カーマインアームズ   作:放出系能力者

82 / 130
80話

 

「だから敵じゃねーっつってんだろうが!」

 

「はいわかりましたと、すんなり信用できるか!」

 

 モラウとチェルは戦闘に入っていた。最初からいきなり今の状態になったわけではない。互いに素性が不明な状況の中、出来る限り情報を開示して歩み寄る姿勢を見せていた。

 

 モラウとノヴのハンター組はキメラアントの討伐が目的である。なし崩し的にNGL軍に所属しているチェルたちと直接的な敵対関係にあるわけではなかった。

 

 聞けば、怪しげな薬の実験台にされていたらしい。ここにいる以外にも多くの子供たちが研究対象として囚われている。名目上は保護という形を取っているが、それが建前に過ぎないことは明白だった。

 

 熱血人情派の性格をしているモラウはその話を聞いてチェルたちを何とか解放できないかと考え、提案した。しかし、すぐさま手を取り合えるほどに互いに信用を置いているわけではない。

 

 モラウは討伐任務の説明が行われた際に、キメラアントとは別件でNGL内部に不穏な動きが見られることを事前に知らされていた。NGLを裏から取り仕切る麻薬密売組織がスカイアイランド号事件に関与し、災厄のサンプルを入手した疑いがあるという情報をハンター協会は掴んでいた。

 

 赤い結晶体を扱い、ただの念能力者とは思えない力を見せた子供たち。モラウは彼らが災厄のサンプルであると確信した。災厄が絡んでいるとなれば野放しにしておくことはできない。麻薬組織からの解放を提案したものの、言い換えればそれはハンター協会による保護への移行だった。

 

 チェルからすれば自分の一存で子供たちの運命を左右する選択をすぐにできるわけがなかった。ハンター協会の信用性の問題もあるが、現在NGL軍に属している最たる理由が鎮静薬の存在である。

 

 NGLが抱え込んだ研究チームと設備がなければ鎮静薬の製造はできない。いわば被験体の首輪となる鎮静薬の情報をジャイロの目を盗んで持ち出すことは不可能だった。下手に奪おうとすれば研究情報を抹消される恐れがある。そうなれば被験体は生きていけない。

 

 その辺りの事情をチェルとモラウは話せる範囲で互いに主張し合ったが、落とし所は見つからず。次第に口論はヒートアップ。怒鳴り合いに発展した末に。

 

『この頑固野郎! もういい、殴り倒してでも連れていくぞ!』

 

『やってみろ! 鼻デカグラサン!』

 

 肉体言語で語り合うことになってしまった。横で成り行きを眺めていたノヴとトクは、なぜだと頭を抱えずにはいられない。

 

「結局やんのかよ。じゃあ俺は向こうの黒スーツの相手を……」

 

「やめときなさい。あっちも結構な手練れです」

 

 トクは飛び出そうとしていたブッチャの肩をつかんで引き留める。モラウが吐き出した煙幕の中に見え隠れするノヴは、その場から動いていなかったがいつでも戦闘に移れるよう臨戦態勢を整えていた。

 

 結晶侵食の進行状態にある今のブッチャでは勝負にならないだろう。トクは気絶しているバルカンを背負っている。その上ブッチャを守りながら戦えるほど安い相手ではないと警戒を強めた。

 

 その一方で、ノヴもまた出方をうかがっていた。トクの周囲には爆弾を持った念鳥が何羽も待機している。災厄の力にしても未知数の部分が多く、モラウほど直情的に敵へ突っ込むような性格はしていない。

 

 ノヴはこの一件に深入りする必要はないと考えていた。あくまで彼らが受けた依頼はキメラアントの討伐である。それですら苦慮しているというのに新たな問題を抱え込む余裕はない。情報を本部に持ち帰り、その後の判断は本部に任せるべき案件だと考えていた。

 

「くそっ、いいパンチ打ってきやがる……!」

 

 キセルで受け止めたチェルの拳の衝撃はモラウの腕に響いた。チェルは円を使いながら戦っているため、モラウの煙幕による視界不良は苦にならない。さらにその円は『隠』と『光の屈折』による感覚誤差を誘発させる。

 

 しかし、モラウもまたチェルの能力に惑わされることはなかった。モラウの煙幕は彼の付近のみの効果であるが、円の役割を果たすこともできる。もともと視界が閉ざされた煙の中での戦法を得意とする彼に目くらましは効かない。互いの能力を封じ合う形での戦いとなった。

 

 そうなれば勝負を分けるのは純粋な戦闘の実力となる。はっきり言って、モラウは分が悪かった。彼はチェルがヂートゥを瞬殺した光景を見ている。戦う前からチェルが強大な身体能力のみならず、類稀なる武を修めていることは理解できた。

 

 モラウとて並みの能力者に劣るような鍛え方はしていない。本来はサポートを主体とする能力の性質でありながら、肉体的な強さにおいても鍛錬は欠かさなかった。発の応用力と合わせた総合的な戦闘技術で言えば一流以上の使い手であると明言できる。

 

 だからこそわかる。チェルの一撃に込められた重みには、彼女が積み重ねてきた死線の数々が集約されていた。力と技と経験、それらが一体となった武術は賢者の石によってさらに昇華されていた。

 

 ハンター協会においても指折りの上位者でなければ、これに勝る使い手はいないかもしれないと思うほどの実力。だが、モラウはいまだ負傷することなく戦い続けていた。

 

 その理由は手を抜かれているからだ。チェルの攻撃からはまるで殺気を感じない。モラウはそのことに怒り心頭となるが、同時にチェルの“優しさ”を認めてもいた。

 

 拳と拳で語り合う。ノヴのような者からすれば頭が悪いと言われるやり方だが、モラウはこれ以上ないほど人間の本質を見極められる手だと思っている。どんなに感情を殺すことに長けた人間だろうと、他者を攻撃するという行為には必ず意思がこもる。拳を合わせれば、そこに言葉を超えた感情の衝突が生じるものだ。

 

 言葉を交わしただけではチェルの人間性に確証は持てなかった。だが、拳を交わした今ならばモラウにもわかる。彼女は本心から、被害に遭った子供たちを守るために行動しているのだろう。モラウに見て見ぬふりをすることはできなかった。

 

「まあ、あんたの言う通りハンター協会にもろくでもねぇ連中が大勢いる。信用できないってのは否定できん」

 

 パリストンはNGLに災厄が持ち込まれた疑いがあることをモラウたちに伝えたが、その対処まで任せるようなことは言われていない。キメラアントの討伐をおろそかにもできず、モラウたちに任務を過剰負担させるようなことはしなかった。

 

 災厄の件に関しては、折りを見てパリストンが手配したハンターが別に対応する手はずとなっていた。一応、NGL国内で任務に当たるモラウたちにも接触する可能性はあるため事前に情報だけは伝える形となったのだ。

 

 災厄を利用しようと考える麻薬組織など、どうせ裏社会に芯まで浸かった薄汚い人間の集まりである。見つけた場合は深入りしなくていいが、可能であれば処理してくださいとパリストンは言った。そのときはモラウも特に疑問に思わず了承した。

 

 だが、実際に遭遇してみればそう簡単に割り切れない複雑な事情があった。ここで任務を優先して無視したとしても、後詰に控えているのはパリストンの息がかかったハンターである。安心して後を任せることはできなかった。

 

 協会本部もパリストンが完全に独裁しているわけではない。情報を上げれば十二支んが精査して適切な判断を下してくれるかもしれないが、それには時間がかかる。合議制の宿命と言うべきこの欠点はどうしようもない。パリストンによって確実に議場は荒らされることになるだろう。

 

 パリストンがどこまで事情を把握し、どこまで先を読んでいるのか定かではない。巻き込まれているモラウからすれば本当に面倒な仕事を回してきたものだと悪態をつきたい気分だった。

 

「だからハンター協会を信用しろとは言わねぇ」

 

 キセルとナックルダスターがぶつかり合う。

 

「オレを信じろ」

 

 容赦なく押し潰すように力を込めながらモラウは笑った。チェルは返事を返せない。少しずつ信頼へと傾き始めた心境を表すように彼女の拳が押されていく。

 

 子供たちに先生と慕われる生活の中で、彼女は特殊部隊に属していた以前のように非情な人間性を必要とする環境から離れていた。モラウが戦うことによって愚直に相手を感じ取ろうとしたように、チェルも少なからず同じ感覚を得ている。

 

 今のままNGLが用意した環境に残り続けることも問題だった。ただ従い続けるだけでは利用されて使い潰されるだけだ。どこかで離反する必要がある。その機が見出せない今、外部に伝手を持つことも検討に値する。

 

 信用すべきか、せざるべきか。葛藤に悩むチェルのもとに電波による通信が脳内へ届いた。

 

『たすけて 襲われた キネティ』

 

「ジャスミンか!?」

 

 チェルはキセルを弾き返して距離を取った。通信に集中する。どうやら後回しにしていたジャスミン・キネティ組が襲撃に遭ったらしい。ジャスミンは逃走中、キネティは敵と交戦中の模様である。

 

 キネティに状況確認の信号を送ってみるが、戦闘に意識が集中しているためか断片的な情報の返信しかなかった。苦戦しているようだ。

 

「女の子、メイド服……? 敵はあの魔獣たちじゃないのか?」

 

「やべっ!? それは多分、オレたちの連れだ……」

 

 モラウはチョコロボフというもう一人の仲間がいることをチェルに告げた。キメラアントの軍勢が進攻する光景を見て、様子を確かめるために隠れながら後を追っていたモラウたちだったが、戦闘衝動を抑えきれなくなったチョコは鉄砲玉のように勝手に先行してしまった。

 

 何も知らせずに四次元マンションの中に待機させていたのだが、モラウたちの雰囲気から戦闘の気配を肌で感じ取ったのだろう。モラウとノヴは様子見に留めるつもりだったのだが、そのせいで戦場に深入りせざるを得なくなったと言える。

 

 チェルたちの仲間がこの場以外にもいたということを初めて知ったモラウは焦りを感じた。てっきりチョコはキメラアントの残党の相手でもしているものと思っていたからだ。まさか人間相手に襲いかかるとは思っていなかった。

 

「襲われてる子は、子供なのか?」

 

「そうだ」

 

「あの馬鹿娘……!」

 

 モラウはキセルを地面に叩きつける。確かにパリストンから災厄に関わった麻薬組織の人間は処理してもいいと許可が出ている。殺しの許可だ。人類に災いをなす危険の排除は、時に冷酷な決断を必要とする。個人の感情を挟む余地はない。

 

 だが、相手は子供だ。見ればわかる。チョコ自身、災厄の力を身に宿しているはずだ。同胞とも言える存在ではなかったのか。両者の間にどんな経緯があったのか知らないが、モラウには早まった判断であるような気がしてならなかった。

 

「すまん……」

 

「もとより謝られるような関係ではない。キネティに関しては心配することはない。それよりも早くジャスミンと合流するぞ」

 

 キネティの能力について知らないモラウはチェルが楽観し過ぎているように感じた。チョコはモラウたちの想像を超えた怪物へと成長している。初対面の時に感じたチョコの人間味はNGLに入ってからというもの、日を追うごとに欠落していった。

 

 敵を殺すたびに強くなる。修羅場をくぐることで強さを得ることは確かにあるが、チョコの成長はそんな武道の領域にはなかった。まるで経験値を得てレベルアップするゲームのように『殺し』をトリガーとして彼女は強くなる。

 

 女王と護衛軍の討伐のためにその変化はある意味で望ましかった。それくらいチョコに強くなってもらわなければ討伐依頼の遂行は困難を極める。アメーバ状に広がる円より発せられるオーラの波動を見ただけで、護衛軍の強さは化物を超える化物だと確認できた。現実問題としてモラウとノヴの力だけではどうにもならない。

 

 モラウもチョコがどんな人間であるのか、言葉や拳を交わしただけで何もかもがわかるわけではない。強くなろうとすること自体は念能力者として当然の心構えであり、その努力を全て否定する気はなかった。しばらくは傍で見守ろうと決める。

 

 しかし、さすがにチョコの変貌は看過できる規模を超えつつあった。もはや戦いから遠ざける以外にチョコを止める手はないと思ったモラウは本部に彼女の更迭を進言するも、受け入れられなかった。何よりも、チョコ自身が戦場に身を置くことを望んでいた。

 

 ノヴの四次元マンションに敵を送り込み、そこでチョコに処理させるという一見して可哀そうにも思える扱いも、彼女のことを考えてのことだった。檻の中に閉じ込め、適切な量の餌を与えて管理するためだ。

 

 モラウとノヴの任務はチョコの手綱を取ることに変わりつつある。ジャスミンのもとへと向かったチェルたちに続き、モラウたちもチョコに持たせた発信機を追って駆けだした。

 

 

 * * *

 

 

 チョコの意識は細分化され、戦闘に関する様々なタスクが並行処理されていた。彼女にとってハンター協会から与えられた命令が行動原理であった。敵を倒す。その命令は抑制の効かない殺人欲求と結びつき、目的や理由が欠如した状態のまま彼女を戦闘に走らせていた。

 

 思考領域を占める仕事量のほとんどが戦闘に割かれていると言っていい。それは人間性を極限まで排した先にある機械のごとき常在戦場の境地であった。

 

 その分割思考において一つだけ非合理的な仕事をする者がいる。他の意識の仕事を阻害し、タスクの処理に遅滞を生じさせる存在。それが『私』だった。

 

 少女にとって『私』とは、その程度の存在になり下がっていた。頭の中の扉が開かれるたびに思考領域は拡大し、悪意に汚染された分割意識が流入する。もはやその悪意は大多数を占め、異質なものではなくなっていた。

 

 少女の手には砕かれた赤い石が握られていた。それはみるみるうちに風化し、形を保てなくなっていく。キネティの念人形は破壊されてしまった。

 

 キネティが使った力はアルメイザマシンに類するものであり、事前にパリストンから知らされていた麻薬組織の情報と一致する。つまり、処理すべき敵であると分割思考は判断を下した。

 

 『私』は必死にその決定に抗ったが、ひとたび戦闘行動に移った少女の攻撃を止めるには至らなかった。

 

 結果としてキネティは念人形だったために本人を殺すことにはならなかった。だが、それは結果でしかない。チョコがキネティに対し、明確な殺意をもって攻撃したという事実は覆らない。

 

 凶暴なキメラアントを殺すだけならまだ自分に言い訳はできた。相手は到底分かり合えるとは思えない人外の敵である。殺すしかなかったのだと自分をごまかすことも何とかできた。

 

 だが、それが自分勝手な正当化であることを自覚しつつあった。どんなに怪物じみた姿形をした相手だろうと、意思があった。人間のように怒り、恨み、恐れをあらわにする。意思を持つ存在を殺していく感覚は『私』の精神を少しずつ削っていった。

 

 その感情はキネティとの一戦を経て、ついに決壊する。チョコは悪人ではなかったかもしれない子供を殺そうとしたのだ。

 

 その事実は『私』を追い詰めた。チョコの中で『私』は限りなく小さな存在となり、無数の意識に埋もれていった。それは彼女の最後のタガが外れてしまったことを意味していた。

 

「チェル先生!」

 

 チェルたちは無事にジャスミンと合流を果たした。その光景をチョコは見ていた。早々にキネティを片づけた彼女は逃走したジャスミンの追跡を再開している。あえてジャスミンを襲わず、敵の仲間が他にもいるものと見て泳がせていた。

 

「ハンターってのはよっぽど隠れるのが好きな奴らみたいだな。こそこそしてないで出て来い」

 

 チョコの絶にジャスミンは気づかなかったが、警戒網を張り巡らせていたチェルはその気配を感じ取った。既に通信が途絶えてしまったキネティの念人形のことやモラウの話から、チョコという少女がかなり攻撃的な性格をしていることはチェルにも予想できた。油断なく待ち構える。

 

 だが、その程度の心構えでは不十分だったと言わざるを得ない。少女のオーラはこの世のものとは思えない悪臭を放っていた。冥府の底で苦しみ続ける罪人の血を絞り取り、汲み上げてきたかのようなおぞましい死臭が押し寄せる。

 

 その元凶は得体が知れなかった。それは卵を彷彿とさせる。内側から殻を割り、生命の誕生を思わせるヒナドリのようだった。だが、これほど濃密な死の気配を垂れ流す者がまともな命であるはずがない。この堪えがたい吐き気を催す存在の先に、これ以上何を生み出そうと言うのか。

 

 そしてチェルは少女の姿を見てしまった。チョコロボフと呼ばれた少女が何者であるかをようやく理解する。その瞬間、チェルの脳裏には様々な思いが去来した。

 

「シッ、クス……」

 

 彼女を苦しめている『賢者の石』も、元をたどればシックスと無関係ではない。第六災厄への接触を果たすため、合衆国から与えられた任務がチェルを変えた。今の彼女の置かれている状況が決して望ましいものではないことは確かだ。

 

 しかし、だからと言ってシックスやクインのことを恨んだことは一度もなかった。災厄の力はチェルにどのような最期をもたらし、人類をどのような方向へと進ませることになるのか。そんなことは関係ない。

 

 クインは共に苦境を乗り越えた戦友だった。その思いは今でも変わらない。だからこそ、まさに襲いかからんとするシックスの姿を見たとき、チェルに大きな動揺が走る。

 

 様々に入り混じる感情がチェルの思考を妨げた。それに対して、迫り来る少女に一切の躊躇はない。それはもはやクインでもシックスでもなかった。チョコと呼ばれた少女にとって、目線の先に立つ存在は敵としか映っていない。

 

 むせるような死臭を放つ必殺の一撃は黄泉から吹く風のごとくチェルへと迫る。当たれば死ぬ。十中八九、助からない。その生死の瀬戸際に立たされた彼女の命運を分けた者は、チョコでもチェル自身でもなかった。

 

 チェルの体に抱きついていたジャスミンだ。ジャスミンは敵の接近に反応できたわけではない。何か恐ろしい気配だけを感じ取り、その不安からチェルにすがりついていた。

 

 チョコはチェルだけでなくそのすぐそばにいるジャスミンも標的にしていた。このままではチェルのついでに殺されてしまうだろう。

 

 ジャスミンを守らなければならない。その思いがチェルの反応を間に合わせた。ただ恐れをなして寄り添うことしかできなかった幼子の存在がチェルを救った。

 

 凄まじい衝撃がチェルを襲う。腕の中に抱えたジャスミンもろとも吹き飛ばされていく。それはチェルがチョコの攻撃に対し、反発して原形をとどめたまま弾かれるだけの防御ができたという証だった。刹那でも反応が遅れていればその場で爆散していただろう。

 

 森の木々をなぎ倒しながら飛んで行く二人を逃がすまいとチョコは即座に追撃に移ろうとしたが、それを邪魔するように大量の煙幕が立ち込めた。煙の中から複数の人影がチョコ目がけて飛びかかる。

 

 それはモラウの能力『紫煙機兵隊』によって作り出された念人形だった。偵察用のウサギ型念獣とは違い、この念人形は戦闘用に調整されている。最大で216体まで制作して同時操作可能という驚異的な能力であり、数を少なくしてオーラを集中させればより強力で精密な操作もできる。

 

 それでもチョコを相手にして太刀打ちできるほどの強さはないが、足止めにはなった。煙幕に紛れて身を隠したチェルのもとへとチョコを除く全員が集まる。

 

「先生、怪我したの……!?」

 

 チェルの右腕は肘から先が無くなっていた。防御は確かに間に合ったはずだった。チェルの磨き抜かれた超高速のオーラ移動術を駆使して『流』により防いだはずが、それでも攻撃の威力を殺しきれなかったのだ。チェルがチョコに対して抱いた死のイメージは大げさではなかった。

 

 傷口は結晶で覆われている。いかに賢者の石のオーラ増幅効果による回復力の増強があっても欠損した肉体が元通りになることはない。さらに結晶侵食が発症してしまったチェルは、侵食が広がりきる前に鎮静薬を投与する必要がある。それは彼女の戦闘可能な時間に明確な制限が生まれたことを意味していた。

 

「心配すんな。このくらい大丈夫だ」

 

 ジャスミンは自分のせいでチェルの足を引っ張ってしまったのではないかと涙ぐむ。チェルは優しくジャスミンの背中を撫でて安心させようとした。そんな二人の様子を見てモラウが頭を下げる。

 

「本当にすまん。まさかあいつがここまで壊れるとは思っていなかった。オレたちの監督不行き届きだ」

 

 モラウにしても先ほど見たチョコは異常だった。少なくともここに来る前までは意思疎通が何とかできていたが、今となっては言葉が通じるかもわからない。

 

 このわずかな時間のうちに劇的な変化を促す要因があったのか。モラウに確証はなかったが、キネティという少女との戦いがきっかけになったのかもしれないと勘づいていた。

 

「……避難する方はこちらへ。安全な場所まで送ります」

 

 地面にできた真っ黒な水たまりのような穴からノヴが上半身を覗かせる。その様子から念空間系の能力者だとわかったチェルたちだったが、避難の誘導に従うことはできなかった。

 

 チョコがハンター協会の手の者であることは事実であり、モラウやノヴと思想を異にすると言っても同じ所属であることに変わりはない。ノヴの怪しげな念空間に気安く入るほど信用は置けず、チェルやトクからすれば子供たちを安心して預けることはできなかった。

 

「そうか。ならこの煙幕に隠れて逃げろ。オレたちが時間を稼ぐ」

 

 モラウは『紫煙機兵隊』でチェルやトク、子供たちの姿に似せた全員分の身代わりを作り出した。その見た目は非常に精巧で、先ほど負ったチェルの腕の傷まで忠実に再現している。この擬態念人形の精度はかなりのもので、円による触覚探知さえ欺く。実際に攻撃を当てでもしない限り気づかれることはない。

 

 さらにモラウの煙幕は、煙の粒子に付着したオーラが空気中に飛散した状態を作り出し、単純な『凝』による観察では煙幕内の生体反応を察知しにくくしている。絶を使えばより完璧に気配を隠すことができた。

 

 十分に逃走可能なサポートが整っていた。子供たち三人は戦えるような状態ではなく、チェルも片腕を大きく負傷していた。逃げた方がいいことはわかっている。だがチェルはチョコの暴走を目にして、このまま放っておいていいのかという迷いがあった。

 

 一瞬のことだったがチョコが持つ赤い甲虫が高純度の賢者の石であることにチェルは気づいていた。それは人間が扱えるように調整した災厄ではなく、原石と言えるほどの力を持つはずだ。

 

 もしチョコが被験体と同じく精神の侵食を受けているのだとすれば、あの暴走を止められるかもしれない。鎮静薬を打てば反応を抑制できるのではないか。原石の侵食に効果があるかわからないが、やってみる価値はある。

 

 そんな考えを見透かしたかのようにトクがチェルの肩に手を置いた。引き留めるように強く力を込めている。

 

「余計なことは考えないでください。今は、逃げましょう」

 

 トクの申し出を薄情とそしることはできなかった。トクがチェルの身を案じていることは理解できたからだ。あまりにも危険な賭けであることはチョコの攻撃を受けた彼女だからこそ良くわかっている。

 

 葛藤に苦しむチェルはこのとき円を発動していなかった。通常、円は術者を中心とした半球体状に展開されるため、使用すると逆に位置を特定されてしまうことにもなる。ゆえに最も早く戦況の変化を察知した者は、煙人形によりチョコを足止めしていたモラウだった。急速にチョコの反応が接近してくる。

 

「まずい……早く逃げろ……!」

 

 チョコが尋常ならざる精度の凝を使うことをモラウは知っていた。二つの視界を合わせた二重凝ならばモラウの煙幕も数十メートルほどなら看破できる。それを見越した上で十分に距離を取っていたはずだった。チェルたちが逃げるくらいの時間は稼げると踏んでいた。

 

 あまりにも正確で迷いのないチョコの動きに戦慄する。擬態させた煙人形の囮も役に立たなかった。いくら凝の精度が高かろうと外側から見ただけで真偽がわかるはずはないのだが、見向きもされず素通りされる。囮の疑いがあったとしても本物との見分けがつかない以上、普通は攻撃するはずだ。

 

 つまり、何らかの手段で完全に真偽を見分けているとわかる。その手段とは、覚醒した少女の知覚にあった。

 

 人の五感と意識を合一し、分け隔てを取り払った境地である。眼、耳、鼻、舌、身、意に非ずして有為有漏を幾ばくか見通す心眼を得る。かつてクインが編み出し『共』と名付けた技だった。それはチョコの身の内から生じた直感に近く、何をしたのかチェルたちにわかるものではなかった。

 

 チョコの思考は極めて機械的に働いていた。この戦場において真っ先に仕留めるべき敵を見定め、ひた走る。

 

 少女の貫手がモラウの腹を切り裂いた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。