カーマインアームズ   作:放出系能力者

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70話

 

 ヒソカがアウトとなり、これでこちらの内野選手は4人となった。ヒソカは両手の指を負傷してしまったため、正面から敵チームのボールをキャッチすることはもう無理だろう。

 

「どうする……誰が投げる……?」

 

 現在ボールは私たちが持っているが、気安く投げられるものではない。生半可な威力のボールではレイザーはおろか、念人形の№27にさえ止められてしまうだろう。

 

 ドッジボールのセオリーに立ち返って、外野と連携して敵を翻弄する作戦も考えてみたが、今のところ私たちの外野にいるのはゴンとヒソカの2人だけだ。どちらもダメージは色濃く残っており、やはり敵チームと渡り合えるとは思えない。

 

「この中で一番速い球を投げられるのは……ナインでしょうね。あんたが投げなさい」

 

「大丈夫なのか?」

 

 ツェズゲラが不安そうにしているが、ビスケの案を強く否定することはなかった。それ以外の代案を持ち合わせていない様子だ。彼も自分の投球がレイザーに届くとは思えないのだろう。

 

 私だってそうだ。ヒソカのボールですら対処されてしまったというのに、それ以上の攻撃ができる自信はない。

 

 リミッターを解除すれば球速は上がるが、繊細なオーラ制御は難しくなる。一度目の投球のように、投げる瞬間オーラを変化させて即座にボールをぬめらせることは難しい。あらかじめぬめらせてしまうと私自身が投げにくくなってしまうので、全力を出すなら小細工なしの真っ向勝負になる。

 

 だが、臆してばかりもいられないか。誰かが投げなければ試合は前に進まない。覚悟を決め、精神を集中する。

 

「バック!」

 

 しかし、そこで声が上がった。ゴンがバックを宣言し、内野に戻ってくる。まだ万全の体調とは言えないが、外野で休んでいたためプレーに支障がない程度には回復しているようだ。

 

 外野を0人の状態にするわけにはいかないのでこれまでバックを我慢していたようだが(その状態で外野にボールが入ると敵チームのボールとなる)、ヒソカが外野に来たので後を任せてバックを使ったようだ。

 

「オレに考えがある。キルア、ボールを持ってそこに立ってくれない?」

 

 だが、ゴンは何の策もなしに戻ってきたわけではないようだった。私はキルアにボールを渡し、キルアがゴンの指示に従ってボールを持ち構える。

 

「いくぞ……最初はグー!」

 

 この技は。ゴンの体にオーラがみなぎった。強化系特有の一時的にオーラ顕在量を増幅させる必殺技だ。発動にはタメを必要とするらしく、実戦では使いどころを選ぶ能力だが、それが制約として効果を大きく高めている。

 

「ジャンケン――!」

 

 そして、この状況においては時間を気にする必要はない。好きなだけ集中することができる。後はキルアが持つボールに渾身の一撃を叩きこめばいい。

 

「グー!!」

 

 凄まじいスピードでボールが発射される。その速度はレイザーの投球に勝るとも劣らなかった。一直線に弾き飛ばされたボールが向かう先には、№27の姿があった。

 

「ギッ!」

 

 けたたましい衝突音が響く。しかし、その衝撃を念人形は受け止めた。威力を完全に殺すことはできず、キャッチしたボールの勢いに押されて後退しているが、体勢は崩していない。しっかりと地に着いた両足は煙を上げながら床にブレーキ痕を残している。

 

 この威力でも敵わないのかと思ったそのとき、№27の背後から強烈な殺気が噴きあがった。外野にいたヒソカが№27に向けて殺気を放ったのだ。

 

 攻撃をせず、殺気を出すだけならばルール違反ではないだろう。それがただの威圧であれば念人形は気にも留めなかったかもしれない。だが、ヒソカの殺気はまさに殺しにかかる寸前の迫力を伴っていた。実際に多くの命を殺め、死に慣れ親しんだ者でなければ到底放つことのできない凄味がある。

 

 №27は背後の気配に意識を割いてしまった。無視することが最善であるはずが、脅威に対して自動的に反応してしまう自動操作型念獣のメリットは、この場においては不都合だった。捕球への集中が散漫になる。

 

 何事もなければキャッチできたはずのゴンの投球を、№27は確かに受け止めることができた。しかし、その体は完全に内野のラインから外へと出ていた。

 

『エリア外に触れた状態での捕球は反則無効です。№27選手アウト!』

 

「よっしゃあ!」

 

 窮地を抜けだし、一気に逆転する。もう敵チームはバックを使えない。これで正真正銘、残す敵はレイザー1人だ。実質的に選手6人分のアウトを一度に奪う快挙を成し遂げたゴンは、しかしその功績に反して納得がいかない様子だった。

 

「ダメだ、あんなのじゃまだレイザーに勝てない」

 

 ゴンの眼中にある敵はレイザーただ一人であるらしい。次はもっと威力を込めると言う。つまり、先ほどの攻撃が全力ではなかったということだ。これならばレイザーを仕留めることも不可能ではないかもしれない。

 

『では、ゴンチームの内野ボールから試合再開です』

 

 敵は捕球に失敗してエリア外に出てしまったので、攻撃権はこちらに移る。もう一度、ゴンが必殺技を使う構えを見せた。先ほどと同じようにキルアがボールを持つ。しかし、私はそれを止めに入った。

 

「ナイン、どうした?」

 

 ゴンが放つ必殺技の威力はかなりのものだ。それだけのパワーがなければレイザーに通用しないことはわかる。だが、何の代償もなく使える技ではなかった。ゴンのオーラの消耗はもちろんのこと、その余波はキルアにまで及んでいる。

 

「ナインの言う通りだ。キルア、やせ我慢はよせ。ボールを支える役目を果たすお前の手は、大砲の砲身のようなもの。たった一撃でもゴンの攻撃の余波により大きなダメージを受けたはずだ」

 

 ツェズゲラも気づいていたらしい。しかも、キルアはゴンの攻撃の威力を減衰させないように、自分の手をオーラで保護していなかった。余計な外力を少しでも減らすためだろうが、このまま二度三度と同じことを繰り返せばキルアの手は使い物にならなくなるほど負傷することだろう。

 

「ボールを持つ役目はオレが代わろう。オレならば超高速の攻防力移動術によってゴンがボールを撃ち出す瞬間に両手をガードすることができる」

 

「いーよ、別に。このくらい何でもないって」

 

「必要のない負傷をする意味はないと言っているんだ。何を意固地になっているのか知らんが、確実な勝利を目指すのであれば……」

 

「ツェズゲラさん、この役目はキルアじゃないとダメなんだ」

 

 ツェズゲラがキルアの代わりを申し出たが、その提案をキルアとゴンの両者が否定した。キルアが申し出を断る理由はまだわからなくもないが、まさかゴンまで同じ意見だとは思わなかった。キルアが自分のせいで負傷していることはわかっているはず。キルアのことを考えるなら、ツェズゲラに任せた方が良いに決まっている。

 

「思いっきり、球を撃つことだけに集中できるのは、キルアが持ってくれているからなんだ」

 

 他の誰かに代わってしまえば全力を出せない、そのゴンの言葉はキルアへの全幅の信頼を表していた。念は精神状態が結果に大きく影響する。誰が球を持つかというそれだけのことでも発揮される力に違いが出てもおかしくない。

 

 怪我をさせることがわかっていてなお、ゴンはキルアを選んだ。見方によっては自分勝手とも思える考え方だが、それが二人の絆の形なのだろう。キルアはむしろゴンの言葉を受け、やる気を出したように見えた。

 

 ツェズゲラが何も言わなければシックスが代わりになるつもりだったのだが、ゴンとキルアの仲に割り込む余地はなさそうだ。シックスの手ならいくらでも壊してもらって構わなかったのだが。ならば、せめて少しでも怪我を減らすサポートをしておこう。

 

 キルアの手に『落陽の蜜』を塗る。ぬめるオーラで手を保護しつつ、摩擦を減らす潤滑剤にもなるので球の速度を殺すことはない。ボール自体をぬめらせているわけではないのでコントロールに影響は出ないだろう。ゴンの攻撃の威力の前では完全にダメージを抑え込むことはできないだろうが、何もしないよりマシになったはずだ。

 

「ありがとな、ナイン! よーし、もういっちょいくぞ、ゴン! 今度こそレイザーにぶちかましてやれ!」

 

「うん!」

 

 ゴンが静かに目を閉じ、気を練り始める。レイザーを倒すため、より強く、より速い球を撃つ。その執念がオーラに表れたかのようだった。

 

「おい、レイザー! まさかビビッて球を避けようだなんて腑抜けたことするつもりはねーよな?」

 

 キルアが挑発する。馬鹿にしたような口調だが、実際避けられると不利になるのはこちらの方だ。私たちがレイザーの攻撃をなんとか回避できたように、レイザーもゴンの攻撃を避けるだけなら可能だろう。それをされるとゴンがオーラをごっそり消耗しただけで終わってしまう。これだけの威力、何度も撃てるものではない。

 

「冗談だろ? ちゃんと受けてやるよ」

 

 しかし、レイザーはゴンのオーラを見てもまだ不敵な笑みを絶やさなかった。揺るぎない自信を感じさせる。一抹の不安がよぎるが、ここはゴンを信じよう。

 

「これで終わりだ、レイザー! 最初はグー! ジャンケン、グー!!」

 

 砲撃に等しい威力をもったボールが撃ち出された。先ほどの不安を払拭させるほどのオーラが込められている。№27を倒したボールよりも遥かに強い。たとえレイザーだろうとこれを受けて無傷では済まないはずだと確信する。

 

 それに対し、レイザーは構えを変えた。大きく脚を開き、体の前で両腕をV字の形に組む。どう見てもボールを捕ろうとする体勢ではない、あれはまさか。

 

「バレーのレシーブ!?」

 

 レイザーは腕でボールを受けると、素早く身を後方に引き、空中で回転して威力を殺した。跳ね上がったボールはわずか数メートルの高さで静止している。レイザーの身長とほぼ変わりない高さだ。レシーブだけで威力のほとんどを相殺してしまった。

 

「いつもより調子がいいな。久々に良い勝負ができたおかげか、勘が冴えわたってるぜ。うまいもんだろ?」

 

 自画自賛するだけのことはある。単純にパワーがあればできる技ではない。刹那の狂いも許されない力のコントロールを要しただろう。『避ける』と『捕る』という二つしかないと思われた選択肢を覆すまさかのレシーブ。くそ、ドッジボールやれよ。

 

「すっげぇ……!」

 

 ゴンは敵の技に素直な感嘆を見せた。落下したボールがレイザーの手に渡る。奴が投げればアウトか負傷者のどちらかが出る、そんな考えたくもない想像が浮かんでしまう。

 

「正直、ここまで善戦してくるとは思わなかった。お前たちの健闘を讃え、オレも相応の敬意を見せよう」

 

 そう言うとレイザーがパチンと指を一つ鳴らした。すると、外野にいた№27の体が崩れ、オーラとなってレイザーの体に戻っていく。分散していたオーラを自分自身に戻したのだ。敵の外野には№1だけが残った。

 

 一体だけでも脅威だった№27の力がレイザーと融合する。それがどれほど恐ろしいことか想像もできない。だが、『死』という結果だけは容易に思い描くことができた。そんなことをさせるわけにはいかない。

 

 シックスを前に出す。レイザーに向けて、かかってこいと指を曲げ挑発のジェスチャーを送った。

 

「なるほど、ご所望なら応えよう。遅かれ早かれどうせ全員、アウトになってもらわないといけないからな。まずはお前だ」

 

 レイザーがシックスの位置を見定め、オーラをボールへと集めていく。大気を震わすオーラの波動がボールの一点に収束していく。見ただけで息苦しくなるほどの力が渦巻いている。

 

「オレはお前たちのボールを受けた。お前も受け止めてくれるよな?」

 

「ば、馬鹿か! そんなもの当たれば確実に死ぬ! 避けるに決まっているだろう!」

 

 ツェズゲラが叫ぶが、言われるまでもなく最初から私は受け止める気だ。避けたところで外野に流れたボールは再びレイザーの手に戻る。その悪循環を断ち切るためには誰かが止めなければならない。

 

 ビスケもゴンも何となく私の意図をわかっている様子だが、止めに入ることはなかった。キルアは複雑そうな表情をしているが、やはり何も言わない。シックスはちょっとやそっとのことで死にはしないのだから、こういう時に体を張るべきだ。

 

 それを皆がわかった上で、この土壇場を任せてくれたのだと捉える。ならばその期待に応えてレイザーの球を止め、ゴンたちに渡すだけだ。ダメだったときは、そのときだ。

 

「いくぞ」

 

 レイザーがふわりとボールを宙に投げる。いつものスパイクだ。しかし、その威力はこれまでと比較にならない。おそらく、ほぼ全力。念獣を具現化していた分のエネルギーも上乗せされた途轍もない強打がボールを撃ち出した。

 

 その破壊力は見ただけで壮絶なものだとわかる。平凡なレベルのGIプレイヤーが相手なら、一撃で数十人を屠るだろう。もはや殺戮兵器の域に達したボールが瞬く間にシックスへと迫り、直撃する。

 

 腕の中に受け止めたボールは、上半身ごともぎ取られそうな勢いを持っていた。ただの身体強化だけでは実際にそうなっていた恐れもある。シックスは胸の前に『ジャムブロック』を作り出し、衝突のエネルギーを緩和していた。

 

 『落陽の蜜』の粘度を高め、より固形化させたオーラの形態である。強固な粘り気で敵を拘束するこの能力は、ボールを捕えた上で威力を和らげるクッションとしても機能する。さらに足を床に固定するためにも『ジャムブロック』を使っている。これならば吹き飛ばされることもない。

 

 だが、ボールの威力は私の想定を超えていた。こうして抑え込んでいるにもかかわらず、直進しようとする力は衰えない。さらに猛烈なスピンが摩擦によりジャムブロックを蒸発させ、腕の中から抜けだそうと暴れ回る。

 

「うおおおおおおお!!」

 

 私はジャムブロックを何重にも重ねがけしてボールを逃がさないように抱き止めた。肋骨が砕け、肺に突き刺さり、喉をせり上がってくる血を飲み込みながら猛攻を耐え忍ぶ。ボールを腕の中で握りつぶさんばかりの圧力を加え、抑えつけた。そのせいで心臓がグシャッといったが気合で乗り切る。

 

 その甲斐あってか、ようやくボールの勢いに陰りがみられた。ゆっくりとだが、威力が落ちていくのがわかる。この調子なら止められる、そう思ったとき足元からミシミシと嫌な音が鳴り始めた。

 

 オーラで固定していた足が床ごと引き剥がされそうになっている。床の強度まで頭が回っていなかった。このままでは床が壊れ、ボールごと体がコートから飛び出てしまう。そうなればアウトにされた上にボールまで奪われることになる。

 

 ボールの威力は初撃に比べてかなり落ちている。これなら内野の誰かに何とかキャッチしてもらえるかもしれない。してもらうしかなかった。ビスケにアイコンタクトを送る。彼女はすぐさま、うなずき返した。

 

 『ジャムブロック』を解除し、全力でボールを突き放した。その反動でシックスは勢いよく後方に吹っ飛ばされる。ボールは何とか跳ね返したが、どの程度の威力でどの方向に飛ばすかなど調整する余裕はなかった。

 

 シックスが競技館の壁に激突する。一瞬飛びかけた意識を何とか保ち、パラパラと崩れ落ちるコンクリート片の中から起き上がる。

 

「いたたた……まったく師匠に尻ぬぐいさせるなんて、とんでもない弟子だわさ」

 

 コートのそばのベンチに置いていた本体の目を通して自チームの様子を確認した。そこにはボールを手にしっかりと持つビスケの姿があった。キャッチするとき手を怪我したのか、手袋が破れて少し血が流れているようだったが、それ以上の大きな怪我はない。ほっと胸をなでおろす。

 

「オレの本気の一撃が止められるとはな……」

 

 若干ショックを受けている様子のレイザーにちょっとだけ溜飲が下がる。試合的にはこちらが押していたが終始余裕の態度だったレイザーに、今のでようやく一矢報いたような気がしていた。

 

「だが、今の攻撃を受けて無事では済まなかっただろう。命を賭してまで逃げなかった覚悟は評価するが、素直に避けていれば大怪我せずに済んだものを」

 

「うちのナインを舐めないでほしいわね。あんたの攻撃くらいでくたばるようなタマじゃないわさ」

 

「何? それはどういう意味……」

 

 シックスがコートへと歩いて戻る。ボールを受け止めた胸部は先ほどまでひどい損傷があったが、既に修復済みだ。無傷で堪え切ったことに疑問を持たれるのではないかと思ったが、逆にそれが得体の知れなさを醸し出してプレッシャーになるかもしれない。

 

「なにっ……!?」

 

 こちらの思惑通り、レイザーを含め全員の視線が集まった。ここはあえて多くを語らず威風堂々と、完治した胸部を見せつけるように――さらけ出す。

 

 真っ先に反応を示したのはキルアだった。顔を真っ赤にして恐ろしいスピードで駆け寄ってくる。

 

「このバカっ! もーバカっ! アホ! 丸見えじゃねーか!」

 

 そして私の後ろに回り込むと胸を隠すように両手を回してきた。その態度から察するに、胸を露出させたことを咎めているものと思われる。

 

 シックスの肉体はオーラで修復できるが、着ている服まで元に戻すことはできない。ビスケに買ってもらった『女拳法家の服』は胸元が思いっきり破れている状態だった。

 

 しかし、あれだけの攻撃を受け止めたのだから服の一枚や二枚破れるのは仕方がない。別にわいせつな目的で露出したわけではないことはわかるだろうに、そこまで慌てるほどのことか。

 

 まぁ、もし私の前に胸をあられもなく露出させた女性が現れるようなことがあれば取り乱しただろうが、それは虫と人間の精神が混ざり合った私の特殊な精神構造が生み出した異常な反応であり、普通の人間はこんな少女の未発達な胸を見ても特に何も思わないはずだ。

 

 だが、不快に思われるようなら隠した方がいいか。シックスはポケットから絆創膏を取り出して乳首の上から貼り付けた。よし。

 

「よしじゃねーよ!」

 

 スパーンと小気味よく頭を叩かれる。

 

「つか、何でそんなもん持ってんだよ!?」

 

 これはビスケに言われて購入したものだ。最初はこれを乳首に貼れと言われてからかわれているのかと思ったが、どうやら絆創膏は下着としても使われることがあるらしい。

 

 胸部を保護する女性用下着としては一般的とは言えないが、ブラジャーのように上体の動きを多少なり拘束する補正具に比べ、絆創膏はそのような心配がない。乳房が大きい場合はブラジャーを着用するべきだろうが、シックスの平坦な胸なら絆創膏だけで何の問題もなかった。

 

 これはアスリートのように身体的パフォーマンスを求められる活動をしている者にとっては常識であるらしい。

 

「おうゴラァ! なにふざけたこと教え込んでんだ、このババァ!」

 

「だってこの子、何でも疑わずに信じこんじゃうから、つい……」

 

 何だかよくわからないが、結局貸してもらったタオルを胸に巻いて隠すことになった。こんなもの激しい運動をすればすぐに外れてしまいそうな気もするが、キルアが絶対に隠せと言って聞かなかった。ちょっと電気が漏れるくらい本気で脅された。

 

「さあ、試合再開だ! ここからはシリアスモードだぜ! みんな、さっきまでの空気は引きずるなよ! 気を引き締めろ!」

 

 キルア以外のメンバーは既に臨戦態勢を整えている。ボールは何とか奪取できたが、レイザーからアウトを取るという最後の難関が残されていた。

 

 こちらの攻撃の要はゴンだ。しかしその消耗は大きく、ゴンは流れるほど大量の汗をかき、呼吸も乱れていた。必殺技を撃てる回数は多く見積もっても後2回くらいが限度だろう。

 

 いや、レイザー相手に力を小出しにしたところで意味がない。全力の一撃に賭けるしかなく、攻撃のチャンスは後1回きりだと思った方がいい。これを逃せば勝算は一気に低くなる。

 

 ゴンの攻撃はレイザーと比べても遜色ない威力があるが、レイザーはそれを止めるレシーブという手立てがある。あの神業レシーブを攻略できなければさっきの二の舞で終わってしまう。

 

「大丈夫、次こそレイザーに勝つ。もっと強く、あいつに届く球を……!」

 

 ゴンの練り上げるオーラは一度目よりも二度目、二度目よりも三度目と力強さを増していた。それは最初の攻撃のとき手を抜いていたからではない。この戦いの中で、見違えるほどに成長しているのだ。

 

 心の底から勝利を目指す執念がなければたどり着けない境地である。己の全身全霊をもってレイザーを倒そうとしている。ならば、私も同じチームの一員として同じ覚悟を持つべきだろう。

 

 シックスはセンターラインの近くでしゃがみこみ、床に手をついた。そこから『落陽の蜜』を放出し、敵のコートへと床伝いに這わせていく。

 

 コートをぬめるオーラで覆い尽くすことにより、敵の行動を封じこむ。このぬめり気の上では滑らないように歩くだけでも困難だ。ましてゴンのボールをレシーブで受け止めるなんて一分の狂いも許されない繊細な動作ができるはずもない。

 

 この作戦は試合が始まる前から考えていた。しかし、実行できない理由があった。『落陽の蜜』は私の本体である虫の体に発現した能力であり、本来は念獣であるシックスが使うことはできないのだ。

 

 だが、シックスの肉体は本体から供給されるオーラによって形成されている。そのつながりを強引に利用してシックスに能力を使わせることもできたが、それには多大なオーラを消費してしまう。少量を作り出す程度なら何とかなるが、敵のコート全面をオーラで覆い尽くし、その状態を維持し続けるとなるとさすがに無理だった。

 

 本体を一緒に試合に持ち込めたのなら簡単にできただろうが、念で具現化された以外の道具は携帯が認められていない。シックスは具現化された存在なので本体を選手扱いにすればルール上は問題なかったかもしれないが、そこまで情報を明かしたくはない。

 

 つまり、これは実現不可能だと諦めていた作戦だった。その考えを今に至り覆す気になったのは、ゴンの本気を見たからだ。一度目の球は辛くも№27を倒したが、レイザーに通用する威力ではなかった。そして、二度目は完膚なきまでに防がれた。そこで心が折れたとしても何もおかしくない。レイザーには勝てないのだと諦めたのだとしても責めることはできない。

 

 だが、ゴンの精神は少しもくじけることはなかった。むしろ敵の強さを称賛し、自らを鼓舞してみせたほどだ。無理だと断ずる前に、やれることをやる。私もそうしてみたくなった。

 

 急激にシックスの体内からオーラが抜け出ていく。まるで穴の空いたバケツから流れ出すように失われていくオーラと比して、生み出された粘液は1メートル四方の範囲にも満たなかった。目標に達するには気が遠くなるほどのオーラを消耗することだろう。構わず、本体からオーラを徴収していく。

 

 レイザーに逃げ場を残すわけにはいかない。少しでも足場が残ればレシーブは可能である。粘液は作り出すだけでなく形を維持し続けるだけでもオーラを使う。もって数分、いや数十秒と言ったところか。それでも何とかゴンの攻撃に合わせてみせよう。私は力を振り絞る。

 

 そのとき、競技館の入り口から騒がしい声が聞こえてきた。数人の人影が入ってくる。ツェズゲラ組のプレイヤー3人と、それに肩を貸される形で歩くゴレイヌの姿だった。

 

「なんだこの状況……敵の内野はレイザー1人だってのに、こっちの内野選手は1、2、3……5人もいるぞ!?」

 

「あのレイザー相手にここまで戦い抜いたのか!」

 

「ツェズゲラも残ってるな。まぁ、当然か」

 

 ゴレイヌはボールが当たった腹部をかばい、覚束ない足取りだったが、命に別条はなさそうだ。無事、とまでは言えないが、怪我をおしてまで試合を見に来てくれたのだろう。

 

 これでメンバーは全員そろった。後は意地を見せるだけだ。全力でオーラを吐き出し『落陽の蜜』を敵陣へ送り込む。目がかすみ、意識が朦朧としていく。もはや立ち上がることもままならないほどの疲労感がのしかかってくる。それでも能力の発動を止めなかった。

 

「脱帽だな」

 

 ついに敵コートの全面が粘液で覆われた。少しでも足を動かせば、ぬめり気の餌食となるだろう。レイザーの靴の裏にまで粘液は染み込んでいる。これでレシーブは封じこんだ。

 

 ゴンは精神を極限まで集中させ、攻撃の用意を整えていた。そのオーラの波動はまさに怪物。尋常ならざる力を見せつける。最大威力の攻撃が撃ち出されるであろうことは言うまでもなかった。

 

 さらに外野ではヒソカがゴムの膜を準備して構えていた。もしレイザーが回避を選び、ゴンの球をかわしたとしても即座にヒソカがゴムの膜で受け止め、レイザーに向けて跳ね返す作戦か。ぬめり気の上で滑り転んだレイザーに回避するすべはない。

 

 ヒソカが自分の手を隠す様子を見せないのはレイザーを威圧するためだろう。レイザーの敵は正面だけではなく背後にも控えている。当然、奴はその全ての状況に対応する必要を迫られる。

 

 八方塞がりだ。もはやレイザーに打つ手はない。そのはずだ。

 

「どうしたゴン、お前の本気はそんなものか?」

 

 なのに、その余裕はどこから来る。どう考えてもこの布陣を乗り切る方法はない。それとも、まだこの強敵は切り札を隠し持っているとでも言うのか。力が抜けそうになる体に喝を入れ、途切れそうな意識をつなぎとめる。まだ『落陽の蜜』を解除するわけにはいかない。

 

「レ、イ、ザァァァァアアアアアアア!! さいしょは――!」

 

 掛け声と共にゴンのオーラが右の拳に凝縮されていく。一方、レイザーは回避ではなくボールを受け止める体勢を作る。無駄だ。たとえ『硬』を使ったとしてもこの威力は殺しきれない。無事に捕球できたところで場外へ押し出されるだけだ。

 

「ジャンケン……グー!!」

 

 最後の一撃が飛ぶ。攻撃を撃ち放つと同時にゴンは体勢を崩した。力を使い果たして気絶したのだ。それだけの威力が乗った一撃、受け止められるわけがない。

 

 だが私の目は、ゴンがボールを撃ち出すのと同時にレイザーの手からも何かが撃ち出される光景を捉えていた。それは『念弾』だ。放出系能力者がよく使う攻撃手段であり、遠距離攻撃を可能とする点は便利だが、よほど優れた使い手でもない限り大した威力を込められるものではない。

 

 では、レイザーの場合はどうか。その念弾には一流の使い手が放つにふさわしい力があった。ボール大の大きさの念弾がレイザーの手から発射され、ゴンが撃ち出したボールに当たる。

 

 二つの砲弾は衝突し、互いのオーラがフレアのように輝き飛散する。ぶつかり合った両者の戦いは勝負にもならかった。いかに強力なオーラが込められていようと、ゴンの硬の一撃を念弾一発では覆せない。

 

 だが、レイザーの念弾は一発で終わりではなかった。同じ威力の弾が立て続けに発射され、ゴンのボールにぶつかっていく。全ての念弾が弾き飛ばされ、競技館のそこかしこに破壊の爪痕を残していく。

 

 そのうちの一発がシックスに向かって飛んできた。

 

 予想もしていなかった流れ弾を前に体が動かない。普段の私なら回避なり防御なりできただろうが、今は『落陽の蜜』の発動に手いっぱいで一歩も動けない状態だ。

 

 ここで流れ弾に当たれば限界まで酷使しているシックスの体では堪えられない。確実に意識は失うだろう。そうなれば『落陽の蜜』が解除されてしまい、レイザーに自由を許すことなる。

 

 まさか、レイザーはここまで計算していたというのか。これが意図的に狙ったものだとすれば反則だと言いたくなるが、それを言い出したら『落陽の蜜』でコートを覆った私も同じくらい反則だ。

 

 頭だけは目まぐるしく働いているが肉体が全く動かない。そんな状態に陥ったシックスの前に、一つの影が割り込んだ。

 

「ぬぇい!」

 

 それはツェズゲラだった。両腕を交差し、オーラで強化した防御力をもって念弾を受け止める。

 

「これまで全く活躍できなかったからな。このくらいの働きはさせてくれ」

 

 防御態勢をしっかりと固めた上で防ぎきったように見えたが、それでもダメージがいくらか通ったのかツェズゲラの声には苦痛の色が感じ取れた。だが、今はその背中が頼もしい。ここで遠慮するのは逆に失礼というものだろう。ありがたく守ってもらうことにする。

 

 この一連のやり取りを終えるまでの時間を考えれば勝負の決着がとっくについていてもおかしくなかった。だが、現実にはまだ試合が続いている。

 

 レイザーの猛撃によってゴンのボールの速度が落ちていた。空中で両者の力が拮抗するようにせめぎ合っているのだ。掃射される念弾が壁となりボールの行く手を遮る。速度は徐々に失われていく。

 

「だ、だめだ……勝てない! 強すぎる!」

 

 誰かが吐いた弱音が聞こえた。確かにレイザーは強敵だ。このチームの誰か一人でも欠けていれば負けていたかもしれない。だが、決して無敵の存在ではなかった。

 

 今のレイザーの表情に、強者の余裕はない。歯を食いしばり、全力をもってゴンを迎え撃とうとしている。

 

 ゴンのボールは止まらなかった。幾度となく念弾にぶつかろうと、どれだけ進路を阻まれようと、亀のような速度にまで落とされようと、ゆっくりと前に進み続ける。内包された推進力が尽きることはない。

 

 オーラの力だけでなせる技ではなかった。ボールに込められた不屈の闘志は、まだ死んでいない。ゴンの思いがそのまま形となったこのボールを簡単に止められるものか。

 

 その思いは、レイザーに届く。

 

 

 

「見事……!」

 

 

 

『レイザー選手アウト! よってこの試合、ゴンチームの勝利です!』

 

 割れんばかりの歓声が湧きあがった。

 

 


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