カーマインアームズ   作:放出系能力者

84 / 130
82話

 

 チェルは呆然と成り行きを見ていることしかできなかった。やるせなさや後悔と言った感情よりも先に、この唐突な戦いの幕引きをただ受け止めきれずにいた。

 

 空間歪曲は一瞬にして少女を飲み込む。その見るも無残な姿は誰が見ても死んだと確信できる状態だった。どれほど優れた再生能力があろうと、この状態から復活できるはずがない。そんな存在は、もはや人間とは呼べない。

 

 つまり、少女は人間ではなかった。

 

 飛び散った肉片と血潮が結集し、再び人の形を為していく。着ていた服までもが元通りに修復されていった。

 

「不死身か……!」

 

 トクたちからすればあまりにも絶望的な光景だが、先ほどの攻防はチョコにとっても生死を分かつ局面であったことは間違いない。トクが切り札として放った広範囲空間歪曲攻撃は、チョコを殺しきるだけの威力があった。虫本体が巻き込まれていれば死んでいただろう。

 

 術の発動直前、結界の外へと本体を投げようとしたチョコの行動を、トクは許さなかった。チョコと同様に、彼女が所有する怪しげな虫についても見逃すわけはない。一網打尽にすべく、まとめて空間ごと捻り潰したはずだった。

 

 だがトクには誤算があった。チョコが本体を投げた方向である。横方向に向けて投げたのであれば超重力と結界の壁に阻まれるはずだった。チョコは重力に逆らわず、自らの直下へと本体を叩きつけたのだ。

 

 地中深くへと本体を逃がしたのである。これにより超重力はむしろ投擲の威力を助長する結果となる。さらに、トクが事前に周辺の地面から質量を奪い集めていた影響で土壌が軽くなり、容易に深くめり込むことができる環境が整っていた。

 

 チョコはトクの術の欠点を瞬時に見破っていた。トクは初めて実戦で使うことになったこの術を、まだ完全に把握できていなかったのである。

 

 とはいえチョコも、完全に肉体が捻り潰された状態からの再生には時間がかかる。今ならば、チェルたちにも攻撃を当てることが可能だった。しかし、そんなことをして何になるというのか。

 

 チェルは傷を負っていない方の手に鎮静薬を握りしめていた。全身をすり潰されてまだ死なないような存在に、こんな薬一本を打ち込んだところで意味があるのか。無力感に苛まれながらも、一縷の望みを捨てきれずにいた。

 

 そんなチェルの迷いを断ち切るようにチョコへと念鳥の群れが殺到する。トクはチェルほどの諦めの境地にはなかった。殺しても死なない。ならば、次の手を考えるまでだ。唯一、災厄の少女を止め得る力を持つ者として、ここで諦めるという選択肢はない。

 

 少しでもチョコの再生を遅らせるために空間歪曲の追撃を放とうとしたトクだったが、左目に生じた激痛に思わず顔をしかめた。先ほどの術はやはり、何のリスクもなく使えるものではなかった。左目の義眼が、トクの意思とは無関係にぎょろぎょろと動き始める。

 

 まだ何とか抑え込めそうではあったが、すぐに次の攻撃へ移ることはできなかった。ストックは気にせず、残りの念鳥をチョコに向けて一斉に飛ばした。左目の制御を取り戻すまで、わずかな時間でも稼がなければならない。

 

 オーラが詰め込まれた念鳥爆撃が次々にチョコを襲う。一か月級のオーラを溜めこんだ秘蔵の念鳥たちは、並みの能力者であれば一発でも致命傷を与え得る爆撃の掃射。

 

 その爆炎と土煙の向こうから姿を見せた少女を前にして、トクの感覚は生涯最後、二度とたどり着くことの叶わない真髄に達していた。それはまさに心滴拳聴。真の強者のみが至る時間感覚の矛盾だった。

 

 一世一代の研ぎ澄まされた感覚をもってしてようやくわかったことは、少女の攻撃を捌くことはできないという事実である。回避も、防御もできない。重力の頸木から解き放たれた少女の動きは、まるで両者の時間の流れに明確な差が存在しているかのようだった。

 

 ゆえにトクは受け止める。その瞬間、服に仕込んでいた紙型のオーラを起爆させた。

 

 少女の握撃と紙型の爆撃が混ざり合い、弾けた。その衝撃はトクの体に深い爪痕を残す。自爆覚悟の零距離起爆によって自らを後方へ吹き飛ばし、確殺の一撃を瀕死で済む程度の威力にまで抑え込んだのだ。

 

 トクは一命を取り留めたが、そのダメージは深刻だった。チョコの掌握は予想外の爆風により狙いを外すものの、トクの左肩の付け根から肉と骨をもぎ取っていた。そこに自爆で受けたダメージも加わり、もはや戦闘は叶わぬ状態である。

 

 対してチョコは全くの無傷だった。至近距離からの紙型爆撃では堅の防御を貫くことすらできなかった。しかし、その様子を見たトクはまだ絶望に嘆いてはいなかった。彼の賭けは、まだ続いている。

 

 チョコの体がふわりと浮きあがった。とっさに地面に生えた草を掴むことで辛うじて宙に浮きあがることを防いだが、逆立ちしたかのような天地逆転の状態となる。少女の体は空に向かって落ちていこうとしているかのようだった。

 

 トクは攻撃を受けた瞬間にチョコの体に自分のオーラを流し、その質量を奪い取っていた。この質量抽出は重力を操作するための前段階に位置する機能だが、実はこれ自体も一つの攻撃の手段として凶悪な効果を発揮する。

 

 奪い取った質量はエネルギーに変えて使用するのだが、使ったエネルギーが戻ってくることはない。つまり、質量を取られた物質は永遠にそのままの状態にされてしまう。

 

 空気よりも軽くなれば上空へと浮き上がる。大気圏を越え、空気の層が無くなるところまで飛んでいく。飛行機器開発の技術を禁じた人類にとってその世界は理論上でしか確認し得ない未踏の領域であった。

 

 宇宙へ飛ばすことで災厄を封じる。殺すことができれば最善だったが、トクにそこまでの力はないとわかった。こうするより他にない。

 

 最大の懸念は少女が自身の質量まで回復してしまうのではないかということだった。あり得ない話ではない。事実、チョコはオーラで具現化された念人形であり、修復すれば正常な状態に戻すことが可能だった。

 

 だが、トクは最後の賭けに勝つ。チョコは地面にしがみついた姿勢から動けずにいた。掴んだ草はぶちぶちと引きちぎれ始めている。それほどの浮力が働いているのだ。何とかオーラで草を強化して堪え凌いでいた。

 

 正常な状態に戻すというチョコの能力は念に由来している。生命エネルギーを活用するため人類が作り上げた究極の技と言える。だが、その一方でトクが使った重力操作能力は災厄に由来していた。

 

 理すら捻じ曲げる災厄の力はチョコの『正常』の概念を書き換えてしまった。一度使われた質量が二度と戻ることはない。その状態こそが『正常』である。念の力ではこの理不尽に打ち勝つことはできなかった。

 

 今度こそ、決着がついた。負傷したトクのもとへとチェルが駆け寄る。

 

「ふざけんな、この野郎……無茶しやがって」

 

「はは、いつもへたれ扱いされてるから、たまには活躍してみせないと」

 

 トクはチェルに応答しながら念鳥を操作していた。必死に掴まっていたチョコの手にぶつける。少女がその一押しに抗うすべはなかった。

 

「あっ」

 

 チェルが気づいたとき、チョコの体は空中にあった。風船のように空へ舞い上がっていく。とっさに手を伸ばしたチェルだったが、もう届く距離ではなかった。少女と目が合う。

 

 チョコは、笑っていた。

 

 それまで何が起きようと無表情だった少女は、初めて感情らしきものを見せた。それを見たトクとチェルは、少女の表情に込められた意味を悟る。

 

 戦意。殺意。喜色。熱狂。

 

 その直後、地中から噴き出すようにオーラの気配が拡大した。チェルはこの技をよく知っていた。円である。そのオーラは半径200メートルにも及ぶ広大な範囲を包み込んでいた。

 

 なぜこの状況で円を使うのか。その理由はこの上なく非情な現実によって突きつけられた。

 

 円の縁、外周に当たる部分のオーラが変質する。それは半径200メートルもの巨大なボールとなった。固形化した粘性のオーラが作り出す空の天井にチョコは着地する。天井を蹴り、その反動で地上に戻る。ゴムまりのような円のフィールドは衝撃でたわみ、揺れた。

 

 少女は四足獣のように両手両足を地に着き、浮力に飛ばされぬよう粘性のオーラで自分の体をつなぎ止めていた。

 

 トクとチェルは絶句するしかない。こんな使い方の、こんな規模の念能力があっていいはずがない。あまりにも馬鹿げた現実だった。

 

 足元はオーラに捕まり、ろくに身動きは取れず、周囲は壁で囲われている。逃げ場はなかった。さらにそこへ次なる絶望が流し込まれる。

 

 ゴムまり状の円の内側に溢れだす大量の粘液。ローションのような性質を持ったオーラが円の内部を満たしていく。粘液の海が森の中に出現した。上空から観察すれば、まるで巨大なスライムの怪物のようにも見えるだろう。

 

 チェルたちはその粘液が暗黒海域で見た現象と酷似していることに気づいた。粘液の海に為すすべもなく飲み込まれ、呼吸することさえ許されない。絶体絶命という状況下で、その元凶である少女は水を得た魚のように遊泳していた。

 

 感覚を確かめるように少女が縦横無尽に泳ぎ回る。そして、一通り感覚を慣らしたチョコは標的へと進路を取った。

 

 トクは重力操作で足止めを図ろうとするも、酷使した左目は能力を制御できる状態ではなかった。堪え難い激痛が走り、思わず絶叫するが、粘液の中では声にもならない。

 

 万事休す。逃れられない死が迫っていた。

 

 

 * * *

 

 

「おい、いい加減にしろよ! 早く帰るぞ!」

 

 わずかに時間を遡ること数分前。チェルから拠点への撤退を命じられたブッチャとジャスミンはいまだ戦場の近くから動いていなかった。

 

「やだっ! もしかしたらチェル先生が死んじゃうかもしれない……!」

 

 駄々をこねたのはジャスミンだった。一度は言いつけに従った彼女だったが、戦場に残ったチェルのことが気がかりで離れられずにいた。

 

「もう俺たちがどうこうできる敵じゃねぇよ、あれは。行っても邪魔になるだけだってわかるだろ」

 

「やだああっ、チェル先生がああっ!」

 

「じゃあ、もう勝手にしろ! 俺は帰るからな」

 

 しばらくは説得を試みたブッチャだったが、もともと短気な彼に泣きじゃくるジャスミンをなだめすかすような器量はなかった。傷口から広がる結晶侵食や背負わされたバルカンの搬送など、彼にもこれ以上他者を気遣う余裕はなかった。

 

「まったく、何で俺がこんなこと……あ……? なんだこのオーラ……!?」

 

 後のことは知らないとジャスミンを置いて帰ろうとしたブッチャだったが、その状況は一変する。チョコが発動させた『落陽の蜜』の粘液怪物がブッチャたちを逃げる間もなく飲み込んでしまった。

 

 

 * * *

 

 

 何がどうなったのか。重傷を負い、左目の制御もままならず。目の奥から突きさされるような頭痛に呻き苦しんだトクは、自身の体にまとわりついていた粘液が流れ去っていく感覚を始めに察した。

 

「もう大丈夫だ」

 

 チェルの落ち着いた声が聞こえる。助かったのか。どのようにして。

 

「大丈夫」

 

 目を開けたトクはチェルの背中を見た。彼女はトクを守るように立っていた。その腕に、災厄の少女を抱きとめていた。

 

「チェル、さん……?」

 

 血だまりが足元に広がっていく。一体、誰の。トクはその答えを知りながら、現実を受け入れられずにいた。

 

「嘘だ……そんな……」

 

 少女の握撃がチェルの腹部に大穴を開けていた。チョコは腕を突きだしたその状態でチェルに抱き止められ、そして絶命していた。

 

 死んだのはチェルではなく、チョコである。

 

 その原因はジャスミンだった。粘液の海に取り込まれたジャスミンは自分の能力を発動させていた。その能力名は『元気おとどけ(ユニゾン)』と言う。

 

 彼女は特質系の体質を持ち、自分のオーラと他者のオーラを混ぜ合わせることができた。通常、ある者が持つオーラを別の誰かに譲り渡すようなことはできない。オーラの性質は個人で異なり、送り込もうとしても拒絶反応のような現象が起きる。

 

 ジャスミンの体質はそれを可能としていた。能力名に表れている通り、彼女はこの能力をオーラが必要な誰かのために届けることを目的としていた。しかし、その目的以外にも使い道はある。

 

 ジャスミンは賢者の石に適合し、そのオーラには適合者特有の性質が宿っている。すなわち、他者に自分のオーラを送り込み、その体内で賢者の石を精錬させることができた。同じ適合者ならまだしも、ただの一般人では石の毒素に冒されて死ぬ。

 

 ジャスミンはそういった攻撃的な力の使い方が好きではなかった。粘液の海の中でもがき苦しんだ彼女がこの能力を使った理由は、特に何かを考えてのことではなかった。無我夢中でやみくもに何かしようとした結果に過ぎない。

 

 その結果、彼女の手元に数個の小さなサボテンが生じただけで終わる。だが、奇しくもそれがチョコを殺せる条件と合致した。『アルメイザマシンを使ってはならない』という誓約に抵触したのだ。

 

 誓約によってアルメイザマシンの行使を封じていたチョコは、自身に働くウイルスの機能を停止させた状態にある。外部からもたらされたウイルスに感染して発症する恐れは本来なかった。

 

 だが、ジャスミンの能力の本質はオーラの融合にある。混然一体となった二つのオーラから生じたサボテンの結晶体は、言うなればチョコがジャスミンによってアルメイザマシンを使わされたことを意味していた。

 

 チョコは誓約に反し、死亡した。トクに襲いかかろうとしていた攻撃の最中のことであった。その勢いは死してなお収まらず、チェルが身を呈して盾となり、ようやく止まった。

 

「なんだかなぁ、もっとうまくやれなかったのかなぁって、思うよな」

 

 抱き止めた少女の体から生気がなくなっていることをチェルは悟った。それでも語りかける。

 

「そばにいてやれなくて、ごめんな」

 

 暗黒大陸の調査中、ワームと交戦した最後の遠征からチェルたちは満身創痍で帰還した。クインはカトライの死に誰よりもショックを受けていた。そんな彼女を見かねた隊長のグラッグはチェルに頼んだのだ。

 

 『クインのそばについてやってくれ』と。グラッグとトクは眼球摘出の予後を悪くして病床に伏せていたため、チェルにしか頼めなかったという理由はある。しばらくの間、心が落ち着くまで面倒を見ろという、ただそれだけのことだ。深い意味はなかったのだろう。

 

 だが、その言葉がずっとチェルの胸に残っていた。約束を果たせないままクインを見捨ててしまった無念があった。暗黒大陸から戻った後も消えることはなかった。

 

 また約束を果たせなかった。せめて最期を見送ることだけはしてやりたいと、チェルは少女を抱きしめていた。

 

 ぼろぼろと少女の体が分解されていく。その肉体はオーラの残滓となり、空気に溶けるように消えていった。それを見届けた後、糸が切れたようにチェルは崩れ落ちる。

 

「チェルさん!」

 

 トクはチェルの体を支えた。ごっそりと抉り取られた腹部は、代わりに赤い結晶が詰め込まれていた。傷口が結晶化したせいで出血はそれほどなかったが、臓器がまるごとなくなっていることに変わりはない。致命傷だった。

 

「……頼む、シックスを恨まないでやって……たぶん、逆の立場だったら、あたしも怒り狂うかもしんないけど……無理な話かもしれないけど……」

 

「そんなことどうだっていい! 何でチェルさんが僕の代わりに……!」

 

 チェルが死ぬ必要はなかった。トクは、自分が死ねば良かったのだと思った。たとえ勝利したところで、一番守りたかったものを失ってしまっては、何のために戦ったのかわからない。

 

 トクの右目からのみ、涙がこぼれた。二人は互いにまともな人間の体ではなくなっている。いずれそう遠くない将来、訪れる最期はろくでもないものになるだろうと覚悟はしていた。だが、こんな形で迎える別れをトクは許容できなかった。

 

 そのとき、涙で揺らぐトクの視界の隅で何かが動く。目を向けた先で地面がゆっくりと盛り上がり、地中から一匹の虫が姿を現した。赤い装甲を持つ巨大な虫。空間歪曲を受けて少しばかり装甲はひしゃげていたが、無事だった。1メートルほどあった体長は、なぜかさらに大きくなり人間大に等しいサイズへ成長している。

 

 ずっと地中に隠れていたのだ。チョコの変質したオーラの円が広がるとき、その基点が少女ではなく地面のある一点から拡大していたことにトクは気づいた。あの円はこの虫を基点に展開されていた。術者は少女ではなく、虫の方だったのかもしれないと思い至る。

 

「化物が……化物がァッ……!」

 

 虫の背中に一筋の亀裂が走る。それは脱皮するかのごとく。あるいは、羽化するかのごとく。その硬い装甲の中から何かが生まれ出ようとしている。

 

 トクがそれを黙って見逃すわけはない。痛みの限界を超え、感覚さえなくなった左目を無理やりにオーラで操作して空間歪曲を放つ。攻撃は正確に敵を捉えた。変貌の最中にあった赤い甲虫は、無残に踏みつぶされたように命潰えた。

 

 今度こそ、本当に、ようやく。終わったのだと思ったトクの耳に、あり得ないはずの声が届いた。

 

「ひどいなぁ。初登場くらいゆっくりやらせてくれよ」

 

 バラバラになった装甲の残骸の中から、一人の少女が起き上がった。銀の髪を持つ美貌の少女。

 

 命を削る戦いに挑み、最愛の友を犠牲にし、全てを失ったその先にやっとのことで勝利を掴んだ。倒したはずの敵だった。その決死の覚悟も、友を失った悲痛も、何もかも無に帰すように、同じ姿をした敵が再び現れる。

 

 トクはチェルの体を静かに寝かせた。立ち上がり、歩み出す。一歩も動けないほどの重傷を負っていた彼の体は、全身に湧き起こる怒りによって突き動かされる。その感情に呼応したオーラがほとばしった。

 

「お前は。お前だけは」

 

 殺す。その動機は人類のためと言った大義名分ではなく、徹頭徹尾、己の復讐のみを目的としていた。激情に駆られたトクの頭に、チェルの言葉は残っていなかった。

 

 左目の眼帯を外す。視線を合わせることで増殖するワームの生態を警戒し、これまで人前で眼帯を外すことなかった。もはや今のトクにそんな配慮はない。どんな危険が生じようと、どんな手段を使ってでも殺す。そのためなら災厄の被害が拡大しても構わないとすら思っていた。

 

 ぎょろぎょろと獲物を探すように動き回る左目を見開き、敵へと向ける。災厄を制することができるのは災厄のみだ。質量を食らう虫が牙を剥く。

 

「いい殺気だ。肩慣らしに少し遊んでやりたいところだが、その目はさすがに危なっかしいな」

 

 先ほどまでとは違い、人間に近づいた反応を見せる少女に対し、トクが攻撃を躊躇うことは微塵もなかった。空間と時空、二つの攻撃を同時に叩きつけようとした。そのとき、少女がぱちりと指を一つ鳴らす。

 

 既に勝敗は決していた。凝を使って左目を制御し、エネルギー波を飛ばす空間歪曲は、攻撃が発生する瞬間に放出されたわずかなオーラを含んでいた。脱皮しかけていた虫に向けて放った最初の攻撃の時点で、そのごく微量のオーラから感染したウイルスはトクの体に到達していた。

 

「があああああああっ!?」

 

 トクの肉体が赤い多肉植物と化していく。上半身だけ人間の状態を保ったまま、残りの部位は全てサボテンに変えられてしまった。急速に体内を巡る致死量の毒物と、死を妨げる生命力増強の霊薬がせめぎ合い、肉体を生かしたままトクの精神を粉々に破壊していく。

 

「まさかワームにこんな能力があったとは。災厄の力はキメラアントの摂食交配でも取り込むことは難しいが、人間程度にも使いこなせるということは、利用できるかもしれん。まあ、他の災厄と同様にストックだけはしておこう」

 

 少女はトクの左目を抜き取る。その直後、彼の体は完全にサボテンへ変わり沈黙した。

 

「……トク……」

 

 チェルは死の間際にあった。目にした光景が現実か幻かの区別もつかず意識は薄れていく。少女は金属でコーティングした目玉をボールのように手中で弄びながらチェルへと視線を向ける。

 

「おやすみ」

 

 ウイルスを手ずから感染させる必要もない。チェルは既に賢者の石に適合しており、その石の正体は機能が制限されたアルメイザマシンである。その機能を活性化させることは、少女にとって造作もなかった。チェルの体が即座に結晶で覆い尽くされる。

 

 

「俺は、生まれた」

 

 

 噛みしめるように少女は笑った。くつくつと舌の上で転がすように、味わい笑う。その声は次第に大きく、哄笑へと変わっていく。

 

 その声に不吉な予感を察し、ジャスミンたちが駆け付けたことは必然だった。粘液の海は唐突に解除され、しばし呆然としていた彼女らが現状を把握すべく確認に向かったとき、そこには狂ったように笑う一人の少女と赤いサボテンに飲み込まれたチェルの姿があった。

 

「うあ、あああああああ!!」

 

 敵うはずもない実力差をジャスミンは理解しながら、足を止めることはできなかった。背中の小銃を構え、いまだにセーフティがかかったままの棒きれを敵へ向けて走り出す。

 

 そんな彼女の突進を意に介さず笑い続ける少女の腹に、ジャスミンは銃剣を突き刺した。血が勢いよく溢れ出る。引き抜いては刺し、引き抜いては刺し。幾度となく少女の腹を刺し続けた。

 

「気は済んだか?」

 

 少女はなぜか攻撃を受けながら抵抗しない。今ならば倒せるのではないかと金属バットを手にしてジャスミンに続こうとしたブッチャだったが、少女が発した威圧によって強制的に停止させられた。

 

 ジャスミンはその場にへたり込む。ブッチャは、地に片膝を突いていた。その姿勢は彼が意図したものではなかったが、まるで上位者に対して服従を示すかのようだった。

 

「安心しろ。曲がりなりにもアルメイザマシンの力を宿したお前たちは我らが群れの一員と言える。階級で言えば『雑務兵』以下の、『奴隷』と言ったところか?」

 

 ブッチャたちは蟻だった。災厄に適合する過程でキメラアントの生態の一部を引き継いでいる。ゆえに目の前の存在が種族的に自らの上位者であることを本能で理解した。自分たちはその奉仕者として生み出されたに過ぎないことを理解させられてしまった。

 

「チェルせんせい……!」

 

 それでもジャスミンは少女へ向ける敵意を取り下げることはなかった。蟻の生態の一部しか引き継がなかったために、その種としての意識の縛りも緩かった。本能に逆らって反意を抱くこともできた。

 

「誤解があるようだ。俺はあの男や女を殺したわけではない。我々は一つとなった。永遠に、一つ(モナド)となったんだ。それは幸せなことだね?」

 

 ジャスミンたちはこの少女が何の悪意も持っていないことに気づく。それどころか、この少女は本心から良いことをしたと思っている。完全に狂気の淵へ落ちているということに。

 

「じきに、お前たちも一つになる」

 

 今ここにいる自分は、ひとときの自我を許されているだけに過ぎないことを。

 

 

 * * *

 

 

「なるほどなるほど……アルケミスト計画か。いいね! 中二病っぽくてすごくいい!」

 

 裸の姿で生まれた少女は前任者が残していったほかほかのメイド服を着ていた。戦いを経て破け散ったメイド服だったが、制作者が込めた執念の念能力により完全に修復され、汚れ一つ見当たらない。

 

 少女はジャスミンから借りた小銃を弄りながら森を歩いていく。何が面白いのか、玩具をもらった子供のように銃を見てはしゃいでいた。人知を超えた力を持つ存在が、そんな兵器一つに何の興味があるというのか。

 

 ブッチャは少女に付き従っていた。逆らう道理はないと屈服したのだ。一かけのプライドすら残っていなかった。結晶侵食は鎮静薬を使わずとも少女がたちまちに抑え込み、ブッチャの状態は健康に戻っていた。少女に聞かれるまま、知っていることを正直に話していく。

 

 ジャスミンは少し離れたところを付いて歩いていた。ブッチャのように媚びへつらうことはなく、その目にはありありと憎悪を宿している。だが、今逆らったところで勝ち目がないことはわかっていた。今は雌伏に甘んじるしかない。その反意に少女は当然気づいていたが、特に何か言うことはなかった。

 

「アルメイザマシンを使ってくだらない研究ごっこをしているだけかと思ったが、なかなかどうして人間もやるじゃないか。さすが国家規模で勘定すれば危険度がAに食い込むだけのことはある」

 

 破壊力のみを考えればオリジナルと比べるべくもないが、強大な災厄の力を誰にでも利用可能な状態にまで落し込めたことは評価に値する。少女は素直に感心していた。その研究成果を元に少女が手を加えればさらに使いやすい形に調整できるだろう。研究者たちが理想とした錬金術師が現実のものとなる。

 

 少女の一行はやがて森の中に隠されるように建てられた拠点へとたどり着く。突き出した岩場の内部を掘り抜き、その中に研究施設も入っている。NGL最後の砦だった。少女がここに来る旨は、ブッチャが事前に電波通信で連絡を入れている。少女はNGLの統治者との対談を望んでいた。

 

「そこで止まれ。武器を捨てろ」

 

 正門の前に武装した兵士が並んでいる。歓迎されているとは言い難いその対応に、少女は純粋な疑問を呈した。

 

「なんで?」

 

 なぜ人間ごときの要求に従わなければならないのか。それほど少女は気分を害したわけではなかったが、その多少の苛立ちはオーラの威圧となって吹き荒れた。

 

 それだけで念を使えない一般人の兵士は卒倒する。念能力者も何人かいたが、ぴくりとも動けない金縛りの状態にされていた。一瞬にして精神が凍え切っていた。

 

 兵士たちは倒れ伏し、もしくは棒立ちとなった。だがその中でただ一人、行動できた者がいた。死を確信させるオーラの威圧を前にしてその男が動けた理由は、自らの命にさして頓着しておらず、その無関心が生物的な本能すら塗りつぶすほどの狂気の域にあったことに起因していた。

 

 死ぬまで死なない。それがジャイロという男の生き様だった。彼は自分がこの国のトップであることを少女に伝える。それを聞いた少女は、持っていた小銃の銃口をジャイロに向けた。

 

「最初は全員殺すつもりだった。これ以上、新キャラ出しても読者が混乱するだけじゃん。だから必要な情報が手に入れば適合者の子供以外は処分しても構わないと思ってたんだよ」

 

 一部意味のわからない発言もあったが、ジャイロは遮らず少女の話に耳を傾けていた。

 

「でも、ジャイロって名前がひっかかってねぇ……思い出したよ。原作にも出たキャラだったね。生い立ちで二話くらい引っ張ったくせにそのあと全然出て来なかったから忘れてたよ」

 

 少女はジャイロの過去を知っていた。幼少期の思い出、父親のこと、そして頑なに信じ続けた神に見放されていたのだと気づいたこと。本人以外、知り得るはずもない事実が少女の口から語られた。ジャイロはただ、その言葉を黙して聞いていた。

 

「そこで思いついた。こいつはちょうどいい。俺は今から国を立ちあげようと思う。でも正直、どんな国にしたいかとかそういうヴィジョンは全くない。統治とかそういう難しいこともわからん。だから決めた。新しいこの国の名前は」

 

 ネオグリーンライフにしよう。少女はこの世界に『NGL』という“ただ一つの”国家設立を宣言する。全人類を国民とする唯一の国家。全ての国民は『錬金術』を習得し、少女に忠誠を誓う『奴隷』となる。

 

 だが、少女は頂点に君臨するだけで満足であり、煩わしい統治にまで手を出す気はなかった。その役割をジャイロに任せようと言うのだ。

 

 ジャイロがどんな人間か、少女は知っている。この世界に悪意をばらまくという狂った目的のためだけに全てを捧げてきた彼の人間性を知った上で、人類の統治をその手に任せようと言うのだ。

 

「さあ、どうする?」

 

 ジャイロは突きつけられた銃口を握った。それは人の手と兵器との間で紛れもなく交わされた『握手』だった。ここにNGLの歴史は新たな一歩を踏み出すこととなる。

 

「では、新国家の幕開けを世界に知らしめよう。その祝砲を赤く彩ろう。まずは俺の本体をここに呼び寄せる。我らが母艦『海底戦艦ギアミスレイニ』をな」

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。