カーマインアームズ   作:放出系能力者

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76話

 

 NGLの奥深く、鬱蒼と広がる森を見下すように蟻の巣があった。その形状はシロアリの塚のように見える。しかしその大きさは途方もなく、数百メートルに達する高さがあった。

 

 キメラアントの居城である。人間大の蟻が群れを成し、その全てを悠々と収容できるだけの規模があった。彼らの習性は蟻に準じ、群れを維持するための食料は次々とこの巣へ運び込まれる。

 

「チオーナ隊が消えた」

 

「また例の集団失踪か」

 

 だが、人と交わることで知恵を付けた亜人型キメラアントは、蟻本来が備え持つ統率性に欠ける部分があった。完全な社会性は成り立っておらず、自己の欲望のためだけに行動する働き蟻も増えている。

 

 それでも食料調達のため遠征に出かけていた部隊が丸ごと一つ消え去るということは明らかな異常事態と言えた。逃げ出したと考えるよりは、何者かの襲撃を受けたものと想定すべき事態だった。

 

「その場に居合わせた戦闘兵から得た情報を可能な限りまとめてみたが……どうやら失踪直前、周辺一帯を覆い尽くす規模の濃霧が突然発生しているようだ」

 

「その戦闘兵はなぜ助かった?」

 

「飛行能力を持つ個体だったので空を飛んで逃げたのだろう。逆に言えば、空を飛べない個体では対応できなかったと考えられる」

 

「単に道に迷ったというわけではあるまい。我々は信号による通信によって常に互いの位置を確認できる。視界不良に乗じて襲撃を受け殺されたのであれば、死体が残るはずだが、それらの痕跡は全く見つけられなかった」

 

 キメラアントの師団長、コルトとペギーの二匹は度重なる遠征部隊の集団失踪について意見をかわしていた。コルトはコンドル、ペギーはペンギンの特徴を持つキメラアントだった。この二匹が群れの実質的なまとめ役となっている。

 

 キメラアントは階級社会だ。その順位は上から【女王】【護衛軍】【師団長】【兵隊長】【戦闘兵】【雑務兵】と続く。今の女王は王を産むための準備に専念しており、護衛軍はその身辺警護を最優先に行動しているため、巣の外部で発生した問題について関心が薄かった。

 

 そのため本来であれば師団長全員が集まって議論すべき事態であるが、真剣に取り組む者は女王への忠誠心に厚いコルトと、戦闘よりも参謀として知識を活かす立ち位置にいたペギーの二匹だけだった。亜人型となって得た“個性”の弊害と言える。

 

「不明な点が多いな。これも『ネン』とやらの仕業か?」

 

 以前から生命エネルギーを豊富に持つ人間は『レアモノ』として最高級のエサになることが知られていたが、最近になりそれらは『念能力者』と呼ばれる者たちであることが判明している。

 

 運よく生け捕りにできたレアモノから、護衛軍の一匹であるネフェルピトーが情報を聞き出したのだ。念を習得する方法もわかり、キメラアントの兵力はさらに増強された。その矢先に起きた失踪事件である。

 

「ネンについては我々も完全に把握できているとは言えない状況だ。対抗するには同じくネンを習得した兵を向かわせる必要があると思うが」

 

「いや、今はまだ“選別”の後遺症で使い物にならない兵も多い。兵の質は劇的に向上したが、そのせいで数もかなり減ったからな……」

 

 すぐに動ける優秀な兵を引き抜こうとすれば、その隊を支配する師団長が黙ってはいないだろう。いかに戦力が増そうと、統率性の欠如はどこまでもついて回る問題だった。

 

「何とかして回避する手段はないのか? 霧の発生に注意し、その地帯に足を踏み入れなければいいのでは?」

 

「どうだろうな。その程度で回避可能な状況ならここまで被害は広がっていないだろう。しかも、これまでの傾向から考えれば敵は統率力の低い遠征隊を的確に狙っている可能性が高い」

 

 遠征隊は師団長を始めとして兵隊長が4~5匹、戦闘兵が10~15匹程度で構成されている。中には綿密に信号をやり取りして隊列を組んで行動する班もあるが、多くの部隊が規律もなく奔放に動きまわっていた。

 

 人間は弱者。狩られるだけの存在という認識が深く根付いている。失踪事件が多数発生しているこの状況でさえ、本気で警戒する者は少ない。念能力を身につけてからは特にその傾向が強まっていた。

 

「かと言って、食料を調達する遠征隊を出さないわけにはいかないぞ。この近辺のエサはあらかた狩り尽くし、分散化している。王を産むため女王様の食欲も日に日に増しているというのに……」

 

「貯蔵しているエサにも限りがある。女王様にお出しする分は当然確保するものとしても、他の下級兵に回す分は確実に足りなくなるだろうな」

 

「空腹を堪えるような気の長い兵がどれだけいることか。遊びで殺しを楽しむような連中も多い。今後は一人の人間も無駄にせずエサとして運び込ませなければならないが、果たしてどこまで命令に従ってくれるものか」

 

 食事と娯楽を邪魔された蟻たちに理性的な判断を期待することはできない。業を煮やして狩りに向かえば敵の思うつぼだ。じわじわと部隊を削られていく。王の出産準備に入った今の女王は働き蟻を増産することもできない。

 

「女王様に移城を進言してみるか?」

 

「それは絶対にならん。この大事な時期に余計な心労はかけられない。何よりも危険すぎる」

 

 コルトは語気を強めた。もし彼が敵の立場だったとすれば、女王が巣から離れ身をさらした状態こそが襲撃を仕掛ける絶好のチャンスだと考える。護衛軍は身重の女王の警護から手が離せなくなり、十分に実力を発揮できるとは言い難い。

 

 それでもあの規格外の護衛軍たちなら負けることはないと思うが、絶対とは言い切れない。もし女王の移動中に例の“霧”が発生すれば。正体不明の能力を軽視することはできない。

 

「そう言えば、西部を探索していた遠征隊にもトラブルがあったようだな。こちらは例の失踪事件とは違って単に戦闘で負け、敗走しただけらしいが」

 

 原因が明確とはいえ、精強なキメラアントの遠征隊が撃退されたとあってはただ事ではなかった。

 

「その話はオレも聞いた。敵は人間の子供だったそうだが、妙な能力を使うとか」

 

 下級兵の報告によれば頭が割れるような情報量の電波信号を送りつけられ、一時パニック状態に陥ったという。しかも同じような能力を持つ子供が複数存在し、基本的な戦闘力も高い。戦闘兵だけでなく、兵隊長級が三匹も殺されている。

 

「この二つの事件、関連性はあると思うか?」

 

「わからんが、いずれにしろ人間にもオレたちに対抗するだけの勢力があるということは確かだ」

 

 霧の失踪事件ばかりにもかかりきってはいられない。西部で確認された勢力が侵攻してくる恐れもある。ペンギンの遺伝子を色濃く受け継いだペギーは、その短い足でうろうろと歩きまわる。考えを巡らせるが良案は思いつかない。

 

「しばらくは様子見するしかあるまい。幸いにして女王様の守りは盤石。護衛軍の力があればこの巣が攻められることはない。全ては王が生まれるまでの辛抱だ。それまで堪え凌げば……」

 

「本当にそう思うか?」

 

 コルトは護衛軍の三戦士を完全に信用していなかった。今はまだ女王の支配下にあるが、王が生まれれば三戦士の支配権は王へと移る。王の役割は種の拡大にあり、生まれればすぐにでも巣を旅立っていくだろう。群れから独立した存在となる。これはキメラアントの本能として刻み込まれた生態であった。

 

 王が巣立てばこの群れにとって最強戦力であった護衛軍も失うことになる。残されるのは産後の疲労が抜けきらない女王と、失踪でスカスカになった兵団だけだ。人間たちは護衛軍を引き連れた王を襲うよりも先に、守りが手薄となった女王を標的にしてくるだろう。

 

 この群れが勢力を立て直すまでの間、王が女王に助力してくれる保証はない。

 

「悪い方向へ考え過ぎではないか? まだ状況はそこまで逼迫していない。結論を急ぎ過ぎる必要はないと思うが」

 

「まだ余裕のある今だからこそ手を打たねば手遅れになる。この現状で、人間に対して危機感を持っている者はオレたちだけだ。ここで判断を誤るわけにはいかない」

 

「そうは言っても、たった二匹にできることなど高が知れているぞ。私たちの忠告に他の師団長が耳を傾けるはずもない」

 

 最大の問題点はそこにある。個人の欲求ばかりが先行し、群れ全体の利益を考える者があまりにも少ない。その意識を根底から改革する必要があるとコルトは考える。

 

「今回の事件の原因究明と解決に向け、師団長ごとに分けられていた部隊を一つに再編しようと思っている」

 

「それはまた無理難題を。現存する部隊は28もある。その全てを束ねようというのか」

 

「そこまでのことはできないだろう。少なくとも複数の師団長とその配下の兵隊長を数名選出させて選りすぐりの部隊を作り、騒ぎを起こしている人間の勢力を叩く」

 

「師団長級が結集すれば確かに今回の事件を鎮圧するには十分な戦力になるだろうが、どいつも我の強い者ばかりだぞ。どうやって話をつける気だ」

 

「ネフェルピトー殿かシャウアプフ殿に相談してみよう。護衛軍から下された命令という形を取れば師団長も従わざるを得ない。あの方々の不興を買うようなことは皆が避けるはずだ」

 

 護衛軍は女王と、その腹に身ごもる王にしか関心がない。自分たちがいれば他の兵は必要ないとすら思っている節もある。他の兵がいくら死んだところで大して気にも留めないだろう。

 

 護衛軍の手を煩わせずともコルトの立案した作戦についてお墨付きをもらえればそれでいい。彼らも自分の命令一つで厄介事が片付くのなら承諾してくれる可能性は高い。

 

 コルトは食料の調達に必要な部隊を半数残し、残りの半数の部隊を率いる師団長を集める気でいた。その中には自分も含まれている。まさか発起人が尻尾を巻いて巣にこもっているわけにはいかない。

 

「危険だぞ。既に四つの部隊が壊滅し、師団長四匹も戻っていない」

 

「だろうな。だが、それでいい。そのくらいでなければ意識を変えることはできない」

 

 コルトも最初は人間を侮っていた。単なる捕食対象としか見ていなかった。だが、その意識は揺らぎつつある。簡単に殺し、支配できると思っていた人間たちは予想以上の抵抗を見せている。

 

「トップとして同格の師団長が集まった部隊となれば、まともに指揮系統は機能しないだろう。さらに相手はこれまでのレアモノとはレベルの違う強敵だ。必ず犠牲は出る。人間の強さを思い知ることになる」

 

 団結こそがキメラアント最大の武器であると、増長した働き蟻たちに自覚させるのだ。痛みを伴うことは承知の上、むしろ強敵であればあるほどに兵の意識は一つとなるだろう。コルトはそれができると信じていた。

 

 全てはこの群れのため、女王のため。決死の覚悟がコルトにはあった。

 

「……そこまで考えてのことであれば、もう何も言うまい。作戦には私も参加しよう」

 

「いや、お前には残ってもらわなければ困る」

 

 ペギーの作戦同行はコルトにとって望ましいものではない。同じ師団長級にも強さの格差が大きく存在する。参謀役のペギーはそれほど戦闘力が高いとは思えない。何より、もしもコルトの身に何かあったとき、群れの行く末を任せられる者としてペギー以上の適任者はいなかった。

 

「自分の命を作戦の勘定に入れているような奴に言われたくはないな。私とて師団長級の一角。戦いに向かない者にも相応の戦い方があることを教えてやろう」

 

 小柄な体格に見合わない不遜な態度をしてみせるペギー。それが虚勢であることは見て取れた。だが、決して考えを変える気がないこともわかった。コルトはその意思を尊重する。

 

 無論、コルトはこの作戦が失敗するとは思っていない。戦闘面で大きく秀でた師団長も複数おり、その協力が得られれば多少の犠牲はあっても大局は揺るがない。必ずこの群れは勝利を収めるだろうと思っている。

 

 来るべき決行の日に備え、二匹のキメラアントは動き始めていた。

 

 

 * * *

 

 

 キメラアント討伐隊の三名がNGLへ到着してから二週間が経過していた。

 

 入国手続きは滞りなく終えている。密入国しようと思えばできたが、今回はハンター協会本部が直々に取り組む案件であり、公の記録に残る仕事であるため正規の手続きを経ている。

 

 ただし、持ち込みが禁止されている文明の利器については念能力で隠して大量に持ち込んでいる。シックスが持つ異形の虫についても、気配を断って検問所の外から回りこませている。

 

 国内に入ってからは、案内役として特殊言語地区や未開部族との交渉などを引き受ける通訳が付く決まりになっているが、これは入国者を監視するための措置である。素直に従っている時間も惜しいので、入国するなり走って振り切っている。

 

 他のハンターたちが調査した情報により、巣の場所は特定されている。三人は一直線に目的地まで進んだ。その道中で目の当たりにした惨状はキメラアントの脅威を実感させた。

 

 いくつもの集落が人々の生活の痕跡を残したまま廃墟となっていた。キメラアントは捕えた生物を毒で麻痺させ、生きたまま巣へ持ち運んで保存する習性がある。ノヴやモラウからすれば到底許せることではないが、食料を得る目的で人を殺すのであればまだ理解できた。

 

 中には無残に食い散らかされた亡骸もあった。明らかに遊んでいるとしか思えない殺され方をしている人間が何人もいた。キメラアントはもともと攻撃的な性質のある虫だが、そこに悪しき魂を持つ人間の特性が交わることでさらに残虐な存在へとなり果てている。

 

 討伐隊は事前の調査により敵の脅威を十分に理解していたつもりだったが、その認識は甘かったと言わざるを得ない。キメラアントの巣を目視できる場所まで近づいた時、敵の真の危険性が肌で感じ取れた。

 

 巣を中心として広大な領域を網羅するオーラの触手。報告を受けてはいたが、改めて見てもそれが『円』であるとは信じがたい。アメーバ状にうごめく不定形の円の最大捕捉距離は2キロにも達していた。

 

 円によって形成されたオーラの領域はいかなる侵入者の存在も手で触れたように察知する。通常、応用技の中でも高等技術であるとされる円を使いこなせる者は限られている。使えたとしても半径10メートルも広げられれば上等の部類に入る。

 

 2キロ先まで届く円などあまりにも非現実的な光景だった。オーラから発せられる禍々しさは獲物の首筋に食らいつく寸前の巨獣の牙を彷彿とさせる。実際にこの円の術者と交戦したハンターの話を聞かされていたため、討伐隊は迂闊に近づくようなことはしなかった。

 

 これまでに数えきれないほどの死線を越えて来たモラウとノヴにとっても、今回の敵は別格。軽々に手を出せる相手ではない。

 

 討伐隊に与えられた任務遂行の猶予は二カ月しかない。これは専門家が予想した王が産まれるまでの最短の期間である。亜人型キメラアントの生態についてはわかっていることの方が少なく、この二カ月という数字にどれだけの信憑性があるのかも定かではない。

 

 事は一刻を争うが、焦りは禁物である。まずはモラウが煙で作った大量の念獣を用いて敵情視察を行った。敵の数や行動パターンなどのデータを収集する。食料を探し求めて巣から離れた遠征部隊を狙うことにした。

 

 いきなり王手は取れない。まずは確実に敵の戦力を削ぐ。兵隊蟻の数を減らし、食料の調達を妨害することで動揺させる。これまでに遭遇したキメラアントの性格からして、不満が募った蟻たちはさらに統率が乱れて勝手な行動を取り始めるだろう。そうなれば討伐作戦はより捗る。

 

 兵糧攻めだ。多量の食料を必要とする亜人型キメラアントでは籠城も長くはもたない。補給を断たれ、孤立した敵城は最大戦力を動かさざるを得なくなる。護衛軍を巣から動かし、女王の守りを手薄にすることが目的だった。

 

 討伐隊の標的は女王蟻だ。護衛軍を全て倒さずとも、王が生まれる前に女王を仕留めることができればいい。それでも難事であることは言うまでもないが、彼らはこの作戦のために集められた精鋭だった。

 

「二体捕獲。うち一体はおそらく隊長格ですね」

 

「おいおい、送り込むペースが早ぇな。嬢ちゃんが泣いちまうぜ?」

 

「逆でしょう。むしろ喜んでますよ」

 

 モラウが巨大なキセルから吸った煙を吐き出す。彼の常人離れした肺活量により吐き出された煙は山火事でも起きたのかと見紛うほどの量だった。オーラを含んだ煙は彼の意思に従って動き、周辺一帯の森に煙幕の霧を発生させる。

 

 この煙幕は単なる視界不良を引き起こすだけでなく、特別に調合された薬草の燻煙が嗅覚までも惑わせる。煙の粒子に付着したオーラを操作して自在に形を変えることができ、よりオーラの密度を高めれば脱出不能の檻を形成することすら可能とする。

 

 操作系能力者モラウの『紫煙拳(ディープパープル)』に飲み込まれたキメラアントの遠征隊は、まさに五里霧中の状態だった。もともと統率力の低い部隊を狙っていることもあって、各々が協力することもなく勝手に行動を取り始めている。各個処理するには最適の状況だった。

 

 敵を他者の目に触れることなく一匹ずつ確保する役目はノヴに任されている。既に煙幕で満たされた狩り場にはノヴの手により無数の罠が設置されていた。その罠とは落とし穴だ。穴に落ちた先にはノヴが作り出した異空間が広がっている。

 

 具現化系能力者ノヴの『4次元マンション(ハイドアンドシーク)』により作り出された念空間のマンションは、4階建て全21室にも及ぶ。その広さは念空間の使い手としては他に類を見ないほどの規模である。

 

 ノヴは壁や地面に手をかざすことでマンションへとつながる穴を開くことができ、事前に念を込めて設定しておけばその場所に触れた者を感知し、自動操作で穴の中へと瞬時に引きずり込むことができる。穴とは言うが実際は瞬間移動に等しく、触れたが最後逃れるすべはない。

 

 煙幕に覆い尽くされ孤立した兵隊蟻がそのトリックに気づくことはなかった。モラウが隠し、ノヴが移送することで成り立つ霧の集団失踪。そしてその最終段階、“処理”の担い手がマンションの一階で待ち構えていた。その一室に設置されている監視カメラの映像を、ノヴは手元の端末から見ていた。

 

 一階部分は部屋を仕切る壁のないワンフロアとなっており、全21室中で最も広い空間となっている。全ての部屋は独立しているため行き来はできないが、念空間から外に出られるドアはあり、密室になっているわけではない。

 

 しかし、いまだその扉から生きて脱出できたキメラアントはいなかった。人と蟻と、様々な生物の遺伝子が混ざり合い、一つとして同じ姿をした者はいないキメラアントの戦闘兵。何十体にも及ぶ数の異形たちが物言わぬ躯と化して床に転がっている。

 

 その部屋の中心に立つ少女だけが生者であり、勝者である。檻の中に閉じ込められた獣のように、運び込まれる餌を待ち望んでいた。

 

「チョコの様子はどうだ? 相変わらずか?」

 

「ええ。ここ数日、睡眠も食事もほぼ取っていないのに元気いっぱいですよ」

 

 モラウとノヴはハンターとして付き合いの長い間柄にあり、互いの能力をよく知っている。しかし、そこに加わった少女について知っている情報はほとんどなく、同じ任務に当たるチームとして実力を測ることは当然の流れであった。

 

 それでもマンションの一室に閉じ込めて不定期に複数のキメラアントを送り込み、戦わせるというやり方はいささか過激な試練だった。最下級に位置する戦闘兵であっても、それなりに熟達した念能力者でなければ厳しい戦いになる。中には兵隊長や師団長もおり、個体の強さは下級兵の数倍以上の開きがあった。

 

 ノヴがこの方針を推進し、少女がそれを了承した。ネテロ会長を巡る遺恨についてノヴは完全にこの少女を許したわけではなかった。どんな理由があったにしても敬愛する先達を殺されたことは事実である。

 

 だが、ノヴも少女が死ぬような状況にまで追い詰める気はなかった。手荒な方法を取ることになったが、あくまでも本意は少女の実力を見極めることである。いつでも助けに入る用意は整えており、下級兵ごときの対処に手間取るようなら討伐隊から除外するつもりだった。

 

 しかしノヴは作戦が進行するにつれ、自分の心配は全くの見当違いであったことに気づく。確かに少女は強かったが、それだけなら特に気にもしなかっただろう。今も次々に転送されていく兵隊蟻と戦闘を繰り広げている。怪人たちがひしめき合う光景よりも、少女の戦い方に異質さを感じていた。

 

 多様な生物が生存戦略の末に身に付けた特徴を無節操に取り込んだキメラアントたちは種としてもともと備わった戦闘力が人間よりも遥かに高い。中でもほとんどの個体に共通する最大の特徴が表皮の硬さだ。

 

 昆虫の硬い外骨格がベースとなった強固な表皮は並みの攻撃では傷つけることすらできない。関節部ならば強度は多少落ちるが、それでも戦闘中に狙って正確な攻撃を当てることは困難だ。生まれながらにして鎧のごとき頑丈な防御力を有している。

 

 そんなキメラアントの戦闘兵が一体、また一体と屠られていく。少女が左手を振るうたびに爆音と衝撃波が走り、頑強な戦闘兵が宙を舞う。その一撃を受けて起き上がることができる者は少数だった。なぜなら攻撃を受けた部分を中心として、ごっそりと肉体が消失しているからだ。

 

 攻撃に晒されている当の戦闘兵たちにとっては何が起きているのかさっぱりわからない。気づけば脚部が、腹部が、胸部が、胴と首がバラバラの方向へと飛ばされている。監視カメラで戦闘を何度も観察しているノヴは、その技の正体を知っていた。

 

 攻撃の瞬間、少女の掌は『凝』により多量のオーラが集められている。その手を使って敵の急所に掴みかかっていた。手の中のオーラは極細の毛状に変化した無数の突起となり、目で捉えきれないほどの超高速で微細動していた。

 

 どのような原理に基づいて引き起こされた現象なのか、見ただけのノヴに全て理解できたわけではなかった。正確には、彼女の掌が触れた箇所はオーラの高速振動の影響を受けて急激に摩耗している。

 

 振動する無数の突起が極度の摩擦を生み、接触部に異常な圧力と高熱をもたらす。この熱により生じる化学反応がキメラアントの表皮を削り取り、粉塵を撒き散らしながら猛烈な速度で腐食摩耗を引き起こしていた。

 

 そこに少女の強化された握力が加わる。摩擦による高温と高圧を握り込み密封することで、手の中に小さな炉を作り出していた。自分の手の攻防力を凝で高めていなければ自爆してしまうほどの威力だった。

 

 その握撃はキメラアントの外皮を豆腐のように握り潰し、爆散させる。単純な身のこなしからして下級兵が反応できるレベルではなく、敵はなすすべもなく殺されていった。

 

 もしこれが少女の『発』であり、以前から修練を積み重ねて磨き上げていた技だというのなら、まだノヴにも納得できた。だが、そうではない。真に驚くべきことは習得の過程だった。

 

 最初はとても技とは呼べないお粗末な出来だった。掌にオーラを集めているが、そこから何をしたいのか見当もつかないほど未熟だったのだ。それがたった一週間足らずで実戦を制するレベルの技にまで成長している。

 

 キメラアント討伐という任務の最中で新技を編み出していた。その非常識極まりないオーラの形状変化と精密操作技術は、才ある使い手でも何十年もの過酷な修行に堪えてようやく覚えられるか否かという領域。それをわずか一週間で。この目で見た事実でなければ、ノヴは到底信じられなかっただろう。

 

『グババババ! イテェ! イテェガ、マダウゴケル! オレ、ツヨイ!』

 

 それまで淀みなく部屋を駆け回っていた少女の動きが止まった。一匹のキメラアントが彼女の握撃に堪え、立ち向かって来たのだ。それはカブトガニと人間が融合したかのような奇怪な姿をしていた。ツルリとした甲羅で背面を守り、腹からは多数の歩脚を生やしたグロテスクな見た目をしている。

 

『オマエ、オレノカラダ、キズツケタ……ユルサナイ!』

 

 兵隊長以上の階級と思われる蟻だった。少女の攻撃を受けながら、ダメージは甲羅にヒビが入る程度で抑え込まれている。その原因は敵の体を覆うオーラにあった。この蟻は念能力を身につけていた。

 

 ここ数日で念に目覚めたキメラアントがちらほらと現れるようになっている。その数は日に日に多くなっていた。自然発生したものとは考えにくく、キメラアントが“洗礼”による精孔の強制解放を行っている可能性が高かった。

 

 ただでさえ屈強なキメラアントが念を覚えて強さが底上げされたとなれば、いよいよ手がつけられなくなる。まだ習得して日が浅いため技量は低いが、その差は時間が経つほどに縮まっていくだろう。敵の脅威はさらに跳ね上がる。

 

『オマエ、クウ!』

 

 怒りに身を任せたキメラアントが少女へと飛びかかる。オーラで強化された鉄壁の装甲があれば怖いものなどない。鋭い爪の一撃を放つ。どんな獲物もこの一振りで仕留めてきたという絶対の自信が込められていた。

 

 その腕はまるで枯れ枝をへし折るように、少女の手によって無造作にもぎ取られた。爆風に煽られてたたらを踏む。

 

『…………エ……ナンデ……?』

 

 少女の攻撃では大したダメージにならないと高をくくっていた敵は、自分の腕が吹き飛んだことを認められずにいた。単純な話、少女はこれまでの戦いで全力を出していたわけではなかった。

 

 敵の防御力が上がったのなら、それを上回る威力を込めればいい。爆風の反動で焼け爛れ、指が折れ曲がった少女の傷は既に回復している。いまだ現実を否認しているキメラアントは続く攻撃を避けきれなかった。

 

 むしり取る。猛獣のあぎとと化した少女の左手が敵の装甲を少しずつ、味わうように咀嚼していく。たまらず絶叫を上げて防御するが、ガードのために構えた歩脚は一本一本丁寧に奪い取られた。

 

『ヤメデエエエエ!! イダイィィ!!』

 

 なぜ嬲り殺しにするのか。その理由はデータを取るためだ。オーラによる高い防御力を有する相手に対し、どうすれば効果的にダメージを与えることができるのか。緻密に調査し、改善していく。一撃ごとに目に見える勢いで、より無駄なく、より洗練された技へと高められていく。

 

 それはある意味、捕食であった。獲物を食らい我が身の血肉とするように、敵の強さを味わい技を磨きあげていく。

 

 少女の目は、目の前の敵を見ていなかった。今の彼女が眼中に捉える相手はキメラアントの巣を守る護衛軍だ。広大かつ歪な円から放たれる凶気のオーラを間近で見た時から少女の興味はその一点に注がれていた。

 

 護衛軍の力の底は見えない。だからこそ強くなる必要がある。理解しがたいまでに馬鹿げたスピードで成長している。

 

 カブトガニ型キメラアントは地面にうずくまり、最も強度の高い背中の装甲の中に身を隠す防御体勢を取っていた。迫りくる死を前にして追い詰められた彼の精神は飛躍的に開花し、不完全ながら『堅』に近い形へとオーラを動かせるようになっていた。

 

 もともと防御面に関しては念の素質があったのか。さらに守りを高めた敵に対し、少女は笑みを向けていた。上質の獲物を手に入れたことを喜び、その肉に牙を突き立てていく。このたった一戦の間に技の切れは格段に向上し、爆発の反動を最小限に抑え、逆に敵へと与えるダメージは増加していた。

 

『オデ……ユルジ……』

 

 “食事”が終わると同時に敵は息絶えた。穴だらけになった敵の体から流れ出るおびただしい量の血液。赤ではなく青色の血が少女を一色に染めていた。ぞっとするような青白さからは死人の肌のごとき不気味さを感じさせる。

 

 その強さがあれば護衛軍と渡り合うことができるかもしれない。もしかしたら打倒することも可能かもしれない。だがもしそうなった場合、規格外の強者を食らった少女はどこまで強くなるのだろうか。

 

 そして彼女はネテロを殺した災厄の力を、いまだ使うそぶりすら見せずにいる。切り札として隠しているのか、何か使えない別の理由があるのか。しかし、決して無視できるものではない。

 

 この少女のみならず、裏から糸を引くパリストンも問題だった。ネテロなき今の協会は奴に牛耳られようとしている。パリストンは少女を使って何をしようと企んでいるのか。

 

 良くないことが起きようとしている気がしてならなかった。ノヴはこの少女から目を離してはならないと改めて認識する。もともと信頼はしていなかったが、潜在的な敵となり得る存在だ。場合によっては手遅れになる前に非情な判断を下す必要もある。

 

 

「――うっ!?」

 

 

 そこでノヴは携帯端末の画面越しに少女と目が合った。それは彼女が監視カメラの方向へと視線を向けたことを意味している。

 

 カメラを設置していることは前もって伝えてあり、その行動自体は特におかしなものではない。だが、これまで少女は一度もカメラに注意を払うようなことはしていなかった。観察されていることには気づいているだろうが、あえてそれを気にする様子はなかった。

 

 それがなぜこのタイミングで目を向けてきたのか。まるでノヴの内心に生じた懸念を見透かしてきたかのような行動に心臓が跳ね上がる。ぞわぞわと痒さを伴う寒気が背筋を上ってくる。

 

「おい、おいノヴ! どうした、なんかあったのか?」

 

「……いえ、別に」

 

 声をかけられたノヴはとっさに携帯端末の電源を切った。深く息を吐き、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。

 

「今しがた敵本陣に動きがあった。これまでにない規模の兵が動員されているようだ」

 

 モラウは煙を使っていくつかのタイプの念獣を生み出すことができる。そのうちの一つであるウサギ型の偵察用念獣を数百体放ち、敵の動向を探らせていた。

 

「こちらの位置を特定されましたか?」

 

「いや、そうでもなさそうだ。ここから西の方角に向かって進軍しているが……そっちに何かあるのか?」

 

 これまでの部隊は一つが50体ほどの兵隊蟻で構成されており、基本的に部隊単位で行動することがほとんどだった。だが今回は明らかに数が多く、いくつもの部隊が混成されていることがわかった。まさに進軍と呼ぶにふさわしい規模の出兵だった。

 

 

 

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