カーマインアームズ   作:放出系能力者

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71話

 

 のっそりと起き上がる。ベッドの上に所狭しと置かれていたぬいぐるみの一つが、ぽとりと床に落ちた。

 

「おはようございます……」

 

 私以外には誰もいない部屋だが、朝の挨拶がビスケの指導により習慣化、いや条件反射となっていた。虚空に向かってぺこりと一礼する。

 

 普段の私は寝起きが良い方なのだが、昨日の疲れもあってか寝ぼけ眼をごしごしと擦る。レイザーとの試合でほとんどオーラを使い果たしてしまった。だが、ぐっすりと休息を取ったので体調はそれほど悪くない。

 

 あの後、私たちは念願の『一坪の海岸線』を手に入れることができた。そしてゴンはレイザーと父親のことについて話ができたようだ。結局、父親の居場所はわからなかったが、ゴンは最初から期待していなかったのか落ち込むことはなかった。レイザーから話を聞けただけで満足しているようだった。

 

 『一坪の海岸線』は『複製(クローン)』の魔法で増やして分配された。取り決め通りゴン、ゴレイヌ、ツェズゲラの三人が持つことになる。オリジナルのカードはゴンが受け取った。

 

 『複製』で増やしたカードもオリジナルと同様に指定ポケットに入れることができるが、これらのコピーされたカードは特定の呪文カードやアイテムによって変化が解除されてしまう危険がつきまとう。また出回るカードの中にはコレクション対象にならない『贋作(フェイク)』によるコピーカードも入り混じるがゆえに、オリジナルカードの方が価値は高い。

 

 どの組がオリジナルを手にするかということについて意見が割れることはなかった。ツェズゲラ組もゴレイヌも、今回の最大の功労者はゴン組だと認めてくれたおかげだ。

 

 ここで話が綺麗に終われば万々歳だったのだが……。

 

 海賊のアジトから出立した直後、狙い澄ましたかのようにゲンスルーから『交信(コンタクト)』による接触があった。以前に共闘した攻略組から情報が漏れたものと思われる。バインダーを確認したところ、何人か名前の表示が黒くなっていた。ゲンスルー組に殺されたようだ。

 

 想定していた事態の中でも最悪のケースである。これで対ゲンスルー戦に備えて用意していた奇襲作戦がほぼ使えなくなった。ただ不幸中の幸いにも、ゲンスルーはオリジナルカードをツェズゲラが持っているものと勘違いしており、最初の標的をツェズゲラに絞っていた。

 

 急遽作戦を変更し、ツェズゲラ組がゲンスルー組の注意を引きつけて時間を稼ぐことになる。可能ならゲンスルー組を始末するつもりのようだが、それは難しそうだ。返り討ちに遭う可能性が高い。それほどの強敵である。

 

 ツェズゲラは三週間、時間を稼いでみせるとのことだった。それまでにゴンたちがゲンスルー組を倒す手立てを考え、準備を整える。

 

 99枚のカードは出そろった。後は誰が最初にその全てを手にするか。熾烈な争奪戦が始まろうとしている。おそらく、あと三週間足らずでこのゲームは結末を迎えることになるだろう。

 

 そんな差し迫った事態であるのだが、私はある事情からゴンたちとは別行動を取っていた。移動系の呪文カードにより、今は恋愛都市アイアイにいる。ヒソカと最初に出会った時、訪れた街である。

 

 あの男との約束を果たす時が来たということだ。本当はゴンたちを優先したかったが、ヒソカが許さないだろう。試合を終えた時点でいつ爆発してもおかしくない状態だった。

 

 ゴンたちには心配をさせないためにヒソカと闘うことは言っていない。少し用事で離れるが、すぐに『磁力(マグネティックフォース)』で合流すると言っておいた。

 

 ベッドから降りて、ぬいぐるみに見送られながら部屋を歩く。ファンシーなデザインで統一された一室だ。昨晩は極度の疲労のため宿をじっくりと選んでいる余裕もなく、適当に入ったホテルに泊まり泥のように熟睡した結果だ。

 

 洗面台の前に立ち、寝ぐせのついた髪に櫛を通す。金色に染まった髪は一撫でするだけで、櫛に何の抵抗も残さずほどけていく。私にとっては当たり前のことだったが、なぜかビスケに不公平だとよく怒られたことを思い出す。

 

 髪型をいつものお団子の形に整える。ビスケに教えてもらったシニヨンだ。今では自分で結べるようになった。それが呼び水になったかのように、このゲームを通して出会った仲間たちの顔が思い浮かんだ。

 

 この非常事態に勝手な行動を取ってしまったことは心苦しい。特に事情を詮索することもなく、ゴンたちは私の別行動を許してくれた。それが余計に心を揺らす。

 

 別に嘘をついたわけではない。用事が済んだら戻る。そう自分に言い聞かせながらも、本当にその思い通りに事が進むだろうかと疑問に感じる自分もいる。

 

 相手はあのヒソカだ。その実力もさることながら、本当に恐ろしいのは奴の精神である。負けるつもりはもちろんないが、勝負の行方がどうなるか予想はできなかった。

 

 今からでもゴンたちのところに戻り相談した方がいいのではないか。きっとみんな、私のために力を貸してくれる。迷惑をかけることなんて気にせず頼るべきだ。それが、仲間だ。

 

 そうした方がいいと確信できた。鏡の中に映るシックスの表情を見ればわかる。“こんな顔”をした奴に任せてしまえば、たとえどちらが勝とうともろくな結果にならない気がする。

 

 だが、それは無理な話だ。ゴンたちは遥かに格上のプレイヤーであるゲンスルーとの戦いに備える大役がある。ここでヒソカという脅威まで同時に押し付けるようなことは許されない。仲間であるからこそ、なおさらだ。

 

 これは、私の闘いだ。

 

 一通りの身支度を終えて服を着替える。レイザーとの試合で破れてしまった『女拳法家の服』は元通りに直っていた。破損した装備品は街の修理屋でお金を払って直してもらえる。完全に壊れた品や、一部のレアアイテムを除けばその場で修理可能だ。

 

 チャイナドレスに似たデザインだが、落ちついた色合いで丈夫な作りになっている。店売りの装備品としては上等な部類のアイテムだ。布地でも防御力はそれなりにある。鏡の前で詰襟を閉めた。

 

 最後に虫の本体を手に取った。いつものようにリュックへ入れようとしたが思いとどまる。右腕にしがみつかせて、そのまま部屋を後にした。

 

 

 * * *

 

 

「やあ❤ 早いね♦」

 

 待ち合わせ場所に着く。街の郊外にある、ただの平原だ。ヒソカは街中での決闘も面白いなどと最初言っていたが、さすがにそれは拒否した。ゲーム的に作られたNPCたちとはいえ、住人に被害が及ぶようなことはしたくない。

 

「ボクも待ちきれなかったよ♠」

 

 約束の時刻まであと二時間もある。待ち時間は精神統一でもしておこうと思っていたが、その必要はなさそうだ。

 

「今日は絶好のデート日和だと思わない?♣」

 

 空は曇天だ。晴れでも雨でも、この男にとっては絶好だろう。禍々しいオーラの気配が大気を冒すように広がっていく。私は纏のオーラを整え、殺気を跳ね除けた。

 

「じゃあ、ヤろうか❤」

 

 引き絞られた弓のようにヒソカの体がしなる。私が構えを取ると同時に、荒れ狂う殺気は最高潮に達し、爆ぜた。

 

 通常の凝から『二重凝』へと移行する。シックスと本体、人間と虫の目からなる視覚情報が重なり合わさる。一切の油断も許されない相手だ。全力で敵の動向に注視する。

 

 対峙していた距離は10メートルほどだ。ヒソカは瞬きをする間もなく距離を詰めて来る。シックスは迎撃の構えを取った。

 

 ヒソカの武装は右手の指に挟んだカードが一枚のみだった。GIのカードではなく、何の変哲もないトランプだ。しかし、たかが紙切れ一枚と侮ることは決してできない。ヒソカの念によって強化されたトランプは鉄パイプすら容易く両断することだろう。

 

 迫りくる攻撃の軌跡を見極める。敵の身のこなしは呆れるほどに速い。その強さはレイザー戦でも垣間見たが、こうして実際に闘ってみて初めてわかる。動きの一つ一つに無駄がない。隙と思える動作にも意味がある。単に身体能力が高いだけではなく、それを戦闘力へと開花させる技がある。

 

 『二重凝』によって初撃は回避できた。振るわれた鋭利なトランプの一閃をかわした、かに思われた。

 

 ヒソカの手からトランプが飛び出す。手首のスナップだけで投げられた一枚のカードが、手裏剣のような鋭さでシックスの顔目がけて飛んでくる。思わぬ一撃だったが対処は間に合った。首を傾けてカードを避ける。

 

 『堅』を維持していたはずだが、カードがかすっただけで頬に一筋の傷が出来ていた。何とかカードはぎりぎりのところで回避できたが、ヒソカの攻撃はそこで終わらない。私の目が頬に貼り付いたヒソカのオーラを視認する。

 

 『伸縮自在の愛(バンジーガム)』だ。カードに貼り付けていたゴムとガムのオーラが、シックスの体とわずかに接触した瞬間になすりつけられていた。頬につながるオーラの末端はヒソカの手に握られている。奴の意思一つでこのゴムのオーラは素早く縮み、なすすべもなく引き寄せられることだろう。

 

 だが、私はヒソカの能力を事前に知っていた。奴と出会ってから一週間ほど経つがその間、何の対策も講じていなかったわけではない。瞬時に懐から取り出した武器を振るった。

 

 これはビスケに服を買ってもらった際、一緒にもらった鉄扇である。正式名称は『八卦四象扇』と言い、Dランク相当の武器だ。閉じた状態ならば鈍器として、開いた状態ならば骨に仕込まれた刃を用いて斬りつけることもできる。

 

 『周』で強化した鉄扇の斬撃を、ヒソカのオーラに叩きこむ。オーラで強化された刃物は切れ味が格段に向上する。ゴムの性質を持つヒソカのオーラは打撃には強いだろうが、斬撃には弱いはず。

 

 しかしその目論見は外れ、鉄扇はゴムに食い込みはしたものの断ち切るには至らなかった。半分、いや三分の一ほどしか切断できていない。予想を遥かに上回る強度。それだけ敵の能力の性能が高いことを表している。

 

 この鉄扇をもっと以前から武器として使い続けていれば、もしかすると斬ることができたかもしれない。オーラによる物質強化はその武器を長く愛用するほど効果も上がる。だが私の場合、所詮はここ数日使い始めたばかりの付け焼刃だ。

 

 切断に失敗した私はすぐさま後方へと飛び退き、ヒソカから距離を取る。それは悪手だった。伸びきったオーラのひもが勢いよく縮み、シックスの体が引っ張られる。

 

 ゴムは伸びれば伸びるほど元に戻ろうとする弾性エネルギーが大きくなる。距離を取ろうとすればそれだけ縮む時の勢いも増す。シックスが引っ張られ、宙に浮いた。その先に待ち受けているのは拳を構えたヒソカだ。

 

 無防備に自分から飛びこんできた獲物に強烈な一撃を浴びせるつもりなのだろう。それは私の望むところだ。私は悪手だと承知の上で、わざとヒソカの攻撃を誘っていた。

 

 右手の手甲、虫の本体にオーラを集める。わざわざ敵のもとまで引き寄せてくれるというのなら好都合だ。ゴムの勢いを利用してヒソカに接近し、必殺の一撃を食らわせてやる。たとえヒソカが待ち構えていようと、こちらは捨て身の攻撃が可能であり、防御に気を使う必要はない。

 

「おっと♣」

 

 だが私の狙いを察したのか、ヒソカは身を翻した。回避された私はそのまま勢いよく地面に激突する。リミッターを外し、限界を超えた強化が込められた拳が着地点を陥没させ大量の土を巻き上げる。

 

 こちらの奇襲も見破られた今となっては、このままヒソカのオーラに拘束され続けるのは不利でしかない。鉄扇を振るい、ゴムのオーラを切り離す。ヒソカのオーラではなく、それがつながっているシックスの頬の肉ごと切り取った。

 

 ゴムのオーラが持ち主のもとへと帰っていく。奴の手元に引き寄せられたのは切り離されたシックスの肉のみだ。何を考えているのか、ヒソカはそれに舌を這わせる。

 

「面白いね、キミのカラダ❤ どこまで壊すことができるのか、とっても気になる♠」

 

 薄気味悪い笑い声を上げる奇術師を前に、油断なく構えを取る。だが、シックスの表情はいつにも増して硬かった。平常心を保とうと心がけるが、そう考えること自体が既に動揺の表れを示している。

 

 焦りが足を前に進ませた。格上相手に無謀な接近戦を挑む。一発、二発くらいの攻撃までは何とか対処することができた。しかし、流れるようにつながっていく連撃に、体が追い付かなくなる。全く隙が見当たらない。最初からこちらがどう動くのか全てわかっていたかのように見透かされる。

 

 ヒソカには、事実わかるのだ。オーラと肉体の動作から、戦闘に際した人間が取る次の一手を予測する。実際にはヒソカにも全てを見通すことはできず、その場に合わせた選択を取捨しているのかもしれないが、その間断さえ私には判別がつかない。

 

 基礎能力で圧倒的に劣る私にこの窮地を覆す一手が残されているとすれば、念能力だ。ヒソカがシックスの腹を狙って拳を放つ瞬間を見計らい、能力を発動させる。『落陽の蜜』の別形態『ジャムブロック』がヒソカのパンチの衝撃を吸収し、その腕を拘束した。

 

 あのビスケにも通じた戦法である。いかに強敵とはいえ、腕一本を拘束されたままこれまで通り自由に動くことはできない。捨て身でかかれば攻撃は届く。痛み分けだろうとダメージを与えれば、こっちは回復できる分確実に有利になる。

 

 しかし、その思惑は『ジャムブロック』から何の抵抗もなくずるりと引き抜かれたヒソカの腕を見て打ち砕かれた。ヒソカを拘束できなかった。その理由がわからず、思考が鈍る。敵を前にして晒したその思考の空白はあまりにも愚かな隙だった。

 

 ヒソカが回し蹴りを放つ。『ジャムブロック』の発動に集中していた私はその攻撃に反応できなかった。シックスの目に映った光景は高速で迫るヒソカの蹴りを最後にして途絶える。一撃で意識を奪われた。否、首の骨を折られていた。

 

 ヒソカは戦闘狂だ。この勝負を持ちかけてきたことにしても闘いを楽しむ目的でしかない。ならば、簡単にシックスを殺すような攻撃を仕掛けてくることはないだろうと思っていた。そう勝手に思い込んでいた私にとって、この致死の一撃は想定外だった。

 

 それとも、この奇術師の嗅覚は嗅ぎつけていたのだろうか。シックスがこの程度では死なないということを。死のラインがどこにあるか、この男は見通しているのではないか。

 

 常人なら確実に死んだとわかる頸椎の損傷。シックスの首は直角に折れ曲がっていたが、ヒソカがそこで止まることはなかった。回し蹴りによって半転した体勢から即座に裏拳を打ってくる。脳との神経が途切れた今のシックスの肉体では対処するどころかオーラによる防御すらできない。

 

 瞬時に本体との意識を再リンクさせ、脳の機能を代替する。ヒソカの裏拳打ちに腕を割りこませて防御した。首が折れた状態で反応したシックスを見て、ヒソカが心底嬉しそうな狂笑を浮かべる。

 

 こちらが簡単には死なないと確信したからか、ヒソカの攻撃から遠慮が消えた。ただでさえ劣勢に立たされていたというのに、もはや抗うすべはない。

 

 怒涛のような攻撃が突き刺さる。捨て身で攻撃を仕掛けても、ヒソカの卓越した『流』によって全て受け流される。傷は回復できるが、オーラを消耗してしまう。致命傷の連打を受ければ当然、消費するオーラも跳ね上がる。無限に回復はできない。いつか底をつく。

 

 敗北。その影が着々と忍び寄っていた。

 

 この日のために考えてきたヒソカへの対抗策は、ほとんど役に立たなかった。その最たる作戦が『ジャムブロック』だったのだ。たとえ格上相手だろうと動きを封じて少しずつダメージを与えていけば倒せると思っていた。

 

 ヒソカがどうやってその拘束から脱したのか、今になってようやく理解できた。自分の手を『伸縮自在の愛』でコーティングしていたのだ。ゴム手袋のように纏ったオーラを『ジャムブロック』の中に脱ぎ捨てて拘束から逃れていた。

 

 私がヒソカの能力を知っていたように、ヒソカも私の能力を見ている。攻略手段を考える時間は十分にあっただろう。もはや、ろくに使いこなせもしない『落陽の蜜』を戦法に組み込んだところで通用する気はしなかった。

 

「どうしたのかな♦ 動きが鈍くなってない?♣ せっかくのデートなんだからもっと楽しまないと♠」

 

 戦士としての次元が違う。ビスケによって与えられた私の強さは、彼女が言った通り『教えられて強くなる』範囲に過ぎなかった。スタート地点に立っていただけだ。

 

 そこから先に進むためには実戦を積むしかない。命のやりとりを繰り返し、死なずに生き残った者のみが本当の強さを手にすることができる。まともな精神では歩むこともできない修羅の道。ヒソカが数え切れないほどの死闘を積み上げてきたことは骨身にしみて理解できた。

 

「前も言ったけど、キミには採点できない強さがある♦ 数字では測れない魅力がね❤ 恥ずかしがらずに見せてほしいな♠ ボクが全部受け止めてあげるよ❤」

 

 こうなることはわかっていた。何度もヒソカへの対策を練り直し、大丈夫だと自分に言い聞かせていた。もっと深く、慎重に考えるべきことから目をそらしていた。

 

 負けることでも、死ぬことでもなく、その先にある強さを得ることを、私は最も恐れていた。

 

 

 * * *

 

 

『“憑き物筋”って奴らがいるのよ』

 

 私はビスケに心源流の技を教えてくれと頼んだことがある。だが、それは断られた。私の動きには無意識の“型”が表れており、それを別の武術で矯正しても良いことはないと言われた。

 

 だが、それはおかしな話だ。本来なら武術を学ぶことで習得するはずの型を、誰にも教わることなく最初から体が覚えているなんて不自然極まりない。そのことをビスケに聞くと、彼女はある事例を話した。

 

『当然だけど、世の中には心源流以外の武術流派が数え切れないほどある。その中には邪念に堕ち、真っ当な道から外れた強さを求める流派もある』

 

 その一つが憑き物筋と呼ばれる者たちらしい。一子相伝の秘術を用いて自らが生涯の内に極めた武の全てを後継者に継承させる。それは教えるのではなく、魂に植え付ける行為だという。

 

『たいていはろくな結果にならず潰れることがほとんどなんだけど、たまーに“本物の”使い手が生まれることがある。あたしは一回闘ったことがあるけど、まあまあ強かったわね』

 

 本来ならば闘いと修練の果てに修める武術の継承を、儀式によって直接肉体に植え付ける。そんな人知を超えた秘術がまともな技であるはずがない。これは『死後強まる念』を使った邪法らしい。

 

 この世に強い未練を残して死んだ念能力者のオーラは、死んだ後も現世に形を残すことがある。普通は狙ってその効果を発揮することはできないのだが、一族が血のつながりを利用して何世代もの命を犠牲にし、何十年何百年という膨大な時間を費やして、死後の念を意図的に発現可能とする術式を紡ぎあげる例があるという。

 

 その邪法を使えば、生まれた時から武術を身につける人間を作り出すこともできる。それが本当なら確かに強いだろう。普通の人間が修行の果てにたどり着く境地に、生まれながらにして立っているのだ。

 

『でもそんなに簡単に強さが手に入るなら誰もがやろうとするはずだわさ。現実は、ちっぽけな強さの代わりに心を失った狂人になり果てるだけよ』

 

 死後強まる念は、その人間の未練、苦痛、恐怖、憎悪といった壮絶な負の感情から生まれた産物である。何世代にも渡り積み重なった邪念を一身に込められた人間が正常な精神を維持できるわけがなかった。ゆえに邪法だ。

 

『あんたにこの話をしようかどうか迷っていたんだけど……寄生型念獣、俗に守護霊獣と呼ばれる存在も、邪法の一つに数えられる』

 

 寄生型念獣が自然発生することはない。その一族を守るために死後の念を積み上げて作られた存在だという。過程と結果は異なるが、本質は憑き物筋と同じだ。守護霊獣の中には自らの存在意義を放棄して、守るべき憑依者を殺してしまう邪悪な者もいる。

 

 そこまで行かずとも、憑依者は多かれ少なかれ念獣から精神的な影響を受けるという。そして寄生型念獣もまた様々な人間の思いが入り混じり、憑依された本人にさえ制御できない複雑な存在へと変貌していく。

 

『あんたが無意識に扱う型の動きも、念獣からもたらされた影響でしょう。今のところ憑き物筋のように心が壊される様子は見られないけど、用心だけはしておきなさい。寄生型念獣の本質は死後の念、強い邪念に由来するものだから』

 

 

 * * *

 

 

 殴りつけられたヒソカの拳を防ぎ、反撃の一手を打つ。畳んだ鉄扇を用いた突きだ。

 

「お♠」

 

 その突きは、難攻不落に思われたヒソカの防御をいとも容易くかいくぐった。するすると胸の中心、心臓目がけて鋼鉄の打突が押し通る。

 

 しかし攻撃が当たる直前、ヒソカは後ろに飛んで威力を殺した。バク転で距離を取りながら、器用にトランプの手裏剣を放ち牽制してくる。

 

 高速で飛翔するカードが二枚。甲高い音を立てて開かれた鉄扇を一薙ぎする。その一刀のもとに二つのカードは寸断された。貼り付けられていたゴムのオーラもろとも切り捨てる。その光景を見たヒソカは拍手喝采を送ってきた。

 

「すごいじゃないか、今の動き♠ キレッキレだね♦ ようやく本気を出してくれる気になったのかい♣ 嬉しいよ❤」

 

 扉を三つほど開けてみたが、強くなったことで今まで見えていなかったヒソカの実力がまだ遠くにあることを認識できた。奴に勝てるまで強くなるのだとしたら、後いくつの扉を開く必要があるのだろう。

 

 あっけなく手に入った力。それはシックスと本体がより深く意識をつなげることで至る境地である。集中状態の意識の中に生まれる扉を開けるような感覚と共に強くなるが、それは不可逆の作用だった。一度開いた扉を閉じることはできない。

 

 何も知らなかった頃の私は特に抵抗もなく使っていたが、ビスケと出会ってからは使用を控えていた。今にして思えば扉というよりも、これは隔離壁なのかもしれない。影響を妨げるためにある防壁だ。

 

 私が今抱いている感情は、果たして防壁の奥に閉じ込められた存在に向けられたものなのか、それともそれを自らの手でこじ開けようとする自分に対してのものか。

 

 あまりにも愚かだ。きっとビスケがいれば、キルアやゴンがいればこんな不正な力を使おうとは考えなかった。仲間たちの存在がストッパーになっていた。

 

 しかし、ヒソカとの闘いを避けることはできなかった。拒めばヒソカはゴンたちを巻き込もうとするだろう。それが私にとって一番嫌なことだと奴はわかっている。

 

 いや、それも言い訳だ。ヒソカの誘いに乗ったのは私だ。結局、この状況を招いたのは自分自身の意思によるものに他ならない。

 

 優先したのだ。仲間たちと共にあることよりも、自分だけの力を手に入れることを求めた。浅はかにも力を手に入れて、初めてその結論に気づく。そして愕然とする。

 

 私はビスケの前で誓ったはずだ。もう二度と災厄の力は使わない。その根底にあった願いは、力に頼りきって誰かに奪われていくだけだった自分を変えたいと思ったからではなかったのか。もう二度と自分という存在を冒されたくないと思ったからではなかったのか。

 

 何一つ、一歩たりとも成長していない。ビスケとの修行の日々も、みんなで協力してレイザーに挑んだ時間も、全てを無に帰す惰弱さ。このゲームをプレイする以前の私と何も変わらない。決意してなお、変われなかったのだ。

 

 頭から血の気が引く。足元から崩れ落ちそうになる。

 

「おや、どうした?♠ ボク好みの表情だけど、そういう楽しみはパートナーと共有しなくちゃ♣ 勝手に自分一人でイッちゃダメだよ❤」

 

 逃げ出したかった。ヒソカがそれを許すはずもない。仮に逃げられたとして、どこに行くというのだ。

 

 逃げ場など、どこにもない。帰る場所もない。

 

 ここでヒソカと闘わずとも、私はいつか力を求めて私ではない存在になり果てるだろう。命を賭けようと、どんな誓いを立てようと無駄なことだった。脱力感に襲われる。

 

「ちょっと、困るなぁ♣ せっかくこれから楽しくなりそうだったのに……ん?」

 

 ヒソカが言葉を切り、上空に視線を向けた。ぼんやりとその方向に目をやるが、特に何か変わったものは見当たらない。

 

 だが、それから間もなくして空から飛来する何かの気配が感じ取れた。発光する二つの影が私たちのすぐ近くに向かって落ちてくる。移動系のスペルを使って、私たちを対象として飛んできたプレイヤーと思われる。

 

 まさかゴンたちかと身構えたが、移動してきたプレイヤー二人は全く知らない人間だった。

 

「おいヒソカ! 交信(コンタクト)に応答しねぇから何事かと思ったが……何だ、そいつは?」

 

「除念師、見つけたね。お前じゃなきゃ団長と接触できない。さっさと来るね」

 

「あー、ごめんね❤ ホテルにバインダー置き忘れてたよ♠ すぐにこっちの用は終わらせるから、ちょっと待ってて♦」

 

 ヒソカの知り合いか。いずれにしてもゴンたちではなかったことに安堵していた。今は、どんな顔をして会えばいいかわからない。だが、その束の間の安堵は一瞬にして吹き飛んだ。

 

「あ? 寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ」

 

 やって来た二人組のうちの一人が凄まじい殺気を放った。気を抜いて相手の実力を見逃していた。信じられないことにこの二人、それぞれがヒソカに迫るほどの強さを持っている。

 

「一分一秒だろうとテメェの都合に付き合う筋合いなんかねぇよ。殺すぞ」

 

「ボクが死んだら困るのはそっちだと思うけど♠」

 

「じゃあ半殺しにして連れて行けば問題ないね」

 

 何だ、仲間ではなかったのか。全く事情が飲み込めない中、三者のオーラを含んだ殺気が火花を散らすように干渉し合い、立ち上がれないほどの重圧が背中にのしかかった。

 

 


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