さな違和感に気づいた。

 

 

(音……?)

 

 

 かすかな音がチェルの耳に届く。始めは音のように思えたが、それは耳で感じ取っているというよりも直接頭の中に送り込まれているかのようだった。

 

 チェルはすぐさま蝙蝠から距離を取った。終始優勢に運んでいるこの勝負だが、いまだチェルが敵に対して最も警戒している点は『発』である。この念能力者個別の特殊能力によって劣勢の盤面が返されることは珍しくない。チェルはこの音に似た何かの信号を、蝙蝠の能力によるものだと推測する。

 

 しかし、その予想は見当はずれであった。蝙蝠の発は『解析眼』のみである。他にもいくつか技はあるが、いずれもシンプルな強化系能力の域を出ないものばかりだ。むしろチェルの突然の行動に、何か仕掛けてくるのではないかと警戒を強めている。

 

 

(コウモリ、と名乗るくらいだからそれに関係した能力……? だとすれば、超音波か? 頭がガンガンする……)

 

 

 音は一向に治まらず、次第に強くなっていく。頭蓋骨の中で反響し、振動が増幅されていくように脳を蝕む。戦闘中に隙を晒してはなるまいと必死に堪えるが、我慢できる範囲を越えていた。

 

 蝙蝠はそれまで通りの構えを崩さない。彼は特に異常を感じていなかった。“音”を感じ取っているのはチェルだけだ。

 

 

(くそ……なにか、発動条件が……はやく、止めないと……あたま……あ、あああああああああああ!!」

 

 

 チェルの視界が歪む。地面が揺れる。全身に堪えがたい激痛が走る。脳内をかき乱していた音は、土砂降りの雨音に変わった。

 

 高波に揺れる船の上、仲間たちの断末魔、そして船の周囲を取り囲む化物たちの視線、無数の目がチェルを見ている。逃げ場など、どこにもない。二度と思い出したくなかった暗黒大陸からの帰路の記憶がよみがえる。

 

 その全ては幻覚だった。彼女が今乗っている船はスカイアイランド号。多少揺れてはいるが、嵐に見舞われることもなく晴天の空を飛んでいる。

 

 突如として絶叫し、その場にうずくまってしまったチェルの様子を蝙蝠はじっと観察していた。彼女の左手首には、いつの間にか“赤い結晶”が腕輪のように巻かれている。

 

 チェルの身を包み込むオーラは膨大な量に膨れ上がっていた。正気を失っているように見えるにも関わらず、放出されるオーラ量だけは凄まじい。だが、その制御は全くと言っていいほどできていなかった。

 

 もはや恐れるに足らず。無防備な姿を晒す敵を前にして、蝙蝠は思う。なぜだ、と。

 

 先ほどまで彼女が見せた素晴らしい身のこなしも、骨の髄から震わせてくれた攻撃も、今となっては見る影もない。戦闘狂の彼にとって、こんな決着の付け方で納得できるはずがなかった。

 

 おそらく、運営が罠か何かを仕掛けていたのだろう。第三者の介入があったことは間違いない。最高のひとときに水を差されたことに対する怒りが沸々とこみ上げる。そして無様にも力及ばず、強敵(パートナー)に恥をかかせてしまった自分の至らなさを嘆き悲しんだ。

 

 心の中で何度も謝りながら、蝙蝠はステッキを構える。その杖に、彼の全身からオーラが寄せ集められていく。

 

 それは四大行応用技『硬』であった。纏・絶・練・凝の同時使用によってオーラを一か所に集中させる技である。ただの凝と異なる点は、オーラを集めた箇所以外の強化を絶で閉じることにある。

 

 例えば拳に『硬』を施せば、拳の攻防力は100、それ以外の全身の攻防力は0になる。蝙蝠の場合はさらに『周』を使うことで武器であるステッキにオーラを集中させている。硬は一人の念能力者が一度の攻撃に込めることができる100%最大威力の技であり、同時にそれ以外の部分の防御力は無きに等しくなるリスクを背負う。

 

 蝙蝠は、戦意喪失したチェルを見逃すつもりはなかった。硬を使うことで全身の強化が解け、本来ならば動けるはずもないほどのダメージが肉体に返ってくる。だがその程度の痛みは、敵前にて前後不覚に陥るほどの苦しみに見舞われたチェルに比べればいかほどのこともないと蝙蝠は察する。

 

 幻覚に囚われ、正気を失いながらも彼女のオーラは堅牢であった。生半可な攻撃では、いたずらに苦しみを与えるだけだろう。全身全霊の一撃をもって引導を渡す。それが彼女にかけることのできる唯一の情けだと。

 

 

「チェル――――!!」

 

 

 遠くから声が聞こえたが、蝙蝠に動揺はない。声の主はツクテクとの戦闘を経てダウンしていたトクノスケだった。

 

 当然、蝙蝠はチェルの仲間であるトクの動向から目を放すようなことはしていない。ツクテクを倒せはしたものの、トクが負った傷は深かった。チェルに加勢することなく自身の回復に専念していたところを見ても、まともに戦える状態でないことは明らかである。

 

 チェルの危機を目にして必死に体を引きずりながら駆け付けようとしているが、あまりに距離がある。念鳥を作り出す余裕があるのならば既に使っていることだろう。トクに打つ手が残されていないことは見破られていた。

 

 蝙蝠はステッキに手を添える。この杖には他愛もない仕掛けがあった。杖の内部に刀剣が隠されている、いわゆる仕込杖である。膨大なオーラがつぎ込まれた仕込み刀が鞘走り、色とりどりの紙吹雪が舞い散った。

 

 切断マジック『失敗(ザ・フェイリア)

 

 殺しを仕事と割り切れず、趣味を殺しと割り切れず、失敗ばかりの半端者。自分がどこで間違ってしまったのか答えは見つからぬまま、蝙蝠はその刃にまた一つ過ちを積み重ねる。

 

 トクはその光景を見ていることしかできなかった。できるものならその身を盾にしてでもチェルを守りたい。だが、現実はそれすら叶わない。トクは走馬灯のような、一瞬のうちに凝縮された感覚の中にいた。

 

 実現不可能なその思い。しかし、もう二度と仲間を失いたくないという一心が、トクノスケ本人さえ自覚していなかった力を覚醒させてしまった。

 

 致死の一太刀がチェルに届くというその寸前、蝙蝠は自分の体に途轍もない力が加わったことを感じ取った。まるで巨人の足に踏みつぶされたかのような重圧に襲われる。だが、彼の周辺に変わったものは見当たらない。“重力”だけが何倍にも膨れ上がったかのようなその攻撃の正体は、蝙蝠の『解析眼』をもってしても捉えることができない。

 

 蝙蝠は床に叩きつけられた。チェルとの戦いで負った深刻なダメージに加えて、硬によって体の防御力がゼロの状態であったため、彼はあっさりと意識を手放すことになる。

 

 トクは自分が何をしたのか理解できていない。眼帯をはめている左目からはおびただしい量の出血が起きていた。泥沼に飲み込まれるように沈んでいく感覚の中、地を這ってでも前へ進もうとする。仲間のもとへと懸命に手を伸ばす。

 

 しかし、その手が届くことはなく、左目から生じる痛みによって意識を断ち切られた。

 

 






やってみた系:ポメルニ
ハンター系:ブレード・マックス
アイドル系:ノア・ヘリオドール
炎上系:ベルベット・アレクト
アニマル系:シックス

残り5人





ミルキ生存!

今回使われた能力はカーマインアームズに併合されたルアンの念能力『マルチタスク』によるものになります(カトライから受け継いだ匂いの能力みたいなもの)。ルアンの残留思念が生体コンピュータの役割を果たし、キメラアントの電波による情報の送受信能力を使って色々できます。

49話の感想でいただいたコメントのようなネットにウイルスブシャー!もできるかもしれませんが、今回はアルメイザマシンは使ってません。

チェルの症状については……デスゲーム編の最後くらいで明らかになる予定です。

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