カーマインアームズ   作:放出系能力者

55 / 130
54話

 

 サイモンの首から上がなくなった。血しぶきが噴きあがる。一つの命が終わる。その光景は、あまりにも無残だった。

 

 これが罰ゲームだと。断じて、そんな言葉で片付けられていい死ではない。

 

 その所業をなした犯人は、キャプテン・トレイルは私たちの前に正体をさらした。その手にはサイモンの首が握られている。ぞんざいな扱いでゴミでも捨てるかのように放り投げた。

 

「惜しかったねィィィ! 途中までの推理は合ってたのにィ! あと一歩、先を読まなくちゃ!」

 

 その人物は、ロック。銀チーム三人組の一人だった。毒に冒されて具合が悪そうにしていたのは演技だったのか。いや、実際にロックは薬物の中毒症状が現れているように見える。そのオーラの変化をサイモンが見逃すとは思えない。

 

 つまり、演技も入っていたのだろうが、薬物も使っていた。赤い結晶とは無関係の、別の麻薬や覚醒剤のような薬を使っていたのだろう。

 

 ロックが犯人だとわかった今なら、仲間である他の二人のリストバンドに毒が仕込まれていなかったわけも理解できる。

 

「は? いやいや、こいつらとはこの会場で知り合っただけの連中だしィ? 名前も適当にアニメキャラのニックネームで呼び合っただけだしィ?」

 

 ロックが毒なしリストバンドを他の二人に配ったわけは、単に自分のそばに精神異常者を置いておきたくなかったという、自分本位の理由からだ。その事実が、一番の精神異常者の口から明かされる。

 

「それにしてもサイモン、クイズに答えるのならちゃんとルールは守ってほしいしィ。僕は言ったよね、『僕だと思う奴を殺せ』ってさ。最後まできっちり仕留めてもらわないと!」

 

 サイモンが気絶させるにとどめたペイパとシーザーに対し、ロックがゆっくりと振り返った。何をしようとしているのか、理解したくない現実が予想できる。その行動に何の意味があるのか。倫理的な抑制も、損得勘定も一切の埒外にある人間から外れた行動。

 

「やめろ!」

 

 それを止めたのはノアだった。彼の能力が発動し、周囲一帯が病魔空間に覆われる。全員が苦痛をあらわにしてその場にうずくまる。最善手とは言い難いが、これでひとまずロック改めトレイルの行動を封じることができたと思った。

 

「うっとうしいィ……」

 

 だが、病魔が支配するノアの空間において、トレイルは平然と立ち上がった。その手にペイパとシーザー、二人の生首を持って。

 

 サイモンのときもそうだった。一瞬にして人間の頭部を奪い取るその能力、いったいどんなトリックを使っているのかわからなかった。が、ここに至り、私はその正体を知ることができた。

 

 トリックでも何でもない。トレイルは標的の首を手でつかみ、それをもぎ取ったのだ。私たちの目では捉えられないほどの速度で。

 

 トレイルの体から発せられるオーラを見てわかった。先ほどまでただの一般人並みとしか思えなかったそのオーラは、莫大な顕在量となっていた。これまでに私が見てきた念能力者とは比較にならない。

 

 これが一個の生物に宿る生命エネルギーとは、とても思えなかった。念法の技量とか、系統や能力の相性とか、観察力とか、戦闘センスとか、そんなものが無意味に思えるほどの圧倒的なまでの次元の違い。

 

 ノアの能力が解除された。彼もまた気づいたのだろう。病魔などトレイルに対して何の妨げにもならない。

 

 勝てない。勝負として成立しない。トレイルが踏み込み、私の首に掴みかかってきたとしても、私は自分の首がなくなった後でしかその事実を認識することができないだろう。それほどの差。

 

 別に威圧されたわけではない。トレイルはただそこに立っているだけだ。それだけでこの場にいる全員が、誰ひとりとして一歩も動けずにいた。

 

「ヒャハ……ヒャハハハハ!! イイィィィその表情! イイイイィィィヨオオオォォォ!! これから始まるんだぁ、『キャプテン・トレイルの殺戮ゲーム』が! “絶対的強者”が“強者”を蹂躙しィ! 嬲りィ! 犯しィ! 殺しィ! 欲望の限りを尽くす、最高のゲームが!」

 

 身の毛もよだつほどの悪意に満ちた人間の姿を私は目の当たりにする。それは人として間違っていると言いたかった。だが、同時に思ってしまう。

 

 これが圧倒的な力を手に入れた人間の素顔ではないか。自分を律する必要がなくなった人間が至る原初。高度な思考と、生物の根本的欲求が混ざり合ったなれの果て。あまりにも醜い獣(ニンゲン)の姿。

 

 その悪意と暴力を前にして、誰も反抗できなかった。ただ一人、私の隣で立ち上がった男を除いては。

 

 ブレード・マックスが進み出る。その一歩は踏み出すというよりも、踏み外すと表現すべきかもしれない。断崖絶壁を前にして足を踏み外すような判断の欠如がなければとても為し得ないような無謀である。なぜ彼は動くことができたのか。

 

「ノア君、何をしている。シックス君を守るんじゃなかったのか?」

 

「へっ、いや、その……」

 

 腰を抜かしていたノアが慌てて立ち上がった。生まれたての小鹿のように覚束ない足取りだったが、それでも何とか立ち上がった。

 

「銀河の祖父殿、あなたの能力と人を導く話術があればここにいる全員を連れて逃げ切れることだろう」

 

「……そうですね。一度は死んだこの命、皆さまのお役に立ててみせましょう」

 

 銀河の祖父がローブを具現化し、それを一般客へと配っていく。トレイルはその行動を止めることはなかった。ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら見ているだけだ。

 

「シックス君」

 

 その呼びかけにビクリと震えた。なぜ、動ける。みんな、どうしてこの状況で行動できる。トレイルの気が少しでも変わればあっさりと殺されてしまう。それがわかっているはずなのに。

 

「大丈夫だ。君の覚悟は誰よりも高潔だった。その心がある限り、必ず君のそばに仲間が在り続ける」

 

 ブレードは一歩、二歩と、トレイルとの距離を詰めていく。私はどうしていいかわからなかった。だが、このままブレードを行かせてはならないということはわかる。彼を止めるために立ちあがった。

 

 しかし、歩き出そうとした私の手を何者かがつなぎ止めた。振り返ると、ポメルニが私の腕をつかんでいる。

 

「ヘイ、ブラザー!」

 

 そして、ポメルニはブレードに片手をあげながら呼びかける。いつも通りの陽気な声で、何の緊張感もないような気楽な調子で。

 

「ここは“任せた”ぜ、ブレード」

 

 ただ一つ、サングラスの下から頬を伝い流れ続ける涙だけが、彼らしくなかった。

 

「ああ……“任せろ”!」

 

 ブレードの体から膨大なオーラが湧き起こった。その肉体が音を立てながら変化していく。筋肉が風船のように盛り上がり、見上げるような巨体が完成した。

 

 この技は彼の能力『完全態筋肉武装(ラスト・マックス)』だ。だが、ブレードは一度この技を発動すると、その後24時間は再使用できないと言っていた。それは嘘だったのか。

 

 一時的にとはいえ、オーラによる強化率を5倍に引き上げる能力。追い詰められた状態からでも一発逆転できる強力な技と言えるだろう。その威力を引き出すため自らに課した制約として再使用までの時間を長く取らなければならないのだろうと考えていた。何度でも無制限に使えるというのは都合が良すぎる。

 

 そこで私はある可能性に思い当たった。24時間の再使用制限は、『制約』ではなく『誓約』だったのではないか。制約は能力の仕様上のルールだが、誓約とはルールを守ることに対する誓いである。誓約であれば、意図的にルールを破ることは可能だ。

 

 念は、覚悟によってその威力を増す。自らに厳しい誓いを立て、それを守ることでより強力になる。だが、それと比例して誓いを破ったときに発生する代償もまた大きくなる。

 

「行け! ここは吾輩に任せろ!」

 

 吹き荒れるオーラの力強さは、トレイルに負けていなかった。だがそのまばゆいオーラの輝きは、決して代えの利かない何かを燃やすことで得られた力なのだと気づいてしまった。

 

 

 * * *

 

 

 ――――

 

『いけ! ここは わがはいに まかせろ!』

 

 キンニクゴリラマンが あらわれた!

 

 ――――

 

 テレビ画面に表示されたメッセージを、キャプテン・トレイルは手にコントローラーを持ち構えながら眺めていた。

 

「えー、なんか強くなってない? これヤバくない?」

 

 ゲームのコントローラーを操作して、コマンドを入力。

 

「はい、じゃああと1000万再生数パワー追加しときますか」

 

 

 ――――

 

 ゴリラマンの こうげき!

 

 トレイルは 0 のダメージを うけた!

 

 ――――

 

 

「あー、ちょっと強すぎたかー! 調整、難しいなこれ」

 

 トレイルは自室でゲームをしている。その様子は撮影され、アイチューベ上で生配信されていた。

 

 プレイしているのは8ビット調のレトロゲーム。よく言えば昔懐かしい、悪く言えば時代遅れ。しかも過去にヒットした名作ゲームならまだしも、誰も聞いたことのないような知名度のゲームだった。これで再生数を稼ぐのは厳しいものがある。

 

 しかし、そこはトップアイチューバー、キャプテン・トレイルの名前を出すだけで履いて捨てるほどの視聴者が集まってきた。並みの投稿者では足元にも及ばないほどの再生数を叩き出している。

 

 彼の念能力『キャプテン・トレイルの殺戮ゲーム』は、ゲーム動画を見に来た視聴者からオーラを徴収し集めることができる。1再生から得られるオーラは広告料のように微々たるものであり、徴収された視聴者は全く自覚できない。

 

 そして、集められたオーラはゲームの主人公『キャプテン・トレイル』へと送ることができる。再生数が増えるほどに、そのパラメータは強化可能となる。

 

 この“ゲーム”を作り出すために、彼は自分の人生の全てを捧げてきたと言っても過言ではなかった。

 

 トレイルは、至って普通の家庭に生まれ、特に変わったこともない普通の幼少時代を過ごした。ただ、彼の家庭はあまり裕福ではなく、ほしいものを買ってもらえる機会は少なかった。彼はその頃、テレビゲームが欲しくてたまらず、何度も親にねだった。

 

 そんな息子のために父親は知り合いを訪ねて回り、何とか古いゲーム機を譲り受けた。九歳の誕生日にプレゼントされたその感動は、今でも忘れられない思い出だ。

 

 何世代も前の古いハードに、たった一本しかないゲームソフト。トレイルはそのゲームを友達と一緒に遊び倒した。何度クリアしたか覚えていない。見なくてもプレイできるほどやりこんだ。

 

 そのソフトはロールプレイングゲームだった。主人公は勇者であり、世界の敵である魔王を倒しに行く。何のひねりもない王道ストーリー。ただ、発売当時にしては比較的自由度の高いプレイが可能と評価され、そこそこ売れたタイトルだった。

 

 主人公はモンスターを倒してお金を稼いだり、レベルを上げたりできる。困っている人を助けて貴重なアイテムをもらうこともある。

 

 他人の家に上がり込んで盗みをはたらいたり、何の罪もない町人や旅の仲間を殺すこともできた。しかし、ストーリーに分岐はなく、エンディングは一つだけ。魔王を倒した勇者は英雄として讃えられ、末永く幸せに暮らしたというもの。

 

 彼はこのゲームの全てのイベントを何度もプレイした。機械のように来る日も、来る日も。それが『キャプテン・トレイル』の原点だった。

 

 彼はゲームの主人公になりたいと願うようになった。勇者のように『悪者を殺して』『金を手に入れ』『レベルを上げれば』主人公になれるのではないかと考えた。そして、それを実際にやった。

 

 べったりと血のついた金属バットを握りながら死体の前でたたずんでいた彼は、ようやくこの現実がゲームとはかけ離れた世界であることに気づいた。だが、その決して重なることのない二つの世界の狭間に取り残された彼は、元の場所に戻ることができなくなっていた。

 

 ゲームと同じことを現実でやっても全然楽しくない。作られた世界の中で、主人公に自分を重ね合わせてなりきるからこそ、虚構の物語を楽しむことができたのだ。彼はどうすれば現実と虚構、二つの世界を両立できるか考えた。

 

 その狂気的思考の果てに作り出された念能力こそ『キャプテン・トレイルの殺戮ゲーム』である。彼はこの制作にあたって『グリードアイランド』というゲームに大きな影響を受けた。

 

 念能力者が作ったゲーム。その入手困難さから彼はグリードアイランドをプレイできなかったのだが、『念』によってゲームを創造するという着想を得た。

 

 念によるゲームプログラムの構築、システムの維持に必要なエネルギーを外部から徴収するメソッド、そして最も重要な『主人公とプレイヤーの感情同期』システム。これにより、プレイヤーは自己意識を明確に保ちながらも、より深くゲームキャラに感情移入することができる。ゲームキャラもまた、安心してプレイヤーに操作を委ねることができる。

 

「ああ、これだよこれ……ボクがやりたかったゲームはこれなんだ……!」

 

 トレイルは身を震わせながらコントローラーを握りしめていた。幼き日に受け取った誕生日プレゼントにも勝る感動が、彼の全身を駆け巡っていた。

 

 今の時代、ゲームの技術も格段に進歩している。まるで本物と見間違うばかりの精巧なグラフィック、美しい音楽、高クオリティのゲームが溢れ返っている。それらは確かに素晴らしい。今の時代に生まれた子供たちからしてみれば、旧世代の名作などプレイするだけ時間の無駄と思う程度にしか感じないかもしれない。

 

 だが、飽和するタイトルに埋もれていくほど、トレイルは強く幼少時代の記憶を思い出した。授業が終わり、放課後になると彼は走って自宅に帰った。そして荷物を放り出し、テレビの前でゲーム機のスイッチを入れる。

 

 そこから始まる8ビットゲームの世界は、彼を壮大な冒険の日々へと導いた。想像力が世界を生み出した。心の底から『勇者』になりきることができた。そして今、彼は再びその感動の中にいる。トレイルは少年のように目を輝かせてゲームに没頭していた。

 

 

 ――――

 

 トレイルの こうげき!

 

 ゴリラマンに 1780 のダメージ!

 

 ゴリラマンを たおした!

 

 ――――

 

 

「はは……はははは……あははははははは!!」

 

 敵グラフィックの首が落ちる。チカチカと点滅して敵グラが消えてなくなった。映像に現れた変化はそれだけでしかなかったが、主人公と感情がリンクしたトレイルの脳内では神経伝達物質が異常分泌され、常軌を逸した快感に冒されていた。

 

 彼はこの素晴らしいゲームをプレイできる喜びに浸りながら、感謝する。ここまで開発を進めるために、多くの人間の協力があった。決して一人では為し得ない道のりだった。

 

 『キャプテン・トレイルの殺戮ゲーム』は相互協力型(ジョイントタイプ)の念能力である。トレイルはプログラムの主軸を担っているが、彼一人ではこの能力を実行することができない。トレイルの理念に感化された同志たちが自らの『発』を供出してまでメモリの不足を補い、試行錯誤の末に形作られた一大プロジェクトだった。

 

 何人もの開発者のオーラが組み合わさり、複雑怪奇に入り乱れながら電脳世界上に構成された念術式は難攻不落のセキュリティを持つ。どれだけ優秀なネットポリスだろうとハッカーハンターだろうと、現状においてこのプロテクトを突破する手段はない。

 

 ミルキーに船のメインシステムをハッキングされたときは予想外の事態に少し焦ったが、あれはまだゲームが起動される前の状態だった。こうして無事にゲームが起動された今となっては、いかなる外部からの干渉も受け付けない。

 

 当初予定されていたオフ会の進行計画からは大幅な変更が生じていたが、むしろそのハプニングはゲームを盛り上げるスパイスとなった。トップアイチューバーと観客2000人を巻き込んだ『デスゲーム』は、トレイルがプレゼンする『殺戮ゲーム』へと移行する。

 

 どれだけルートを逸れようと、エンディングに変更はない。大量虐殺(ハッピーエンド)ただ一つ。

 

 トレイルが企画したこの大事件はなぜ実行することができたのか、その莫大な資金はどこから調達したのか。巻き込まれた多くの被害者がこの事件の意味について考えたことだろう。その真相は、馬鹿馬鹿しいほどに幼稚で低俗だった。

 

 見たかったからだ。人がその尊厳を奪われてゴミのように死んでいく。その光景を、安全なモニターの向こう側から“ゲームを観賞するように”。それだけのために、何百億、何兆という金を平気で浪費できる。そんな各界の有力者がトレイルを支援し、このデスゲームの映像をリアルタイムで視聴していた。

 

 それこそが贅に飽き、欲望の限りを尽くした人間の行きつく先、人の根源たる欲求、ゆえにトレイルは自らの能力を『殺戮ゲーム』と名付けた。そのジャンルこそが全ての娯楽の終着点だと確信した。

 

 このゲームは開発途中である。まだまだコンシューマー版を発売するにはクリアすべき課題が山のようにあった。

 

 だが、いずれ多くの人々がこのゲームを手にする時代が来るはずだとトレイルは夢想する。授業を終えた学生が、仕事上がりの会社員が、余生を過ごす老人が、気軽に“ゲーム”に興じる時代が来る。

 

 そしてプレイヤーの数だけ存在する主人公、『キャプテン・トレイル』は史上最悪のヒーローとしてその名を歴史に残すことだろう。

 

 このオフ会は祝砲だ。世界に知らしめよう。新たな時代の幕開けを。

 

「勇者トレイルの誕生を!」

 

 

 ――――

 

『…………』

 

 ――――

 

 

「ん? こいつは確か……」

 

 ゲーム画面に変化があった。ゴリラマンとかいう敵を倒した直後、逃げ初めていた敵の軍団から一人が引き返してもどってくる。ドット絵のグラフィックでは判別が難しかったが、おそらくアイチューバーの一人、シックスだと思われた。

 

 彼女の扱いについてはトレイルも少々気をもんでいた。というのも、大口のスポンサーから色々と注文が入っていたからだ。

 

 トレイルを支援している闇社会の有力者たちにも様々な立場がある。トレイルの理念を全面的に応援してくれる者もいるが、彼のゲームシステムを武力転用したいだけの者など、一言に支援者と言っても全員の目的が完全に一致しているわけではない。

 

 このゲームシステムは今後の開発次第で革命的な武力装置となる可能性を秘めていた。戦争の常識すら一変しかねないほど強力な念能力である。だからこそトレイルが滅茶苦茶な企画を通しても擁護してもらえるのだが、それだけに様々な支援者の思惑が錯綜することもある。シックスに関する注文をつけてきた支援者もその一例だった。

 

 トレイルも、そのスポンサーがマフィアの関係者であるということ以外は素性をよく知らなかった。2週間ほど前、新開発された薬物の大量臨床実験をゲーム内容に組み込んでくれとお達しがあったのだ。

 

 依頼主からしてみれば、どうせ大勢人が死ぬのだからついでに実験をねじ込んでも構わないだろうという程度の認識しかなかったと思われる。その頃には綿密な計画の立案が既に完成していたため、トレイルとしては断りたかったがスポンサーの意向には逆らえなかった。

 

 それは特殊な鉱物から精製されたという。原石を粉砕することでガラス繊維状の粒子となったその鉱物は、皮膚に触れると体内に毒が侵入する。そして中毒状態となった患者は、ある特定の周波数の電波を浴びせることで毒物が活性化し、急激な生命力の変化をもたらすらしい。

 

 『人類を進化させる新薬』だの『念能力を次の段階へと押し上げる』だの、トレイルはそのうさんくさい実験内容について信用はしていなかった。だが結果を見てみれば、あながちその説明が全てデタラメだったとは言い切れない。まだ安全な実用段階にはほど遠いが、一定の成果はあったと言えるだろう。

 

 そしてその薬物について、なぜかアイチューバーのシックスが何らかの情報を握っているらしくスポンサーから殺すなと釘を刺されていた。では、仲間としてこちらに取り込んで保護すべきなのかと思ったのだが、殺さない程度に痛めつけろと難題を指示される。

 

 結局、銀チームの中に『トレイル』を一人忍ばせておき、状況に応じてシックスを守りながらも彼女を追い詰める作戦を立てたのだが、相次ぐ予想外の事態の連続に計画は変更され、今の形に落ち着いたのだった。

 

「どうしよっかなー。うまく手加減できればいいけど」

 

 今回のオフ会は『殺戮ゲーム』の初の本格的な実用試験でもあった。そのため、能力による主人公の強化感覚がまだ正確に把握できていないところがある。おそらく仲間を殺されたことに腹を立てたシックスが報復に来たものと思われるが、下手に迎撃すれば殺してしまう恐れもあった。

 

 しかし、そこは操作キャラであるロック自身の意思でも力加減の調節は可能だ。彼も事情は知らされているため、ここでシックスを殺すことはないはず。トレイルは操作キャラに加減を任せることにした。

 

 だがその判断は次の瞬間、全く無用の心配であったと彼は気づくことになる。

 

 

 ――――

 

 まおうが あらわれた!

 

 ――――

 

 

 全身の血が凍る。そう感じるほどにトレイルの体は硬直した。股の間に温かな感覚が流れる。失禁。長時間のゲームプレイにより小便を我慢していた彼の膀胱はなすすべなく決壊する。

 

 だが、その痴態に気を取られている暇などなかった。彼は垂れ流しながら最速でコマンドを入力し、あるだけ全ての再生数をオーラに変えて操作キャラを最大まで強化した。

 

 トレイルが今感じ取っている恐怖は、操作キャラであるロックと全く同じ感情である。つまり、敵と相対しているロックがシックスに対してそれほどの脅威を抱いていることになる。

 

 テレビモニターの映像はフィールド画面からエンカウント画面に切り替わっている。敵の姿を現すドット絵のグラフィックが画面中央に表示されていた。

 

 白い髪の少女らしき敵影は、ボロボロに崩れた赤い鎧のような装備を身に纏っている。それ以上のことはわからない。敵の名前については本名ではなく操作キャラの主観から適当に選別されて命名される仕組みになっていた。

 

 本当にこれはシックスなのか。これが念を覚えたての少女の威圧だと言うのか。不吉な名を冠した敵を前にして、トレイルの頭にはいくつもの疑問が浮かぶ。だが、逆に言えばそれは余裕のあらわれでもあった。

 

 トレイルは操作キャラと感情を共有しているが、実際に現場で敵と対峙しているわけではない。彼にとってこれはあくまで『ゲーム』。レベル違いの強敵を前にしてゲームの主人公が怯むことのないように、トレイルは異様な敵の威圧を受けながらも冷静に行動を取ることができた。攻撃コマンドを入力する。

 

 

 ――――

 

 トレイルの こうげき!

 

 ミス! まおうは 0のダメージ!

 

 まおうの カウンター!

 

 トレイルは 4800 のダメージ!

 

 ――――

 

 

「え……?」

 

 ぐしゃりと何かを叩きつぶされたような感覚が走った。当然ながら、ゲーム内で主人公が攻撃を受けたからと言って、プレイヤーにダメージが入るわけはない。

 

 その常識を覆される。パキパキと右腕から音がした。長袖シャツの下でうごめく硬質な何か。その直後、彼はいまだかつて味わったことのない苦痛を体内に流し込まれた。

 

「いっ……いたっ……あ、あぐああああああ!?」

 

 ふかふかのソファから転げ落ちる。喉が潰れるほどの絶叫を上げながら、テーブルとソファの狭い隙間をのたうち回った。

 

「イヒッ、イヒイイイイイ!!」

 

 気がつけば自分の唇を噛みしめていた。肉をすり潰す勢いで唇を噛み、口からおびただしい量の出血を起こしている。その痛みで、腕の痛みをごまかそうとしていた。それほどの苦痛を超えた苦痛。彼が何をしたところで微塵も薄まることはない。

 

 彼の右腕からは服を突き破って赤い多肉植物が生えていた。根が張っていく。彼の体内を侵食していく。血管に沿うように、毛細血管の末端に至るまで、丸ごと根っこに置き変わっていく。

 

 自分の念能力までもが侵食されていることがわかった。『殺戮ゲーム』は機能停止に陥り、動画の配信も途切れている。もう視聴者からオーラを徴収することもできない。何年もの歳月をかけて作り上げてきたプログラムが瞬く間に破壊されていく。

 

 体中から小さな赤い植物がぽこぽこ生えている。死んでもおかしくない、死ななければおかしい状態だった。だが、彼は生かされていた。生きたまま、逃げ場のない痛みを与えられ続けた。

 

 彼の体内から滾々と湧き出る生命の泉が命をつなぎ止めていた。眼球からも植物が生え、何も見ることはできない。だが、彼の頭の中では異常なほどの大音量で、ピコピコとチープなゲームのBGMが流れていた。

 

 

 * * *

 

 

 どれだけの時間が経ったのだろうか。トレイルが目を覚ますと、テーブルとソファの隙間に挟まったまま倒れている状態だった。

 

 急いで自分の体を確認する。どこにも異常は見られなかった。赤い植物はどこにも生えていない。腹の底から空気を吐き出すように深いため息をつく。

 

 あれは夢だったのだろうか。自らの肩を抱き、震えながらすすり泣いた。思い出すことも脳が拒否するほどの体験だった。ただ普通に生きていられる、これまでと変わりない自分に戻れたことを心の底から感謝した。

 

 ふと顔を上げるとテレビのモニターが目に入った。

 

 

 ――――

 

 アナタハ ダレ?

 

 ナマエヲ ニュウリョク シテクダサイ

 

  ̄  ̄  ̄  ̄

 

 ――――

 

 

 かすみがかかったように、意識がぼんやりしている。彼は特に深く考えず、コントローラーを操作して自分の名前を打ち込んだ。いつものようにゲームをプレイすることで、ひどく不安定な状態の精神を落ちつけようとしていた。

 

 

 ――――

 

『おお! ゆうしゃトレイル! まっていたぞ! まおうをたおし せかいに へいわを とりもどしてくれ!』

 

 まおうが あらわれた!

 

 ――――

 

 

 テレビに表示されたエンカウント画面を見て心臓が縮み上がる。口内の唾液が一瞬にして蒸発してしまったかのように喉が渇いた。その分の体液が汗となって全身から噴き出す。

 

「くっ、クソゲーだろこんなの……こんなゲームはよぉ!?」

 

 

 ――――

 

 たたかう

 ぼうぎょ

⇒どうぐ

 にげる

 

 ――――

 

 

 彼の『殺戮ゲーム』におけるバトルシステムはターン制ではない。コマンドを入力しないまま、もたもたしていると敵が先に攻撃してくる。現実において操作キャラは実際に戦っているのだ。しかし、さっきと同じように攻撃を仕掛けて大丈夫なものか。迷いが生まれた彼は、他の選択肢について検討してみる。

 

 

 ――――

 

 どうぐ

 

⇒タネ     タネ

 タネ     タネ

 タネ     タネ

 タネ     タネ

 

 ――――

 

 

 道具欄いっぱいに詰まっている謎のアイテム。一か八か使ってみようかと思うも、選択する勇気が湧かない。敵に先制を取られるかもしれないという焦燥感と、うかつに攻撃すべきではないという煮え切らぬ決心が、『ぼうぎょ』という中庸的選択を彼に取らせた。自分自身、それが悪手であると理解しておきながら。

 

 

 ――――

 

 トレイルは まもりを かためた!

 

 まおうの こうげき!

 

 トレイルは 6950 のダメージ!

 

 ――――

 

 

 そして繰り返す。

 

 

 * * *

 

 

 死を渇望するほどの絶望を越え、彼は再び目を覚ました。ソファとテーブルの間に挟まったまま、彼は立ち上がる気力すら湧かなかった。

 

「もういやだ……いやだ……!」

 

 カーペットの埃の臭いに顔をうずめながら彼は泣いた。部屋の中には耳障りなBGMが鳴り響いている。テレビにはゲーム画面が表示されていることだろう。彼はコントローラーを手に取ることすら拒絶していた。

 

 ピッ ピッ

 

 そうしていると、BGMの中にかすかな異音が聞こえた。それがコマンドを入力したときに鳴るSEだと気づく。彼は顔を上げてテレビ画面を見た。

 

 

 ――――

 

 アナタハ ダレ?

 

 ナマエヲ ニュウリョク シテクダサイ

 

⇒シ ッ

  ̄  ̄  ̄  ̄

 

 ――――

 

 

 彼はコントローラーに触れていない。にもかかわらず、画面上では名前欄が文字で埋まっていく。

 

 

 ――――

 

 アナタハ ダレ?

 

 ナマエヲ ニュウリョク シテクダサイ

 

⇒シ ッ ク

  ̄  ̄  ̄  ̄

 

 ――――

 

 

 彼は漠然とした不安に襲われた。このまま放置しておけば恐ろしいことが起きる。なぜかわからないが、そう思った。急いで入力し直す。たった四文字の入力なのに、その操作は遅々として進まない。

 

「あれ……なんだったっけ……?」

 

 

 ――――

 

『おお! ゆうしゃ レ ル! あなたは ダレ? ナマエヲ ニュウリョク シテクダサイ』

 

⇒      が あらわれた!

  ̄  ̄  ̄  ̄

 

 ――――

 

 

「もういいっ! もうたくさんだ!」

 

 

 ――――

 

 たたかう

 ぼうぎょ

 どうぐ

⇒にげる

 

 ――――

 

 

「やめてくれ……たのむ……」

 

 

 ――――

 

       は にげだした!

 

 しかし にげられない!

 

 ――――

 

 

「だれか……たすけ……」

 

 

 ――――

 

      の こうげき!

 

 ――――

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。