カーマインアームズ   作:放出系能力者

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81話

 

 ノヴは四次元マンションの一室を、怪我人を運び込むための救護室として準備していた。医療機器に囲まれたベッドの上には重傷を負ったモラウが横たわっている。ノヴが何とかモラウを戦場から離脱させていた。

 

 モラウは常人なら致命傷と言える重篤な状態だった。チョコの攻撃は腹部を貫通し、臓器にまで達するダメージを与えている。念能力者でなければ命を落としていただろう。

 

 その命もこのまま放っておけば容易く消えてしまう。早急に病院へ搬送し、手術を受けさせる必要があった。それでも助かるかどうかわからないギリギリの状態である。

 

 既にNGLの外の街で待機させていた弟子たちに連絡を入れている。不用意に重体のモラウを移動させるべきではないと判断し、医療機関への手配は弟子たちに任せてノヴは応急処置に当たっていた。モラウは血を吐きながら咳き込み、身じろぎする。

 

「動くな! 死ぬぞ!」

 

「そういうわけには……いかねぇだろ……」

 

 致命傷を負ってなお、モラウは挫けなかった。二人が四次元マンションの中にいるということは、その外でチョコとチェルたちの戦いが続いていることを意味している。動かない体を押してでも、じっとしていられなかった。

 

 モラウはチョコから攻撃を受けたとき、その拳から意思を感じ取っていた。あれだけの溢れんばかりの殺意をほとばしらせながら、チョコはモラウを殺めてはいない。彼女の実力ならば一撃で即死させることもできただろう。

 

 だが、そうはならなかった。モラウはチョコに生かされたのだ。それはほんのわずかな、気まぐれのような手加減だったが、確かに自分を抑え込もうとする意思を感じた。

 

 まだチョコには理性が残っている。止めてやるのが仲間の務めだとモラウは思っていた。

 

「馬鹿か……!? できるわけないだろ! お前はあれを見てまだ仲間だと……!」

 

 ノヴも、できることならチョコを制止したいと考えている。これはプロハンターとしての失態であり、チョコと同じチームであるノヴにも事態の収束を図る責任はある。だが、それは現実的に考えて不可能だ。

 

 チョコが威圧を放ちながらチェルたちの前に姿を現したとき、その場にいた者たちは少なからず動揺した。しかし、それでも前を見据えて対峙したモラウに対し、ノヴは思わず一歩後ずさっていた。

 

 その瞬間からノヴは戦意を失っていた。勝てるわけがない。小刻みに震え続ける両手が彼の抱く恐怖の大きさを表している。

 

 

(視ただけで、精神が折れてしまった……!!)

 

 

 何とかモラウを回収できたことすら奇跡のような僥倖だった。チョコの目を盗む隙などない。恐怖を押し殺して死に物狂いでモラウを助けに向かったノヴを、チョコは見逃したのだ。

 

 慈悲ではない。その目は路傍の石を見るかのようにまるで関心がなかった。それはノヴの戦闘能力を軽視したためと言うよりは、完全に戦意喪失したノヴの様子から取るに足らずと判断された結果だった。

 

 少しでも敵意が残っていれば殺されていたかもしれない。その感情を伴わぬ殺戮人形の視線はノヴの記憶に鮮烈に焼きつき、血も凍るような怖気を走らせた。

 

 冷静に物事を判断する性格のノヴは、モラウのように根拠のない精神論に走ることはできなかった。それはある意味で心の弱さとも言えたが、どちらかと言えばモラウよりもノヴの方が生物として正常な反応であった。

 

 あの戦場に再び戻るということは自殺行為以外の何ものでもない。行っても死んで終わりだ。チェルらを気の毒に思う気持ちはあれど、自分の命、モラウの命、情報を持ち帰るという使命、それら様々なものを天秤にかけ、ノヴは消極的に決断した。

 

「もう無理だ……あれを止めるなんてことは、オレたちには無理なんだ……」

 

 モラウは抵抗するだけの余力すら奪われ、意識を失う。ノヴはスーツを血まみれにしながら必死に救命処置を続けた。

 

 

 * * *

 

 

 モラウが戦線離脱し、森を覆い尽くしていた煙幕が霧散していく。これで姿を隠すことはできなくなった。チェルにとっては腹をくくる良い契機になったとも言える。

 

 この場にいる全員が無事に済むなんて虫の良い話はない。誰かが犠牲になる必要があることは明白だった。

 

 チェルがチョコと戦い、他の者たちを逃がす。彼女はその作戦が最善であると判断する。そこに私情が挟まれていることは確かだが、チョコと戦えるだけの力を持つ者は自分しかいないとわかっていた。

 

「その役目は僕が引き受けましょう」

 

 トクノスケは、そんなチェルの内心を予想していた。暗黒大陸渡航プロジェクトが立ち上がった時から一緒にいる仲間だ。この場で何を考えているのかということくらいはわかる。

 

 トクは背負っていたバルカンをブッチャに渡した。そしてチェルの横を通り過ぎて最前へ出る。チェルの横に並ぶことはなく、通り過ぎて背中を見せた。

 

 トクの戦闘スタイルは大量の念鳥を使った後方支援タイプの能力者である。接近戦ができないわけではないが、あえて自分から前に身を乗り出す必要はなかった。

 

 チェルが自分を犠牲にしようとしたように、トクもまた同じ考えを行動で示したのだ。共闘ではなく、自分一人で戦おうとしている。その『下がれ』と言わんばかりの態度にチェルは納得できるはずもなかった。

 

「お前の念鳥が通用する相手じゃないだろ。片腕を怪我したとはいえ、まだあたしの方に分がある」

 

「そうですか? 少なくとも今のチェルさんより僕の方が戦えると思いますが」

 

「……近づかれたら終わりの貧弱モヤシが言うじゃねぇか。さっきは不覚を取ったが、もうあんな無様は晒さない。賢者の石の適合者様をなめんなよ」

 

「そうじゃないでしょ。そういうことじゃない」

 

 トクは振り返らなかった。チェルに彼の表情はわからなかったが、トクのオーラから静かな、揺るぎない決意が感じ取れた。

 

「チェルさんにとって、今、一番守らなければならないものは何ですか」

 

 チェルはいくつもの答えを思い浮かべる。自分自身、トクノスケ、子供たち、そしてシックス。だが、トクが聞きたいことはその順序だ。何を一番とするか。チェルは優劣をつけることなどできなかった。

 

「それを即答できないあなたに、この場を任せることはできません」

 

 チェルはシックスを助けようとしている。一撃でも当たれば命の保証はないという埒外の攻撃を繰り出してくる強敵に対し、殺さず取り押さえようとしている。そんな覚悟で止められる敵ではない。どんなに善戦しようと最後に足をすくわれるだろう。

 

 トクノスケは即答できる。彼が最も守りたいと思う者はチェルだった。それは数々の任務を共にした仲間として、気の置けない友人として、そしてそれ以上の思いを寄せる女性として。彼女を守るためならば鬼にも悪魔にもなれる覚悟があった。

 

 トクにとって、眼の前に立つ敵はクインでもなければシックスでもない。同じ姿をした別の何かだ。クインに対する恩義はあるが、殺意をもって襲いかかってくる敵に与える温情はない。チェルを殺そうとし、傷つけた相手を許すつもりは毛頭ない。

 

 全てを語ることはしなかったトクだったが、そのいつになく決然とした態度にチェルは口を挟む機を失っていた。そしてその沈黙によって、ようやく戦場に漂う異様な空気に気づく。

 

 チョコがその場に立ち尽くしたまま一歩も動いていなかった。先ほどからチェルとトクは悠長に会話を交わしているわけだが、その間も静観の態度を保ったままだった。

 

 あれだけ苛烈な攻撃を仕掛けてきた相手が何の反応も見せない。最初は余裕の表れかと思ったが、そうではないことにチェルは気づいた。チョコの視線はトクに向けられている。ただ前に立っているからという理由だけではない明確な注視である。

 

 『共』による心眼を覚醒させたチョコは、この戦場において最も厄介な敵はトクだと直感的に悟っていた。根拠のない無意識の判断である。具体的にどんな脅威があるのかまではチョコにもわからない。ただ、直感が危険を告げていた。

 

 子供たちもチェルの存在も、まるでチョコの眼中になかった。対峙するトクとチョコの二人だけが戦場を支配していた。互いに出方をうかがい、機を見計らう状況が続く。その沈黙を最初に破った者は、トクだった。

 

 

「『花鳥風月(シキガミ)』」

 

 

 宙に投げ放った紙型が風に舞い、無数の念鳥へと姿を変えて空を飛ぶ。能力の発動を見たチョコは動いた。直立の姿勢から次の瞬間にはトップスピードに至る。スタート時の姿勢に構えはなかった。

 

 自然体の意識から戦闘状態へ異常なまでの切り替えの速さがオーラの移動速度を肉体の限界を超えた域にまで高めていた。かつそこに分割思考による筋肉の一房に至るまで行き届いたオーラ制御が加わり、狂気の沙汰と言うほかない運動能力を実現していた。

 

 ブッチャやジャスミンはその初動すら目で捉えることができなかった。チェルは辛うじて認識できたが、反応が間に合うのはせいぜい最初の一撃だけだ。このスピードで常に動きまわられれば、さすがに追い付けない。二撃目をかわせる自信はなかった。

 

 チェルが最初に受けた攻撃を遥かに上回る速度だった。隙を見て取り押さえ、あるいは気絶させるほどのダメージを与えてチョコに鎮静薬を打ち込む。それがいかに無謀な想定であったかを思い知る。

 

 もともと強化系能力者として高い戦闘力を持ち、鍛錬を重ねた上に賢者の石による強化まで施されたチェルであっても絶句するほどの速度である。支援タイプのトクにどうにかできるものではない。チェルは即座に、反射に近いほどの速さでトクをかばおうと前に出る。

 

 しかし、無駄だった。チェルが何かするまでもなく結果は引き起こされる。

 

 チョコの動きが止まった。がくんと膝から崩れ落ちる。何の障害物もない、ただの地面の上でいきなり膝をついていた。そこに念鳥の群れが殺到する。得体の知れない攻撃を受けたところへ続けざまに迫る念鳥に対して、当然チョコの意識はそちらへ向けられた。

 

 しかし、変化は鳥に気を取られていたチョコのすぐそばで起きる。少女の右腕が、あらぬ方向へとねじ曲がっていく。バキバキと音を立てて赤い甲虫の脚がもげ、装甲が捻じ曲げられていた。

 

 

 * * *

 

 

 スカイアイランド号においてトクたちは事件の関係者と思われるアイチューバーたちと戦っている。快答バットと交戦し、あわや殺される間際まで追い込まれたチェルを救った能力こそ、トクに目覚めた災厄の力だった。

 

 それは重力に関する能力である。トクが真っ先に思い当たったのは、暗黒大陸の調査でサヘルタが本国へ持ち帰ることができた『重力鉱石』のリターンだった。

 

 この鉱石は周囲の物体の質量を吸収する性質があった。それがどんな利益をもたらすのかという疑問はある。トクとしても、あれだけ苦労して採取したリターンへ下された低評価に釈然としない気持ちはあったが、実際何かの役に立つとは思えない代物だった。

 

 研究者たちが必死に使い道を模索しているが、原理の解明には至っておらず技術への応用のしようもなかった。その力をトクは自力で開花させたことになる。

 

 重力操作の能力はトクの左目を通して行使することができた。しかし、彼の左目に入っているものは義眼である。ワームとの戦闘により彼は左目を失っていた。その後、使用している義眼は何の変哲もない市販の医療器具だった。

 

 だが、スカイアイランド号事件を経てその義眼に変化が現れる。アクリル樹脂製の球体内部に、トクは小さな命が生まれようとしている気配を感じていた。眼球を摘出してなお、ワームの生殖は終わっていなかったのだ。その無機質な眼の中に再び災厄が芽吹こうとしている。

 

 もはや呪いだった。幸い、すぐさま義眼の中に命が生まれる様子はない。それは生命と物質の狭間にあるとでも言うべき形容しがたい状態だった。確固たる一つの生命とは言えない曖昧な存在である。

 

 その生まれかけの災厄と、トクに発現した能力は無関係ではなかった。ワームはもともと重力に干渉する能力を持っていたものと思われる。その力の一端は交戦した時に感じることができた。

 

 だが、ワームは種族的にその機能を有してはいたが力を理解して使いこなしていたわけではなかった。あくまで習性の域でしか利用はしていなかった。ワームとは違い、トクの場合は彼が持つ『念』、すなわち生命エネルギーと合わさることで重力操作機能に秘められていた潜在性が解放された結果だった。

 

 トクは力を検証していくうちに気づく。『重力鉱石』とは、それ自体が一つのリターンと言うよりはワームによって作り出された能力の副産物だった。それはワームの体内で作られた不要物を排出しただけのものであった。

 

 重力とは何か。その理解を深めることでトクは、この力をより効果的に使いこなそうと試みた。物理学など専門に学んでこなかった彼には難しい話だったが、素人知識ながら何とか大枠は理解できた。

 

 重力は、時空の歪みによって引き起こされる。時空とは時間と空間がごちゃまぜになったようなもので、四次元の存在である。三次元の世界に暮らす我々には直接的に観測できるものではないが、影響し合っている。

 

 例えばこの時空をトランポリンだとして、その上に二つのビー玉を乗せる。全ての物質には引力が働き、互いに引き合う力を持っている。この二つのビー玉にも万有引力は働いているが、その力は目に見えて作用するほどのものではない。ビー玉程度の質量では時空のトランポリンをへこませることができないからだ。

 

 だが、そこにボウリングの玉を乗せると、トランポリンは大きくへこんでビー玉は“へこみ”の方へと吸い寄せられる。質量が大きなものほど時空へ与える影響は大きく、その結果として大きな引力が生じる。重力とは地球の質量によって引き起こされる引力である。

 

 実際の時空はトランポリンのような平面ではないが、難しい数式などを使わない感覚的な説明である。トクの能力は、大きな質量を用いず時空に影響を与える力と言えた。

 

「なんっだ、あれ……!? あの眼帯野郎めちゃくちゃ強くないか!?」

 

 ブッチャは思いもよらないトクの健闘に驚愕した。チョコとトクは互角の接戦を繰り広げていた。

 

 右腕を雑巾のように絞り潰されたチョコだったが、恐怖に囚われるような気配は微塵もなかった。時間を巻き戻すように傷は回復する。そして、その完治にかかるまでの数秒の猶予すら惜しみトクへ襲いかかっていた。

 

 対するトクはその手に凝縮されたオーラを宿す刀を取って迎えうった。型紙を連ねて燃やし、形成したオーラ刀『式陣刀』である。居合流の刀剣術による待ちの構えは敵の呼吸を読み、先の先を取る。攻めるに難い不落の城塞を思わせる。

 

 だが、トクの剣術は達人の域にあるわけではなかった。あくまで護身用に習得した武術である。その腕前ではチョコを捌くには到底及ばない。たとえ達人級の腕前があったとしても対処は至難だった。

 

 チョコは、全ての動きに無駄がなかった。人は武を極めることでその領域に至ろうとする。一つの動きを徹底的に習熟し、体に覚え込ませて精神に刻み込む。それが技だ。

 

 為すがままに為せる、その境地に至りようやく一つの技を極めたと言える。限りある生の中で、人は果たしていくつの技を極められるというのか。その技の総体たる武に、どこまで近づくことができるというのか。

 

 チョコの圧倒的な出力と、完璧な制御は全ての動きを技の域へと高めていた。一挙手一投足、全てが技だった。トク程度の使い手では本来勝負にもならない。しかし、いまだ決着はついていなかった。

 

 重力操作である。何の予兆もなく発動する壮絶な重圧が襲いかかる。常人なら息をすることすら叶わない重い世界がチョコの体にのしかかっていた。

 

 トクは災厄を宿した左目で時空の世界を感じ取ることができた。半生命体となったこの義眼に視力はないが、視神経は癒着するようにつながっていた。この目を使って『凝』をすることにより時空の影響を検知できる。

 

 まず、トクが触れている物に『周』でオーラを通し、その物体を念的に把握する。視力のない左目でもオーラによって把握した物であれば、眼帯越しであっても存在をぼんやりと感じ取ることができた。

 

 次にその物体を左目の『凝』により疑似的に“視る”ことで質量を抜き取る。重力操作能力の肝はこの“質量の抽出能力”にあった。取り出された質量は眼球内部にエネルギーの形で蓄積される。

 

 そして、そのエネルギーを『凝』によって視線の先へと撃ち出す。この未知のエネルギー攻撃が時空に影響を与え、一時的な重力の変化を発生させるのだ。

 

 この引力の基点は空中に発生させることも可能ではあったが、その場合は制御が格段に難しく、術者であるトクまで引力に巻き込まれてしまう。だが、既に発生している地球の重力を利用する形であれば、時空の歪みを局所的にコントロールし、敵の周囲にのみ効果を与えることができた。

 

 トクは動きが鈍ったチョコを式陣刀で斬りつける。実体を持たないオーラ刀であれば重さの影響を受けることはない。

 

 オーラの輝きを湛えた剣閃が走る。その残光の軌跡は敵をかすめることもできず空を斬った。心肺機能に障害が発生してもおかしくないほどの重圧の中で、チョコはトクの攻撃を見切り、回避していた。

 

 重力を駆使して五分の戦い。さらにチョコは詳細不明のトクの能力を警戒し、回避に徹しているため攻めきれないという事情も合わさり、その上でようやく五分と言った戦況だった。

 

「……ブッチャ、ジャスミン、お前たちはバルカンを連れて拠点まで帰れ」

 

 真剣な眼差しで戦いを見守っていたチェルが有無を言わさぬ口調で子供たちに告げる。その態度から言外に自分たちだけで帰還しろと言っていることがわかった。

 

「早く行け!」

 

 結晶侵食の状態がそろそろ危ないところまで来ていたブッチャは、しぶしぶチェルの言うことに従った。ジャスミンは語気を荒げるチェルに逆らえず、半泣きでブッチャと一緒にこの場を去った。

 

 今のところはトクが若干押しているが、どこで優位がひっくり返ってもおかしくない状況である。しかし、チェルは自分が飛びこんだところでトクの邪魔にしかならないこともわかっていた。

 

 災厄の少女と正面から渡り合うほどの強大な力だ。その能力は何の代償も無しに使えるものなのか。戦いぶりから重力を操る力であることはチェルにも推測できた。その力が何に由来するものなのかも、薄々は勘づいている。

 

 それでも今のトクを止めることはできない。チェルは、ただ見ていることしかできない自分に抑えようのない憤りを感じていた。

 

 戦いが始まってわずか一分。トクは既に一時間が経過したかのように思えるほど気の遠くなるような感覚の中にいた。左目に感じ始めた鈍痛を無視して敵を足止めし、攻め続ける。

 

 その式陣刀は、通常であれば並の堅では防ぎきれない切れ味を持つが、チョコを相手にどこまで通じるかわからなかった。おそらく当たったとしても大したダメージにはならないだろう。チョコの全身を覆うオーラの密度を見れば容易に想像できた。

 

 ゆえにこの攻撃は牽制の意味合いが強い。刀を振り抜き、チョコがそれをかわしたタイミングを見計らう。そこにトクの本命の攻撃が炸裂した。

 

 それは重力操作能力を検証する過程で副次的に編み出した技だった。通常はエネルギー波を左目から放ち、時空を攻撃することで引力を発生させるのだが、このエネルギー攻撃は時空以外の対象にも当てることができた。

 

 むしろ、四次元にある時空を狙うより、三次元の空間を対象として発動する方が簡単だった。これにより生じる空間歪曲は、あらゆる物体を存在する空間ごと捻じ曲げる。どれほど強固な防御力があろうと全て無視してしまう。

 

 防御不可能、トクが持つ最大威力の技だった。もはやかわしきれない絶妙の隙を突いて発動されたその攻撃を、チョコは紙一重で回避していた。不発に終わった空間歪曲は空気を噛み砕いて消え失せる。

 

 この技の唯一の弱点をチョコは見抜いていた。重力を強める時空歪曲のエネルギーは四次元中を進むためチョコにも感知できないが、三次元を対象とする空間歪曲は発生する間際に兆候が生じる。

 

 それは刹那にも満たないわずかな兆候だったが、チョコは見切った。最初の一撃を受けた、たった一度の経験から学習していた。数千のシミュレートを繰り返したかのように淀みなく回避する。

 

 実を言えば、空間歪曲の最初の一撃もトクはチョコの腕を狙ったわけではなかった。全身を巻き込み、即殺するつもりで仕掛けた攻撃だった。初見の時点で半ば回避に成功していたのである。

 

 トクは悟った。このまま戦い続ければ負ける。チョコの動きは超重力の世界に適応しつつある。まるで全身に重りをつけてトレーニングを積むように、彼女はその負荷を糧に成長していた。重力の縛りから解放された彼女がどんな動きをするのか想像することもできなかった。

 

 ここで仕留めなければならない。できなければ全て終わる。それほどの脅威を感じた。

 

「……出し惜しみは無しだ」

 

 トクは距離を取るために大きく後ろに下がった。チョコはすぐに追いかけようとするが、それを阻むように地面が盛り上がる。

 

 トクは後退しながら踏みしめた地面に足の裏からオーラを通し、全力で質量を奪っていた。空気よりも軽くなった土や岩が浮き上がり始めたのだ。

 

 その得体の知れない状況を前に、チョコは踏みとどまる。泡のように土くれが浮き上がっていくその上空では念鳥の群れが輪を作って飛んでいた。トクは念鳥に向けて命令を下す。

 

「花鳥風月、式陣『月』」

 

 トクの念鳥は群れ単位の数を駆使して発動できる特殊な陣形術のプログラムが書き込まれている。『花』『鳥』『風』『月』からなる四つの陣形のうち、『月』は敵の拘束を目的として作られた技だった。

 

 輪を作る念鳥たちがオーラでつながり、一つの円となる。それは月のように淡く光り始め、地上に光のサークルを描いた。結界術が作動し、光のカーテンがチョコを円の中に閉じ込めた。

 

 この技だけでチョコを完全に拘束できるとは思っていない。超重力と結界術、この二つを合わせて一秒、いや零コンマ数秒もてばいい方だ。それだけの猶予があれば十分だった。

 

 結界の発動中、その円の内部はトクのオーラで満たされている。その状態であれば左目で結界内の空間を余さず歪曲の対象に指定することが可能だった。広範囲の空間歪曲。それは感覚的に可能であると推測しただけで実際に使用したことのある技ではなかった。

 

 この重力操作能力は使うほどに左目の成長を促してしまう。義眼に宿り始めた災厄が少しずつ命を取り戻しうごめく感覚があった。これほど大きな力を行使すれば症状がどこまで進行するかわからない。下手をすればこの場で災厄を誕生させてしまう恐れがある。

 

 だが、それでも手を抜くことはできなかった。確実に少女を殺す必要がある。そうしなければ、この左目よりも取り返しのつかない事態が起きてしまうとトクは確信した。

 

 結界に囚われた少女は、これから繰り出される一手が敵の切り札であることを直感的に理解した。脳内にて目まぐるしく思考する分割意識が即座に行動を取らせる。

 

 少女は巨大な赤い甲虫を手に取り、それを振りかぶった。投擲の姿勢である。術者であるトクに投げ放ち、攻撃を止めさせようというのか。もしくは虫だけでも結界の外に逃がそうというのか。

 

 無意味なことだった。超重力の世界では、人間がどれほど強靭な力を発揮して投擲しようとも、投射体は放物線を描くことすらできず落下する。少女の力をもってしても逆らえない。

 

 すなわち、それは少女の死を意味していた。

 

 溜めこまれたエネルギーがトクの左目から一気に解き放たれる。しゅんと空気を吸い込んだ一瞬の後、そこには散り散りに引き裂かれ、圧縮され、人の死体とは到底思えない姿にされた少女の残骸が転がっていた。

 

 

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