カーマインアームズ   作:放出系能力者

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55話

 

 なにが『救済の力』だ。

 

 また、私は誰も救えなかった。ブレードを救いたいと思ったのは彼が死んだ後になってからだ。手遅れにもほどがある。だが、私はそれを本気で願い、力を手にした。

 

 わかっていたはずだ。この力は何かを壊すことしかできない。それを使って私は敵を殺した。復讐という自分のためだけの理由を振りかざした。怒りに我を忘れ、ただ敵を殺したいという単純な感情に囚われた。

 

 いや、それは復讐ですらなかった。私は逃げたのだ。

 

 ブレードから教わったはずだ。人を殺すということが、どれだけ重い覚悟を伴うか。その責任から目をそらし、自分の体を明け渡した。力に支配されることを自ら望んだ結果だった。

 

 その代償を、私は噛みしめている。あれほど私を苦しめていた激情が、まるで湧いてこないのだ。さっきまでの自分が嘘のように心は痛みを忘れていた。

 

 仲間を失った悲しみとは、私にとってその程度のものだったのか。敵をいたぶり殺し、憂さを晴らせば消え去るほどのちっぽけな感情でしかなかったのか。ブレードの命とは、彼が私たちに託した思いとは、そんなくだらない行為で報われるようなものだったのか。

 

 そんなはずがないと、いくら自分に言い聞かせたところで、もう私の心には慙愧の念すら残っていなかった。自分のことではなくなったかのように。

 

 私はまた一つ、私を失った。

 

 立ち上がり、歩き出す。暗い通路を当てもなくさまよう。恐怖心はなかった。あるのは自棄だけだ。為すがままに道を進み、やがて扉にたどりついた。

 

 重い鉄の扉を開く。生温かい外気が流れ込んできた。空には月が浮かんでいる。銀の光が色を塗りつぶし、目に映る光景は白と黒の二つに分かれた。

 

 やはり、ここは船の上だった。タンカーのような大型船の甲板に出る。船は死んだように停泊していた。周囲には海しかない。

 

「お待ちしておりました」

 

 そして、私の前に『私』が現れた。銀の髪を持つ少女は、私の前に歩み寄るとうやうやしく礼を取る。

 

「さて、何からお話ししましょうか。と言っても、残念ながらあまり長く時間は取れません。聞きたいことがありましたら、私に答えられる範囲でお答えします」

 

 ここはどこ?

 

「ここはあなたの夢の中。意識と無意識の境界点。目が覚めれば忘れてしまう幻のように、ここで見聞きしたことはあなたにとって自覚されるべきものばかりではありません。本当なら全てを包み隠さずお伝えしたいところですが、私の口からそれを語ることは女王の法に抵触するためお許しください。こうして彼女の目を盗み、束の間の会談を開くことも、本来なら許されることではないのです」

 

 あなたはだれ?

 

「私は『騎士』の位階を得た自我です。名を、ルアン・アルメイザと申します。名目上は、あなたの直属護衛軍になりますね」

 

 スマートフォンにメールしてきた人?

 

「はい。あのような不完全な形でしか伝達できず申し訳ありません。私は電子情報処理と電波操作に長けた能力をもっていまして、それを使って何とか現実世界のあなたと意思疎通を取る手段を探っていました。念が使える生体コンピュータのようなものだと思っていただいて結構です。ミルキー戦の最後に起きたバグも私がやりました。そこで力尽きて、その後はあまり助力できませんでしたが……」

 

 赤い植物のようなものも、あなたの仕業?

 

「いいえ。あれは我々が保有するウイルス、のようなものです。本来なら女王がその活動の一切を停止させていたはずなのですが……ある問題のせいで現在は中途半端に活動している状態です。そこに人間が目をつけて余計な研究を始めたせいで、今回のような騒動に発展してしまったようですね」

 

 女王とは、だれ?

 

「この群れの長です。それ以上のことは」

 

 

 

 ガクンと足元が揺れた。低く唸るような汽笛が海を震わせる。停泊していた船がゆっくりと前進し始めた。

 

「最後にお伝えしておかなければならないことがあります」

 

 モノクロの視界が赤く色づいていく。船の至るところから赤い多肉植物が生え、急激に成長して肥大化していく。

 

「『騎士』の位階を持つ自我は、この群れに三人存在します。一人は私、そしてもう一人の名は『カトライ・ベンソン』。彼はこの夢の深層心理において女王の守護を任されているので、あなたとこうして話をする機会はないでしょうが、善良な存在です。何も心配いりません」

 

 ルアンと名乗る少女は、急変する船の上で微塵の動揺も見せなかった。その世界を当たり前のことのように受け入れている。

 

「最大の問題は三人目の騎士です。奴は、この群れにおいて最も古い起源を持ち、それゆえに強固な自我を有しています。あなたも一度、会っているはずです。私と同じように会談している」

 

 私の脳裏に浮かんだのは、この夢を初めて見たとき出会った少女だ。私と同じ姿をした少女、しかしルアンとは別の存在であることがわかる。もっと幼稚で、夢想家で、利己的な正義感しか持たず、力に飢えた存在だった。

 

「奴の名は『モナド』。この世を自分の空想が生み出した物語の世界だと心の底から信じている狂人です。あなたも薄々、気づいているでしょう。奴の能力によって、あなたは一時的にこの群れの力を使うことができますが、その代償として自我を取り込まれていく。モナドの目的は王位簒奪です」

 

 船上はおびただしい数の結晶が育っていた。ルアンの体が赤い植物の成長に巻き込まれていく。

 

「奴は、このウイルスの感染拡大を何とも思っていません。むしろ、助長しています。今回の能力行使によってネットを経由し、何十万人という数の人間が感染する恐れがありました。幸い、電脳戦は私の得意分野でしたので被害は最小限に食い止められましたが……」

 

 一歩間違えば、人類はその身を滅ぼしかねない大きな病巣を抱えていることに気づいたかもしれない。目をそらすことも許されない痛みを伴って。

 

「もう二度と、その力を使ってはなりません」

 

 そう言い残し、ルアンは結晶に取り込まれる。ほどなくして私もまた、赤い牢獄に閉じ込められた。

 

 

 * * *

 

 

 スカイアイランド号ハイジャック事件の終息から三日が経過した。その捜査管轄は現地当局から世界治安維持機構へと速やかに委託され、情報統制が敷かれてしまったため不明な点が多い。しかし、こういったことはよくあることらしい。

 

 騒がれたのは報道された初日がピークであり、今では他のニュースに紛れる程度の話題となっていた。てっきり未曾有の大事件として大々的に取り上げられるのかと思いきや、世間的には私が思っていたよりも大したことのない騒動だったのかもしれない。

 

 あの事件の夜、力を使った私が意識を取り戻したとき、既に私は飛行船から脱出していた。船があると思われる場所から少なくとも数千キロ離れた隣国で目を覚ました。どうやって海洋上を飛行していた船からそこまで移動したのか、記憶はなかった。

 

 意識を取り戻したのが事件発生から二日目の朝である。ひとまずポメルニをはじめとする数人のアイチューバーの無事をネットニュースで確認できたので、それ以上の事件の顛末を詳しく知りたいとまでは思わなかった。

 

 もう、興味のないことだ。

 

 ここは見晴らしの良い草原地帯だった。広大な自然保護区に指定された場所であり、近くに人は住んでいない。シックスは小脇に虫本体を抱えながら、のどかな日差しの下を歩いていた。

 

 以前とは少し変化した点がいくつかある。その一つが本体のサイズだ。明らかに大きくなっていた。以前は何とか服の中に隠せるくらいの大きさだったが、今ではラグビーボールくらいになっている。

 

 力を使った後、目覚めたときには既にこの大きさになっていた。まるで脱皮したみたいに急成長している。今まで使っていたぬいぐるみでは中に収まらないサイズになっていた。まだ何とか隠して持ち運べる大きさだが、今後も成長が続くようなら別の手段を考えないといけない。

 

 草原の中に斑を描くように、鮮やかな紫色の花が混ざり始めた。その原っぱの先、丘を越えた向こうを見れば、一面に紫の絨毯が広がっている。それは一見して美しい光景に見えた。だが私はその花に、何かすっきりとしない印象を受けていた。

 

 どこかでこの花を見た気がする。確か、何かの動画で紹介されていたような覚えがあったが、具体的には思い出せない。検索してみようかと、私はスマートフォンを取り出して電源を入れた。

 

 このスマホも大きく変わった点の一つだった。以前はシンプルなシルバーのデザインだったのだが、事件以後その外観は赤色に変わっている。背面のカバーには青白く発光する回路のような模様が描かれていた。

 

 どうしてデザインが変わったのか原因は不明である。ただ、なんとなくルアンの仕業ではないかと予想している。少し不気味だが、機能は以前のままだった。使用契約がいつ打ち切られるとも知れないが、とりあえず使えるうちはこのまま使っていこうと思っている。

 

 この三日間、一度も充電していないのにバッテリーが減っている感じがしないことを疑問に思いつつ、電脳ネットからアイチューベのホーム画面を立ち上げる。マイページを確認すると、これまでに自分がアップしてきた動画が何本も並んでいた。その画面を見て私が抱いている感情こそ、最も大きな変化と言えるかもしれない。

 

 どれを見返しても琴線に響かない。どうしてあれほど夢中になって動画を作り、アイチューバーになりたいと思ったのか。

 

 その問いに対する答えはあるのに、それが自分の出した結論だと思えない。まるで夢から覚めたように、私を突き動かしていた衝動はなくなっていた。

 

 記憶がなくなったわけではない。動画を撮影した日々も、アイチューバーになって関わってきた人たちのことも、全て思い出せる。なのに。

 

 それは読後感に似ていた。物語は読了された。私がやってきたことも、あの船で起きたことも、私の中で完結してしまった。だから今の私には“その先”がない。閉じた本をもう一度開き、書かれた文字を読み直すことしかできない。

 

 私は連絡先リストを開いた。電話帳に記録されている名前は二つしかなかった。ポメルニと、ルアン・アルメイザ。リスト外からの通信は全て着信拒否される設定になっており、そして二人のうちポメルニからは何度も着信が入っていた。

 

 だが、私は一度も応答していない。

 

 なぜか、それはとても恐ろしいことのような気がした。電話口の向こう側から、彼は私に何を語りかけるのだろうか。そして私はその言葉に何を感じるのだろう。何を、感じることができるのだろうか。

 

 だから、これで良かったのだと思う。

 

 私はリストからポメルニの項目を削除して、スマートフォンをしまった。ぼんやりと滲む陽光の中、花々が咲き乱れる草原を歩き続ける。風に揺れる紫の草原は波のように濃淡を描いている。その様子を見ていたとき、ふと私は思いだした。

 

 その花の名前はシシキソウという。旺盛な繁殖力と生命力を持ち、ひとたび蔓延れば原生植物を駆逐してしまう侵略的外来種に指定されていた。

 

 原産地は別の大陸だが、人間の活動によって種子が海を渡り、世界的に生息域を広げた植物である。この植物に限らず、外来種が生態系に著しい変化をもたらす事例は数え切れないほど存在している。

 

 ブレード・マックスの動画で紹介されていた。絶景ハンターである彼は、その紫色の花畑を美しいとも醜いとも評さなかった。それは一つの命の在り方であり、それ以上でも以下でもないと彼は言った。

 

 進化の過程で、生物は何万年、何十万年という時間をかけて現在の生態系を作り上げた。その中で数多の種が生き残るために戦い、あるものは繁栄し、あるものは絶滅した。

 

 外来種がもたらしている変化も、その本質は変わらない。ゆっくりと気が遠くなるほどの時間をかけるか、瞬く間に変化を遂げるか、それだけの違いなのだと。原生種も外来種も、そこに関わった人間も、それぞれがよりよく生きようとして起きた結果である。

 

 大切なことはその事実を受け止めて、どうしていくべきかを考えることにある。その先にある選択が善か悪か、正か誤か、終わりがあるのかも定かではない。それでも一つの答えにとどまらず、考え続けていくことが大切なのだと、ブレードは言っていた。

 

 記憶の中に、鮮明に残されていた彼の言葉に私は戸惑いを覚えた。なぜこれほど印象に残っているのだろうか。だがそれは、忘れてはいけない言葉であるような気がしていた。

 

 読み終えた本の“その先”を想像するために。

 

 








王直属の三騎士……

『知』の ルアン
『技』の カトライ
『力』の モナちゃん

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