カーマインアームズ   作:放出系能力者

6 / 130
アルメイザマシン編
6話


 

 寒い。

 

 ただ、寒いとしか感じない。それは体が発する警告としての信号でしかなく、特に苦痛というわけではなかった。意識はむしろ生ぬるい眠りの淵にあるかのようで、逆らわずに身を任せている方が楽だった。

 

 視界は真っ暗。体の周りは土で固められている。私は地中にいるようだ。クインはいない。おそらく土砂に押しつぶされて死んだのだろう。クインを失った代償として、卵もごっそりと数を減らしていた。ストックはもう数えるほどしか残っていない。

 

 生きていることを喜ぶべきなのだろう。とっさに全力の堅で防御したこと、誓約による死の代償が寸でのところで留まったこと、それらを含めた運に救われた。

 

 寒さが体の自由を奪う。氷の中にいるかのように冷たかった。始めは体に重大な損傷を負い、そのダメージが感覚を麻痺させているのではないかと思った。だが、私の感覚が狂ったわけではなかった。実際に、気温が低下している。

 

 何が起きているのかわからないが、このままでは死を待つのみだ。熱帯気候で生まれ育った私は、寒さに弱いらしい。とにかく、地上に出るため土を掘る。

 

 纏をしていなければ少しも動くことができない。どうにか土を掻き分けながら上を目指すが、地上へと近づくほどに寒さは増していった。

 

 地上には太陽があるはずだ。うだるような熱気に包まれた荒野があるはずではないのか。なぜどんどん寒くなっていくのか。私は上へ登っているのか、下へ降りているのか。体力は消耗し、活動限界が近づいてくる。

 

 動けなくなる寸前というところで、ようやく光が見えた。これで助かったと思った私が見たものは、救いでもなんでもなかった。

 

 氷に覆われた世界だ。生物の気配は一つもなく、極寒の冷気が吹き荒れていた。空からは拳大の雹が音を立てて降り注ぎ、地表を覆う薄氷を叩き割る。

 

 突如として爆発音が鳴り響いた。巨大な盆地の底から凍った粉塵が巻きあがる。それに続いて吹き出したのは溶岩だった。凍てつく冷気を帯びた青い溶岩が噴火によって吐き出され、熱という熱を奪っていく。

 

 異次元の光景としか言いようがない。そして、なぜこうなったのか原因を解き明かす時間は残されていなかった。体を動かせなくなってしまった。纏によって最低限の内臓機能を維持するだけで精いっぱいだった。

 

 やむなく『偶像崇拝』を使う。クインを具現化して本体を運んだ。卵のストックはなく、具現化の維持に必要なオーラの確保は難しい状況だ。それでも、この極寒の環境で活動するためには恒温性を持つ人間の体でなければならない。

 

 この環境下では、クインの長期運用は不可能だ。体温の維持だけでも相当のオーラを消費する。走るために纏による身体強化も施さなければならない。一回でも戦闘に突入すれば、即刻オーラは尽き果てて死亡するだろう。今度こそ本当の死が待っている。

 

 迷っている暇はなかった。走り出す。一歩踏み出すたびに、霜が足の裏に突き刺さり、貼り付いた皮膚が剥がれて激痛が走った。傷を修復するよりも、傷ついたまま痛みがなくなるまで感覚が麻痺した足で走り続ける方が楽だった。

 

 殴りつけるような雹が降ってくる。その傷も、修復はしなかった。少しでも遠くまで走るためにはオーラを節約しなければならない。突き刺すような寒さも我慢しなければならない。

 

 とてもではないが耐えられる寒さ、痛さではない。人間の体は弱い。ささいな刺激にさえ過敏に反応し、行動不能に陥るほどに痛覚が肉体を苛む。そして、私は誓約によってその痛覚から逃れることができない。

 

 それはとても辛く、同時にありがたいことでもあった。私は生きているのだと、生きたいのだと実感できた。眠るような死を受け入れようとする気持ちは失せた。苦痛を噛みしめながら、ただ前へと進む。

 

 この寒冷火口から脱出するのが先か、オーラが枯渇するのが先か。終わりの見えない逃走を続けた。

 

 

 * * *

 

 

 暗黒大陸とは、怪物と災害の坩堝である。巨大生物が跋扈し、過酷を極めた自然環境が横行する。およそ人が住める場所ではない。

 

 私の認識は甘かった。この場所の厳しさを何一つ理解していなかった。キメラアントであるから、念能力が使えるから、だから何とかやっていけると、その程度にしか考えていなかった。

 

 今思えば、あの荒野は特異点だったのだ。平穏であることが、この大陸では異常だった。あの何もない荒野こそが最初で最後の楽園であり、私は自らその場所を破壊したのだ。これまで私が世界だと思ってきたものは巨大な蛇の背中に過ぎず、私はその上で平穏をむさぼる寄生虫にも等しい存在だったのだと知る。

 

 氷原を走り抜け、命からがら逃げのびた先にあったのは目もくらむような断崖絶壁だった。私が埋まっていた場所はやはり山の上だったらしい。依然として寒さは続き、ろくに本体を動かせない状況で、ほぼ垂直に近い山肌を生身一つで下山する。絶望しかなかった。

 

 吹雪の中、決死の覚悟で崖を降りて行く。視界は雪雲に閉ざされ、崖下は数メートル先も見渡せない。足を踏み外せばどこまで転がり落ちて行くかわからなかった。そして時折、思い出したように“火山活動”が始まり、地面は大きく揺れた。噴火が始まると、吹雪はさらに激しさを増した。

 

 岩の隙間にわずかに生えた苔を食べて飢えをしのぐ。食べれば卵を作ることができ、クインの活動時間も伸ばせる。なんとか生き延びる算段を立てていた矢先、クインは死んだ。滑落ではなく、捕食されて死亡する。巨大な怪鳥が一瞬のうちにクインをくわえて飛び去っていった。

 

 悲観はしなかった。遅かれ早かれ、クインは崖から足を滑らせて死ぬだろうと思っていたからだ。もうクインを呼び出すことはできなかった。この寒さの中で本体が活動するには、全力で『練』を維持しなければならない。『纏』を切らせばその場で凍死してしまうため、その分のオーラを残しつつ、一日に使える練の時間は数分ほどだ。そのたった数分しか、下山の時間は与えられない。蟻の体なら多少の足場の悪さは克服できるが、一つのミスが落命につながる死の下山。

 

 体を休められるような岩の隙間を見つけられれば望外の幸運だ。たいていは、いつ崩れるとも知れない岩肌にしがみつきながら昼も夜もわからない吹雪の中で過ごさなければならない。下山は遅々として進まなかった。いっそ、足を放して自由落下に身を任せた方がいいのではないかと何度も思った。全力で『堅』をした状態なら落下の衝撃にも耐えられるのではないか。普通の蟻だってどんなに高い場所から落としても死なないじゃないか。

 

 虫が高所から落下しても死なないのは、体が軽いからだ。空気抵抗を受けやすく、落下速度は自然と緩まる。結局、その法則が私の体にそのまま当てはまるとは思えなかった。体長20センチほどの大きさに数キロの重さを持つ密度の物体が落下すればどうなるか。どれだけオーラで強化しようと内臓に達する衝撃を殺しきる自信はない。何の確証もなく賭けに踏み込むことはできなかった。

 

 ある日、深い岩の割れ目を発見する。1メートルほどの亀裂だった。中は私が入っても十分なスペースがある。そして、奥には苔が群生していた。この火山活動で揺れる不安定な地盤の中で、これだけの苔が生えるのに必要な時間、この亀裂は潰れずに存在している証だ。食料があり、吹雪から守られ、体を休められる空間。まるで下山を成し遂げたかのような達成感に包まれた。

 

 しばらく、その亀裂の中で体力の回復に努めていると晴れ間が見える日があった。雲が風に流されたのか、ほんの一時だが吹雪が止んだ。吉兆かに思えたその束の間の時間、崖下を覗き込んだ私は世界を呪った。そこにはあまりにも遠い、ふもとまでの道のりが見えた。下り終えるのに何年かかるかわからない。

 

 進むしかなかった。あるときは冷気を撒き散らす白い巨鳥が通り過ぎ、あるときは重力を無視したかのように垂直の壁を疾走する狼の群れとすれ違った。ひたすら纏と練を繰り返し、死と隣り合わせの崖下りを続ける。次第にオーラの扱いに長け、行動可能時間が増えた。下山が進むにつれ、気温が上昇し、体が動くようになった。

 

 そして、ふもとにたどり着く。そこは一面、黒く染まった森だった。木々も動物も、黒に侵食されている。その正体はカビだった。肉を腐らせた半死半生の巨獣たちが徘徊する。空気は毒に汚染されていた。

 

 その先には、赤い大河が道を遮っていた。竜かと見紛う巨魚が無数に泳いでいる。その全てがヤツメウナギのような姿をしていた。吸盤のような口で仲間の体に食らいつき、互いの血を啜り合い、殺し合っていた。

 

 その河を迂回すると、奇抜な植物の群生地帯があった。恐竜のような大型の肉食動物が、なすすべもなく植物に捕食されていた。その先には、幻覚を見せる光の湖。雷鳴渦巻く渓谷。空気の希薄な森。それらはまだ理解できるからいい。

 

 異形の猿が一列に並ぶ高原。色とりどりの肉片で溢れ返る川。空を飛ぶ奇岩群。それが何なのかさえわからない脅威にさらされる。

 

 どこに行こうと安息の地などない。暗黒大陸とは、そういう場所だった。

 

 

 * * *

 

 

 クインは森の中を歩いていた。目立つ銀色の髪は頭の上で結いあげ、泥で固めている。体中にも泥を塗り、肌の色を少しでも見えにくくしている。その体は以前と変わらず華奢なまま、どれだけ鍛えても筋肉はつかず、肌が日に焼けることすらなかった。

 

 後で気づいたことだが、これは制約である「デザインを変更できない」による効果だと思われる。つまり、筋力トレーニングに意味はなかった。具現化するときに鍛えられた体を想像しながら作っても、やはり見た目は前のままだ。最初に決めた姿にしかなれないらしい。

 

 外傷を負うことについてはデザインの変更ではなく、単に破損したものとして扱われるため状態は変わらない。しかし、流血し続ければ生命維持のために大量のオーラを消費し続けるので、結果的に修復せざるを得ない。頭部や内臓など急所への致命傷を受ければ、普通の人間と同じように死亡し、発動は維持できなくなる。

 

 これまでにクインは数え切れないほど死んでいる。誓約による死にも慣れてしまった。死の代償は、卵数個の犠牲で抑えられるようになった。私はこれを利用して強敵から本体を逃がすためだけの囮としてクインを使い潰すようになった。

 

 その判断自体を間違いだとは思わない。実際、そうしなければ本体が死んでいたかもしれない局面はあった。だが、その頃の私はあまりにもクインの存在を軽視しすぎていた。なぜ、こんな役に立たない能力を作ったのだろうと後悔さえした。複数の系統にまたがり膨大なメモリを使う能力ではなく、自分の系統に合わせた能力を作っていればもっと生きやすくなったのではないかと。

 

 その思考が反映されるように、クインの操作精度は落ちていった。消費するオーラ量は跳ね上がり、発動を維持するだけで手一杯の状態に陥った。この明らかな性能低下の原因を、最初は理解することができなかった。

 

 原因は制約と誓約の甘さにあったのだと思う。『偶像崇拝』の誓約は守れなければ使用者は死亡するというものだが、これは命が複数ある私にとってもはやデメリットではなかった。誓約とは自らを縛る不利な条件を背負うことで、その覚悟の大きさに応じた力を引き出すものだ。それをまるで文面上の言葉遊びのように扱い、抜け道を用意していた時点で覚悟足り得なかった。『守れなければ死ぬ』という誓約は、単に『卵を犠牲にする』という言い回しの違いでしかない。

 

 普通の人間にとって命とは一つしかないものだ。それを賭けるからこそ誓える覚悟であり、その対価がある。『偶像崇拝』を会得した当初は、まだ死に対する恐怖が残っていた。いくら命のストックがあると言っても、実際に誓約を破ったときどの程度の罰が下るのかと恐れていた。多少なり死に対する覚悟はあったのだ。それがいつしか死ぬことを、クインを殺すことを何とも思わなくなってしまった。それが結果的に誓約の効果を弱め、能力の性能低下を招くことになってしまった。

 

 このままでは本当にメモリを無駄に食うだけの使い道のない能力になってしまう。何よりも、私が理想として作り上げた自分を、自分自身が否定しているという心境こそがクインの力を弱めてしまったのだろう。

 

 そう思った私は誓約をつけ直した。本来、一度決めた能力の内容はあとから付け加えたり変更することはできない。だから私は、誓約中に記された“死”の概念をより具体的に定めることにした。『誓約を守れなかったとき、限界所持数の三分の一以上の命を失う』とした。およそ私の卵の最大所持数は約1000個だ。誓約を破ればペナルティとして最低でも333以上の命が死ぬ。ストックが十分にあるという前提で、安全に能力を連続発動できる回数は2回に限られてくる。一応、3回まで使えはするが、そのクインが殺されたとき本体も死ぬことになる。

 

 三分の一という数字は、見ようによってはまだ甘いと言えなくもない。だが、今の自分にはこれが限界だ。クインという一人の人間は、この暗黒大陸においてあまりにも無力である。連続して2回“しか”死ねないという誓約は重い。クインという存在を認めるために立てた誓いであった。そのおかげで今では以前の性能を取り戻している。それでも弱いことに変わりはないが。

 

 しかし、この世界を生き抜くためには持てる力を最大限に引き出していかなければならない。新たに誓約の内容を厳しくしてまで使うほどの価値がクインにはあると気づかされた。本体に比べれば脆弱極まりない彼女だが、この体にはこの体の利点があるのだ。決して、全ての能力が本体に劣っているわけではない。

 

 その一つが危険察知能力である。人間の体の方が、五感が遥かに鋭敏であった。この場所では何よりもまず戦闘を避けることが重要視される。そのために最も必要な能力が迅速な状況判断であり、その基盤となる情報収集力である。戦闘力は二の次と言ってもいい。

 

 この数年で最も鍛えられた技は間違いなく『絶』と『隠』だ。『絶』は体の精孔を完全に閉じることでオーラの流れを絶ち、生物としての気配を消す技術である。また、オーラを体内にとどめることで回復力を高める効果もある。『隠』は『絶』の応用技で、オーラそのものの気配を隠すことができる技。『絶』は本人の気配を消し、『隠』は本人が放つオーラを隠す。

 

 念獣使いの強みの一つがこの『隠』にある。この技は自分自身の気配を隠すことはできないが、念で作り出した武器や念獣を見えなくすることができる。この隠は、念人形であるクインにも適用できた。さらにクイン自身がオーラを使っている状態であっても、本体による『隠』で隠せるので実質的に『絶』と『練』の併用ができるのだ。

 

 ただしその間、本体は絶ができないので(精孔を閉じるとクインにオーラを渡せない)若干の違和感は残る。確実に気配を消したいならクインも本体も絶で過ごすのが一番だ。しかし、この状態では一切の強化ができないのでクインのひ弱さが足を引っ張る。五感の強化も鈍るため、察知能力も低下してしまう。

 

 『絶』も『隠』も一長一短だ。絶と違って隠の状態は、オーラを目に集中させる『凝』という応用技で見破られるので万能の戦法というわけでもない。実際、森に潜む化物たちには見破られることが多い。『凝』なんて使えないはずだが、彼らは生まれ持っての身体機能を用いてこちらを見つけ出す。今も、そうだ。

 

「――……」

 

 なんとなく、確証はないが敵に捕捉されているような気がする。向こうもこの世界を生きてきた猛者だ。簡単に気配を悟らせることはない。だが、私も同じくこの世界を生き、ここに立っている。気配の隠し方を、探り方を、化け物たちに学んできた。

 

 周囲の状況を詳細に察知するため、一般的に使われる技は『円』だ。これは『纏』と『練』の応用技であり、自身を中心として円状にオーラの空間把握域を作り出す。この円内にある全ての物の形を、手に取るように認識することができるのだ。

 

 この円の広さは念の才能によらず、個人の体質によって決定される。優れた念能力者だからといって大きな円を作ることができるわけではない。私の場合は半径5メートルほどだ。中には数十メートルからキロメートル単位の円を使う者もいるので、私は円の使用に向いた体質ではないと言える。

 

 『円』の狭さを補うため、私が力を入れたのは『凝』による察知だ。オーラを体の一部に集める技である。目に集めれば、敵のオーラに対する洞察力を高め、不審なオーラの動きを見破れる。他にも手足に集めることで、その部位の攻防力を上げることができる。その分、他の部位の攻防力は落ちるので敵の動きに合わせて凝を使う場所を見極めなければならない。その技術が『流』だ。

 

 『凝』により、目で探る。そこで終わらず、その次は耳で探る。自然のざわめきに耳を傾ける。その次は鼻と舌だ。においの微細な違いを嗅ぎ分け、空気の味を調べる。そして肌。大気中のわずかな揺れ、意図された風の動きを感じ取る。その一連の作業を『流』により一つのサイクルとする。

 

 初めはぎこちなく、この作業が何かの結果をもたらすことはなかった。しかし、死に物狂いで繰り返すうちに『流』の速度は上がっていく。やがて、一拍子でこのサイクルをこなせるようになる。その末に辿りついた境地が「共感覚」であった。

 

 たとえば、ある人は数字によってそれぞれが色を持つという。「1」という数字に対して「赤」というイメージがあり、実際にその数字を見ると赤い色が見えてしまう。これは「視覚」とその一部である「色覚」が共感覚を起こした現象だ。嗅覚と視覚が共感覚を起こし、においに色がついて見えるという人がいる。

 

 異なる感覚器が連動して働く作用。これによってそれぞれ単一の感覚では捉えることのできない領域の情報を知ることができる場合がある。声(音)に色がついて見える共感覚者が、他人の声を聞いただけでその色から体調を言い当てることができたという逸話もある。

 

 念によってこの共感覚を引き出す技を、私は『凝』の派生技『共』と名付けた。五感の連動による超越的感知能力。これを言語化することは難しい。視、聴、嗅、味、触、それらを一度に体験する感覚というのは、実は私自身理解できていない。それらの多大な情報を脳が一度に処理しきれず、ブラックアウトしたかのような一瞬の感覚の中、全く異なる角度から一つの情報が浮かび上がってくる。

 

 「下か」

 

 その場から飛び退いた直後、クインが先刻まで立っていた地面が陥没した。穴は大規模な地盤崩落を起こしたかのように拡大した。あっという間にすり鉢状の盆地ができる。穴の中心が渦を巻き、その底からこの災害の元凶が姿を現した。

 

 それは見上げるような巨体の昆虫だった。斑点模様のあるデコボコした体は腹部が異常に大きく、上体は千切れそうなほど細い。そして顎は凶悪なほど大きく鋭く発達しているというアンバランスな体だった。こんな姿をした虫は記憶にないが、似たような生態をした虫なら知っている。

 

 アリジゴクだ。柔らかい砂地にすり鉢状の巣を作り、その穴に滑り落ちた虫を捕食する。ちょっと違うのは、ここが砂地ではなく鬱蒼とした森であり、ミキサーのように土岩を撹拌しながら樹木を根こそぎすり潰しているところだろうか。土の中はどうなっているのかと言いたい。

 

 突如として地上に出現した渦の中、巻き込まれていく木々を足場に飛び移りながら様子を見る。それほど緊張はしなかった。それと言うのも、このアリジゴク型の化物と遭遇したのはこれが初めてではない。以前、一度交戦したことがある。

 

 さすがに初見のときはビックリした。土の渦については逃れること自体は難しくない。しかし、奴はとにかくしつこかった。どんなに遠くまで逃げようと土の中を追いかけてくる。絶をしても無駄だ。一度捕捉されたが最後、凄まじい執念で追跡してくる。そして、その途中で私がより強大な敵と遭遇すると自分だけ逃げ出す。私が何とかその窮地から脱したところで、再び追いかけてくる。

 

 一番厄介なのが、その強敵を呼び寄せてしまうところだ。これだけ派手な騒ぎを起こせば、嫌でも目立ってしまう。はっきり言って、このアリジゴクよりヤバい化物はいくらでもいる。それこそ出遭った瞬間、死を覚悟しなければいけないような奴らもいる。だからこそ、必死に気配を隠しているわけだ。すぐに“黙らせないと”まずい。

 

 行動方針は決まった。クインは渦の中心へと滑り落ちて行く木の上に乗ったまま立ち止まり、流れに任せる。攻撃の機会は一瞬だ。それまでに準備を整える。クインは構えを取った。

 

 念能力者は肉弾戦を主体とする者が多い。飛び道具を使う者もいるが、やはり己自身の体こそオーラで強化するには最適であり、それそのものが最も使い勝手の良い“武器”と化す。私も戦闘において道具は使用しない。裸一貫。

 

 しかし、ある意味において武装しているとも言えるだろう。クインの右手に本体をしがみつかせている。この“蟻本体”こそがクインの武装である。動物と比べて硬く強靭な耐久力を持つ植物の細胞構造、さらにそこに金属の特性が加わった最硬の外骨格。この強度を利用しない手はない。右手を覆うその姿は、まるで手甲のようだ。

 

 本体が『堅』に入る。これは『纏』と『練』の応用技であり、体全体の防御力を飛躍的に高める。纏の防御力を基準としたとき、堅はその約5倍の強度に匹敵する。外骨格とオーラの相乗効果によって数十倍に高まった攻防力が、本体に凝縮されていた。

 

 そこにクインのパンチ力がさらに上乗せされる。クインは『練』によって極限まで引き上げられた身体能力を駆使し、足場を破壊する勢いで跳んだ。敵の虚を突き、急接近する。腰溜めにしていた右拳を全力で叩きこむ。

 

 まだ終わらない。インパクトの瞬間に、さらなる技を加える。『共』と同じく、私が独自に開発した派生技『重』を。

 

 流の練習をしているときに思いついたのだ。流とは体全体の攻防力を、状況に応じて迅速に各部へ移動させる技。すなわち、戦闘中における『凝』の高速使用術である。相手に対して例えオーラの顕在量で劣っていようと、この流の技術に優れていれば強敵を打倒しうる。殴る瞬間だけ拳にオーラを集中すればパンチ力は増し、敵の攻撃を受ける瞬間だけ被弾箇所に防御力を集中させたり、脚力を強化して回避することなどが可能だ。

 

 しかし、この技は用法を一歩間違えば致命的な弱点をさらすことにもつながる。オーラを一点に集中させるということは他の部位の強化がおろそかになるということだ。狙い通りに敵が動いてくれればいいが、現実はそこまで甘くない。そのリスクを十分に予期した上で、どの部位にどれだけのオーラを分配するかを常に考えながら戦う必要がある。このリスク管理も含めて流の技術である。

 

 例えば拳に全体の60%のオーラを集めれば「拳の攻防力60:その他40」となる。拳以外の体の防御力は40%にまで低下する。攻防力100をどのように振り分けるかを考えるのが本来の流の使い方だが、ふと疑問がわいた。私の体の中には自分であって自分ではないオーラが無数に存在している。卵が持つオーラだ。この攻防力を自由に移動させることができれば、100%と言わず120%、200%、300%の強化率を実現できるのではないか。

 

 オーラそのものの受け渡しには成功している。それを攻防力に変換した上で受け渡すという発想だ。そうして編み出した技が『流』の派生技『重』である。これによってクインに限界を越えた強化を施す。「『堅』により固めた本体の防御力(武器としての硬さ)」+「『重』によるクインの超強化」。その二つの威力が込められた必殺の右ストレートを放つ。

 

 暗赤色の手甲が敵の胴に叩きこまれた。衝撃が空気を振動させる。敵の装甲を砕く確かな手ごたえ。巨大な虫は粉塵を巻き上げながら地に沈んだ。クインは殴った反動を利用して自ら後方へと吹き飛び、穴の外側に着地した。

 

 そして、間髪いれず撤退を開始する。『隠』により気配を消し、その場から走り去った。既に、いくつかの気配がこちらに接近している。騒ぎを嗅ぎつけて集まってきた化物たちと交戦している余裕はなかった。引き際を見誤れば命はない。

 

 去り際に、アリジゴクがいた方向を一瞥する。そこにはすり鉢状の巣の跡が残されているだけだ。敵の姿はどこにもない。奴は地中へと逃げた後だった。あれだけの手傷を負わせればもう追ってくることはないだろうが、仕留めきれなかったことを少し無念に思う。

 

 新技『重』は確かに強力だ。クイン本来のスペックでは決して引き出せない強化率を叩き出せる。しかし、それには相応のオーラ量を消費する。この技は、ただ『凝』でオーラを寄せ集めているわけではない。正確には、顕在オーラ量(AOP)を瞬間的に増大させる技である。

 

 新技だの何だのと大層なことを言ったが、実はこれと同じことが強化系の発でも再現できる。体内のオーラを攻防力へと一度に変換できる量(AOP)は個人によって限界値が決まっており、その最大値を100として体の各部へと適宜振り分けていくことになるが、強化系は発(必殺技)によってこのAOPを増加させることができる。攻防力120や130と言った強化率の引き上げが可能なのだ。

 

 私はそれを『精神同調』と応用技を駆使して何とか再現しているが、本来であれば操作系能力者にできる技ではない。他人とのオーラのやり取りなんて特殊な発でもなければ不可能だし、あまつさえ攻防力のやり取りなどできるはずがない。それだけ強引に構築された技であるがゆえのしわ寄せがあった。

 

 『重』を使用すると肉体に極度の負荷がかかる。自分の限界を越えた強化を施すのだから当然の代償と言えた。特に精孔にかかる負担は大きい。無理な攻防力の移動により、オーラを通すための通路である精孔がボロボロになる。強化系能力者の場合は、おそらくこの精孔自体をも強化しているので問題なく使えるのだろう。

 

 なぜ本体ではなくクインに重をさせているのかという理由がこれだ。一度、本体が重を試しに使ってみたところ、全身の筋線維が断裂したかのような痛みに襲われた。精孔もしばらくつかいものにならなくなり、一週間ほど絶で生活するはめになった。死ななかったのが奇跡だ。

 

 クインが使った場合でも同じ現象が起こる。意識が飛ぶほどの激痛が走り、肉体と精孔が損壊する。しかし、念人形であるクインは使用者である本体がオーラを送り込むことで傷の修復ができる。体が壊れるよりも速く直しながら『重』を使っているのだ。正直なところ、この修復にかかるオーラが膨大で、クインの強化に使う分を遥かに凌駕する値のオーラを傷の回復に当てなければならない。肉体的にも精神的にも多用できる技ではなかった。

 

 そして、これだけ回りくどい手段を使ってようやく体得した必殺技であるというのに、敵を仕留めるに至らない。ここらの森における生態系の中で見ても、下から数えた方が早いような雑魚であるアリジゴクにすら、有効打を与えるにとどまる程度の威力なのだ。

 

 オーラで強化されたわけでもない素の肉体、素の身体能力。それだけで圧倒的に強い。人間であるクインとは隔絶した違いだった。

 

 一応、『犠牲の揺り籠』を使えば倒せないことはないと思う。あの技の威力だけは常軌を逸している。しかし、目の前の敵一体を倒すためだけに使うには大きすぎる代償だった。その後に押し寄せて来る敵と戦う余力は全くない。

 

 この能力の誓約については特に改めることはなかった。むしろ曖昧にすることで威力が下がるのなら願ったり叶ったりだ。それほど使い勝手が悪い。どれだけ意識を集中させようと卵の消費量は500を上回る。2回使えば本体が死ぬ量だ。おそらく、この技の代償がこれ以上軽くなることはないのだろう。私は『必殺の一撃』という思いを込めてこの能力を作った。『誓約で卵を半分以上消費するから高い威力を得た』のではなく、『高い威力を得るために卵を半分以上犠牲にしている』という感覚に近い。『偶像崇拝』とは死に対するアプローチが根本から異なっている。

 

 現状、クインの運用にかかるオーラの収支は結構かつかつだ。『隠』による気配遮断、『共』による索敵、その他最低限の身体強化、それに加えて戦闘に入れば『重』の使用も視野に入れなければならない。卵1000個をフル稼働し、オーラが尽きた卵には絶をさせて回復に努め、交代で休ませることによって何とかやりくりしている。『犠牲の揺り籠』を使って卵の残存数が半減すれば、絶対にオーラが足りなくなる。卵の数が回復するまでクインの運用は諦め、絶で過ごすしかない。その状態でクインが死ねばさらに卵333個以上のダメージを受ける。本体が死んでもおかしくない領域の損害だ。

 

 森の中を走り抜けていた私の耳に、遠くから響く轟音が届いた。さっきまで私が戦っていた付近で、巨大な何かが衝突している。今の私では到底敵わないような怪物たちが、当たり前のように生態系を築き、熾烈な生存競争を繰り広げている。私はその足元で、息をひそめてやり過ごすことしかできない。

 

 人の心を持たなければ、頭上を行き交う巨大な影に怯えることもなかったかもしれない。まさしく蟻。虫けらに等しい存在だった。

 

 





「絶」と「隠」の違いについては区別が難しく、色々と解釈がわかれているので、この小説の設定が正解というわけではありません。

他の念能力の設定も、かなり推測というか独自の解釈が入っているので間違っているところもあるかもしれません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。