カーマインアームズ   作:放出系能力者

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63話

 

「さて、そんじゃまず今のあんたにできることの確認から始めましょうか」

 

 シックスが寄生型念獣であると仮定して、この肉体特有のメリットとデメリットがある。メリットとしては一番にその再生力があげられる。念によって具現化された物は壊れてもオーラによって修復できる。

 

 だが、ビスケいわく普通の念獣は一度破壊されても瞬時に再生できるような、都合の良いものではないらしい。その使い手の念の集大成である『発』として形作られた念獣が破壊されるということは、その術者の精神に大きなダメージを与えることでもある。一度植えつけられた破壊のイメージは簡単に払拭できず、それは具現化能力にも影響を及ぼす。

 

 破壊されることを前提に作られた念獣ならばともかく、普通の術者ならその戦闘中に念獣を再使用可能な状態まで精神を立てなおすことは難しいという。オーラをつぎ込んだだけ回復できるシックスは念獣としてはトップクラスの再生性能があると言われた。

 

 ちなみに痛覚の共有を任意に遮断できないという制約を伝えると、いっそう呆れられた。念獣はイメージだけでも具現化に影響が出てしまうほど繊細な能力であるのに、痛覚まで共有した状態でまともに発動できるわけがないと。

 

「それができている理由は念獣が自らを具現化する寄生型だからか。そもそも術者の種族が違うのだから人間との精神構造も異なるのかもしれないわね」

 

 逆にデメリットとしては常に具現化と再生能力が働いてしまう点が挙げられる。送り込むオーラの量を増やせば早く傷が回復し、減らせば遅れるという調整はある程度可能だが、再生能力は自動的に発動するため止めることはできない。

 

 普通の念獣のように出したり消したりできない。本体のオーラが枯渇しようと勝手に具現化してしまう。これは明確な弱点と言えるだろう。

 

「あんたの念獣の操作タイプは『遠隔操作型(リモート)』ね。このタイプは術者が近くにいて念獣にリアルタイムで命令を出すことができるから臨機応変で精密な操作ができる反面、活動範囲に大きな制限がある」

 

 術者と念獣の距離が遠ざかるほど操作が難しくなり、消費するオーラ量も激増する。普通の能力者ならそこで発動が維持できなくなるだけだが、私の場合は常に具現化されるという性質上、本体とシックスが分断させられるような状況に持ち込まれるのはまずい。

 

「放出系の技術を磨けば活動範囲も広がるでしょうけど、限界は当然あるからそこは注意しておきなさい」

 

 あと挙げられるデメリットとしては肉体が全く変化しないので筋力トレーニングなども意味がないところだろうか。おそらく歳を取ることもないだろう。いくらオーラで強化できると言っても、強化率の基本値は素体の筋肉量に依存するところが大きい。もっと筋肉をつけたかった。

 

「……え? なにそれ、当てつけ?」

 

 なんかビスケが怖い。笑ってるのに怖い。気に障るようなことを言っただろうか。

 

「あと気になったのはナインの体から出てる香りのオーラね。無自覚に発動しているようだけど、やっぱりコントロールはできないわけ?」

 

 この人によって感じ方の異なる臭気の能力については判明していない部分が多い。ビスケは洒落た香水のような匂いを感じるという。特にそれ以上の効果はないが、知らない者から見れば得体の知れない能力に見えるため、無用の警戒を生むといった点ではマイナスだ。絶をすれば抑え込めるが、常時絶をしているわけにもいかない。

 

 もう一つ、シックスに付随する能力として高速思考能力がある。これについては精神の内面的状態なので能力と言っていいのかわからないが、この思考力は本体由来のものではなくシックスの脳を通して使用可能となる機能なので能力の一つに含めることにした。これについてデメリットは特にない。使いすぎると頭が痛くなるくらいだ。

 

 以上がシックスに関する一連の能力となる。ごちゃごちゃと複数の能力があるが、寄生型念獣は継承者の代を重ねるごとに様々な死者の念が混ざり合うため不思議ではないとビスケは言った。

 

「寄生型ゆえの特徴があるけど、基本性能は『念人形』や『分身』と変わらないと思うわ。それ用の修行はするとして、それとはまた別に虫の体の方も鍛えないとね。術者がひ弱なままじゃ話にならないわ。四大行はどこまで使えるのかしら?」

 

 一応、虫本体も纏・絶・練・発の四大行は使えるようになっている。人間の体に近いシックスの方が念の習得に関して利があるのか、そちらの方が圧倒的に覚えが早い。どちらかと言うと、主に本体はシックスの感覚をフィードバックして念の使い方を習得している。

 

「発も使えるの? あんたこれまで師匠はいなかったって言ったわよね? まさか勢いだけで変な能力作ったりしてないでしょうね」

 

 自分なりに考えはしたが、自己流で作った能力に変わりはないためビスケの疑いをはっきりと否定できない。怒られることも想定して説明する。

 

 本体の得意系統は変化系。その発である『落陽の蜜(ストロベリージャム)』も変化系能力である。

 

 変化系はオーラの形状や性質を変化させる系統能力である。物質を形成する具現化系と似ているが、変化系の場合はもっと流動的でエネルギー的な状態変化を得意とする。だが、そう言われても最初はピンとこなかった。

 

 発を作る上で最も大切なことはインスピレーションとフィーリング。ただ作りたい能力を作ってもあまり成長できないため、自分に合った能力であることが望ましい。

 

 オーラを何に変化させるか。悩んだ末に思いついたのが、本体が吐き出す体液の性質だった。牙の毒腺から出る分泌液には強力な毒性がある。オーラにこの分泌液の性質を付加できないかと考えた。これなら自分自身の体に備わっているものであり、馴染みも深い。

 

 致死性の高い毒や意識を保ったまま肉体を動けなくする麻痺毒など牙の毒腺は数種類の毒を使い分けることができる。また、蟻酸も使えるためその強力な酸性液と併用すれば、化学火傷を負わせてその傷口から毒を体内へ送り込むことも可能である。凶悪極まりないコンボだ。

 

 と考えはしたものの、何種類ものオーラの性質を使い分けるなんて初心者にできるわけがない。毒性付与と言っても、後で良く考えたらそれは状態変化というより毒物を具現化しているような気がする。変化系だと言い張ったところで今の自分に使えそうもないことは事実だった。

 

 思考錯誤を繰り返し、特別な制約などをなるべく作らず応用の利く技をと考えた結果、私のオーラはある性質を帯びることになる。それはローション状の粘性だった。

 

 その元となった分泌液は、毒ではない。水によく溶け、一滴でも水中に落せばその周囲の水をぬるぬるの粘液溜まりにしてしまう。よくぬめり、かき混ぜると繭状に固まってまとわりつく。

 

 その性質をオーラに反映した能力が『落陽の蜜』であり、私が当初予想していた能力とはだいぶ違うものとなってしまった。

 

 だが、それでも全く使えないということはない。私も何とかこの能力を戦闘に応用できないかと色々試したのだ。このぬめりが良い感じに敵の攻撃をそらす役に立ってくれるはずだとビスケに力説する。

 

 すると、いきなりビスケがパンチを打ってきた。粘性オーラがその攻撃を滑らせ威力を多少減衰させたが、それでも結構なダメージを食らう。その上、足元に広がっていた粘性オーラのせいで踏ん張りが利かず、きりもみしながらすっ転んだ。

 

 足元のところだけオーラを消せばいいと思うかもしれないが、それが難しい。このオーラ、本体の体からどろどろと流れ出て地面の上に広がっていき、流出したオーラを自由に操作して動かすようなことはまだできそうにない。ピンポイントに狙ってそこだけ消すこともできない。

 

「技として発現できているだけ良かったじゃない。変化系も具現化系ほどではないけど発の習得には苦労する系統なのよ。使い方次第では化けそうだけど、今はまず基礎能力の訓練を徹底しましょうか」

 

 こうしてビスケとの修行の日々が始まった。

 

 

 * * *

 

 

「ほらほらー、どうしたー! 一回も持ちあがってないわよー」

 

「むぐぐぐ……!」

 

 修行としてナインに腕立て伏せをさせる。ビスケはその背中に腰かけていた。ナインは必死に息を荒げているが地面に這いつくばったまま体を起こすことができずにいる。と言うのも、念による強化を禁止しているからだ。

 

 ナインは細腕の筋力だけでビスケを背中に乗せたまま腕立てしなければならないというわけだ。ちなみに、ビスケの体は本来のゴリラモードを引き締め圧縮した状態であるため、体重も巨漢並み。持ちあがるわけがない。

 

「まあ、こんなことしてもあんたの体は筋トレ無効だから意味ないんだけど」

 

 ナインがじゃあなんでこんなことさせてんだと言いたそうな顔でビスケを見る。理由はその表情が見たかったからである。

 

 この少女の名はナイン。少し前まではシックスという名で動画配信などして活動していたらしい。特に名前にこだわりはないようで、ビスケはプレイヤー名として登録しているナインの呼び方を使っている。

 

 最初キルアが彼女を連れてきたとき、ビスケの第一印象は決して良いものではなかった。その可憐な容姿と小動物のようにオドオドした態度、それでいて服装は男を意識したようなメスガキファッション、さらに念能力を香水代わりに使う神経、全てが癪に障った。

 

 ビスケは自分の容姿にコンプレックスを持っていた。そうでなければ本来の姿を隠して少女に成りきることなんてしていない。強くなればなるほどにたくましく、屈強な肉体へと変貌していく自分と、それでもかわいくありたいと願う乙女心を捨てきれない自分。肉体圧縮改造術は、二つを両立するために編み出した苦肉の策だった。

 

 今ではどちらの容姿も自信をもって誇れると思っているが、それでもキルアを籠絡したナチュラルボーン美少女を前にして感情を逆なでされるところはあった。当然、修行をつけるつもりはなく、勝負事になれば手を抜けない性分のゴンをけしかければメスガキも自分から逃げていくだろうと思っていた。

 

 試合の様子を見て彼女に対する印象はがらりと変わった。強化系のゴンと正面から殴り合えるだけのオーラの顕在量は目を見張るものがあった。オーラの操作技術は初心者同然だったが、逆に言えば力押しだけで基礎修行を一通りこなしたゴンと互角に渡り合っていることになる。

 

 何よりも、戦いの中で見せたナインの強さを求めるひたむきな姿勢は評価に値した。決して怯むことなく、冷静に敵を分析し、最後まで諦めずに勝利条件を満たす。ゴンやキルアにも感じた宝石の原石のような才気があった。宝石のみならず、人材育成においても磨けば光るものに目がないビスケにとってナインを鍛えることに抵抗はなくなっていた。

 

 その後、ビスケはナインの正体を知ることになる。ネテロの死はビスケをもってしても受け入れがたいことだった。世話になった恩師の死と、その仇が自分の目の前にいるという状況に動揺がなかったわけではない。

 

 だが、その感情は恨みとはまた違った。ナインは不自然なほど何かに怯えていた。ビスケが最初に彼女を見たときからその違和感はあった。ゴンとの試合が始まってからはその怯えが消えていたので、一時的な感情の乱れかと思っていたが、災厄というワードを聞いた直後、再びナインは恐怖をあらわにしていた。

 

 そこにはビスケに対する恐れもあったが、根本的な恐怖心はナイン自身の力に向けられていることを見抜いていた。好んで災厄の力を振りかざしているわけではない。ならば敵対する以外の道を示すことができるのではないかと思った。

 

 ナインは誓いを立てて自身の力を封印した。ビスケが裏切らないという保証はどこにもない。多くの人間から命を狙われる彼女にとって、それは自身をさらに危うくする選択だっただろう。

 

 ビスケに言われるがまま、他人任せにできる決心ではない。ナイン自身が力を手放し、別の強さを学ぶ道を選んだのだ。誓約を立てたナインに対してビスケが約束を違え攻撃を仕掛けたとしても、彼女が自身の決断を後悔することはなかっただろう。

 

 それほどの覚悟を見せられては不義理を働く気も起きない。恩師の仇である少女だが、ビスケは弟子として受け入れることを決めた。

 

「あれから一週間経ったわね。ここまでの経過は順調過ぎるほどに順調よ。そろそろ次のステップに進もうかしら」

 

 修行メニューのベースはゴンやキルアに施したものと同じである。まずは基礎体力の強化とオーラの一体化感覚を鍛え、同時に凝による異常察知・情報収集の徹底と素早い状況判断の習慣化を身につけさせる。

 

 ナインの肉体は鍛えても基礎体力の上昇は見込めないので、オーラの制御力を高めるため瞑想修行を中心に行った。瞑想は修行の初歩中の初歩だが、これをおろそかにして大成はない。とにかく丁寧に、淀みなくオーラを体内で巡らせ、均質な纏を心がけるように指導した。

 

 虫本体の方は逆に体力強化をメインとした激しい運動を取らせた。肉体を酷使することは筋力トレーニングの効果はもちろん、オーラとの一体感を覚える上でも有効である。

 

 それでもたかが虫一匹の力をいくら鍛えたところで実戦においてどこまで役に立つものだろうかと最初は侮っていたところもあったが、本体の持つ能力はビスケの予想を遥かに上回っていた。

 

 まず牙に持つ毒液は生物相手に対しては単純に強力な攻撃手段となる。最たる特徴はその防御力だろう。堅の状態で、ビスケの硬の一撃を易々と堪え切った。

 

 オーラによる強化率は肉体の強度に大きく左右される。一般的に同程度のオーラ顕在量を持つ使い手同士なら、筋肉量の多い方が遥かに強化率が高い。人間同士を比べるなら体の鍛え方で差をつけられるが、その対象が虫となると一概に比較することは難しい。

 

 甲虫は外骨格として硬い装甲を持ち、その中に筋肉を有する構造をしている。生まれながらに鎧を着た状態と言っていい。ただでさえナインの本体は金属質で見るからに硬い材質の装甲で全身を覆われており、それがオーラによって強化されればどれほどの強度に達するか見当もつかなかった。

 

 物理的な攻撃ならオーラによる防御が間に合う限り、まずダメージが通ることはないと思われる。その代わり動きは緩慢だった。ゴキブリのようにカサカサ動きまわられても、それはそれで何か嫌だが。単体で行動させるのは隙が大きすぎるので、これまで通りナインに運ばせる方がいいだろう。

 

 修行を始める前の段階からゴンと戦って勝っていたのである程度わかっていたことだが、ナインは既に実戦に堪えうるだけの実力が備わっていた。念獣体は傷ついてもオーラで修復でき、虫本体は鉄壁の防御力を持つ。

 

 ビスケがそうナインに伝えると「まだこれじゃネテロに勝てない」という答えが返ってきた。当たり前だ。比較する対象が間違っている。

 

 しかし、これから先の鍛え方次第ではどうなるかわからない。念による戦闘についてほぼ何も知らない状態で既にこれだけの強さがある。どこまで成長を遂げるかビスケにも見通しは立たなかった。それだけに鍛え甲斐もある。

 

 ナインは真摯に修行に打ち込んだ。その集中力は尋常でなかった。先ほどのネテロに勝てない発言も、彼女にしてみれば伊達や酔狂で言ったことではない。本気でそれくらい強くならなければならないと思っている。

 

 いくら力を封印したと言っても、災厄の保有者という立場が変わるわけではない。底知れない強さと数の人間が敵として立ちはだかるかもしれない。それらに対抗しようという決意が並大抵であるはずがなかった。

 

 その覚悟は誓約としてナインの念能力を向上させていた。ナインは自分の力を封印するために誓約を使ったが、本来は自身にリスクを課すことで能力の性能を引き上げる手段である。これにより、念獣としてのナインの性能が大きく高まっている。

 

 瞑想によるオーラの制御はたった一週間のうちに見違えるほど上手くなった。戦闘においてもその効果は発揮されている。習い始めの念能力者がこの域に達するまで、普通なら数年を要するレベルだった。

 

 瞑想や筋トレと並行して、岩石地帯周辺のモンスターと戦わせる訓練も完了していた。本人が申告した高速思考能力もあってか、様々な行動パターンでプレイヤーを翻弄するように設定されたモンスターたちにしっかりと対処できている。肉体の反応を凌駕する認識速度だけはビスケも感心するほどに速かった。

 

「でも、次のステップはそう簡単にはいかないわよ。『堅』と『流』の特訓に入るからね」

 

 念による戦闘において全身の攻防力を高める『堅』は必須技術である。実質強化率の最大値を100としたとき、纏の状態では全身に10程度の攻防力しか発揮されない。纏と練の応用技である堅の状態ならば全身の攻防力を50まで引き上げることができる。

 

 白兵戦ではこの状態が基本となり、実戦を想定するなら数時間単位で堅を持続させる必要がある。たとえ平常時で何時間も堅ができたとしても、実戦ではあらゆる動作にオーラの消耗を強いられるため全力の堅を維持できる時間は数分に満たないこともある。

 

 堅を実戦で使えるレベルに鍛えるためには、まず持続時間を延ばす。その上で効率的にオーラを運用して消耗を減らし、同時に攻防力を最大限に活用する技術を体に覚えさせなければならない。それを可能とする攻防力の移動術が『流』だ。

 

 全身に50発揮されている攻防力を凝によって移動させ、特定部位の強化率を上げる。攻撃の瞬間や、防御の瞬間、必要な部位に必要なだけの強化率を素早く正確に移動させることが理想だが、実際の戦闘においてそれがどれだけ困難なことか言うまでもない。そのため流は念戦闘の基本にして奥義と言われている。

 

「少しはマシになったけど、あんたのオーラ制御はまだ大雑把過ぎる。強化のギアがぶっ壊れてるせいで出力は高いけど、精密性が犠牲になっているようね。正常な感覚を身につけないとその癖は治らないわよ」

 

 ナインは練の出力が安定せず、堅を持続することはできるものの練度や精度に大きな乱れが生じていた。本人いわく『肉体のリミッターを外す』ことにより、その出力の振れ幅は時に数倍にまで広がり、顕在量の限界を超えているのではないかと思わせるほどだった。

 

 異常強化の反動による肉体の崩壊を修復しながら練を発動し続けるなど常軌を逸した状態であり、消費するオーラも莫大な量になるはずだ。それをまかなっている虫本体は小さな体に膨大な量の潜在オーラを蓄えているものと思われる。

 

 しかし、その不安定な堅が戦闘において大きな負担になっていることは確かなようで、今のままでは格上相手には通用しない。持久力の問題もあるが、何より感情のままに変動するオーラは容易に次の一手を敵に教えてしまう。体内で自在にオーラを移動させる流の訓練は制御力を高める上でも重要である。

 

 それでも一度染みついてしまった癖を完全に取り払うことは難しい。流の訓練は相当に難航するものと思われた。しかし、この訓練を乗り越えたとき、ナインは計り知れない成長を遂げていることだろうとビスケは確信する。

 

 ナインのリミッター解除法は自身のオーラ顕在量を超えた強化率を発揮する強化系能力者の発に似ている。本人は基本技の応用程度にしか考えず常用しているが、その一撃は並みの使い手であれば必殺技に匹敵する威力があった。

 

 その攻防力移動を使いこなせるようになれば燃費の改善はもちろん、攻撃面においても防御面においても別格の強さを手に入れるはずだ。短期間のうちにできるだけ強くしてやる必要があるため、しばらくはビスケも指導にかかりっきりになる。ゲームの攻略に参加する時間はないかもしれない。

 

 残念に思う気持ちはあるが、この指導に嫌気が差すようなことはない。ゴンやキルアの指導を無償で買って出たように、ビスケは自分の気に入った人間に世話を焼きたがるところがある。どこまでナインが強くなるか、見届けたいという気持ちも少なからずあった。

 

「まあでも、流の訓練は明日からにしましょう。今日はもう日が暮れてるし、別の修行にしておくわ。ついて来なさい」

 

 ここまでわずかな睡眠時間(多くは気絶状態)以外はぶっ続けで修行を敢行している。ナインが率先して鍛錬に打ち込み、ビスケも無理にならない範囲でそれを認めていた。修行の第一段階はクリアしたことだし、ここらで少し労をねぎらうかとビスケは考えていた。

 

 ビスケが案内した場所はとある岩場の陰だった。崖の下の大岩を転がすと、その奥に横穴が現れる。ナインを連れてその穴の中へと入って行く。

 

 横穴の突き当たりの岩壁にドアが嵌めこまれていた。ビスケが鍵を開けてドアをくぐる。その先の空間にはアパートのワンルームくらいの広さがあった。床には厚手の絨毯が敷かれ、ベッドやタンス、クローゼット、ソファなどの家具一式が置かれている。壁には数個のキノコ型照明が設置され、淡く発光していた。

 

 ここはゴンやキルアに内緒でビスケが制作していたプライベートルームだった。二人が寝ている間に岩壁を掘り進み、魔法都市マサドラのデパートで購入した日用雑貨やインテリアなどを運び込んでいた。商品は全てカードの形で販売されているため、目立たず簡単に持ち込める。

 

 ゴンやキルアが修行に四苦八苦している最中、ビスケはちゃっかりこの部屋で束の間のリラクゼーションタイムを満喫していたのだ。弟子が苦労するのは当然であり、師匠がそれに四六時中付き合わなければならない道理はない。

 

「服を脱ぎなさい」

 

 キョロキョロと部屋の中を眺めていたナインはビスケの命令の通りに従った。Tシャツを脱ぎ、ホットパンツのベルトを外し、下着まで何のためらいもなく脱ぎ去って全裸になる。

 

 かしこまるナインに対してビスケは楽にしていいと言ったが、正座でその場に待機している。脱いだ服はきちんと畳んで横に置いている。まるで三つ指をついてお辞儀をしそうなほど型にはまった正座だった。

 

 そしてナインに続き、ビスケも服を脱いでいく。

 

「!」

 

 それまで微動だにしなかったナインが急に立ち上がり、部屋の外へ出ようとした。脱衣し終えたビスケがそれを引きとめる。

 

「ちょい待ち。誰が逃げていいっつった?」

 

 ナインは部屋の奥へと引きずられていく。そこには狭い別室が作られており、バスタブが設置されていた。

 

 ビスケの目的はナインを風呂に入れることだった。修行を始めてから一週間、ナインは一度も入浴していない。それほどの過密スケジュールだったし、本人が必要としていなかった。汗や皮脂といった老廃物はオーラに還元されるナインの体質については聞いていた。

 

 だが、どちらかと言えばナインよりもビスケの方が納得していなかった。ゴンやキルアについては男子だからそこまで気遣うこともなかったが、それでも水浴びくらいはさせていた。風呂に入るという習慣すらないナインに対し、女子として許せない気持ちが少しずつ溜まっていたのだ。

 

「いくらあんたがよくても、やっぱりあたしの精神衛生上よくないわ。たとえガワだけ美少女だろうと最低限の身だしなみくらい気を使いなさいな。服や下着は今度マサドラに行ったときに着替えを買ってあげるから、とりあえず今日はお風呂に入って土埃の汚れだけでも落しなさい」

 

 それはわかったが、ではなぜビスケまで一緒に裸になっているのかとナインが必死に目をつむりながら疑問を呈する。それには理由があった。

 

 ビスケは念能力を発動し、一体の念人形を具現化した。彼女の能力『魔法美容師(まじかるエステ)』によって生み出されたエステティシャン『クッキィちゃん』が行うマッサージは高い美容健康効果を持つ。

 

 そしてオーラを特殊なローション状に変化させた美容液は若返り・美肌効果をもたらす。今回、用があるのはこの美容液である。

 

「いくわさ……んぬわっしゃあああああああい!!」

 

 乙女にあるまじき気合の掛け声とともに、クッキィちゃんの手から泉のごとくローションオーラが湧き出し、バスタブを満たしていく。疲労回復効果抜群のローション風呂の完成である。

 

「これ疲れるから滅多に使わないんだからね。感謝しなさいよ。じゃあ、入りましょうか」

 

 一緒に。

 

 ナインはビクリと体を震わせると、手で顔を覆い隠したままイヤイヤと首を横に振る。修行の時は血反吐を吐こうが顔面を潰されようが勇ましく立ち上がる姿が嘘のような情けなさである。

 

 ナインはその見た目に騙されがちだが、蟻としての性別はオスと判明している。その生態上、人間の女性に対しても複雑な感情を抱いてしまうらしくエロ耐性が壊滅的になかった。

 

「さっさとしなさい。まさかここまできて別々に入るなんて贅沢なこと言わないわよね?」

 

 風呂なんていらない、もう帰ると言い始めたナインを取り押さえてローション風呂へと沈めた。ビスケも同時に湯船に飛びこむ。本体は別に用意した洗面器の中に突っ込んでいる。疲労回復効果については本体に入浴してもらわなければ意味がない。

 

 バスタブの大きさは一人用であり、小柄な少女たちとはいえ一緒に入れば必然的に体が触れ合う。心地よい温度に温められたローションが二人の体に絡みつく。たまらず外に飛び出そうとするナインの行動を読んでいたビスケは、おとなしくしろと一喝する。

 

「これも修行のうちなのだわさ! あんた異性に対する免疫がなさすぎるのよ! この程度のことで平静を保てないようじゃ、いくら強くなっても足元すくわれるわよ!」

 

 そう、これも全てナインのためを思ってのことだった。決して過剰反応するナインにドS心を刺激され、おもしろがっているだなんてそんな気持ちは全体の4割くらいしかない。

 

 修行と聞かされ、ナインは動きを止めた。それまで閉じていた目を懸命に見開き、この苦境を乗り越えようとする努力がうかがえる。まるでオークに捕えられた女騎士のような表情、しかもまだ何もしてないのに既に陥落寸前。人前ではとても見せられない、薄い本が辞書並みに厚くなりそうな顔つきになっていた。

 

「良い子ね……今夜は可愛がってあげるわ」

 

 ナインの表情に、もしかしてこれはやり過ぎたのではないかと今さらになって思い始めたビスケだが、ここで自分から中止を申し出るのは何か女として負けた気がするので退くに退けない状態になっていた。普段のビスケならこんなセリフを吐くキャラでもなく「何言ってんだあたしは」と思う恥ずかしさから、少しばかり自分の頬にも赤みが差していることには気づいていない。

 

 そしてナインの場合は赤みなどという表現では到底足りないほどに茹であがっていた。蠱惑的な笑みを浮かべながら、ただでさえ近い距離をさらに詰めて来るビスケに対し、頭から湯気が出そうな沸騰していく。そして限界に達した湯沸かし器は、

 

「……にゃ……」

 

「にゃ?」

 

「んにゃあああああああ!!」

 

 爆発した。まるでシャンプーを嫌がる犬のように暴れ出すナイン。その湯船を破壊しそうな勢いにさすがのビスケも焦り、がっちりホールドして抑え込んだ。

 

「逃げんじゃねーよ!」

 

「ごぼぼっ! おぼべぶっ! おぼぶぶっ!」

 

 このあと滅茶苦茶クッキィちゃんがマッサージしてナインは癒された(瀕死)。

 

 


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