カーマインアームズ   作:放出系能力者

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王の誕生編
83話


 

 19XX年、ゾルディック家当主シルバとその妻キキョウの間に、第四子アルカが生まれる。

 

 アルカには特別な力があった。それは人の世界の外側からもたらされた力だった。

 

 彼が生まれる50年以上前、非公式に暗黒大陸の調査が行われた。アイザック=ネテロ、リンネ=オードブル、ジグ=ゾルディックの三名からなる探検隊はいずれも卓越した念の使い手たちであったが、かの呪われた地に足を深く踏み入れるには至らなかった。

 

 その折、ジグは無自覚に暗黒大陸から災厄の小さな因子を持ち帰る。そのタネは彼の血に潜み、子へと受け継がれていく中で少しずつ大きくなり、ついにアルカの代で芽吹いた。アルカの身を宿主として共に誕生したその災厄は『ガス生命体アイ』と言う。

 

 その事実を当時のゾルディック家が知ることはなく、アルカは他の兄弟たちと同じように育てられた。生まれた時から専属の執事が決められ、日常の世話のほとんどは執事たちが行う。

 

 その執事の一人にゼロという名の男がいた。彼は代々ゾルディック家に仕え、優秀な執事を輩出してきた家系であった。実績と信頼を得ていたからこそアルカの世話係を任せられたと言える。

 

 しかし、ゼロは主人を裏切った。生まれた時から執事となるべく教育され、世俗とはかけ離れた暗殺者一家に心身の全てを捧げ続ける人生に堪えられなかった。彼は自分の部下として配属された執事見習いの女と恋に落ち、子供まで作ってしまった。

 

 執事の恋愛が発覚すれば死刑は免れない。自分の命だけならまだ諦めはつくが、愛した女とその腹の子供だけは何としてでも助けたかった。いつ本家に事実が露見するかと怯える毎日を過ごしながら、どうすることもできずにいた。

 

 そんなとき、ゼロはアルカの秘密を知ることとなる。ある日、アルカは兄のキルアと遊んでいた。二人の邪魔にならないよう気配を消して影から見守っていたゼロは、黒々と底知れぬ闇を湛える双眸となったアルカのもう一つの姿を目撃した。彼は気配を殺して観察を続けた。

 

 アルカの中に宿るもう一つの存在『ナニカ』は、いくつかのルールの下に力を行使できる。ナニカが求めた三つのおねだりを叶えた者に対して、何でも願い事を叶えてくれる。限度はない。どんな望みだろうと叶えられると本人が言った。

 

 真っ先に主人に報告すべき案件であったが、ゼロはこの秘密を隠した。そして利用した。追い詰められた彼の精神は藁にもすがる思いでアルカを頼った。誰にも見られない場所で、彼はナニカのおねだりを聞いた。三つのおねだりは幼子が親に求めるような他愛もない内容である。彼はそのおねだりを叶え、対価をナニカに求めた。

 

 何でも願いを叶えられる力をくれ、と。ナニカと同等の力を要求したのだ。そのあまりにも強欲な願いを聞いたナニカは、自らの因子を込めた血をゼロに渡した。

 

 ナニカと同じ力を得るためにはナニカと同じ存在にならなければならない。それは『アイ』の宿主となることを意味していた。これがガス生命体アイの繁殖方法の一つである。仲間を増やすことはアイとしても望むところだった。

 

 血を手に入れたゼロだったがそれをすぐには飲まず、手元に置いたまま検証のために次の願いを叶えてもらうことにした。しかし、ナニカは連続して同じ人間の願いは聞けないというルールがあった。日を改めてキルアとアルカを遊ばせ、力を使うのを待ってから再びお願いする。

 

 ゾルディック家から自分たちを安全に逃がしてくれと願うつもりだった。今度こそ自由になれるという期待と、そんなことが本当にできるのかという不安に駆られたゼロを待っていたナニカの三つのおねだりは、彼にできる許容限度を逸脱していた。

 

 誤算があったとすれば、ナニカにとってキルアが特別な存在だったことだ。本来ならば、ナニカが叶えた願いの大きさに応じて次のお願いを望む者は過酷なおねだりを聞かなくてはならないルールがあった。キルアはその例外に当たり、ゼロは自分の願いの対価を自分で支払うことになる。

 

 ナニカはゼロに『肺』と『心臓』と『脳』を求めた。『何でも願いを叶える力』という法外な願いの対価として、この程度の代償で済んだのはむしろ幸運と言える。この件に限って言えば、ナニカは直接災厄の力を行使してゼロの欲望を実現したわけではなく、ただ自分の血を渡しただけに過ぎなかった。

 

 あるいは、ゼロの願いが自分の私利私欲のためではなく、家族への『愛』に終始していたことをナニカが感じ取ったためかもしれない。

 

 ゼロは自らの手で三つの供物を抉り抜き、ナニカに捧げた。そして、脳が欠損し生きていることが異常な状態で、家族を逃がしてくれという願いを伝えて事切れた。その行動は愛する者への献身と、裏切ってしまった主人への贖罪の狭間で、自らへ下した罰でもあった。

 

 その後、発見された彼の死因は自殺と断定され、ゾルディック家により処分される。そして、一人の執事見習いが忽然と消息を絶った。

 

 その執事見習いは、ゼロから血を渡されていた。どうにもならなくなった時はこれを飲めと。奇しくもそのアイの因子は血を飲んだ本人ではなく、彼女の腹の中にいた胎児に宿ることとなる。

 

 彼女はゾルディック家の目から逃れるため、外界との通信が断たれた国へと逃げ込んだ。ミテネ連邦NGL自治区。その国で、現地の人々と同じく自然の中で牧歌的な生活を送り、ゼロの子を産んだ。

 

 病院などの近代医学に基づく設備を認めないNGLでは出産は大きな難事であり、執事見習いは産後にかかった感染症により死亡した。産まれて間もなく孤児となった赤子は村人たちの手で育てられる。

 

 NGLには言語や文化の異なる様々な民族が存在する。この国は外の世界では暮らしていけなくなった少数部族の受け皿でもあった。ネオグリーンライフはそう言った多くの部族の風習や宗教観もひっくるめた文化圏の総称とも言える。そのような民族の文化的保全も他国からの干渉から逃れるための建前である。

 

 その子が生まれた村では子供に親以外の者が名をつけてはならない風習があった。もし子に名がない場合、祈祷師が自然に宿る精霊の言葉を聞き、名を授かる習わしとなっていた。

 

 しかし、村の祈祷師はその赤子の名を授かることができなかった。その赤子は精霊から遣わされた自然の使者であり、大いなる力を持つ存在となることを予言する。その解釈は過分にアニミズムを含んでいたが、オーラの感受性が高かったその祈祷師が赤子の中に潜む災厄の存在をわずかに感じ取った結果であった。

 

 月日が経ち、精霊の子と呼ばれた赤子は銀色の髪を持つ美しい少女へと成長する。祈祷師のもとで巫女として育てられ、自身の中にある『精霊』の存在とそのルールを自覚するようになる。

 

 アイの願いを叶える力には、それに伴うルールがある。ルールに従えなければ罰が下る。しかし、ナニカにとってのキルアがそうであったように、そのルールを無視できる例外もあった。アイが『最も愛する者』であれば、無条件に代償を支払うことなく力を使うことができた。

 

 では、この少女にとって最愛の者とは誰だったのか。村人は少女を超自然的な存在としか見ず、同じ人間として扱うことはなかった。物心つく前に親を失い、育ての親である祈祷師は少女を我が子とは見ていなかった。

 

 精霊は少女の口を介して、いたずらに人々から供物をねだった。祈祷師以外の者が精霊と交信すれば災いが降りかかると村人は信じていた。精霊の求めに応じられなかった人間は、その最愛の者と共に荒縄状にねじり殺されてしまった。ますます彼女は孤立した。

 

 幻覚作用のあるビラの葉(D2の原材料)を用いた儀式を繰り返し、精霊の子として自然と一体化させるという過酷な修行を強要される日々を経て、ついに少女は天啓を得る。

 

 その結果、少女が最も愛した者は自分自身となった。自分こそが精霊の化身であり、自分の願いこそが自然の願い、正しき神託であると結論づけた。

 

 その力はまさに神に匹敵する。彼女が祈れば干ばつに乾いた大地はたちまちに潤い、大地は豊饒の恵みに溢れた。そして逆らう者には天罰を下した。疫病が猛威を振るい、何の関係もない多くの人間までも巻き込み、国中に蔓延した。

 

 その力を前にして、人々は恐れをなして逃げ去った。少女の庇護のもとで恩恵を受けた村人も、祈祷師もいなくなり、彼女は一人となった。

 

 少女の精神は既に破綻していた。自分以外の誰も愛することができない彼女の心は、もはや生きていく気力すら持てないほどに衰弱していた。狂ってしまった自覚すら持てない少女は、この世界の間違いを正すため、破壊と混沌を呼び寄せた。キメラアントという災厄を。

 

 そして、彼女は汚れたこの世界を離れ、神の住まう土地へと向かう決心をする。肉体を捨て、魂をより上位の世界へと送る転生の儀を執り行った。その呼び声に応えた神々は天の御使いを少女のもとへと向かわせた。空より降り立った使者に抱かれ、少女は神の国へといざなわれた。

 

 少女の最期は、そのような幻覚の中で終わった。実際には、空からやってきた使者はキメラアントの戦闘兵であり、無抵抗で捕まった少女は巣へと運ばれ女王の餌となって死んだ。

 

 だが、恐るべきはその少女の支離滅裂で荒唐無稽な『願い』を叶えてしまった災厄の力だろう。少女の魂は本当に上位の世界へ旅立っていた。この世界という『物語を創作した神』が存在する場所へ。

 

 そして、少女の魂と入れ替わるようにして一人の男の魂がこの世界に転げ落ちることになる。欠落した穴を埋め、増えた余分を均すように、二つの世界の魂は等価の交換を果たした。

 

 

 * * *

 

 

「――――王! ……王! お目覚めになられましたか!」

 

 ゆっくりと目を開ける。真っ先に目に入った光景は、こちらの身を案じるように覗きこむネフェルピトーの姿だった。

 

 蟻の王、メルエムは起き上がり周囲を見回した。まず、自分のすぐそばに護衛軍であるネフェルピトーがいる。そして、その後ろにキメラアントの女王、メルエムの母に当たる存在がいた。少し離れたところに師団長と思われる蟻たちが集まっている。

 

「何だ、これは?」

 

 メルエムの声は落ち着いていたが、その内心ではかつてないほどの動揺が生まれていた。しかし、その雑然とした精神を瞬時に抑え込み、現状を把握しにかかる。

 

「何があった? その方が知る事実を申せ。偽りは許さぬ」

 

 メルエムは絶対者の気迫と共にピトーへ問いかけた。そのただならぬ威厳に気圧されながらも、護衛軍であるピトーは臆することなく王のために説明を始める。具体的に王が何を知りたいと思っているのかわからなかったが、ひとまず直近の出来事から話すことにした。

 

 それによればメルエムは今から数分前、女王の腹から生誕を遂げたという。それはあまりにも早すぎる早産だった。まだ女王が王を身籠ってから一か月と経っていない。

 

 しかし、王はまだ自我も芽生えぬ身でありながら、何かに掻き立てられるように母体の外へ出ようとした。女王は必死に止めようとしたが、その甲斐もむなしく産まれてしまう。

 

 王は、母体の外で生きていける状態ではなかった。放っておけばすぐにでも死んでしまう未熟児だった。それを救ったのは護衛軍のシャウアプフとモントゥトゥユピーである。

 

 二人は自分の細胞を変化させる能力を持つ。その力で自らの体を王に余すところなく捧げ、命を使い果たして王を成長させるための血肉となった。

 

「我々は身も心も王の所有物でございます。王を救うためとあらば、命を捧げることなど当然。プフもユピーも、王に仕える者として本望だったことでしょう」

 

「……ピトーよ。お前が知ることはそれだけか?」

 

「はい。その他に取り立てて申し上げるようなことは思い当たりませんが……」

 

 強いて言えば人間の勢力がキメラアントに抵抗している件があったが、王の力をもってすれば赤子の手をひねるような他愛もない敵と判断し、軽く事実を報告するだけにとどめた。

 

 ピトーは王がまだ名乗ってもいない自分の名前を最初から知っていたことに少し疑問を感じたが、プフとユピーの肉体が王の身と合わさったことで記憶の一部が引き継がれたのだろうと予測した。

 

 王の気分がすぐれない様子も、一時的な記憶の混同と混乱によるものだろうとピトーは納得した。

 

「まだ何か不明な点がございますか」

 

「……」

 

 メルエムは言葉を出せずにいた。ピトーの口から語られた情報と、目にしている現状が理解できずにいた。

 

 彼には明確な記憶がある。それはプフやユピーのものではなく、母の胎内にいた頃の記憶でもない。彼は蟻の王として産まれた。生物統一の覇道を歩むべく、人間社会の支配に乗り出した。

 

 多くの人間と出会った。戦い、勝利し、敗北し、多くのことを学んだ。その記憶がメルエムにはある。彼は確かに自身の死を体験した。そこで終わったはずだった。

 

 だが、死の眠りから目を覚ました彼を待っていたものは、自身の誕生という予想もできない事態だった。戸惑いながらも、メルエムはこの不可解な現象の究明を試みる。

 

「確かめるか」

 

 わからないものをわからないまま終わらせる気はなかった。誰かに尋ねたところで満足のいく答えが得られそうにはない。ならば、己自身に聞く他ないだろう。

 

 メルエムはその力を作ることにした。念能力の発である。彼は生まれながらにして『他者を食べることでオーラを自分のものにできる能力』を持つが、これまで自発的に能力を作ったことはなかった。

 

 静かに目を閉じ、自身の過去を振り返る。彼の記憶の奥底には無意識の領域において蓄積された情報の断片が飛散していた。それら一つ一つでは何ら価値のない断片を掬い上げ、途方もない組み合わせの中から正答を探し出す。

 

 人間とはかけ離れたメルエムの思考能力がそれを可能とした。彼の脳裏に映し出された光景は、単なる追想を超えていく。それは時間の概念を超越し、『過去を視る力』となって発現した。

 

 メルエムの意識は自分の記憶が途切れる直前の場面まで遡った。東ゴルドー宮殿の地下に造られた政府高官の私邸の一室に、メルエムと一人の少女はいた。

 

 最期の時を二人で過ごした。忘れられるはずもない記憶だった。少女の腕の中でメルエムは息を引き取る。彼の記憶はそこで途絶えていたが『過去視』の能力がその先の出来事を紡ぎ出す。

 

 少女に看取られ、死んだはずのメルエムの両目が見開く。だが、その目に光はない。黒々とした闇が広がっているだけだった。その正体は、ガス生命体アイである。アイの因子を引き継いだゼロの子がキメラアントの女王に捕食され、その力がメルエムに宿っていた。

 

 毒に冒され、死の間際を迎えたメルエムはようやく自分が生まれてきた意味を知る。人と蟻の間に生まれ、どちらにも染まりきれずさまよっていた王の心は、初めて『愛』を知った。その感情がメルエムのうちに潜んでいたアイを目覚めさせた。

 

 今のメルエムはその全ての情報を知る立場にない。過去視により映し出された光景の中で、アイと少女は何か言葉を交わしているように見えた。音は聞こえず、激しく乱れる過去視の映像の中、彼は懸命に少女の唇の動きを観察した。

 

 『もう一度、この人に幸せな時間を』

 

 次の瞬間、映像は飛んだ。メルエムの思考能力をもってしても、到底処理しきれないほどの莫大な情報が流れ込んでくる。それは無限に広がる並行世界が生まれ、淘汰され、彼が存在する今の時間軸へと収束していく過程だった。

 

「どうされました!? まだお加減が優れませんか……?」

 

 頭が割れるような頭痛に苦しみ、よろめきかけたメルエムをピトーが支える。彼はおよそ理解した。

 

「余は、コムギに助けられたのだな」

 

 アイは最愛の者の願いを聞き遂げた。メルエムの魂は定められた時間の流れを超え、人生をやり直す機会を与えられた。

 

 災厄の力は時間旅行すら可能とした。メルエムが『過去視』の能力を発現できたことも、魂に刻み込まれた時間旅行の体験に由来するものだった。

 

 新たな生を得たメルエムは、これから何をすべきか考えた。前回の生では見向きもしなかった周囲の者たちに目を向ける。それをどう思ったのか、師団長たちはびくびくと身を震わせ始めた。

 

「見晴らしの良い城の屋上にお食事をご用意しております。よろしければご案内いたしますが……」

 

「よい」

 

 ピトーの申し出を断り、メルエムは女王の前に立った。前の生では自分の母に対して労わるどころかその腹を突き破って産まれてきた。キメラアントの生態から見れば産まれた瞬間から女王と王は異なる群れの長として機能するため、そもそも家族の情というものはない。

 

 今回のメルエムの出産はただの早産で済んだため、母体である女王に怪我はなかった。疲弊しているものの、しっかりと意識を持ち、何かをメルエムに伝えようとしている気配を感じた。

 

 女王は人の言葉を話すことができない。意思の疎通は電波通信によって行う。その一方、王と護衛軍には電波による通信能力が種の機能として備わっていなかった。意思の疎通をあえて欠くことが独立した群れを築く上で有効に働くものとして進化してきた結果だった。

 

 メルエムは自分のオーラを光子状に変化させ、空気中に飛散させる能力がある。これは正確には肉体を取り込んだ護衛軍プフの能力を応用したものだった。その光子に触れた者の感情を読み取ることができる。この能力を使えば言葉を発せない女王の機微を読み取り、何が言いたいのか予測することはメルエムにとって難しいことではなかった。

 

「誰か、女王の言葉がわかる者はいるか?」

 

 だが、メルエムはあえてそのような無粋なことはせず、兵蟻たちに通訳を頼んだ。師団長の一人が恐る恐る王の前でひざまずき、女王の意思を言葉にして伝えた。

 

「女王様は、王様のお名前を伝えようとしておられます。メルエム様……全てを照らす光という意味でございます」

 

「うむ。その名、しかと受け取った」

 

 彼にとってその名前は特別な意味を持つ。今生では、きちんと名付けた者から授かろうと思う気持ちがあった。そのメルエムの応答に女王は安心した様子を見せた。

 

「女王様は、メルエム様にキメラアントのみならず全世界の生物を統一するお力があると確信しておられます」

 

「それはできん」

 

 明確な否定。護衛軍の一人ですら師団長全員が束になっても到底敵わない実力者であるというのに、そのさらに上位に立つ王のオーラはまさに圧巻である。それだけの絶対的強者が口にした否定の言葉は少なからず蟻たちを動揺させた。最も平静でいられなかったのはピトーだった。

 

「何をおっしゃるのです! 人間風情、王の力をもってすれば……!」

 

「我らと人、双方の理想が交わることは決してない。その先に待つのは破滅のみだ」

 

 メルエムは人間の底しれぬ悪意を見た。人間を支配することはできても、その悪意まで支配することは不可能だと感じていた。

 

 人間の兵器の威力を知り、新たな力に目覚めたメルエムであれば人間社会を征服することができるかもしれない。だが、仮にそれができたとて玉座に着く自分は孤独な暴君にしかなれないだろうと思い至る。人の悪意を抑え込むため、力を振るい続ける存在でしかない。それは今の彼の望みではなかった。

 

「このまま人間と敵対し続けたところで、やがて行き詰ることはお前たちも理解しているはずだ」

 

 蟻たちは人間との戦いで多くの被害を受けた。人の強さを知り、このまま戦い続けることが本当に正しいのかと疑問に思う者も出始めていた。

 

 中には蟻らしく女王に支配されることを望む者もいるし、逆に支配から逃れて好きに生きたいと思う者もいる。メルエムは、それらの生き方を肯定も否定もする気はない。

 

「これからどうするかを決めるのは余でも、女王でもない。お前たち自身が考え、正しいと思う道を進め。蟻の本能にただ従うのではなく、己の意思のもとに生きろ」

 

 メルエムはそれ以上、何かを言うつもりはなかった。その場を後にしようとする彼にピトーが問いかける。

 

「王は、どうなさるおつもりなのですか?」

 

「さてな。それをこれから、この目で見極めに行く」

 

 『過去視』の能力を得たメルエムの目は、時間の流れや因果の結びを読み取れるようになっていた。その感覚が彼に異常な存在を知らせている。

 

 無数の線となって構築された因果律は大河のごとく束なり運命を紡ぎ出していく。この世界は一つの物語のように定められた運命、辿るべき歴史があった。メルエムはその筋書きまで読み取ることはできないが、運命の存在を感じることができた。

 

 その大河の流れに歪みが生じている。メルエムの魂は時間遡行に成功したが、完全に同じ過去へと戻ることはできなかった。彼が一度目に存在した世界と、遡行した後の世界には違いがある。

 

 記憶を引き継いだまま過去へ戻った彼自身もまた運命の改変者と言えるが、それ以上のさらに巨大な改変が行われた形跡があった。そしてその原因が、ここからそう遠くない場所にいることを察知する。

 

 この世界にはメルエムともう一人の改変者が存在している。厳然たる予感が二人の戦いを示唆していた。

 

 彼の体から無意識に滲み出る闘気は、ただそこにいるだけで心臓を握りつぶされるのではないかと錯覚するほどの悪寒を蟻たちに感じさせた。その中で、ピトーだけは王の出陣を前に士気を高める。

 

「これより先は死地。勝敗の行方は一寸先も見通せぬ戦いとなるだろう」

 

 それはピトーへ向けた忠告だった。決して侮っていい敵ではない。そしてメルエムは無理にピトーを自分の戦いに付き合わせる気はなかった。もしピトーが望むのであれば、護衛軍として以外の生き方を認めるつもりでいた。

 

 だが、その気持ちを言葉にすることはなかった。逃げても良いなどと口が裂けても言えるはずがない。プフやユピーは王のために命をなげうった。肉体が一つとなることで、メルエムは彼らの忠心をその身をもって理解している。

 

 王のために生き、王のために死ぬ。それこそが護衛軍、三戦士の誉れである。ならば、王として与える言葉は一つしかない。

 

「行くぞ、ピトー」

 

「はっ」

 

 








ごめんなさい……超展開ごめんなさい……

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