バルカンの加勢に来たブッチャは予想以上に混迷を見せている仲間の状況を見て舌打ちした。まずは集まった敵の主力格を一人ずつ撃破し、その連携を崩さなければならないと悟る。
一方、キメラアント軍のコルトは攻撃が飛んできた方向から狙撃手の位置を割り出し、空を飛行して一気に距離を詰めようとしていた。
ブッチャは『打ち滅ぼす者』で迎撃しようかとも考えたが、敵のシールド能力を見ていた彼は思いとどまった。その念防壁が仲間を守るという制約のもとに強化されていることを知らない彼は、敵の実力を量りかねていた。
「しゃらくせぇ!」
だが、打つ。その球は全く見当はずれの方向へと飛んだ。大きく上空に向けて弧を描いたフライである。一瞬だけコルトは警戒を強めたが、すぐに意識を敵に向け直した。焦りから狙いを外したものと見て狙撃手への攻撃を優先した。
ブッチャの能力はノックにより球を打ち飛ばす動作を必要とする。それは戦闘中において大きな隙だった。隙があるがゆえにそれが制約として威力を高めている面もあるが、同時にリスクを背負う。これまではブッチャの身体能力で十分にカバーできる敵が主な相手だったが、コルトは違った。
鳥型キメラアントの特徴をいくつか合わせ持つ師団長のコルトは高い飛行能力を有していた。その外骨格や筋肉は他のキメラアントと比して軽量だが、パワーが劣るわけではない。ヂートゥには及ばないものの、飛行スピードに関しては師団長随一の速さがある。
目にも止まらぬ速さで宙を駆けるコルトがブッチャを発見し、突撃する。しかし、遠距離攻撃を仕掛けてきた敵の様子から接近戦は苦手だろうと判断したコルトの思惑には誤算があった。
ザザンの攻撃をも凌いだブッチャの身体能力と反射神経は卓越した領域にある。コルトの動きに反応は追いついていた。棘バットの芯で正確に飛んでくる敵を打ち返す。
「ぐはっ……!?」
だが直撃を確信したブッチャの予想に反して、フルスイングしたバットが的を捉えることはなかった。それどころか瞬時に背後へ回り込まれたコルトにより背中を切り裂かれていた。
コルトの鋭い爪はオーラの防御を貫いた。無意識に堅の状態を維持していたブッチャは致命傷とまではならかったものの大きな傷を負う。
「くそったれ! この俺がストライクだと……」
ブッチャは瞬間的にコルトの姿を見失っていた。今度は慎重に敵の動きを見定めてからバットを振るう。だが、結果は先ほどと同じ。バットを振り終えた時には既に、一瞬にして死角へと回り込んだコルトにより体を切り裂かれていた。
だが、観察に徹していたことによりそのスピードのカラクリをブッチャは見抜くことができた。コルトは加速する瞬間、空中に足場を作り出し、それを蹴ることによって飛行速度に跳躍力を上乗せさせていた。
その足場とは『希望の守り手(セイブ・ザ・レイ)』の破片である。シールドの破片を空中に形成し、それを蹴り砕いて加速する。鳥型キメラアントの飛行能力と強靭な脚力を一度に利用したブーストは恐ろしい速度を弾き出していた。
「ツーストライクだぁ!? この虫野郎こなすぞコラァ!」
腹立たしげに怒鳴り散らすブッチャだったが、その態度に反して心の中では多少の冷静さを取り戻していた。敵の攻撃の正体はわかった。ならば、そのことを気取らせないように演じつつ、次は確実に対処すればいい。
敵はバットの振りを警戒してブッチャの攻撃が届かない死角を狙ってきている。だから次の一手は威力よりも確実に敵に当てることを意識した。
「こいやぁ! ホームラン決めてやるぜ!」
ブッチャは視覚よりも聴覚を頼った。コルトが足場を蹴り砕く音を聞く。これまでの傾向を見る限り、直線的な飛行加速の性質から飛ぶ方向を調節するために二回の跳躍を行うことがわかっている。
一度目、二度目。音を頼りにブッチャはバットを構えた。フルスイングはしない。それはバントの構えである。超加速を得た敵の突撃は強く迎え撃たずとも当てるだけで自らに跳ね返るエネルギーとして利用できる。防御に近い攻撃だった。
バントで敵の攻撃態勢を崩し、隙が生まれたところに本振りの攻撃を打ち込む。今度こそ迎撃が成功したと思ったそのとき、ぬかるんだ地面に足を取られたブッチャは体勢を崩した。
まずいと思う暇もない。強烈な爪の一撃がブッチャの腹に叩きこまれた。威力が一点に集中した突きは、表面的な切り裂き攻撃よりも体内へ至るダメージとなる。
ブッチャの足元をさらった罠はペギーの『大地の教え』による後方支援だった。この能力の凶悪な点は発動の直前まで地中にオーラを潜ませておけるため凝による感知が難しいところだ。仮に感知できたところでコルトと応戦中のブッチャにどうにかできるものではなかった。
完璧な連携によりブッチャを手玉に取っているように見えるコルト。しかし、その内心ではいまだ倒れない敵に対する警戒が強まっていた。
オーラを集め威力を増した渾身の突きが防がれていた。腹部を抉り抜くつもりで放ったはずが、あと少しで臓器に達するというところで出現した金属の装甲がブッチャを守っていた。
それは彼の意思とは無関係に本能的に発動した賢者の石の防御機能だったが、何のリスクもなく頼れる便利な能力ではなかった。傷口を覆うカサブタのように結晶化したこの装甲は自分の意思で剥がせない。無理に剥がそうとすればますます装甲が厚くなる。
オーラの増幅により治癒能力もかなり高まっているため安静にしておけば外傷自体はすぐに治るが、傷口から侵食するように広がる結晶を消すことはできない。これが侵食の第一段階。結晶の侵食率が進めばやがて気が狂い、暴走状態に陥る第二段階に達する。第三段階は結晶に閉じ込められて二度と目を覚まさなくなる末路である。
強い精神力により生命エネルギーをコントロールする能力を身につけたブッチャたちはこの反応を他の被験体よりも抑え込むことが可能だったが、それでも一度反応が現れてしまえば自力で元の状態に戻ることはできなかった。
唯一、この反応は鎮静薬を使うことでしか治せない。その場合、賢者の石の力は一時的に使用不可となり、全身を動かせないほどの痛みに襲われる。その状態ではまともに念能力を使うこともできない。
ブッチャは一応鎮静薬の準備はしてきたが、敵との戦闘中に使えば自殺行為でしかないことを理解していた。心中に湧き起こる精神の乱れを完全に封じることはできない。だが、恐怖心に囚われれば精神を病み、侵食の速度も増していく。
「ちくしょう! ころす! ころしてやる!」
ブッチャが誰かれ構わずいつも他者に向けている殺意は結局のところ、自分自身の内から生じる負の感情に飲み込まれまいとする防衛反応に起因していた。
敵の強さを十分に偵察しないまま、こうして無策に攻撃を仕掛けた理由は自分の強さに自信があったことも一因ではあるが、そうでもして戦いに身を置かなければ精神を保てなかったためでもあった。
バルカンにしても妄想による肥大化した正義感を満たすためという理由の違いはあったが、やろうとしたことは本質的にブッチャと変わらない。他人よりも力の制御に長けていたとはいえ、彼らもまた幼い子供に過ぎない。誰もが少なからず追い詰められていた。
ブッチャは無理やり怒りを沸き立たせ、敵への憎悪を煽ることで精神の均衡を保とうとする。焦りから攻撃へと踏み込んだ彼は足元を滑らせた。ペギーの支援とコルトの速攻を前にして、ブッチャは防戦を強いられていた。
このまま行けば長くないうちにいずれ決着がつくと思われた戦いにおいて最初に違和感を覚えた者は、後方から戦場を見守っていたペギーだった。
「何だ……? これは……! ビホーン、気をつけろ!」
地中にオーラを通す能力を持つペギーだからこそ最も早く気づくことができた。地下から何かが高速で接近してくる。それはブッチャがコルトとの戦闘に入る前に打ちあげたフライだった。
上空高くに舞い上がったボールは重力に引かれて着地する。それをブッチャは“地面がボールの軌道を妨げたもの”と解釈した。『打ち滅ぼす者』の効果により、地面を掘り進みながらボールは加速し続けていた。
このボールの軌道を操作してペギーに向けたのである。ただし、これはブッチャにしても試作段階の技であった。地中を掘り進むことによりボールの威力と速度は維持できるが、その分軌道の操作は難しくなる。
狙った敵を地下から打ち抜くためには位置の調整のために地中を大きく旋回させる必要があり、その調整に何度も失敗していたため今まで攻撃に移ることができなかった。少しでも制御を誤ればコントロール不能となったボールはあらぬ方向へと飛んで行ったまま戻ってはこない。
今ようやくその調整が終わり、ボールは標的目がけて地中を飛ぶに至る。ペギーの能力は地面にひざまずくという制約があるためその場から一歩も動いていなかった。それがなければまずこの攻撃が成功する目はなかったと言える。
だが、ペギーは寸前で地下から迫るボールに気づいた。すぐに回避すれば間に合うかもしれないとペギーは思ったが、そこで一考する。師団長の中では知略に優れた頭脳を持ち合わせていたために、この土壇場の状況でいくつかの懸念が生まれていた。
地下から自分を狙い撃ちにするように迫る攻撃ということから敵が操作系の高い技術を持っているものではないかという疑念が湧く。回避したとしても攻撃の軌道を変えて来るかもしれない。下手に動くことは危険と判断した。
「ビホーン! 私のそばに!」
「おう!」
こと地中戦にかけて能力に自信を持つペギーは回避を選ばず、防御に踏み切った。オーラの最大量を込めて自分を中心として地面を硬化させる。地中の含有金属をかき集めて作り出した鉄壁の地盤に加えて、粘土質の衝撃を和らげるクッション層も作り出した多重構造の防壁。
その念には念を入れた最高の守りは、この上ない悪手だった。
速度の限界を突破したボールは、小さな破裂音とわずかな地面の破壊痕だけを残してペギーとビホーンの肉体をバラバラにした。ペギーは原形をとどめないまでに打ち砕かれ、辛うじて直撃軌道から外れていたビホーンは断末魔を上げることだけを許され死亡する。ボールは大気圏まで上昇して消滅した。
その悲鳴はコルトの耳に届く。突然の後衛への襲撃に対し、何の反応もせず目の前の敵に集中することはできなかった。
「ペギー……!?」
一瞬の隙。コルトは我に返り、とっさにシールドを張ったがその念防壁は砕かれた。自分を守るために作った障壁では最高値の強度は出せない。
壊された殻の中から出てきたコルトは辛くも致命傷だけは避けることができたが、その犠牲として右腕を失っていた。
コルトが右腕を失くし、ペギーからの援護もなくなった今がブッチャにとっての押し時であり、広がっていく結晶の侵食から逃れるためにも早く敵を撃破したいところだったが、そう簡単にも行かないことを悟る。
片腕を失おうともコルトから戦意は消えていなかった。負けて生き延びるよりも勝って死ぬ。そんな決死の覚悟を持った戦士の眼差しがあった。
「うわ、コルトやばそうじゃん。他の奴らは死んじゃった?」
そこにヂートゥが駆け付けてきた。ということは大剣使いの方は片がついたのかと思ったコルトだったが、破壊を広げながらこちらに向かって来るバルカンらしきものの姿はすぐに確認できた。
「うん、アレ倒すのは無理だわ。でもイイ感じに自滅しそうな感じじゃね?」
敵を前にして雑談し始めるヂートゥに対してブッチャが棘バットで殴りかかるが余裕で回避していた。ヂートゥはバルカンに対して有効な攻撃を与えられていなかったが、神経を逆なですることには成功し、激昂したバルカンは賢者の石の暴走状態となっていた。
バルカンは侵食第二段階の末期に近付きつつある。全身が結晶で覆われかけていた。高い適応能力を持つ彼だからまだ行動できているが、普通の被験体なら既に意識を失い第三段階へと入っていることだろう。手当たり次第に大剣を振りまわし、破壊の限りを尽くしながら進んでいた。
「良いこと思いついた! あいつをこっちの敵にぶつけて敵同士で戦わそうぜ! なんかもう敵味方の区別もついてなさそうだし」
事実、バルカンはブッチャとキメラアントの区別がついていなかった。ほぼ正気を失っているに等しく、動く物を追いかけて叩きのめそうとする戦闘本能しか働いていなかった。
バルカンを止めるには鎮静剤を注射するしかない。暴れ回る彼を拘束し、結晶の全身鎧を剥がして薬を投与する余裕は今のブッチャにはなかった。泣きごとを言う暇すらない。
「……こなす」
だが、諦めるわけにもいかない。そんな往生際の良さを持っていたなら、とっくの昔に賢者の石に飲み込まれていただろう。彼は強敵を求めてここまで来たのだ。ならば悲観することはない。バットを短く握り直す。
「行くぜ、まだ試合(ゲーム)は終わっちゃいねぇぞ……!」
「いや、終わりだ」
その声はコルトのものでも、ヂートゥのものでもなかった。空から降ってきた何かがバルカンの上に落ちる。それまで命の炎を燃やしつくすかのように暴れ回っていたバルカンは凄まじい衝撃音を響かせた後、沈黙した。
「このクソガキども……おしりぺんぺんされる覚悟はできてんだろうな?」
空から降下してきた物体は人だった。暴走状態のバルカンをパンチ一発で沈め、賢者の石の鎧を砕き割って鎮静薬を打ち込んでいる。子供ばかりの被験体の中でも異例の適合者、チェル=ハースが駆け付けていた。
「わお、次から次へと忙しいもんだね。まあ、でもどうせオレのスピードには敵わないんだろうけどさ!」
「待て! ヂートゥ!」
新たに現れた敵を目にしてヂートゥが実力を試そうとチェルに近づく。そして次の瞬間、師団長最速のスピードを持つ彼にさえ認識できないほどの速度で勝負はついた。
ヂートゥは何が起きたのかわからないまま死んだ。ヂートゥが最後に理解できたことは、接近した彼に対してチェルが拳を放ってきたところまでだった。当然、そんな動きは見切ることができた。チェルの手が触れる寸前のところで回避したつもりだった。
だが、そのヂートゥの認識はそもそも誤っていた。チェルの円『明かされざる豊饒(ミッドナイトカーペット)』の領域内において、視覚情報は当てにならない。領域内を通過する光の屈折率を変えることにより実物が存在する場所とその見え方に誤差が生じていた。
寸前でかわすつもりが攻撃圏内に入ったままだったのだ。チェルのパンチは一撃でヂートゥの頭部を吹き飛ばし、木々を数本なぎ倒すほど飛ばした後に爆散させていた。ヂートゥの体は頭部を失くした後も全力疾走を続け、森の奥へと消えて行った。
ブッチャは唖然としてその光景を眺めていた。チェルのことは知っていたがその実力まではきちんと把握していなかったのだ。やたらと口やかましい先生面したがりの大人としか思っていなかった。チェルがあまり物騒な気配を出さないようにオーラを隠していたことも要因の一つである。
迷彩服などの歩兵軽装で揃えたチェルの装備はこれと言って目立つものはない。賢者の石による武器は右手の指に装着した小型のナックルダスターのみである。しかし彼女の経歴と戦歴をもってすれば、その少量の賢者の石だけで十分だった。
一方、敵の強大さを肌で感じ取っていたコルトはヂートゥがやられている時には既に逃走体勢に入っていた。ブッチャだけならまだ何とか倒せるかもしれない見通しがあったが、もはやその望みすらついえている。
ここで意地を張って犬死にするよりも逃げのびて情報を持ち帰った方が遥かに賢明である。チェルがヂートゥを相手に動いた数瞬の隙を見逃せば、もう逃走の機会は残されていないとコルトは確信した。
できれば敵の目を引きつける役目はコルトが担い、ヂートゥを逃がすつもりだった。ヂートゥの逃げ足は誰よりも速く、彼を守るための戦いであればコルトのシールドは強化される。今となってはどうすることもできない。
そう思い飛び立とうとしたコルトだったが、チェルにばかり気を取られ過ぎていた。包囲するように飛来する鳥の群れに気づくのが遅れる。
紙型念鳥は逃げ去ろうとしていたコルトに纏わりつき爆発した。その威力はコルトの装甲を突破するほどのものではなかったが、足止めを食らってしまう。そこに次々と念鳥が殺到した。
コルトは『希望の守り手』によるシールドで念鳥を防いだ後、キックスタートで一気に上空まで飛び出そうとした。もし念鳥の群れが単なる念弾でしかなかったならば逃げられたかもしれない。とっさの状況から鳥たちが爪に持つ榴弾にまで意識が届いていなかった。
それらは全て対戦車手榴弾だった。戦車の装甲を破ることを目的としたこの手榴弾は通常の爆発弾とは大きく異なる構造をしている。爆発を直接対象にぶつけるのではなく、その圧力で内蔵する金属を流体化させ、超高圧のメタルジェットを噴出する。この仕組みから成形炸薬と呼ばれる。
メタルジェットの有効範囲は短く、槍のように伸びる軌道上しか破壊できず、ジェットの発射口となる弾頭が装甲に対して垂直にぶつからなければ十分な効果が見込めない。小型の手榴弾では威力に乏しく、その割に使用には高い投擲技術を要するため現在ではあまり使用されなくなった兵器である。
だが、その携帯に適した小型さからゲリラ戦法に用いられることがあり、反政府組織などの武装勢力では現役で使われている。かつてロカリオ共和国だったこの地でNGLの独立運動が激化した際に持ち込まれた死蔵品だった。
仮にも戦車を標的とするその威力、秒速7キロから8キロに及ぶメタルジェットは厚さ200ミリの均質圧延鋼装甲を貫通する。念鳥に持たせることにより正確な方向から適切に当てられた手榴弾は一斉に銅製の液状槍を噴射した。
オーラに守られた強固な生体装甲を持つキメラアントであっても、人間が生み出した兵器の科学力を跳ね除けることはできなかった。あるいは防御力に特化した個体であれば堪えられたのかもしれないが、軽量化に重点を置くコルトの装甲では防げなかった。
体中を蜂の巣のように貫かれ、壮絶な死を遂げたコルトの遺体が落下する。木々の影から姿を現したトクノスケはその最期を見届ける。対戦車手榴弾の大量使用は相手の強さと覚悟の大きさを見越した上での判断であり、過剰攻撃だとは思っていない。手を抜いて生きながらえるようなことがあれば命を燃やし尽してでも食らいついてきただろう。
死の寸前までコルトの目には戦意の光が宿っていた。それは高潔な意思を表しているようにさえ見えた。トクたちからすれば残酷な殺戮者にしか見えなかった化物の軍勢にも正義があり、兵たちには人間に近い感情があり、彼らには愛する者がいたのかもしれない。
だが、トクやチェルはそういった信念を持つ戦士たちをこれまでに何人も殺してきた。敵が善人であるか、悪人であるかは関係がない。それが戦争であり、無情さだった。
「さて、ブッチャ君も相当無理しましたね。さっさと鎮静薬打って帰りますよ」
「おわ!? お前いたのかよ!」
急に現れたトクに声をかけられブッチャは驚く。トクは被験体というわけではなく、かと言って研究者やNGL兵ともどこか違う立場であることを子供たちも感じており、よくわからない不気味な大人という印象を持たれていた。左目の眼帯もそのイメージを強めている。
さっきの紙型念鳥にしても子供たちの前で使ったのはこれが初めてのことであり、ブッチャからすればトクの能力であるかどうかも定かではなかった。賢者の石の適合者ではないという時点で戦力的には侮られている。
「ふん、薬はいらねぇ。こんなもん寝れば治る」
「やせ我慢してるとチェル先生からキッツイお仕置きされますよ。素直に自分で注射した方が身のためです」
「うっ……!」
チェルの恐ろしさは身に沁みて実感できたためかブッチャの顔が青くなる。ともあれ、無事に二人の子供を回収できたチェルたちはひとまず安堵した。説教は施設に帰ってからたっぷりすることとして、まずは早急に残りの二人と合流する必要がある。
被験体同士の電波通信による位置把握能力によってチェルは全員の位置を特定している。子供たちから発信される電波の感情図を読み取る限り、バルカン・ブッチャ組が危険信号を発していたため先にこちらの回収に来ていた。キネティ・ジャスミン組は敵本陣に深入りした男子組とは違ってそれほど危険なことにはなっていない様子だった。さっさと合流するように電波で意思を伝えている。
キメラアントの軍勢は逃げ遅れた残党を除いてほとんどが撤退していた。後々の危険を考えればここで徹底的に掃討しておいた方がいいかもしれないが、まだ敵の戦力が把握できていない状況で深追いすることは避けたかった。もう戦える状態にないバルカンとブッチャを守りながら戦うことにも不安がある。
ひとまずここからすぐにキメラアントが侵攻に踏み切ってくるとは考えられず、当面の危機は去ったものと思われる。チェルたちも引き上げるつもりだった。
「が、どうやらそうもいかないみたいだな……」
チェルは周囲の状況を探るため円に施していた小細工を解いて最大距離まで捕捉範囲を拡大した。適合者となった彼女の円の範囲はさらに成長し、半径150メートルを網羅できるまでになっている。
その急激な範囲拡大により逃げ遅れた敵の気配に気づく。その反応はキメラアントの残党とは違った。念能力に慣れ、熟達した手練れの気配が二つ。それらは捕捉されたことを悟ったのか隠れるのを止めて堂々と姿を見せた。
「やれやれ、これほど広範囲の円を使うとは」
巨大なキセルを肩に担いだ男と、黒いスーツ姿の男。どちらも人間だが油断ならないオーラを放っていた。キメラアントのように生物として備え持つ強さのポテンシャルだけで戦うような輩ではない。洗練された技の使い手であることがわかる。
あと少しでうまくいくと言うところで厄介な相手が現れる。戦争とは往々にしてそういうものだった。
* * *
「ねえ、チェル先生から呼び出しの信号来てるよね……?」
「そうだねぇ」
「や、やっぱり怒られるのかな……?」
「ボロカスに絞られるだろうねぇ」
ジャスミンは早く招集に応じなければと思いつつも、叱責を恐れて半泣き状態のままおろおろしていた。相方のキネティはと言うと、さっきまで戦っていた敵の屍骸を解剖している。
そのクモ型キメラアントは中々の強敵だった。キネティたちは知る由もないことだが、ザザン隊の兵隊長を務めるパイクという。階級は兵隊長でありながら、実力的には師団長に匹敵する能力を持っていた。
蜘蛛の糸は自然界において最強の繊維と言われる。鋼鉄の四倍の強度を持ち、蜘蛛の糸をペンほどの太さにして巨大な巣を作ることができれば、飛行中の大型ジェット機すら捕えることが可能である。
高い強度と粘着性を併せ持ち、さらにオーラによって強化されたパイクの糸に捕まればまず物理的な手段で脱出することは不可能となる。変幻自在の武器を操るキネティは拘束の隙間から攻撃することで何とかパイクを倒すことができた。
勝利を収めたキネティは敗者に鞭打つようにその死体を冒涜しているわけだが、これは別に腹いせのためではなく、単なる好奇心である。強力な糸をどのようにして作り出していたのか、その蜘蛛の腹部を切り裂いて中身を確かめていた。
生物学的な知識を持ち合わせていないキネティが解剖したところで何かわかるわけではないのだが、特に何かの情報を得ようという意図はない。ただ子供が虫を捕まえて興味本位に分解して遊ぶ。その程度の動機による行動だった。
「あっ、先生からまた通信だ」
つい先ほど招集の命令をかけたにも関わらず、今度はそれを撤回してその場で身を潜めるように連絡が来た。可能であれば十分に注意して施設まで自力で帰るようにという内容の信号が届く。
ぐちゃぐちゃとパイクのはらわたを戦鎚で掻き回しながらキネティは考える。危険信号を発していたバルカンの反応は落ち着いているので、チェルの救援が間に合ったのだろうが、まだ戦闘は完全に終息していないということか。
「ど、どうする? 帰る?」
「……」
キネティには一つの懸念があった。それはパイクとの戦闘中に感じた違和感である。キネティたちの強さを知った雑兵たちはパイクを残してすぐに逃げ去ったが、一つだけ残った気配があった。その気配を今もキネティは感じている。
何者かがキネティたちを監視している視線を感じた。そのキネティの感覚は念能力者としてのものではなく、芸術家として生まれ持ったセンスだった。
例えば店を訪れて、そこに商品を飾るマネキンが置かれていたとする。そのマネキンはただのディスプレイに過ぎないにも関わらず“人間の形”というものがあるだけで、人はそこに何らかの存在を錯覚する。商品を飾るだけなら陳列棚と同じ筈だが、棚の前と人形の前、横を通り過ぎた時に覚える感覚ははっきりと異なる。
キネティはその造形意識が一般人と比べて何十倍も鋭かった。彼女は彫像を作る時、石の原形の中に克明な完成像を思い描くことができた。その石をどう掘るべきか、一刀目を差し込む前に全てが決まっているのだ。彼女はその存在に内包された“形”こそが魂と呼ばれるものだと思っている。
それはあくまでキネティにとっての主観に過ぎないが、彼女は物体の魂を見抜く目を持っていた。『凝』によるオーラ感知では全く察知できないが、どこか近くに“魂の形”が身を隠し、自分たちを観察しているという疑いを拭い去ることができずにいた。
そして、その魂はどこにあるのかわからないほど存在が希薄であるにも関わらず、恐ろしく巨大で濃密な形をしている気がした。最初は気のせいかとも思ったが、その気配は確信を抱けるまでに近づいてきている。茂みに身を隠し、獲物との距離を測る肉食獣のようにゆっくりと。
「ジャスミンは先生のところに行ってくだせぇ。私はもうちょっと遊んで行くんで」
「え、でも……」
送られてきた命令とは異なる判断にジャスミンが戸惑っていると、キネティから電波による通信が届く。
『きょろきょろ だめ 敵 いる 先生 知らせろ 能力 使うな』
ジャスミンは硬直した。キネティに問いただそうとした口を塞ぐ。あえて電波による通信を図ったのは敵に気取らせないようにするためだ。そして、その信号には強い緊張の感情が乗せられていた。普段のキネティの態度からは考えられない。異常事態だと気づく。
「わ、わかった」
ジャスミンはぎくしゃくとした足取りでその場を離れていく。通信によってチェルに連絡を送ることはできるが、向こうも取り込み中ですぐに来てくれるかわからない。
ここで別れてジャスミンを逃がし、キネティが敵を受け持つ。他にもいくつかの対応策を考えたキネティだったが、敵のはっきりとした戦力がわからない中で最適な作戦を選び取れる自信はなかった。最悪を想定した判断である。
ジャスミンが離脱した後も敵の視線はキネティに向けられていた。何とか自分に注意を引きつけられたことにひとまず安堵する。パイクの死体を弄っていたことには敵を挑発する狙いもあった。手を止めて立ち上がったキネティに合わせたように敵が姿を見せる。
果たしてどんな化物が現れるのかと緊張半分、期待半分で待ち構えていたキネティだったが、その予想は大きく裏切られる。木の影からひょっこりと現れたのは、場違いなメイド服姿のうつむいた少女だった。
どくんと、心臓が跳ねる。キネティの目は少女の腕にしがみつく大きな虫へと釘付けになっていた。体長は1メートルほどもあり、体に止まらせているというにはアンバランスにもほどがある。何よりもその甲虫の装甲は独特の赤い光沢を放っていた。
キネティはその材質が何であるかと直感的に理解した。賢者の石に適合した者だからこそ理解できる。
「アルケミスト……」
被験体たちは進薬アルカヌムの原材料である賢者の石に適合することができ、自身の生命力をこの石と似た性質を持つ金属へと変換することができた。だが、それはオリジナルの石に及ばない。ひとたび術者の手から離れれば途端に劣化して消滅する粗悪品である。
完全なる賢者の石との適合こそアルカヌムの研究者たちの理想とする到達点だった。キネティたちはその研究の途上段階でしかない。まだ不完全な適合しかできないゆえに様々な副作用が生じているが、これを完全にコントロールし真の原石を錬成できるようになったとき人類は無限の生命力を得て、本当の進化に至る。
それこそが念能力者を超えた人類の新たな段階『錬金術師(アルケミスト)計画』だった。万物の素を追究し、永遠の命を手に入れようとした夢物語の錬金術は現実のものとなる。
この少女は原石との適合を果たしたというのか。キネティの記憶では施設にいる被験体の中にこの少女はいなかった。別の研究施設にいたのだろうか。敵なのか、味方なのか。
さまざまな疑念は、うつむいていた少女が顔を上げたとき霧散した。キネティと少女の目が合う。その直後、少女は絶を解いて自身のオーラを解放した。
そのおぞましい魂の形を目にしたキネティは、眼前の存在が善悪の基準で計れるものではないことを知った。それは力の塊でしかない。ただの、災害だった。
爆発。脳に走る衝撃。回転する視界。そしてキネティは頭部が無くなった自分の体を見た。
辛うじてわかったことは、少女が一瞬にして距離を詰め、キネティの首を掴み取ったということだけだった。吹き飛ばされた彼女の頭部は自身の死に様を見ていた。その命は瞬く間に葬られた。
「と、思った?」
首を失ったキネティの胴体が戦鎚を振り払った。思わぬ反撃を、少女は甲虫を盾にして防ぐ。戦闘を続行する首なし死体に追撃は加えず、少女は様子見のために一度距離を取った。
切断された首から噴き出した血がずるずると頭部を引きよせ、キネティの体の中へと収まっていく。いかに適合者といえども致命傷を受ければ死ぬことに変わりない。その肉体はキネティ自身の物ではなかった。
彼女のもう一つの念能力『自刻像(シミュラクル)』によって作り出された念人形である。
術者本人は施設のベッドの上で寝た状態だった。彼女は薬の副作用により脳に深刻な障害が発生し、適合こそできたものの植物人間状態のまま意識が回復することはなかった。
だが、肉体的に目覚めることはなくとも精神は覚醒していた。彼女は活動可能な自分の肉体を具現化することで作品を作り上げた。彼女にとって魂とは形である。形さえあればそれは自己であった。
この念人形は同時に複数体は作れず、制作に時間がかかるなど様々な制約はあるが、壊されても本人が死ぬことはない。だからこそジャスミンは安心してこの場をキネティに任せることができた。
「それでもあんたには勝てないだろうけど、ここを通すわけにはいかねぇんでさぁ」
ジャスミンを逃がすための時間くらいは稼ぐ。仲間のためという気持ちはあったが、それよりもキネティは少女の存在を認めたくなかった。
研究者たちが目指す新人類の完成形とはこんなものなのか。その実験台にされた自分たちはこんなものにされようとしているのか。
自分は決して力に飲み込まれ、自分を見失うようなことはないという決意が戦意となりキネティを奮い立たせた。力で勝てずとも心まで屈するわけにはいかない。彼女は自分の魂(かたち)を強く思い描いた。